2017年5月31日水曜日

広島駅中央口へ

 今朝、ゴミを出しに行くと先日、86歳の迷える同窓会の話になる。会場をわが家の前の会館と話した老人。実際は小学校の隣と言っても真反対の方面の別の会館だった。迷える老人を任せた人は3軒先の民生委員。他家の電話番号を把握されており、老人から聞いていろいろと電話をかけたらしい。足もおぼつかない老人を車で会場まで送ったとのこと。ともあれ無事に済んで良かった。

 広島駅の表口と新幹線口の自由通路が一部開通した。見に行かねばならない気持ちに駆られて早速出かける。地元最寄り駅から広島駅方面の列車はほとんどは一番線ホームに入る。その為、駅から外へも簡単に出られた。ところが新たな駅は1階の改札口をすべて閉鎖し、2階に出来た中央口を通らねばならない。これは足が悪い人にとっては大変!好奇心が勝って中央口に向かうとまるで空港内にいる気がする。広くて明るい中央口。外に出てまず向かうのは元の新幹線口方面へ。駅係員がメガホン片手に人を誘導する。次は元の駅表口へ。ここは駅ビルに人を誘導させる!?この駅ビルも解体して新たな広島駅ビル構想もあると聞く。一部開通の自由通路も秋には全部開通し、両側にはお店も並ぶらしい。名前も「エキエ」とか。

 気分を変えて駅の福屋に入る。チケットサロンで9月に開催される前橋汀子コンサートのチケットを購入する。前橋汀子のヴァイオリンは聞いていて華がある。せっかくの機会、場所は広島の郊外の廿日市市。聞かずにおれない気持ちになる。まだ売り出されたばかりで前から4列目の席をゲット。

 暑くなってきた。今一歩、風邪気味。もうちょっと様子を見てプールへ行こう。それまでは我慢の日々!?

2017年5月30日火曜日

「シンドラーのリスト」から


 
 眼科へは視力が良くないため月に一度定期的に出かけている。どこがどうと言って悪くはないがただ視力が悪い。眼圧は14と16で正常。医療機関へ出かけるのは好きではないし、悪くはなくても眼科だけは一生の付き合いになりそうだ。家に帰って庭の紫陽花を仏壇の前に活けようと庭に出る。見知らぬ老紳士が杖を片手にウロウロしている。動けなくなるのかと思って声をかける。

 話をすると80年ぶりの小学校時代の同窓会に来たという。場所は?と尋ねるとわが家の前の地区の会館だとのこと。だが、辺りには誰もいない。出席するらしい人の名前を聞くと2軒隣の人がいた。代わりにその家に行くと鍵がかかっている。困ったと思っても老人をほったらかしにはできない。出席の案内状も持っていないらしく、ただ、我が家の前の会館の名を出す。どうもそれは違うと察して近くの人に相談する。

 後で気づいたことはぼけ老人でもなさそうだ。その方の家に電話して場所を確認すればよかった。ともあれ、民生委員に後はまかせてその場を去る。

 どこかに出かけるときは日時場所の確認できるものをもっていくべき。これが昨日の教訓。

 それにしても御年86歳になる人たちの同窓会。同窓会へは出席率皆無なので偉そうには言えない。それにしても何人が出席されたのだろうか。

 86歳といえば、今回のポーランドの旅でその年齢の人がおられた。年齢云々は後で知ったのだが、86歳とはとても思えなかった。せいぜい70代初めにしか見えなかった。どういっても今回の旅では半端でなくよく歩いた。足が不自由な人は当然皆無。杖の人もいなかった。しかし年齢的には一部の人に聞くと70代半ばから後半の人も何人かおられた。男性の中には次々と旅の予定を立てられている人もいた。これは今に始まったことではない。行けるうちに行こうとの思いがそうさせる!?これは老若男女に関係なさそうだ。

 ネットで動画を見ていると、何とシンドラーのリストのテーマ曲のフルート演奏がある。この映画を見ていないのでテーマ曲も当然知らない。ところがその曲のなんと切ないコト。同じフレーズが流れる。これ以上聞くと耳からその音が離れなくなりそうになる。しかし、なんと寂しい曲だろうか。この曲がアウシュビッツ収容所の見学コースで流れていたらどの人の足もきっと前に進まないだろう。

 それくらい切ないメロディーだ。「シンドラーのリスト」が映画になったことは知っていた。しかし、それを見ずにいた。ポーランドで何度も聞いたシンドラーのリストの話題。何かの手段で映画を見なくてはポーランドの理解は難しいかもしれない。それにしても
シンドラーのリスト、あまりにも悲しすぎる!

2017年5月28日日曜日

「天使のミロンガ」


 旅の記録をブログに作成中、「シンドラーのリスト」を何度か旅先で耳にしたことを思い出す。この映画は見たことがなかった。一度は見るべきと思い、ネットで検索すると「日本のシンドラー杉浦千畝物語六千人の命のビザ」があった。後でゆっくり見よう。 https://www.youtube.com/watch?v=6YoB-_oRw-U  (参照) 
 
 広島駅の南北の通路が昨日一部開通した。いつもならば火曜日にフルートのレッスンで広島駅に出る。生憎今週はレッスンはお休み。今朝の地元紙に大々的にオープンの記事が掲載される。近いうち、新装なった広島駅に出かけるのもいいかもしれない。
 
 レッスンが休みのフルート。さらっている「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。これと共に発表会のソロで吹く「天使のミロンガ」の楽譜を眺める。見たところ簡単そう。しかし、この曲はピアソラのタンゴ。2人の人が吹く動画を探す。上にアップした動画は持っている楽譜と同じ。下にアップのもう一人の動画は曲のアレンジが異なる。
 
 お天気のいい日が続く。やることが多い。一つずつ優先順位をつけてやることにしよう!
 
 

我が家の紫陽花2種



 狭い我が家の庭に今年も紫陽花が我が物顔で咲き誇る。この横では緑の葉っぱを茂らせたレモンの木。今年のレモンはざっと見渡しても50個はある。今はまだ小指の先ほどの実。秋になれば大きなレモンになる。庭の横を流れる水路にはドクダミ草がこれまた我が物顔ではびこっている。この水路、半分は隣の家との境界線。小さい頃はこの水路にセリも生えていた。すべては自然淘汰!?今ではドクダミ草が生い茂る。

 先日来から気に入っている高島野十郎の本。昨日も『野十郎の炎』をカープ観戦しながら読む。さすがに音を出すと頭に入らない。画像を横目に見ながら本を読む。何とも落ち着かない。

 その合間に旅の記録の作業に取り掛かる。だが、一つずつ片付けないと何事もおろそかになる。鼻水もだいぶ止んでくるとプールへ行きたくなる。だが、ここは無理は禁物と我が身に言い聞かせる。しばらく様子を見よう。

2017年5月27日土曜日

第370回広響定演を聞く


 第370回広島交響楽団の定期演奏会に出かける。演奏タイトルは「フレンチ&ロシア 名匠カサドシュ!」と銘打った演奏会。カサドシュとは今回のゲストの指揮者で他にもトロンボーン奏者のファブリス・ミリシェ―を迎える。このトロンボーン奏者はまだ若い人。だが、かなりの経歴の持ち主。座席は前から4列目。目の前での演奏だった。トマジ作曲の”トロンボーン協奏曲”を広響と奏でた後、アンコールが演奏される。トロンボーンの協奏曲は初めて聞く。素晴らしい演奏後に聞くアンコール曲は2本のチェロとトロンボーンの演奏でヴィラ・ロボス作曲”ブラジル風バッハ” 第5番だった。演奏会終了後、アンコール曲の曲名が書いてある。これを携帯で写して後でネットで動画を探すとトロンボーンでなくフルートの演奏があった!これがまたいい!思わず秋のフルート発表会で吹きたくなる。吹けるかどうか先生に聞いて見よう!

