2022年10月31日月曜日

「口角泡を飛ばす」

 一昨日の夜、Eテレに明石家さんまが出ていた。さんまは初めてEテレに出たそうで「ワルイコあつまれ 秋の大感謝祭SP」だった。「ワルイコあつまれ」という番組でタイトル通りワルイコ(?)がメディアの記者になってゲストであるさんまが記者会見を受ける。ワルイコである子供記者はさんまに容赦ない質問を繰り広げる。これに対してさんまも子供記者に真摯に向き合う。「口角泡を飛ばす」の諺があるがさんまはまさにそんな状態で質問に応じていた。

 決して子供だからと言って適当にあしらうようなことはしない。こちらが見ていてもなかなか参考になる話ばかりだ。子供記者が「笑いとは?」と質問するとさんまは「 笑いは緊張の緩和」と即座に答える。他にも哲学めいた話があった。ナニゴトも第一人者になる人は自分なりの信念を持っている。表面をいくら繕っても信念というかその人らしい生きざまがないと長く同じ世界で生き残れないだろう。

 子供記者が女優になれるかと質問すると「ああ、なれます」と即答していた。やってみて駄目ならいつでも辞められるとも話していた。人の生き方に興味がある。大変面白い番組だった。

 10月は今日で終わり明日からは11月。今年ほど10月が1年で最高の行楽日和と感じた年はない。来月もいい日が続きそうだ。今年になってから9月までどこへも行かずにいた。ところが9月になって台風が去ると俄然遊びに行きたくなる。10月になると下関と京都に泊を伴う旅に出た。これは遊びに弾みがついて本当に良かった。ましてや一人で行動しだすと行こうと思ったときが吉日ですぐに行動に移せる。これがいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月30日日曜日

ゴールドカード

 パソコンを起動するとラヴィ―・ウイズの更新プログラムが出る。しばらく放っておいた。が、徐々に更新しなければならない気持になる。先日、悪戦苦闘して更新を試みる。何度試みてもダウンロードがうまくできない。何度かするうちダウンロードはできた。だが、操作方法通りの画面にならない。それもなんとかなると次はそのインストールである。別画面にその手順方法を出す。かなり試みた後で手順通りの画面になった。パソコン上にはそのアイコンも現れた。ところが、誤ってアイコンを消してしまった。ああ、なんということか。そう思って数日が過ぎた。

 画面上のアイコンを消すとインストールはできなかったことになるのだろうか。それが気になる。いまのところ更新するようにとの画面も出ず、パソコンも今までどおりスムーズに運んでいる。これでいいのかもしれない。

 パソコン、スマホと毎日電子機器に振り回されている。携帯を機種変更して1か月が過ぎた。機種変更の使い始めと違って今は何とか使いこなしている。機種変更時、ドコモの係はスマホはパソコンよりも簡単、と話したけど今となれば確かにパソコンの方が簡単ではない。常にダウンロードやインストールが待っている。

 この2件の支払いをドコモに言われて専用のクレジットカードをつくった。先日、そのカードが届く。このカード、以前、NTTに勤める人から頼まれて作ったことがある。しかし、カードを増やしたくなくて1年余りで解約した。その経緯があるのでドコモがいくら言っても無駄では、と思った。ところがクレジットはつくれるという。それもゴールドで。ゴールのクレジットカードは勤めていた時、銀行系のカードを持っていた。が、勤めを辞めてそれを解約。それなのに、このたび、ドコモの言われるままにクレジットのゴールドをつくった。

 ナニゴトも面倒なヒト、モノ、コトを増やしたくない気持ちが強い。それなのにクレジットカードを作ってしまった。人生の先が長くない気持ちがあるためか、身の回りをスリムにしておきたい。その反面、(元気であればいやいやまだまだ先はあるよ)、と自分に言い聞かせたりして気持ちが揺らぐ。

 会社をやめて20年。ということはゴールドのクレジットを20年ぶりに使うことになる。これを使っての決済であれば旅行の傷害保険などが付帯する。今は海外旅行は無理だが、それでも先日三滝でオーストラリア人などに会ったように、近いうち海外も自由にいけるようになるだろう。そうなれば使える!?秋晴れの日は続く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月29日土曜日

「道連れは好奇心」

 陽気に誘われて急遽、三滝寺に行く。JR可部線の三滝駅に降りると以前来た三滝の面影がない。困った、と思ったときJRから降りてきた人に「三滝?」と声をかける。「左へ、」と教えてもらうとその人から「三滝は墓地しかない」旨、言われる。三滝=墓地の感覚はなかったので不思議に思った。が、帰り道に辺りを見渡すと確かに大きな墓苑があった。その人は三滝駅前のマンション住まいのようだ。歩いていると以前来た道と違う理由がわかりだす。何度か三滝に来ているがその大半は横川駅から歩いていたので以前の趣が感じられなかった。バス通りまで歩くと以前の感覚を取り戻す。

