2019年3月31日日曜日

再び「ロンド」


 ★今日、私はエレナと一緒に素敵な一日を過ごした、我々は宣言しても何も演技せずにいくつかの店を見てきました。……私は私の故郷クリスチャンスタードから受け取った手紙を非常に誇りに思っています。私は賞を授与され、自治体の「ゴールドアンバサダー:」クリスチャンスタードの私の美しい発祥の地から、私は今年のゴールドアンバサダーを戴冠されており、それは恥ではありません。……(日本語翻訳機能による日本語)。

 これは今朝見たダグニーさんのブログから。元気を取り戻して、毎日活動的に過ごされている。もうすぐ107歳になろうとしているダグニーさん。朝からブログで活力をいただく。活力と言えば昨日の「こころの時代~宗教・人生~」で3年前の放送がアンコールで流された。土曜日は日本画教室の日。だが、昨日は教室のない日で堀文子の放送を見た。番組HPに以下のようにある。

★97歳の今も独り、いのちを描き続ける日本画家・堀文子さん。その孤高の生き方は乱世の体験から生まれた。親とて無力であると知った幼い日の関東大震災。軍部の暴走を警戒する父と間近で目撃した2・26事件。戦争へと歯止めを失っていく時代に、人殺しの道具にならない「美」に生きようと決意した堀さんは、いま日本はかつてと同じ道をたどろうとしているのではと憂慮する。百年近く日本を見つめてきた画家が語る、今への言葉。

 これは3年前に放送された再放送。というか堀文子追悼番組として昨日、アンコール放送される。3年前と言えば兵庫の美術館で堀文子の個展が開催されている。その時、兵庫まで出かけて堀文子展を見た。若い頃の写真を見ると凛々しいお顔をされている。また今年の2月に100歳で亡くなられる3年前の話し方もしっかりされている。そして堀が生きてきた時代は戦争と共にあった、と改めて知る。自分の両親もほぼ同世代なので堀と同じような戦争体験をしたのだろう。しかし、あまり戦争の話は聞いていない。堀は「風景は思想をあらわす」、ようなことを話していた。この意味はさてさて……。

 兵庫と三次の美術館で堀文子展を見た。堀文子の絵もそうだが生き方に惹かれる。有名無名を問わず、どんな人でもその人の「生き方」に感動しないと魅力がない。音楽も絵も何でもそうだ。関心あるモノ・コト・ヒトすべてに言えるかもしれない。

 話は変わって練習を始めた「ロンド」。昨日、べつの動画を見つけた。去年のフルート発表会で自分が思ったほどにはフルートが吹けなかった。かなり自信があったので気落ちする。ところがフルートの忘年会でその話をすると長年習っている人たちから本番では100点満点の30点くらい吹ければ由、と言われる。そうか、30点か、それくらいは吹けた、と思い直す。もう発表会は卒業しようとの気持ちがこの時に崩れる。そして「ロンド」。

 この曲、かなり気に入っている。ただ指使いが早い箇所が頻繁にある。昨日、4頁ある楽譜の1頁目を吹いてみる。何とか吹けそうだ。ただ、速度は遅めだけど……。メトロノームに合わせて練習しよう!そういえば早くも発表会の全体合奏の楽譜もいただいている。だが、今は「ロンド」を頑張る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月30日土曜日

フルートのメンテから市立大学へ右往左往

 昨夜見た「ドキュランドへ ようこそ!『輪廻(りんね)の少年』」。番組HPによると次のようにある。

★インドのラダック地方。チベット仏教で「高僧の生まれ変わり」とされる少年が、世話役の老人と故郷を目指す旅へ。2017年のバンフ山岳映画祭で最優秀賞に輝いた映像美!
パドマ・アンドゥは「リンポチェ=輪廻転生の高僧」とされる存在。しかし、中国のチベット政策のために、ラダック地方と“本家”との接触は限られ、パドマも“特別な才能”を失っていく…世話役のウルギャンの勧めで、少年は「本来あるべき自分になるために」雪降るチベットを目指してインドを横断する旅に出る。長く険しい道のりの末に、たどりついたチベット仏教寺院。そこで2人が見つけたものとは─

 これは「2017年のバンフ山岳映画祭で最優秀賞に輝いた映像美!」とあるように、まるでドキュメンタリーでなく映画を見ているようだった。番組初めの2分ほど見るのが遅れた。今ネットで検索するとこの動画がアップされている。あとで見よう。

 映像は何処を見ても絵になる。リンポチェの少年のあどけない顔をみていると今,置かれているチベットの状況が悔やまれる。リンポチェを立派な僧侶にするため、老人は極寒の雪道をチベット国境まで目指す。老人とリンポチは時にふざけあったり、時に別れの涙を流したりする場面を見るとチベット問題は何とかならないのかと思えてくる。まだあどけないリンポチェ。彼が15年後に立派な僧侶になって面倒を見てくれた老人に会いに行く姿を見てみたい。その頃にはチベット問題が解決しているといいけど……。

 昨日は朝から忙しく動き回る。午前中は年に一度のフルートのメンテナンスの日。点検を終えると前日から予定した広島市立大学へ急ぐ。はじめていく場所なのでネットでバスの時刻を調べる。バスセンターからだと12分で高速バスで到着。下車後、大学が目の前に見えてもさてどちらへ……。同じバスを下車した学生に野田弘志展を問うと近くまでついてきてくれた。今度4年生になる油絵を学ぶ女性だった。今は、就活らしく、静岡県から出てきて広島で学んでいるという。画家になる?と問うとなるようだった。それもどこかに属してやるようだ。

 市立大学は県内の大学としては割と新しい大学で出かけるチャンスがなかった。だが、広島の中心から12分で到着、とは交通の便がいいところに建っている。また、芸術やIT関係が強みの大学で日本画の院展入選者もこの大学の卒業生が多くいる。校内に入るとレンガ色とベージュの色彩を帯びた建物が並んで建つ。これは誰のデザイン?と思えるほど落ち着きある雰囲気を醸し出す。今は春休みだろうか、学生の姿はほとんど見えない。

 5階の芸術資料館に入ると物々しい雰囲気の中、野田弘志の個展会場がある。天皇皇后両陛下の肖像画を描いた画家の絵は写実画。絵画と共に野田のインタヴューの映像が流れる。しばし、このビデオを見る。貸し切り状態の落ち着いた会場で絵を見る。これも至福のひととき。大学という場所が好き。もう何度でも学生をやってみたい。昨日の女子学生と話しているとさらにその思いが強くなる。
広島市立大学

広島市立大学入口
真ん中の建物5階に芸術資料館がある
 

 絵を堪能した後はJR横川駅までバスに乗車。ここまでも10数分と近い。横川で下車後、いつも日本画が終わると皆で行くカフェで一休み。caféを出ると予約している美容院でカット。一日はあっという間に過ぎた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後、野田弘志展でもらったパンフを見ると広島市立大学創立25周年記念、「平成から未来へ野田弘志リアリズムの軌跡展」とあった。

2019年3月29日金曜日

フランツ・クサヴァ・モーツァルト「ロンド」

 
 フォーレの「無言歌」をさらって、次はフランツ・クサヴァ・モーツアルトの「ロンド」をさらう予定。フランツ・クサヴァ・ヴォルフガング・モーツァルト(Franz Xaver Wolfgang Mozart, 1791年7月26日 - 1844年7月29日)は、ウイキペディアによるとオーストリア作曲家ピアニストヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの末子で四男とある。しかし、アマデウス・モーツアルト二世ともいわれている。

 さらっている曲はフルートの某曲集から。この曲集もさらっていない曲が数曲となる。この頃はさらう曲も割と早く仕上がる。次は……と自分で残りの曲からさらう曲を動画で見たり吹いたりしてみる。次にさらう「ロンド」を動画で初めて聞いた時、最初の出だしが何とも心地いい。これが吹ければいいなあ、との思いを抱く。だが、これが吹きたい、とはすぐに先生に言えない。

 発表会の話も出る。メンデルスゾーンの「イタリア」を広響定演で聞いて感動した。この曲を発表会で、と以前のレッスンで話題になる。そのつもりでいたが迷いだす。昨日の時点ではそれはご破算にして次にさらう「ロンド」の様子を見ることになった。ということで頑張って練習しよう。

 いつも自分では吹けそうにない曲をさらう度、これが吹けたらいいなあ、と思って練習する。それも先生に教えてもらいながら練習するといつの日か吹けるようになる。それを期待して……。それにしてもこの曲、先生は楽譜を見てサラッと吹かれる。横で聞いていても何とも言えずいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月28日木曜日

『竜馬がゆく』(3)

 桜が満開との情報が入ってくる。ところが我が家に隣接する小学校の校門の桜は咲きそうにない。南の鹿児島もまだらしい。寒い日の後、急に暖かくならないと桜は目覚めないようだ。来月になると長野や岐阜辺りの桜の名所を巡る旅に出る。この季節、桜の名所巡りに出かけたのは母たちと身延山の枝垂れ桜を見に行ったことがある。ところが満開の時期を過ぎていて散りかけた状態だった。当時は勤めていたので休日を利用して出かけたのでそれも仕方なかった。ただ、家族で身延山にお参りできで良かったことを思い出す。

