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2023年1月27日金曜日

「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」

 昨夜、BS1で「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」を見る。これは1月3日の再放送だが見逃していた。番組の概要を見ると「ニシン漁で栄えた礼文島。そこで生まれ育った漁師で詩人の浜下福蔵92歳。花々が咲き誇る季節から、コンブ漁の夏、秋の終わりまで、礼文島で生きる孤高の漁師を見つめる」とある。

 久々にドキュメンタリー番組を見た。92歳の坂下さんは礼文島のある集落で一人暮らしをしている。漁師として生まれ育ったが詩人でもある。毎日、墨を使って大筆で詩を書く。書くのは詩ばかりでなく日記もつけている。コンブ漁が始まると離れて暮らす息子夫妻が持ち帰るコンブを出荷する仕事に追われる。例年ならば息子夫妻とコンブ漁に出かける。ところが年齢的なこともあって昨年は一緒に漁に行かれなかった。その無念さを詩に書き留める。時には数年前に亡くなった奥さんが海を見渡す浜辺で座っていた石を見て奥さんと過ごしたひと時を懐かしむ。

 コンブ漁の季節には全国から若者がアルバイトでやってくる。その際、若者と毎夜のように酒を酌み交わして楽しいひと時を過ごす。若者たちも坂下さんを毎年のように訪ねてコンブ漁を手伝うのが楽しいらしい。礼文の春から夏は花々が咲き乱れて美しい。その時季を過ぎると厳しい冬がやってくる。しかし、坂下さんはどんなときにも自分の気持ちを詩に書いている。

 番組を見て漁師もそうだがむしろ詩人の方がぴったり合っていると思えた。墨での大書も素晴らしく一つくらい詩を書き留めておけばよかった。残念。

 いい番組がないと思っていたらそうではなく自分が見逃していただけだ。今朝、番組欄を見るとまたも見逃している番組がある。それは1月22日の日曜美術館。坂本龍馬の子孫が画家となっている。その人を取り上げたドキュメンタリーである。今夜BSで放送される。ネットで番組の概要を調べるとEテレの日曜美術館で放送されていた。総合やEテレならばNHKプラスでいつでも見ることができる。今夜遅く見るよりもネットのNHKプラスで見よう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年9月2日金曜日

「世界ふれあい街歩き」

 我が家の狭い庭にこの春2本の青じそが芽を出した。種は撒いた覚えがないのでどこからか種が飛んできて芽が出たのだろう。今年は雨の降り方が異常だ。庭に水をまかなくても青じそは新たな葉をつけていく。だが、その半分以上は虫食いだ。それでもこの夏、毎朝のように虫食いでない青じそを何枚も摘む。数日、雨の日がなく青じそも元気がなかった。が、雨上がりの今朝は元気な葉っぱの青じそを何枚か取った。摘んだ青じそはちぎって散らせばどんな料理にも合い、日本の味になる。

 昨夕、何気なくBSを見ると〈世界ふれあい街歩き「インド洋の楽園 タンザニア・ザンジバル」〉を放送していた。タンザニアは大体の見当はついてもザンジバルは初めて聞く。電子辞書で調べるとザンジバルはインド洋に浮かぶ島でタンザニアと同じ国だ。番組HPには「東アフリカ・タンザニアのザンジバル島。アラブやインドとの交易で栄え、石造りの歴史的建物が残る街は世界遺産。海に沈む夕日の美しさは格別で、多くの観光客が訪れる。迷路のような路地は歩いているだけで楽しく、人びとは陽気に話しかけてくる。エネルギーあふれる露店のおじさん、澄んだ目をした元気いっぱいの子どもたち、ビーチで古タイヤを踏み台に跳躍を競い合う若者たち。お互い助け合い優しさにあふれる人たちに出会う」とある。

 路地に入ると生地を売っているお店がある。ミャンマーなどで見られる一枚になった生地を売っている。巻きスカートにするようだ。その生地が巻きスカートの裾辺りになるところに何やら文字が書いてある。(生地には何と書いてある?)と尋ねると「愛する者同士は我慢が必要」とか「人は一人ではない」みたいなことが書いてあるとか。

 Tシャツなどに文字が書いてあるのはよく見かけるが、裾一帯に教訓めいた言葉が書いてあるのを見て驚く。タンザニアの事実上の首都はダル・エス・サラーム(公式にはドドマ)とサラームがついているのでイスラムの国と思ったらやはりそうだった。人々の表情は優しくいい国のようだ。

 タンザニアはまだ出かけていない。が、いつか必ず行こう、と言えるほど簡単には行けそうにない。この近くに位置する南アとジンバブエは出かけた。が、これまで出かけた中で一番遠かった。20数年前のことで当然、今より若かった。タンザニアでなくてもいいからどこかへ行きたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

2022年7月30日土曜日

旅番組

 乗り物に乗らず歩いて旅をするテレビ番組、〈てくてく絶景「地元京都人が自慢する『絶景』巡り」〉がある。今週月曜日から昨日までの5日間を京都市から亀岡市まで100㎞を歩く。旅は早朝5時前後から、と早くから歩き始める。この番組を知ったのは2日目の京都嵯峨野あたりからの旅だった。この番組はNHKのBSで午後7時から30分ある。この時間帯はいつもならば火野正平が自転車で旅をする「こころ旅」がある。今回は初めて知った正門という若者がこころ旅と同じく数人の番組クルーと歩く旅をしていた。

 おおよそ1日に20㎞ほど歩くが最初にそれを聞いたとき20㎞に驚いた。先日、街中に絵を見に出かけたときの携帯万歩計を見ると7.2㎞(9850歩)を1時間9分歩いていた。(20㎞はこの3倍を歩くのか)、と思いながらテレビを見る。若者の足元を見るとトレッキングシューズのような靴を履いている。旅は街中ばかりでなく山道もある。靴も選ばないといけないようだ。ただテレビクルーの姿も映し出す。半パン姿が多かった。

 慌ただしく過ぎ去る毎日にこういったのんびりムードの番組はいい。街中もいいが亀岡市に向かう途中にある棚田はこちらの気持ちまで癒される。2か月くらい前に山陽本線に乗って久しぶり西条に出かけた。呉線周辺には田んぼはなく本線は車窓から田んぼが見られると期待したがこの頃は田んぼを見かけない。

 春に近所の人から鉢植えを貰った。その時、鉢植えをくれた人は庭に麦を植えていた。なぜ麦を、と聞いた。植物に稲藁を置きたいがその藁が手に入らないので麦藁で代用するとのことだった。その時、その人は町内に2か所、田んぼがあるという。そう聞いても町内のどこに田んぼがあるかはその人も知らないそうだ。

 子供の頃は家の周りは畑や田んぼが多かった。とくに隣町まで行く峠道は田んぼがあった。ふと当時を振り返ると既に60数年以上の月日が経っている。街の風景が様変わりするのもうなづける。とはいえ、当時の光景は今でも鮮やかによみがえる。どの家々の生活スタイルも一変したのだろう。田んぼも畑もなくなったことがそれを象徴している。麦藁のストローで作った蛍駕籠も蛍草も今はない。蛍草は何年か前までは墓地までの道に生えていた。ところが今はそれさえも見当たらない。