 三滝へは赤バスが通っている。バスには乗らず坂道を歩くが通りの様相が以前とは異なる。マンションが建ち、立派な家も建っている。どんどん坂道を進むと見覚えがある場所に出た。さらに行くと三滝寺だ。
三滝寺の紅葉はまだのようだ
 森閑とした参道を歩いていると道が分かれている。標識も見ずに進むと山へと続く道だ。引き返して分かれ道の標識を確認すると反対側が本堂への道だった。途中、親子ずれや一人で来た人と出会う。参道はうっそうとした木々に囲まれてまるで山奥を歩いているようだ。本堂に着くが誰もいない。少しすると人がやってきた。
三滝寺の参道

つわぶきが咲いていた

静かな境内に滝の音が響く

境内を流れる水は澄んでいる
紅葉の時季には早かった
 本堂に入ったがすぐに外に出る。もう何十年も前、人に誘われてこの寺から山に登って己斐まで通り抜けたことがある。今はいくら一人が好きでも山へ一人で登る勇気はない。
本堂を見上げる
 三滝へ来るたびに思い出す。それは決して楽しい思い出ではない。今から半世紀前のこと。まだ若かった。が、わが人生で物事を深く考えていたころだ。人に誘われてお参りした。その時、本堂とは違う場所に小さな庵があり、そこに目が不自由な女性のお坊さんがおられた。そこに上がるとお祈りが始まる。友だちと二人座った。お経が終わると盲目なのに何を察して言われるのか、こちらの人は良い縁談があります。そして私の方はというと縁遠いでしょう、と話された。その通り、友だちはすぐに良縁に恵まれて結婚した。それから何年か経って、再度他の友だちに誘われてそこを訪れた。同じようなことをするとその時も縁遠いでしょう、と言われた。言われたからといって特別に信心深くもないので落ち込んだりはしなかった。ただ、今となると当たっていた気もしてくる。
個々にも滝が……

三滝というだけあって滝があちこちに流れる

 (そんなこともあったな)、と昔のことを思いながら歩く。世の中、どんどん進化している。自分自身は進化したかどうかは怪しいが、あのころと比べるとだいぶ変わっている。物事を深刻に考える前に今はかなり行動的になり、楽天的だ。「悩むより動け!」そう思っている。

 帰ろうと参道入り口まで降りると入り口付近に人がいる。「この辺に何があるんですか」と問うと外国人のグループだった。5人と1人の外国人で5人の人に「どこから」と英語で聞くと「オーストラリア」からだという。添乗員らしき人もおらず、日本語は話せないようだ。もう一人女性の外国人がいる。その人も同じグループの人と勘違いして「5年くらい前にオーストラリアへ行った」と話すと英語が通じなかった。別の国の人のようだ。

 さらに出口に戻ると今風の若い女性にあいさつされる。(さっきのグループのガイド?)と思って話すと違っていた。参道の帰りに他にも何人かとあいさつを交わした。澤地久枝ではないが「道連れは好奇心」!?私ももしかしたらそれだけで出かけているのかもしれない。それにしてもこれはいい言葉だ。この言葉を忘れていたので先ほど自分のブログで確認する。

 今朝の地元紙に尾関山のライトアップがある。尾関山も行きたいし、竹原へも行きたい。そして今年の旅の締めくくりは下関か門司でフグを食す。これもいい。一人忘年会である。まだまだキョロキョロウロウロ、旅の好奇心は終わりそうにない。

 話は変わって姪によるとパンダが日本に来て50年らしい。それを記念すべくパンダ詣でを和歌山でするらしい。それもパンダの仮装で。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
墓地近くで咲いていたいちりんそう(?)

2022年10月28日金曜日

『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」

 家にいるのがもったいないようないいお天気だ。スケジュール表に予定をいれたり消したりした日だが、どこかへ出かけたくなる。そんな日は近場をうろつく!?

 『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」 (司馬遼太郎 文藝春秋、一九九七年第三刷)を読んだ。気になる箇所をいくつかここにあげたが、大仙院と高桐院は又の機会に行きたいと思っている。せっかく三門である金毛閣を見たのに、それに気づいたときはその裏側だった。来た道を引き返して前方から見直せばいいものを横着して見なかった。そのため扁額も見ていない。大徳寺は広い境内に多くの塔頭が林立している。一度出かけたくらいではその大半を見ることは不可能だ。いつかまた是非とも大徳寺に出かけよう。