 先日来から読んでいる『竜馬がゆく』(3)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年新装版第24刷)。昨日から5巻目に入った。司馬遼太郎は好意を持った人物を描いている。『坂の上の雲』は秋山兄弟と正岡子規。『竜馬がゆく』は坂本竜馬を描く。竜馬を取り巻く女性陣は乙女姉さん、さな子、おりょうの3人がいる。4巻目の終わりにさな子との絆が描かれている。この後どうなるのか、ネットで坂本竜馬、さな子、おりょうで検索する。竜馬はおりょうと結婚していた。さな子は一生独身と思ったらいろんな説があるようだ。ともあれ、残りの4巻を読むのが楽しみだ。

 まさか、この歳になって司馬遼太郎の作品に目覚めるとは我ながら驚き。昨年末から4か月、この熱は冷めそうにない。これはいつまで続く!?司馬作品は何億冊と売れているそうだ。生きている限り、司馬作品と付き合える。嬉しい限り!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『竜馬がゆく』(3)から気になる個所の抜粋。

★「おれは、土佐に帰る」
時勢にそむくのは、損だ。弥太郎は、その夜、下宿を去って、天保山の船宿に入った。このとき、弥太郎が、なおも下横目として活躍しておれば、明治政府はかれに三菱会社を興させなかっただろう。井上は、残った。34-35p

★井上の不幸は、酒に意地きたなかったことである。人はその弱点で死ぬ。……「ああ酔うた酔うた」と井上によろけかかり、右手をまきつけてそのまま頸を締めた。なかまの久松喜代馬が井上の脇差をぬき、脇腹を串刺しに刺しとおした。死骸は、道頓堀川に投げすてた。42p

★竜馬は三味線が弾ける。乙女姉さんに教わった秘芸だ。……寺田屋殉難の志士を弔う即興の端唄をうたいはじめた。しぶいいいのどである。

咲いた桜に
 なぜ駒つなぐ
駒が勇めば
 花が散る

 薩摩の殿様(ただし藩公の実父)島津久光への恨みと皮肉をこめた唄である。……竜馬はさらに一曲。

何をくよくよ川端柳
 水の流れを見て暮らす

 人生流転。生死(しょうじ)はもと一つで、単に形を変えたものに過ぎない。竜馬のかれらへの弔詞のつもりであった。この寺田屋への即興の二つの唄はいまでも酒席でうたわれているが、竜馬が寺田屋を血に染めて死んだ連中に捧げた唄だとは、多くは知らない。76-78p

★大名の妻子は江戸屋敷におく、というのが幕府二百年の定法であった。いわば、幕府に対する人質である。大名の国もとでの謀叛をふせぐためのものであった。さらに、大名の富力を殺ぐために参勤交代をさせる。原則として、一年は江戸、一年は国もと、というぐあいに住みわけさせる制度である。諸大名は、多勢の家来を連れて、江戸、国もとのあいだを往来するために、ばく大な経費がかかった。かれらはしだいに疲弊し、幕府に反抗できるような財力も武力ももてなくなった。だから、徳川幕府は、二百数十年もつづきえたのである。103p

★土佐藩の意味は、幕末政局のなかで他藩を圧するものになり、
薩長土
という並称は、このときからうまれた。108p

★(こいつは、天成の男だな)
万人にひとり、自然法爾で、知らず識らずそういう境地に近づく稀有な人間でありよるのかもしれなかった。
(竜馬はそれであろう)
その素質はある。120-121p

★水戸学は。この土俗思想を調味料として、中国の尊王賤覇(王家を尊しとし、武力でひらいた政府を低しとする考え)の思想を中心としたもので、思想というよりも、宗教実をおびていた。
 この宗教的攘夷思想が、幕末一般の思潮である。
これを政争の道具に切りかえ、侮幕討幕の攻め道具に仕たてあげたのが、竜馬の時期よりも数年後の長州藩、薩摩藩である。政治的攘夷思想というべきであろう。170p

★幕末で、日本人は坂本竜馬だけだったといわれる。226p

★「人間、運などあるものか」と。竜馬は「人生は一場の芝居だというが」と、かつていったことがある。……後年、伝記作者が、この時期からの竜馬を「坂竜飛騰」といった。坂本竜馬という竜が、にわかに雲を得て騰がるという意味である。286p

★竜馬艦隊を持つということが、竜馬の尽きない夢であった。……男子の志は、簡明直截であるべきだと竜馬は信じている。
 船。
 これのみが、生涯の念願である。船をもち軍艦をもち、艦隊を組み、そしてその威力を背景に、幕府を倒して日本に統一国家をつくりあげるのだ。
 独創的な討幕方式である。
 薩摩の西郷も、長州の桂も、土州の武市もこれは思い浮かばないであろう。 
 人間、好きな道によって世界を切り拓いてゆく。竜馬はそんな言葉を残している。
 船。
 ふねに托された竜馬の夢は大きい。296p

★攘夷、すなわち勤王。
 開国、すなわち佐幕。
 というのが当時の図式である。
 日本の国力で列強の軍を撃ちはらえるわけがないのだが、天皇(孝明帝)はそれができると信じ、かつ武市ら攘夷志士が、朝廷を焚きつけて日本政府である幕府にそれを強要させている。
 あわれなのは幕府だ。……その朝廷を背後であやつっているのが、長州藩と土州藩武市派である。330-331p

★「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」
右の意味は、竜馬の持論で、かれはつねづね友人に語っていたが、これを木ノ本の宿で藤兵衛にも語った。……竜馬の眼にめずらしく鬼気がある。410p

★「日本では 戦国時代に領地をとった将軍、大名、武士が、二百数十年、無為徒食して威張りちらしてきた。政治というものは、一家一門の利益のためにやるものだということになっている。アメリカでは、大統領が下駄屋の暮らしの立つような政治をする。なぜといえば、下駄屋どもが大統領をえらぶからだ。おれはそういう日本をつくる」
 竜馬のこの思想は、かれの仲間の「勤王の志士」にはまったくなかったもので、この一事のために、竜馬は維新史上、耀ける奇蹟といわれる。430p

2019年3月27日水曜日

「誰しも、自分に理解できることしか耳に入らないものだ」ゲーテ

 106歳のブロガー、ダグニーさん。日に日にお元気になられている。今朝見たブログは「悲しいコメント」とのタイトルがつく。どうもよくないコメントがあるらしい。ダグニーさんのブログのコメントも日本語変換になっている。しかし、翻訳機能による日本語なので理解できない面がある。もっぱら本文だけを読み、コメントまでは読んでいない。

 ブログを読んで非難されると悲しいのは当然。ましてや106歳で毎日ブログを更新されている。非難する方がおかしい。

 暇さえあれば『竜馬がゆく』を読んでいる。あと少しで4巻目を終えて5巻目に入る。その合間に図書館で予約確保の本を借りて読む。『田舎暮らしと哲学』(木原武一 新潮社、2017年)を読んでいるとはっと思いつく。

★誰しも、自分に理解できることしか耳に入らないものだ。(ゲーテ『箴言と省察』)142p

 これは「目」にも言い換えることができそうだ。聞く耳を持っていてもアンテナを張り巡らしていても自分が理解できることしか耳からは入ってこない。赤ちゃんや子供に話す時と大人に話す時の話し方は異なる。理解できない人に分かってもらうように話すのは難しい。これはゲーテの言葉どおりだとこの本で知った。

 人は話す時、聞く相手によって話す内容を変えている。いろんなことに関心を抱いてどんな人との話でも内容を理解できるようになりたいものだ。

 昨日自転車で買い物から帰ると家の前を歩く人と話をする。通りを隔てた真向いの人だ。目の前の家の人であっても、ずっと同じ町に住んでいても、一年に一度会えばいいほどで、数年合わないこともある。それが昨日ばったり会った。久しぶりだったので立ち話をすると今年90歳になられるという。白髪の上品な奥さんで一人暮らしをされている。これは知っていた。何の帰り?と問うと洋裁を習われていた。この間は娘さんのコートを縫ったと言われる。娘さんは3人。一緒に住もうと誘われるがひとりがいいらしい。聞くところによると食料は訪問する娘さんと一緒に買い物し、作るのは自分でされている。また、掃除はヘルパーにお願いしているそうだ。デイサービスは利用せず、リハビリに通うらしい。話していて頼もしく思えてきた。年齢を聞かれて告げるとまだまだ子ども扱いされる。85歳までは大丈夫と自身の経験を話される。

 母は88歳で怪我をして96歳で亡くなった。日本人の女性の平均寿命は87,8歳くらいだから米寿の88歳まで元気でいればその後も長生きできそうだ。この米寿が元気でいるかどうかの分岐点に思えてくる。昨日の人も90歳でお元気だ。

 人と話すときは気持ちも体も元気で幸せな人と話すのがいい。こちらまで元気になる。たとえ元気でなく、寝たきりであっても自分のできる範囲で頑張る人は幸せな人だそうだ。これはテレビで知ったお話。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月26日火曜日

市内をウロウロして演奏会へ

 はっきりしないお天気の昨日、携帯万歩計は10600歩だった。夜に開催されたリトルウッズ・ブラスアンサンブルの定演を聞きに行く。その前に、来月出かける海外旅行の残金をJ〇Bに出かけてクレジット決済する。広島駅→八丁堀にあるJ〇B→紙屋町でティータイム→本通り→平和公園を抜けて広島市文化交流会館とよく歩いた。開演までには時間がある。隣のアステールプラザ1階の情報ラウンジで催しもののチラシを物色。2枚、いいのがあった。1枚は4月の”TO YOU”催し案内で先日天皇皇后両陛下の肖像画を描いた画家野田弘志の展覧会。そしてもう1枚は安浦町で開催されるピアノコンサート。これは演奏曲目がいいので聞きに行きたい。だが、日本画教室と重なり、また安浦が遠すぎて行かれそうにない。

