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2019年3月31日日曜日

再び「ロンド」


 ★今日、私はエレナと一緒に素敵な一日を過ごした、我々は宣言しても何も演技せずにいくつかの店を見てきました。……私は私の故郷クリスチャンスタードから受け取った手紙を非常に誇りに思っています。私は賞を授与され、自治体の「ゴールドアンバサダー:」クリスチャンスタードの私の美しい発祥の地から、私は今年のゴールドアンバサダーを戴冠されており、それは恥ではありません。……(日本語翻訳機能による日本語)。

 これは今朝見たダグニーさんのブログから。元気を取り戻して、毎日活動的に過ごされている。もうすぐ107歳になろうとしているダグニーさん。朝からブログで活力をいただく。活力と言えば昨日の「こころの時代~宗教・人生~」で3年前の放送がアンコールで流された。土曜日は日本画教室の日。だが、昨日は教室のない日で堀文子の放送を見た。番組HPに以下のようにある。

★97歳の今も独り、いのちを描き続ける日本画家・堀文子さん。その孤高の生き方は乱世の体験から生まれた。親とて無力であると知った幼い日の関東大震災。軍部の暴走を警戒する父と間近で目撃した2・26事件。戦争へと歯止めを失っていく時代に、人殺しの道具にならない「美」に生きようと決意した堀さんは、いま日本はかつてと同じ道をたどろうとしているのではと憂慮する。百年近く日本を見つめてきた画家が語る、今への言葉。

 これは3年前に放送された再放送。というか堀文子追悼番組として昨日、アンコール放送される。3年前と言えば兵庫の美術館で堀文子の個展が開催されている。その時、兵庫まで出かけて堀文子展を見た。若い頃の写真を見ると凛々しいお顔をされている。また今年の2月に100歳で亡くなられる3年前の話し方もしっかりされている。そして堀が生きてきた時代は戦争と共にあった、と改めて知る。自分の両親もほぼ同世代なので堀と同じような戦争体験をしたのだろう。しかし、あまり戦争の話は聞いていない。堀は「風景は思想をあらわす」、ようなことを話していた。この意味はさてさて……。

 兵庫と三次の美術館で堀文子展を見た。堀文子の絵もそうだが生き方に惹かれる。有名無名を問わず、どんな人でもその人の「生き方」に感動しないと魅力がない。音楽も絵も何でもそうだ。関心あるモノ・コト・ヒトすべてに言えるかもしれない。

 話は変わって練習を始めた「ロンド」。昨日、べつの動画を見つけた。去年のフルート発表会で自分が思ったほどにはフルートが吹けなかった。かなり自信があったので気落ちする。ところがフルートの忘年会でその話をすると長年習っている人たちから本番では100点満点の30点くらい吹ければ由、と言われる。そうか、30点か、それくらいは吹けた、と思い直す。もう発表会は卒業しようとの気持ちがこの時に崩れる。そして「ロンド」。

 この曲、かなり気に入っている。ただ指使いが早い箇所が頻繁にある。昨日、4頁ある楽譜の1頁目を吹いてみる。何とか吹けそうだ。ただ、速度は遅めだけど……。メトロノームに合わせて練習しよう!そういえば早くも発表会の全体合奏の楽譜もいただいている。だが、今は「ロンド」を頑張る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年3月8日金曜日

「死んだら大木になりたい」

 「今日は旅行中です。具体的には、私は『老いと老い』というフォーラムでノルチェピングをしてきました。私が招待されたのは私が最年長だったので、彼らは外に出て、表示する勇気を披露することができました。……」と続く。(日本語表記は翻訳機能による)

 これは今朝見たダグニーさんのブログから。ここ最近は散歩や旅行とよく外出されている。お元気そうだ。

 今朝は春の訪れを感じる。ゴミを出そうとして外に出ると日差しがまぶしすぎる。こういう日はダグニーさんを見倣って外に出る!?