 昨夜の演奏会の演奏曲目は下記の通り。

🎵ベルリオーズ 序曲「ローマの謝肉祭」Op.9

🎵トマジ トロンボーンン協奏曲 

🎵Tchaikovsky 交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」

 演奏会後のアンコール曲は今のところ曲名がわからない。ともあれ、素晴らしい演奏会だった。帰りのバスで隣に座った人の開口一番は「よかったですね!」。これに対して「トロンボーンの協奏曲は初めて聞きました」と私。御年82歳でピアノを弾かれている。短い会話だった。だが、夜の演奏会にもかかわらず遠くから聞きに来られている。これを聞いてかなり刺激を受ける。

 昨日は午前中に歯科へ行く。旅に出る前にかぶせたものがとれた。その時はすぐに治療してもらった。歯科への不精に対して罰が当たった気がして言われるとおりにしている。以前、2か所の歯科で奥歯を抜くといわれた。これまでで抜けた歯は2本。母は自分がかなり歯を抜かれていたので「歯は抜くな」、といつも私に話した。この奥歯を「抜かれてたまるか」、と意地を出して3年くらい前に駆け込んだ昨日の歯科。この先生はとてもいい人で抜かずに処置してくださる。昨日はぐらついていたのを治療してくださった。

 人がどんなにいいヒト、モノ、コトと言っても全くと言っていいほどそれを信用しない。高島の本を読んでいるとその点は似ている。絵を売るためといっても紹介された人を信用しなかったそうだ。歯科もそうだ。人から評判がいい先生であっても自分で直接いいと思わないと良さはわからない。それは何でも言える。特に人の場合がそうだけど…。旅もそうだ。どこがいいといってもその良さは人によって異なる。

 ともあれ、昨日はいい曲を聞けて、さらにいい曲を知った。自分でいいと思えるものは誰がどういってもいい!何でも好き嫌いがはっきりしている。ヒト・モノ・コト、気に入ってしまうとのぼせ上がる。これも人生、白けているよりは楽しくて「まあ、いいか!」。

2017年5月26日金曜日

『過激な隠遁 高島野十郎評伝』

 先日知った高島野十郎。この人について川崎浹の書いた『過激な隠遁 高島野十郎評伝』(来龍堂、2008年)を読む。

 世の中に、高島とこの本の著者のような親交がある人たちがいるだろうか。まるで物語の世界。もしも旅の最後の日、博多の美術館へ高島の絵を見に行く勇気と元気がなかったら、この本を読んでいたかどうかわからない。すぐに行動に移したことは今となっては幸いだった。

 本をめくるとその1頁目に「高島野十郎の名が世に知られ、その絵が多くの愛好者を得るに至った経緯にはひとつの因縁があった。それは一遍のドラマのようである」とある。高島の絵が世に出るきっかけを作った福岡県立美術館の当時の学芸員古川智次に一枚の絵が目に留まる。その後、高島の絵は他の2人の学芸員にも受け継がれ、紆余曲折の後、没後11年の1986年、福岡県立美術館で「野十郎展」が開催される。今では「野十郎通信」も美術館HPで発信されている。

 筆者の川崎が高島と出会ったのは早稲田の大学院に進学した1954年の10月15日。建築を学んでいた友人三人と秩父の山歩きをする。あるバス停でスケッチブックを小脇に抱えた背広姿の紳士と立ち話をする。この12日前にこの紳士(高島野十郎)は長兄を亡くしていた。

 本の筆者である川崎は初めて野十郎と会った日から一月後に2回目の出会いをする。国立博物館でルーブル展を見るために並んでいると野十郎が見終えて入口から出てくる。この時互いに顔を覚えていて「やあ」と挨拶を交わす。3回目は翌年の春、ゴヤ展を見ているとまたも見終えて出てきた野十郎と鉢合わせする。

 この時、野十郎はアトリエが近くにあるといって川崎を誘う。この二人の出会いについて、後に野十郎は「これはもう運命だよ」といって驚く。

  またいつものように気になる個所を抜粋しよう。

※実際、一千万の人口が渦巻いている関東圏で、見知ったばかりの人物と立てつづけに三度出遭うという体験は、生涯を通じてこのときだけだった。しかも出遭うたびにアトリエに近づき、三度目のときは歩いて行ける所にあった。画家が私と同県ということも分かった。20p

※野十郎は過去の自分ときっぱり縁を切るつもりで、兄嫁のキク子にこれまでの丹念に描いてきた百枚ほどの絵の焼却を依頼した。57-58p

※米国経由で帰朝した野十郎は兄宇郎を訪れ、これからは「ひとりよがりでなく、世にうけいれられる絵」を描かなければならないと感想をのべた。…野十郎が「世にうけいれられる絵」と言ったとすれば、かれのような内省的な創作者が向かいがちな自らの殻に閉ざされることのない、開かれた創作でなければならない、そういうことを念頭においていたのだろう。かれの作品はすで渡欧前から愛好者の需要を充たしていた、その分すでに開かれていたわけだが、画家は画家なりに「ひとりよがりでない」絵を描かねばと思っていた。このエピソードからそうした画家の意図が伝わってくる。58-59p

※もともとは本名の弥寿(やじゅ)に、長兄の詩人宇朗の末尾をくっつけて野十郎(やじゅうろう)としたのだが、本人によれば「のじゅうろう」には野たれ死にの意味もこめられているので、これはこれで捨てがたい趣がある。72p

※家庭は社会や国家を支える無数の「巣」であり、そこへの志向はもちろん俗の「ぬくもり」への帰郷である。ミルチャ・エリアーデは『聖と俗』で「探求、中心への道を選んだ者は、家族と共同体のなかの地位、つまり<巣>を放棄して、ただ一人至上の真理への<遍歴>に身を捧げる」と書いている。求心であれ、遠心であれ、巣を離れて自由に生きたいと思うものは少なからずいるだろう。99p

※高島さんは「見合い写真」や「お見合い」という俗の標本に手を染めることを、瞬間の判断で拒否した。99p

※二十一年間、高島さんは私の年齢を聞いたことがなかった。こんなに気持ちよく爽快なことはない。相手の年齢を確かめたり、年齢にこだわったりする人に出くわすと、また自分自身がそうであるときにも、私は次の遺構の句を座右の銘とするように心がけている。