 ということで野田弘志の展覧会へ行こう。ところが、市立大へ出かけたことがない。ネットで調べると紙屋町から12分ほどバスに乗車すれば大学前に到着する。そして広島駅までの循環バスも通っている。来月早々、紙屋町で友だちに合うのでその後に市立大に出かけよう。これまで場所がわからず、出かけずにいた市立大。これからは広島駅からの循環バスで気楽に行かれそうだ。

 さて、リトルウッズ・ブラスアンサンブル。何と使用楽器は金管楽器が5種類と少ない。これにパーカッションがつく。だが、演奏者はプロ・アマ併せて100人と多く、何とも賑やかなアンサンブルだ。先日家の近くで聞いた陸上自衛隊の演奏会。これも弦楽器がなくて管楽器だけだった。昨夜の演奏会も管楽器にパーカッションの打楽器が加わる。管楽器も金管楽器だけで木管楽器は加わらない、ということでフルートも入らない。フルートは金属でできていてももとを糺せば木管楽器になる。

 日本画の先生からチケットをもらった演奏会。若者ばかりの聴衆と思ったらそうでもない。前半の演奏が終わると後半を聞かずに会場を去る。バス停で話しかけてきた人もかなりの年輩女性だった。なんとその人は昨夜の指揮者と中学から一緒でともに音楽畑を歩まれたという。今は80歳も過ぎてチケットは指揮者から送られたと嬉しそうに話される。この方によると指揮者は東京の音楽大学に進まれ、東京都の交響楽団に入団。その後、請われて広島に帰り、アンサンブルを結成されたそうだ。

 昨夜話した人は音楽の先生だったらしく、今もピアノを教えているという。ただ目が悪くなった、と嘆かれていた。目の悪さは同じなのでその気持ち、よくわかる。とはいっても夜に開催される演奏会に遠くから一人で聞きに来られている。

 演奏会に出かける前、旧友から電話がある。年に1度合えばいい人で、それも電話がかかることはほとんどない。電話の内容は旦那と話が合わないとか息子が遠くに住んでいるので娘さんがいる人が羨ましいなどと愚痴られる。これを聞いて旦那も子どももいない……と思わず言ってしまった。ヒトを羨ましがるのでなく自分で楽しみを見つけたら……と思うがそう言える立場にない。ヒトの愚痴を聞くのは好きではない。きっと電話をかけてきた人は昔のままの私と思っているのだろう。人はそんどん変わっていく。そうでなくては進歩がない。

 遠くから夜であっても演奏会にこられている昨夜の老婦人も独りだった。愚痴など言わず、その暇があれば体を動かす。そして、たまにはパッと大枚をはたいて海外に出かける。これが気晴らしになり新たな活力となる。それくらいの気持ちを持てばいいのに、とつい人のことであっても思ってしまった。それには旅に出る。それが一番と思うけど、それも人によるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月25日月曜日

お彼岸etc.

 今朝は会社に遅刻し、その旨を連絡するのだが携帯の番号をプッシュできない夢で起きる。先日来からよく会社員時代の夢を見る。これはなぜ?先日のフェルメール展を見た後に立ち寄った肉まんの551のお店。近鉄デパートの地下は人でごった返す。その中の551を求める列に並ぶ。一人ならば絶対に並んでまでは買わない。しかし、旅で知り合った人と今回は並ぶ。並んでいるとき、551を店頭で作る従業員の姿を目にする。肉まんの餡を丸める人、それを皮で巻いて肉まんに形作る人、そしてそれを蒸し器に並べる人、と仕事の分担をして作業が進む。これを見ていて並んで購入するだけでも疲れるのに、一日中これを仕事にする人の疲れはどうよ?と思って見ていた。自分には到底無理な仕事、と見とれていたのが夢に現れたのだろう。

 話は変わって先日お彼岸の塔婆を受け取りにお寺へ出向いた。塔婆を受け取る際、代金と引き換えにお上人の奥さんから寺に関するチラシなど3点をもらう。その中に「法華経を信仰し、六根(目耳鼻舌身意)を清めれば、仏様の教えを実行できます。清い体と心を持った人が多くなれば世の中は平和になります。……」とあって六根の意味の説明がある。それは次のようだ。
「目」で良いものを見ましょう。
「耳」で話をしっかり聞きましょう。
「鼻」で良い香りを味わいましょう。
「舌」で美味しいものを味わいましょう。
「身」で清らかな行いを実行しましょう。
「意」で感謝の心を保ちましょう。 

 よくテレビなどのドキュメンタリーを見ると「六根清浄」と山伏が唱えながら歩く姿がある。その意味さえも知らずにいた。これで納得。先日姉夫妻とお墓に参る際、姉が車の中で🎵我らは仏の子供なり……🎵を歌いだす。知っているかと問われ、同じお寺の幼稚園に通っていたのでよく知っていると話す。かなり昔のことなのに小さい頃に毎日お寺で歌わされていたのだろう。今もお寺は幼稚園を経営している。今の子供たちもこの歌を歌うのだろうか。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月24日日曜日

フェルメール展を見に行く その2

 
大阪市立美術館入口にあるフェルメール展の大きなポスター

 昨日は春の彼岸法要の塔婆を受け取りにお寺へ行く。お彼岸の中日に姉夫婦と出かけたお墓参り。この日に塔婆が間に合わず、これから塔婆を持ってお墓参りしよう。

 一昨日出かけたフェルメール展。携帯万歩計は11394歩とよく歩いた。行きも帰りもバス車内で座りっぱなし。そのせいか、美術館見学を入れて4時間のフリータイムの間、まったく椅子に座らずにいた。どういってもどこも人が多くてゆっくりできない。添乗員から美術館のチケットを受け取るだけで30分もかかる。4時間のフリータイムもあっという間に過ぎる。大阪市立美術館に入るとすぐに大きな展覧会のポスターがある。ここで写真を撮る人たちで早くもごった返す。まずはトイレを、と思っても3つしかなくてかなりの行列に並ぶ。何をするにも人の多さに辟易してしまう。それでも列に並んで絵を見て歩く。フェルメールの絵は今回6点あった。

 光と影と題されたフェルメールの絵。6点は以下のようだった。

★マルタとマリアの家のキリスト
★取り持ち女
★リュートを調弦する女
★手紙を書く女
★恋文
★手紙を書く婦人と召使

通天閣からの眺める通り

 何と2代目の通天閣と東京タワーの設計者は同じ人で内藤多仲によるそうだ。ということはこの2つのタワーは兄弟!?タワーなるところは1回行けばもう十分。通天閣に一歩足を入れると外には簡単には出られない仕組みになっていた。もしもこの時災害発生となればどうなるのだろう。これでは危なすぎる。通天閣の守り神はビリケン。アメリカの女性芸術家が1908年、当時人気を博していたマスコットが新世界にまで伝わったらしい。ビリケンの足の裏は大きく、ここを触るとご利益があるらしい。とりあえず触った。
通天閣のビリケン

通天閣から見るあべのハルカス


時間がなくてこの通りは外から眺めるだけとなった

 通天閣を出るとあべのハルカスに向かう。だが、目の前に見えるのはビル群でどこにあべのハルカスがあるかわからない。道行く人に声をかけようにも日本人らしき人は見当たらない。自転車に乗ろうとする人に声をかけて行く先を尋ねる。またあべのハルカスが目の前に見えてもすぐには行かれない。すぐ横にはJRの天王寺駅があり、あべのハルカスは近鉄だった。

 通天閣とあべのハルカス。この2つは新旧の大阪を代表するかのようにまるで異なる。通天閣もいいけどあべのハルカスに行くとこちらが魅力的だ。次にこの界隈に来るときは「おとなび」を利用して四天王寺などの歴史的なところを見学したい。新幹線のこだまに乗れば2時間20分で新大阪に着く。バスはこの倍の時間を要する。また「おとなび」を利用すれば運賃も安い。何人かのツアーの人におとなびを話しても知らないようだった。

 話は変わって昨夜寝る前に見たEテレのスイッチインタヴュー。女子プロレスのジャガー横田と慶応病院の高橋孝雄医師の対談番組。この中で高橋は生まれてきてよかったという自己肯定感と今が楽しいと感じられればその人は幸せだとか。この点では幸せなのかもしれない。というかそう思いたい。とはいっても若い頃はそう思っていなかった。この番組はあまり見ないが2人はいい話をしていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

あべのハルカス16階の自遊空間

2019年3月23日土曜日

フェルメール展を見に行く その1

 新幹線時刻表によると広島駅→新大阪駅間の距離は約350キロとある。その計算でいくと昨日は何と700キロもバスに乗ったことになる。出かけた場所は大阪市立美術館で開催中のフェルメール展。この美術館は初めて行く所で到着後4時間、フリータイムがある。各自その界隈を自由に過ごす。この界隈はコテコテの浪花文化が漂い、人の多さも半端でない。界隈のどこに行っても中国人や韓国人なのだろうか、一目で日本人でないとわかる人々がどこからともなくあふれ出す。

 フェルメール展が開催されている市立美術館は浪花のシンボル、通天閣と大阪の新たなランドマーク「あべのハルカス」が新旧の建築物として建っている。この旅で知り合った人とフェルメールを見た後、この2か所へ出かける。いずれも目の前に建っていても、また徒歩数分であってもどこも殺伐たる感じでゆとりが感じられない。その中に交じって歩くのだが、途中、道行く若い女性連れに「中国人?」とささやかれてしまった。思わず「日本人」と返答。それくらい外国人が多いのだろう。