 それにしてもお賽銭箱もなく、観光寺院でない大徳寺がどうやって広大な寺院を維持できるのだろうか、と変な考えをもった。先ほどそれを調べると全国の同じ宗派の系列からのおあがりがあるとか。観光寺でないため、観光地に見られるような観光客でにぎわうことがなく、落ち着いた雰囲気がある。これは自分の性格に合っているかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★大徳寺の特徴は、大燈国師(一二八二~一三三七)以来のきびしい禅風をまもるべく、できるだけ世塵から超越しているところにある。ただ、東山・桃山時代以来、俗権とのかかわりをもったのは、茶を通じてだった。村田珠光(一四二三~一五〇二)・千利休(一五二二~九一)以来、茶道の本山として知られてきたために、「大徳寺の茶づら」とよばれた。禅僧でありながらしきりに茶の話をする、というところからついたあだなだろうが、このことが大徳寺のえがたい個性をつくったようである。(19p)

★人間は、煩悩といういやらしいものをもっている。煩悩の種類は、百八もしくは八万四千もあるという。それが人間の心身をまどわせるのだが、さきにふれた解脱とは、自力でいっさいの煩悩を断ち切ることなのである。断ち切れば、貪らず、嗔(いか)らず、痴(こころくら)からず、という春のような佳境に入る。このことを自力の禅はめざしている。ところが、親鸞は、自力を用いずに、阿弥陀如来という他力が、人間を煩悩具足のまま(悪人の、まま)救ってくださる、それに委ねて、感謝しよう、というのである。(42p)

★大徳寺山内の二十余の塔頭は、ことごとく第一級の美術館といっていい。(46p)

★禅において”玄”ということが、重要とされる。……玄は、中国で加味された。中国に古くから存在した老荘思想が、仏教とくに禅に似ているところがあったから、中国僧たちは、老荘というシソ(紫蘇)の葉の上にダルマ禅を盛ったともいえる。シソの移り香が、玄である。(95p)

★大徳寺の三門(山門)はまことに雄大である。しかも、あかあかと丹塗りなのである。このこは、宗風の枯淡とはひどく印象がちがうために、ひとびとをとまどわせる。私などは、昭和二十年代にこの山内に入ったとき、戸惑い以上に、不透明な感慨をもった。さらには、その名も「金毛閣」なのである。黒地に白く”金毛閣”と大書された扁額がたかだかとかかげられている。金毛とは、金毛の獅子のことで、すぐれた禅僧のことをいう(『雲門録』上)。精神の王者と解してもいい。楼門の雄大さ、その色の華やかさ、さらにはその名前が大仰であるあたりは、およそ塔頭群にみられる瀟洒なわびの感じとは、美学的に不調和なおもいがする。ともかくも、中国の宮殿の正門のようなものを、豊臣時代に建ててしまったのである。(107-108p)

★大徳寺における大型建築は四つしかなく、三門である「金毛閣」と、その背後の仏殿、さらにその背後の法堂、もう一つ背後の本坊(方丈と庫裡)である。それらがみな南面し、南北一線にならんでいる。(117p)

★大徳寺のすがすがしさは、大寺によくある賽銭あつめの廟祠がないことである。……収入の面では清貧にも耐えている。さらにいえば、建物、庭園から右の松柏にいたるまで、省庁制に徹していることでもある。現世利益では象徴にならないのである。(121p)

★私どもは本坊を出て、石畳の上の自分の跫音(あしおと)を楽しみながら、散策した。仏殿と道をはさんで、西側に三玄院がある。沢庵が住したあの塔頭である。(122p)

★大仙院は、料金をとって、観光させる塔頭である。観光はともかく、私はこの塔頭がすきで、しばしばここにきた。枯山水の庭は部類なもので、せまい空間に大景観をとじこめて、しかも煩雑さを感じさせず、悠々とひろがっている。この塔頭は、室町末期の古岳宗亘(そうこう)(一四六五~一五四八)によってつくられた。庭に古岳の禅風をみることができる。また、潔癖の化身のようだった沢庵も、四十代の初期に、ここに住したこともある。(132p)

★(大仙院の)式台をあがると、何人かの俗人がいて、「三福茶はいかがですか」とすすめてくれる。壁に「覚悟」と書かれている。

 今飲んで頂いた大仙院のお茶は三福茶といい太閤秀吉もこの茶を飲んでから良いことが三 回続いたと言います。覚悟してください

 とあり、一服二百円という。売店には住持の似顔絵の首が、鉢巻きを締めている。ハチマキには「奮発心」と墨書されていた。この一角に衝立があり「喝」という一字が大書されていた。室町から江戸期までの臨済禅は、おどろくほどのなまの中国語(浙江方言が多かった)を問答につかった。(141p)

