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2025年9月25日木曜日

眼科へ

 今朝は朝から眼科へ。眼圧は13と17だった。それにしても暑さが過ぎれば次は雨?というほどよく雨が降る。1年のうち、何日いいお天気の日があるのだろう。お天気に左右される年齢になった!?

 家に帰ると某金庫から秋の日本画展の案内ハガキが届く。ハガキの郵便代も110円と高くなった。それもあるのか郵便ではなくほかの形で配布のようだ。

 眼科に行くと入り方が変更となっている。靴からスリッパに履き替えていたが靴のままでよくなった。このやり方は歯科もそうだ。見知らぬ人が履いたスリッパを履くのは嫌だった。特に素足では履けない。

 しとしとと雨は降り続く。そして一日ごとに秋は深まる!?

 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2025年8月22日金曜日

眼科で

 今日の最高気温は予報によると36度とある。これは暑い、と思って朝からスーパーとドラッグストアに出かける。帰宅後の流れる汗は体中から噴き出る。着ていた服をすべて着替えてどうにか汗も落ち着く。いつものようなカンカン照りではないが蒸し暑さは半端でないようだ。

 昨日の眼科では眼圧は15と18。暑さの中、来院の人は少ない。眼科医は女性のかなりの年配者。もう長くは医院を続けられるとは思えないが変わらずに通っている。医師との雑談で文庫でもどんな小さな文字の本でもパソコンでもスマホでもなんでも読めると言った。すると昨年までガラケーを使用されていた先生は手もとに置いていたスマホを出された。まだ何も利用できないと言われるので何でもスマホに問えば応えてくれる旨話す。マイクの印に向かって話す旨、さらに告げた。先生は画面の応答を見て驚かれる。

 スマホ初心者が偉そうに人に教えるほどではない。にもかかわらず自分自身、わからないことだらけのスマホに向かって問いかけると大概解決した。その思いがあるのか、わからなければ人に問うのもいいがスマホに問えばさらにいい、との思いがある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年7月24日木曜日

眼科の後に

  暑い中、眼科に出かける。眼圧は14と17。眼科の帰りに最寄り駅にある24時間営業のスーパーに立ち寄る。買い物を済ませて家に帰ると汗が噴き出る。一日に1回は動いて汗を流すのがいいらしい。家に帰るとまたも汗との戦いが始まる。それが落ち着くと留守の間に、と思って固定電話を見る。050から始まる電話がかかっていた。すぐに迷惑電話に設定する。その後でどこからかかってきたのかスマホで調べる。何と迷惑電話ではなく県のLED……からだ。恐る恐るかけ直す。

 先日近くの電気店でLEDの照明器を取り付けてもらった。その際、県から5千円の補助が出ると教えてもらった。電話をかけるとやはり変な電話ではなくてLED関連だった。1か所、書類の不具合があるという。しかし、書類提出は電気店任せだ。どうも同意事項にチェックが入っていないらしい。いろいろと確認されてチェックを入れるようにお願いした。そして変な電話かと思った旨も話した。先方は笑っていた。

 固定電話もスマホの電話も登録していない番号には決して出ない。そのことはいいのだが、先のように失礼なことも起きる。どうであれ悪いことに利用されるよりは慎重にならざるを得ない。本当に変な世の中になった。そして暑い世の中になった。この先2週間を見ると連日36度の最高気温が続く。エアコンはフル稼働だが人の頭もフル回転させなくては変な世の中に惑わされる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2023年12月1日金曜日

12月になった!

 今日の最低気温は6度、最高気温は11度の予想で寒くなりそうだ。が、日が射している。昨日は眼科へ行くが何も変わったことはない。眼科を出て自宅最寄り駅に隣接するスーパーに入る。特別に他のスーパーと変わってはいないが時にいつもと違うスーパーに立ち寄るのは楽しい。

 午後になって明日の日本画教室でサムホールに描く予定の写真を選ぶ。ついでにF6のパネルに描くモチーフも選ぶ。選んだ写真をもってコンビニへ向かう。サムホールには写真をB5に拡大し、F6のパネルにはA3に拡大してカラーコピーする。コピーを終えて帰る途中、年に一度も会わないような近所の人と出くわす。時刻は夕方5時前。暗くなるし、また寒い。その人は90歳になったとか。一人暮らしで10月に両掌の手首付近を手術したそうだ。なぜ、手術を、と問うと手の神経がなくなったとか。40日間も入院してもしっかりした人はしっかりされている。家に帰ってもひとりだからと医師に入院を長くしてもらったそうだ。

