2023年12月30日土曜日

「人生とは一日一日楽しかった日の連続の長さ」

 今年の年末は気温も高く、お天気もよさそうだ。先日、久しぶりに某金融機関の人がカレンダーを持って来てくれた。以前は大きなカレンダーにスケジュールを書き込んでいたがこの頃はスマホに留めている。カレンダーを貰う前に大きなカレンダーを百円ショップで買っていた。スマホでスケジュール管理するがカレンダーはあると何かと便利だ。

 昨日の地元紙に旅の案内がある。この頃はその詳細をQRコードで読み取って旅を申し込むやり方になっている。気になったのは2月にある日帰り旅だ。出かけたことがない場所に行くのが好きなのでネットで申し込む。その3日後に奈良へ行く予定にしているが申し込んだ。申し込むと言っても電話のような簡単さはない。各項目をすべて埋めねばならない。個人的には新年2月から旅が始まりそうだ。ナニゴトも先の楽しみがあるとそれまでの日々が楽しい。昨日は他にも大手の旅行社から旅のカタログが届いた。が、今一歩、乗り気にならない。

 先日来から芸人の動画にハマっている。その中で「人生とは一日一日楽しかった日の連続の長さ」にあるとして自分自身の生きざまを例に人生を語っている。楽しい日々を積み重ねた長さが長いほどよい人生になる!?これを聞いて「確かに!」と妙に納得した。2月の旅を楽しみにして待つ、これはその日まで楽しく過ごせるとか。3月の旅は久しぶりに飛行機に乗って出かける予定でこれも楽しみだ。

 旅もツアーであればいくら旅費を払っていても人数が集まらずに催行不能になることがある。が、大半はOKだ。昨日の日帰り旅はクレジットで決裁し、3月の旅は既に支払っている。くる年もこのまま元気を維持し、旅をして毎日を楽しく過ごそう!

 今年一年、ありがとうございました。くる年も良い年でありますようにと願って今年のブログの終わりとしよう。

 ともあれ今日も、そして新たな年も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月29日金曜日

一件落着!

 ウオッシュレットのタンクの水が溜まらなくなり使用後の水が流せなくなった。昨日、近くの電気店に駆け込んで修理を依頼した。年末での修理はあちこちであるらしくお昼近くになって電気店の店長と水道関係の人が来てくださった。タンクの中を見られたが、部品の交換をするらしくTOTOへ電話すると言って帰られた。それから5時間近くたってTOTOのメンテナンスの方が修理に来られた。そろそろ暮れようとする時刻だ。外に出て車を待っているとTOTOとロゴの入った車が止まった。

 すぐにタンクを見て部品の交換をするとのこと。TOTOのメンテナンスの会社だけあって部品を車に積んでおられた。部品と言っても4,50㎝四方の段ボールに入っている。それを2個かかえて来るとすぐに交換となった。部品交換の書類を見ると以前の設置は2004年12月とある。今からちょうど19年前だ。

 このころは母が怪我をした頃である。背が高い母がトイレを利用しやすいようにと便座を一段高くしてもらった。その時、ウオッシュレットを新たに交換した。そのころはトイレだけでなくエアコン、洗濯機、テレビを買い替え、さらには一部屋を壊して母をシャワーキャリーに乗せて浴室に入られるようにした。洗面所とお風呂を新たに作った。そして1階をトイレを基準にしてバリアフリーにした。そのため部屋のあちこちに手すりがついている。すべては母のためだった。が、いつの間にか自分のためになっている。

 修理にかかった時間は数分もない。しかし、いつ修理に来られるかわからないので昨日は朝から夕方5時過ぎまでどこにも出られず家で待機した。この苦痛は何気ない日常の幸せを感じさせてくれた。毎日自由気ままに生活している。それが降ってわいたトラブルに見舞われて一歩も外に出られない。これもすべては修理してもらう我が家のためである。不満を言っては罰が当たる。気を取りなおして司馬遼太郎の短編小説『故郷忘れじがたく候』を読み終えた。

 そういえばウオッシュレットの修理だけでなく、電気店の店長についでにとトイレの手洗いの元栓の不備を話すと一緒に来られた水道関係の人が直してくださった。困ったときは電気屋へ、とすぐに対応してくださる電気屋さんに感謝する。と同時にTOTOの若くて感じがよかった技術屋にも本当に感謝、感謝。外に出られずこの若者に何かお礼をと思って冷蔵庫をみるとペットボトルがあった。本当は珈琲関係のボトルがいいと思ったがそれはなくて他のドリンクにした。それに先日出かけた中津万象園で買った梅の和菓子を渡す。

 今日もお天気がいい。昨日と違って今日は自由に外に出られる。年末になったが、年内に一件落着して後はいい新年を迎える!?と、その前に20年近く経てばこの先、次々と買い替えや修理が待っているかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月28日木曜日

ウオッシュレットのタンク

 今年も残り少なくなった。先日、玄関の鍵が抜けなくなって近くの電気店にお世話になった。これだけで何もなく無事に年を越せれば何も言うことはない、と思っていた。ところが突然のトラブル発生。午後にトイレの掃除をした。自動でタンクの水が流れるように設定している。しかし、水が流せない。手動でするも流せない。その後もあまり気にせずに利用した。寝る前にトイレに行くとやはり流せない。気になりながらも寝ようとする。ふと気づく。(もしかして操作パネルの電池切れ?)と思って夜中に起きて電池を交換する。それでもだめだ。

 朝になって考えよう、と寝ようとする。が、気になって寝られない。20年前にトイレを買い替えた。TOTOのHPを調べると年中無休で応対してくれるとか。いろいろと思いを巡らすうちに朝になった。すぐに姉に電話すると義兄に代わってくれる。またも近くの電気店でお願いするようにという。9時過ぎ、電気店に駆け込んだ。
 
 トイレの水はタンクに水が溜まらないので流せない。そこで洗面器に水を汲んでは流す。が、これも大変だ。ナニゴトも普通に生活していたことがいざ故障となると普通のありがたさが身に染みてくる。今はトイレの故障だが他にもいつ何時何が起こるかわからない。それを気にしていても仕方がない。体が壊れたのではなくモノがその代わりをしてくれた。そう思って気長に修理を待つことにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月27日水曜日

『街道をゆく』(八)「種子島みち」

 これから先の最高気温を見ると14度前後の日が続く。昨日の11度の最高気温は暖かく感じた。ましてや14度前後でお天気もよいとなればいい年末年始となりそうだ。

 昨日、プールに行くと下駄箱付近に来春4月からのプール利用条件変更の張り紙がある。利用しているプールは市の施設でなく隣町のプールだ。この10年近く隣町のプールを無料で利用している。改定後は400円となるとか。たとえ400円になっても自転車に乗って行ける距離にあり、利用者も少ないのでありがたく利用したい。このプールを利用する前は区のスポーツセンターのプールを利用していた。そこは隣の駅にありJRに乗って泳ぎに行っていた。泳いだ後の濡れた重い荷物を持っての移動は大変だった。そのころ、利用者から今のプールを教えてもらう。

 泳ぐことに目覚めて早40年が過ぎた。水泳教室で正式に泳ぎを習ってからも20数年になる。水泳は一人で泳げるし、また泳ぐことは楽しい。ましてや何歳になっても泳げる。大の運動嫌いだったが水泳は自分に合っていたのか長く続けている。

 以下は『街道をゆく』(八)「種子島みち」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第10刷)から気になる箇所を記そう。

★元来、薩摩藩というのは武士に学問は要らないと言いきる風があったほどにそういう気分の薄い藩であった。ただ種子島だけは例外とされていた。この島だけが好学の風を強くもっていたというのは、どういうわけであろう。『鉄砲記』にも、西村織部丞について、「頗ル文学ヲ解ス」と、わざわざその旨を書いている。室町末期にあっては京都あたりでも学問をしている者といえば五山の禅僧か公家の一部ぐらいのものであった。種子島という僻陬の小さな島で「頗ル文学ヲ解」している人間がいたというのは、織部丞が特異例であったというより、そういう風土があったのではないか。(407p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月26日火曜日

勢いづいて

 最低気温マイナス1度の冷たい朝を迎える。ところがお昼近くになって数日ぶりに気温は高くなる。急遽、お墓へ参ろうとなった。外に出ると暖かく感じる。お墓につくと参る人がいた。話す人の声がする。家族のようだ。暖かくなった、と上着を手にして家族に話している。

 墓地に着くと着ていた薄手のダウンを脱いだ。それくらい暖かい。墓参り後、勢いづいてプールへ行こう、となった。1日に2つの用事はしないようにしている。が、今朝までの冷たさを思うとせっかくの好天気を逃すことはない。年内にもう1回泳ごうと計画していた。ちょうどよかった。

 お墓参りの後、我が家に着くと12時を過ぎている。軽くお昼を食べるとすぐに自転車でプールへ。いつもとは違う道を通ってプールに急ぐ。中に入ると泳いでいる人は3,4人と少ない。水中歩行の人は8,9人が輪になって歩いている。プールの中は寒さ知らずで泳いでいても心地いい。10往復(500m)泳いだ。そのほとんどは背泳ぎである。

 家に着くと勢いついでに家では調理しない鶏のから揚げに挑戦する。スマホで作り方を調べると味付けにマヨネーズやショウガなどを入れるようにとある。スマホのレシピ通りに作ってみるとお店で買って食べるくらいに美味しくできた。

 寒い季節に勢いづくとブログの投稿が晩くなる。こんな日は本を1頁も読んでいない。たまにはこういう日があっていい!?

 ともあれ今日も(あと少しだけど)元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月25日月曜日

M-1を見る

 昨夜のM-1グランプリは令和ロマンが優勝した。8千人余りから残った10人が頂点を競う。決勝進出の3組のうち、さや香以外の2組は昨夜初めて知った。その1組が優勝した。この頃の漫才は医師もいれば70歳過ぎて吉本の養成所に入った「おばあちゃん」(芸名)など様々な人がいる。優勝した令和ロマンは慶応出身とか。

 数年前からM-1を見るようになった。その中で一番感動した芸人はミルクボーイ。この時のM-1は本当に面白かった。芸人であればM-1のトップに立つのが夢に違いない。しかし、トップはたったの1組で残る何千人という人たちは敗者となって悔しさを味わう。この悔しさがバネになっていつの日か芽を出す人もいるだろう。日の当たる人だけでなく悲哀を味わった人たちをなぜか応援したくなる。

 応援している芸人のツイッターや動画を2週間くらい前から見るようになった。なぜこの人に魅かれるのかを自分なりに分析する。その芸人曰く「人間模様が好きだ」とか。

 ヒトの生き方に関心がある。これは「人間模様」と似ているかもしれない。人の一生はM-1であれば頂点を極めた瞬間だけではない。それは人生の一瞬の通過点であり人の一生から見ればどんな人生になるかわからない。そう思えるようになったのも自分自身が年齢を重ねた結果わかること。これだけでも長生きしてよかったと思っている。

 そう考えるとどんな人でもまっすぐな、いわゆるいい人生を送ったかと問えば決してそんな人はいないだろう。そう思えて以降、自分の歩んだ人生もまんざらでもないと思えてきた。人を羨ましく思うこともなくなった。まだまだ長生きすると考え方も変わるかもしれない。いろんなことを経験して命が尽きれば自分の人生は大成功!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月24日日曜日

「前頭葉を鍛えることで、ボケるリスクは軽減できる」

 ネットを見ると毎日のように精神科医の和田秀樹の記事がある。最近の記事に「前頭葉を鍛えることで、ボケるリスクは軽減できる」とある。さらに「前頭葉の老化で何より注意しなければいけないのは、自発性や意欲が衰退して『感情の老化』が進み、放っておくとボケやすくなって、体や見た目の老化も加速度的に進むことです」とある。

 また「年だから仕方がないとあきらめてしまうと、老化はさらに進む?」との問いに対して「そのとおりです。前頭葉は萎縮しても、意識して使うことで機能は保てます。実際、萎縮が同程度進んでいても、気が若く元気な人と老け込んでいる人がいるのはそのため。ボケないためには、意欲的であることを意識して心がけ、前向きな感情を大事にし、頭の切り替えを速くして想像力を働かせること。それが前頭葉の鍛錬につながります」とある。

 いずれにしてもモノゴトに対して意欲的に取り組む!?これがボケ防止につながりそうだ。それには自分にとっては旅が一番かもしれない。自発的に旅に行こうという意欲がないと楽しい旅は望めなそうにない。そのためにも心身ともに元気が一番!?年齢は関係ないようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月23日土曜日

旅の集合時刻

 町内会の班長を92歳の人がされている。お宮のお札を配られる際に町内会から寄付を募る。班長さん方は我が家の隣の隣だが寒い季節に来てもらうのも気の毒、とあって寄付金を渡しに行く。その代わりとしてお宮のお札を受け取る。せっかく外に出たからと思って雪の降る中、生協に出かける。これで昨日の歩きは終わる。

 朝刊を見ると県北では45㎝の積雪とか。寒いはずである。今朝も冷たい。しかし、日中は8度の予想で明日からは最高気温も10度を超えるようだ。

 GO TOの時、一度利用したバス会社から封書が届く。旅の案内だ。中を見ると泊を伴う旅と日帰り旅がある。どれを見ても旅に出かけようという気にならない。バスの旅は新幹線や航空機を利用しないと近場の同じ場所になる。今年5月のコロナ5類移行から自由に旅ができるようになった。そのこともあって5類移行、かなりバスツアーを利用した。その時に思ったことがある。それは集合時刻である。起床時間が遅いので広島駅に8時集合はきつい。せめて8時半でないと参加は無理。

 今朝の地元紙に別の旅の案内がある。この会社はほとんど利用していない。というのも集合時間が早い。新幹線利用だと6時台の新幹線乗車だ。これはたぶん、「のぞみ」でなく「こだま」を利用するのだろう。6時台の新幹線に乗車の集合時刻は30分前だから想像するだけでツアー参加は無理というものだ。