 時間というものは無い、時間とは人生そのものだ、空間亦復如是、(『ノート』より)100p  (注:『ノート』は高島が生前書き留めていたノートを筆者が『ノート』とした)

※ルーブル美術館にはラ・トウールのキリスト教神話を題材にした大画面の絵があり画面のごく一部にローソクが描きこまれている。「高島さんのローソクだ」ととっさに思ったがそれはちがう。野十郎の《蝋燭》はそこから借りたり、描きだしたりしたものではなく、自ら強い意志のもとに立てた一個の主題である。…野十郎の《蝋燭》はなにを描こうとしたのか。まず、絵が非売品であることに注目したい。生活の資を稼ぐための絵ではなく、どこか特別な場所に納入されるものだった。どこに?高島さんに言われて私の意識がはじめてそこに向いたのが、絵馬である。絵馬には馬の絵が描かれ、奉納者の祈願が込められている、と思った。「私の《蝋燭」は絵馬なのだよ」と画家は言った。絵馬を奉納するために神社に行き、浄い水を柄杓ですくって手を洗い、口をすすぎ、掛けられた鏡を仰ぎ見ると、そこに映っているのは「神ではなくて、なあんだ、自分の姿だったよ」と笑って画家は言った。こういうときに高島さんは決まって生まじめな表情ではなく、いかにも愉快そうに笑って話す。「神は自分の中にいるのだ」。…高島さんの独創性は《蝋燭》を人間、殆ど凡夫のなかの仏性に奉納しつづけたことにある。被奉納者、つまり鑑賞者は奉納品によって自分のなかの仏性に目覚める可能性をもつことになる。246-247p

※蝋燭の芯は生きる者の残りの寿命であり、焔は燃焼中の生命を象徴していると私はばくぜんと考えてきた。さらに近年、私は《蝋燭》の焔はうつろいゆく生命エネルギーの「現象」という名にもっともふさわしいと思うようになった。250p

※私は《蝋燭》の副題を「現象」とすることに決める。すると私はいままで気づかなかったことに急に気づくのである。野十郎のもっとも近い所に《蝋燭》の寓意をとく鍵や、かれが身ぶり手ぶりで言わんとした「また在らずに非ざるなり」にも通じる解があるではないかと。250-251p

※野十郎が自嘲する絵描きの「魔業」とは、「何の役にも立たない徒労である」と仰山から罵倒されながらも、それにうちかつ「現象」を額縁の枠内に繋ぎとめることにあった。…焔は敬虔な垂直の光として私の心に、もはや一瞬でなく永世の安らぎをあたえるかのようだ。252p

 本の裏表紙の筆者プロフィールに「高島野十郎とは大学院生だったときに『運命的』な出会いを果たし、画家が亡くなるまでの二十一年間深い交流をもった。野十郎の肉声を伝える貴重な証人として野十郎研究に大きく貢献する」とある。野十郎が亡くなったのは1975年、享年85歳。筆者は野十郎より40歳も若い。著者が若い頃から書いていた日記と野十郎の書いた『ノート』、そして野十郎の周りの人たちのお蔭で本になっている。親子以上も離れている二人。それにしてもなんとも不思議な本。亡くなった後、30年経って本となる。それにしてもこの本の主役は野十郎だけでなく筆者も主役。素晴らしい二人の交遊録だ。川崎のこの本によって野十郎がますますわかってくる。

 昨日、野十郎に関する他の本、『野十郎の炎』を入手。この本は同郷で、高校の後輩である多田茂治が書いている。これも読み終え次第、ブログにアップしよう!

2017年5月25日木曜日

遊ぶ話

 充電中の携帯電話を見ると電源が入っていない。先日、充電器が100ー240Vの表示がないにも関わらず、海外で充電した。これは日本仕様で海外では使えない。誤ったやり方が故障の原因かもしれない。ドコモに出かけると矢張り、充電器が故障していた。あらたな充電器は海外仕様となっている。この点は壊れた甲斐があった!?

 それにしても雨の中のドコモの店内。客は一人だけ。アンケートがどうじゃ、来店目的がどうじゃといろいろと書類を書かせる。やっと応対が始まると何とも不愛想な店員。「ほんまにどうかいね~」と思わず口から出そうになる。朝早い来店客。もっと親切があってもいいのでは、と思ったり。

 気分を換えて昨日は雨の一日読書三昧。先日知った高島野十郎、この人について書いた川崎浹の『過激な隠遁高島野十郎評伝』(来龍堂、2008年)を読む。高島については他にもう一人本を書いている。これも図書館で予約中。今朝のブログでこれをアップしようとしたがすぐにはできそうにない。暇を見てブログにアップしよう。旅の記録も待っている。

 旅といえば、先ほど今月末までが申込期限のインドネシアの旅について仲間から行くかどうかの問い合わせメールが入る。ある会での旅も、今回が最後の旅と銘打ってある。楽しい人たちだから行きたい。だが、一年半前に出かけている。そしてその費用はアジアといっても結構高い。ヨーロッパに十分行ける価格だ。泣く泣く行くのを断念すると返信。

 今日は本来ならば秋吉台をハイキングする予定だった。それももしかして海外から帰ってすぐに行くと疲れるのでは、と思って急きょキャンセル。これは正解だった。もう若くはない。そう思いたくないけど無理は禁物。ナニゴトも特に遊ぶ話は元気であればこそ楽しくできる!

2017年5月24日水曜日

フルート&日本画展巡りetc.

 今朝はひさしぶりに雨が降る。暑かった昨日、市内中心部から駅までをよく歩いた。途中、今から20数年前に通っていた上八丁堀の中国語教室近くのカフェに入る。店内は当時のままで昔ながらの喫茶店。時刻は午後3時。ここ2,3日の風邪気味な状態が抜けきらず、街中を歩いていて疲れる。もう少しで県立美術館。館内のカフェに入るつもりが途中にあるお店で一休み。ケーキセットのコーヒーの美味なコト。元気を取り戻す。お店を出ると県立美術館に移動して日本画の先生たちの5人展を見る。

 幸い、習っている先生が受付の当番だった。5人展を見る前に八丁堀にある某金融機関のギャラリーで日本画協会の小品展を見る。それより前は、フルートのレッスンを受けている。レッスンを受けるだけで疲れるのに、その後歩いて2つの展覧会に出かける。

 疲れはピークに達する。ところがそれも度が過ぎると感覚が麻痺するのか、次に行くは駅前にある福屋10階のジュンク堂書店。ここで先日から気に入っている高島野十郎の分厚い画集を購入する。図書館で借りて読んでいては高島に失礼な気がした。携帯で写したISBNをお店の人に見せて本をゲット。今はこの人の絵に夢中なのでどの絵を見ても感動が薄い。それくらい高島の絵は素晴らしい。きっとこの人の人間性にもよるのだろう。

 受付をされる日本画の先生に歩きながら浮かんだ落ち葉をモチーフにしたアイデアを話す。落葉がひらひら舞い落ちるさまを絵にする。そう話すと忘れないうちにかたちにするようにとのこと。絵のタイトルは「落葉舞う」。タイトル倒れにならないように絵を描かなくては…。

 描くといえばこれまで描いてきたものを画集にされた人と出会う。その人は日本画教室で所属する会の人。初めて作品展を見たとき、この人の絵に惹かれた。85歳くらいの方で、先年、出版社を通じて詩集を出されている。今回の画集は自費で出されるとか。日本画小品展会場で出会った瞬間、「画集をあげる」と言われる。9月の作品展の際にいただく予定。楽しみだ!絵に関してはこの人の歩む道に惹かれる。人と競わず、自分の思いのままに描かれている。作品展で絵本を展示されたこともある。身近にいる素晴らしい人を見倣おう!