 昨日の動画の田原総一朗は89歳。出会った人は90歳。歳を取ったからと言って認知を怖れることはない。昨日の人は友だちと遊んでの帰りとか。何でも一人でやる人は元気!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年11月25日金曜日

眼科へ

土手に咲くコスモス

皇帝ダリア
 眼科に出かけて眼圧を測ると13と18だった。いつもにぎわっている眼科だが、昨日はなぜか一人だけ。時間もあるのか医師はこれまでなかった手帳のようなものを取りだす。そこには 文字の大きさが違う1行だけの文が何列か並んでいる。そのうちの2番目に小さい文字の文が読めるかどうかを聞かれる。小さい文字はどんなに小さくても読める。それがふしぎだったのかさらに小さい文字の文を読む。もちろん読める。先生曰く「この2行は一般の人は読めません」と。それに応えて「もっと小さい腕時計に書いてある字も読めます」と話す。これもすべては人よりもひどい近視!?

 目がいい人は小さい文字が読みづらいと聞いたことはある。その点、視力がよくなくてもどんな小さい文字でも読める。先生はさらに「小さい文字を読むと目がつかれるでしょ?」とご自分の顔の疲れる場所を指して聞かれる。それに応えて「どんなに本を読んでも疲れない」旨、話す。実際、ほぼ毎日のように司馬作品を読んでいる。が、それで目が疲れたとは思わない。と言いながらも目は大事と思っているので決して無理な生活はせず睡眠は充分とっている。

 眼科を出ると目の前を流れる2級河川の土手に皇帝ダリアが1本咲いている。近づくとコスモスや菊など数種類の花が植えてある。誰が手入れするのか他にも苗が植えられていた。その場所は川の上を国道が通っている。賑やかな場所にひっそりと咲いていた。

 先日各戸にこの2級河川の改良工事に伴うアンケート用紙が送られてきた。すでにアンケートを送付済みだが、送った後で島根県の木次を流れる斐伊川の土手を思いだした。両岸は桜並木となっている。それもかなりの距離だ。我が家の近くの河川にも桜は植えてあるが川の一部分である。アンケートに「斐伊川の土手のように桜を植えて堤防にする」、と書けばよかった、と後で悔やむ。斐伊川の桜は護岸の斜面に沿って植えてあり堤防となっている。

 お天気のよさはまだまだ続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年9月25日金曜日

眼科へ

  今読んでいる司馬作品は『胡蝶の夢』。これは佐渡島の人が主人公の作品である。司馬遼太郎は全国いや世界も含めてあちこちの『街道をゆく』をシリーズ化して書いている。作品に取り上げる人物の出生場所によって作品の舞台も違ってくる。各地を取材して歩いた結果が街道をゆくにもなったのだろう。竜馬は高知、吉田松陰や高杉晋作は長州、『空海の風景』の空海は高野山、と思いつくままに挙げてもいろんな場所が浮かぶ。高野山は再来月、2泊3日で出かける予定。佐渡はまだ行っていないのでここも行きたいリストに上がりそうだ。

 昨日は眼科の定期検診に出かける。先月の眼圧は14と16.昨日は15と17だった。視力は悪くても視神経はきれい、と医師に言われる。今、気になるのは歯科。9月から歯科通いを続けている。80歳で20本以上の歯があるといいそうだが、今のところまだ十分歯が残っている。残った歯は大事にしよう、と改めて心する。次に行く歯科は来週の予定。

 今朝は雨も上がって午後からは晴れそうだ。高野山行きの旅費の請求書が届いた。旅の催行が決定したようで一安心。遊ぶにも元気が必要だ。プールに行くか行くまいかただいま考慮中。いずれにしても晴れなくてはプールへ自転車で行かれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年4月16日木曜日

ザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」を見る

 マスクをしないでいたが、定期的に出かける眼科へマスクをして出かける。いつもなら午前中に出かける眼科。急に思いついて午後に行くと待っている人が誰もいない。受付で聞くとコロナの影響で来院する人が少ないという。眼圧をはかるだけであとは何もしない。14と16で問題なし。眼科の前は川が流れ、護岸には見事な桜の木がある。桜の開花のピークは過ぎた。なじみの看護師は桜を見て国道を通って帰るといいと教えてくれる。川土手まで行って桜を眺める。携帯で写真に撮り、初めての道を通る。国道に出た。さすがに国道。車が猛スピードで通り過ぎる。歩道は広くても怖すぎる。途中、いつも通る県道に出るとパチンコ店がある。まるで高速道路にあるパーキングエリアのように広い。ここを勝手に抜けて県道に出る。外出自粛どころかパチンコ店は賑わいをみせているのだろう。人が入って行った。

 テレビが面白くないと思っていた。昨夜、NHKのBS1でザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」の放送を見て惹きつけられてしまった。番組HPを見ると以下のようにある。

★スーパーロックバンドKISSの創設者、ジーン・シモンズ(70)。46年間、悪魔を演じてきたが、ついに引退を決意。独占密着取材で知られざる“素顔”を明らかに!
ラストツアーの舞台裏!火を噴く秘密、悪魔メイクはなんと自分で▽70歳の今も20キロ近い衣装で、2時間休みなく演奏。過酷なステージを支えるものとは▽原点は最愛の母の生い立ち。ナチスの強制収容所に送られ、両親が殺害されるのを目の当たりに。過酷な人生を乗り越えた母の教えとは▽ビジネスも大成功!関連グッズの売上は1000億円以上。「いつも金がもっと欲しい」▽スーパースターの心の内。「我々は頂点のまま去る」
 
 音楽と言えば若いころはニューミュージックを聞き、歌謡曲も聞いた。大人になるにつれてクラシックに興味を示す。ところが昨夜見たロックミュージック。やかましいだけのロック、と思っていた。ところが昨夜のヒューマンをみてミュージシャンの心の奥を覗いた感じがして、興味津々で最後まで見る。久々に眠っていた何かが目覚めたような感覚で面白くテレビを見た。
 
 ヒューマンにシモンズを取り上げる意味がわかる番組だった。この番組の主役はジーン・シモンズでユダヤ人のためアメリカ人らしい名前に改名している。底辺にあるのは「人生は一度きり」。これは誰もそうだ。その気持ちが彼の生きざまになって歌になる。25年来の彼のマネジャーはシモンズが「メールの返信7秒、電話の返事7秒」と即返答と話す。日本公演には全国からのファンが駆けつける。なんと彼らと一緒に写真を写る参加費は15万円。それでもファンは彼らと同じ格好をまねて写真におさまる。すべてはお金、とシモンズは話す。お金が嫌いな人はいないだろう、と。世界中のお金持ちにユダヤ人が多いのもこれを見てうなずける。
 
 来年7月にシモンズの母が眠るニューヨークで最後のコンサートをするそうだ。シモンズたちはコンサートのメイクはすべて自分でやり、身に着ける衣装や靴は20㎏。18㎝と高いブーツを履いて休む暇なく演奏し続ける。休みはドラムソロの2分間だけ!?
 
 シモンズは話す。
 
・「生かされている限りは上を目指す責任がある」。母の教えがジーンの原動力となった。
・厳しい生活の中、「アメリカ文化の洗礼」を受ける。
・何もかもわからず、体が自然に踊り始めた。
・ユダヤ教の名前にアメリカは受け入れづらい響きだった。ある日、ジーン・シモンズになった。
・我々のようなバンドは他にない。
・母に大金の小切手を見せたら、「さあ、次はどうするの?」と私に聞いた。
・人生どん欲に愛せれば、色気を持ち、力を持ち、突き抜けられる。
・全ての力は内なる自信から湧き出る。
・夜が明けたら明日の自分の記録を塗り替える。そうすればチャンピオンだ。
・2021年7月、母フローラが眠る土地ニューヨークで最後のコンサートが行われる。
 
 本当に元気をもらった番組だった。今さらロック、という感じだが、若者や人々を魅き付ける音楽の意味がわかる。本場のジャズを聴くのが夢だが、ロックも聞いてみたい!
 
 そうそう、忘れていた。一番びっくりしたのは灯油を口に含んで松明に吹っ掛けるパフォーマンス。それと、常に悪魔のごとく舌を出している。まあ、悪魔を気取っているから当然かもしれないが……。
 
 ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!