 歳を重ねると早起きになる、と言われる。が、個人的にはそれはまったくない。ツアー参加も集合時刻を気にしだすと条件が厳しくなる。ましてやこの頃は旅行社によると相席になることもあるとか。いつも利用する会社は1人参加だと他のグループとの相席がない。とはいっても徐々にそれも外れてくるかもしれない。

 いろいろと思ううちが楽しいのかもしれないが最終的には自由気ままな一人旅に出かける!?これに尽きるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2023年12月22日金曜日

『街道をゆく』(八)「豊後・日田街道」

 今朝は今季一番の冷え込みとか。最低気温マイナス1度、最高気温は4度の予想となっている。この先の予想としては来週からは気温も上がって年末年始は16度の最高気温になるようだ。昨夜寝る前にふと頭を過る。寒い時季、今着ているよりももっと他にも着ていたものがあるはずと。起床後すぐにクローゼットを見るとある、ある。今日から冬用に着替えた。

 今年最後の眼科へ行く。眼圧は15と17。眼のどこがどうこう悪いわけではないが、生後に目の病気をしていると親から聞いて必要以上に気をつけている。自分の体の部位で一番気をつけているのが眼。視力はよくないが幸いにもいわゆる眼の病気はない。

 眼科の帰りに自転車に乗った人から声をかけられる。近所に住む人でいつも威勢がいい。そういえば一昨日はスーパーの入口で同級生とバッタリ出会った。小中高と一緒だった人で今でも働いているらしく時計ばかりを見て話す。話がしたいらしく同級生のいろんな人の名が出る。

 年末までに済ませたい行事としてお墓参りがある。暖かくなりそうな来週にお墓へ参ろう。

 以下は『街道をゆく』(八)「豊後・日田街道」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第10刷)から気になる箇所をメモしたもの。

★天領であった倉敷(岡山県)の場合など「天領根性」という言葉がいまでも残っているくらいで、隣接する備前岡山藩(池田家)領の領民の貧しさを嗤(わら)い、倉敷の豊さを誇るところがあった。倉敷がもし天領でなかったならば、あれほど立派な民家群が今日のわれわれに残されるということはなかったであろう。(226p)

★高取家は、彼女で十一代目である。先祖の高取八山は朝鮮からきた。自発的にやってきたのではなく、豊臣秀吉の朝鮮侵略(朝鮮側の呼称では壬辰ノ倭乱)のときに、諸大名が陶工をとらえて日本に連れて帰るのがはやった。八山もその被害者のひとりだった。かれは黒田長政の手でとらえられ、その家臣にさせられて日本で仕事をし、多くの名品を作った。以後、家系がつづいて彼女の代になっている。(264p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月21日木曜日

「新・街道をゆく」肥薩のみちを見る

 NHKのBSで「新・街道をゆく」を見た。旅人は吉川晃司で肥薩のみちを旅する。NHKのBSの1と3が一つになって20日あまりになる。番組の編成はこれまでは再放送が大半だった。が、BS1に統合されても「新・街道をゆく」は続きそうで安心して見た。肥薩の薩摩は母たちと20年以上前の年末ごろに出かけた。肥後に至ってはもっと前になる。

 番組の中で胸をうたれた場面があった。それは「トランス・ネーション」である。豊臣秀吉の朝鮮征伐で強制的に連れてこられた腕のある陶工がいる。今その子孫は15代目の沈壽官さんだ。14代目の沈壽官は「肥薩のみち」にも出てくる著名な人だ。その子供の15代目がソウルで薩摩焼の源流である韓国の陶芸を学ぼうと、大学院留学を目指す。が、面接官から日本語で書いた願書について問い詰められ、留学を諦めるくだりがある。それは「400年間の日本の魂を捨てられるか」であった。15代目は司馬遼太郎に手紙を書いた。司馬から届いた返事には「いまの日本人に必要なのは、トランス・ネーションということです。韓国・中国人の心がわかる。同時に強く日本人である、ということです。」「真の愛国は、トランス・ネーションの中にうまれます」と。この「トランス・ネーション」は司馬の造語である。

 15代目は司馬からの手紙を大事に持っていた。そしてカメラはそれを写し出す。この場面の前に司馬が14代目と一緒に京都の祇園で遊んだ話題がある。そのとき14代目は関ヶ原の退却戦を伝えた「妙円寺参りの唄」を歌った。が、感極まって涙をこぼしながら歌った。その時、芸者は手を止めて歌に聞き入ったという。15代目はいつのまにか生まれたままの姿になっていたそうだ。この件も写真で写し出される。

 司馬作品に14代目をモデルにした『故郷忘れじがたく候』がある。年末年始、この本を読もう。肥薩へ行きたくなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月20日水曜日

頭を過るモノ・コト

 知らない旅行社からDMが届く。よく見ると以前に郵送されてきた某旅行社の名が小さく記されている。この会社の名簿を借りて新たに送付されたようだ。DMの内容は日帰り旅でDMが届いた本人は無料で連れがある人は6000円とある。とりあえずDMのなかを開けてみた。旅行日がいろいろと記されており日程も書いてある。(怪しい!)と思ってネットでこの会社を調べると利用した人の会社に対するコメントがあった。旅行当日、本来の観光でなくいろんなところで買い物をさせるようだ。

 「ただより高いものはない」と言われるようにDMを見て怖くなった。DMの下に細かい文字で DMなどの停止先のフリーダイヤルが書いてある。かなりためらった後でフリーダイヤルに停止のお願いの電話をする。電話に出た人は変な様子ではなかった。そこはDMを寄こした会社ではなく以前、旅行パンフなどを送ってくれていた会社だ。ナニゴトも疑ってかからないといけない世の中だ。 

 昨日は最高気温4度でお天気もさっぱりしなかった。無理して外へ出なくてもいい、と思い直して1年分の古い領収書などを廃棄する。紙の省略化が叫ばれていてもまだまだ郵送で電気、水道、ガスなどの利用料などが届く。他にも公の書類なども来る。これらを一年に一度古いものから順に処分する。シュレッダーがないので手で破ってゴミに出す。それが終わるとふと頭を過るモノがある。新聞と電気料金のクレジットカード引き落としの変更である。

 時刻は5時前だ。携帯を機種変更した1年3か月前、新たにドコモのゴールドカードを作らされた。このカードはドコモの利用料のポイントが10倍になる。しかし、ドコモ以外の利用は他のカードと同じだ。このカードを作る前にも他のカードが1枚ある。それは大型電気店のクレジットカードだ。このカードを利用すれば電気製品の保証が5年間ある。しかし、今は大型電気店よりも近くの電気店を利用している。

 電気料金と新聞代をこのクレジットで引き落としていた。頭に過るコトはすぐにやる、と決めているので電気料金から変更する。破っていた電気料金の領収書からフリーダイヤルで変更の手続きをしようとするとSMSで詳細が送られてきた。それにはネットのURLがあり、これで手続すると変更の書類が送付されるようになっていた。これはすぐにできた。次は新聞料金である。(夕刊の配達で忙しい?)と思ったが電話して書類を送ってもらうように依頼した。今朝ポストを見ると朝刊とともにその書類が入っていた。このクレジットカードは2つの手続きが終わり次第、解約しよう。

 いろいろと面倒なことは徐々に整理して気楽にスリムに生活する!?

 今夜は久々にBSで「新・街道をゆく」が放送される。楽しみだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月19日火曜日

推し芸人

 年内の旅を先月末で終えて家にいることが多くなった。これから2月の旅を開始するまではクマならぬ人間の冬眠に入りそうだ。寒くなるとだんだん横着になる。起床時刻を見越してエアコンの予約を入れる。こうすると寒い朝でも部屋が温まってすぐに起きられる。

 家にいることが多くなって10日くらい前からお笑い芸人の「じゃない方」にハマっている。何でも気に入ったヒト・モノ・コトがあると楽しい。なぜこの人が気に入ったのか、最初のきっかけは覚えていない。しかし、いわゆるいい人に思えて陰ながら応援している。その一番はツイッター(X)、とYOU TUBEを見ること。かなりというか極めてがんばる人に思える。テレビで本人曰く「いま、レギュラー番組がなくなった」と。

 その芸人のYOU TUBEはこれまでのものも見ている。見れば見るほどいい人に思えてくる。決して偉ぶらず後輩にも優しそうだ。が、その芸人は強い信念があるらしく、ある目標に向かって邁進している。近い将来、その目標が達成されるに違いない。口だけでなく実際に目標に向かって突き進む人だ。こういう人を見ると「頑張って!」と応援せずにはいられない。まるで身内意識がある人に思える。

 先日、その芸人はNHKの番組に出ていた。いつもは見ないのに出演情報で名前を見つけてテレビを見た。目標の資格に受かっているがその上を目指している。そのことに関連するテレビ出演だった。

 今週いっぱい寒い日が続く。お墓参りは来週に延ばそう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月18日月曜日

『街道をゆく』(八)「熊野・古座街道」

 尻啖(しりくら)え孫市』(下)を読み終えて今は『街道をゆく』を読んでいる。その十六の「叡山諸道」である。『街道をゆく』は日本のみならず世界までも歩いているのでその数は多い。司馬作品の全部を読み終えるまで生きているつもりなので元気で長生きしなければそれも到底望めそうにない。司馬作品を読んだ後はブログを非公開にして「司馬作品読書一覧表」を作成し、読んだ本を記入している。そして『司馬遼太郎全仕事』と照らし合わせて読んでいない本を読んでいく。

 以下はその『街道をゆく』(八)から「熊野・古座街道」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第10刷)の気になる箇所を記した。

★この当時、京都から熊野への経路は、いくつかある。その代表的なものは、中辺路(なかへじ)とよばれる街道であろう。紀伊田辺まで出て、そこから東へ――つまり山中へ――入ってゆく道がそれで、ほかに大辺路(おおへじ)というのもある。紀伊田辺から東へ折れず、そのまま紀伊半島の磯づたいに新宮まで波に足を洗われつつゆく海道だが、台風の季節には磯で弾ける大波にさまたげられて、とても歩行をつづけられない。古座街道(こざかいどう)という、地図の上でさえ物寂今年も残櫨位した感じのする古い道は、そういう場合の避難場所としてつかわれたらしい。街道は、周参見(すさみ)海岸から古座町の海岸まで、山中を東西に走っている。(33-34p)

 昨日から急に寒くなった。今朝も寒いが日が射している。最高気温も昨日の4度に比べると少し高くなって8度になるとか。今年も残り少なくなった。新たな年も元気でいなくては本も読めなくなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!         

2023年12月17日日曜日

玄関の鍵

 今年最後の日本画教室を終えて皆で近くのカフェに入る。他愛ない話をした後、気分良くしてJRに乗って我が家へ帰宅。ところがこの後とんでもないハプニングに見舞われる。玄関の鍵を開けようとした。玄関は開いたが、鍵穴の鍵が抜けない。どうやっても抜けない。時刻は午後6時前で外は暗い。幸い玄関が空いたので外灯をつけた。が、どうやっても鍵が抜けない。

 隣の家のいとこに電話して助けてもらおうとしたが電話が通じない。困った、と思って次は姉に電話する。すぐに電話で話した。義兄に代わってくれた。義兄は「近所の電気屋に相談すれば……」という。(そうだ、困ったときは電気店だ)と思って電気屋の電話番号を探す、が慌てて本店につながる。閉店だった。家に入って固定電話でかければ番号は登録済みだ。しかし、鍵をさしたままなので動けない。落ち着いて電話番号をスマホで探す。7時までは開店中だ。6時前なのでつながった。すぐに来てくれるとのこと。

 電気屋と我が家は50mも離れていない。軽トラに乗ってこられた。すぐに鍵穴に向かって細いノズルをスプレーされた。すると鍵はすぐに抜けた。何度か試みられて自分も試してみた。大丈夫だ。

 電気屋にお礼を言って姉に報告の電話をする。義兄に代わってくれた。電気屋のやり方を話すと知っていて、オイルを買うように教えてもらった。

 抜けなくなる前、力強く引っ張りすぎてキーホルダーにつけていたお守りが外れた。困ったときはスマホに聞け、とばかりに後でいろいろと調べた。鍵は力強く抜いてはいけない。上下左右にしながら緩く抜く。鍵穴に錆が点くのでオイルを入れるなどの注意点があった。

 一応鍵は抜けたけれども、今日は日曜日。外に出てまた鍵が抜けなくなったら、と心配になる。今朝は広島市内に初雪が降ったそうだ。最高気温の予想は4度。家でおとなしくする!?

 それにしても困ったときは近くの電気屋、そして困ったときはスマホに聞け、忘れないようにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)数年前、鍵をなくしてサッシ屋に勤めておられた近所の人に玄関の鍵を新たに取り換えてもらった。その人に頼めば、と思ったが今は90歳くらいになられている。他にも親を介護中に床にお尻がついた母をいつも呼び出しては手助けしてもらった人も頭に浮かんだ。昨日にかぎって電気屋が浮かばなかった。義兄の言葉にすくわれた。その意味でもみんな元気で長生きしてほしい!

