2019年11月25日月曜日

「天皇が創った至宝」を見る

 先日のテレビで「天皇が創った至宝~正倉院宝物が伝える“日本誕生”~」を見る。あちこち遊びに出かけても未だに正倉院展を見たことがない。 番組HPによると以下のようにある。

★今年10月、新天皇即位を記念し、天皇家が守り続けてきた「正倉院宝物」が公開される。1300年という世界にもまれな悠久の時間を超えて残された宝物の数々。シルクロードを経て日本にもたらされたと考えられてきたが、最近の研究で、その多くが日本国内で作られたことが明らかになってきた。
 番組では、宝物を超高精細8Kカメラで撮影。すると、宝物に残された製作工程を示す痕跡を、初めて映像でとらえることに成功した。そこから浮かび上がってきたのは、日本で宝物を作る一大国家プロジェクトの存在。推し進めたのは、奈良の大仏を建立した聖武天皇である。当時、日本は、巨大帝国・唐に対抗すべく、新しい国づくりを進めていた混迷の時期。宝物の国産化は、日本を生まれ変わらせようとする聖武天皇にとって、乾坤一擲の秘策だったことが見えてきた。
 “ものづくり日本”の原点ともいえる1300年前のプロジェクトを、正倉院宝物から解き明かす歴史ミステリー。東京国立博物館と奈良国立博物館での特別展開催に合わせ、至宝の魅力をあますところなく伝える。

 聖武天皇の時代、宝物は権力の象徴だった。聖武天皇は唐の宝物を見て不思議な力があると気づく。日本の宝物をつくろうとした聖武天皇。日本と称する前は倭国。倭国の奈良時代、大王から天皇と称した聖武天皇は権威を強化し始める。唐のような宝物をつくるための内匠寮(たくみりょう)を組織し、宝物の力を利用して日本の国づくりを始めた。

 正倉院にある9000点の宝物のうち9割以上は日本でつくられたことが最近の調査で判明する。聖武天皇37歳の時、疫病が流行る。国を安定させるために仏教の力を借りようと思いつき、宝物として大きな仏像を東大寺に建立する。大仏完成の儀式には全国から1万人を集めて礼楽(礼儀と音楽)が催された。そのための楽器がつくられ、宝物の音色を奏でる。752年、聖武天皇は上皇になった。この儀式は天皇のつくった至宝である宝物の力で日本をまとめることができた。この時つくられた宝物が正倉院内に収められ、正倉院宝物の始まりとなる。

 正倉院展には一度も出かけたことがない。この番組を通して知らないことがわかると興味も増していく。今はまだ近代に目覚めたばかりで、遠い先の時代もこれから徐々に関心を抱くようにしよう。それには一度くらい正倉院展を見に行ってもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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