2019年5月9日木曜日

あれこれと……

 スウェーデンのブロガー、ダグニーさんは昨日、107歳になられた。今朝ブログを見ると真っ赤なワンピースの上にジャケットを羽織っておられる。いつもはズボン姿だが、今回はワンピース。立派な両足が写っている。足の衰えからヒトは弱っていく。この足を見る限り、まだまだお元気でいらっしゃるだろう。

 それにしても真っ赤な服がよく似合うダグニーさん。歳をとると明るい色の服を着るのがいいと聞く。これからの衣服選びはダグニーさんを見ならいたいものだ。だが、いくら明るい派手な色であっても人間が地味ならばどうだろう。真っ赤を着ても真っ黒い服を着ていると思われそうだ。

 昨日、定期的に出かける眼科で95歳の女性に合う。95歳であっても2階にある眼科まで階段にあがって来られたのだろう。お元気そうだ。この眼科は母も亡くなる前まで通っていた。医院兼自宅の自宅にはエレベータが備えてある。車いすでは階段は無理なので自宅のエレベータを利用させてもらっていた。95歳の女性を見てふと母を思い出す。こういう人を見るとついつい「まだまだお元気、大丈夫!」と励ましてあげる。どういっても95歳で1人で眼科に通えるだけでも立派だ。

 昨日と言えば『竜馬がゆく』の7巻を読み終えて図書館で最終巻の8巻を借りる。『竜馬がゆく』は文庫本なので単行本に収録されている著者の「あとがき」が納められていない。それが8巻にそのすべてが収録されている。8巻を読む前に先にあとがきを読むと司馬遼太郎の竜馬への切ない思いが伝わってくる。そして改めて司馬作品を読むきっかけとなった大連行きは大正解だったと気づかずにおれない。司馬遼太郎の『坂の上の雲』と『竜馬がゆく』を読むようにと促してくれた人に心から感謝している。

 それにしてもこの『竜馬…』もすぐに読み終えそうだ。大連に出かけた後の12月中旬から今日までの半年間は毎日司馬作品を読むことに明け暮れる。次は何を、さて何を読もう。これから一生かかっても読み切れそうにないほど多量の司馬作品。ひょんなきっかけで、ここまで司馬作品にのめり込むとは……。我ながらあきれるほど司馬作品にはまってしまった。2つの本は文庫本にすれば16冊読んだことになる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月8日金曜日

『坂の上の雲』(四)

 今朝の地元紙で堀文子の訃報を知る。御年100歳であってももっと生きていてほしかった。堀文子の絵は以前、兵庫県の美術館で初めて見た。そして、年末の12月に三次の美術館で見る。堀文子は絵の良さもあるが生き方にも魅かれる。今朝はダグニーさんのblogのアップがない。

 昨日、銀行で引き落としの記帳後、眼科へ行く。眼圧は異常なし。その後、大型電気店に自転車で向かい、ポイントの記帳をしてもらう。3か所を自転車で移動すると結構な運動量になる。昨日は他にも今月予定していた日帰りバス旅の催行中止の電話がある。これまで何の書類も届かず、諦めていたので何の感慨もない。3月の海外はすでに催行中止決定済み。4月の国内と5月の海外は書類が届いているが、これもさてどうなることやら。ぼやいていても何も始まらない。そういう今、旅のカタログが届く。後でゆっくり見ることにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は先日読んだ『坂の上の雲』第四巻(文藝春秋 2004年新装版第1刷)からの抜粋。日露戦争の勝利が先の大戦へとつながる。第4巻を読んで神風特攻隊は日露戦争の過剰な反応からそうなった、としか思えない。

★乃木希典は、開戦以来、自分の参謀長の意向をはじめて無視した。乃木にすれば、東京の大本営からも、大山の総司令部からも、また海軍からも耳が鳴るほどにやかましく示唆されつづけたこの二〇三高地というかぎ穴に、はじめて鍵を突っ込むことにした。……ステッセルは、あらゆる砲塁のなかで最強のものをこの高地に築あげたのである。109p