2023年12月16日土曜日

さつまいもを蒸かす


 日本画教室でさつまいもを炊飯器で蒸かしたという話を聞いた。昨日、生協に行くとさつまいものなると金時を一袋298円で売っている。買って帰って中を見ると小さいながらも10個入っていた。

 新たにフライパンを買った。資源ごみの日に古いフライパンを捨てようとゴミ袋に入れていた。が、捨てずにさつまいもを蒸かすのに使おうと気づく。炊飯器ならぬフライパンでさつまいもを蒸かす。まずはさつまいもを洗う。フライパンに水を入れて100円ショップで買った蒸し器を置く。その上にさつまいもを並べ、弱火で蒸かす。沸騰したら火を止めてそのまましばらくほっておくと美味しいさつまいもが蒸かせた。教室の人が炊飯器でさつまいもを蒸かすと美味しかった、と言った通りにフライパンでも美味しく蒸かせた。

 今年の夏は雨が少なく店頭に売られているミカンやさつまいもは小さい。そのためか美味しさが小さい中にギュッと詰まっていて半端なく甘い。和菓子が好きだが蒸かしたさつまいもの甘さは和菓子にも勝るとも劣らない。お正月も近いので黒豆を煮るだけでなくさつまいものきんとんを作る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月15日金曜日

電気ストーブが壊れた

 プールに行く前、電気ストーブが壊れたことに気づく。時刻はお昼前だが、すぐに近くの電気屋に出かけた。もはや電気ストーブは売られておらず、他の機種になるかもしれない。そう思って数万円持って電気屋へ行った。先客がいたが店の奥さんが応対してくれた。カタログを見せてもらうと、今、使っているのと同じような機種がまだあるとのこと。すぐに注文した。大型店ではないのでお店に在庫はなく電話で取り寄せだ。

 大型電気店へは自転車に乗って行けばすぐに行かれる。が、近くに電気屋があると何かと便利なのでこの頃はこのお店を利用している。電気スト―ブは真ん中のヒーターが点かなくなった。冬になると大半を狭い台所で過ごす。この部屋は南東に向いていて日当たりがよく、電気ストーブで過ごせる。縦型の電気ストーブもあるが横型のこの壊れたストーブのほうが消費電力は少ない。残る上下の2か所のヒーターは点くので商品が届くまで利用しよう。

 お店にいた先客はよく知ったご夫妻で洗濯機が壊れたそうだ。帰りに追いついて洗濯機が壊れたと聞いて「いくら?」と聞くとなんと50万円とか。「ええ、50万円!」と信じないでいるとパンフを見せられた。本当にその価格だ。御年90歳過ぎたご夫妻だが洗濯機と言っても高価すぎてバカにはできない。この頃は洗濯機も機能性のいいのがいろいろとあるのだろう。それにしても洗濯機が50万円とは驚き。

 電気器具は予知せずして突然壊れる。洗濯機も突然壊れたそうだ。以前は母がいたころ、年末間近かでエアコンの室外機が壊れた。石油ストーブはないのでエアコンが壊れたら、ましてやお正月前後に壊れたら大変だ。幸い年末の数日前だったのですぐに室外機を交換してもらった。今回は電気ストーブ。エアコンほど慌てない。他にも予備はあるし、ましてや残る2か所のヒーターも点く。

 電気ストーブを注文後、家に帰ってすぐにお昼を食べる。昨日の午後はプールへ行く予定にしていた。生憎お昼からは曇り空で朝ほど日が射していない。それでも予定通り自転車に乗ってプールへ。到着時刻は午後1時1分。すぐに泳ぎだす。昨日は背泳ぎで10往復(500m)泳いだ。しかし、クロールは前回と同じく25m泳ぐだけ。

 泳いだ後の爽快感。そして体も軽い。今年中にあと1回泳ごうと思っている。が、これもお天気次第!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月14日木曜日

『88歳、しあわせデジタル生活』

 図書館で予約していた『88歳、しあわせデジタル生活』(若宮正子 中央公論新社、2023年)の順番が回ってきた。デジタルとはラテン語の指から来ているとか。この本で初めて知った。携帯の機種変更後には電話の受信や切断に手こずっていたが、いまはそれにも慣れた。時にスマホに触れても何の作動もしないことがある。この本によるとシニアがスマホに触れるとき、指が乾燥して作動しないらしい。その不便さを著者はアプリを開発して世に出た時、専門家の会合に出席してその旨を話したそうだ。しかし、いまだにそれは改善していないという。

 著者は御年88歳だそうだが、初めてパソコンを買ったのが30年前の58歳の時だそうだ。世の中にウインドウズ95が発売されたのが1995年だからそれよりも2年ほど前になる。個人的にパソコンを買ったのは2000年。職場でパソコンを使っていたが使い始めのころは何もわからず大変だった。その苦労が報われたのか個人で購入したパソコンは1台目から今の4台目まで設定は自分で行っている。とはいっても最近のパソコンは1台目の時とは違って設定もかなり楽になっている。

 スマホに関しては持つようになったのが昨年なので人よりも格段に遅かった。とはいっても10年くらい前にタブレットを買っていたのでスマホに替えた時点で思ったよりも戸惑いはなかった。ただタブレットは電話の機能がなかったので、スマホの電話では手こずった。

 いろいろとこれまでの個人的なデジタル遍歴を思いだしながらこの本を読んだ。ただひとつ興味をもったのがスマホでのピアノ演奏。先ほどアプリを探して試みるとピアノ演奏ができた。

 本の最後に著者は以下のように書いている。

★江戸時代のように古くからの体制を守ることが重視される世の中であれば、変化を避けて、何ごとにも慎重であることに意味はあったでしょう。しかし現代は、群雄割拠の戦国時代よりも、鎖国の世を終わらせた明治維新の頃よりも、私たちが経験した戦後の変革期よりも、さらに変化が目まぐるしい時代です。いま、AIの台頭によって、世の中の常識や価値観が大きく転換しようとしています。その流れの中で、「新しいものは何だか怖い」などためらっている場合ではないのです。そう、シニアだって、自立しなくっちゃ。テクノロジーの力を借りて。テクノロジーが進化すればするほど、それを使いこなす人間の力が必要になります。デジタルと共存して生きていくには、こちらも人間力を高めなくてはなりません。そのためには、これまでの知識や経験に加えて、新しく「学び直す」ことも必要になっていくでしょう。

 なにも、難しいことはありません。そんなに心配しなくても大丈夫です。なによりデジタルは、楽しいです。使ってみれば快適です。年をとって不自由になっていく暮らしを、時には優しく、時には頼もしくサポートしてくれる素晴らしい相棒です。(186-187p)

 話は変わってパソコンのメールにあやしいメールが入ったことがある。偽のOCNメールが入りパスワードを決められた日までに変更する旨、届いた。その時、疑いもせずパスワードを変更した。その直後、こういったことはこれまで一度もなかった、と気づいた。すぐに 再度パスワードを変更した。今回の偽メールはえきネットだ。前回のことがあるのでこれはすぐにおかしい、と気づいて迷惑メールとしてOSNに送信。

 デジタル社会も便利なようだが、その反面、騙す人が後を絶たない。これも個人の責任で対処していくしかない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月13日水曜日

『街道をゆく』(八)「大和丹生川(西吉野)街道」

 新春の2月、奈良の美術館行きを予定している。宿は法華寺近くをすでに予約済み。1泊2日の予定だが法華寺近くを見るとそばには平城京跡公園がある。今年4月、吉野山に出かけた。新大阪駅から奈良駅までおおさか東線に乗ると沿線沿いが広く開けてくる。(これは何?)と奈良駅で合流した人に聞くと平城京宮跡だという。

 どこかへ出かけるとき、街中よりも広々とした何もない空間がいい。平城京宮跡へ行ってみたくなった。YOU TUBEを見ると多くの人が動画をアップしている。今更ながら奈良の何もわかっていない、と知る始末。暇さえあれば奈良の案内を見たり動画を見たりしている。その合間には司馬作品を読む。

 そして最近、ひょんなことからコンビの芸人のそうじゃない方を応援している。応援するきっかけは最近のことなのに忘れてしまった。多分、何かを見て魅かれたのだろう。片方は売れているがそうではない方が懸命に頑張る姿を見ると応援したくなる。今朝、ふと思いついてその人のX(ツイッター)のフォロワーになろうとするが、それにはGmailなどの登録が必要だ。これに躓く。

 以下は『街道をゆく』(八)「大和丹生川(西吉野)街道」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第10刷)から気になる箇所をメモした。

★「この山奥はわれわれ住民にとっても沃土であるだけでなく、下界のひとびとにも貢献しています」それは水だという。材木の容積谷を「石(こく)」であらわすが(材木一石は十立方尺)杉の木というのはその根と根がかかえている土壌に水をたっぷり貯える性質をもっている。鎌田さんによれば、杉の木は一石あたり一石(一升の百倍)の水を貯えているそうで、その意味では杉山というのは貯水のための一大スポンジのようなものであり、これによって日照りがいくらつづいても谷水は絶えることがなく、それが河川を通じて下界に豊富な水を提供している。「下界から感謝して貰わんならん」、と鎌田さんはいう。西吉野村の住民はその杉を植えたり、育てたりして、下界のための水を守っているのです、と村長さんだからこのあたりは冗談ではなく本気で言い、決して下界から孤立しているのでなく、大いに役立っているのです、というのである。(292p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月12日火曜日

『人はどう老いるのか』

 世の中は情報にあふれている。パソコンやスマホでまず目にするのはネット記事。昨日、パソコンで見た現代ビジネスに久坂部羊『人はどう老いるのか』(講談社現代新書)を抜粋している。それによると〈「今が一番幸せ」と思えたら勝ち...最高の「定年後」を迎えるコツ 『人はどう老いるのか』〉がある。それによると以下のように書いてある。その一部を記そう。

★不平や不満を言う人は不幸な人です。幸福な人は文句を言いません。幸福かどうかは自分が感じることですし、すべては比較の問題ですから、どんな状況でも人は幸福にも不幸にもなれるわけです。実は今がいちばん幸福なんだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむでしょう。幸福に浸っているときには、人はあれこれ考えないものですから。

 これを読んで最後に記した「幸福に浸っているときには、人はあれこれ考えないものです」に共感する。ナニゴトも考えどおりにはモノゴトが運ばない。それよりも頭にひらめくモノ・コトを大事にしてそのとおりに行動する。これが自分にとっては一番悔いのない生き方、と思えるようになった。

 ネット記事で目にする「幸福」「老い」「孤独」などのキーワード。見ないようにしようと思っても眼に入る。それくらい老いてきた!?とはいっても若い時のような心配事が全くない。これはなぜ!?年老いて元気であれば大概のことは乗り越えられる。年金が少ないじゃどうじゃと言っても生きている限りは振り込まれるので生活に困ることはない。また、ささやかながらも行きたいところへ旅ができる。これは自分にとっては幸せなことかもしれない。

 昨日、早速、図書館に久坂部羊『人はどう老いるのか』を予約した。順番が回ってくるのはまだかなり先になりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月11日月曜日

絵の具の溶き方

 昨日のブログ投稿後に思い出す。それは絵の具の溶き方である。10年前、人に誘われて始めた日本画。日本画のことは何もわからずに始めたので道具一式を先生にお任せして購入した。その中に水干絵具がある。購入した絵具は1箱に20色入り、他にも違う色が2箱あって、計3箱60色ある。この60色のうち、10年習ってもまったく使っていない絵具がある。その大半は茶系だ。

 本格的に本画を描く人は水干絵具ではなく岩絵の具で描かれる。水干絵具を膠で溶いていると先生からなめらかでなく粒が残っていると言われる。先日溶いたのは胡粉を混ぜた絵具だ。10年も習っているが今回は厳しく先生から言われる。絵皿に入れた絵具を中指でつぶして膠を混ぜて溶く。その時、粒が残っていた。絵皿を斜めにして絵の具が溜まっていない上部を見ると溶けてない絵具が粒として残っている。これを溶くようにと厳しく言われる。その甲斐あってか絵の具と膠はきれいに溶けた。

 先生に「100号くらいの大きな絵を粒子細かく溶くのは大変?」と問うと岩絵の具は水干絵具と違ってすぐに溶けるとか。また水干絵具を使用しても乳鉢を使うので大変ではないそうだ。

 話は変わって今朝のゴミ出しで通りの向かいの家に住む94歳の一人暮らしの人を久しぶりに見た。真向かいの家の人であっても年に一度も会うことはない。お元気そうだ、と思って眺めるだけで話は出来なかった。が、94歳でひとり暮らしは立派だ。背中はかなり丸くなっておられたが、ときに車が止まっているので娘さんたちが来られるのだろう。

 朝から一人元気で頑張っておられる姿を見て見習わなくてはいけないと発破をかけられた気がする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月10日日曜日

途中で投げ出した柘榴の絵

  昨日午後は日本画教室の日。出かける前から前日の泳ぎ疲れか勢いが出ない。描いているのは柘榴。この柘榴に手こずる。以前、柑橘系のスダチを描いたことがある。しかし、うまく描けずに挫折した。丸いものは描きやすそうだが本画にするのは難しい。柘榴を描きながらそのことを思いだす。柘榴の丸い形が思うように描けない。途中で投げ出してしまった。

 (次は何を)、と先生に写真を見てもらっ。F6のパネルに、はるか先に見える仏通寺の多宝塔の風景を描こうとした。が、多宝塔がぼやけているので建築書関係の書物で詳細を調べるようにと言われる。結果、二〇三高地に出かけた雪景色をサムホールで描くことにした。先生は描こうとした柘榴の写真を見てこのモチーフが気に入られた様子で写真が欲しいと言われる。

 ティータイムになった。自販機へ皆の飲み物を買いに行った。席に戻るとサムホールのパネルが自分のと違っている。先生曰く「柘榴を描くからサムホールを交換した」と。別にどのサムホールで描いても気にしないので箔を貼ったサムホールと交換した。

 先生はデパートの個展で柘榴を描かれたことがあった。今回描こうとした柘榴は自分でも面白く写真が撮れたと思っていた。先生はその柘榴が描きたいそうだ。教室で描かれるかどうかを問うと家で描くとのこと。柘榴をどういう風に描かれるか見てみたかった。残念!