2017年5月23日火曜日

「人生で一番幸せ」

 今朝のネットのNEWSはイギリスの爆発事件。テロらしい。いつ、どこで何が起こるかわからない時代。毎日を楽しく生きるに限る。今朝の地元紙の投書欄に91歳の女性の投稿がある。「人生で一番幸せ」のタイトル。今が一番幸せと91歳になられても言い切れる人は幸せ。この方は佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』を友だちから借りて読んだそうだ。その本の読後感は「何くそという気持ちがあるので、余計共感した」という。文の最後に「私は今、前向き。人生で一番幸せかもしれない」とある。

 長くお元気で生きてる人は心の持ち方が素晴らしい。「何くそという気持ち」、わかる気がする。何かをやろうとする決め手となる最後に意地が働く。そうでないと生きてはいけない。この方よりかなり年齢は下だけど「今が人生で一番幸せ」と思う。どういってもまだ元気。とはいってもこの2,3日風邪気味だけど…。これを除けばまだまだやる気、元気は満載!

 そういえば出かけていた間に地元紙の紙面モニターに決まった。来月からだそうだ。今朝の人のように朝から元気が出る記事をどんどん地元紙に掲載してほしい。読んでいて気がふさぐ記事は読みたくない。モニター応募の際にもそれを強調した。同じ生きるなら楽しく元気で過ごしたい。それにはヒト、モノ、コトのすべての環境もそうでなくてはいけない。

そして今日のブログのおまけは中崎翔太投手。かわいい!

広島・中崎 気合の丸刈りで1軍復帰へ 腰も大丈夫「開幕のときより良い状態」

デイリースポーツ 5/23(火) 6:08配信

 
広島・中崎 気合の丸刈りで1軍復帰へ 腰も大丈夫「開幕のときより良い状態」

 腰痛を患い2軍調整中だった広島・中崎翔太投手(24)が、23日のヤクルト戦(マツダ)から1軍に復帰することが確実になった。22日はマツダスタジアムに荷物を搬入し、約1時間の有酸素運動を行った。当面は開幕時に務めていた抑えではなく六、七回を任される予定。「勝利の方程式」の一員としてマウンドに立つ。


2017年5月22日月曜日

日曜美術館「見つめる眼 震える心 由一、劉生 ニッポンの写実画のゆくえ」を見る

 今回の旅に出かける前に偶然目にした日経新聞掲載のリアリズムのゆくえ展の記事。そこに出ていた高島野十郎の「早春」と「蝋燭」の絵。全国巡回中のこの絵は見られなくても高島の所蔵作品を多く所有する福岡県立美術館にいつか行こうと思った。それも旅の最後の博多で時間に余裕があり、迷わず美術館へ出かける。絵を見て満足して家に着く。

 昨日番組欄を見ると日曜美術館に「見つめる眼 震える心 由一、劉生 ニッポンの写実画のゆくえ」と題された番組がある。これには高島の名は記されていない。だが、写実画、に気を取られて放送を見ると高島の絵もあった。見るもの万人を惹きつけるといわれる写実画。皆が見てもわかりやすい点にあるのだろう。

 高橋由一や岸田劉生はよく知っている。昨夜のテレビには水野暁が出ていた。初めて知る人で以前、広島で見て感動した磯江毅とスペインで親交があった人らしい。道理で水野の絵も見るものを惹きつける。

 番組HPを見ると次のように書いてある。「今や誰もがスマートフォンで手軽に写真を楽しみ、テレビや映画にはCGがあふれている。こうした中、絵画で写実を極めると言う事にどのような意味があるのだろうか?名画『鮭』で知られる画家、高橋由一。『真に迫り妙に至る。』ことが絵画の本質であると喝破した。写実を極める事で、モノに潜む本質に到達すべきと言うのである。こうして始まった日本の写実画は、西洋の写実とは異なり、独自の進化を遂げ、その流れは今へと連なっている。バーチャルリアリティー全盛の現在、写実を描き続ける画家たち。なぜ写真でなくて絵画なのか?それは、絵を描くという行為そのものの意味をも問いかける」。

 写実絵画を描く人は孤高の画家と言われることがある。昨日、『高島野十郎 光と闇、魂の軌跡』という画集を図書館で入手した。分厚い本だが、どの絵も素晴らしく借りて読むのが申し訳ないほどだ。何でも気に入ったものは借りて読むのでなく購入すべきだろう。

 話は変わって、先日来から旅の写真をデジカメからパソコンに取り込んでいる。この頃のパソコンは容量が多くてすぐに取り込める。そして、これをブログの編集に取り込む。これはすべてではなく、一枚ずつ吟味する。ところがこれも何かの手違いで取り込む画像の順序が狂うことがある。この画像と日程表やメモで旅の記録を完成させる。どうにか画像を取り込んだのでこれから徐々に文を作成しよう。それにしても旅の疲れが今になって出るのか少々風邪気味。旅に出る前と同じように相変わらず鼻水が止まらない。

2017年5月21日日曜日

白いカラー&一斉メール

頂いたカラーを描く

 1か月ぶりの日本画教室に出かける。机にはペットボトルを切って作られた花瓶に大きな白いカラー4本とこれまた大きな葉っぱが活けてある。先週、しばらく休んでおられる人がわざわざ教室まで持ってきてくださったらしい。それを、車で教室に通われる人が家で預かり、昨日、持ってきてくださった。1週間経過しているカラー。先週は昨日よりも見事に咲いていたそうだ。それにしてもありがたいお話。

 早速カラーをデッサンする。これまでは1本ずつをデッサンしていた。先生は全体をデッサンするようにと話される。F6のスケッチブックを横に2枚くっつけて倍の大きさでデッサンしていく。この大きさも初めて描く。これを本画にする時はF6の大きさにまとめるようだ。

 家に帰ってカラーをくださった人にお礼の電話をする。ところが、何とカラーを家に持ち帰ることに気を取られ、持参した道具一式を忘れて帰宅する。教室に置いて帰っていればいいけど途中、どこかに置き忘れていたら大変だ。先生にもらった人の電話番号を聞いてお礼の電話をする。昨年、カラーが咲いたら持ってきてあげると話されていた。それを忘れずに持ってきてくださった。それにしてもカラー以外にもお宅で咲いた花をモチーフにするようにといただいている。ありがたい!

