新聞、テレビ、ネットニュースなどを見ていて賑わす話題はコロナウイルスばかり。ゆっくりした生活リズムの中でも何となく落ち着かない日々を過ごしている。今朝見た石丸謙二郎のブログの最後に「明日、仕事があろうが無かろうが、一喜一憂しない人間がココにいるのです」とある。この「一喜一憂しない人間がココにいるのです」、これはいい。すぐに一喜一憂してしまう人間としては大いに見習わないといけない。
以下は以前、読んだ『やわらかく、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2019年)から3か所を抜粋したもの。「辞書を読む」とまではいかないが手元には常に辞書がある。よく使うのは電子辞書。これは本当に優れモノで何から何まで掲載されている。紙の辞書は最近、中国語を調べる際、手元に置いている。手元に置くといっても分厚い辞書なので重たくて必要の都度、調べる。
最後に挙げた「人生は短い」は、そう感じる。特に親が健在だったころは今ほど思ったことがなかった。親がいなくなるとなぜか「人生は短い」と感じる。両親と30歳離れているので、亡くなっても30年は大丈夫と勝手な判断をしていた。ところが母が亡くなって9年も過ぎると後がだんだん短くなっていく。「人生は短い」からこそ一喜一憂しないでやりたいことをやって楽しく過ごしたいものである。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★辞書を読むのには旅の道行きの愉しさがある。……旅行好きの人なら辞書を読むのも好きになれる。096p
★読書が人間形成に不可欠であるのは、知らないことを自分のものにすることができるからではないか。102p
★人生は短い。……風のように読めばたくさんの本を見ることができる”。そのどこかに、自分の持っている波長とあうものひそんでいるかもしれない。風のように、さらりと読んでいても、自分の波長にあったメッセージに出会えば、”共鳴”という発見がある。
そういう読書によって、人間は変身、進化する。166p
2020年3月25日水曜日
2020年2月28日金曜日
「生きているということは”動いている”ことである」
新型肺炎騒動はついに小・中・高校が前倒しの春休みに突入するようだ。昨夕、広響からのメールによると近いうち開催予定のタウンオーケストラ2件は中止、とある。また来月初旬に開催予定の定演はただいま考慮中らしい。定演の会員になっている。これはその都度チケットを購入するのでなく年間パス。チケット購入者もいるかもしれない。多分、定演は延期になるだろう。
世の中がウイルス騒動の渦に巻き込まれている。かなり気持ちをしっかり持たないと病気でないものまでが病気になりそうだ。こういうご時世、おのずと動きが鈍る。今日予定されていた講演会も中止になった。プールに行く予定が行かずに終わった。気持ちが乗らないとケガの元になる。
動きが鈍ると体に悪い。「人間も、生きているのは、動いているからである。動くことをやめれば、活力を失う道理である」(055p)。これは今読んでいる外山滋比古の『やわらかく、考える』(PHP研究所、2019年)から。外山はいう。「生きているということは”動いている”ことである」と。
それでなくても寒い季節は動きが鈍る。今年は雪を全く見ない。そのためかダウンジャケットも薄手のジャケットしか着ていない。家の付近をチョロチョロするときはダウンも着ずに、パーカーを着て自転車に乗る。かなり身軽な格好の割には動きが鈍い。とはいっても毎日自転車で近場をうろつく。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
世の中がウイルス騒動の渦に巻き込まれている。かなり気持ちをしっかり持たないと病気でないものまでが病気になりそうだ。こういうご時世、おのずと動きが鈍る。今日予定されていた講演会も中止になった。プールに行く予定が行かずに終わった。気持ちが乗らないとケガの元になる。
動きが鈍ると体に悪い。「人間も、生きているのは、動いているからである。動くことをやめれば、活力を失う道理である」(055p)。これは今読んでいる外山滋比古の『やわらかく、考える』(PHP研究所、2019年)から。外山はいう。「生きているということは”動いている”ことである」と。