★大燈以後、大徳寺での僧は、ほとんど名に”宗”がつく。室町時代の一休は宗純(そうじゅん)であり、江戸初期の沢庵は宗彭(そうほう)である。居士ながら、大徳寺に三十年参禅したした茶の利休は宗易(そうえき)であり、千家はいまも宗がつく。宗という字の音は、正しくは「ソウ」で、「シュウ」というのはいつのほどかまちがってしまった慣用音なのである。シュウは、宗門(しゅうもん)、宗派(しゅうは)、宗教、みな慣用音である。大徳寺歴世はみな正音のソウだが、大燈だけが慣用音で宗峰(しゅうほう)とよむ。師の高峰がよんだとおりに大燈が慣用音に従ったかと思えるが、大燈のゆかしさが感じられる。(149p)

★塔頭の高桐院にいる。織豊期を代表する趣味人で、かつ武将としても余人に劣らなかった細川幽斎(藤孝)とその子三斎(忠興)の世界が感じられるといっていい。(157p)

★禅のむずかしさは、悟ろうが悟るまいが、人間はすべて死ぬことに決まっていることにある。人生は行雲流水である。とわざわざいわなくても、王侯の生涯も行骨の生涯も、雲のようにさだめがたい。であるのにわざわざ、「雲水」という姿に身をやつして漂泊を演ずる必要もないのだが、山頭火はことさらそれを演じたのである。(174p)


2022年10月27日木曜日

日本画展と水彩画展を見る

 久しぶりに街中へ出た。向かう先は県民文化センタ―ギャラリーで開催中の日本画展と水彩画展である。日本画の大半は先生たちの小品展であり、水彩画はいつも案内を知らせてくれる人たちの作品展だ。案内を知らせてくれるのはいいのだが今回、あて先が一文字違っている。これを知らせるべきかどうか考えたけど結果、葉書を持参して訂正をお願いした。ところが、絵を見ていると案内状の係の人なのか謝りに来られる。その前にいつも送付してもらうチケットのお礼を先に言わないといけない。が、お礼は絵を見た後になってしまった。

 水彩画を見た後、隣室の日本画展を見る。水彩画の方は大作だったので、その点で日本画の小品は見劣りがする。とはいえ、自分自身は日本画を習っている。ましてや知り合いも多い。ここはひいき目に日本画に見入る。

 絵を見た後は隣接する大型電気店に立ち寄る。ここで加湿器を購入。以前に使っていた加湿器と違って形も色もカラフルだ。さて何を、と係に相談するもはっきりしない。日本製を、と思って聞くと大半は外国製のようだ。こうなったら気に入ったデザインで、となった。品物を決めると何とか持ち帰りできそうだ。高価ではないがポイントがたまっている。大半をポイントで購入した。残りをクレジット決済すると安くても5年の保証がついている。これには驚く。

 次にバスセンターの案内所によって県内の高速バスの割引チケットの話を聞く。ネットで調べると行先によっては完売の場所もある。ところが自分が行きたいと思っている竹原と三次は大丈夫のようだ。竹原行のチケットの購入日を聞くとネットで調べた通り、利用日の当日か前日の購入だった。竹原はあきらめて三次行を聞くと広島駅の案内所で乗る前に購入できるとのこと。まだ紅葉は早いのでしばらく様子を見て出かけよう。その前に、久々に三滝へも行きたくなる。好天に恵まれると外へ外へと目が行く。遊ぶ計画を立てて出かけよう。

 そごうでお昼を食べてバスに乗り、広島駅の福屋に向かう。お菓子処高木でお礼に渡す品物を購入。加湿器を手にしているので店内をキョロキョロせず、お菓子を買っただけでJRに乗って家路へ。

 ともあれ今日も元気で楽しk過ごしましょう!

2022年10月26日水曜日

「他人のために生きるほど惨めな人生はない」

 冬の到来を告げるかのような寒い朝を迎える。暑ければ暑いと言って騒ぎ、寒くなればこれまた寒いと言って騒ぐ。困ったものである。行楽シーズンとばかりに遊ぶことを考えている。広島県内を走る高速バスが割安で行ける。このうち竹原と三次に出かけようとネットで検索するが、竹原は利用日の当日か前日にチケット購入とある。これは個人的には不都合だ。利用日を指定してあらかじめチケット購入できないのだろうか。三次はJRの広島駅観光案内所でチケット購入が可能のようだ。我が家はバスではなくJRが利用しやすい。そのため、高速バスであってもわざわざバスセンターまで行かず、JR広島駅発着が便利。街中へ出たときはこの点を聞いてみよう。