 今は私用でお忙しいらしく教室を休んでおられる。また一緒に学ばれる日を待つことにしよう。

 それにしても親切な人だ。親切といえば他にもメールをいただく。この人は2年前にひょんなことから人を介して60年ぶりに会わせてもらった小学校低学年の時の同級生。幼少の面影は見られなかったけれど会って話すと偉ぶることはなかった。「いい時代になった、やろうと思えば何でもできる時代になった」と感慨深げに話された。今は偉い人になられている。それ以来、ご自身の親戚・友人にあてて90人ほどご自分の考えを一斉メールで発信されている。「友人」に加えてもらったことはありがたい。だが、その内容が難しすぎる。

 思想、信条に特別なこだわりは持ち合わせていない。それでもやはり一日本人。言論の自由がないよりは自由や民主の国、日本が好きだ。その点では一斉メールをくださる人と気持ち的には一致する。いい時代に生きている。子どもの頃には考えられなかったことが年齢を経るにつれてなんでも可能な時代になった。いつまでもこういう時代が続くといい。

2017年5月20日土曜日

『ホロコーストを次世代に伝える』

 アウシュビッツ・ミュージアムの日本語ガイド、中谷剛の著著『ホロコーストを次世代に伝える』(岩波書店、2007年)をさっそく読んだ。5月8日にアウシュビッツ・ミュージアムを訪れた。この日は中谷氏によると奇しくもヨーロッパ戦勝記念日だそうだ。第二次世界大戦において連合国ドイツ降伏させたとして、ヨーロッパにおける勝利を記念する日らしい。敷地の一角には花束が手向けられていた。

 本の内容とご本人のガイドを聞いたこととはほぼ似ている。アウシュビッツ・ミュージアムの館長だったスモレン氏は30年以上も館長を務め、ミュージアムを案内された。どういってもアウシュビッツ収容所で生き残った人である。そういう人が館長をされていたと知って驚く。

 アウシュビッツ強制収容所の世界遺産登録に関してこれを開設した国がドイツであったこと。これを強調するため、ユネスコに対してその名称を「アウシュビッツ・ビルケナウーナチス・ドイツの強制・絶滅収容所(一九四〇-一九四五年)」とする登録変更を求める。そして二〇〇七年六月に正式に認められる。これはガイドでは話されなかった。

 逆に中谷さんのガイドで知って本にないこともある。それはユダヤの民の職業。日本でも以前にあった士農工商。商業は最下位だった。ユダヤの民は商人や医師に多い。人を切ったりする医者の仕事をユダヤの民にさせたとか。商業も金貸し業などお金儲けの才能に長けたユダヤの民。

 「ヒトは自分よりも下にいたと思える人が上になるとどう思いますか?」。ユダヤの民は金もうけの才能に長けてお金持ちになる。見下していた人たちは彼らを許せなくなって迫害する。ガイドをされながらそれを聞く私たちにいろんな問を投げかけられる。下と思っていたヒト(国や民族でもいい)が上になれば…。この感情、わかる気がする。

 アウシュビッツの収容所郡に入るところに有刺鉄線が張り巡らされている。今でもゲートには”ARBEIT MACHIT FREI” (働けば自由になる)の文字がついたまま掲げられている。この意味を現地ガイドから聞いたかどうかは覚えていない。しかし、この言葉の意味は重い。

 ユダヤの民については以前ある講座で「イディッシュ文化」を知って以来の関心事となった。これから少しずつそれもわかればいいかなと思ったりする。
アウシュビッツ・ミュージアム入口
ゲートには”ARBEIT MACHIT FREI” (働けば自由になる)の文字が掲げられている

5月8日は戦勝記念日
お参りの献花

2017年5月19日金曜日

「人間の精神力はどんな薬よりも強力です…」

 BSシネマで「レナードの朝」を見る。アルツハイマーの新薬を巡る映画。登場人物が演じるアルツハイマーの姿。まるで病人そのものが映画に出ている錯覚すら覚える。それほどうまく演じている。医師を演じるマルコム・セイヤー。一時、レナードは薬の投与で見違えるほど病気が快復する。それには気になる女性の姿もあった。しかし、薬の影響はいつまでも続かず病は元の木阿弥へ。
 
 セイヤ-はつぶやく。
“The human spirit is more powerful than any drug and that is what needs to be nourished: with work, play, friendship and family. These are the things that matter.”

”人間の精神力はどんな薬よりも強力です。その力は仕事、遊び、友人、家族によって養われます。それが一番大切なことです。”

 この言葉は素晴らしい。人の心はどんな薬にも阬わない。私にとっての精神力は遊び、とりわけ「旅」によって養われる!?旅は五感を研ぎ澄ましてくれ、自らの足で歩き、誰も頼ることはできない。旅の楽しみはすべて自身の体力と精神力にある。「病は気から」と言われるように楽しく過ごせば病気にならない!そして薬もいらない!

 一般的に映画といえば映画館で見ることが多い。ところがそれは何年に一度の頻度、というかそれよりももっと少ない。ところがBSの番組欄でタイトルに惹かれて見るBSシネマ。見終わっていい映画と知る。今回の旅の機内で行きは2本、帰りは1本の映画を見た。イヤホンを耳に当ててみる映画。字幕でなく日本語の吹き替えだった。これは目が悪くてもわかりやすい。たまには映画館で見るのもいいかなと思ったり…。

2017年5月18日木曜日

カラーも芽を出す

 我が家の狭い庭にやっと芽を出し始めたカラー。今のところ4本ほどあり5~10㎝の芽が出る。お墓参りの途中で目にする湿地帯に咲くカラーは4月には白い花が咲いていた。近所の鉢植えのカラーも見事に花を咲かせている。それに比べてわが家のカラーは今、芽を出す。なぜ同じカラーでもこれほど違う?

 ネットで調べるとカラーには湿地性と畑地性の違いがあり、どうも我が家のカラーは後者のようだ。これは6,7月ごろに花が咲くという。今から芽が出てもその頃には花も咲くだろう。https://horti.jp/5675(参照)

 カラーのほかに我が物顔で陣取るのは何といってもレモンの木。今年は元気がよい。数日ちょっと家を留守にしていた間に白い花は影を潜め、小さく結実している。その数はかなり多い。今年の秋の実りは50個以上!?我が家の史上最高の実りとなりそうだ。

 今年の冬、スーパーで買った土を庭に撒いた。これが栄養となってよく実をつけるのかもしれない。レモンが大きくなるまで毎日楽しく眺めそうだ。

 話は変わって昨夜のBS「昭和偉人伝」は東山魁夷だった。昨年秋、県立美術館で魁夷の絵が展示される。ゆっくりとこの人の絵を見たのはその時が初めてだった。人柄が絵にあらわれるとよく言われる。まさにその通りで絵から人間性の良さがにじみ出ている。魁夷の奥さんはその人自身よりも先に絵を見てすっかり気に入り、嫁いだと甥が話していた。それくらい絵に人柄の良さが出ている。

 魁夷の絵では「行く秋」がいい。昨夜のテレビに刺激されて今週末の日本画教室では再度樹木に挑戦!?