それでなくても寒い季節は動きが鈍る。今年は雪を全く見ない。そのためかダウンジャケットも薄手のジャケットしか着ていない。家の付近をチョロチョロするときはダウンも着ずに、パーカーを着て自転車に乗る。かなり身軽な格好の割には動きが鈍い。とはいっても毎日自転車で近場をうろつく。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2019年12月21日土曜日
『こうやって、考える』
年の瀬も迫って、これから本格的な冬になる!?楽な生活をしていると体によくないと思いながらもぬるま湯から抜け出せないでいる。この状況を顧みると親が生きている間に、娘のためにと思ってやってくれたことのお陰だろう。そう思うと親より勝るものはない。また、何があっても見守ってくれているようでありがたい。この一言に尽きる。なぜそう思う!?先日来から読んでいる澤地久枝の本に感化されたのかもしれない。
『こうやって、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2017年第1班第2刷)を読んだ。この本は著者の作品を編集者が1冊にまとめて本にしている。これは先日読んだ澤地の場合と同じ手法。以下はまた、いつもの如く気になる箇所をまとめたもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★「雑は純一よりも豊か」
学者だけでなく、一業に徹する人は傍から見ると、どこかおかしい。役者バカがあり、”先生といわれるほどのバカ”が多くなる。純粋すぎるのは考えもので、多少、不純なところに人間味がある。清濁併せ呑む人間が大きくなる。二股かけるのは不純ではない。ときどきわき道へそれるのは、人生を豊かにする。純はよく、雑はいただけない、われわれはそう思い込まされてきたが、逆に、雑は純一よりも、豊かなのである。『エスカレータ人間』(058p)
★「レム睡眠を活かす」
翌朝になってから日記をつける方がよい。一晩寝ているうちに、頭の中の整理ができる。レム睡眠という眠りがあって、頭はその間に働いて、それまで頭に入ってきた、もろもろの知識、情報、刺戟などがここで分別される。保存すべきものと、そうでなく処分した方がよいものとに分け、大切でないものを忘れる。レム睡眠は一夜の中で何度もおこるから、整理はかなり入念に行われることになる。朝目覚めたとき頭がすっきりしている感じになっているのは自然である。『「マイナス」のプラス』(065p)
『こうやって、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2017年第1班第2刷)を読んだ。この本は著者の作品を編集者が1冊にまとめて本にしている。これは先日読んだ澤地の場合と同じ手法。以下はまた、いつもの如く気になる箇所をまとめたもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★「雑は純一よりも豊か」
学者だけでなく、一業に徹する人は傍から見ると、どこかおかしい。役者バカがあり、”先生といわれるほどのバカ”が多くなる。純粋すぎるのは考えもので、多少、不純なところに人間味がある。清濁併せ呑む人間が大きくなる。二股かけるのは不純ではない。ときどきわき道へそれるのは、人生を豊かにする。純はよく、雑はいただけない、われわれはそう思い込まされてきたが、逆に、雑は純一よりも、豊かなのである。『エスカレータ人間』(058p)
★「レム睡眠を活かす」
翌朝になってから日記をつける方がよい。一晩寝ているうちに、頭の中の整理ができる。レム睡眠という眠りがあって、頭はその間に働いて、それまで頭に入ってきた、もろもろの知識、情報、刺戟などがここで分別される。保存すべきものと、そうでなく処分した方がよいものとに分け、大切でないものを忘れる。レム睡眠は一夜の中で何度もおこるから、整理はかなり入念に行われることになる。朝目覚めたとき頭がすっきりしている感じになっているのは自然である。『「マイナス」のプラス』(065p)
2019年5月14日火曜日
「老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ」
先日のネットに外山滋比古の記事がある。それは「老いて学ぶ晩学をバカにする人は大バカだ」。この人の著書はよく読む。以下は記事の抜粋。特に2番目の「何歳になっても、とにかく自分の心が動いたもの、新しいものに挑戦してみる。……」がいい。外山滋比古の本を読んで「セレンディピティ」を知った。これがそのまま当てはまりそうだ。