 蛍草(露草)を電子辞書で調べると秋の季語とある。ということはこれから咲く!?否、もう咲く時季と思うけど……。お盆のお墓参りで露草を探して歩こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年6月12日日曜日

「神様の木に会う にっぽん巨樹の旅第5弾」を見る

 「神様の木に会う にっぽん巨樹の旅第5弾」を見る。初めに樹齢1900年の「本庄の大楠」が映し出される。この大楠に魅せられた少女は「本庄大楠」として歌にしている。作詞した少女は今や93歳の梶屋邦子さんだ。子供の頃、この大楠を見てすぐに詩が生まれたそうだ。おぐらりょう作曲、鈴木英明編曲で「本庄大楠」として東京混声合唱団が歌っている。

 三重県にある樹齢1500年の「引作(ひきつくり)の大クス」。この大クスはかつて伐採の危機が訪れていた。それを南方熊楠らの尽力でその危機を乗り超えている。

 和歌山県の田辺市の熊野古道・継桜神社に樹齢800年の「野中の一方杉」がある。90本あった内9本が残った。そのうちの南にある熊野那智大社を慕うように枝を伸ばしている杉があり、一方杉と呼んでいる。南方熊楠は生態系(エコロジー)からも巨樹は自然の中で生かされている、巨樹はその象徴と著している。

 青森県に樹齢1000年の「関の甕杉」がある。巨樹のふもとで人骨が見つかったことから元々は菩提樹として安藤氏一族を守っていたようだ。そのそばに供養塔が42あり安藤氏一族の供養塔では、と言われている。

 岐阜県の大湫町に「神明神社の大杉」がある。幹回り11m、高さ60mほどある巨樹。この巨樹が2020年の災害で倒木した。この木を救う運動が始まり700万円ほど集まる。地域の人々の協力で高さ5mに幹を切って注連縄を飾ってご神木とした。なんとその重量は35t。倒木後に専門家によって樹齢650年と判明。倒れた根を見てそれがわかったそうだ。巨樹の年輪から長年の気候変動もわかかるという。

 長野県には樹齢300年以上、幹回り1.3m以上の「大鹿村のブナ」2本がある。ところがリニアの鉄塔工事で伐採の憂き目に遭った。が、辺り一帯は伐採されて何とかこの2本だけは残された。とはいっても洪水になれば根元の土が流れる心配があると専門家はいう。

 長崎県山王神社には幹回り6mと8m、高さはそれぞれ20m以上もある樹齢600年の大クスがある。先の戦争で長崎は原爆した。ただ、この2本の木は幸いにも幹だけを残した。被爆から2か月後、新芽を出す。生き延びたクスノキを被爆50年後に調査するとかなり木は弱っていた。被爆であいた幹の穴を見ると釘や石が入っている。それを取りだして調べると放射能が検出され、幹から腐生根が出てきたが今では元気になっている。

 日本には各地に巨樹が見られる。その巨樹にさわると神が宿っている気がするし元気になる気がするとか。どの巨樹でもいいから会いに行ってみたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年6月5日日曜日

「中国王朝『悪女』たちの素顔」を見る

 久しぶりにBSで興味深い番組を見た。それは「中国王朝『悪女』たちの素顔」である。そこには「 中国王朝 英雄たちの伝説『悪女たちの裏切り』」があった。番組HPによると「中国で相次ぐ新発見から探る『悪女』たちの素顔。漢王朝を建てた劉邦(りゅうほう)の妻呂后は、夫の愛妾(あいしょう)の手足を斬り目と耳を潰し『人豚』とする残虐で知られる。だが、近年発掘された法律文書は社会への貢献を伝える。実は良妻? ラストエンペラー溥儀の二人の妻。婉容(えんよう)はあへんに溺れ不義の子を出産、文繍(ぶんしゅう)は皇帝に対し初の離婚訴訟を起こす。なぜ夫を裏切ったのか? 溥儀の側近の新証言から意外な真相が。戦争の時代に翻弄された哀切な人生が浮かぶ」とある。

 1968年、中国で民間人によって「呂后之爾」の印が発見された。漢の皇帝劉邦の皇后である呂后。それから2000年後に中国文化大革命が起き、毛沢東夫人の江青は陝西省博物館に保管されていたこの印を持ちだして8年間も持っていた。そこには江青が呂后の権力にあやかろうとしたことがうかがえるという。

 呂后は謀略を劉邦に知らせずに進めた。劉邦の死後、皇帝に恵帝がつく。呂后は腹違いの子、趙王を毒殺によって死に追いやった。恵帝も呂后のやり方に参って死ぬ。この後、呂后は2年半人質になる。劉邦は戚夫人(せきふじん)を愛した。劉邦の死後、呂后は戚夫人を人豚と呼ばせて残酷に扱った。

 1984年、漢の時代の墓が発見され、二年律令が見つかる。これは呂后が発令した。それは「民に優しく官に厳しい」ものだった。漢の時代は漢字や漢民族など漢で表し、劉邦ができなかったことを呂后は行った。呂后は劉邦が死ぬと次はだれ?と問い詰めた。呂后は二年律令にもあるように「国を安定させようとした人」だった。それなのになぜ悪女となったのか。そこには女性が権力を持つことは国を乱すとの考えがあり、また儒教の教えがあった。

 時は過ぎて溥儀の時代である。溥儀には2人の后、婉容と文繍がいた。この2人の死はどこでいつ亡くなったかさえ不明である。ともに夫への裏切りだけが残った。王慶祥氏の研究によると溥儀と2人の妻は世界へつながる皇室が希望だったという。北京政変で紫禁城を追放された溥儀は天津へ向かう。その7年後、まだ23歳と若い文繍は溥儀に離婚を要求し、家を出る。天津時代、3人は同じ家に住んでいたが家を出て50日後に離婚は成立。文繍の最大の夢は「自由」になることだった。婉容はアヘンにおぼれ、側近との密通で転落の道へ。溥儀は文繍がいなくなった原因を婉容のせいだと思い、婉容を遠ざけた。その矢先に信頼していた側近2人による密通があった。溥儀は次々と年若い第二夫人を迎えるが後継ぎはのぞめなかった。原因は溥儀にあった。

 溥儀は1964年に『わが半生』を出版。その中には婉容と文繍を悪女と書いている。本は売れて2人の悪女は世間に広まった。その後、溥儀と離婚した文繍はお店を営んでいたらしく40代の若さで極貧の生涯を終える。が、生涯、溥儀の眼鏡を肌身離さず持っていたという。その眼鏡は今、博物館にある。2009年6月の調査によると「本当は強く優しい女性たちの姿があった」という。

 何事も理由なく当事者のその一方だけが悪いことはない。「女性が権力を持つことは国を乱すとの考えがあり、また儒教の教えがあった」ようだが、この考えは今も少しはあるように思えるがどうなんだろう。

 話は変わって昨日は日本画教室の日。テレビに夢中になってすっかり絵の話題をわすれていた。相変わらず樹木を描いている。いつもは60色ある水干絵具を使用している。が、教室にある岩絵の具で彩色を、との先生の言葉で岩絵の具を使う。岩絵の具の方が水干絵具よりもいいらしい。とはいっても初めに購入した水干絵具をこれから先ずっと使い続けても使い切れないくらいある。ただ、数少ないが数本だけ少なくなる色もある。それは皆さんも同じらしい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月20日日曜日