2017年5月17日水曜日

ポーランドから帰って その3

 前泊の夜は博多駅構内の和風レストランで鯛飯の和風御膳を食べる。日本食ともしばしのお別れと思って美味しくいただく。宿に泊まっても旅の集合時刻は早い。朝食を軽く済ませて旅が始まる。福岡空港✈ヘルシンキ✈ポーランドと飛行時間とトランジットを合わせると博多を出て24,5時間が経過している。ほとんど寝ておらず、宿で熟睡とまではならない。

 翌日の観光でバスに乗ると機内よりも窮屈な感じがする。初日の観光を終えてバスから降りる際、珍しくバスに酔ったのか気分が悪くなる。こうなると食べないに限る。ホテルの朝食で失敬したオレンジを持参していた。これがこの夜の夕食と決めて早めに寝る。翌日から元気を取り戻す。

 外国に出ると食べる量に気を付ける。腹八分目でも多すぎる。腹6分目くらいがちょうどいい。旅も半ばになると右手の中指と薬指の爪が栄養不足なのか薄くなり剥がれてくる。お腹が空いた、という気持ちはその時点でもまだわかない。

 食べ物に関してはポーランドはこれまでのヨーロッパの中で一番口に合う。ニンニクやきついにおいがない。そして日本人が好む味。しかし、出される料理の量の多さに辟易する。初めに出るスープを全部食べるともうそれだけでお腹がいっぱいになりそうだ。美味しさにつられて食べようとしても食べられる量ではない。これは他の人もそうだった。もったいないが口に出る。

 定番なのか、まずスープ、次にメインディッシュ、そしてデザート。どこに出かけてもお昼と夜はこのコース。日本であればお店毎にメニューの違いがある。

 帰国後体重を測ると2キロの減少。如何に日本で自由気ままに食べ物を口にしているかがわかる。

 話は変わって昨日のフルート・レッスン。秋に行われる発表会の全体合奏の楽譜をいただく。今年のパートは1だった。ソロの曲はピアソラの🎵天使のミロンガ♪と決めている。アンサンブルは今年も出ない。旅モードから気分を平常モードに切り替えてフルートの練習をしよう。とはいっても発表会の曲はしばらくお預け。今さらっているモーツアルトの曲を先に仕上げよう。

2017年5月16日火曜日

ポ-ランドから帰って その2

 「今回の旅の目的はアウシュビッツ?」と機内で聞かれる。そう問われて何が目的かわからない。ただ、まだ出かけていない国として東欧や中欧があり、ポーランドもそうだった。旅のカタログを見て次はポーランドと決める。何の根拠もなかった。

 今、思うことは何処へ出かけても、それは国の内外を問わず自然なところがいいということ。今回の旅もいつまでも記憶に残るのは何処までも続く広々とした大地に咲く菜の花かもしれない。アウシュビッツ収容所は想像していたよりも悲惨さが感じられなかった。それよりも説明する中谷さんの言葉の端々から考えさせられることの方が大きい。ポーランドを取り巻く当時の世界の時代背景をもっと知りたくなった。なぜこういうことが起きるのか、そういう方に気が向く。

 思いつくままに記すと他にも岩塩坑はびっくり仰天の世界。いろんな国に出かけて岩塩の洞窟、それも地下130ⅿ深くに別世界があるとは…。もしも予備知識を持って出かけていたらこれほどの感慨はなかったかもしれない。地中深くに坑夫たちが作ったと思われる見事な教会。もうびっくり!

 教会といえばポーランドではいろんな教会というか聖堂を見て回った。だが、どれも同じように思えて頭ではすぐに思い出せない。それよりもやっぱり旅のエピソードやその国の風土や自然、民族に惹かれる。

 爽やかなポーランドの5月。大通りやいたるところに栃の木(マロニエ)、プラタナス(すずかけ)、そして菩提樹の木々の葉っぱは新緑でまばゆく輝く。菩提樹はハート形の葉っぱと画伯から聞いて一枚葉っぱを失敬するとそうだった。観光中、画伯とハーモニカ奏者は🎵リンデンバウム~♪を口ずさむ。お見事なハーモニーだった。菩提樹の別名はリンデンバウムで西洋菩提樹(セイヨウシナノキ)。仏教でも菩提樹の木の下で釈迦が悟りを開いている。種類は違っても基本的に菩提樹はキリスト教も仏教でも特別な樹木のようだ。

 思い出した。ポーランドのテンペラ画家、宮永匡和さん。この人はクラコフの現地ガイドをしてくださった。ガイドは本職でなくてテンペラ画を描く画家だそうだ。日本語が話せる人は少ないようで本職の合間にガイド役のアルバイトをされてるようだ。日本でも個展を開催されるらしい。

 しばらくは旅の余韻に浸りながら元の生活へとシフトしよう!

2017年5月15日月曜日

ポーランドから帰って その1

 未知の国へのあこがれ、というか好奇心だけで出かける旅。それは日常から逃れる旅。今回はポーランド。「ポーランド7つの世界遺産を巡る旅8 日間」と銘打った旅のパンフ。博多駅近くのホテルの前泊を入れると9日間の旅となる。昨日、定刻通りに飛行機は無事、福岡空港着陸。正午ちょうどに博多駅発の新幹線に乗るにはあまりにも時間がありすぎる。どういっても新幹線チケットは「おとなび」利用。正規運賃よりも6割引きは変更・取り消しはご法度。

 機内で思いついたのが旅に出る前に新聞で知った福岡県立美術館所蔵の高島野十郎の絵画を見ること。後日、「おとなび」利用で観覧する予定を急きょ、今回の余暇時間を利用して出かける。

 どういっても旅の荷物が重すぎる。先ずは博多駅ロッカーを物色。預けようにも空いたロッカーがない。他の場所を係りに聞いてやっと見つける。と、その前に旅の案内所を探す。ここで県立美術館への行き方を尋ねる。交通の便が悪いらしくタクシーを利用。

 なぜこうも美術館へと人を駆り立てる!?機内で寝ていないし食べてもいない。それでも元気。現地時間に換算すれば午前1時から2時。真夜中の徘徊時刻も博多では午前9時。朝の太陽がまぶしく感じられ、人を美術館へと向かわせる。

 タクシー料金は博多駅から1120円。近くにあるのはいいのだが美術館開館時刻までは30分ある。警備の係りは親切な人で展示会場はまだでも4階に高島の絵の一部が展示してあり自由に閲覧可能と教えてくれる。さらには2階で絵に関する映像もあるという。しばらく教えてもらった箇所を見た後、開館時刻となる。

 展覧会場には数点、高島野十郎の絵があった。日経新聞で見た「早春」は全国を巡回中。だが、他の絵を見ることができて大満足。旅の疲れは何処へ?10枚セットで絵ハガキとなった高島の絵が販売されている。絵に関する内容が一枚ずつ印刷された紙に絵ハガキは挟んである。こういうやり方での販売にも感動する。