そして佐藤一斎の言葉。この人を知ったのは勤めていた会社の社長から送信されるFAXによる。当時はネット時代でなく、東京から地方の営業所へは読むべき本をFAXで送信された。一斎の著書を話題にしたFAXもあり、当時は「何を?」と思って素直にはなれなかった。だが、すこしは引っかかるものがあったのか、一斎は覚えている。
他にも「同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。……」、これもそう感じる。会社に勤めていた頃の人たちよりも他で出会う人の方がよほど新鮮味があって楽しい。これは旅にも当てはまる。知らない人たちばかりでも、いつの間にか気の合う人ができている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★幸か不幸か、100歳くらいまで続くかもしれない人生の生きがいや、楽しく前向きに生きるための哲学・思想は結局のところ、各自が見つけないといけない。
★何歳になっても、とにかく自分の心が動いたもの、新しいものに挑戦してみる。純な気持ち、初心でやってみる。うまくできないかもしれない。失敗するかもしれない。でも、それでいいんです。もがきながらも、先に進めば、精神的に充実し、人生に光が射してくることもある。
★江戸時代の儒学者・佐藤一斎が残した『老いて学べば、即ち死して朽ちず』という言葉がありますが、まさにこれです。
★同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。異業種出身なら会話の中に刺激や新しい発見もある。そうした時間が、知的に老いるためには必要です。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190509-00028293-president-life
そして佐藤一斎の言葉。この人を知ったのは勤めていた会社の社長から送信されるFAXによる。当時はネット時代でなく、東京から地方の営業所へは読むべき本をFAXで送信された。一斎の著書を話題にしたFAXもあり、当時は「何を?」と思って素直にはなれなかった。だが、すこしは引っかかるものがあったのか、一斎は覚えている。
他にも「同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。……」、これもそう感じる。会社に勤めていた頃の人たちよりも他で出会う人の方がよほど新鮮味があって楽しい。これは旅にも当てはまる。知らない人たちばかりでも、いつの間にか気の合う人ができている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★幸か不幸か、100歳くらいまで続くかもしれない人生の生きがいや、楽しく前向きに生きるための哲学・思想は結局のところ、各自が見つけないといけない。
★何歳になっても、とにかく自分の心が動いたもの、新しいものに挑戦してみる。純な気持ち、初心でやってみる。うまくできないかもしれない。失敗するかもしれない。でも、それでいいんです。もがきながらも、先に進めば、精神的に充実し、人生に光が射してくることもある。
★江戸時代の儒学者・佐藤一斎が残した『老いて学べば、即ち死して朽ちず』という言葉がありますが、まさにこれです。
★同じ業種の人と集まって喋ったって、全然面白くない。異業種出身なら会話の中に刺激や新しい発見もある。そうした時間が、知的に老いるためには必要です。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190509-00028293-president-life
2018年8月30日木曜日
『山寺清朝』&『孔子』を読む
『山寺清朝』(外山滋比古 2017年、展望社)、サブタイトルは「外山滋比古エッセイ集」を読んだ。以下は気になる個所から。
★毎年花はつけるが実がならない。昔の人が、浜風三里、と言った。みかんの適地のことである。地図をひっ張り出して、はかってみると、東京湾の北限とうちの当たりまでの距離は10キロ弱である。浜風三里(十二キロ)の範囲内である。うまく育つかもしれないと希望をいだく。59p