「紫禁城」を見る

 今日も昨夜見たテレビの話題から。満島真之介と浅田次郎が中国“最強”皇帝の秘めた思いに迫る番組でNHKのBSで放送された。番組HPによると「北京テレビとNHKの国際共同制作8Kカメラが “紫禁城” の未公開部分を撮影、宝石と不思議な建築が王朝のなぞを解き明かす。作家・浅田次郎氏と俳優・満島真之介氏で一人の皇帝の秘めた思いに迫る。“紫禁城” は今は故宮と呼ばれる博物館。奥に清の乾隆帝の園がある。版図を最大にした皇帝で文武に秀でた。狭い迷路に玉座6つ、なぜ? 少数民族の王朝、したたかさとは? 不思議な中国画に西洋人画家との秘話! 皇帝の世界観に迫る」とある。

 紫禁城は天安門広場に隣接しており故宮ともいわれる観光名所。中国北京の観光では必ずといっていいほどコースになっている。ここへは2,3回は出かけているがテレビを見て知らない紫禁城を垣間見る。紫禁城を映し出す途中に作家の浅田次郎と俳優の満島真之介の会話がある。浅田次郎は40数回もここへ訪れているとか。

 紫禁城といえば乾隆帝、なのか番組ではこの人を取り上げる。乾隆帝は漢民族ではなく少数民族である満州族だ。築600年ともいわれる紫禁城だが広い敷地に建つ太和殿が中心をなしてここに保有する宝石類などは180万点もあるそうだ。気になることを羅列しよう。

・屋根の黄色 黄色はもっとも尊い色で、皇帝のみが使用。また黄色は台地の色
・建物の赤色 赤は邪気を払う色
・竜の爪 皇帝だけが5本の爪を持つ
・太和殿の丸い柱 直径1mもある柱が72本もある
・太和殿の竜の数 13843匹
・乾隆花園 太和殿内にある符望閣は宇宙をあらわす
 
 乾隆帝の為した主なこととして版図を広げたことがある。それには世界一の玉をウイグルから運ばせていた。全国から書籍を集めて「四庫全書」を編纂させた。絵画を見ると180㎝もある弥勒菩薩をチベットの寺院に作らせた。乾隆帝はチベット仏教に帰依し、モンゴルやチベットの人たちを尊敬して抵抗させないように仕向けた。陶磁器などの職人を育てて海外に売りさばいて銀を獲得、などがある。
 
 乾隆花園の秘密のエリアには時計、刺繍の部屋などがあり、イエズス会のカステリオーネに乾隆帝の肖像画や風景画などを描かせている。絵には中国にはない陰翳や立体、遠近法を取り入れており、乾隆帝とカステリオーネとのせめぎあいが絵から見られるらしい。なお、カステリオーネは中国に帰化して中国名で描いている。

 番組のなかで「如意」があった。この如意、わかりもせずにいたと思いながら見ていると孫の手が背中のかゆいところに届くように意のままになる、ということらしい。そのためか僧が読経などの道具の一つに孫の手に似た仏具をもっておこなうそうだ。

 番組最後にナレータは言う。「中国の最強の皇帝は言った。中国皇帝の長い歴史の中でこんなことがどれほどあっただろうか」と。

 いい番組だった。ここに取り上げた中には聞き間違いがあるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月19日土曜日

「名品の来歴」を見る

 NHK・BSで「名品の来歴」を見る。名品とは1934年に実業家の10代目浜口吉衛門によって建てられた洋館である。浜口は芸術に深い造詣を持つ人物だったらしく建物の至る所には浜口が収集した絵画や彫刻が飾られている。今、この洋館はタイ大使館の公邸になっている。というのも第2次世界大戦中の1943年にタイが浜口から当時のお金の100万円で購入したのだという。タイ大使館によると、当時、日本政府による金属類回収令により、建物や美術品が失われる危機にあった。浜口は友好国のタイに譲渡することで、建物や美術品、調度品を接収から守ろうとしたとか。

 洋館の外観も中もほぼ当時のままで保存されている。この洋館にはタイに譲り渡す前、嵯峨浩も住んでおり、ここで愛新覚羅溥傑とお見合いしてその後結婚。洋館の玄関に立つ浩と溥傑の写真もある。1987年、浩は亡くなり、その3か月後に溥傑はこの洋館を訪ねている。今はタイの大使館公邸となったが洋館に関わりある人たちが集うこともあるそうだ。浩の次女である愛新覚羅嫮生、浜口の孫である12代目浜口吉右衛門、そしてタイ大使夫妻などである。

 当時のお金持ちのすごさをこの番組を通して知った気がする。すぐになんでも取り壊す時代だが、こうやって大事に保存されてゆくのはいいことだ。洋館全体が生きている博物館のようだ。一度でいいから中に入ってみたい、と思いながらテレビを見た。

 話は変わって昨日は母の祥月命日。幸いお天気も良くお墓参りをする。その後はお宮を経由して帰る。家に着くと旅行社から旅のカタログが届く。寒い時季でもあり、また、まん延防止措置延長も決まって気持ちは旅どころではない。日本画の先生から美術館行きの変更を知らせるSMSも届く。

 何を計画するにもコロナが収まらなくてはどうにもならない。こうやって月日だけが過ぎてゆく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月30日日曜日

〈空旅中国「李白 長江をゆく」〉を見る

 NHK・BSで〈空旅中国「李白 長江をゆく」〉を見る。番組HPによると〈南京から長江を三峡へのぼり詩人・李白の旅をたどる。「万の酒屋あり」と招かれた村、動乱から身を隠した廬山の奇岩。出世を夢見た旅、流刑の旅、常に言葉を信じ酒をあおる 唐代の詩人、李白は大河、長江流域の出身。都で活躍も失敗し長江に戻り、旅が始まる。古都、南京から上流へ。都での活躍ゆえ各地で歓待され…村人から「万の酒屋」の誘い文句で訪れた美しい村、桃花潭。動乱から身を隠し大自然のすごみを詩に著した廬山。やがて反乱の一味として流刑!さらに上流、三峡の断崖へ。言葉を信じ続けた李白の旅をたどる。李白に欠かせぬ“酒”も登場〉とある。

 久々に旅心を誘われる番組を見た。前夜は〈名僧たちの足跡 「空海が越えた峠」〉が放送されたが番組があるのを知らず見ずに終わった。今夜は昨年末に放送された〈英雄が駆けた道 「蜀の道」〉がある。これは忘れずに見よう。

 李白が生きていた頃、今でいう追っかけがいて李白の詩を遺した人物がいたそうだ。その人の名は魏文(ぎぶん)と放送していたが「魏」の文字をはっきりと覚えていない。今に残る李白の詩はこの人のお陰があるとか。その李白は途中、囚われの身となる。その間、長江の奥地までの様子をドローンを使って映し出す。途中、武漢がある。最近の映像なのか武漢の人たちのマスク姿も見える。

 三峡の断崖に今は高い塔が作られ、そのてっぺんにはガラス張りの通路になっている。この通路を歩いて観光する。さらにはそこから向こうの渓谷まで同じくガラス張りの高架橋がかけられスリル満点だ。