 旅に出る前、ポーランド通貨への両替など気になることがあった。だが、それも何もなかったかのように楽しい旅は終わる。いつもながら今回もいいコト、ヒト、モノに出合った旅となった。それはどういってもこの国の良さにもある。ポーランド、何の予備知識もなく出かけた。ただ、この冬、偶然目にした「梅田良忠」という人の本。これは読んで行ってよかった。旅の途中、中谷さんというアウシュビッツで日本語のガイドをされている人に出会う。その方に梅田のことを話すと当然ご存じだった。

 中谷さんご自身も梅田良忠と同じくポーランドに殉じようとされるかのようだった。まだお若い人なので「殉じる」は失礼かもしれない。それくらい、ポーランドにご自身をかけておられる。

 旅は終わってもこれからの課題として中谷さんをはじめ、いろんなヒト、モノ、コトについて調べることがある。1か月後を目途にして旅の紀行をブログにアップしよう。

 中谷さん以外にもツアーの皆さまによくしていただく。特に熊本県の人たち。この方たちは先の震災で心理的にも被害をこうむっておられる。昨年は旅に出る気力が衰えていた人もおられたようだ。しかし、今回のポーランドへの旅の参加者は熊本の人が私の知る限り8人もおられた。

 どういっても36人という旅の参加人員。これは海外旅行をし始めてから31年で最多だった。うち9年間行かれない時期もあったが…。一人参加も14名と多い。

 学者や絵描き、そして楽器に堪能な人もたくさんおられた。中でも学者(お仕事はこちらが言い当てて知る)でハーモニカ奏者の人とはヘルシンキでの数時間に及ぶトランジットの際、ずっとお話を聞けてありがたかった。会った瞬間、偉い人と思った。物静かな方で決して偉ぶることはない。機内で見た2つの映画。”THE  LAKE HOUSE”と”THE NOTE BOOK”。いずれも「回想記」が映画の内容となっている。話を聞いていてまるで映画の続きと思えるほど、ご自身のことを話してくださった。鞄から資料を出してはいろいろと話される。資料にはポーランドへ行く目的のものもあるようだった。九州の大学で知り合ったというポーランドの留学生。その後、その留学生はバリトン歌手と結婚し、日本語の文庫本を読みこなすという。今はポーランドの大学で日本語を教えておられるようだ。その人へのお土産に10冊か20冊ほど日本の文庫本などを持って来られたという。

 ポーランドでのある夜、その方はホテルで20年ぶりのご対面をされるという。そしてハーモニカを吹くともいわれる。だが、再会の日に限って移動のバスが大幅に遅れる。レストランでの夕飯も取らずに会われていた。後で聞くとハーモニカは小さな音で吹いたそうだ。

 旅の最後の晩餐でショパンのピアノを聞き終えた後、ハーモニカの出番がやってくる。🎵荒城の月🎵のハーモニカ演奏の良かったこと。思わずブラボーと叫ぶ。いつの間にか旅の一行のアンコールのコールが始まる。リハーサルなしのアンコール・コールはすごい!🎵赤とんぼ🎵を吹かれた。素晴らしい演奏だった。曲には変調やアレンジもある。どういっても気持ちよく吹かれていたのでご自身が一番満足されただろう。

 ワルシャワの旅先では小休憩の時間、買い物をせずにベンチに腰掛ける。隣に座っていたポーランドの人とカタコトの英語でお話ししている途中、「ちょっと待って!」と英語で言われる。数分も経たないうちにお土産屋で購入されたショパンの生家の絵が入ったマグネットをくださる。旅に出て見知らぬ現地の人からお土産をいただいたのは今回で3度目。もう嬉しくて…。ポーランドが大好きになった。本当にありがたいし、いい思い出となった。こちらとしては何もお土産がない。バッグに入れていたありったけのキャンディを差し上げる。本当に申し訳ない。

 旅のうたい文句には決して掲載されない「野原」の国ポーランドがある。バスの移動で目にするのは何処までも続く菜の花畑。これは一見の価値、大いにある。デジカメでの初めての動画撮影は延々と続く菜の花畑。いろんな国へ出かけている。だが、これほどの菜の花畑を目にするのは初めての経験だった。台湾の人とも出会った。頭の中は英語と中国語でごった返す。

 楽しいポーランドの旅は終わった。この詳細は後日、ブログにアップしよう。楽しい旅をご一緒した皆さんに感謝したい。謝謝!、”Thank You”、 ”Dziękuję”、ありがとうございました!

 忘れてはいけない。熊本の画伯。10月に個展開催だそうだ。見たいけどさてさて…。

2017年5月6日土曜日

♩JAMAAS(ジャマース) 真実はふたつ♩

 
 
 
 一昨日の夜に見たBS11。「昭和の名曲」と題された歌番組。MCを務める人のブログで生番組と知って歌を聞く。番組最後に歌手の新たな歌がある。画面に出る歌詞。初めて聞く曲でメロディーもいいが歌詞もいい。歌うは八代亜紀。曲名を覚えきれず後で「八代亜紀、新曲、モンゴル」で検索する。あった!曲名は♩JAMAAS(ジャマース) 真実はふたつ♩。 誰の作曲?と思ったらモンゴルの人の作詞作曲で日本語に置き換えて歌っている。また、馬頭琴の哀愁ある音色もいい!
 
 モンゴルのオリジナル曲を歌う歌手はモンゴルで有名な人らしい。日本語バージョンとモンゴルバージョンで動画をアップ。日本語の歌詞はすばらしく人の一生が歌に込められている。
 
 この歌にまつわる記事をネットで探すと「亡き父と認知症の母に思いを込めて モンゴル歌謡で“生命の真実”を歌う」があった。https://thepage.jp/detail/20160921-00000002-wordleaf (参照)
 
 モンゴルは動画の映像を見ても広々としている!行って見たい!内モンゴルは行ったけど外モンゴルはまだ…。それにしても、この歌にあるようにみんなオギャー、オギャーと泣きながら生まれてくる!昨日は感謝を込めて早めのお墓参り!出かける途中、プールで顔見知りの人と遭遇。朴の木の花を見に隣町との峠まで行ったという。だが、まだ花は咲いていないそうだ。
 
 ブログアップ後に追加しよう。旅で知り合った人の昨日のブログから
 
 「週末は期待の[台湾旅行]に行く予定です。爺は健康第一に頑張って、元気に行ってきます」。
 
 お元気そうだ。元気で楽しい旅、いいね!

2017年5月5日金曜日

世間はGW!