 昨日の朝刊に檀ふみの「堀文子先生と大木」と題した寄稿がある。先日、三次の美術館で堀文子の個展を見たばかりだ。檀ふみは個展が開催されたオープニングセレモニーに出席している。生憎、その日に出かけられず、その時の様子は美術館のボランティアをされている人から教えてもらった。自称堀文子の弟子と名乗る檀ふみ。新聞にこう書いている。

★自分で自分のでパトロンとなって、売るためではなく、描きたい絵だけを描いて暮らしたい。……私が、「師」と仰ぐこの方に出会えたのも、そのお蔭である。もっとも、「師につかず、弟子ももたない」主義の堀文子にとっては、私は「自称」で「不肖」の押しかけ弟子に過ぎないが。「死んだら大木になりたい」。そう先生はよくおしゃっていた。……

 この「自称」で「不肖」の押しかけ弟子。これはいい。私も勝手に自分が尊敬する人を自称で不肖の「師」の弟子と名乗りたい。そして「死んだら大木になりたい」。これもいい。どういっても堀文子の個展を兵庫の美術館と三次の美術館の2か所へ見に行った。こういうことは初めてのことだ。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年2月8日金曜日

『坂の上の雲』(四)

 今朝の地元紙で堀文子の訃報を知る。御年100歳であってももっと生きていてほしかった。堀文子の絵は以前、兵庫県の美術館で初めて見た。そして、年末の12月に三次の美術館で見る。堀文子は絵の良さもあるが生き方にも魅かれる。今朝はダグニーさんのblogのアップがない。

 昨日、銀行で引き落としの記帳後、眼科へ行く。眼圧は異常なし。その後、大型電気店に自転車で向かい、ポイントの記帳をしてもらう。3か所を自転車で移動すると結構な運動量になる。昨日は他にも今月予定していた日帰りバス旅の催行中止の電話がある。これまで何の書類も届かず、諦めていたので何の感慨もない。3月の海外はすでに催行中止決定済み。4月の国内と5月の海外は書類が届いているが、これもさてどうなることやら。ぼやいていても何も始まらない。そういう今、旅のカタログが届く。後でゆっくり見ることにしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は先日読んだ『坂の上の雲』第四巻(文藝春秋 2004年新装版第1刷)からの抜粋。日露戦争の勝利が先の大戦へとつながる。第4巻を読んで神風特攻隊は日露戦争の過剰な反応からそうなった、としか思えない。

★乃木希典は、開戦以来、自分の参謀長の意向をはじめて無視した。乃木にすれば、東京の大本営からも、大山の総司令部からも、また海軍からも耳が鳴るほどにやかましく示唆されつづけたこの二〇三高地というかぎ穴に、はじめて鍵を突っ込むことにした。……ステッセルは、あらゆる砲塁のなかで最強のものをこの高地に築あげたのである。109p

★庶民が「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家となったということが庶民の生活にじかに突きささってきたのは、徴兵ということであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。近代国家というものは「近代」という言葉の幻覚によって国民にかならずしも福祉をのみ与えるものでなく、戦場での死をも強制するものであった。……明治維新によって誕生した近代国家はそうではない。憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあっては、いかに無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。もし命令に反すれば抗命罪という死刑をふくむ陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にはない。が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、ときにはその重圧が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。二〇三高地における日本軍兵士の驚嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。122-123p

★ロシア帝国が遼東半島に強引に居すわってここに港市をきずいたのは、明治三十一年である。それまでは漁村の点在するさびしい海浜であったにすぎない。ロシアはここに大都市を建設し、極東における支配中軸にしようとした。かつて清国人が青泥窪(チンニーワー)とよんでいたこの土地を、ロシア人はあらためてダルニーと命名した。東郷がここに一夜をすごしたこの時期にはまだ日本人からもダルニーとよばれていて、大連という別称は存在したものの、まだ正称ではなかった。大連が正称になるには明治三十八年からである。228p

★この日露戦争の勝利後、日本陸軍はたしかに変質し、別の集団になったとしか思えないが、その戦後の最初の愚行は、官修の「日露戦史」においてすべて都合のわるいことは隠蔽したことである。参謀本部編「日露戦史」十巻は量的に膨大な書物である。戦後すぐ委員会が設けられ、大正三年をもって終了した、ものだが、それだけのエネルギーをつかったものとしては各巻につけられている多数の地図をのぞいては、ほとんど書物としての価値をもたない。作戦についての価値判断がほとんどなされておらず、それを回避しぬいて平板な平面叙述のみにおわってしまっている。その理由は、戦後の論功行賞にあった。伊地知幸介にさえ男爵をあたえるという戦勝国特有の総花式のそれをやったため、官修戦史において作戦の当否や価値論評をおこなうわけにゆかなくなったのである。……これにこれによって国民は何事もしらされず、むしろ日本が神秘的な強国であるということを教えられるのみであり、小学校教育においてそのように信じさせられた世代が、やがては昭和陸軍の幹部になり、日露戦争当時の軍人とはまるでちがった質の人間群というか、ともともかく狂暴としか言いようのない自己肥大の集団をつくって昭和日本の運命をとほうもない方向へひきずってゆくのである。508-509p(あとがき)