 ネットで前田速夫の『老年の読書』の記事を見つけた。それは以下のようである。

★セネカは……「いつかは必ず自分のために、自分とともに生きる閑暇を得ること」を、人生最大の幸福としていた、と記している。それは「生きる術(すべ)は生涯をかけて学び取らねばならないものであり、また、こう言えばさらに怪訝(けげん)に思うかもしれないが、死ぬ術は生涯をかけて学び取らねばならないものなのである」と。……何かに忙殺される者たちの置かれた状況は皆、惨(みじ)めなものであるが、とりわけ惨めなのは、自分のものでは決してない、他人の営々とした役務のためにあくせくさせられる者、他人の眠りに合わせて眠り、他人の歩みに合わせて歩きまわり、愛憎という何よりも自由なはずの情動でさえ他人の言いなりにする者である。そのような者は、自分の生がいかに短いかを知りたければ、自分の生のどれだけの部分が自分のものであるかを考えてみればよいのである。

 この記事を読んでさっそく前田速夫の著書を図書館に予約した。記事の要旨を読むと「他人のために生きるほど惨めな人生はない」とか。そうだろうか、本を読んで確認しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月25日火曜日

PCR検査

 先日、京都の旅に出かける前、宿から全国旅行支援が適用されるとの電話があった。その詳細についてはその時はよく知らずにいた。宿の予約もその制度の前であり、安く泊まれるとは思いもしなかった。ところが親切に電話でその旨知らされて急遽PCR検査を受けた。まずはネットで検査場所を探して予約を入れる。旅の3日前の検査が必要らしい。検査当日、会場に出かけるとテントの中での検査だ。今は気候もいいが、雨や雪などの季節は大変かもしれない。11時の予約のところ、遅いよりは早めがいいか、と思って早く行くと係に時間通りに来るようにと注意される。ただ、その日はその時間、誰もいなかったのですぐに検査となった。が、その前にいろいろと注意を聴く。

 予約時、検査結果を知らせてくれる携帯番号を入力ミスで同じ番号を2度も入れた。これが気になり、携帯番号を紙に書いて係に確認してもらうため渡そうとした。ところが、会場で質問票にそれらを記入する項目がある。メモは必要なかった。さて検査である。椅子に座って渡されたキットに唾液を入れる。キットにはストローと入れる容器がある。ストローを容器に入れようとするとそのまま入ってしまった。必要な唾液が入らずストローが入るとは……。係に再度ストローを貰って唾液を入れるが全く入らない。そのうち検査する人が現れだした。私を入れて計5人である。

 受付の人との話を聞いているとどの人も旅行のための検査のようだ。ある人は旅行の2日前の検査である。旅行当日、検査結果が間に合うのだろうかと危ぶんだが、翌日にはSMSが届いたのでその人も間に合うだろう。唾液は相変わらずでない。係にこれくらいでどう?と何度も呼び出して確認を請うが中にストローが入っているのでその分、多く入れるようにと促される。30分かかってやっと容器に唾液が溜まった。係に確認するとOKだ。やれやれ、やっと終わった、と席を立つとほかの人はすぐに終わったようで誰もいない。

 もしもまた検査をするとなると大変だ。が、人に聞くと2回目からは1回目ほど大変ではないらしい。慣れがあるのかもしれない。

 それにしても何をやらせても人よりも鈍い。とはいいながらも1度検査を試みたと気を良くする。全国旅行支援は12月20日までのようだ。が、この制度に関わらず、行きたいときに行きたいところへ行くつもりでいる。

 10月に出かけた下関と京都の一人旅でかなり一人旅に気を良くした。鶴瓶の家族に乾杯やBSなどで放送のバス旅などを見ると、皆さん、現地の人に声をかけて聞いている。司馬遼太郎の「街道をゆく」にも現地で知り合った人との話題が頻繁に出てくる。それをまねしたわけではないが人に声をかけると皆さん、決して嫌な顔をされずどの人も親切に教えてくれた。それは若い人も同じだ。

 コミュニケーションが薄れゆく時代、まだまだそれも廃れたものではない。ましてや2か所の旅では尋ねた人が一緒に行くといって道ずれになったほどである。今日もいいお天気だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月24日月曜日

お墓参り

 京都の亀山公園内に周恩来総理詩碑「雨中嵐山」がある。この詩碑はネット記事として京都新聞に「周恩来元首相は1917~19年に日本へ留学し、桜が咲く嵐山の情景で二つの詩を詠んだ。日中平和友好条約締結後の1979年には、『雨中嵐山』の詩碑が嵐山公園の亀山地区に作られている」と掲載されている。ところがこの記事を読んでいると今年4月、「雨後嵐山」の詩碑が大悲閣千光寺に建立されていた。それは次の記事である。「日中国交正常化50周年を記念し、中国の初代首相・周恩来の詩『雨後嵐山』を刻んだ石碑が、京都市西京区の大悲閣千光寺に建立された。5日に除幕式があり、研究者や地元関係者ら約30人が平和への願いを新たにした。今回の詩碑は周恩来平和研究所(東京都)所長で法政大名誉教授の王敏さん(67)が手がけ、思いに賛同した千光寺の協力で実現した。詩には雨が降った後の雄大な嵐山の情景が表現されている」とある。

