2023年12月27日水曜日

『街道をゆく』(八)「種子島みち」

 これから先の最高気温を見ると14度前後の日が続く。昨日の11度の最高気温は暖かく感じた。ましてや14度前後でお天気もよいとなればいい年末年始となりそうだ。

 昨日、プールに行くと下駄箱付近に来春4月からのプール利用条件変更の張り紙がある。利用しているプールは市の施設でなく隣町のプールだ。この10年近く隣町のプールを無料で利用している。改定後は400円となるとか。たとえ400円になっても自転車に乗って行ける距離にあり、利用者も少ないのでありがたく利用したい。このプールを利用する前は区のスポーツセンターのプールを利用していた。そこは隣の駅にありJRに乗って泳ぎに行っていた。泳いだ後の濡れた重い荷物を持っての移動は大変だった。そのころ、利用者から今のプールを教えてもらう。

 泳ぐことに目覚めて早40年が過ぎた。水泳教室で正式に泳ぎを習ってからも20数年になる。水泳は一人で泳げるし、また泳ぐことは楽しい。ましてや何歳になっても泳げる。大の運動嫌いだったが水泳は自分に合っていたのか長く続けている。

 以下は『街道をゆく』(八)「種子島みち」(司馬遼太郎 朝日新聞社、1999年第10刷)から気になる箇所を記そう。

★元来、薩摩藩というのは武士に学問は要らないと言いきる風があったほどにそういう気分の薄い藩であった。ただ種子島だけは例外とされていた。この島だけが好学の風を強くもっていたというのは、どういうわけであろう。『鉄砲記』にも、西村織部丞について、「頗ル文学ヲ解ス」と、わざわざその旨を書いている。室町末期にあっては京都あたりでも学問をしている者といえば五山の禅僧か公家の一部ぐらいのものであった。種子島という僻陬の小さな島で「頗ル文学ヲ解」している人間がいたというのは、織部丞が特異例であったというより、そういう風土があったのではないか。(407p)

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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