 さらには当時の長江を舟で上る方法を試す場面がある。今はエンジンの舟で簡単に上るが李白の時代は長江に上る舟に紐をつけてその紐を3人がかりで引っ張って陸を歩いて上ったという。

 李白が生きていた時代を想像しながら見ればいいのだがそれも叶わず、ただ旅に行きたい気持ちだけが増してくる。初めて中国に出かけて以来この夏で36年になる。当時の旅をブログ(or日記にでも)収めていれば、と悔やまれる。というのも思い出というか記憶では旅の断片しか覚えていない。ブログを開始してからの旅はすべて記録しているが……。

 しばらくは「空旅中国」にハマりそうだ。どうであれ、旅が再開されるまで元気でいなくては、とただそれだけを思ってテレビを見る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月17日月曜日

「ゆったり温泉ひとり旅~冬・東北編~」を見る

 先週の土曜日、番組のタイトルに惹かれてテレビを見る。それは「いつもよりのんびりと、全国各地の名湯・秘湯へ二泊三日のひとり旅♪」の「ゆったり温泉ひとり旅~冬・東北編~」である。コロナ禍でちょっとそこまで行ってくる、とはいいがたい世の中になった。こんな時に見る旅番組で旅に出かけた気持ちになる?!

 番組HPによると「全国にある魅力的な温泉地の数々。いざ旅行で訪ねても、限られた時間のなかで、駆け足で回る人も多いのではないでしょうか。そんなあなたに、ゆったりとした時間のなかで、温泉地本来の魅力を味わいつくすひとり旅をご紹介します」とある。そして今回の舞台は、冬の東北。

 旅は一人旅でなくツアーに一人参加することが多い、その旅も特に温泉好きとはいえない。宿に大浴場があると何度もお湯につかる人がいる。が、いくら立派な宿であっても何度もお湯に入る気が起きない。とくに朝風呂は入る気がしない。それでもテレビで見る雪の温泉宿は風情がある。

 ずいぶん前に旅を兼ねて各地の演奏会に出かけたことがある。一人でやっと行動し始めたころだ。高松に志度ホールがある。フルートの神様であるランパルの演奏会に出かけた。その日の宿をホテルでなく旅館にした。一人旅初心者は旅館に泊まってはいけない、とつくづく感じた。旅館はホテルのよう気楽さがない。それ以降、一人での旅はホテルに限ると悟る。

 雪の温泉宿の番組を見ていると宿は旅館だ。それも一人旅だ。今までの自分の思いはもしかして間違っているかもしれないと思い始める。何はともあれ、コロナが収まり旅が再開されれば温泉巡りも楽しいかもしれない。というか温泉=美味しい料理がいいのかもしれない。が、今は連日、新規感染者の数が過去最多を記録する。昨日の県内の感染者は1280人。安心して楽しめる旅はいつになる?!その日が来るのが待ち遠しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月5日水曜日

NHK特集「永平寺」を見る

 昨夕のBSでNHK特集「永平寺」を放送していた。永平寺は何度か放送されている。が、午後6時台の番組であり、しかもBSでの放送だ。もしかして再放送?と思って見ているとテレビ画面の両横にNHK特集、永平寺、1977年放送とある。一目見た限りでは45年前の再放送とは思えないほどのきれいな映像だった。

 永平寺、と言って思い出す。今から9年前(2013年)の2月、親を亡くした3年目にスリランカの旅に1人で参加した。福岡空港からスリランカまでは2度のトランジットを経て16時間かかってやっとコロンボに到着する。1度目のトランジット後から現地到着までの長時間、機内の近い席に永平寺で修業された宮崎、長崎、小倉のお坊さんたちが座られた。すぐ横に座られたのは宮崎のお坊さん。すぐにはお坊さんとは気づかずにお話していた。

 親を亡くして3回忌を終えてすぐの旅だった。が、機内でお話しするうち、涙がとめどもなく流れ出す。途中からご自身の話からお坊さんと分かった。それも永平寺で修業されたお坊さんだ。永平寺へは若い頃、1度出かけたことがあった。厳しい修行で知られた曹洞宗の本山である。そこで修業されている、と知って関心を抱いてお話した。

 飛行機を降りるとき、めそめそするのを危惧されたのかご自分がされていた竜が珠をくわえた水晶の腕輪念珠を下さった。「元気で頑張れよ」、と励ましてくださったのだろう。旅の最初に知り合った3人のお坊さんたちとはスリランカの旅の間中もそれからもよくしていただいた。この旅から帰っても何度か海外や国内の旅に誘われた。そのうち、インドネシアとタイの旅に同行した。どれも楽しかった。トルコ、ミャンマーなども誘われたが1度行ったことがあったので同行せずじまいになる。国内の旅では永平寺に誘われた.が、これは旅の日程など合わず、行かずじまいになった。旅から帰って以降もお寺の情報紙やご自分の著書などを送ってくださった。が、2年前から3人のお坊さんたちは体を壊されている。

 昨夕、いろんな気持ちを込めて45年前の再放送を見た。番組HPによると「福井県にある吉祥山永平寺は、道元禅師(1200-1253)により開かれた曹洞宗の大本山で、参禅道場である。道元は修行を『只管打坐』(しかんたざ=ただひたすらに座ること)と説き、日々の生活一つ一つが修行だと教えた。番組では山内にカメラを持ち込み、厳しい寒さの中で修行を続ける雲水の姿を中心に、永平寺の冬を紹介。1977年(昭和52年)第29回イタリア賞(ドキュメンタリー部門)を受賞」とある。

 さらに別のHPには「吉祥山永平寺は、1244年に道元禅師によって開創された雲水の修行道場であり、150人の若い修行僧たちが黙々と修行に励む。禅の修行はただ坐禅だけではない。食事の作法や廊下の歩き方、風呂や便所の使い方、蒲団の敷き方など朝起きてから寝るまでのすべてが修行である。そして、月に2回の禅問答。雪にかこまれ氷点下10度を下回る寒さの永平寺の冬、午前4時半から午後9時まで修行に明け暮れる若き雲水たちを追う」ともある。

 マイナス10度の厳寒の中、はだしで修業に励むお坊さんたち。テレビを見ていてスリランカで知り合ったお坊さんたちもこうやって修行されたのかと思うと頭が下がる。知り合ったお坊さんたち3人はほぼ同世代を生きている。コロナ禍のこの時代、もう一緒に旅をすることは不可能かもしれない。が、楽しかった旅の思い出だけはいつまでも心に残るに違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年1月4日火曜日

「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見る

 年の瀬も押し迫った29日、NHKのBS 「まいにち養老先生、ときどき… 『2021 秋』」を見た。番組HPによると〈日常が大きく変わった今、解剖学者・養老孟司に日々を生き抜くヒントをいただこう。コロナがもたらした変化を受けとめ、災害と疫病の時代でもあった鎌倉時代と現在とを重ねながら地元・鎌倉の街を思索する。80年前、4歳で見送った亡き父に思いを馳せ、京都の寺で手を合わせる。そして、新たな「モノの見方」を見いだした老作家は、新たな本を完成させる。紅葉が落ち葉になり、冬の風が吹いてくる〉とある。