 知り合った人が通天閣とあべのハルカスへ行くという。この辺り一帯は初めて行く場所で上方のコテコテ文化をこの目で見るのも悪くないと思い、まずは通天閣へGO~。ところが簡単には上がれない。後でわかったことだが館内のすべての売り場を歩かせるようにしていた。エレベータで上に行くにも簡単ではない。下りのエレベータも階ごとにおろされて館内をぐるっと回る仕組みになっていた。まずは地下に入ってチケットを買う。これさえも地下へ行かせるのが目的らしく、そこで30分待ちという。せっかくだからと待つのだが、埒が明かない。それでも人がぞろぞろ来る。立ち止まって写真を撮る個所もある。これは記念写真で千数百円らしい。写真を撮らないと拒否したのは正解。そこを抜けてもすぐにはエレベータに乗れない。後から靴のかかとを触られる。それも何度も……。見ると子供だ。祖母、両親とその息子がいて中国語の話声がする。祖母に怒られた子どもに「だいじょうぶ!」と中国語で話すと祖母は笑顔だ。

 次の場所でもずっと一緒になる。エレベータ待ちの草臥れついでに「何歳?」と中国語で子供に聞くと祖母が「2歳」と返答する。その息子に「中国のどこから?」と中国語で問うと「成都」だった。「成都はパンダの故郷」とバス旅で知り合った人に説明する。それを聞いていた息子は日本語の「パンダ」がわかったらしく「パンダ」と日本語で声を出す。パンダは中国語では「熊猫(ションマオ)」なのにその息子は「パンダ」と日本語で嬉しそうに話した。ちかいうち中国語圏の旅をする。そのためラジオの中国語講座で勉強中。ちょっとさらうと思い出すのか中国人と会話ができた。

 通天閣に入場した人の100%近くは多分外国人だろう。その中に日本人2人がいる。通天閣に上がってもそれほどの感慨はない。でも、ナニゴトも経験が大事。

 以前、母たちと東京観光に出かけた際、東京タワーに上った。この時もそれほど感動しなかった。むしろ感動するのは人の手でつくられてないところがいい。しかし、あべのハルカスは真新しいビルでそこにいる人も通天閣にいた人とはまるで人種が異なって見えた。洗練されたイメージがあるあべのハルカス。てっぺんまで上がらず16階まで行く。そこには開けた空間があり、無料だ。この場所は時間があればゆっくりできそうだった。だが、エレベータの動きは早くても思うような階にすぐに止まらない。これには困った。

 最後は近鉄デパートの地下で551を購入。有名な肉まんらしい。初めて昨夜食べた。美味しいのは美味しい。だが、皮が厚くてそれほど……が素直な感想。それよりも台湾の101で食べた小籠包がもっと美味。この2つを比べるのが変かもしれないが……。

 バスに飽きるほど乗った日帰りバス旅。大事なフェルメール展はまた後日のブログで。それにしても草臥れ果てた。ひどく草臥れると会社員時代の夢や父と母がいた頃の夢ばかり見る。これはどうして?いつもそうだ。ええ加減、仕事の夢は見なくてもいいはずなのにどうしてだろうか。まあ、両親の夢はいつ見てもいいけど……。

 今日はお彼岸の塔婆をとりにこれからお寺へGO~。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月21日木曜日

旅行の効果

 BS・TBSの美しい日本に出会う旅の番組で「初めての感動は旅を力づけてくれる」、ようなナレーションで終わった。旅が感動をもたらす……というのだろう。先日図書館で雑誌を見ていたら「旅行をすると主に3つの神経ホルモンが増えます」とある。それは「わくわくで意欲を高めるドーパミン、リラックスして情緒が安定するセロトニン、適度な緊張で脳機能を高めるノルアドレナリンが増加」の3点らしい。詳しくは以下のようであった。

 ★旅行は認知症予防の優等生。わくわく感や旅をした達成感は前頭葉を刺激し、神経ホルモンのドーパミンの分泌量を増やします。自然を眺め、温泉でくつろぐうちに身心はリラックスして、情緒を安定させるセロトニンも増加。家とは違う環境にいると適度な緊張感ももたらされ、脳機能を高めるノルアドレナリンが分泌されます。実際、定期的な旅行で認知症リスクは減少するといわれます。四季の美しい日本、一年に四回は旅行を、すなわち四行をしませんか。

 旅はいい。旅が認知症予防の優等生とは驚きだが、わかる気もする。なかでも「旅をした達成感」はきつい旅であればあるほどそう実感する。最近では大連に出かけた時がそうだった。大雪の203高地を歩いて頂上まで登った。「四季を楽しむ旅を計画しよう」のタイトルの記事。いつも頭の中は旅の計画ばかり……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月20日水曜日

重い腰を上げてプールへGO~

 1月になるとあちこちから水仙が咲き始めたとの情報が入る。道行く家の庭にも黄色いラッパ水仙が咲いている。ところが我が家は3月というのにヒョロヒョロとした葉っぱだけが伸びる。花が咲かない理由をネットで検索すると日陰や肥料不足によるらしい。レモンの茂った葉っぱの下に植えている水仙。これでは日照不足は免れない。ましてや栄養分はレモンが奪い取るのだろう。どこかへ植え替えるにしても植える場所がない。可哀想だけどしばらくこのままにして様子を見よう。

 ここ2日ほど、なかなか起きられなかった。ところが今朝は爽快な目覚め。やっぱり体を動かさなくてはいけないらしい。どういっても昨日午後はかなり重い腰を上げて
プールに出かける。本来ならば明日を予定していた。ところが明日は祭日なので平日の昨日、泳ぐ。泳ぐ前からいつもの半分の500m、と決めていた。どういっても連日、鼻水が出る。これは体が弱っている証拠と察して泳ぎを少なめにする。半分の泳ぎもプールに行けば欲が出る。そこを我慢して500mで泳ぎを終える。

 今週末から1か月間、遊びのスケジュールを入れている。日帰り旅、国内の宿泊を伴う旅、そして海外が待っている。いずれの出発も朝が早い。ダウンしないように気をつけて過ごさないといけない。その矢先、昨夜はメールで久しぶりのランチに誘われる。リタイア後は毎日を元気で楽しく遊んで過す。これが仕事と思っている。結果、これが元気に結びつく。とはいっても何でも楽しければいいのでなく、決して嫌なモノ・コト・ヒトに関わってはいけない。これだけは最低限、気をつけている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月19日火曜日

朝からドコモと……

 朝9時に入ったドコモからの重要メッセージ。dアカウントが第三者により不正にアクセス……とある。これに対処するフリーダイヤルとURLが記載されている。だが、この番号が正しいかどうかがわからない。またも高齢者を狙う……、と頭をかすめる。フリーダイヤルが正しいかどうかをドコモ151に問い合わせる。電話をした時点ではこれっといった問い合わせはないとのこと。こちらとしてはメールやショートメールが使えて電話が掛けられさえすればそれでいい。アカウントのパスワード変更云々は携帯電話でネット購読をしないならばそれを停止できるとのこと。早速、お願いした。

 高齢者を狙った犯罪が多い。メディアを賑わすこういった話題。かなり神経を使う。いろんなゴタゴタに巻き込まれたくない。朝ごはんも食べず、朝からドコモと格闘してしまった。それにしても親切な応対だった。うっとうしい雨の朝。これで気分も落ち着く。

 昨日は母の月命日。また3月は父の祥月命日。お天気がいい割には動きが鈍い。これではいけないと思い、お墓参りに出かける。墓地に着くとさっきまでとは違って元気が出る。やっぱり動かないといけないと改めて気づかされる。砂利石を敷いた墓地の間から草が芽を出す。とりあえず全部抜いて帰る。だが、次に参る時は草ぼうぼうになっているだろう。
 
 動きついでに午後は隣町にある大型電気店に自転車で向かう。自転車に乗っても20分以上かかる。ましてや交通量が多い場所にお店がある。前から気になっていた掛け時計を購入。電波時計なので電池を入れるとすぐに時刻通りになって作動する。これまで使用していた掛け時計は狂いがあった。ところが、昨日時刻調整をすると今朝はまともに動いている。買わなければよかった、と思った。だが、クレジットカードのポイント利用なので由としよう。ポイントの大半は旅行社へのクレジット決済による。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月18日月曜日

『竜馬がゆく』(2)

 『竜馬がゆく』(2)(司馬遼太郎 文藝春秋、2015年新装版第25刷)を読んだ。『竜馬がゆく』は全8巻あり、今は3巻目を読んでいる。先日まで読んでいた『坂の上の雲』もそうだが、今読んでいる本も手元に電子辞書が離せない。文字は読めても意味がつかめないとか、初めから文字が読めないことが多々ある。その都度、電子辞書の出番となる。この辞書は例えば固有名詞を検索して、有名人であれば国会図書館所蔵の写真が添付されているのが良い。そのため司馬が個人の顔の特徴を記した場面も辞書で検索してすぐにその特徴がわかる。

 かなり昔、誰かが坂本竜馬が理想のタイプ、と話したことがあった。本を読んでいくにつれてそう話した人を思い出す。話した当時は坂本竜馬の名前は知っていてもその人となりは全く分からなかった。今、2巻ほど読んで竜馬の男らしさがわかって来た。今から150年余り前の武士の生き方がよくわかる。気に入らなければすぐに首が飛ぶ。首切り、とはまさにこのことだ、と知る始末。今の世であれば刀でなく拳銃がその役目を果たすのだろう。竜馬が亡くなったころ、母の父が生まれている。写真でしか知らない祖父。150年前はまだ最近のことに思えるが、本で読む世相は今とは全く異なる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は『竜馬がゆく』(2)から、気になる個所を抜粋したもの。