ミカン類が実るのは浜風三里とはこの本で初めて知る。母が米寿の時、母の孫は母の娘である姉と私の家にレモンの木をお祝いにくれた。これを土に戻して8年後にレモンが1,2個実をつけた。ところが姉の家は市内北部にあり、1個も実らず、寒さで枯れた、と思った。この本に由るとそうではなく、浜風三里の地に植えてないのが原因のようだ。そういえば瀬戸内海の島々はミカンの産地。温暖な気候でしかも浜風がしっかりあたる地域にある。
★ひところインドのカレー料理をおいしいと思って、名店へ通ったこともあるが、やはりあきる。ゲルマン系諸国には料理といえるものなし、スラブも問題外、ときめて日本の家庭料理を見直すようになる。67p
いろんな国へ出かけて各国の料理を口にする。確かにゲルマン系諸国もスラブも美味しいと思って食べたことがない。特にと国名をあげようとするがそれは失礼なのでやめよう。食に関しては日本に勝るものなし、そう言えそうだ。
昨日やっと井上靖の『孔子』を読み終える。1冊の本を読むのに何百回かそれ以上も電子辞書の手書き入力で文字を調べた。読み終えた後の爽快感。大きな何かをやり遂げた気がする。買ってそのままにしていた本を何十年ぶりで読んだ。昨夜、この本のレヴューをネットで探していると井上靖の『孔子』に関する動画があった。みじかい動画であっても『孔子』にかける思いが伝わってくる。
確か、会社をリタイアしたころ、今から16年前のことになるだろう。パキスタンの旅で知り合った米子の人の車で鳥取県米子市にある井上靖記念館に連れて行ったもらったことがある。海外に行き始めて、それもシルクロードに出かけて以降、井上靖の本を読み始めた。その時、井上靖のことを友だちに話したのだろう。記念館に連れて行ってもらえたことは本当によかった。『孔子』を読み終えて次はモンゴルの本を読むつもり。エッセイ類をよく読む。時にこういった難しい本を読むのも頭の体操になるかもしれない。
そういえば『孔子』の付録に小さな冊子がついている。それには井上靖が『孔子』執筆前にその取材を兼ねて何度も中国に行かれた時のことが書いてある。特に孔子の生きていた時代の楚の国の負函の街に感慨深げに佇む筆者の姿を見て感動する。今の信陽らしい。そこは今は一面の大平原になっている。私もこの地に立ってみたい。どういっても井上靖は『孔子』執筆までに20年の歳月をかけて構想を練った。『孔子』は井上靖の絶筆である。
また冊子に書いてあるその当時の井上靖の紀行文。この紀行文の書き方にも惹かれる。これから海外や国内の旅に出かけた後の旅の記録は井上靖の書き方を真似しよう。とはいっても簡単なことではない!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★毎年花はつけるが実がならない。昔の人が、浜風三里、と言った。みかんの適地のことである。地図をひっ張り出して、はかってみると、東京湾の北限とうちの当たりまでの距離は10キロ弱である。浜風三里(十二キロ)の範囲内である。うまく育つかもしれないと希望をいだく。59p
ミカン類が実るのは浜風三里とはこの本で初めて知る。母が米寿の時、母の孫は母の娘である姉と私の家にレモンの木をお祝いにくれた。これを土に戻して8年後にレモンが1,2個実をつけた。ところが姉の家は市内北部にあり、1個も実らず、寒さで枯れた、と思った。この本に由るとそうではなく、浜風三里の地に植えてないのが原因のようだ。そういえば瀬戸内海の島々はミカンの産地。温暖な気候でしかも浜風がしっかりあたる地域にある。
★ひところインドのカレー料理をおいしいと思って、名店へ通ったこともあるが、やはりあきる。ゲルマン系諸国には料理といえるものなし、スラブも問題外、ときめて日本の家庭料理を見直すようになる。67p
いろんな国へ出かけて各国の料理を口にする。確かにゲルマン系諸国もスラブも美味しいと思って食べたことがない。特にと国名をあげようとするがそれは失礼なのでやめよう。食に関しては日本に勝るものなし、そう言えそうだ。
昨日やっと井上靖の『孔子』を読み終える。1冊の本を読むのに何百回かそれ以上も電子辞書の手書き入力で文字を調べた。読み終えた後の爽快感。大きな何かをやり遂げた気がする。買ってそのままにしていた本を何十年ぶりで読んだ。昨夜、この本のレヴューをネットで探していると井上靖の『孔子』に関する動画があった。みじかい動画であっても『孔子』にかける思いが伝わってくる。