 ということで次週からは二〇三高地の雪山を描く。この写真はカラーで写していてもまるでモノクロ写真のようだ。地塗りも胡粉を多めにして塗った。次週は白黒に見える写真を3分割して地塗りに手を加える!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月9日土曜日

プールへGO~

 この秋は気候も良くて外に出歩くことが多かった。そのためプールから遠のいていた。昨日、お天気の良さにつられて急遽、自転車に乗ってプールへ行く。自転車に乗ると言っても半分は押して歩く。午後になって急にプールへ行こうとなった。そのためプールへは1時半くらいについた。プールに入ると遅く来た割には泳ぐ人が2,3人しかいない。浅いプールに至っては誰も泳いでいない。気を良くして泳ぎだす。まずはクロールから泳ぎ始める。しかし、久々のプールはクロールで泳ぐときつい。その後は背泳ぎで泳ぐ。前回からのプールから間が空いた。500mのところ400m(8往復)で泳ぎをやめる。背泳ぎだと顔は天井に向いており、ただ水に浮かんで泳げばいい。いくら泳いでも泳ぐのは楽だが泳いだ後に疲れが出そうなので400mで泳ぎをやめた。

 家に着くとまずはティータイム。運動をした後に飲む珈琲と和菓子。この組み合わせはちょっと変かもしれないがささやかな至福のひとときだ。来週も暖かくなりそうなので泳ぎに行こう。

 暖かいといえば今日は19度で明日は20度の予想だ。このくらいの気温が一番過ごしやすい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月8日金曜日

「自分の愛読書があって、大好きな音楽でもあれば、孤独な時間も悪くはない』

  図書館に予約した『孤独を越える生き方』(五木寛之 2023年1月、NHK出版)を読んだ。この本は五木寛之がNHKラジオに出演した際のインタヴューをまとめた本である。100頁にも満たない薄い本だが気になる箇所をメモしよう。

★最近の高齢者は元気な人がたくさんいます。いくつになっても趣味の会などに参加して、新しい楽しみを見つけ、友達を増やしている人もたくさんおられるようです。そういう人は決して孤独ではないですよね。それはそれですばらしいことだと思います。しかし私は、煩わしい人間関係をどんどんそぎ落としていって孤独でいることも、年齢を重ねた者の特権ではないかと感じるときがあるのです。一人の時間、孤独でいることは、人生を豊かにしてくれるボーナスのようなものかもしれないと思うときがありますね。(24-25p)

★同じ時代を駆け抜けてきた仲間たちが、一人、二人と姿を消していく寂しさはあります。……しかし、自分の愛読書があって、大好きな音楽でもあれば、孤独な時間も悪くはない。要は考え方次第なのではないでしょうか。例えば、身近な草花を観察するだけでも豊かな時間を持つことができます。……生身の人間は去ってしまうけれど、文化や自然は私たちを置き去りにすることはありません。むしろ、年齢を重ねるごとに近づいてきてくれるのです。(25-26p)

 上にあげた中でも「自分の愛読書があって、大好きな音楽でもあれば、孤独な時間も悪くはない」のくだりは自分にもあてはまる。愛読書といえば司馬遼太郎の作品だ。司馬遼太郎にハマって今月で丸5年になる。年老いても自分を変えさせてくれるような出来事が起きるものだと司馬遼太郎にハマってつくづく思った。これから先も元気で生きていればどんな生き方の変化が起きるかはわからない。そう思うと老いることも悪くはない!?昨日、TVER で見た徹子の部屋のゲスト、滝沢カレンは500歳まで生きたいと話していた。この気持ちわかる気もする。

 一昨日の某交流会で400gもある大きなレンコンを貰った。レンコンは買って調理することがない。(これをどうやって食べる?)としばし考える。くれた人は会に参加する独身女性に毎回ご自宅で取れたものを持って来てくださる。何のお返しもしないのにいつも頂くばかりだ。

 いただくといえば先日の四国の旅で中津万象園を見学した際、バスガイドからここで売られているお土産の話を聞いた。梅や栗で作られた和菓子である。普段、お土産はほぼ買わないが和菓子は好きなので栗と梅の和菓子をそれぞれ一箱づつ購入した。それを見ていたツアーの人が後でそれよりもハタダのどら焼きが美味しい、と言ってバスの中で一つくれた。人が何を買ってもいいはずなのにしきりにどら焼きをすすめる。家に帰って食べると食べ応え充分のどら焼きだった。しまいには広島市内の〇〇に一年の何月から何月まで売っているから買うように、とまで勧められる。もらったどら焼きは確かに美味しかった。とはいえ、わざわざ街中に出てどら焼きを買う!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月7日木曜日

4年ぶりの忘年会

 昨夜は4年ぶりに某文化交流の会の忘年会に出かける。人と会うのはお昼に、と決めているがさすがに忘年会は夜がいい。某ホテルでの開催だが、会場に行く前に久しぶりに夜の本通りを歩く。ネット記事で知った3coinsが目に入る。このお店が何なのかも知らずに入るとネット記事で見た紙のフィルターを使わないステンレス製の珈琲ドリッパーがあった。価格は1600円ぐらい。買おうと思ったがこれから忘年会に出かける。荷物になると思ってあきらめる。次に街中に出るときは購入しよう。

 会場に着いた。友だちに誘われ、この会から台湾へ行ったのが入会のきっかけだった。その友だちとも久々に会う。手もとにある旅のメモを見るとこの会からは6回海外旅行に出かけている。

台湾(2013年10月)

ベトナム(2015年1月)

マレーシア(2015年10月)

中国江南(2016年10月)

インドネシア(2017年10月)

ミャンマー(2020年1月)

 忘年会で出かけた旅の話題も出た。しかし、出かけた国は覚えていても出かけた年までははっきりしない。この会で最後となったミャンマーの旅だったが、帰国後まさかコロナ禍で今の今まで海外旅行に行かれなくなると誰が思っただろうか。いつまでも海外旅行は続くものと信じて疑わなかった。

 昨夜、忘年会に出席した人はどの人も海外旅行でご一緒している。旅先で何日も同じ釜の飯を食った(?)仲間だけあってどの人とも和気藹々と楽しく過ごす。久しぶりに本格的な中華料理をいただいた。これからの旅の話題も出る。まずは奈良の旅からのようだがこれは年が明けてからの話になりそうだ。

 話している中で、何人かがコロナにかかったとか。それも今年のことのようでコロナもまだまだ油断できそうにない。自分自身、どういってもワクチンを打っていない。それなのにどこへでもちょろちょろと出かけている。コロナにかからないように気をつけようと思うがこればかりはどうやって防げばいいのかわからない。といいながらもコロナを忘れて普通に生活している。これはよくないかもしれない。気をつけよう。

 お開きとなって3人でカフェに入る。夜は外へ出ないと言いながらも街中の賑わいを見ると楽しくなる。久々にたわいない話で盛り上がる。カフェの閉店時間になった。昨夜は冬とは思えないほど暖かかった。久々に夜遅く寝る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月6日水曜日

ともだちとの電話から 

 昨日は曇り空と思っていたらそぼ降る雨の一日だった。お昼前、ともだちから電話がかかる。「もうだめ」、と自身の健康がよくないという。何か月前にも電話で話した際、体の調子が芳しくないと話していた。(これは覚悟して聞かないといけない)と思って自分でも驚くほど冷静になる。話は長くなり1時間はとっくに超えた。(ともだちの気が済むまで話を聞いてあげよう)と思った。ただ、自分自身、テレビなどの嫌なニュースはまったく見ないようにしている。感受性が強いので人の話を聞いて感情移入してしまうと自分自身までがダメになる。その思いがあるので冷静さを保って話を聞いた。

 若い頃、何もできない自分を強引に誘ってくれた恩のあるともだちだ。電話を切った後、不思議と冷静な自分がいる。(何とか元気を取り戻して!)、と願うばかりだが、自分の力ではどうすることもできない。ただただ話を聞いてあげることしかできない。

 周りを見るとどの人も皆平等に老いている。当然年相応に体の不調を訴える人もいる。今のところ、自分自身、元気と思っていてもいつどうなるかわからない。だからと言って先を思い患っても仕方がない。

 願うことは今の元気を現状維持させる!?そしてせいぜいやりたいことはやる!?これに尽きる!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月5日火曜日

「定期的な運動で代謝をアップさせる」

 今日は一日中曇りのようだ。毎日見ているネット記事だが自分の都合のいい記事だけを見ているかもしれない。

 昨日見た記事は「大人になると時間が過ぎるのが早く感じる3つの理由」として以下のことを挙げている。

1.ジャネーの法則が働いているため ジャネーの法則とは、年齢を重ねるごとに1日の体感時間が短く感じやすくなるという法則です。

2.代謝が落ちている 代謝が落ちていると、時間が過ぎるのが早く感じやすくなります。運動の習慣があるなど代謝がよい大人も、時間が遅く感じやすい傾向です。体感の時間がゆっくりであってほしいと思っている大人は、運動習慣を持つようにするのがおすすめです。健康のためにも運動習慣を持つのは、非常によいことなのでおすすめです。

3.楽しい時間が長く続いている

まとめ 大人になると、時間の経過が早く感じやすいものです。時間経過が早く感じやすい理由をしっかりと把握して、流れていく時間を大切にしましょう。子どもの頃のように時間を長く感じたいと思っている人は、定期的な運動で代謝をアップさせるのがおすすめです。

 これを読んで(確かに……)と思った。と同時に文の最後にある「定期的な運動で代謝をアップさせるのがおすすめ」に注目する。定期的な運動といえば水泳。しかし、寒くなると自分に言い訳して水泳に行くのがおろそかになる。最高気温15度以上30度以下の晴れた日のいい日を見計らって泳ぎに行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月4日月曜日

日本画教室&オペラアンサンブル

 一昨日は日本画教室で絵を学び、昨日はオペラアンサンブルの「マダムバタフライ」を見に行く。行事が2日続くと疲れる。なるべく続かないようにスケジュールを組んでいる。が、思うようにならないこともある。

 日本画教室ではサムホールに柘榴を描く。F6のパネルに描いていた睡蓮は途中でやめてサムホールに取り掛かる。サムホールの絵は紙でいえばB5くらいのサイズでF6のA3サイズと比べるとかなり小さい。柘榴は丸みを帯びており、風景などの点描写のようには描けそうにない。最初は薄い色から彩色し、徐々に色を濃くしよう。

 オペラアンサンブルは出演する知人に誘われて出かけた。出かけるのはいいのだがこの頃はコンタクトをしないのでスクリーンに映し出される字幕が見えない。単眼鏡を持参して字幕が出る度に利用する。これでは落ち着いてみられない。(何を見に行った?)と自問自答しながら見る始末。次回からは見に行くのはやめよう。

 その点、旅はいい。視力が悪くても空が見えないことはない。ましてや建物や風景が見えないこともない。これからは自分の欠点を嘆かず自分に合った楽しみを楽しめばいい。そう思うようになった。なにごとも無理せずに自分が楽しめることをすればいい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月3日日曜日

ネット記事を読んで

 ネット記事を見ていると「【有意義な老後資金の使い道】シニアの旅行は値段だけで判断すると損をする、健康のための投資もほどほどに」がある。さらに見ると「モノを買うのではなく、旅行のように『経験』にお金を使うと、金額以上の幸福度が得られる投資になる」。そして「自分の幸福度を高めるために、健康寿命までに何がしたいか、それにはいくらかかるかをリストアップするといいでしょう。“来年は何をしよう”“5年後はここに行こう”と考えるだけでも幸福度が上がり、予算も計画的に考えられるはずです」とある。「そうすればおのずと気力がわき、心身の健康にもつながるはずだ」とか。

 「シニアの旅行は値段だけで判断すると損をする」のくだりはよくわかる。ツアーの場合とくに旅行代金に振り回されてはいけない。海外の場合などは何度も行かれるとは限らない。そのこともあって価格で旅を決めない。国内の旅も同じでナニゴトも「安物買いの銭失い」の諺通り安いからと言って惑わされてはいけない。その底辺には落とし穴がある。

 また「モノを買うのではなく、旅行のように『経験』にお金を使うと、金額以上の幸福度が得られる投資になる」のくだりもまさにその通りでこの考えに共感する。子供ころから大人になるまで乗り物に乗れば乗り物酔いが激しかった。そのため、バスガイドや運転手さんなど乗り物に従事する人に尊敬の念を抱いていた。ところが大人になるにつれて乗り物酔いもなくなり、どこへでも行かれるようになった。それは旅。

 日常から離れて見知らぬ土地へ行く。これは何物にも代えがたい楽しみ。来年の2月に出かける一人旅も11月には宿を予約。閑暇には出かける先の情報を集めている。これも旅の楽しみになる。出かけた後は後でブログにアップ。これも旅の後の楽しみだ。

 まあ、今のところ自分さえ気持ちがあれば行きたいと思うところへ行かれる。これもいつまで続くかわからないが先を思い煩っても仕方がない。今、できる楽しみを今やる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月2日土曜日

年を越した鉢植えの花

 暑かった夏を越して今年もセダム・スぺクタビレがピンクの花をつけた。3年くらい前に鉢植えの花を購入。昨年も花をつけた。花の時季が終わると根元からばっさり切って年を越すと翌年も芽を出す、とネットで調べた。この鉢植えを株分けして2鉢にした。外に出していた鉢はとっくに花を咲き終えて根元から切った。画像の花は家の中で育てた鉢植えである。

 この花以外にもシクラメンが年を越した。毎年のように鉢植えのシクラメンを買っている。が、一度もシクラメンの鉢植えが年越しをしたことはなかった。寒い時季に咲くシクラメン。春になると花は終わってしまう。その頃、ネットでシクラメンについて調べると風通しの良い木陰にシクラメンを置くと芽を出す、とあった。我が物顔で狭い庭を陣取っている紫陽花の下にシクラメンの鉢植えを置いた。(本当に芽を出す?)と気にしながら見ていたら、たくさんの葉っぱが出た。葉っぱの下を見ると蕾もついている。寒くなったのでシクラメンを家に入れた。この冬も花が咲きそうだ。
セダム・スぺクタビレ
シクラメン
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月1日金曜日

12月になった!