★この時代の「学問」というのは、今日の学問、つまり人文科学とか自然科学とかといったものと、言葉の内容が違う。哲学、という意味である。というより、倫理、宗教にちかい。要するに、儒教である。教養の中心は、人間の道の探求とそれをまもることにあるのだ。孔子を教祖とし、それに中国、日本の先哲がのこした名言を学ぶ。学ぶだけでなく、踏みおこなう。……この時代の学問とは、倫理道徳、みな同じ型の人間をつくるのが、最高の理想である。「乱臣賊子」ができれば、封建体制はくずれてしまうのだ。幕府、諸藩が、その藩士にやっきになって「学問」をすすめたのは、その理由からである。169p

★「資治通鑑じゃ」
中国の史書である。……中国の史書の書きかたには、ふたとおりある。人物伝中心の「紀伝体」と、時の流れを忠実に追ってゆく「編年体」とがあるが、これは、「編年体」の最大の傑作といわれる。171p

★討幕維新の運動をやった薩長土三藩は、いずれも三百年前の関ケ原の敗戦国である。幕府には、恨みがあった。が、土佐藩のばあい敗戦者は旧長曽我部家の遺臣の子孫である軽格連中であり、藩公以下上士は、戦勝者であった。自然、佐幕主義足らざるをえない。225p

★土佐藩では、いまの参政吉田東洋が就任するまでは徹底的な倹約令が布かれ、かんざしも、金銀さんごのたぐいは売ることも使用することも禁じられていた。武市の二十ごろに起こった例の「お馬・純信」の恋愛事件も、よさこい節にあるように、たしかに播磨屋橋で純信坊主がお馬に贈るかんざしを買いはしたが、その現物たるや、馬の骨に赤い染料をぬってさんご類似の感じを出しただけの粗末なものである。242p

★勤王討幕。
そういう言葉が、史上、実際運動の政治用語として用いられたのは、この麻布の空き家での密会のときが最初であった。それまでは尊王攘夷という言葉はあったが、「討幕」という衝撃的な言葉がつかわれたのは、おそらくこのときが最初であろう。247p

★吉田東洋の頑固は、因循姑息な頑固ではなく、きわめて攻撃的な頑固であった。
十八歳、すでに芽生えがある。家僕を殺している。……むろん、罪にはならない。主人が自分の家来を無礼討することは、この時代のいわば刑法で認められていたからである。
が、この事件は東洋の一生を決定ししたらしく、以後、門を閉じてつつしみ、学問、武芸に熱中した。後悔したらしい。295-296p

★この当時の武士は、いまのわれわれの市民諸氏ではない。武士である。武士が「やる」
というのは、命を捨てる、ということだ。腹を切れといえば松木はこの場で立腹でも切るだろう。この武士どもの異常なエネルギーが、明治維新という大史劇を展開させたのである。他国の革命とは、その点、ちがっている。
さらに筆者は捕足しなければならない。このときの竜馬の役割である。当時新聞もラジオもなく、世人は時勢に想像以上に暗かったいったが、竜馬のこのときの役割はいわば新聞記者のようなものである。346-347p

★竜馬が乗り込んだ長州藩とは、そもそもどういう藩か。……幕末、この藩は極端な過激主義となり、政治的に暴走をかさねて、ついに歴史を明治維新にまで追いあげた主導的な藩だからだ。……要するに、徳川家よりも毛利家のほうが老舗なのである。……幕府も諸大名も米穀経済にたよっているときに、製紙、製鑞という軽工業方式にきりかえ、かつ新田を開発し、このため幕末ではゆうに百万石の富力をもつにいたった。幕末、他藩が農業国家として窮乏にあえいでいるとき、長州藩には十分の金があった。富で洋式軍隊にきりかえ、おなじく軽工業藩である薩摩藩とともに、幕府に対抗する二大軍事勢力になったのである。366-367p

★竜馬の脱藩後、藩庁の調べで、柴田家の陸奥守吉行の一刀をお栄からもらいうけたことがわかり、柴田義秀は激怒した。
じきじき坂本家へきて、お栄を責めた。
「なぜ、そなたはわしの形見を余の者にあたえたか」
そのあと、お栄は自殺している。
考えてみると、天が、竜馬という男を日本歴史に送りだすために、姉の一人を離縁せしめ、いま一人の姉に自害までなさしめている。異常な犠牲である。413p

2019年3月17日日曜日

葉っぱの点描写

 そろそろ冬眠から覚めないといけない。だが、朝早く起きられない。人と話をすれば眠られない、とか聞く。だが、これも不思議な感覚で聞いている。特に今朝は起きられなかった。

 昨日午後は日本画教室に出かける。今、緑の葉が紅葉しかけていく木々の葉を本画に描いている。木々をまず描き、その後の葉っぱを点描写する。黄色、橙色、黄緑色などの水干絵具を絵皿に出して膠で溶く。まずは薄い色で点描写をしていると先生から何色かを混ぜて……と言われる。その通りしていると次は点描写の点が小さすぎて何時間あっても描けない言って笑われる。それでは……と思って素早い動作で少し太めの点で描く。点、点、点……と描写するとその速さが早いとまた笑われる。これはフルートを習っているから?とも言われる。フルートを吹くには素早い指の動きが必要。それもトリルとなるとさらに早くなる。

 本を読んだり、文字を書いたり、話をしたり……、は早い。しかし走るのは遅い。これと点描写は関係ない!?自分では普通の速度と思う、だが、点描写は早いらしい。とはいっても速さと絵の巧さは関係ない。

 樹木の小枝に点描写すると葉っぱらしくなり、それにいろんな色で点描写し続けると何とも言えずいい絵になる。もうこうなると自己満足の世界にはいる。そして巧く描けた、と思わず感動してしまう。もしかして他人から顰蹙を買っているかもしれない。とはいえ、自分で褒めずに誰が褒めてくれる、とまた自己満足する。これじゃ、巧く描けないとはわかっていても時にこの世界に入っていく。

 次回は空間に生える樹木を表現する。空間は鼠色の19番で、と先生に教えてもらった。鼠の19番、覚えておこう。空を描くのはもしかして初めてかもしれない。今のところ、この絵が気に入っている。この本画がうまく完成するといいけどさてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月16日土曜日

「広島駅新ビル地上20階」の話題

 昨日からメディアを賑わす「広島駅新ビル地上20階」の話題。2025年春開業となれば6年先のことになる。さてその時の自分自身は如何に、と思わず自問自答する。JRと広電が新ビルの2階で接続するようだ。最近、やっと新幹線口の駅ビルが様変わりして街らしくなった。6年後はもっと広島駅が発展する。JR利用者にとっては8分で在来線各駅列車と快速列車がともに乗車できるので便利になるのは大歓迎。とはいっても明日のことさえわからない年齢に差し掛かると6年後のことは全く考えられない。

 今の駅ビルは来年春には取り壊すとか。となると、新たな駅ビルになるまでの5,6年間はまた広島駅付近は工事の音で騒がしくなりそうだ。今の駅ビルが建ったときはまだ学生だった。当時は住む街も市に合併しておらず、広島駅まで行くのは街に出る感覚だった。あれから54年経った。それ以降、就職しても広島駅までJRに乗っていた。リタイア後の今もJRは欠かせない。どういっても地元で何をするといっても何もない。フルートも日本画も何かを習うには街中に出なくては習えない。ということで新駅ビルができる6年後も元気でいなくては何も習えなくなる。6年先を期待して元気でいよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月15日金曜日

泳いだ後が……

 芸能人が逮捕された、等のニュースを見てもその大半は初めて知る人たちだ。以前はそんなニュースでも名前くらいは知っていた。ところが最近は逮捕者だけでなく、お笑いでも歌でもそうだけど知らない人が多すぎる。事件でそういう人か、と知る始末。まあ、これも知ろうと知るまいとどうでもいいことだけど……。

 お天気のいい午後はプールで泳ぐ。1,2か月前にプールの片隅を陣取っていた男女もいつの間にか見かけなくなった。長続きしないよね、と思ったら案の定だ。まあ、これも人のことだからどうでもいいけど……。

 プールで泳ぎ終えるといつもながら俄然勇気が湧いてくる。人のことはどうでもよくなる。そして頭がさえわたる。もしかしてこれが水泳の良さかもしれない。泳ぎ始めのころはただ、ただ泳げるようになりたい、という気持ちしかなかった。それがいつの間にか泳げるようになるとクロールだけでなく背泳ぎも、と欲が出る。それもなるべくリカバリーの回数を減らして、とさらに欲が出る。こうして泳ぎ始めて30年以上経過した。途中、やむを得ず休んだ期間もあるけど続けている。これと同じく自転車も乗り続ける。元気なうちはこの2つは続くだろう。

 ところがこの時季の泳いだ後がいけない。鼻水との格闘が始まる。自転車で帰宅中、途中で人に出くわす。湯冷めしないようにと急いでも止まって話が弾む。これが良くないとわかっていてもついついしゃべってしまう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月14日木曜日

「休眠預金活用30億円強」から

 「休眠預金活用30億円強」は今朝の地元紙掲載の見出し記事。このうちのいくらかはわが家も関連がある。母が亡くなる前、母名義の口座は普通預金に切り替えてキャッシュカードで全額引き出そうとした。ところが千円以下はキャッシュカードでおろせない。そのため、郵貯や地銀の通帳の千円以下の残高はそのままになっている。母がいなくなって丸8年が過ぎた。休眠預金は10年間の出し入れがない預貯金だからもう少しすればそれに該当する。また休眠預金は年間700億円もある、とは驚いてしまう。