確か、会社をリタイアしたころ、今から16年前のことになるだろう。パキスタンの旅で知り合った米子の人の車で鳥取県米子市にある井上靖記念館に連れて行ったもらったことがある。海外に行き始めて、それもシルクロードに出かけて以降、井上靖の本を読み始めた。その時、井上靖のことを友だちに話したのだろう。記念館に連れて行ってもらえたことは本当によかった。『孔子』を読み終えて次はモンゴルの本を読むつもり。エッセイ類をよく読む。時にこういった難しい本を読むのも頭の体操になるかもしれない。
そういえば『孔子』の付録に小さな冊子がついている。それには井上靖が『孔子』執筆前にその取材を兼ねて何度も中国に行かれた時のことが書いてある。特に孔子の生きていた時代の楚の国の負函の街に感慨深げに佇む筆者の姿を見て感動する。今の信陽らしい。そこは今は一面の大平原になっている。私もこの地に立ってみたい。どういっても井上靖は『孔子』執筆までに20年の歳月をかけて構想を練った。『孔子』は井上靖の絶筆である。
また冊子に書いてあるその当時の井上靖の紀行文。この紀行文の書き方にも惹かれる。これから海外や国内の旅に出かけた後の旅の記録は井上靖の書き方を真似しよう。とはいっても簡単なことではない!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2017年3月31日金曜日
『「長生き」に負けない生き方』
今日からプロ野球開幕という日に朝から大雨が降り続く。午後6時の試合開始までに雨はやむのだろうか。おまけに今日は時間が経つにつれて気温も下がり始めるらしい。たとえ雨が上がったとしても真冬並みの8度の予想気温。試合をやるのも見るのも大変だ。
以下は以前に読んだ本からの抜粋。元気で長生きされた人の言葉には重みがある。先日読んだ山折哲雄とこの本の著者の外山滋比古の生き方の底辺が似ている。どちらも年老いての自立がある。この人たちを見倣って元気に生きる!?それにしても、ここにあげたいずれの文も今を生きる老人にとって何と励みになることだろう。見倣いたい!
『「長生き」に負けない生き方』(外山滋比古 講談社、2016年)から。とくに最後にあげた一文、「いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。」は確かにその通り!
★悪玉の長生きなど相手にしない。やってきそうになったら、寝たきりやボケにならないうちに、追い返してしまう。ある朝、起きてこないから、見に行ったら、冷たくなっていた、というのが最高である。それが長生きに負けなかった人生である。われわれのほとんどが、心掛け次第で、そういう最期を迎えることができるように思われる。老人よ大志を抱け!8p
★これからの老人は、新しいモラルによって、われわれの先に人なく、わがあとに人なし、ひとりわが道を行く。一代限り、前世のことはわからないし、死後のこともわからない。それでよい。子のためにのみ生きるのは正しくない。すくなくとも美しくない。美しくないことは、たいてい、天の理に照らして考えると歪んでいる。25p
★好きなことは、人の迷惑にならない限り、なんでもする。…その先のことを考えたりするのは、いくらヒマでも、時間の浪費である。目の前までは、力いっぱい生きていくが、先の先を考えてもしかたがない。25p
★独立独尊、自助の精神で生きれば、まわりはおのずと道をあけて、通してくれるだろう。そういう楽天主義でいけば、老後もおそれるに足りない。26p
★友を選ぶのに、切磋琢磨の相手を求めるのはごく若いうちのこと。一人前の人間になったらケチをつけるような人間は一人でもすくないほうがいい。そして、すくなくとも一人、できれば二人、褒めてくれる人がほしい。なかなか得られないが、もし見つかったら、人生の幸運と思ってよい。適当にはげましてくれる人がいれば、老いの細道、またたのしい。213p
★いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。221p
以下は以前に読んだ本からの抜粋。元気で長生きされた人の言葉には重みがある。先日読んだ山折哲雄とこの本の著者の外山滋比古の生き方の底辺が似ている。どちらも年老いての自立がある。この人たちを見倣って元気に生きる!?それにしても、ここにあげたいずれの文も今を生きる老人にとって何と励みになることだろう。見倣いたい!
『「長生き」に負けない生き方』(外山滋比古 講談社、2016年)から。とくに最後にあげた一文、「いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。」は確かにその通り!