2018年12月27日木曜日

『ホルトの木の下で』

 2週間前に出かけた大連では司馬遼太郎の『坂の上の雲』に刺激された。またつい先日出かけた県北の美術館では堀文子の影響を受ける。司馬遼太郎の本は1巻目を終えて2巻目を読んでいる。ところが、図書館の書架を見ると大連や司馬遼太郎関連の本が目につく。それを借りると年末年始は読む本が多くなる。暇人としてはこれも結構なコトだと思ったりする。

 年末年始、暇と言っても少しはそれらしき雰囲気を出そうとお正月用のお花を買いに行く。いつもとは違うスーパーへ出かけるとお正月用にとセットになった花がある。自転車で持って帰るにはけっこうかさばる。それでもせめてお花くらいは飾ってお正月らしさを味わうのもいい。ところがレジで購入時、買い物はレジ担当がやってくれても、金銭の支払いは機械。これもスーパーによってやり方が異なる。ともあれ、何とか支払いも済ませた。時代に追いついていくためにも何でも自分でやる癖をつけないといけない。ものひとつさえも買えなくなりそうだ。

 年末年始、晴れマークが続く。プールもあと明日を残すのみとなった。今日は本年最後の泳ぎおさめとしようか。さてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『ホルトの木の下で』(堀文子 幻戯書房、2007年)からの抜粋。

★関東大震災で奇妙な感受性を植え付けられた女の子が、十余年経ったのち、二・二六事件によって、死への予感と目前に迫り来る戦争の気配を強く感じたのです。この二つの出来事は、その後の私の生き方にも大きな影響をあたえたように思われてなりません。60-61p

★私はメキシコに行って、いくつもの発見をしました。文化や芸術は、その国の生活なり民族が生むものであり、作るものではないということを痛感しました。私が、原初に返って、日本画を学ぼうと決意したのも、メキシコをはじめ三年間の放浪の旅が契機になったと思います。日本人の血を引きながら、自分の国を見ていなかったことに、ようやく気づいたのです。169p

★平面の中に、その奥にあるものまで含めて描く東洋の表現に気づいたのは、西洋を放浪し、その国々の美を見て、表現の優劣はないことを知ったからでした。創造とは自分の血肉の中から湧き出るもので、誰かの真似をするものではない。今後は常に自分の感動を描いていこうと決意することの出来たのも、この旅のお蔭でした。170p

★帰国後、私は絵がかけない時期に、デカルコマニーという手法で絵を作っていたことがありました。その時期は、それまでの自分を壊し、様々な技法を試してみたかった。日本画の世界で師匠を持たずに自己流でやってきた私は、画家として認められるのは難しいことだった。世間で自己流で私の絵が認められ、初めて売れるようになったのは、五十歳を目前にしたその頃からでした。173p

 「デカルコマニー」は先の美術館で見た絵にも数枚あった。この意味が解らず携帯の辞書機能で検索しながら絵を見る。言葉では表現しにくい絵の技法だった。

★アマゾン、メキシコ、ネパールの旅に明け暮れ、それぞれの地で見た驚きや感動、七十歳の終わりから八十歳の半ばにかけての冒険に満ちた旅は、思いがけない病気によって中断することになった。僻地の旅を諦めることになった時、不自由な体になっても感動を見つけることができる世界、顕微鏡を覗こうと思い立った。……私は顕微鏡の世界にのめり込んだ。一滴の水の中に、生きて戦い子供を残すミジンコや珪藻の命の営みが繰り広げられていた。この極微の生き物が見せる驚異の世界の虜になり、私は真夜中まで顕微鏡を覗き続けた。原生動物に熱中する館山の野本氏(今は亡き人となられた)や、有名なサックス奏者、坂田明先生のご指導を受けることになったのもこの時からで、海ほたる、ふじつぼ、海老、蟹の幼生、わむし、ケミジンコなど、極微の命の想像を絶する美しさを見せていただいた。178-179p