 休眠預金は母だけでなく自分自身も当てはまる。初めて会社勤めをしたとき、会社からの振り込みは大手都市銀行だった。現役で働いていた時は街中に出る機会も多く、都市銀行の口座も何の問題もなかった。ところがリタイアすると全ての生活拠点の活動範囲を地元密着にするほうが何かと便利と気付く。それからというもの、都市銀行の口座は普通預金に切り替えてすべておろした。ところが千円以下はおろせない。結果、数百円単位で残高が残ったままだ。

 習っている稽古ごとの合間に街中に出て解約手続きすればいいものを面倒な気持ちが先にあり、そのままにしている。というか、日を改めて街中に出て解約するにも運賃の方が高くつく。その思いから休眠預金になるのは仕方ない。

 話は変わって今朝のダグニーさんのブログ。左手がだいぶ良くなり、自分で服が着られるようになったそうだ。

 毎日いろんなことがメディアを賑わす。だが、嫌な記事やニュースは目にしたくない。とはいってもある程度は世の中についていきたい。それにしてもよくもまあ、こんなことができる、と驚くことが何と多いことだろう。アポ電話なるモノの犯人が捕まった。何も悪くもないのにただ金銭だけが目的で命までも奪ってしまう。本当に恐ろしい。

 2日前、夕方、自転車で出ると1年3か月ぶりに近所の人と出会う。髪は真っ白くなられ、声をかけられるまで誰だかわからない。立ち話をすると買い物は生協で配達してもらうらしく、外に出る回数が減ったという。アポ電話のことを話すと電話が掛かれば出るという。どうもナンバーディスプレイにしていないらしい。80過ぎの女性で一人暮らしの人だ。これは危ない、と思うけどそれ以上は言える立場にない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月13日水曜日

「独裁者の妻たち:デヴィ夫人」を見る

 昨夜はNHKのBS世界のドキュメンタリーを見る。タイトルは「独裁者の妻たち:デヴィ夫人」。その前にデヴィのブログを見るとテレビ出演欄にこの掲載がない。番組は2017年にフランスで製作されている。

 番組HPを見ると「世界に悪名をとどろかせた独裁者たちの妻-デヴィ夫人のほか、ジンバブエのムガベ大統領夫人や、ソ連の“初代ファーストレディー”でレーニンの妻ナデジダ・クルプスカヤなど、“猛烈な女傑”たちに光を当てる1本。赤坂のホステスから華麗なる転身をしたデヴィ夫人は、『夫による弾圧や虐殺はない。“上からの民主主義”だったの』と持論を展開。ヌードの出版や傷害事件での服役などの醜聞についても、堂々と英語で舞台裏を語る」とある。

 テレビに映るデヴィの顔に笑顔はない。かなり辛辣なインタヴューにデヴィは返答する。指を見て結婚指輪?と問われるとそうだとの返事。大きなダイヤモンドの指輪だ。だが、インドネシアで産出されるダイヤモンドは工業用のダイヤモンドだという。またスカルノの独裁政権で多数の人民が殺害されたか、と問うと「大統領はハエ一匹殺しません」とも返答する。インタヴューの始まる前のナレーションではインドネシアにデヴィが渡った後、母親が亡くなったという。なんとその翌日に弟も自殺していた。スカルノとの結婚も3年間は秘密にされ、その後、公になる。また驚くべきことは日本の週刊誌を賑わした欧州でのお金持ちとの結婚云々も昨夜の放送では二重スパイの男で世界に指名手配されて破談となる。ヌードの本の出版ではインドネシアはイスラム教の国で肌の露出は厳禁。そのためインドネシアでは顰蹙を買っていた。さらにアメリカでのシャンパン・グラスを投げつけた傷害事件の質問をされる。その時、100日ほど警察の厄介になった。デヴィに言わせるとこれもいい経験だったとか。何を問われても自分なりの解釈で返答していた。最後には日本でテレビに出ているとも話す。

 個人的にそれほど嫌な感じを受けないデヴィ夫人。テレビを見ていて貧しさから這い上がった人の逞しさを感じる。生きていくためには手段を択ばないのだろうか。ナレーションでもやりたい放題に生きた女性と話したように聞こえた。ただ、番組の最後で独裁者の妻を取り上げたなかでもレーニン夫人だけは他の夫人たちと違って「闘争心と全体主義」の人だったそうだ。

 放送が午後11時からだった。いつもは寝る時間なのに興味津々で見てしまった

 昨日はフルートのレッスン日。さらっていたチャイコフスキーの🎵ロマンス🎵を仕上げて次はフォーレの🎵無言歌♪をさらう。フルート演奏の動画が少ないが、これをアップしよう。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月12日火曜日

『竜馬がゆく』(1)

 5月に予定している旅の参加人員はいかに?と思い、ネットで検索する。出かけようとする旅は依然と同じ状況だ。ところがその前に出発する旅は催行確定となっている。そうと知って昨日、J〇Bに電話する。催行確定日の残席を問うとOKだった。5月は催行なるかどうかわからないらしく4月の出発に変更する。ところが4月に替えるとその前の週に泊りがけの国内旅を別の旅行社で申し込んでいる。結果、どちらとも出かけることになった。ということで今日からこれまでよりも早く起きるようにしよう。

 学校で習った歴史は大嫌いだった。ところが、司馬遼太郎の本を読んで歴史の面白さを今更ながら知る。人生は本当に何が起こるかわからない。『竜馬がゆく』は全8巻あり、今、2巻目を読んでいる。全部を読み終えるには時間がかかりそうだ。司馬作品は自分のこれからの生涯をかけて読み終えることができるかどうか、それくらい多くの作品がある。とはいえ、全作品を読み終えようと今のところ張り切って読んでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『竜馬がゆく』(1)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年新装版第13刷)から気になる個所の抜粋。

★黒船どもの真意は、たんに測量だけでもなかった。品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放ったのである。もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう。
 この品川沖の数発の砲声ほど、日本歴史をかえたものはない。
 幕閣がふるえあがって開国へ徐々にふみきる決意をしたのはこのときだし、全国に、猛然と志士が立ちあがって、開国反対、外国人うちはらうべし、の攘夷論が、黒煙のごとく天下をおおいはじめたのは、このときからであった。同時に、近代日本の出発もこの艦載砲が、火を吐いた瞬間からであるといってよい。132p

★この村からほど近い所に長浜村鶴田という部落があり、そこに流謫の人がいた。
 のちの藩の独裁者吉田東洋である。……
 弥太郎は、東洋の門下生に入った。
 東洋はその後許されて再び藩の行政権をにぎったとき、この長浜村で門人にとりたてた藩士の子弟をそれぞれ枢要の位置にすえた。
 もっとも弥太郎は地下浪人の出だったためにすぐには取りたてられなかったが、のちに財務官として土佐藩の金銭を握るにいたった開運は、このときだったといっていい。(弥太郎とはのちに三菱財閥の創始者となる岩崎弥太郎のこと)366p

★郷士の子は生涯郷士でしかなかった。いかに学問武芸に秀でようとも、上士にはなれなかった。上士でなければ、藩公に近づくことはできない。
 この土佐守豊信は、薩摩の島津斉彬、越前の松平春嶽とならんで幕末の風雲のなかで活躍した出色大名だが、それでさえ、竜馬の名をこれっきりで忘れた。
 後年、竜馬が脱藩して、西海に私設艦隊を率いて天下に臨んだとき、
「坂本龍馬とは、そうであったか。江戸の剣術試合で働いたあの男か」
と、やっと思いだしたという。420-421p

★これが竜馬の一生を通じての思想だった。武士であるとか町人であるとか、そういうものはこの世の借り着で、正真正銘なのは人間いっぴきの坂本竜馬だけである、と竜馬は思っている。425p

2019年3月11日月曜日

パンダ休暇!?


 有馬稲子が出演した徹子の部屋を動画で見る。有馬曰く「マーサ三宅さんは本当に歌が上手……」。そう聞いてもマーサ三宅の顔や歌は全く知らない。動画を見終えると早速ネットでこの人を検索。番組で流れた🎵私はカモメ🎵の歌があった。当然この歌も初めて聞く。古い人であっても新しい曲に思える。これはなぜ!?

 一日中雨が降る日は家でおとなしくパソコンと遊ぶ。そして『竜馬がゆく』を読む。この本も『坂の上の雲』と同じく読んでいて面白い。全8巻を読み終えるには2,3か月かかりそうだ。それなのに次は何を読む?と気になりだす。もう司馬遼太郎の本に完全にのぼせている。

 本を読むのを中断して再度パソコンに向かうと東京の姪からメールが届いている。「パンダ休暇」を取って4日間、国内のパンダを見てきたと満足そうだ。もちろんパンダ休暇なる休暇は姪が勝手にそう名付けただけで職場にあるのではない。姪はお正月に四川省までパンダを見に出かけている。最近、パンダにハマっているのだろう。電話で話すと国内よりパンダの本場である四川省のパンダを見る方が面白いらしくまた行くという。それにしても国内にも神戸や和歌山と各地にパンダが飼育されているとは驚き。パンダは国内では見たことがないが中国の北京や四川省で何度かパンダやレッサーパンダを見たことがある。

 メールからまた勝手に引用しよう。

 ★パンダ休暇で国内旅行してきました。神戸ではタンタン。年寄りだけど小さくて可愛い!和歌山アドベンチャーワールドではバックヤードツアーに参加して、餌をあげました。……赤ちゃんパンダも可愛いかった。ここのパンダは距離が近く人慣れしていて、綺麗でお嬢様だわ。中国のパンダと違う。……やっぱり成都のパンダが面白い。複数頭でいるから、じゃれたり、餌取りあって喧嘩したり、喜怒哀楽のドラマがある。今回航空券はマイレージだったけど、国内旅行は高いね。食事も温泉も満喫して、リフレッシュしました!