 テレビを見ていて「どれだけ夢中になれるかでその人の価値がわかってくる」みたいなことを話された。養老先生は5歳の誕生日直前に父を亡くす。その際、母親が亡くなった父親に向かって「さようならと言いなさい」と話したそうだ。しかし、この言葉が言えなくて人に対する挨拶も苦手になったという。が、その挨拶が40年くらい経ってできるようになり、その時になってやっと父親が亡くなったと思えたそうだ。

 小さいころから今も夢中になって虫を探す。その姿は全国の虫好きの子供たちにも伝わっていく。そして愛媛に集まった虫好きの子供たちと過ごす養老先生の様子をテレビで見ると皆、生き生きとして楽しそうだ。まさに夢中になっているのだろう。夢中になれるものは人によってそれぞれ違う。というか、その良しあしも夢中になっている本人がよければそれでいい。そして夢中になれるモノ・コト・ヒトがあるのは幸せなことだ。

 執筆中の『ヒトの壁』の編集者と著者とのやり取りを見ると1冊の本が出来上がる大変さが伝わってくる。『バカの壁』は読んだことがある。『ヒトの壁』も読みたい。ご自宅には「馬」と「鹿」を描いた大きな壁が描かれていた。

 さて私の夢中になれるモノ・コト・ヒトとは何だろう。それはこれまで継続中の好きなことをそれこそ夢中になってやり続けることかもしれない。それにはフルートのピアソラ曲集の練習、プールで泳ぐ、日本画を描く、司馬作品を読むetc.がある。これに旅を加えれば言うことはない。が、この状況下では以前のようには動けそうにない。昨日の県内のコロナ感染者は40人、その前の日は58人と勢いが増しつつある。

 ともあれ、この一年も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年8月6日金曜日

「世界一番紀行」を見る

 連日猛暑日が続いている。午前中、定期的に通っている眼科へ行く。自転車に乗らずに歩いて行くがバス道路沿いに歩く人は全くいない。眼科に着くと来院の人もいない。ただ、眼圧を測っただけですぐに帰る。眼圧は13と17で異常なし。途中、最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。デパートと違ってスーパーの売り場は何処も同じ。3品だけ買って家に帰る。ちょっと歩くだけなのに家に着くと汗が噴き出る。昨日の広島は3か所で今年の最高気温を更新。暑いはずである。

 午後はテレビで<「世界一番紀行」世界で一番の迷宮都市 ~モロッコ・フェズ~>を見る。番組HPには「東西2.2km、南北1.2kmの旧市街に、路地の数が13000、袋小路は1000あまり。一度足を踏み入れたら、必ず道に迷うといわれる迷路の街、モロッコのフェズ。けれども、一見、混とんとしているこの街にも、“安心の生活”と“暮らしのルール”があります。フェズが誕生したのは、9世紀のころ。千年の歴史を持つ都には、どのようなルールが隠されているのでしょうか?女優・夏木マリさんがこの街の真相に迫ります」とある。

 旅のお供は夏木マリ。この人、日本に住むモロッコ人かと思えるほどフェズの街にマッチしている。モロッコへは5年前の3月に出かけた。この番組の最初の放送は2009年。フェズといえば狭い路地となめし皮を思い出す。一人では到底歩けそうにない迷宮都市だ。なぜ迷路になっているのか。それは家の中を広くとるために路地の道幅を3.2mと狭くしているから、とか。狭い路地には火災が起きやすい。そのため家の玄関口が交互に建てられた。それが迷宮都市となったようだ。

 なめし皮の工場を映し出す。テレビを見ているだけで現地で見たあの嫌な臭いが漂ってきそうだ。なめし皮もそうだが金物屋など大半は世襲制らしく、「負けたくなければ、父の仕事を継げ」という諺がモロッコにはあるそうだ。

 男性は外に、女性は家の中に、と区分けされている。が、近年、法律が変わり女性の権利が認められるようになった。とはいえ、夏木マリがある家を訪れた際、26歳の女性を外に連れ出そうとすると待ったがかかる。一日中、家で洋服を縫っている女性は外に出かけることがない。夏木が親たちを説得して旧市街を見下ろせるホテルでの食事に誘った。女性は外に出歩くことがないためウロウロきょろきょろするばかり。ホテルロビーに掲げてある絵を見ては美しいものがあると言ってさらに驚く。

 食事の場面では夏木が外国に行くと自分の国がよく見える、と話す。これを聞いた女性は自分自身も外に出てみたい、と言う。女性に洋服を作ってもらった夏木マリ。似合っていた。女性の夢は洋品店を営むことらしい。

 旧市街のフェズはフェズ・ブルーといわれるほど青い海のように奥が深い。また青の緑色はイスラムの平和の色だそうだ。そして、あちこちから職人が働く音が聞こえてくる。音の街でもあった。800年前に建てられたフェズの旧市街。今は新市街もできてそこにはマンションなどが建ち並ぶ。大家族で暮らす生活も新市街に至ってはその様相が変化しているという。

 モロッコへ行こうと思ったのはラオスへ一緒に行った人の話からその気になった。フランス領から独立したモロッコ。衣服や食文化はフランスの影響を受けている。夏木マリはモロッコを「住めはしないけど来てみたい街」と話していた。確かに住みたいとは思わないがどこかひかれる街モロッコだ。番組を見終わってあの女性の今を知りたくなる。

 日本も昔はまだまだ女性の地位が低かった。今もまだ女性の地位が高くなったとはいいがたい。が、モロッコもまだ低くそうだ。その中でもあの女性のように自分の意志を貫く女性もいる。

 テレビを見て、余計、遠くへ行きたくなる。それはいつになるやら。すべてはコロナ次第!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年6月28日月曜日

「サーカス一家の世界への挑戦を追う!」を見た

 一昨夜のNHK・BS「サーカス一家の世界への挑戦を追う!」を見た。番組HPを見ると<サーカス家族 世界一への挑戦 サーカス国際大会「日本人少年の超絶美技!」>とあり、次のように続く。「嵐君は、日本全国を興行して回るサーカス一家の4男坊。私たちは、嵐君一家を3年間にわたって取材してきた。家族が暮らすのは、サーカステント脇に置かれたトレーラーハウス。2か月の公演ごとに移動を続け、子供たちはその度に転校を繰り返す。波乱万丈の日々の中で、嵐君は技を磨いてきた。そしてついに世界最高峰の大会への出場を果たした。最高のサーカスの技とともに、嵐君一家の世界への挑戦を追う。笑いと涙の物語である」と。

 嵐君は6歳の頃に見たサーカスの第一人者が演じた芸を見て、13歳の兄とタッグを組んで練習を始める。それから6年後の2020年、13歳の誕生日前夜にモンテカルロで開催されたサーカス・フェスティバルで金賞を受賞した。モンテカルロまでの道のりは厳しく、テレビを見ても子供の演技とは思えないほど圧巻だった。モンテカルロの前にスペインで全世界的なサーカスのコンテストがある。そこで選ばれたものしかモンテカルロへの道はない。

 テレビ・クルーは2019年から嵐君一家を追いかける。嵐君は大家族で毎年のように子供が誕生する。父は南米出身のサーカス団員。母は日本人。母が違う嵐君の兄3人と日本人との間に生まれた子供が10人近くいる。まずはスペインへの挑戦。演技する「イカリオス(足芸)」がある。それは兄が下に寝転がって足を上げ、その兄の足の平に嵐君が立って演技する。スペインでの優勝を機にモンテカルロへ行く。母は誕生したばかりの子を日本において嵐君たちとモンテカルロへ。モンテカルロへ行く前、嵐君一家はサーカス団から解雇される。