★庶民が「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家となったということが庶民の生活にじかに突きささってきたのは、徴兵ということであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。近代国家というものは「近代」という言葉の幻覚によって国民にかならずしも福祉をのみ与えるものでなく、戦場での死をも強制するものであった。……明治維新によって誕生した近代国家はそうではない。憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあっては、いかに無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。もし命令に反すれば抗命罪という死刑をふくむ陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にはない。が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、ときにはその重圧が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。二〇三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。122-123p

★ロシア帝国が遼東半島に強引に居すわってここに港市をきずいたのは、明治三十一年である。それまでは漁村の点在するさびしい海浜であったにすぎない。ロシアはここに大都市を建設し、極東における支配中軸にしようとした。かつて清国人が青泥窪(チンニーワー)とよんでいたこの土地を、ロシア人はあらためてダルニーと命名した。東郷がここに一夜をすごしたこの時期にはまだ日本人からもダルニーとよばれていて、大連という別称は存在したものの、まだ正称ではなかった。大連が正称になるには明治三十八年からである。228p

★この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、官修の「日露戦史」においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。参謀本部編「日露戦史」十巻は量的に膨大な書物である。戦後すぐ委員会が設けられ、大正三年をもって終了した、ものだが、それだけのエネルギーをつかったものとしては各巻につけられている多数の地図をのぞいては、ほとんど書物としての価値をもたない。作戦についての価値判断がほとんどなされておらず、それを回避しぬいて平板な平面叙述のみにおわってしまっている。その理由は、戦後の論功行賞にあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという戦勝国特有の総花式のそれをやったため、官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけにゆかなくなったのである。……これにこれによって国民は何事もしらされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育においてそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、ともともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方向へひきずってゆくのである。508-509p(あとがき)

2019年1月11日金曜日

『人生はおもしろがった人の勝ち』

 スウェーデンの106歳のブロガー、ダグニーさんのblogを見ると「レポート」と題して笑顔の写真をアップされている。ただ、左手首から指にかけてのギブスは痛々しい。ダグニーさんの右手は誰かと握手し、周りには花束があり、お見舞いの人の姿もある。手の怪我は足と違って歩くことができる。歩けば少しは運動不足も免れそうだ。ともあれ、お元気そうで何より安心。

 昨日はひと月に一度の眼科へ行く。目のどこがどう悪いわけではないが、小さい頃に目の病気をした、と親から聞かされてきた。その影響もあって眼科とは一生の付き合いとなりそうだ。眼圧は13と15でともに正常。

 また昨日は3通、同じような横型の茶封筒が届く。1通は院展の招待券2枚が送付される。これは地元の新聞社のネット応募であたった。院展のチケットは日本画の先生からいただくことが多い。それも当然のように何枚もいただいていた。後でこれは先生が入選されたからだ、と気付く。今回は応募であたった招待券で院展を見に行こう。

 2通目は先日電話で申し込んだ旅行社からの書類が送付される。ただ、この件は旅の催行が確定されず、しばし連絡を待つしかなさそうだ。

 3通目は社会人大学生で学んだ学部時代の同窓会だより。記事を読むと卒業後の若い人たちの状況が記されている。若い人たちはその後の就職などの話題が多い。だが、社会人でのその後は就職には関心がなく、サラッと目を通すだけとなる。
 
 社会人大学生といえば萩本欽ちゃん。この人は今、社会人大学生真っ只中。『人生はおもしろがった人の勝ち』(萩本欽一 大和書房、2018年)を読んだ。この本から気になる個所を記そう。

★……社会人入試で入ってきた人たちは、大学で学ぶことが何よりの目的だ。そこで学びたいから来ている。だから、学ぼうとする意欲が普通の学生さんとは初めから違う。24p

 これは確かにそうだ。社会人大学生だからといって、現役の学生と何ら変わりはない。ところが、入学後や修了後、聞かれて驚いたことがある。「試験はあるの?」「夜間大学?」に始まって他にもいろいろと聞かれた。まるで社会人で入った学生は大学が遊びに行くところ、と思ったのかもしれない。欽ちゃんが書いているように「大学で学ぶことが何よりの目的」で入学した。入学するにももちろん試験はある。会社をリストラされてから入試までの数か月、JRの半年間の通勤定期(実際は働いていない。だが購入可能)を買って図書館に通って勉強した。また、入学後もそれは大変だった。短大卒でも1年生から入学したので教養課程から規定の単位を取った。2年になる寸前で母が怪我で入院。その時は4か月、病院に寝泊まりしながら大学に通った。母の退院後はケアが待っていた……。ともあれ人生、頑張れば何とかなる、と実感した6年間だった。