 どういっても働くばかりでなく楽しいことをやって息抜きするのはいいことだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月10日日曜日

「天皇皇后両陛下の肖像画!制作現場に独占密着」を見る

 昨夜はBS1で「天皇皇后両陛下の肖像画!制作現場に独占密着」を見た。NHKのHPを見ると「野田さんはいつも描く対象を写真に収めて、それを見ながら描くのですが、今回も両陛下の写真を、ときに拡大鏡で細かい部分もよく見ながら描いていました。……私たちが一番驚いたのが、油絵を描く際に使っている筆が、日本画で用いられる最も細い“面相筆めんそうふで”だったことなんです! あんなに細い筆で油絵を描くだけでも難しいのに、髪の毛1本、まつげ1本を緻密に表現するような作業がずっと続くんです。……」とある。面相筆、は日本画を習い始めて知った。その細い筆で丁寧に試行錯誤を重ねて色を施す。テレビを見ていて大変な作業、と感心してしまった。3年で描く約束も画家の納得がいかず期間を延長してやっと絵は完成する。実物を見てみたい。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=17932 (参照)

 誰が画家を指定するのかと思った。長年皇后とピアノを通して懇意な岩崎淑。そのの自宅で開催されたパーティに皇后や知り合いの野田弘志も出席する。その時、肖像画の話が出る。後日正式に宮内庁から依頼されて絵を描くことが実現する。いくら画家であっても、また、知り合いであっても上手でなければ依頼もされないだろう。50分の番組だった。しかし、絵描きが何度も写真を見て絵に向かう場面はさすがに絵の大家、とテレビを見ながら見とれてしまう。

 絵といえば昨日の日本画教室。同じく写真から絵にしていくのだが、絵に対する心構えが画家と比べて何万分の1にも満たない。まあ、比べる方が間違いであって、ただ自分の下手さ加減からそう思ってしまった。先週の教室で木製パネルに貼った鳥の子紙に下塗りした。これにカーボン紙を置いてデッサンした上からトレースする。ところが何度か使用したカーボン紙だったので線がはっきり描けなかった。今回は先生が新たに用意してくださったカーボン紙を使用するとはっきりと線が出た。昨日はそのうちの樹木に色を施す。

 デッサンしたのを水彩で施した下絵は割と自分で納得する。ところが、これを本画にしようとすると水彩とは違って思うように描けない。ここらあたりが日本画の難しい所だろう。とはいってもデッサンした上に色鉛筆や水彩で色付けする下絵は何とかできるようになった。これだけでも日本画を習ってよかったのかもしれない。なんやかや言いながらも気長に筆を進めていく、これしかなさそうだ。どういっても絵の大家は3年以上も時間を要して1枚の絵を完成されている。すごいことだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月9日土曜日

「退屈を避けるため楽しいことを行う」

 「自分がそうであっても私の一時的な位置に適さないと宣言この作品のスタッフがその後延長された、1970 年ボルレンゲに移動まで交通安全局に残った。1970。 その後フルタイムで年金受給者になった私、私私、sory が動作を停止するとき、初めには少し退屈だったとことがわかった本当に楽しい、健康になると先輩と簡単に楽しむことができる楽しいことを行うと、退屈を避けるため。8/3 2019」。(日本語は翻訳機能による)

 これは今朝見たダグニーさんのブログの最後の部分。この日のブログタイトルは日本語に変換されていないので不明。しかし、ダグニーさんによるとこの日は国際女性の日で、自身の年金を話題にされる。ダグニーさんが年金受給者になった当初は退屈だったようだ。それを避けるために楽しいことを行う……。これはよくわかる。

 自分自身も年金受給者になって久しい。なり始めの頃は自分の人生で一番忙しく過ごしていたので退屈というキーワードは自分の辞書にはなかった。親を亡くして一気に暇になる。しかし、暇ができると、とくに体を動かさずにいると要らぬことを考え始める。そのことはこれまで長く生きてきて自分自身にとって一番よくないことと知っている。それでなるべく動く癖をつけた。人も変わるもので運動嫌いが体を動かすことに目覚めた。暇があるとどこかへ行くことや遊ぶことを考えている。これも健康であればこそ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月8日金曜日

「死んだら大木になりたい」

 「今日は旅行中です。具体的には、私は『老いと老い』というフォーラムでノルチェピングをしてきました。私が招待されたのは私が最年長だったので、彼らは外に出て、表示する勇気を披露することができました。……」と続く。(日本語表記は翻訳機能による)

 これは今朝見たダグニーさんのブログから。ここ最近は散歩や旅行とよく外出されている。お元気そうだ。

 今朝は春の訪れを感じる。ゴミを出そうとして外に出ると日差しがまぶしすぎる。こういう日はダグニーさんを見倣って外に出る!?

 昨日の朝刊に檀ふみの「堀文子先生と大木」と題した寄稿がある。先日、三次の美術館で堀文子の個展を見たばかりだ。檀ふみは個展が開催されたオープニングセレモニーに出席している。生憎、その日に出かけられず、その時の様子は美術館のボランティアをされている人から教えてもらった。自称堀文子の弟子と名乗る檀ふみ。新聞にこう書いている。

★自分で自分のでパトロンとなって、売るためではなく、描きたい絵だけを描いて暮らしたい。……私が、「師」と仰ぐこの方に出会えたのも、そのお蔭である。もっとも、「師につかず、弟子ももたない」主義の堀文子にとっては、私は「自称」で「不肖」の押しかけ弟子に過ぎないが。「死んだら大木になりたい」。そう先生はよくおしゃっていた。……

 この「自称」で「不肖」の押しかけ弟子。これはいい。私も勝手に自分が尊敬する人を自称で不肖の「師」の弟子と名乗りたい。そして「死んだら大木になりたい」。これもいい。どういっても堀文子の個展を兵庫の美術館と三次の美術館の2か所へ見に行った。こういうことは初めてのことだ。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月7日木曜日

雨の一日

 昨夜はBSで「偉人たちの健康診断『正岡子規 痛い痛いの飛んでいけ』」を見る。司馬遼太郎の『坂の上の雲』1巻には子規と秋山兄弟が出てくる。この本でこれまで知らずにいた子規に関心を抱く。21歳で喀血して34歳で亡くなるまで「食」にこだわった。病弱な体であっても3度の食事はきっちりとり、特に果物を沢山食べたそうだ。また病弱であっても常に楽しみを見つけて生涯を過ごした。それにもよるのか子規がいなくなっても根岸の家に人々は集まってきたという。

 子規は常規が本名でホトトギスの意だが、その弟子の高浜虚子は清が本名。どちらもうまく俳号をつけている。番組を見て俳句も面白そう、と思うが短い中に自分の思いを投入するのは大変かもしれない。

 次は隋の時代の暴君である煬帝を見る。2年くらい前に揚州に出かけた。だが、煬帝を知らずにいた。いい番組がないと言いながらも結構、こういった放送に惹かれる。

 今年に入ってパソコン画面が突如怪しくなる。こういう状況になるとパソコンを再起動させるといいとのことでそうやって使用していた。だが、それもいつまた画面が変になるかも、とひやひや使う。ところが1,2週間くらい前から正常になる。これで落ち着いてパソコンが使える。昨日はこれまでさらったフルート曲集の曲名と作曲家をワードに記す。フルートを再開した8年前から最近まではすでに記している。
 


 先日、BSの「恋するクラシック」にチェリストの辻本玲がフォーレの🎵夢のあとに🎵を奏でていた。この曲はフルートで吹いたことがある、と思って曲集を探す。だが、曲集を探すには時間がかかる。それを一覧にすればすぐにどの曲集に入っているかがわかる。そう思って雨の昨日、外にも出ずにパソコンに入力する。♪夢のあとに🎵はやはりさらっていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月6日水曜日

高齢者が狙われる社会

 高齢者が狙われる社会になった。何も悪くもないのに日に日に凶悪さを増す。金銭目的のために命までも奪ってしまう。一昨日の朝、家のドアをたたく音がする。ドアホンの電源をわざと切っているためドアをたたくのだろう。そうまでして家に来る?と中から外の様子を見るとブルーの作業着姿が見える。近くにある整骨院の名前を告げる。「結構です」と言って中のドアを閉める。後で気づく。「結構です」と言わず、はっきりと断る意思表示をする、と。

 同じ日の夜9時前に電話がかかる。男の声だったがすぐに留守電にすると切れた。後で番号をネットで検索すると迷惑電話で外壁の業者らしい。電話でも訪問者でもそうだが、そういう人たちに関わってはいけない。

 最近、フリーダイヤルの電話がかからなくなった。そう思った矢先の一昨日の電話はIP電話の番号だ。ともあれ、ネットで検索すると迷惑電話かどうかすぐにわかる。この類の電話番号はすぐに迷惑電話に登録する。それにしても変な世の中になった。