 今日の最低気温は6度、最高気温は11度の予想で寒くなりそうだ。が、日が射している。昨日は眼科へ行くが何も変わったことはない。眼科を出て自宅最寄り駅に隣接するスーパーに入る。特別に他のスーパーと変わってはいないが時にいつもと違うスーパーに立ち寄るのは楽しい。

 午後になって明日の日本画教室でサムホールに描く予定の写真を選ぶ。ついでにF6のパネルに描くモチーフも選ぶ。選んだ写真をもってコンビニへ向かう。サムホールには写真をB5に拡大し、F6のパネルにはA3に拡大してカラーコピーする。コピーを終えて帰る途中、年に一度も会わないような近所の人と出くわす。時刻は夕方5時前。暗くなるし、また寒い。その人は90歳になったとか。一人暮らしで10月に両掌の手首付近を手術したそうだ。なぜ、手術を、と問うと手の神経がなくなったとか。40日間も入院してもしっかりした人はしっかりされている。家に帰ってもひとりだからと医師に入院を長くしてもらったそうだ。

 昨日の動画の田原総一朗は89歳。出会った人は90歳。歳を取ったからと言って認知を怖れることはない。昨日の人は友だちと遊んでの帰りとか。何でも一人でやる人は元気!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月30日木曜日

YOU TUBEほか

 スマホのアプリ一覧のなかにYOU TUBEがある。暇つぶしに見ていると田原総一朗 の動画がある。芸人でなく著名人の動画を見ることはほぼない。何と30年間続いている朝食のルーティンだ。朝食を作るのは田原総一朗御年89歳自らだ。20数分の動画だがほとんどしゃべらずにやっている。キッチンでの撮影だが食卓テーブルは本と書類の山となっている。その山も一山ふた山でなく10も20もの山に本が高く積まれている。その一角に作った朝食をお盆に入れて食べている。が、トーストを食べるにも焼いたときバターを塗ればいいのに食べる直前にバターをつけるので冷えてしまって塗るというよりもバターを置く感じになる。いちご2つがお皿に並ぶがこれも食べる直前に練乳がないと気づいて冷蔵庫に取りに行く。飲みものは幾種類も飲んでいる。食パンを食べおえるとそれで終わりでなく、次は袋に入ったあんパンを食べる。卵は水を入れたフライパンに卵を割って入れて火にかける。殻のないゆで卵のようでそれが大きなお皿に一個乗る。

 見ていて栄養に気を配っているのはいいのだが、キッチンからお盆などに入れて本の山になっている一角に置く。が、その場所が狭くて、しまいには本の上に置いている。もしも何かの拍子で本などがひっくり返ったならば大変だ。食事後はすぐに洗って元の場所へ置いている。誰に教わったのか知らないが30年間も同じルーティンで朝食を作って食べる。ましてや89歳。これを見てまだまだ元気でいないといけない、と励まされる。

 田原総一朗その人については何の感慨も抱いていない。が、自分のことは自分でするという生き方は素晴らしい。

 昨日は月命日に大幅に遅れてお墓参りをする。毎月参っているので参らずにいると何か両親に早く参れと急かされる気がする。参った後は気分も晴れる。家に戻ってすぐに自転車に乗ってスーパーへ行く。途中、帽子が吹き飛んだ。そばに背が90度くらいに曲がったおばあさんが歩いている。シルバー人材センターは何処か?と聞かれた。その時、聞かれたのは我が町ではなく隣町のシルバーの名だ。隣町ではなく我が町のシルバーを教えてあげる。すぐ近くにあるのだが旧山陽道沿いにあるのでヨボヨボのおばあさんが歩くのは車が危ない。気をつけて、と教えてあげたが、あとで気になる。それはこのおばあさんがシルバーに登録するのかそれともシルバーを利用するのか、である。いずれにしても大変、と妙に気の毒になった。

 田原総一朗のように元気な89歳もいる。昨日のおばあさんはまだ到底その歳までには至ってないはず。しかし、背中は90度に曲がりヨボヨボだ。ヨボヨボと言ってもこのおばあさんも自分の足で歩いて自分のことを人に頼らずにやっている。これは素晴らしい!二人を見習う!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)善通寺のお坊さんの話で一つ忘れていた。それは三門などの出入り口での右足と左足の出し方である。入る時は右足から入り、出るときは左足から出る、といいそうだ。

2023年11月29日水曜日

2023年最後のツアーその2

 2023年11月26日(日)から27日(月)までの2日間、バスツアーに参加した。ツアー参加者は29名で今回は添乗員のほかにバスガイドが付く。8時40分、広島駅新幹線口2階のペデストリアンデッキに集合し、8時50分、バスは出発。瀬戸内しまなみ海道を通って四国へ行く。

1日目 2023年11月26日(日)

 途中、来島海峡SAでお昼を兼ねた買い物などの休憩がある。この日はJB本四高速がイベント「せとうち魅力発見」を開催しており、マルシェもあった。

 今年はこのSA に何度か立ち寄っている。1か月前にも行った。ここでの昼食も要領を得て、前回とは違う鯛だし入りのうどんをいただく。

 バスは新居浜市にある愛媛県総合科学博物館に向かう。日程表を見ると「世界最大級のドームスクリーンで星空を楽しみ」、とある。あまり期待せずに館内に入る。科学博物館、と名がついているがここは大人向けというよりも子供向けのように思えた。とはいってもドームスクリーンは迫力満点で恐竜の出現に興味をもって眺めた。また、当日の月は満月よりも1日まえであり夜空の星座もプラネタリウムで楽しめた。宿で見た実物の月も満月に近かった。
ドーム型の館内
 プラネタリウムを見た後は館内を見て歩く。4階の自然館に入ると自らが試せるコーナーがある。子供がやっているのを見てまねして試す。例えばランプのボタンを押してランプがつくとジャンプする。その秒数で年齢を予想する。子供のやるのを見て面白そうなので試してみた。運動神経は鈍くても結構早く反応できた。ほかにもいろいろと試した。子供が楽しむところ、と思ったが大人も結構楽しめる。愛媛のゾーンでは西日本最高峰の石鎚山と愛媛県に関する動植物の生態を映像で紹介していた。館内ではこの箇所が一番気に入る。

 2時間ばかり遊んだ後、バスに乗って石鎚神社に向かう。石鎚神社はお社が4社ある。一番上の山頂には頂上社、7合目の中腹にある成就社と土小屋遥拝殿、そして国道沿いから近くに位置する本社の4社である。9年前にツアーで石鎚神社に来ている。が、今回とはどう思いだしても違う。石鎚神社が4社あり、以前出かけたのは成就社であり、今回は一番初めにある本社だった。この日は日和もよかったのかお宮参りの家族でにぎわっていた。石鎚神社の本社までは何段もの石段を登る。上り始めに竹で作られた杖が置いてある。どの人も杖を持って石段を登る。まねしてもって上ったが途中で邪魔になる。紅葉はまだ残っていた。
 
 
石鎚神社三門
石鎚神社口の宮本社
 石鎚山参拝後、バスでひうちなだ温泉国民休暇村瀬戸内東予に向かう。ここへはツアーでお昼のランチを2度いただいたことがある。今回の夕食はお膳でなく、ビュッフェ。ビュッフェでも席は決まっており、海の幸をいただく。と同時に生ビールも。ホテルの料理も部屋もいいのだがただ和室でベッドはない。これは少々いただけない。

 太陽が沈まないうちは大浴場もさぞかし眺めが素晴らしいはずに違いない。生憎、日は沈み満月より1日前のお月さんだけが顔をだす。露天風呂にも入ったが外は真っ暗。明るければ瀬戸内の海が見渡せる!?この日の万歩計は9398歩。

2日目 2023年11月27日(日)

 行楽日和とはいいがたい朝を迎える。8時半、宿を出発してバスは産直市があるという周ちゃん広場に向かう。旅先でお土産を買うほうではない。が、柿の実が5キロ、10キロ入りの袋で売られている。価格を見ると500円という風にとても安い。柿は渋柿でなく丸い柿。(誰が買う?)と一瞬、思ったが、車で来る人も多いので柿を求めてやってくる人もいるのだろう。ツアーの人も1泊2日なのにスーツケースの人が多い。これにはびっくりだが、お土産目当てのツアー参加者がいるのかもしれない。1,2泊の旅はリュックで出かけるのでなるべく買わないようにしている。しばらくバスが進むと豊浜SAでまたもお買物休憩だ。

 総本山善通寺についた。今回の旅はバスガイドが付く。旅慣れたガイドも入り口に戸惑っていると三門でお坊さんが出迎えてくれていた。三門前でお坊さんの案内がある。善通寺は以前来たような気もするが覚えていない。1時間半ほどお坊さんの案内で行動する。このお寺は空海弘法大師が生まれたところとか。また善通寺の善通は空海の父である佐伯善通からのようだ。
善通寺三門

 三門を入ると右手に五重塔がそびえている。善通寺は弘法大師三大霊跡の一つ(残る二つは京都の東寺、和歌山の高野山)で篤い信仰をあつめているとか。今の五重塔は4代目であり1902年(明治35年)に完成した。この五重塔の心柱は懸垂工法で地面から浮いているという。しかしこの心柱の浮き具合が年々、縮まっているそうだ。そのため「40数年後には……」「その時また見に来てください」とお坊さんは話される。と聞いてもツアー客の中にさて誰が40年後に見に来られる!?このお話を聞いて笑いに包まれる。


五重塔

善通寺
 境内をお坊さんについて歩くと樹齢1300年ともいわれる大楠が2本ある。巨木は神様が宿る木らしく、この木の下でヨガなどをするとどんな名人でもうまくできないらしい。大木の「気」が勝るようだ。

 お坊さんから鳥居についても聴いた。鳥居の横に伸びた2本のうち下の方が短いのは神道で、上下が同じ長さの鳥居は神仏習合の鳥居とか。善通寺の鳥居は神仏習合のものである。
樹齢1300年とも言われる大楠

鳥居
樹齢1300年とも言われる大楠
 ほかにも面白い話を聞いた。左右にある仁王像である。善通寺の左の仁王さんは筋肉たくましいがなぜか丹田あたりのお腹が膨らんでいる。これは作者がよく学んだ人らしく丹田呼吸をしているとお腹がふっくらになるという。
お腹が膨らんでいる仁王さん

遍照金剛閣
 お坊さんのお話は御影堂に入っても続く。この奥にはたとえ事務方が30年勤務してもいっさい入ることはできないそうだ。が、お坊さんは毎朝のお勤めで入ることができるとか。この入られない場所を戒壇巡りとして造られたお堂がある。真っ暗なこの場所に入って自己を見つめるとか。とはいっても真っ暗な中をただ通り過ぎるだけで自己を見つめるどころではない。その後は善通寺の宝物殿を見学する。この中に家康書状と秀吉書状がある。これは実物らしくお坊さんによるとボンボン育ちの家康は漢字遣いが多く、学のない秀吉はひらがなが多いと言われる。確かに書状を読むとそうだった。

 善通寺を後にしてバスは中津万象園に向かう。お昼は万象園内にある味処懐風亭でいただく。食事後は各自万象園を散策。もらったチケット裏に書いてある地図を頼りに園内をめぐる。よく行き届いた園内を歩きだすとまだ紅葉も見られた。
園内の紅葉
 半分くらい歩いたところで石投げ地蔵尊があった。100円をお賽銭箱に入れて石を1つ手にして地蔵に向かって投げる。勢いよすぎて跳ね返って落ちた。願いは「元気で!」と記したが落ちてしまって残念!
石投げ地蔵尊看板

地蔵さんに向かって石を投げる


稲荷社
 園内は伏見稲荷を模したかのような朱の鳥居がある。散策後、園内に隣接する丸亀美術館に向かう。ヨーロッパの絵画の展示があった。丸亀といえば団扇も有名。そのミュージアムもあった。この日の万歩計は9548歩。2日間よく歩いた。楽しい旅は終わった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月28日火曜日

2023年最後のツアーその1

 今年、旅行社に申し込んだツアーは昨日とおととい出かけた1泊2日の旅が最後になった。コロナ禍になって以降、大手旅行社は広島から撤退した。そのため、利用するツアー会社は市内のバス会社が運営する2社のみ。その2社のうち、1社はほとんど利用しないので同じバス会社のツアー参加になる。以前は添乗員は同じでも参加者が同じ人はまずいなかった。ところが、同じ会社を利用すると見慣れた人も出てくる。

 今年のツアーでは四国方面の旅が多かった。バスツアーなので四国への旅は瀬戸大橋をわたる。車を運転しないので瀬戸内しまなみ海道を渡っても来島海峡SAと与島SAを渡る違いがよくわからずにいた。昨夜、今回のツアーで立ち寄った来島海峡SAでJB本四高速がやっていたイベント「せとうち魅力発見」でもらったパンフ一式の中に「本州四国連絡高速道路SA ・PAのご案内」の地図を見てこの2か所のSAの違いがわかった。与島SAは倉敷から坂出方面の瀬戸中央自動車道で来島海峡SAは西瀬戸自動車道、いわゆる瀬戸内しまなみ海道だ。

 もらった地図は中四国の旅に出かける際はよく見て出かけよう。

 出かけた場所は初日が愛媛総合科学博物館と石鎚神社参拝。石鎚神社は9年前にツアーで行った。しかし、今回は一番低い場所にある口の宮本社。歩きながら前回とは違うと思って帰宅後調べる。前回の石鎚神社は上から2番目にある成就社まで参拝していた。なお、石鎚神社は頂上まで4段階に分かれている。宿はひうちなだ温泉瀬戸内東予で国民休暇村になっている。1か月前にここでお昼のランチをいただき、周辺の散策をした。今回は夕方の到着で宿から外に出ずじまい。2日目は総本山善通寺参拝と池泉回遊式の江戸時代の大名庭園である中津万象園を散策。善通寺は以前、参拝したと思われるが覚えていない。今回はお坊さんの案内でいろいろと教えてもらった。また戒壇めぐり、という真っ暗な堂内をまわった。眼がよくないのであらかじめ懐中電灯を用意した。が、戒壇めぐりは目の良しあしは関係なく真っ暗な中を歩く。もちろん懐中電灯は使えない。

 歩きはじめて真っ暗になると左手で壁を伝って歩くようにと教わった。しかしこの時、盲目の人の気持ちがわかる気がした。というのも左手を壁に触って歩くのだが触る壁が遠のいていくように思えてくる。伝って歩かないと全く歩けない。前を歩いていた人の声も聞こえなくなる。後ろを歩く人たちの大きな声はするのだが自分の歩く速度が遅くて申し訳ない。と言ってもこちらは必死で前に進もうと歩く。仕方なく途中から両手を壁に添えて横歩きで歩いた。途中で薄明かりの場所に出た。それもつかの間でまた真っ暗だ。