 モンテカルロ滞在中の嵐君は成長期にあり、成長痛と左足の肉離れで出場が危ぶまれる。宙返りなどもあり、足の痛みに耐えられない。大会5日前、医師は嵐君の足の痛みをなくすためテーピングと鎮痛薬を塗りまくる。本番はモナコ大公や王妃の前で上出来の演技を行い優勝した。圧巻だったのは普通は舞台上で「イカリオス(足芸)」の40回の宙返りをこの日は舞台上に10数m高い台を置いてその上で演技をした。それも60回に増やして。ひやひやドキドキのうちに最高のパフォーマンスで演技は終わる。

 2時間の番組もあっという間だった。モンテカルロの大会は深夜に及び、午前零時をもって嵐君の誕生日と重なる。13歳だ。2020年2月、モンテカルロでの優勝から凱旋帰国の幸せな絶頂期に襲ったコロナ禍。一家はその前に和歌山県に自分たちのサーカスを立ち上げるため土地を購入していた。そこで、凱旋帰国のサーカスをお披露目しようとしたがコロナ禍でその夢は潰えた。その時、事件が起きた。父が幼い娘を革バンドで殴ったのだ。警察沙汰になった。娘は起訴になった父の事件を取り下げて不起訴にした。このことがあって以降、父は是が非でもサーカス団員に、ではなく、子供が好きな人生を歩ませるという。他の兄弟姉妹はサーカスの演技をするが事件のあった娘は舞台上でなく観客側にいた。将来はサーカス団の社長になると幼い娘は語る。

 特殊な世界でなく平凡なサラリーマン家庭に育った。一流と呼ばれる人になるには人にはわからない苦労があるようだ。それにしてもあの嵐君の笑顔は誰が見ても癒されるだろうこと、間違いない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月30日日曜日

秘境中国 謎の民「神秘の森に生きる」&もういいかい 小椋佳ファイナルを見る

 緊急事態宣言のなか、日本画教室に出かける。教室のある区民文化センターに入り、催し物の電光掲示板を見ると2つの催事しかない。受付の突き当りには図書館がある。貸し借りだけの図書館だが、人が多くいた。
 
 教室に入ると6月の教室は中止、と先生の第一声がある。久々の教室に生徒5人全員がそろった。何を基準として休みにするのか、5月よりも6月が市の方針が厳しくなっている。

 樹木を描いている。コロナ禍で教室があったり、なかったりで落ち着きなく描いている。描いている絵は先生のアドバイスは受けるものの、なるべく自分で考えて描く。3時間の教室の途中でしばしカフェタイム。珈琲を調達している間に先生は膠で溶いた絵具の一つに胡粉を混ぜた、と話される。自分なりに少しだけ考えながら描いているが胡粉が入ると更に色が変化する。一枚の絵を描くのにこれまでもすぐには完成しなかった。が、今回はさらにゆっくりでいいから納得いく絵に仕上げたい。そう思いつつ、ない頭を悩ませて絵を描く。

 話は変わって昨夜のテレビ。2つの番組、計3時間を見て堪能する。というか、どちらも結構、重い放送だった。初めに見たのは<秘境中国 謎の民「神秘の森に生きる」>。番組HPによると「中国の秘境、雲南省に広がる高黎貢山(こうれいこうざん)。標高2500mの世界遺産の森に生きる謎の民・ルーモ人の暮らしを半年に渡って記録した▽古代の武器・弩弓(どきゅう)で野生動物を狩り、シャーマンが魔除けの儀式を司る▽祖先は800年前、モンゴルの皇帝を倒して世界の歴史を変えた最強戦士。流浪の旅の果てに辺境の地にたどり着いた▽しかし今、中国政府によって森から立ち退きを命じられ、伝統が消滅の危機に」とある。

 弩弓もルーモ人も初めて聞いた。古い時代の生活そのもので野に住むウサギなどの野生動物を弓を射って仕留め、それを食料にする。体の不調はシャーマンが直す。その際の儀式に豚を供えて「我が一族の前に立ちはだかる病魔を……」と祈りを捧げる。なぜ、こんな秘境にルーモ人は住むのか。800年前、モンゴル帝国のモンケ・ハン第4代皇帝が宋王朝を攻めてきた。モンゴル軍は10万人。対する宗王朝はその10分の1の軍隊で戦った。少数民族を集めた宋王朝が圧勝した。なぜ勝ったのか。少数民族の中にルーモ人がいた可能性があるという。

 中国の古書によると「釣魚城が既に降伏したのならばその罪を許し殺戮を禁じる」とある。フビライ・ハンの時代、ルーモ人は最後まで戦った。が、四川で部隊が敗残になり南下してこの山岳地帯へ連れてきた。そして最後に行きついたのが怒江を渡ってこの地だった。ルーモ人が暮らすキンマ村は宋王朝から2000㎞離れた場所で暮らしている。かつてこの村は中国100名村だった。

 しかし、この美しい村も今は国の政策により集団移住を余儀なくされる。「2020年までに地理的な要因を解消し中国の貧困層を一掃するという政策」だ。新たな村に新たに立つビル群。入居には国から経費は出ず、8000元が必要だ。このお金をどうするか。思案の末、ある人は自分たちで作った木材だけの家屋を解体し、売却して資金を得ようとする。が、金銭を介した生活をしていない人たちだ。買い請け人は家を売る人に言い値の半値(7000元→3500元)に値踏みする。これでは額が少なすぎるので間に仲買人を入れた。さらに解体した木材を下の村まで下すのは自分たちがすると言って6500元で売買が成立。これで何とか移住先に入居できる。

 たとえ入居できてもこれからは野原を駆け回って獲物をとる生活はできない。金銭を得るために働くが彼らにあるのは弓の技術だけ。肉体労働の仕事はない。村を離れる前に最後の猟に出かける。動物のほかに木に潜むハチの巣を見つける。1週間の野宿で3人は40㎏のハチの巣を見つけた。これが高額で取引された。これを機会にハチミツで稼ごうと彼らは考えた。

 原始的な生活から快適な電気・ガス・水道のある生活になった村の人たち。ガスが点くのを見守る目はほほえましい。集団移住後の村は大規模な果樹園になるそうだ。テレビを見ていて村人への有無を言わせぬ国の政策に驚くばかり。10数億の民を動かすにはこれも致し方ないのかもしれない。

 次に見たのは<もういいかい 小椋佳ファイナル~歌作り50年 青春に帰る~>。先日、小椋佳の「山河」が気に入った。その矢先に小椋佳を取り上げた番組があるとは……。この人の一生を垣間見た番組だった。「創造」をキーワードに曲が流れる。歌詞に重点を置いている。ありきたりな歌詞でなく考えに考えた歌詞のようだ。

 「もういいいかい、まあだだよ」と鬼ごっこをして遊ぶ。その鬼が放つ「もういいかい」が最後のステージになった。小椋には病気がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年5月27日木曜日