 母が怪我をして一人で家にいた頃、家の固定電話に電話をすると受話器をとらずに「はーい」と言えば電話が通じるようにしていた。ところが、もし今、母が生きていてそういう連絡方法だと変な電話もぜんぶ「はーい」と言えば通じてしまう。その当時は今ほど社会も悪くなく、そういう心配は無用だった。とはいっても、次第に母も衰えて外から家に電話しても「はーい」の声すら出なくなり電話で話すことも不可能になったが……。

 気を取り直して、昨日午後はプールに出かける。雨が降らない日を見計らってプールで泳ぐ。午後は1時から開館するプール。早めの到着で更衣室の鍵を受け取るとプールへ急ぐ。ところが何を慌てていたのか受付で名簿に記入するのを忘れる。ボケてきた!?気を付けよう!かなりゆったりと1キロ泳ぐ。最近背泳ぎで泳ぐと少しだけ早くなった気がする。先週、人から背泳ぎを褒められたからそう思うのかもしれない。気を良くしてプールから帰った後がいけない。鼻水の洪水だ。こうなると脳みそまでも鼻から出てくるのでは、と心配になるほど鼻水が止まらない。今年は楽な年との油断も束の間のことだ。夜中も寝苦しい。今朝はやっと鼻水がとまる。だが今日は生憎の雨。自転車で外に出られそうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月5日火曜日

旅の情報あれこれ

 106歳のスウェーデン人ブロガー、ダグニーさん。今朝もブログを見ると日に日にお元気になっておられる。今朝は「映画やその他の」のタイトルで舞台に立つダグニーさんの姿がある。また、ブログは「今日では、面白いと楽しい一日でした。私は民俗歌劇でドキュメンタリー映画祭に出席しました。20年にわたるドキュメンタリーのストーリーテリングを伝え、ドキュメンタリー表現のためのフォーラムです。……」と続く。(日本語は翻訳機能による)

 106歳でブログをされるだけでも素晴らしい。そのうえもっと凄いのは交通事故に遭い、左手の怪我を乗り越えてブログをアップされている。ダグニーさんを見倣いたい。

 昨日は関西の旅行社から旅のカタログが届く。暇つぶしに眺める。だが、これっ、とときめくものがない。それでもこれは……、と思う国はやたらと旅費が高い。なぜ、と思ったらビジネスクラスだった。年々、高齢者が増えてくる。お金持ちを当て込んだビジネスクラス設定がやたらと多い。貧乏人はここで立ち留まる。それでもどこか自分に合う国はないかと探し続ける。そのうち草臥れてくる。2月と3月に申し込んだ国内と海外の旅は人数不足で催行されない。今朝、違う旅行社の新聞折込チラシが入る。

 日に日に春めいてくる。こうなるとどこかへ行きたくなる。チラシを見ては集合時刻や行く先を考える。申し込んでも旅が催行されないと悲しい。電話で申し込む際、催行確定を聞く。日帰りのバス旅はOKだった。とりあえずこれを申し込む。

 そういえば今朝の新聞広告で某旅行社の募集を見る。なんと3月16日から新大阪駅発の「おおさか東線」ができて奈良駅まで54分となっている。奈良がぐっと近くなる。個人で行くにも新幹線の「おとなび」を利用すれば奈良が近い。これは朗報。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月4日月曜日

某文化交流学会総会に出席

 昨日は某文化交流学会の総会に出席する。もらった資料によると第23回総会とある。これまでこの会で計画された海外の旅に5回出かけた。昨年というか今年度の3月までの旅は参加人員不足で催行されていない。ということでこの会への参加は6年くらい前からになるだろう。いずれにしても旅好きの集まりの楽しい会だ。

 昨日は広響の定演を聞かずに総会に出席する。会が始まる前に3人で話していると王義之や顔真卿の話題になる。王義之は知っていても顔真卿は初めて聞く。ブログに「がんしんけい」とローマ字入力するとすぐに顔真卿に変換できる。ということは自分が知らないだけで有名な人のようだ。改めてネットで調べると先月24日まで東京国立博物館で特別展「顔真卿ー王義之を超えた名筆」と銘打った展覧会が開催されていた。この模様はテレビで放送されたらしく、見ていなくて残念。https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1925 (参照)

 総会が始まると副会長による「漢字―その豊かな創造力」をテーマにした講演がある。文字が発生したころから現代までの漢字の創造力を話された。その後は議事、議決が採決されて、今年度の会のハイライトともいえる二胡奏者の趙栄春を迎えての演奏会が催された。二胡は中国の楽器で哀愁を帯びた旋律を奏でる。5曲演奏された最後の「シルクロード」

。この曲を聞いていると中国語を習い始めた頃や、また海外旅行に目覚めた頃を思い出す。その当時、世はまさにシルクロードブームだった。

 演奏会が終わると場所を隣の部屋に移動して懇親会が始まる。いつもながら楽しい宴となる。来月からの新年度になると旅の予定もあるらしい。旅好きの集まりのようでまた一緒に旅ができると思うと嬉しくなる。楽しい一日は終わった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月3日日曜日

3度の地塗り

 しとしとと降りつ続く雨の朝。少々冷たくてもお日様が出ている朝がいい。これもわがままというものだろう。

 昨日午後は日本画教室に出かける。新たな本画を作成するために鳥の子紙を貼った木製パネルに地塗りする。先生曰く「一色でもいい」と。はじめに緑系統の色に方かい沫を混ぜて色を塗る。地塗りの際は毎度ながら最後のあたりを塗る時に絵具が足りなくなる。2度目は黄緑色で地塗りする。色を塗り終えると水彩絵の具で色付けした下絵をコピーして、これにカーボン紙を置いてトレースする。トレース後、カーボンを外してみるとはっきり見えない。使いすぎたカーボン紙を使用したようだ。これに納得できず3度目の地塗りをする。少し明るめの色で塗り、カーボンでトレース。こんどははっきりトレースできた。だが、途中で時間切れとなり次週に持ち越す。

 新緑の季節から時は過ぎて紅葉の時期に写した尾関山公園の桜並木。緑色の葉に赤が混じる。これを絵にしていくのだが、さてさてどうなることやら。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月2日土曜日

新たに開店したスーパー

 1週間余り前にオープンした自宅最寄り駅のスーパー。お天気の良さにつられて自転車で出かける。さて自転車を、と思ったらかってに置けない。高校生らしき若者数人に置き方を教わるが埒が明かない。うち1人が置いてくれた。スーパー内に入ると何かが違う。おかしいと思ったらドラッグストアだ。すぐに外に出て他の入り口を探すとスーパーがあった。籠を持って入った瞬間、ここは自分には向いていないと悟る。間違って入ったドラッグストアも変なオーラを感じた。結果、何も買わずにすぐさま外に出ていつものスーパーに出かける。

 一日が過ぎるのが早い。新聞の投書欄や訃報欄に年齢が書いてある。同じような年齢の記事を見ると何と年老いている、と自分自身のことを忘れてそう思う。仕事を辞めてからというもの、あっという間に月日が過ぎる。この速度でいくと来年は1歳増えるのでなく5歳から10歳、いちどに歳を取る気がする。この気持ちは年々加速度を増す。

 そう感じると、あと何年元気で生きられるか知らないが、安いスーパーを買いあさるよりも自分で気に入るものを買って、食べて思うように生きればいいじゃない、との気持ちが募る。そして好きに遊んで楽しく過ごす、これに尽きそうだ。とはいっても遊ぶにも元気がいる。これは今のところ大丈夫。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月1日金曜日

青山俊董尼の講演を聞く

 市内にある曹洞宗の寺院で開催された講演会を聞きに行く。毎年2月と9月の末日に開催される。ところが、昨年は講師の体調不良と台風の影響で開催されず、1年ぶりに出かけた。広島駅から2つ目の駅で下車して山に向かって歩く。しかし、久しぶりに出かけたため、ホームに降りた時点でさてどちら側へ、と迷う。道中、2人に聞いてやっと目的地に到着する。

 寺院内の講演会場はいわゆるお寺らしくなく、講堂なのか線香などのにおいもない。またお寺での講演会と言ってもいわゆるお坊さんのお説教でなく、本来の講演会で耳を傾けてメモを取りながら話を聞く。受付を済ませると講演資料と冊子を受け取る。資料を見ただけでは何が書いてあるのか日本語として読めても内容はさっぱりわからない。県北や関係あるお寺から参加のお坊さんも数人おられた。

 話を聞くとき、疑問という形でアンテナを張り巡らせていると、直接ではなくてもいろんな形で結び付くそうだ。それも聞く内容は自分の物差しというか持ち合わせのものしか聞けないという。自分の聞きたいという受け皿がなければそれだけのものらしい。これを少しずつでも伸ばす!?この他、資料に書いてある内容をかみ砕いて話される。時に笑いを混ぜて話される。聞いているときはそうか、とわかってもいざ文にすると難しい。

 年2回の広島での講演会も講師の体力を考えて来年からは1度になるらしい。昨日も前日は佐賀で講演されて広島へ移動されての講演だった。講師の青山俊董尼を知ったのはスリランカの旅で知り合ったお坊様たち3人の何気ない会話から始まる。その話に聞く耳を持たなかったら青山俊董尼の講演会を聞くこともなかったし、出会うこともなかっただろう。

 そういえばこのお寺ではお月見コンサートも開催されているそうだ。その時はフルートとピアノ演奏と話された。フルート奏者は誰?と気になる。参加すればそれもわかるけど、さてさて……。また、県北のお坊さんは11月末ごろに阪大の先生やゲスト歌手を迎えての演奏会も開催されるという。これも聞きたいけどまたもやさてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!