 以前、祖谷(いや)のかずら橋を渡ったことがある。その時も怖くてなかなか渡れなかった。今回もまさに同じで夜、悪夢にうなされるかと思ったら疲れていたのか夢も見なかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月25日土曜日

未登録の電話

 携帯電話が鳴った。番号をみると050から始まっている。電話帳に登録していない電話番号へは出ない。そのまま電話が切れるまでほっておけばいいものを切りたくなる。が、慌ててしまってすぐには切れない。またかかってきた。すぐに迷惑電話に設定する。その時、メールが入る。受信メールを読むと一昨日ネットで予約したホテルのクーポン券云々の元であるところからの返答のメールだ。予約時、クーポンに関してわからなければ問い合わせるようにと問い合わせ先の掲載があった。その日は祭日だったのでメールで問い合わせた。その問い合わせの返答電話とメールだった。それによると個人での宿泊は奈良県の場合、7月末で終了していた。

 固定電話も携帯も番号を登録していなければ電話に出ない。こういう人がほとんどと思われるのか、旅行社も非通知の番号を登録して受け取るようにと促す。ホテルのネットの予約も予約確認メールを受け取れるように設定変更を求める。以前、スマホへのメールをパソコンからの送信は受信拒否にしていた。これだとホテルなどの予約確認メールが取れないと気づいて受信拒否設定を解除した。

 元を言えばパソコンで送ってくる一斉送信の迷惑メールが届くのを拒否するのが目的だった。しかし、パソコンからのメール送信を拒否するといろいろと不都合も出てくる。

 受信拒否ではないが同じことが家のチャイムでもある。チャイムが鳴ってもまずでない。後でモニターを見て誰なのかを確認している。変な世の中である。一部の変な人の為に世の中全体が振り回される。これから先はどうなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月24日金曜日

不染鉄

 ネット記事を見ると日本画家、不染鉄(ふせんてつ)の展覧会が奈良県立美術館である。あまり馴染みのない画家だが、この人の作品にひどく惹かれるものがある。ウイキペディアで不染鉄について調べるとつぎのように書いてある。

「不染の作品は、『克明な描写と、古絵巻に学んだ大和絵的手法を融合した作品』と評され、『俯瞰と接近の相まった独創的な視点』も特徴として挙げられる。その自由な表現と一つのものへのこだわり方からアウトサイダー・アートを思わせ、生き方は同時代の田中一村や高島野十郎を想起させる。……『芸術はすべて心である。芸術修業とは心をみがくことである』を信条とし、きれいでなくても小さくても。立派でなくても。淋しいんだから淋しい一人で眺める画を描こうと思った……『野心作だの大努力作よりも小さな真実をかこう』という芸術観をもち、『いゝ人になりたい』という言葉を残している」。

 この中に田中一村や高島野十郎が出てくる。来春、田中一村の絵を見に行く予定にしている。高島野十郎は数年前に出かけた海外旅行の帰りに見に行った。福岡空港に予定よりも早く到着した。新幹線チケットは「おとなび」を買っていた。博多から新幹線乗車まで3時間くらいあった。当時、新聞で高島野十郎の記事を見てとても魅かれるものがあった。幸い、その頃、福岡の美術館で高島野十郎展が開催されていた。スーツケースを駅に預けて、タクシーで展覧会場まで出かけた。自分で「これっ!」と思ったヒト、モノ、コトはすぐに舞い上がるところがある。かなりの舞い上がりようで絵を堪能した後は分厚い画集を買って帰った。

 その人と同じジャンルに不染鉄がいる、と知って昨日は午後からすぐに行動開始。不染鉄の展覧会は来春の始めから3月10日まで開催される。是非とも見に行こう、となって予定を決める。2月の中旬に決めた。次は宿である。あれこれ考慮して1泊2食付きのホテルを予約。素泊まりや朝食付きと違って2食付きは結構高い。が、この齢まで生きると好きなことのために使うお金に躊躇しない。元気であればこそ遊びにも行ける。その思いが年々強くなる。ましてや海外旅行のことを思えば金額的にも桁が一つ違う。

 ホテルを予約した。ところが、予約確認のメールが届いたのはいいのだが「stay navi クーポンの申請」を個人でするようにとの掲載がある。(奈良県はいつまでクーポンが付く?)と思いながらURLをクリックしてクーポンの申請を試みる。何度試みてもできない。途中で気づく。奈良県のクーポンはいつまでか、を調べると今月末までとある。たまたま今月、予約したので2月の予約も自動でメールが返信されたようだ。

 田中一村の絵は3月に予定している。これは遠く離島まで行かねばならない。ツアーを申し込んでいるが催行されるのを願うばかりだ。

 それにしてもこの3人に魅かれるとは……。よほど淋しい!?

 というか、何か遊ぶ目的を探して見つかればそこへ飛んでいく。その気持ちがそうさせるのかもしれない。何であれ、自分が「これっ!」と思ったことはできる限りやりたい。そうすれば後悔することもない!?そう思ったり。

 コロナ禍でくすぶっていた行動が昨年の長府に始まって京都、今年の臼杵、司馬遼太郎記念館の新大阪と奈良、そして来年の奈良、と一人旅をしたり、また予定もある。コロナ禍は自分にとっては一人旅に出かけるきっかけとなった。その点ではコロナ禍も悪いことばかりではなかった!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記)そういえば数年前に堀文子の絵を神戸や三次まで一人で見に出かけた。その時も堀文子の画集を買って帰った。予定している不染鉄や田中一村の画集も見に行ったならば買って帰ろう。本は増やすまいと思っても増える!?

2023年11月23日木曜日

ああ、ススキ!

 今朝は濃霧注意報が出て晴れていても薄暗く感じる。気温は22度まで上がるようだ。天気予報では明日からまた気温が低くなるとか。暖かいうちにと昨日、県立美術館で開催中の日本画五人展とそごうの画廊で開催の棟方志功展を見に行く。棟方志功の作品は是非とも実物を見てみたかった。デパートの画廊は作品の販売が目的のためか会場にいる人は少ない。ある小さな作品の価格を見ると150万円。たとえほしくても買うのは不可能。それにしても誰が買う!?

 テレビで棟方志功が目を近づけて必死になって木を彫っている姿を見ると感動してしまう。人々をひきつけてやまない感動がすべて作品となって表現されるのかもしれない。

 日本画の五人展は習っている先生たち5人の展覧会である。各自5,6点の作品を展示されている。中でも先生の「芒野の道」がよかった。秋になるとススキが生えている場所に行きたくなる。10月の作品展の時、その話をするとある人から我が家はススキの中に建っている、と。しかし、この話はどうも違うようだ。

 「俺は 河原の 枯れすすき~」と歌にあるように近くを流れる二級河川の河原へススキを見に行った。が、ススキは生えてない。県北部の芸北や深入山などに行くとススキ野原があるようだ。先生の絵も芸北のススキ、と話された。ススキといえば戦場ヶ原のススキが有名。高校の修学旅行で一度行ったことがある。しかし、それはひと昔もふた昔も前だ。

 近場では秋吉台が有名だ。以前、バスツアーで出かけたけど秋にツアーがあればまた行ってみたい。

 絵を見に行ってススキに感動してしまった。これも、まあっ、いいか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月22日水曜日

姉と電話で話す

 しばらく会っていなかった姪の次女が突然やってきた。チャイムが鳴っても変な人が鳴らしたと思って出ないようにしている。昨夕も出ずにいたがモニターを見ると制服姿で立っている。玄関を開けると姪の次女だ。母がいたころは次女はまだ小学生。近年は会っていなかった。用があって訪ねてきたので少しだけ立ち話をする。高校3年生になり、話す声も雰囲気も全くと言っていいほど姪とそっくりだ。これにはびっくり。次女の下に姪の長男がいる。

 子どもが成長するのは早い。「〇〇〇も大きくなった?」と次女に聞くと大きくなっているようだ。あまりにも姪親子が似すぎているのですぐに姉に電話する。しかし、趣味の会へ行っていたらしく夜に電話で話す。久々に姉ともこのことで長話になった。

 姉と話していると最近、歌にハマっているという。舞台で歌うと張り切っている。人前で歌う度胸もついたと笑って話す。姉は元来、母に似て運動選手。走るのも早いし球技もできる。それに引き換え、自分自身は運動音痴。小さい頃、弱かったので親の過保護で育った。姉妹と言えどもこれほど違う!?姉は今でも球技が特異で体を動かしている。他にも姉の特技は書道。これは父親似で今でも書を書いているという。歌と球技、それに書道で週3日ほど忙しいらしい。ただ一つ姉は悔やんでいた。それは早めに免許返納をしたことだ。しかし、義兄が運転するのでよかった、という。

 今年パソコンに接続していたプリンタが壊れた。姉が書道を続けていると聞いて手書きの年賀状を頑張って書こうと思いつく。しかし、パソコンやスマホで指は使っても字を書く習慣がない。年賀状を手書きで書くには字を書く癖をつけなくてはいけない。この期に及んでいきなり字を練習してもうまくは書けそうにない。少しずつボールペンで書く練習をする!?とりあえず年賀ハガキは買った。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月21日火曜日

etSETOraに乗車する


 人に誘われてetSETOraに乗車する。エトセトラはラテン語。これになぞらえて命名されたのが観光列車etSETOraだ。広島弁で「たくさんの」「多くの」という意味がある「えっと」。これに瀬戸の魅力を感じてほしいという想いを込めてロゴマークがつくられている。

 誘ってくれた人は観光列車に乗るのが大好きのようだ。エトセトラもこれまで3回乗車しているという。個人的には観光列車にそれほどの思いはないが初めて乗車した。乗車区間は往路と復路があり、広島駅⇔尾道駅間の呉線経由で走っている。昨日は広島駅から竹原駅まで乗車した。ちなみに乗車運賃は1520円でグリーン席券は1000円の計2520円。グリーン席はあっても観光列車は普通列車並みかそれよりもゆっくり走る。広島⇒竹原駅間は2時間で尾道駅までは3時間の乗車だ。

 観光列車と名がつくように乗客は多くの荷物を持った観光客が多い。車内ではグッズの販売やドリンクなどの飲み物に加えて老舗洋菓子店のショコラやタルト類の販売もある。

 広島駅ホームで数人に見送られて観光列車が発車した。乗車予約が遅かったのか席は海側でなく山側。といっても瀬戸内海は見飽きるほど見て育っている。しかし他所からの観光客は海が見えるとしきりに写真を撮っている。それも当然のことかもしれない。自分自身、見慣れぬ観光地に出かけると何でもかんでも撮ってしまうから。

 竹原駅で降車する。しかし、降りる人は数人もいない。皆さん、尾道まで乗車のようだ。竹原駅に着くと女性の駅長さんが出迎えてくれた。多分、無人駅と思われるがこの時ばかりはお出迎え!?

 2年ぐらい前、GO TOなどのキャンペーンを利用して竹原の観光をした。その時は一人での観光だったこともあり、地図を携えてあちこちを歩いた。昨日は誘ってくれた人にスケジュールをすべて合わせた。そのためどこを見たいとかの希望はなく、ただエトセトラに乗ればそれでよかった。それでも9149歩とよく歩いた。

 竹原の帰りは高速バスの「かぐや姫」号に乗車する。乗車前、竹原駅のトイレに入るととてもきれいだ。それもそのはず、今朝の地元紙を見ると竹原駅トイレリニューアルとの記事がある。最近新しくなったようだ。

 高速バスは70分で広島駅に着く。観光列車と高速バスに乗った竹原観光は終わった。幸い昨日はお天気も20度近くになり、歩いていても吹く風が心地よかった。この陽気はいつまで続く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月19日日曜日

新刊紹介記事から

 今朝の地元紙「読書」欄に碓井広義は『二人の美術記者 井上靖と司馬遼太郎』(ホンダ・アキノ 平凡社)の新刊紹介記事を書いている。二人には新聞社の美術記者だったという共通点がある。しかし、両者には芸術家に対する思考の違いがあった。井上が傾倒したのはゴヤ。ところが司馬が夢中になったのはゴッホ。ところが両者ともに宗教記者だったのは共通している。井上は僧侶の試験を受けたこともあるとか。それは「敦煌」に。また司馬は高野山で出家を考えたことがあるそうだ。それが「空海の風景」に。最後に碓井は次のように書いている。「井上にとっての美は『自分を引き寄せて永遠をみせてくれる』ものであり、司馬にとっては『人間にとって永遠とその精神を考えさせる』ものだった。」と。

 この紹介記事は興味深く読んだ。この本を是非とも読まねばならない。自分にとっての二人の共通点は中国。それもシルクロードである。これは自分自身の関心事なので二人に魅かれるものがある。司馬遼太郎にハマる前、とくに日本中がシルクロードブームに巻き込まれていた頃、自分自身もシルクロードに出かけ、ハマっていた。今から30数年前のことだ。当時は井上靖の本にハマっていた。「西域」ものである。そのため、司馬遼太郎にハマる5年前までは家にある本は司馬遼太郎よりも井上靖の方が断然多くある。

 ところが司馬遼太郎にハマった5年前からは井上靖にハマった勢いよりもハマり具合が半端なく深い。どういっても司馬作品を読む量も速度もこれまでの人生で一番ハマっている。しかし、読んでいる司馬作品はほとんど図書館の本である。

 話は変わって昨日は日本画教室の日。一気に冬到来となって着る服もダウンになる。半端なく寒い中、教室に出かける。描く絵は睡蓮。教室の5人のうち3人が睡蓮を描く。しかし、睡蓮と言っても同じではない。このあたりが面白い。ティータイムになった。昨日はいつもの自販機が故障中。仕方なく別の自販機でペットボトルの珈琲を購入。教室が終わると寒いにもかかわらず皆でカフェへ。今朝も寒い。