 あいにく大悲閣は見学していないが、司馬によるとここにはまた角倉了以の像が建っているそうだ。またいつか訪れたい。
 
 一昨日、月命日に数日遅れてお墓参りをした。この2,3か月、頭を悩ませていたことがある。それを心配しながらお墓に参る。悩みは無用だった。それは何か。梅雨の時季、お墓に参ると墓石の前の草を抜いた。抜いたのはいいのだがその後に穴ができた。草を抜いただけなのに……、と思ったが応急処置をして墓地を去る。それから1か月後、お墓に行くと穴が開いている。隣の墓地を見ると我が家よりもさらに大きな20㎝四方の穴だ。墓地の主をよく知っているので教えてあげようか迷っていた。が、そのままにした。

 先月のお墓参りには小さいスコップを持参して墓地の穴に石や土を入れて穴をふさいだ。隣の墓地はやはり穴が開いたままだ。家に帰っても寝ても覚めても穴が気になる。誰に相談すればいいのだろう、と思い悩んでいた。そして一昨日のお墓参りである。穴を気にしながら恐る恐る墓地に近づくと穴はなく、隣の墓地も秋のお彼岸に参られたのか穴をふさがれていた。これを見てホッとする。なお、この穴の正体はイノシシだとか。

 それにしてもなんと気の小さいことよ、と自分のことなのにあきれてしまう。もっとどっしりと気持ちをもって生きなくてはこれから先の人生が思いやられる。とは言いながら、これが自分の人生とまたも居直っている。こうやってこの年まで元気で生きてきたじゃない?それもなんとか無事に、と自分を思い慰める。

 話は変わって昨夜のスマホ。触っていてふと気づく。NHKプラスをスマホで、と思いだすと何が何でも設定しようとなる。パソコンではNHKプラスを設定して視聴可能だ。スマホのNHKプラスを見るとIDとパスワードの画面が出る。IDは確かメールアドレスのはず、と思い込んで何度か試みる。パスワードはメールアドレスを送信すれば忘れていても返信で知らせてくれるとのことだ。これを何度か試みる。だいぶ時間が経過して、いろんなことをメモしているノートにIDとパスワードをメモっていると気づく。案の定、記していた。それを見て設定するとすぐに接続できた。

 何でも思いつくままに行動している。自分の意にそわないことはだれがどう言っても決してやらない。その意味でも昨夜の設定はよかった。ただ、メモを確認する癖をつけないといけない。と同時にメモを記したノートの整理もしなくては、と思った。今日も穏やかな日となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月23日日曜日

京都一人旅その3(嵯峨野)

 京都一人旅の初日は大徳寺を主に歩いた。2日目は嵯峨野を中心に歩く。前夜の宿ではSMSの不具合でパニックった。が、何とかそれもクリア。夕飯は各自の部屋に運ばれてくる。こういうことはあまり経験がない。先ほどまでの気分を変えるべく生ビールで独り乾杯。結構酔った。出された料理は京都の会席料理とか。個人的な感想は京都の食文化は漬物文化というかつくだ煮などの保存食文化に思えた。というのも何もかも塩辛くまた醤油辛い。これはお昼に食べたラーメンもそうだった。加工されてない食品本来のままを生かした食べ物が好きだ。これも育った環境によるのだろうか。

 宿は渡月橋前に位置する。宿で朝食を済ませると庭園を見て歩く。この宿は角倉了以の別邸の一つだったらしく、それをその後京都市が購入したとか。広い庭を散策していると宿を利用した2人連れとすれ違う。しばし立ち話をすると地元の人らしい。お庭を手入れする人に声を掛けられる。「いい環境で仕事ができていいですね」というと木の枝が落ちたのを拾っているそうで落ち葉は風情があるので拾わないという。感じがいい人だった。
宿は元、角倉了以の別邸 お庭がすごかった!

 
朝は渡る人も少ない
 チェックアウトを済ませると目の前に見える渡月橋に向かう。朝の渡月橋は人も少ない。橋の上を歩きながら川を見下ろすと白い鳥がえさをついばむ様子が見られた。鳥の名前はわからない。
宿を出ると目の前に渡月橋が見える

川を見下ろすと白い大きな鳥がいた
 渡月橋をわたって元の道に引き返すと標識板に「周恩来総理記念詩碑」などの文字が見える。(まさか嵐山で周恩来?)と思ってその詩碑を見に行こうとなった。人力車の若い兄ちゃんに聞くと川を沿っていく、とのこと。川に沿っていくがわからない。途中、ホテルの庭を掃除している人に聞くとスマホで探してくれた。川に沿っていけば石段がある。それを上って、と教わる。石段のところまで歩くと亀山公園の展望台に出る。どうもこの公園内に詩碑はあるようだ。
道を尋ねたホテルの生け垣の桔梗

