2019年3月27日水曜日

「誰しも、自分に理解できることしか耳に入らないものだ」ゲーテ

 106歳のブロガー、ダグニーさん。日に日にお元気になられている。今朝見たブログは「悲しいコメント」とのタイトルがつく。どうもよくないコメントがあるらしい。ダグニーさんのブログのコメントも日本語変換になっている。しかし、翻訳機能による日本語なので理解できない面がある。もっぱら本文だけを読み、コメントまでは読んでいない。

 ブログを読んで非難されると悲しいのは当然。ましてや106歳で毎日ブログを更新されている。非難する方がおかしい。

 暇さえあれば『竜馬がゆく』を読んでいる。あと少しで4巻目を終えて5巻目に入る。その合間に図書館で予約確保の本を借りて読む。『田舎暮らしと哲学』(木原武一 新潮社、2017年)を読んでいるとはっと思いつく。

★誰しも、自分に理解できることしか耳に入らないものだ。(ゲーテ『箴言と省察』)142p

 これは「目」にも言い換えることができそうだ。聞く耳を持っていてもアンテナを張り巡らしていても自分が理解できることしか耳からは入ってこない。赤ちゃんや子供に話す時と大人に話す時の話し方は異なる。理解できない人に分かってもらうように話すのは難しい。これはゲーテの言葉どおりだとこの本で知った。

 人は話す時、聞く相手によって話す内容を変えている。いろんなことに関心を抱いてどんな人との話でも内容を理解できるようになりたいものだ。

 昨日自転車で買い物から帰ると家の前を歩く人と話をする。通りを隔てた真向いの人だ。目の前の家の人であっても、ずっと同じ町に住んでいても、一年に一度会えばいいほどで、数年合わないこともある。それが昨日ばったり会った。久しぶりだったので立ち話をすると今年90歳になられるという。白髪の上品な奥さんで一人暮らしをされている。これは知っていた。何の帰り?と問うと洋裁を習われていた。この間は娘さんのコートを縫ったと言われる。娘さんは3人。一緒に住もうと誘われるがひとりがいいらしい。聞くところによると食料は訪問する娘さんと一緒に買い物し、作るのは自分でされている。また、掃除はヘルパーにお願いしているそうだ。デイサービスは利用せず、リハビリに通うらしい。話していて頼もしく思えてきた。年齢を聞かれて告げるとまだまだ子ども扱いされる。85歳までは大丈夫と自身の経験を話される。

 母は88歳で怪我をして96歳で亡くなった。日本人の女性の平均寿命は87,8歳くらいだから米寿の88歳まで元気でいればその後も長生きできそうだ。この米寿が元気でいるかどうかの分岐点に思えてくる。昨日の人も90歳でお元気だ。

 人と話すときは気持ちも体も元気で幸せな人と話すのがいい。こちらまで元気になる。たとえ元気でなく、寝たきりであっても自分のできる範囲で頑張る人は幸せな人だそうだ。これはテレビで知ったお話。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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