 ともあれきゅも元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月18日土曜日

マチュア

 先日、アプリの開発者である88歳の若宮正子が ChatGPTを使ったデジタル生活を楽しんでいるという記事を目にした。このChatGPTとは何か、と問われると今一歩わからない。若宮はこれを目覚まし代わりに利用するとも書いている。全く情報を知らないときはAIのロボットのような形のもの、と思っていた。ところがパソコンを起動すると検索画面にChatGPTとある。もしかしてこれは既存のパソコンやスマホで利用できる?と思ってスマホで試みる。が、途中で有料や無料などとある。面倒になってすぐにやめた。もっとChatGPTが何なのかを知らないと何も前に進まない。

 昨日、デジカメで撮った写真をコンビニへ行って現像する。今回は2度目の現像なので係の手を煩わせずにプリントアウトできた。写真の現像も以前だったらカメラ屋で安くしあがった。が、コンビニだと1枚当たり40円。40円が高いか安いかは別として以前ほど写真をプリントアウトしなくなった。その点では40円は安いかもしれない。というか自分にとってのプリントアウトは写した写真を絵のモチーフにするためにある。そのため、プリントアウトの枚数もそれほどの数ではない。

 ネット記事を見ていると毎日のように知らないキーワードを目にする。昨日はマチュア。マチュア世代、などと使うとか。成熟を意味するらしい。電子辞書で調べると掲載されている。このごろはわからなければスマホに聞け、とばかりに聞いているが。わからない言葉は一日に一つどころではない。というのもニュースになっているツイッター(X)やブログを見ているとわからない言葉だらけだ。これも時代について行く楽しみ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月17日金曜日

クラシックTVを見る

 久しぶりにクラシックTVを見た。ゲストは多久潤一朗。この人を知ったのはコロナ禍で思うように行動ができなかった頃、フルーティストの神田勇哉のツイッターやブログで知った。多久は神田や梶原との3人でマグナムトリオを組んでいる。3人ともフルーティストだが多久は吹いて音が出るものはなんでも演奏できるとか。昨夜の番組でもテーブルにいわゆるフルート以外にも各種笛を並べて吹いていた。そのなかでも変わった楽器(?)がある。それはちくわ。ちくわで曲を演奏する話は神田からの情報で知っていた。ちくわで吹くのを見るのが楽しみだった。いわゆる普通のちくわを1本口に当てて音を出す。初めて見る光景で興味深く見た。

 聞きなれたフルート曲から即興の曲まであらゆる分野の曲を披露する。小さい頃、リコーダを親から与えられ、耳にする音を何でもリコーダで吹いたそうだ。それが昂じてフルートを吹くようになったとか。

 放送中、画面にQRコードが出る。それをスマホで撮ると、そのままNHKプラスになった。テレビでなくてもスマホで生放送が見られるようになっている。これは初めてのことだった。NHKプラスをパソコンやスマホで見ている最中に生放送はよくある。しかし逆パターンもあると初めて知った。

 どういってもスマホデヴューは1年2か月前と遅かった。買い替えのころは数日、電話の受け答えがうまくできなかった。ところがこの頃は「スマホがわからなければスマホに聞け」とばかりに何でもスマホに問えば応えてくれる。ネットニュースでアプリを開発した88歳の若宮正子の記事を見た。その人が本を書いている。『88歳、しあわせデジタル生活』。これを読んでデジタルに強くなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月16日木曜日

「老いは『十分生きた証拠』老年期は自分のために生きよ」

 今朝のネット記事に「老いは『十分生きた証拠』老年期は自分のために生きよ」に同感する。これは日経ビジネスに小川仁志が書いている。これからは高齢者の「事実」を受け入れたビジネスが鍵になるとか。

 それによると「老いという人間にとって不可避の現象を、『生産性』や『生涯現役』『アンチエイジング』といった不自然な形でビジネス化しようという方向性は間違っているように思います。誰もが安心して老い、それでいて人生を楽しめる社会をつくるためにも、『消費』『働かない』『成熟』といった事実を素直に受け入れてビジネスに結び付けたほうが自然であるように思うのです。それこそが、本当に目指すべき高齢化社会なのではないでしょうか。」とある。

 同感しつつもこの意見には賛否両論ありそうだ。いずれにしても健康でなければどちらも選べない。自分の人生だから自分にあった道を選べばいい。究極は人生が終わるまで人生を楽しめたらそれでもう大満足。そのためにも元気は欠かせない!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月15日水曜日

日帰りバスツアーに参加その2

  2023年11月13日(月)、バスツアーに参加した。紅葉は今一歩だったが多くの写真を撮った。その中から絵になりそうな写真とタコ料理をアップしよう。出かけた場所が山間の地域にあり、また小雨も降っている。急遽、ダウンを着てのツアーとなった。家を出た際、首のあたりに寒さを感じる。それくらい冷たい朝だった。幸い午後からはお天気も回復。しかし、一日中、冬の到来を感じるツアーとなった。この日の万歩計は14868歩。 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

三景園の滝
三景園
三景園内の柘榴の盆栽は絵になりそうだ 
仏通寺

仏通寺の絵になりそうな多宝塔 
三原名物登喜将のタコ料理
三原名物登喜将のタコ料理

2023年11月14日火曜日

日帰りバスツアーに参加その1

  一昨日から一気に冬になった。昨日は朝から小雨模様のお天気。起床5時50分。すぐにエアコンをつける。日帰りバスツアーの日だ。旅は雨に左右される。お天気であればその旅は8割がた成功とか。急に寒くなったので出かける10分前に急遽、今季初の軽めのダウンを着る。また持参するナップサックも急遽、軽めのリュックに替えた。このリュックは1か月半前に友だちの家に行った際、レクト内の蔦屋で買った。携帯リュックは折りたためば小さくなる。さらには先日購入したポシェットも出番だ。

 出かける前に持って行くものなど計画を変えるとよくない。何もかも慌てた感じになる。これは怪我のもと!?広島駅新幹線口のペデストリアンデッキに8時10分前に集合する。この日のツアーは久々に利用する旅行社だ。参加者は29名。大半は1人参加だ。旅行社によっては1人参加は相席になることがある。ところがコロナ禍になって良心的な会社は相席にはしない。これがいい。

 このツアーは2年前の11月16日に同じコースで同じ旅行社で参加している。その際の幽玄の世界のような光景が忘れられず今回も参加した。ところがこの夏の異常な暑さで紅葉は今一歩だった。出かけた場所は広島空港そばの三景園、さらには仏通寺。お昼は三原港近くのタコ料理の登喜将でいただく。お昼としては豪華な料理でタコのやわらか煮、生きタコの刺身、タコピリ辛鍋、タコ天、タコ釜めし、お吸い物、果物などのタコ尽くしだった。

 テーブルには1人参加者が自由に座る。いつものことながら互いに引き合うものがあるのか気が合う人たちになる。午後からこの3人で観光しているとなんと血液型が同じだ。次に向かうは御調八幡宮。そして究極は今高野山。紅葉としては仏通寺と今高野山に期待していた。ところが前回とは打って変わって紅葉は期待外れ。自然が醸し出す風景なのでこれも仕方がない。

 午前中の雨も午後には上がる。しかし気温は低い。冷たいバスツアーとなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月12日日曜日

サムホールに箔を貼る

 日本画教室で先生からサムホールに箔を貼るように勧められる。最近、動きすぎて今一歩気が乗らない。が、先生は各種箔を持参されている、と思い直して睡蓮を描くのを中断する。幸い、以前に買って教室に置いていたサムホールがある。それに鳥の子紙を貼ろうとすると先生から釘が出ていると言われる。しかし、サムホールのどこを見ても釘を打った跡がない。しかし、釘は出ている。

 この釘を引っ込めないと鳥の子紙を貼れない。いろいろと皆で釘らしきものを打ち付けるもダメだ。その時、教室の人が大工さんの作業を見て知ったというやり方で釘を引っ込めてくれた。器用な人はなんでもできる、と感心してしまった。

 サムホールに鳥の子紙を貼ってその上に箔を貼る。貼ると言っても糊で紙を張り付けるのとは違って薄い箔を竹ばさみで剥がし、それを揉んで小さくする。このようにした箔は近くで息をすると飛んで行ってしまう。1枚目の箔は小さくしすぎてしまったのでパネルに貼っても同じ模様になる。これでは面白くない、とのことで結果6枚の箔を使って貼った。何とか面白く貼れたようだ。このサムホールに絵を描くのだが、何を描くかを決めていない。

 教室は3時間ある。前半はエンジン全開とはならなかった。が、ティータイム後、本来の元気を取り戻す。ティータイムでは各自持ち寄っておやつにする。車で来る人からはドリンクやミカンをもらった。毎回いろいろといただく。が、家に持ち帰ってもいただきものがたまってしまう。昨日はミカンを4個もらった。

 子供のころはミカンを一度に何個も食べた。しかし、このごろは一日に1個で十分だ。歳を取った!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月11日土曜日

『韃靼疾風録』(下)

 『韃靼疾風録』(下)(司馬遼太郎 中央公論社、1991年)を読んだ。清は明を征服する際、漢人に辮髪を強いた。漢人と女真人(満洲族)を髪型によって見わけ、それに逆らう者は刑に処した。このくだりは最初に記す。辮髪が明から清に代わる時の大事な役目を担っていたとは、なんとも驚き!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★”清朝”と称してはみたものの、その点の心もとなさは、一山の蟻を一人でのこらずつまみとろうとする空想に似ていた。女真人の人口は、せいぜい五、六十万人で、兵となると後方勤務や病人まで入れて十数万でしかなかった。この人数で中国大陸を征服しようとしている。ここまでくれば制服しかなく、もし長城外の故郷へ退きかえせば、士気がおとろえ、それにひきかえ旧明の勢力が勢いをえて逆にこの辺境の少数民族を押しつぶすだろう。征服するには、強制辮髪しかない。……すでにふれたように庶民をも辮髪にさせてきた。……さからう者はこれを殺す。殺すべきものがひとめでわかるのである。ひとびとは殺されまいとして辮髪にしたし、以後もそうなるであろう。……「辮髪」なんと異様なものであろう。それにしても、辮髪を国是とし、それでもって領域を広げて行った帝国は、世界史にない。……辮髪について、以下は余談になるが、主な地方において、旧明の勢いがつよい反発をみせつつも、清の勢力がかろうじて固まりはじめた時期、睿親王は容赦なくこれを強制することに踏みきった。反抗する者は、見せしめとして次々と刑殺した。床屋が、臨時の警吏になった。かれらは、剃刀の入った道具箱をかついで、町々をふれまわったのである。(476-478p)

★人は生物として臆病にできていて、本来、勇気のある者がいるとすれば、精神になにごとかが欠ける者といわねばならない。勇気は訓練と条件によってうまれるもので、そういうことでいえば武科の出身でもない袁崇はその種の訓練をうけたことがなかった。かれの勇気は、主知的にみずから作ったものであった。この点でも、かれは将としての性格をもっていたことになる。(37p)

★このあと袁崇煥はかれの部屋の諸将をあつめ、ひたすらなる忠義を説いた。袁はついに激し、刃をぬいてわが腕を撃ち、あふれる血をもって、忠義という文字を書いた。諸将はこれによって奮ったといわれる。忠とはマジメという意味であり、義は自然の情(じょう)にそむく無理なことを倫理上の要求でもってやることをいう。明室への忠義など、明人の感情には乏しいものであった。袁崇煥というのはこの時代の一希士であったといっていい。(39-40p)

★明の歴世のくるしみは、北虜南倭であった。北虜とは、明の領域の北部をさわがすモンゴル人のことであり、南倭とは、領域の南(揚子江とその南)を侵す日本海賊をさす。……北虜といい、南倭といい、明初や明の中期からみるといまははなはだしずかな状態になっているが、意外にも明朝の歴世が軽視し、警戒の必要もないほど団結力がないとしてきた女真族が、蜘蛛のように沸き起こっているのである。蘇州商人の若い手代が話している日本についての不安は、おそらくこういうことであったろう。(56p)

★天が皇帝の姓を他の姓に易(か)える。つまりは天命を革(あらた)める。そのことを易姓革命という。(62p)

★野蛮人のことを中国では、夷といい、胡といい、狄(てき)といい、また蛮という。いずれにしても、――沼沢で魚やスッポンにまみれてくらしているか、それとも草原で五畜とともに暮らし、動物同然のきたならしい連中。というのが、古代以来の野蛮人観だった。かれらは人ではなかった。(104p)

★「満洲」ということばが出てくる。新語にちかい。満洲とは、ホンタイジは民族呼称のつもりで使っているのである。当初は地名ではなかった。ついでながら、満洲というのは、漢民族がつくりだしたことばではない。先代のヌルハチ(太祖)が、民族名についてこれを女真とよぶことを好まず、しばしばマンジュ・グルン(グルンは国)とよんだ。マンジュについて漢族は満住などという文字をあてたが、ホンタイジは、漢字表記として満洲をあてた。人をさし、まれに地名をもあらわす。……「清」という独立国だけを、マンジュの地につくったのである。……――人を捕る。これが、ホンタイジ一代の政策の一つといってよかった。人を刈り捕ってマンジュにし、人口をふやし、国らしくするのである。(118-119p)

★女真の側から見てのホンタイジの功は、まず第一に蒙古賊を帰順させて武力を強化したということになるであろう。ついで、略奪した漢人に農地を拓かせることで、慢性的な女真の食料不足をすこしは改善したということになる。ともかくも、ホンタイジの存在は、巨大だった。漢人の官吏たちは、この異民族の皇帝のために、中国皇帝のような廟号をえらんだ。「太宗」なんときらびやかな廟号だろう。(131p)

★鄭成功はのち明の流亡の王から朱という国姓をもらい、忠公伯に封ぜられたことから、国姓爺(こくせいや)とよばれたりした。その呼称は日本にもつたわり、近松門左衛門が「国爺合戦」として書き、上演された。鄭成功の後半生は華麗で、悲壮だった。しばしば清軍をおびやかす一方、オランダ人の拠る台湾を攻め、降伏させてここを中国領として確定させたりもした。ただ寿は短かった。三十八歳で急死し、その雄図(ゆうと)もはかなくなった。(203p)