★悪玉の長生きなど相手にしない。やってきそうになったら、寝たきりやボケにならないうちに、追い返してしまう。ある朝、起きてこないから、見に行ったら、冷たくなっていた、というのが最高である。それが長生きに負けなかった人生である。われわれのほとんどが、心掛け次第で、そういう最期を迎えることができるように思われる。老人よ大志を抱け!8p
★これからの老人は、新しいモラルによって、われわれの先に人なく、わがあとに人なし、ひとりわが道を行く。一代限り、前世のことはわからないし、死後のこともわからない。それでよい。子のためにのみ生きるのは正しくない。すくなくとも美しくない。美しくないことは、たいてい、天の理に照らして考えると歪んでいる。25p
★好きなことは、人の迷惑にならない限り、なんでもする。…その先のことを考えたりするのは、いくらヒマでも、時間の浪費である。目の前までは、力いっぱい生きていくが、先の先を考えてもしかたがない。25p
★独立独尊、自助の精神で生きれば、まわりはおのずと道をあけて、通してくれるだろう。そういう楽天主義でいけば、老後もおそれるに足りない。26p
★友を選ぶのに、切磋琢磨の相手を求めるのはごく若いうちのこと。一人前の人間になったらケチをつけるような人間は一人でもすくないほうがいい。そして、すくなくとも一人、できれば二人、褒めてくれる人がほしい。なかなか得られないが、もし見つかったら、人生の幸運と思ってよい。適当にはげましてくれる人がいれば、老いの細道、またたのしい。213p
★いっしょうけんめい、動いて、なにかをしていれば、悪玉の長生きにとりつかれることなく、全力を出して生きていれば、いつしか悪玉長生きを尻目に、われを忘れ、老いを忘れることができるかもしれない。221p
2016年8月28日日曜日
もみ紙に描く
今朝の地元紙「読書」欄は外山滋比古、93歳のご登場。この人のエッセイはほとんど読んでいる。今回は『消えるコトバ、消えないコトバ』(PHP研究所)。一日に3千文字を書くことを日課としておられる。立身出世につながる留学の道が開けていた。それにもかかわらずアウトサイダーとして距離を置いてこそできる仕事があると行かず仕舞い。この本では物事を客観的に見る事を伝えたいようだ。この本を読もう!
話は変わって昨日の日本画。作品展に出す予定の絵を大事にして我が家に持ち帰る。自分で眺める分にはうまく描いている、と自己満足の世界。いつも自分を卑下するばかりでなく、たまには満足感も必要?
次に描くはだいぶ前にもみ紙にしたもの。机の上に置かずホワイトボードにつるされた小枝に着いた柿の実。それまではモチーフを目に近づけて描いていた。目から離して始めてデッサンした作品。すでに地塗りも済ませている。これを本画にしていく。
相変わらず、描く手順がわからない。まずは柿の色に近い水干絵具をにかわで溶く。この絵の具、死ぬまで使ってもまだ余るくらいの量がある。長年習われている人は岩絵の具を使用されている。そういえば岩絵の具は先週初めて樹木の幹の色付けで教室のものを使った。両絵の具の使用具合はよくわからない。岩絵の具は高価なのか、先週も先生から溶かした絵具がなくなるまで使うように説得される。ともあれ、今は言われるままに描くだけ。それでもちょっとずつ描く楽しさが出てくる。
今朝は台風の影響なのかかなり涼しい。お昼には雨が降る予想。雨になる前に自転車に乗って買い物に行こう。今日も元気で!
話は変わって昨日の日本画。作品展に出す予定の絵を大事にして我が家に持ち帰る。自分で眺める分にはうまく描いている、と自己満足の世界。いつも自分を卑下するばかりでなく、たまには満足感も必要?
次に描くはだいぶ前にもみ紙にしたもの。机の上に置かずホワイトボードにつるされた小枝に着いた柿の実。それまではモチーフを目に近づけて描いていた。目から離して始めてデッサンした作品。すでに地塗りも済ませている。これを本画にしていく。
相変わらず、描く手順がわからない。まずは柿の色に近い水干絵具をにかわで溶く。この絵の具、死ぬまで使ってもまだ余るくらいの量がある。長年習われている人は岩絵の具を使用されている。そういえば岩絵の具は先週初めて樹木の幹の色付けで教室のものを使った。両絵の具の使用具合はよくわからない。岩絵の具は高価なのか、先週も先生から溶かした絵具がなくなるまで使うように説得される。ともあれ、今は言われるままに描くだけ。それでもちょっとずつ描く楽しさが出てくる。
今朝は台風の影響なのかかなり涼しい。お昼には雨が降る予想。雨になる前に自転車に乗って買い物に行こう。今日も元気で!
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