今年のレモンの花

 GWはお天気に恵まれる。街中ではフラワーフェスティバル真っ只中。連日の何十万人という人出もこのお天気で史上最高となるのでは…。わが家の庭に1本あるレモンの木。これもわが家の史上最高となりそうに花を咲かせる。例年ならば、数えることができた蕾の数。だが、今年はどこを見渡してもレモンの木全体に蕾をつけている。

 レモンにはアゲハチョウが舞うそうだ。一昨日あたりから2羽のアゲハチョウがレモンの木の周りを旋回する。時には葉っぱに止まったりする。だが、動きが早くて上手く写真に撮れない。どうもレモンの主はアゲハチョウに信頼がないようだ。

 ともあれ、花が咲き終わった後、いくつレモンは実をつけるのだろう。蕾のままでの落下はほとんどない。かなりの実をつけそうだ。

 話は変わって某ヴァイオリニストの今朝のブログ。その最後に次のように書いてある。

 「生きているうちにこそ、夢を追える。いつの日にか、は、今しかない」

 親しくしていた同い年の人を思い出しての文のようだ。これを見て「そうだ」、と改めて思う。

2017年5月4日木曜日

「リアルのゆくえ展」記事から

  GW中の図書館はさすがに人も少ない。手に取ってみるのは日経新聞。読んでいて気に入ってしまった。それは「リアルのゆくえ展」の記事。写実画の展覧会の中に高島野十郎の絵がある。油絵らしい。「早春」と題された一枚の絵。この人の名は初めて知る。携帯にメモして家でネットで高島野十郎を検索すると福岡の県立美術館がこの人の絵をかなり所有している。新聞に出ている絵は貸し出し中で年内は数か所の美術館で巡回するようだ。
http://fukuoka-kenbi.jp/issue/yajyuro(参照)

 他の絵を見るとどの絵も素晴らしい。絵の好みがこういう絵だと気づく。それならば福岡の美術館へ行って見ようという気になる。巡回展の最後は兵庫の美術館。これも「おとなび」で行けば兵庫よりも福岡の方が近くて安い。

 近年はネットで検索して絵の画像も容易く見ることが可能となった。高島の画像を見て気分よくしていた。ところが、夜のテレビで気分を害する。「ビンボー」がどうこういう番組だった。見ているうちにほんまに気分が悪くなる。これは体に良くない。ビンボーを売りにしていても結局はドロップアウトじゃないのか。こういう人が年老いて〇活保護の受給者になるに違いない。夢を追いかけているようでもそれは夢ではない。テレビは人に勇気と元気を与えなくてはいけない。見る側にこれも責任がある!?

 その点、スポーツ番組はいい。みんなに元気を与えてくれる!ブログアップ後に気付く。おお、子どもの頃に苦手意識満載だった絵とスポーツ。ここにきて好きな部類になっているとは…。人も変わるもんじゃ!

2017年5月3日水曜日

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

 フルートのレッスンを終えて帰宅中、自宅近くの人と出会う。今日、カープの試合に行くと上機嫌だ。一回り上の人で、娘さんに誘われてのカープ観戦らしい。「ユニフォームは誰の?」と聞くと、「人が笑う」と話される。ホームでの試合であっても観戦に出かける人は赤のビジター用を着ている。老若男女、これほど赤が似合う県は他にはないだろう。

 さてフルート。レッスン日を変更してのレッスン。先日来からさらっていたブーランジュのノクターンとダニーボーイを何とか仕上げる。次にさらう曲は先生に決めていただいてアイネ・クライネ・ナハトムジーク 第一楽章。これはモーツアルトの作曲。全体合奏などで吹いている。

 この頃は吹いていい音が出るようになる。いつもいい音で吹けるようになるのが今年の課題。それには吹く際の口の穴を小さくする。何かの拍子に自分でも驚くほどいい感じになるコトがある。昨日のレッスンで先生はこれをノートにイラストで描かれる。思わず、「そうです。これです」と言ってしまった。これを言葉にできずにいた。文にもできない。


 野球でピッチャーが理屈でわかっていても思うようにストライクが入らないように、またバッターが思うようにヒットが打てないのと似ている気がする。理屈ではこうすればいい音が出るとわかっていてもちょっとした口の動きでそれも異なる。いつも万全な吹き方ができるようになるには練習、練習。それにしても今年のGWはお天気に恵まれる。ただ、相変わらず湿度が低い。

2017年5月2日火曜日

なるようになる!(Que Sera , Sera) (Whatever Will Be, Will Be)

 関西の旅行社から旅のカタログが届く。しばし眺めていると、同じ旅行社の福岡から電話がかかる。この頃は固定電話にかかる電話はディスプレイを確認して受話器を取る。ところが、それも不意の要件だと覚悟を決めて電話を取る。添乗員だった。何と現地の通貨を両替して持参するようにとのこと。今はまだポピュラーな行き先でない。出発する空港などでの両替をすすめられる。その前に先方に両替する金額の予約をしなくてはいけない。

 2か所の内の1か所に予約を入れる。ところが両替にもお店の開店時間がある。新幹線のチケットは変更できない「おとなび」。待てよ、と思ってまずは乗車チケットの到着時刻を確認する。何とか閉店までには間に合いそうだ。それも列車が遅れればアウト。先々のことを心配しても仕方ない。

 昨日は歯科に行って歯を元通りにしてもらうことで一日分の神経を使った。何かをしようと思えばいろいろと思わぬことも起きてくる。その都度、対処する方法を身につけないとこれからさきの人生が思いやられる。そう思って気を取り直す。ともあれ何事もなるようにしかならない!

 また、パンなどの食べ物を用意して機内に持ち込むようにとも進められる。外に出ると日本のようにはモノゴトはうまく運ばない。ましてや、食べ物はどういっても日本に勝る国はない。これも覚悟して…。

 再度届いたカタログを見る。信州、戸隠高原、佐渡など行きたい場所が多くある。今はまだ海外旅行が優先する。だがそれも次第に国内へとシフトするかもしれない。元気なうちは外へ、外へ目を向けて…。それにしても、「なるようになる!(Que Sera , Sera) (Whatever  Will Be, Will Be)」とは…。これ、もしかして自分にとって一番大事な言葉かもしれない。どう頑張ってもモノゴトすべては「なるようにしかならない!」。

2017年5月1日月曜日

ふとしたことが…

 おととしの夏、1年後に来院するようにと言われていた。だが、病院や医院はあまり気持ちがいいところではない。迷った挙句結局行かず仕舞いだった歯科。ところが昨日の午後、その罰が当たった!冷凍のものを溶かさずに口にする。なんと、被せていた歯がとれた。その夜の夕食と今朝の朝食の不味いコト。不味いのは気持ちによるのだろう。気の小ささがここに出る。

 夜、この気持ちを晴らすべく東京の姪に電話する。姪曰く「歯は病気じゃない!」。そう言って慰めてくれる。「外に出かける前でよかったよ」とも言ってくれる。「そうか」と思い直して気を晴らす。朝一番で歯科へ行く。先ほど、先生に「罰が当たった!」と話すとそれはないとのお話。ともあれ、すぐに歯を被せていただく。

 近いうち、遠くへ出かける。何でこの期に及んで…と悔やんでいた。それもどうにか解決する。それでも、歯に関してはかなりの精神的ダメージだったのか、今でも大丈夫感はぬぐえない。気を付けて食事をしよう。とはいっても家での食事は自分で食べやすくできる。それも外食はどうなるのやら。がぶっ、とかぶりつかないようにしよう。

 それにしても気が小さい。もしもこれが内科系統が悪くなったらどうなるんだろう。

 毎日何も起こらず平凡に過ごしている。これ、本当に幸せなことだ。それもいつの間にか忘れ、マンネリを嘆く。何と贅沢なことか。気を取り直してこれから朝刊をゆっくり読もう!