この「周恩来……」の標識板を見て是非とも探そうとなった

亀山公園に続く道

階段を上ると展望台になっている
 亀山公園にある展望台に着くが広すぎて詩碑がどこにあるかさっぱりわからない。ただ歩きつづけて探す始末。途中、何人の人に聞いたかわからない。まず展望台を歩く人がすくない。やっと人を見つけて声をかけると外国人夫婦だった。遠くから声をかけたので外国人とわかった時は「申し訳ない」と思わず英語で言った。

 傘を差した女性がいるのを見かけた。詩碑の話をすると嵯峨野に住んでいるとのことで角倉了以の像や詩碑の場所へ連れて行ってくれた。その人は毎朝、1万歩、このあたりを歩いているという。歳を聞くと81歳だった。一人で旅をしていると話すと驚かれてしまった。そしてJRの嵯峨嵐山駅からJRに乗るまでこの人について観光した。この日は天龍寺の観光が主な目的だった。さすが地元の人だけあってJRに間に合うようにその時刻まで観光できた。
角倉了以像

周恩来総理詩碑

周恩来総理の詩碑

 周恩来総理の詩碑を見てもはっきりと文字が読めない。ネットで検索すると次のように書いてあった。引用させていただこう。

雨中嵐山――日本京都

一九一九年四月五日

雨の中を二度嵐山に遊ぶ
両岸の青き松に いく株かの桜まじる
道の尽きるやひときわ高き山見ゆ
流れ出る泉は緑に映え 石をめぐりて人を照らす
雨濛々として霧深く
陽の光雲間より射して いよいよなまめかし
世のもろもろの真理は 求めるほどに模糊とするも
――模糊の中にたまさかに一点の光明を見出せば
真(まこと)にいよいよなまめかし

訳 蔡子民先生

 この詩碑建立についての説明はネットに詳しく載っている。後でゆっくり見ることにしよう。それにしてもまさかこの場において「周恩来……」の名を目にするとは驚き。天龍寺行きの予定が大幅に遅れたけど、そのお陰で地元の人に観光案内を乞うことができた。世の中、何が幸いするかわからない。
竹林への道を抜けて天龍寺へ
 その人について歩くと竹林の道を通って天龍寺へ行くという。竹林の道辺りから外国人や修学旅行生などの観光客で一気に人出も増えだす。その中を人力車が駆け巡る。
清凉寺は外から眺める  
トロッコ電車が通り過ぎた
 天龍寺に行く前に竹林の道にある野宮神社に参り、トロッコ電車や清凉寺を案内してもらった。清凉寺は外から写真に写す。トロッコ電車はまだ乗ったことがないがいつの日か乗りたいと思ったり。天龍寺に着いた。天龍寺は1339年、吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。この夢窓国師による庭園である曹源池の付近は時間とともに観光客でごった返す。大方丈に入ると着物姿の男女の観光客が目につく。帰り際、(有名寺院のトイレは如何に)、と利用させていただくと真新しくとても綺麗だった。外に出て庭園を歩くが連れの案内で庭園全体を歩いたようで草臥れ始める。境内には秋の花が咲いていた。

境内に咲く酔芙蓉

天龍寺境内で見かけた花
境内に咲く紫式部
境内に咲く秋冥菊

天龍寺

 
境内に入るとススキが……

曹源池

天龍寺の庭園の上から見下ろす

天龍寺境内
 JR嵯峨嵐山駅から乗車の時刻が迫りだす。宿でもらったクーポン券3000円分を使っていない。長時間にわたって旅の道ずれにしてしまった地元の人にお礼すべくお土産屋に行く。その人は2種類ほどつくだ煮を手にした。こちらはちりめん山椒を一袋購入。クーポン券を少々オーバーしたが、その人に手にしたものをクーポン券で買ってあげてお礼とした。

 京都の旅も下関に負けず劣らず本当に楽しかった。今思い出した。案内してくれた人によると京都は老人であればバスは無料らしい。そしてびっくりしたのは京都市内では1回バスに乗るとどこへでも230円で行けるとのこと。どうりで乗車の際の機械のタッチがなく、降りるときだけ機械操作した。京都の旅の初日は7633歩、2日目は19028歩とほんとうによく歩いた。一人旅ではあちこち観光するのではなくどこか1カ所を決めての観光がいい。その意味で今回の旅も司馬遼太郎の歩いた「大徳寺散歩」と「嵯峨散歩」を少しだけまねして歩いたのは正解だった。次はどこへ!?と楽しみが増してくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年10月22日土曜日

京都一人旅その2(大徳寺)