★これまで、かなりいろんな国に行ったが、ボクは海外で撮った写真が一枚もない。「写真、撮る?」と聞かれても、「撮らない」と、断っている。ボクにとって思い出になるのは、言葉だけ。現地の人との会話だけを思い出として持って帰る。196p

 「現地の人との会話だけを思い出として持って帰る」、これ、よくわかる。民族学、というか文化人類学に興味があるのですごくわかる。でも写真は撮る。この頃は自分をほとんど写さず、ブログ用に写すことが多い。そして絵になるところも。現地の人との会話だけでなくツアーの人たちとの会話も思い出。同じツアーの人とは関心が同じところに向いているので自然と仲間になる。 
 
★ホント、自然界はうまくできている。長所があれば、必ず短所がある。人間の運も同じことで、いいことがあれば、かならず悪いこともある。これもうまくできている。……人間の運というのは、そういうふうに、みんな平等にできている。だから、いいことと、悪いことは、半分半分。そう思って生きていけばいい。236-238p

 これもそう。母は私が元気をなくすと「全てが揃った人はいない」とか「全てが揃った家もない」と言って慰めてくれた。表面では上手くいってるように見える人でも家でも中に入れば何かがある、というのだろう。その思いがあるからか、今は人を見て羨ましいとか、の感情はわかない。欽ちゃんの言う通り、楽しいことを見つけて人生面白おかしく生きる方がいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月14日木曜日

「湯桶読み」と「重箱読み」

 梅雨の晴れ間というにはもったいないほどの清々しい初夏の朝。この先1週間の天気予報を見ると雨の日はないようだ。昨日の午後、自転車で出ようとすると紫陽花が首を擡げている。その傍に生えているカラーは紫陽花とは違って生き生きと大きな葉っぱをつける。4年前、カラーの鉢植えを購入した。花が咲き終わるころ、土に戻した。翌年は1つ花をつける。昨年は咲かず仕舞い。今年はどうやら3つくらい花が咲きそうだ。紫陽花のしょんぼりした様子を見て昨夕、庭の花に水をやる。近いうちカラーの花も咲くだろう。

 月に1度定期的に通う眼科。眼圧を測定すると12と16。眼は体の調子の影響を一番受けやすい。その思いから睡眠重視の生活を送っている。お蔭で眼圧測定は大丈夫だった。

 気を良くして図書館へ行く。20冊の予約が可能でも全く順番が回ってこない。時に活字に餓えてくると図書館の書架から手当たり次第に本を借りて読む。昨日は4冊借りる。そのうちの1冊の黒井千次の本は以前にも借りて読んでいた。この中に「湯桶読み」がある。以前、某会の会長のお話にこのキーワードと「重箱読み」が話題になる。その時は何気なく聞いた。黒井千次の本で読んで意味が解る。「湯桶」は「ゆとう」で訓と音読みになるので「湯桶読み」。「重箱」は「じゅうばこ」で音と訓読みになって「重箱読み」。雑談中に何気なく聞く話も結構いろいろと勉強になる。

 話は変わってフルートの話題。練習している「望郷のバラード」。一昨日先生にこの曲のレッスンを受ける。自分勝手に吹くのと違って教えを請うとやはり吹きやすさが違う。長い曲なので息継ぎが失敗なくできるのかと心配する。また曲の中に頻繁に出る2オクターブ目の♯レ。そしてスラー内のタンギングに注意を払って練習する。スラーで同じ音が続くと後の音はタンギングで吹く。楽譜にこの箇所に印をする。さて、練習開始。何とかうまく吹けた。

 楽器が旨く吹ける度合いは練習量に比例する。それは年齢が高くなっても関係ない。歳を取ったから下手になるのではなく、すべては練習量による。20数年前に初めて楽器を持ったころに比べれば今は上達している。習い始めは楽器を吹くだけで立ち眩みがするし、ましてや吹いても音にならなかった。それが練習を続けていると次第に音も出るようになり、曲にもなっていく。これは楽しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!