しばらくそのままにしていたアルバム整理。久しぶりに2階にほったらかしにしている中国シルクロードのアルバムを整理する。1987年8月の旅で32年前のことになる。写真を見て自分の髪の長さに驚く。当時は結ぶほど髪が長い。一番楽しかった旅は?と自問自答する。どの旅も楽しい旅に違いない。だが、このシルクロードの旅は旅の終わった後も各地で会ったり、遊んだり、と今でも連絡を取り合っている。とはいえ、旅の参加者のうち数人はもうこの世で会えない。ある人は旅のビデオやシルクロードのビデオ全巻送ってくださった。またある人は阿蘇山で馬に乗せてもらったり、博多で会ったり、広島へも来られた。ほかにも現地で30万円もする大きな硯を買った3人組の人と会ったりした。今ではそのうちの1人だけ連絡がある。
今思えば当時はバブル時期!?皆、勢いがあった。そういう自分自身もその前年に初めて海外に出かけて3回目の旅となり、まだまだ何に対しても勢いがあった。当時も今も記録に収めるのが趣味なのか、まめに旅のメモをしている。旅行社からの注意事項も保管しており、それを見ると「健康にご注意ください」として、「かなりの強行軍ですので、健康には充分ご注意下さい。暑さとなれない食物のせいでおなかをこわしたり、寒暖の差が激しい為、風邪をひいたりします。あまり欲ばらずに、休養をとることが肝心です」とある。このなかの「あまり欲ばらずに、休養をとる」は何処に出かけても気を付けている。特に食べ物を欲ばって食べてはいけない。そのせいか、体を壊すことはこれまでの旅ではなかった。ただ、高山病だけはどうにもならない。
「敦煌・ウルムチ・トルファン・シルクロードの旅8日間」の旅の記念にわかる範囲でここに記そう。
第一日目 1987年8月11日
福岡発16時25分の予定が16時45分離陸で早くも初日から遅れ発生。このお詫びに空港利用券500円もらった、とメモしている✈上海着19時 上海国際飯店泊。
第二日目 1987年8月12日
上海発✈蘭州 白頭山観光。
朝5時40分起床してホテル前の人民公園を散策。蘭州飯店泊。ホテルのお風呂の湯が出ない。書店を探して歩いたり、現地の人と中国語でしゃべる。2日目と言うのにトランプ、パンダの櫛、たばこ(お土産用)、お茶(15個購入とある)、地図。
第三日目 1987年8月13日
蘭州11時40分離陸は3時間20分遅れて離陸✈敦煌 敦煌月牙泉観光
月牙泉には柵がなく、自由に出入りした。小さい魚も泳いでいた。今は柵が張り巡らされている。このそばに鳴沙山があり、山に登るが砂丘の山で靴を履いていてもやけどをしそうになる。誰も登り切れず、あとで添乗員からここはラクダに乗って移動すると聞いてホッとする。初めてラクダに乗った。ラクダに乗った写真を見ると怖かったのかラクダにへばりついて乗っている。
この日の買い物は切手10枚、扇子10本、本(辞書を含む)4冊、香1個。
第四日目 1987年8月14日
午前 敦煌観光後、バスにて柳園へ(128㎞、3時間)
敦煌莫高窟NO 45番を特別見学と記している。ツアーの中に敦煌に詳しい人がいて45窟見学を特別にお願いする。
本1冊と夜光杯1個購入。夜光杯は60元。
夜、柳園21時発🚝トルファン9時着 コンバートメントの列車の間、目に入るのはすべて砂漠。車中泊。
第五日目 1987年8月15日
騾馬に3人でバザールまで乗る(10元)。絹ネッカチーフ5枚購入。今でも重宝している。
交河古城、天山山脈の雪解け水、高昌古城、アスターナ古墳見学。夜はウイグル族の踊りをぶどう棚の下で見る。この時、日本の「敦煌」撮影クルーと一緒に見る。しっかり一緒に写真に写った。
第六日目 1987年8月16日
トルファン🚌ウルムチ 183㎞を4時間バスに揺られて到着。途中、天山山脈の雪解け水を見るために下車。紅山、自由市場、友諠商店に出かける。夜11時まで明るかった。夜は四国の3人組の部屋でツアーの人が集まり夜12時まで祝杯をあげる。ここまで来て天池に行けなかった悔しさが残る(ツアーに入ってなかった)。
この日の買い物はテーブルクロス3セット。これを買っても家で使わず仕舞。
第七日目 1987年8月17日
ウルムチ市内見学。
ウルムチ発✈上海 約4時間で到着後、雑技団や上海市内見学。
上海でいろいろとお土産を買う。上海泊。
第八日目 1987年8月18日
上海豫園見学。
上海13時50分発✈福岡15時35分着。
32年前の旅をメモと日程表でなつかしく振り返る。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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