“元気が出る”スポーツヒューマンドキュメント

 昨夜から降り続いた雨も止みそうだ。夜は久々にカープのナイターがある。カープ選手の新規感染者がこの3日間、出ていないとのことで試合が開催されるようだ。

 先日、BSで衣笠祥雄選手を取り上げたNHK特集が放送された。1985年の番組である。番組タイトルは「NHK特集 17年間休まなかった男~衣笠祥雄の野球人生~」。

 番組HPによると<17年間1試合も休まずプレーを続けてきた男がいる。広島の衣笠祥雄39歳。サラリーマン社会で中年地獄といわれる現代、衣笠は肉体的にも精神的にも更に厳しい世界で働き続けてきた。「40歳限界説」にたち向かう中年選手に密着取材し、「男」衣笠を解剖する。“元気が出る”スポーツヒューマンドキュメント>とある。

 “元気が出る”とあるようにまさにその通りの人間模様だった。が、あいにく衣笠選手はもう今はこの世にいない。肩の骨折をしても翌日から試合に出ている。監督は球がバットに当たればいいと言って試合に出させた。結果は三振。あとで衣笠に聞くと野球をやる限りは試合に出てバットを振りたいと話した。野球選手で試合に出られないほど辛いことはないらしい。

 コロナの影響でカープの1,2軍の試合はすべて中止を余儀なくされた。地元紙によると感染していない選手は間隔をあけて練習しているそうだ。この状況下、これでいいのだろうかと疑問を抱きつつの練習は選手にとっても尋常ではないらしい。が、衣笠選手ではないが、野球選手は皆、野球をやりたいに違いない。

 広島の前日の感染者数は166人。減少傾向にあるとは言いながら1ケタ台までには至らない。今週末には日本画教室がある。この時期、教室に出かけていいものかどうか気になる。この様子だと来月も緊急事態宣言は続きそうだ。いやなことはもう考えまい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月15日月曜日

「シルクロード絶景地帯をゆく」を見る

 一昨日の夜、NHKのBSで<体感!グレートネイチャー SP「シルクロード絶景地帯をゆく」>を見る。シルクロードといえば今から30数年前の喜多郎のシンセサイザーの音で流れる映像を思い出す。まさにそのブームに便乗してシルクロードに出かけた。それ以来、辺境の地にあこがれ、徐々に足を西に伸ばしてエジプトまで行った。だが、今回放送のシルクロードはこれまで出かけたルートより違っていた。

 番組HPによると「イタリア・ローマから奈良に至る、全長1万5千キロのシルクロード。かつて旅人が行き交った東西の回廊は、ヒマラヤ造山運動などによりできたという。東西に延びるいくつもの山脈が誕生、その山肌を縫うように生まれた東西の回廊。そこには息をのむ絶景が広がっている。中国奥地にある七彩丘陵、火焔山から中央アジアの泥火山、神秘の水鏡を生む塩湖。そしてトルコのカッパドキアでは近年発見された地下都市と暗闇教会に出会う」とある。

 まるでこの世のものとは思えないほど美しい光景が映し出される。中国シルクロードの火焔山も映し出されるが、そこは熱砂で自分たちが出かけたのはその山を見て通るだけだった。今回のテレビ・クルーが山に近づいて気温を測ると46度以上で暑さも半端ではない。トルコは以前に出かけてもカッパドキアへは行かずじまい。以前、スリランカの旅で知り合ったお坊さんたちからトルコの旅を誘われた。だが、一度トルコに行ったので行かずに終わった。昨日のテレビを見て一緒に行けばよかったと今になって悔やまれる。

 画像はテレビ画面を写す。

トルクメニスタン 地中からのガスが燃え続ける
カザフスタンの塩湖
カザフスタンの塩の海
トルコのカッパドキア

中国甘粛省の魔鬼城

 番組の最後にナレータは「シルクロード、そこは地球の営みと人間の営みが重なり合ってできた道だったのです」と。場所ごとに専門家がついていた。近年、カッパドキアで発見された暗闇教会。ここはずっと昔はキリスト教徒がイスラムに隠れて住んでいたとか。想像を絶するほど広い地下都市と暗闇教会。いつの日か、エジプトのピラミッドの中を見学したように、この暗闇教会の中を見学するツアーができるかもしれない。

 今はコロナ禍で海外へはどこへも行かれない。「ひらめきノート」に行きたい場所など記すが、それも徐々に増えてゆく。ロマンあふれるシルクロード、もう一度行きたくなる。が、今のこの世界情勢では到底それは望めない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年11月24日火曜日

にっぽん百低山を見る

 NHKのBS、「吉田類のにっぽん百低山」を見る。百名山ならぬ百低山とは、と興味を持って見た。酒場放浪記の吉田類。山登りにも造詣が深く、なかなか味のある番組だった。もしかしてこれくらいの山は登れるかも、と思える山だった。NHKの番組HPによると以下のように書いてある。

<標高329mの千葉・鋸山。東京湾からそそり立つ鋸の歯のような険しい山容からその名がついた。山中に分け入れば、垂直の岩壁がそびえ、とても低山とは思えない不思議な絶景の連続。その風景を生み出していたのは、かつて麓の集落を潤した一大産業だった。「山高きがゆえに貴からず」。低くとも魅力ある低山を、酒場詩人の吉田類さんとゲストの南果歩さんが徹底的に堪能します!>

 低山を登りきったところで話す吉田類。全部を書き留められなかったけどいいことを話していた。「山登りをやっているとネバー・ギブアップ、生きられるんですよ」。

 昨夜は1回目となる放送だった。次回の番組もぜひ見たい。地元の旅行社からなぜか登山のパンフが送付されてくる。何をいまさら登山、と思えるほどの本格的な山行きだ。行きたい気持ちはあっても登れなくては無理。ましてや昨夜の山のような低山でなく高山を登る。たとえ富士山であっても絶対ともいえるほど登れはしない。2千数百メートル以上の高所は高山病にかかってしまう。ということでにっぽん百低山はいい。頂上で飲む吉田類のビールいっぱいは美味しそうだった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月9日水曜日

「時代に翻弄された歌 イムジン河」

  写真をA3サイズに拡大コピーするためにコンビニへ行く。コピー機のプレビュー画面を操作して拡大するのだが、まずは写真サイズからA4に拡大する。230倍で拡大できた。拡大したA4サイズをA3に拡大する。間違って同じく230倍で拡大した。実際はA4→A3は設定画面がある。141倍だった。この230と141、これからも日本画で必要な数字なので覚えておこう。なお、A3サイズはF6に近い大きさでF6サイズの木製パネルに本画を描いている。

 コピー後、店内を見るとマスクがあった。それも日本製のグンゼのマスクだ。2枚入りが数袋ある。1袋を手にするとGunze、日本製が目に付く。国から送られたマスクはどこの製品か知らないがたぶん日本製ではないだろう。グンゼの製品を購入。先日の日本画教室で教室の人からユニクロのマスクを売ってもらった。これもたぶん日本製ではない気がする。

 国から支給のマスク、ユニクロのマスク、そしてコンビニで買ったマスクはいずれも布マスク。布マスクもいいのだが、いずれの布マスクも試しにつけて見ると不織布にはないにおいがある。これもつけているうちになれるのだろうか。