大徳寺総門

 大徳寺は大燈国師によって1326年に創建され、一休宗純や沢庵宗彭などの名僧を輩出している。また千利休や狩野永徳など後世の日本文化に大きな影響を及ぼした人物も輩出している。大徳寺の総門を入ると広い境内のその先にある緋色の三門(山門、金毛閣とも言われる)に目を奪われる。隣の仏殿(方丈)はただいま工事中。そばにはまた身体をまるで支えられているように見えるほど大きなイブキが植えられている。

大徳寺のイブキ
三玄院


金毛閣(三門、山門ともいう)

大徳寺総務本所
 奥に進むと総務本所があった。辺りで真珠庵を尋ねるがわかる人はいない。それならばと真珠庵はあきらめてさらに進む。その時、一人旅らしい老いた男性が本を手にして歩いていた。真珠庵を尋ねるとわからないという。その人は高桐院を見学しようとしたがコロナで公開されず残念そうだった。これから?とその人に問うと今宮神社へ行くという。
聚光院

左は閉鎖中の高桐院、右へ行くと今宮神社へ
 高桐院は以前は公開されていたお寺のようで、今回の旅でも見学する予定だった。が、公開されてないと知ると予定を変更せざるを得ない。来た道を引き返すと特別公開中の塔頭である総見院があった。ここに入ると受付で特別公開中の塔頭はここを入れて3か所あるという。1か所の塔頭でも探すのに困難を極めている。係の3か所、の言葉を強引に振り切って1か所の塔頭だけ見学する。すぐに本堂で案内が始まるとのことだった。

 総見院は織田信長公の菩提寺で、信長公の一周忌を迎えたその追善のために1583年豊臣秀吉公が建立している。総見院の本堂に入ると織田信長公の25㎝の木造の座像が安置されていた。信長公の木像は人を射るような鋭い眼光をしている。総見院の北庭には茶室三席がならんであった。
侘助椿
このなかは信長公墓地

総見院

総見院茶室

総見院茶室

総見院茶室
 掘り抜き井戸の井筒は加藤清正が文禄慶長の役の際に船の重りとして日本に持ち帰った朝鮮石と伝わっており、今も湧き出ている水を毎朝お供えに使用しているという。
掘り抜き井戸

信長公一族の墓
 総見院のお庭の奥に進むと突き当たりに信長公一族のお墓があった。道を引き返していると侘助椿の大きな椿が植えられている。今は花の時季ではないが開花時は綺麗なこと間違いなさそうだ。

 総見院を出るとまたも真珠庵が気になる。なぜ気になるかといえば司馬遼太郎が歩いた塔頭だからである。来た道を引き返していると女性がやってきた。真珠庵を尋ねると連れて行ってあげるという。その人は地元の人らしく大徳寺へお墓参りに来たという。真珠庵は境内で行きかう何人もの人に聞いても場所が理解できずにいた。その人について行くと奥まった場所に真珠庵はあった。が、公開されていない。写真だけ写して連れに案内されるままについて行くとお昼を食べるお店に連れて行ってくれた。
真珠庵
 食事の前に立ち寄ったお土産屋で大徳寺納豆を買う、とのことでまねして私も一袋買った。
大徳寺納豆を購入したお店
 道を案内してくれた人はお昼を食べてきたという。お昼の場所を教えてもらってその場で別れた。お店は感じがよくないとか。入ると確かにそうだった。外で待つようにとのことで待つふりをしてその場を去る。(どこかいいお店は?)と探すが適当なお店がない。(じゃ、京都駅で食べよう)、と決めてバスで京都駅に向かう。が、京都駅までは1時間かかる。

 京都駅に着くと地下街に入り、ラーメンでお昼とする。早々と食べ終えるとバスで今宵の宿へ。バス乗り場を探すがわかりにくい。(多分この乗り場に間違いない)と思って並ぶ。若い女性に確認するとバス会社が違うので、同じ場所で次のバスに乗るようにと教えてもらう。若い女性はとても親切で自身のスマホで確認してくれた。(私もスマホを持っているのに)、と思ってもまだ操作はできない。

 1時間バスに揺られて宿に着く。フロントでPCR検査結果のSMSが開かず、大変だったけど何とかクリア。宿代5000円、クーポン券3000円をいただく。夕飯は各自の部屋食。夕飯までの時間も(なぜSMSが開かないのか)と何度も試みる。もう気になって仕方ない。が、諦めモードで翌日の帰宅後ドコモに問い合わせてやっと解決した。

 食事後、部屋のテーブルに書類がある。その1枚を見ているとWIFIに関することだ。早速自分のスマホにWIFIを接続した。そして先ほどQRコードの読み取りができなかったがこれも部屋で触っていると読み取りができた。WIFIは家以外では初めて接続したので嬉しかった。帰りのJR新幹線車内でも利用できた。これも嬉しかった!
宿は花のいえ
 この続きはまた後日に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!