★洪承疇にあたえられたあたらしい軍職の呼称は葪(けい)遼総督というものだった。葪とは北京付近の地名である。葪という文字があることから、その軍事権は北京付近までおよぶ。遼という文字は、その後のいわゆる満洲を示している。北京周辺から満洲にいたるまでの広大な地域の指揮権を持ったのである。(223p)

★毅宗は北京を守るべき優勢な軍のないことに狼狽し、明朝最大の軍ともいうべき呉三桂の軍をよびかえした。呉三桂は寧遠城を空(から)にし、将兵および住民五十万をひきい、山海関をくぐって北京に急行したが、その途中、信じがたいことに北京城は李自成によって陥された、という報に接したのである。……明は瞬時に亡び、この大陸を統治することに百七十六年という王朝の末路にしては、ほとんど瀕死にちかかった。(316p)

★順王朝と”皇帝”李自成が歴史に公認されることなく、単なる賊としてあつかわれたのは『明史』の編纂態度にもよる。ついでながら、中国の雄大な慣習として、一つの王朝が終わると、それに取って代わったつぎの王朝が、前王朝の正史を編纂することがある。その慣習に従って、明のあとの清は『明史』を編纂した。(330p)

★「山海関の門を開けろ。――」この一声が歴史を変えた。清軍が明の本土になだれ込ませろ、といったも同然だった。明のために山海関の大関門を守ってきたこの将軍が、その任務を放棄したばかりか、異民族を洪水のようにこちら側に入れさせるという。史上、呉三桂ほど、劇的な立場にいた者はいなかった。……山海関を開けることによって、異民族の清が成立した。かれは、異民族国土そのものを売った。動機は、女だった。漢民族の一将が、陳円円をうばったことに憤り、面当てとして異民族に国を売ったことになる。(381-382p)

★女真。――これは、古称である。自称はマンジュ(満洲)、蔑称は満韃子(マンダーツ)、東韃など、民族の呼称さえ定まらぬこのツングース系のひとびとは、ついに、「清」と自称し、広大な旧明の城内に乱入したのである。(438p)

★阿蘭陀通詞(おらんだつうじ)の場合は通と書き、唐通事の場合は、慣例上、通と書く。おなじ身分の職で、外国文書の取り扱いと通訳、さらには事務官として貿易の業務をあつかう。身分は堂々たる士分である。(504p)

★清朝以後、現在にいたるまで、中国では「満洲」または満洲族とよばれている。……満洲とは本来地名ではない。(地名なら満とでも表記するところである。)満洲とは民族名で、こんにちでも中国においてはその使われ方はかわらない。(525p)

★清朝のころは、北京の満洲人たちは”旗人”とよばれ、貴族というほどの語感と内容をもつ階層を形成していた。減満興漢の大合唱のなかで清朝がくずれ去ったあと、遺民たちは満洲人であることを秘し、中国の姓名を称した。故郷の東北地方にいたひとびとも、満洲人であることを積極的にいわず、固有満洲語をつかうこともはばかったため、ことばも死語同然になった。二十世紀初頭まで中国を支配していた王朝の言語が死語同然になるなど、劇的といっていい。(533p)

★漢族の文化に同化したといえば、旗人たちは北京では中国語をつかった。かれらのつかう中国語が、北京官話とよばれたのである。キングス・イングリッシュというようなものであった。「北京官話」とは、新中国以前に存在した標準中国語のことをさし、また清朝高官(マンダリン)のことばでもあった。ここには多分に満州発音が入っている。(535p 女真人来り去る――あとがきにかえて

★モンゴル高原のオルホン河川流域で遊牧していたタタール族の名が北アジアの遊牧民ぜんたいの呼称になったのである。さらにひろがって、十三世紀のチンギス・ハーンの民族そのものをさすようになった。が、この作品に登場する民族は、韃靼(タタール)――モンゴル人――のように世界史のブロード・ウエイを往来したひとびとではない。現在でいう中国東北地方の山間や河川に散居していた小さな素朴民族のことを、ここでは韃靼とよんでいる。かれらにつては、モンゴル人たちが「ああ、豚を買っている連中か」と、一格下げのようにみていた。かれらのことを、漢民族は、古来、女真人とよび、ときに満洲(マンチュウ)とか、”満韃子(マンダーツ)”とよんだ。(554p 文庫本のために)

2023年11月10日金曜日

ポシェット

 昨日のネット記事president on-lineに「これができないと孤独な老後が待ち受ける…87歳医師が『老年になったら徹底すべし』と説く生活態度」から自分の都合のいい箇所だけを記そう。それは「人といつでも交流できることは、幸福の一大条件」と「自分を発信できていれば孤独ではないのです」である。まあ、これはともかくとして孤独な老後だけは避けたいものである。

 昨日は人からもらったチケットをもって松本明慶仏像彫刻展を見に行く。会場は福屋八丁堀店。しかし、出かけた目的はそれ以外にもある。それはポシェットの購入である。数日前、用事を済ませた後、福屋駅前店でポシェットを物色した。が、他の売り場にもいいものがあるのでは、と思って買わなかった。彫刻を見た後、ポシェットを見て歩く。しかし八丁堀店で軽くて安いものがあったがファスナーが付いていない。場所を移動して本通りを抜けてそごうへ行く。ここも今一歩の感じでバスに乗って福屋駅前店に移動する。

 先日、下見した1階の売り場に行くとこれもあまり気が進まない。2階へ移動してポシェットを探すが先日物色したものが見当たらない。係に数日前にあったものが売れた?と問うと、どんな商品かを聞かれる。係に探してもらうとあった!すぐにそれを購入。

 ポシェットが欲しいと思ったのは旅に出たときである。これまではショルダーバッグをかけて歩いていた。ところが、このごろはなんでも荷物は軽くするに限る、と思うようになった。観光するときは軽量のリュックやナップサックを背負って歩く。その際、その中に貴重品などをポシェットに入れ、そのポシェットをそのままナップサックやリュックに入れれば何も手にすることなく歩ける。

 ポシェットをそごうで物色中、自分には相応しくない高級な売り場に入った。手にするとなんと36000円。もしかしてそこはブランドショップ!?係は驚く私を見てよくぞ見てくださった、みたいに言われる。そうかもしれない。高級な売り場に入っただけでも恐ろしい。今回購入したのは9900円。これは福屋駅前店のバッグ売り場にあった。軽量で小さくて柔らかいポシェットだ。

 その後、ティータイム。すぐに買ったポシェットを袋から出して眺める。大いに気に入る。近いうち、日帰りツアーに参加する。その時、このポシェットはデビュー!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年11月9日木曜日

『韃靼疾風録』(上)

 『韃靼疾風録』(上)(司馬遼太郎 中央公論社、1991年)を読んだ。この上巻のほかに下巻もある。長い小説だが興味深く読んだ。まだ下巻の100頁ほどは読み終えていない。この時点で『司馬遼太郎全仕事』のこの本の「読みどころ」を見ると次のように書いてある。それは「『自分は何者なのか?』壮大な大陸歴史絵巻の裏から浮かび上がる、孤独な男の自分探しの物語。切なくて力強いその結末を、胸いっぱい味わってほしい。」と。下巻の最後の100頁をこれを参考にして読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★まず平戸島の北端 の田ノ浦まで行った。そこで、三日とまり、日和(ひより)を見た。こういう入念な性格のことを、この当時、島では念者(ねんしゃ)といった。庄助は念者だった。わずか一里半の北にうかぶ島にわたるのに三日も日和を見るということだけでも、庄助は風変わりな男であった。(33p)

★タタール(漢字表記して韃靼)とは、もともとモンゴル民族内部での一部族の呼称にすぎなかった。元以前の宋代の漢民族が、モンゴル人全体を韃靼とよびはじめ、元代ではそのようによぶことをはばかって表面ではそういう呼称をつかわなかった。元がほろぶとき、中国大陸を支配していたモンゴル兵は。土地に執着せず、風のように騎馬で北の草原へ帰っていった。そういうふしぎな滅亡の形態を当時、北帰とよんだ。明帝国では、草原に北帰したモンゴル人のことを、卑しんで韃靼とよぶようになった。(69p)

★日本には明の商人の口から仄かに伝わっていたものの、「愛新覚羅(アイシンギョロ)・奴児哈赤(ヌルハチ)」という異様な名は伝わらず、それを耳にした最初の日本人は庄助であった。(128p)

★「旅順」奇妙な地名というほかない。……遼東半島の先端にある大きな「口」に入りこみ、安堵するのだが、その口を「旅順口」と船乗りたちはよぶのである。つまりは、山東を発し、廟島群島を経、遼東にいたる船にとって旅程の順路にあるがために旅順という。(281-282p)

★ 「アゴよ。漢人(ニカン)の地には人の数奇(スウキ)はある。しかし胡地(こち)にはない。胡地とは、この場合、この韃靼の地をさしているのであろう。数奇。人が人間の関係においておちこむふしぎな不運。――こういうことばは女真語にはないため大夫人はここだけことさらに漢語でいった。数奇は胡地にはない、という大夫人のことばのあやしさに庄助は驚き、つい、「数寄は胡地にないとは?」と問うた。「胡地にあっては」大夫人は、ふと嫌悪を表情にうかべ、「人はことごとく数奇です。すべて数奇であるがために数奇はないにひとしい。漢土にあって人はまれに数奇におちこむ。従って王昭君の数寄もまれなるがために千載に伝えられる」大夫人のいうとおりならば、文明というものは人をして数奇たらしめない状態をさし、野蛮とは数奇が大地に盛りあげたようにある状態をさすことになる。その真否はいずれであるにせよ、大夫人があやまって胡地にうまれたわが身を悲しんでいるのに違いない。(386-387p)

★明は、日本の室町の将軍義満のころ、蒙古帝国である元をほろぼすことによって中国を統一した。中国を支配していたモンゴル人たちは、占領地に執着せず、潮がひくように馬に騎って漠北に去った。ひとびとはこの奇現象をモンゴル人の北帰とよんだ。北帰したモンゴル人は遊牧生活にもどり、その後、しばしば辺境を侵した。英雄が出ると、その勢力が強大になり、英雄が死ぬと衰えた。……かれらの勢力は、微弱になった。……女真は古来、モングを怖れ、かれらに従属するかたちをとってきたのである。それでも、ヌルハチはモング対策に腐心した。(403-404p)

★中国は、歴世、大乱によってくずれる。乱にあっては律儀者が忠臣になり、放埓物が大小の賊になる。賊の小なるものは大に吸収され、やがて巨魁になった者が、英雄になる。そのうちの幸運な者が、つぎの王朝を興すのである。(459p)

★庄助は石伏魚のことばをききつつ、(なるほど明は大きい。その天下は天地をおおっている)と、おもった。皇帝は官吏を傭って統治組織をつくるだけで、王朝を成立させているのである。王朝にとって民は、食餌でしかない。田畑を耕して王朝を食わせ、機(はた)を動かして王朝に衣服を着せるのである。民にとって王朝が忠誠の対象であった歴史は一度もなく、王朝もそれを期待したことがない。王朝が崩れようとするときには、民は鍬を戈(ほこ)にして、王朝に対し病犬(やみいぬ)でも打つようにして打つ。そのくせ、民にしてしかも仁や義のあるものとなると、日本国よりもずっと多いように思える。この場合、石伏魚の仁も義も、庄助にそそがれている。石伏魚にすれば、庄助が、庄助であるという理由のみで情をそそぎ、庄助が日本国の人間であるという属性はかれにおいて何の意味ももたない。(540-541p)

2023年11月8日水曜日

500m泳いだ!

 自転車に乗ってプールへ行く。前回までとは違って久しぶりに500m(10往復)泳いだ。しばらくは500mを泳ぐようにしよう。500mのうちのほとんどは背泳ぎ。最近、草臥れているのかクロールで泳ぐと、きつく感じる。無理してクロールで泳がなくても、と思って背泳ぎで泳ぐ。プールは浅い方で泳いでいる。というのも背泳ぎだとクロールよりも泳ぎが遅い。人に迷惑をかけないようにと泳ぐ人がいない浅い方で泳ぐ。

 クロールで泳ごうとすると隣のレーンを泳ぐ人がいる。この人にどれくらいついて泳げるか、無意識のうちに競争する自分がいる。真ん中あたりでその人と並んだ。そして最後はちょっとだけ前に進んだ。泳ぎ終えてその人の泳ぎを見るとゆっくりだ。自分自身もそれくらいゆっくりと泳いでいると知る。いまさら人と比べても仕方がない。それなのにどこかで意識しているのかもしれない。

 泳ぎ終えて何年振りかで隣接するスーパーに拠った。そこで濡れた水着やバスタオルで重たいにもかかわらず牛乳などを購入。さらに荷物が重たくなる。これがいけなかった。自転車で帰路に向かう途中の踏切で遮断機が下りだす。自転車を押していたサドル部分が遮断機にはさまれてどうやっても動かなくなる。仕方なくそのままにして踏切を出た。一度警笛が鳴ったが貨物列車は通り過ぎた。遮断機が上がるとサドルも動く。その時、反対側から人が駆け寄ってくる。「大丈夫!?」と心配してくださる。また「怖かったでしょ?」とも。何とも親切な人だ。

 いつも利用する踏切は3か所ある。しかし他の2か所は遮断機がソフトなのでたとえ降りたとしても自分であげて通られる。ところが昨日の遮断機は重たくて頑丈にできておりどうやっても動かなかった。また遮断機が降りた際、頭があったのか眼鏡の鼻にかける部分が動いていた。何もかも大丈夫だったけどこれからはここの遮断機は気をつけよう。どういっても踏切の幅が半端なく広い。元気な者でも自転車を押して渡ると遮断機に引っかかる。もしも足が悪い人ならばどうなる!?

 そのためもあって長い年月をかけて踏切横断をなくすべく高架化が進んでいる。しかし、その完成はまだまだ先の事。とはいえ工事は着々と進行中だが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!