2019年12月2日月曜日

某文化交流会忘年会

 某文化交流会の忘年会に出かける。その前に「風雅なwho?がな山水画展」~旧派の逆襲~を見に頼山陽史跡資料館に立ち寄る。入館時刻も迫っている割には館内がにぎやかだ。なぜ?と思ったら茶会が終わったばかりだった。今年になって2度ほどここを訪ねる。明治時代になって日本の伝統的な技法による絵画は「日本画」と言われるようになる。しかし、それまでの画題や画技に立脚した作品を描き続ける画家たちは「旧派」と目された。

 今は日本画を習っているが、若いころ1年だけ水墨画を習ったことがある。山水画とまではいかないがそれに近いとこまで学んだ。その時のカルチャーセンターで学んだ人が今、本展覧会の監修者や解説者となっている。

 山水画を見終えると、歩いて紙屋町まで行く。忘年会と新年早々に出かける海外旅行の説明会を兼ねた会合が始まる。出席者の大半は年明けの旅に参加される。ただ、毎年、旅に参加された夫婦1組は先日、身内に不幸があり参加されないそうだ。これは残念だが、この御夫妻と親しい人が参加を説得されるらしい。この会から海外に出かけるようになって6年くらい経つ。毎回楽しい旅なので、また、一緒に行けるのはうれしい。ただ、今回、体調不良で旅に参加されない人もいる。会長は次回は元気を取り戻して、中国四川省に行きたい、と話される。これは皆も賛成で会長の体調回復を願って拍手する。

 中国といえば会の人から来年の中国辺境地域の旅に誘われる。その人はオリエントに興味があり、それに関連する岡山の某会に入っているという。そこから旅をするらしくその参加の誘いだった。自分も老いていき、辺境の地へのあこがれが次第に遠のいていく。参加の有無は告げなかった。

 年明けに出かける国は20年くらい前に行っている。出かけるのは2度目となる国だが、20年も経てば初めて行く国と同じかもしれない。

 宴はバイキングなので途中、席を立つと違うテーブルの人から「無花果の巨木は何処の国」かを聞かれる。「ええっ、もしかして日本画作品展を見に来てくださった?」と瞬間、頭をかすめる。会が始まる前、絵を見に来てくれた人に絵の絵ハガキを渡した。それを見た人からどこの国の無花果なのかを問われる。

 席が近い人は耳が聞こえにくいらしく、それが話題に上がる。自身の耳の聞こえる程度を右は0.00、左は0.6と話される。そう聞いて、こういう言い方で耳の聞こえる程度を表現するんだ、と真面目に聞いた。眼科は毎月出かけても他の診療科はあまり用がない。最近はこんな言い方をするとびっくりして聞いていると、それは視力の言い方をまねた表現だった。この会話を聞いていた人は笑いに包まれる。

 会が終わり、数人でカフェに行くと会長ほか2名が先客だった。皆、アルコールも入っており、まるで旅に出かけている感覚になる。司馬作品にハマっていると告げると会長から中年男性が読む作品といって笑いものになる。司馬作品は老婆でなく中年男性が読むものか、そうかと改めて気づく。ただ、ずっと社会に出て働らいて半分おじさん化しているものとしては、中年男性がハマる、と聞いて妙に納得する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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