2023年11月9日木曜日

『韃靼疾風録』(上)

 『韃靼疾風録』(上)(司馬遼太郎 中央公論社、1991年)を読んだ。この上巻のほかに下巻もある。長い小説だが興味深く読んだ。まだ下巻の100頁ほどは読み終えていない。この時点で『司馬遼太郎全仕事』のこの本の「読みどころ」を見ると次のように書いてある。それは「『自分は何者なのか?』壮大な大陸歴史絵巻の裏から浮かび上がる、孤独な男の自分探しの物語。切なくて力強いその結末を、胸いっぱい味わってほしい。」と。下巻の最後の100頁をこれを参考にして読もう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★まず平戸島の北端 の田ノ浦まで行った。そこで、三日とまり、日和(ひより)を見た。こういう入念な性格のことを、この当時、島では念者(ねんしゃ)といった。庄助は念者だった。わずか一里半の北にうかぶ島にわたるのに三日も日和を見るということだけでも、庄助は風変わりな男であった。(33p)

★タタール(漢字表記して韃靼)とは、もともとモンゴル民族内部での一部族の呼称にすぎなかった。元以前の宋代の漢民族が、モンゴル人全体を韃靼とよびはじめ、元代ではそのようによぶことをはばかって表面ではそういう呼称をつかわなかった。元がほろぶとき、中国大陸を支配していたモンゴル兵は。土地に執着せず、風のように騎馬で北の草原へ帰っていった。そういうふしぎな滅亡の形態を当時、北帰とよんだ。明帝国では、草原に北帰したモンゴル人のことを、卑しんで韃靼とよぶようになった。(69p)

★日本には明の商人の口から仄かに伝わっていたものの、「愛新覚羅(アイシンギョロ)・奴児哈赤(ヌルハチ)」という異様な名は伝わらず、それを耳にした最初の日本人は庄助であった。(128p)

★「旅順」奇妙な地名というほかない。……遼東半島の先端にある大きな「口」に入りこみ、安堵するのだが、その口を「旅順口」と船乗りたちはよぶのである。つまりは、山東を発し、廟島群島を経、遼東にいたる船にとって旅程の順路にあるがために旅順という。(281-282p)

★ 「アゴよ。漢人(ニカン)の地には人の数奇(スウキ)はある。しかし胡地(こち)にはない。胡地とは、この場合、この韃靼の地をさしているのであろう。数奇。人が人間の関係においておちこむふしぎな不運。――こういうことばは女真語にはないため大夫人はここだけことさらに漢語でいった。数奇は胡地にはない、という大夫人のことばのあやしさに庄助は驚き、つい、「数寄は胡地にないとは?」と問うた。「胡地にあっては」大夫人は、ふと嫌悪を表情にうかべ、「人はことごとく数奇です。すべて数奇であるがために数奇はないにひとしい。漢土にあって人はまれに数奇におちこむ。従って王昭君の数寄もまれなるがために千載に伝えられる」大夫人のいうとおりならば、文明というものは人をして数奇たらしめない状態をさし、野蛮とは数奇が大地に盛りあげたようにある状態をさすことになる。その真否はいずれであるにせよ、大夫人があやまって胡地にうまれたわが身を悲しんでいるのに違いない。(386-387p)

★明は、日本の室町の将軍義満のころ、蒙古帝国である元をほろぼすことによって中国を統一した。中国を支配していたモンゴル人たちは、占領地に執着せず、潮がひくように馬に騎って漠北に去った。ひとびとはこの奇現象をモンゴル人の北帰とよんだ。北帰したモンゴル人は遊牧生活にもどり、その後、しばしば辺境を侵した。英雄が出ると、その勢力が強大になり、英雄が死ぬと衰えた。……かれらの勢力は、微弱になった。……女真は古来、モングを怖れ、かれらに従属するかたちをとってきたのである。それでも、ヌルハチはモング対策に腐心した。(403-404p)

★中国は、歴世、大乱によってくずれる。乱にあっては律儀者が忠臣になり、放埓物が大小の賊になる。賊の小なるものは大に吸収され、やがて巨魁になった者が、英雄になる。そのうちの幸運な者が、つぎの王朝を興すのである。(459p)

★庄助は石伏魚のことばをききつつ、(なるほど明は大きい。その天下は天地をおおっている)と、おもった。皇帝は官吏を傭って統治組織をつくるだけで、王朝を成立させているのである。王朝にとって民は、食餌でしかない。田畑を耕して王朝を食わせ、機(はた)を動かして王朝に衣服を着せるのである。民にとって王朝が忠誠の対象であった歴史は一度もなく、王朝もそれを期待したことがない。王朝が崩れようとするときには、民は鍬を戈(ほこ)にして、王朝に対し病犬(やみいぬ)でも打つようにして打つ。そのくせ、民にしてしかも仁や義のあるものとなると、日本国よりもずっと多いように思える。この場合、石伏魚の仁も義も、庄助にそそがれている。石伏魚にすれば、庄助が、庄助であるという理由のみで情をそそぎ、庄助が日本国の人間であるという属性はかれにおいて何の意味ももたない。(540-541p)

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