 マスク不足の時、シャープのマスクに勢いがあった。このシャープ製品、いまはどうなっているのだろう。

 話は変わって昨夜のBS、アナザーストーリー。「時代に翻弄された歌 イムジン河」のタイトルで哀愁あるメロディが流れる。番組HPを見ると以下のようだ。

★1968年2月、ザ・フォーク・クルセダーズが歌う「イムジン河」が発売中止となった!北朝鮮で生まれた曲。京都の朝鮮学校で耳にした作詞家の松山猛が作者不詳の朝鮮民謡と思い、日本語の歌詞をつけた。しかし、発売直前に朝鮮総連から抗議が入り、レコード会社が発売中止を決定。それでも歌は枯れることなく、その後、日本、北朝鮮、韓国で数奇な運命をたどることになる。いま明かされる、歌が生んだ数々のドラマ。

 手元にある電子辞書で「イムジン河」を調べると「北朝鮮で作られた歌。…日本でも1960年代に流行した」とある。この歌はよく知っている。ある程度は歌詞もわかる。それも当然、ザ・フォーク・クルセダーズと同時代を生きてきた。3人の仲間のうち北山だけが健在だ。この曲を世に送り出した松山猛は曲のなれそめを話す。当時、日本人学校と朝鮮人学校の交流試合はなかった。松山は朝鮮人学校に試合をしようと話に行くとどこからともなく流れてきたメロディに感銘する。すぐに歌詞が浮かぶ。1番だけの歌詞ではコンサートで歌えない。後日、その曲が知りたくて1番の入ったハングルの歌詞と楽譜を入手。辞書を片手に1番を訳し、2番は自分なりの歌詞をつけた。

 この曲をレコードに、と持ち上がるが録音後にクレームがありレコード化せずに終わる。朝鮮学校の音楽教師はこの曲を次世代の子供たちに受け継ぐ。ある時、北朝鮮でコンサートを、と話が持ち上がる。クラシック風にアレンジしたイムジン河。ピョンヤンとウオムサンのコンサートで、ピョンヤンでの演奏後の反応が鈍かった。なぜ、と思ったら北朝鮮ではこの歌は知られていなかった。だがウオムサンでは日本からの帰国者が日本でこの歌を聞いて知っていた。演奏中、ほとんどの人はこの曲を聴きながら涙する。

 元は北朝鮮の有名な人が作った曲。だが、人々の中から忘れ去られていた。それが日本人の手によって再度息を吹き返す。レコード化に猛反対したイ・チュウウは松山猛にパソコンの画面越しに謝る。イ・チュウウは長く日本や日本人に虐げられていた、と卑下する。ところが日本人である松山猛のイムジン河の歌詞を見て、いままで持っていた日本や日本人のイメージが崩れる。そして、松山の歌を通して日本人の優しさに触れる。イ・チョウウは涙して語り、松山も涙をぬぐって聞いていた。テレビを見る者もみな涙を流していたに違いない。そういう私もこの番組を見て久々に人間らしさを取り戻す。その後、レコード化されなかった幻のこの曲は音源が残っていてレコード化されている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 ブログ投稿後に気づく。北朝鮮に拉致された蓮池薫さんも昨夜の番組に出ていた。拉致される前にイムジン河を日本で聞いて知っていたそうだ。拉致されて後、北朝鮮でこの曲を聞く。そのとき歌詞にあるように鳥になって翼をはばたかせれば日本に飛んで帰れるのに、と不思議な気持ちでイムジン河を聞いたという。

2020年8月19日水曜日

タクラマカン砂漠の卵

 昨夕、これまで何度も放送されたと思われるシルクロード自然編を見る。タクラマカン砂漠をラクダが撮影隊員や機材、そして食料などを積んで運ぶ。ラクダが何十頭も連なって歩くキャラバン隊。気温は今の日本よりも高いだろう。運ぶ荷物の中に食料としてバケツの中に砂を入れて生卵が割れないようにしてある。この卵、キャラバン隊の食料となる。食事の際、砂漠の砂に生卵を入れて放置すると半熟卵(完熟卵かもしれない。はっきり聞こえなかった)になったという。

 これで思い出す。敦煌に鳴沙山がある。この砂漠の山を靴を履いて登るが、細かい砂の上に熱いため足が滑って上に行けない。そのとき添乗員曰く「明日はこの山をはだしで登ります」。そう聞いて、「はだしじゃ熱くてとてもじゃないが登れない」、と思った。あとで添乗員曰く「ラクダに乗ってこの山を通過します」。この時、ツアーの誰かが言った。「ポケットに生卵を入れていたらゆで卵になった!?」。日本に帰国したら皆にそう話そう、と言って笑わせる。

 昨日のテレビにタクラマカン砂漠の砂に生卵を入れるとゆで卵になる場面が放送された。これは理解できる。ポケットの中に入れるとどうなるかわからない。だが、生卵を砂に埋めればゆで卵になる。それくらいシルクロードは遮るものがなくて暑い。

 日本の今はシルクロードに負けずに暑い。こう暑くては旅どころではない。が、こういう番組を見るとコロナ禍など想像もしていなかった30数年前のシルクロードの旅が懐かしい。今も元気なので行こうと思えば再度行かれるかもしれないシルクロード。それよりもコロナで飛行機が飛ばず、外国へはどこへも行かれない。

 国内を見ると昨日のネットニュースでGO  TOキャンペーンの宿での感染が6件報告されている。おとといの札幌✈成田の機内感染などまだまだコロナが危ない。今は禍が過ぎるのをじっと待つ。これに尽きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年11月29日金曜日

「偉人たちの健康診断」正岡子規

 昨夜のNHK・BS「偉人たちの健康診断」は正岡子規を取り上げる。以前にも見たことがあり、昨夜は再放送だった。子規とはホトトギスの漢字表記の一つであり、自らをそう名乗った経緯が自虐的すぎる。若くして結核になり、喀血したことから、「鳴いて血を吐く」と言われているホトトギスと自分を重ね合わせて「子規」を自分の俳号とした。

 番組によると子規は病気にも関わらず「健康」だった可能性が浮上している。この「健康」の定義が世界的に見直されつつあるとか。子規は病に伏して動けなくなると金魚を飼ったりして自分の楽しみを常に見つけていた。人が訪ねてくると面白いことや楽しい話題を口にした。体に良いものを、と果物類は豊富に摂ったという。ミカンであれば1日に15個、リンゴは6個も食べている。またウナギなど好んで食べたそうだ。体が動かなくなると花などを写生する。子規が描いた絵が残っており、まさに写生の絵だ。うまく描いている。

 健康とは病気でないことを言う、とこれまで思っていた。ところが子規の生き方で健康とは人生を楽しんで生きる、楽しみを見つけて生きることと思いが変わってきた。今、病に伏している人であっても、介護される人であっても自分で楽しく生きる人はすべて健康な人らしい。子規亡き後も東京の子規の住まいには訪れる人が絶えない。子規の面倒を見ていた母と姉は子規亡き後、松山に帰らず東京の家を訪れる人たちのために最後まで東京に住み続けた。

 司馬作品を最初に読んだのは『坂の上の雲』。この本は子規と秋山兄弟を中心にした小説で、その後に読んだ子規に関する本は『ひとびとの足音』。子規の周りにいたひとびとのその後を描いている。正岡家を継いだ人たちだ。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!そう、子規を見習って「楽しく」過ごしましょう!