2019年12月22日日曜日

「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」&日本画教室

 今、図書館に並んでいる「文藝春秋」に「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」の記事がある。塩野七生と医師の新見正則の対談でサブタイトルとして「健康のためなら死んでもいい!?」とある。

 記事を読むと新見は「健康」を「歩けて、美味しく食べられて、眠れて、お通じが出て、『今日も健康だ』と思えればそれで健康なんです」という。これを読んで「まともな医師だ」と思って次も読む。以下はその一部を抜粋。

塩野「私は、病院に行くのが大嫌いで、まず行かない」。

新見「必要でなければ行かなくていいんです。むしろ医者からは、微妙に遠ざかった  方がいい。『微妙に』というのは必要な時には行った方がいいからです」。

塩野「健康診断とか人間ドックは、やはり受けるべき?」。

新見「受けなくていいと思います。今、八〇歳、九〇歳の多くは、人間ドックなんて行っていない。病院は調子が悪い時に行けばいいだけの話なんです。調子がいい時は行かない方がいい。余計な検査や治療をされるからです」。

塩野「あんた達が不幸なのはあんた達の信仰が足りないから」と。

新見「それも今日の医療と全く同じじゃないですか?ですから、気軽に生きるのが一番健康なんです。仕事だったり、家庭だったり、何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」。

新見「”一点主義”に陥らないバランス感覚こそ健康の秘訣です」。

 読んでいて近藤誠の考えと似ていると感じた。今はほとんど医者とは無縁の生活。いつまでもこれが続くといい。健康に生きるには「何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」がある。昨日は日本画教室。習い物としては今年最後の教室になる。年末とあって個人的な用件で教室に来れない人が2人いた。

 釧路湿原を描いている。もう少しで絵が完成しそうだ。先生は出来上がりつつある絵の上に水を浸した太い筆でサーっと筆を運ばれる。ああ、なんということ、と思わず声が出そうになる。絵の完成まじかになるとよくそのようにされる。何か意味があるのだろう。

 次回の教室は3週間後になる。教室が終わるとカフェで一休み。教室の人から帰り際、「描く絵がさみしい画」といわれる。そして来年は明るい絵を描くようにと。これもまあ、寂しい人間が描くのだからそれもそうかも、と思ったり。人が絵を描く好みは人それぞれ。来年も同じように寂しい画を描く!?紅葉しつつあるもみじを描くつもりだけど……。そういえば、新年早々に開催される院展。先生はまたも入選されたそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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