 堀文子展に実際に使ってた大きな顕微鏡が展示されている。また坂田明は来月の13日に展覧会に訪れるようだ。サックスも披露される。

★大正の大震災を皮切りに、戦争の動乱に巻き込まれ、私は一日として安堵することない乱世を生きることになった。無残な日々だったが乱世は、私を志を曲げぬ強靭で複雑な人間に育ててくれた。奢らず、誇らず、羨まず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不住の旅を続けてきた。自分の無能を恥、己との一騎打ちに終始し、知識を退け、経験に頼らず、心を空にして日々の感動を全身で受けたいと心掛けた。肩書を求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、何者でもない者として送ることを志してきた。今、その旅の終わりにさしかかり、脳や足腰の弱りに反比例して、未知の世界への好奇心が日毎に増えることに驚いている。私の風狂の旅が、長い年月に洗われ、いらぬ迷いを払い落としてくれたのか。少しずつ、生まれた頃の無邪気さを取り戻しているようだ。子供に返って終わりたいと考えた念願を果たすまで、気を抜かず、わくわくしながら最後の旅を終えたいと思う。179-180p

★八十歳代の半ば、イタリーに行き来していたときのことだ。向いの屋敷にあった、樹齢五百年にもなる巨木(名前をホルトの木という)が、ご主人亡きあと売地となり、切り倒されることを知った。……万策尽きて私はこの土地を買った。……私は、この巨木の命を救えたことを喜び、その肌をさすっては末永い長寿を祈った。この為に得た広い土地に建てたアトリエが、私の最後の仕事場となった。ここを買うために背負ったバブルの最盛期の多額の借金は、老後の貯えの全てをなくしたが、木の命を救えた喜びで、悔いはなかった。王者の威厳を持つこの老木の下で、今私は最後の絵を描いている。あとがきにかえて 181p

2018年12月24日月曜日

「生誕100年堀文子展旅人の記録」を見に行く

 今朝、自分のブログを見るとフォロワーが写真になっている。写真の人とはモロッコの旅で知り合った。3月が来れば丸3年前の旅になる。その時、ブログをされていると聞いた。ブログタイトルは「独楽の旅」。その後もお元気に旅を続けられている。元気に旅を続けましょう。また、ブログのアップも楽しみにしています。

 話は変わって昨日は「生誕100年堀文子展旅人の記録」を見に行く。場所は広島県の三次(みよし)市にある奥田元宋美術館。3年前に兵庫県の美術館で堀文子展を見た。この時のタイトルは「一所不在・旅」。広島からバスで2時間足らずで行ける、とあって日本画の先生と出かける。日に1便は美術館までの直行便がある。これに乗るためバスセンターで入場券や各種割引券が付いた乗車券を購入。

 美術館に着くと先生の日本画仲間と合流する。この人からよもぎ餅をいただく。道の駅で購入されたらしく、私までお土産をいただいて申し訳ない。またこの美術館でボランティアをされてるらしく、館内に詳しい。さらに茶道もされてるようで館内にある茶室でお抹茶をいただく。この美術館へは何度か来館していても茶室があることさえ知らなかった。展覧会の後、車で送ってもらってカフェに向かう。この時、お茶室の代金を払ってないことに気付く。初めて会った人に良くしていただき感謝。このまま去るのは申し訳なくカフェ代金を代わりに支払う。

 さて堀文子展。旦那さんが亡くなるとメキシコや欧米の旅を2年半つづけ、また80歳くらいで病気になると思うようにならない体を嘆くのでなく、顕微鏡で見る生物を絵に描く。この発想がすごい。自分に残された体の機能を最大限生かして生きている。「自然への畏敬や生命の不思議に対する感動を持ち続け、独自の感性と表現によって多彩な作品を生み出す堀文子」とパンフに書いてある。さらに「『群れない』『慣れない』『頼らない』を信条とする画家のとどまることなき創作の軌跡を、初期から最新作までの100点で辿り、その芸術と、多くの人を魅了する人間像に迫ります」とも書いてある。

 絵を見る前に館内のレストランで食事をする。落ち着いた雰囲気の中でいただくランチは美味。昨日はロビーコンサートがあった。これには参加せず堀文子展の後は奥田元宋の常設展を見る。赤を基調にした大作。その後に「待月庵」でお抹茶をいただく。
 
「先ず本年無事目出度千秋楽」と書かれているそうだ


落ち着いた雰囲気のお茶室でお抹茶をいただく

お菓子

掛け軸と茶花(キササゲとハツアラシ)


お点前用

侘助


お茶室に活けられた花
「堀文子展」の画像検索結果
 堀文子 「幻の花ブルーポピー」
ネットより引用

小雨が降り続きお茶室の外観の写真は展示品より引用

 
 広島市内の公共美術館では生きている人の美術館主催の展覧会は開催されない。その点、この県北の美術館は先月も木梨憲武の展覧会が開催されている。そして堀文子も健在だ。どの絵を見ても素晴らしい。中でもブルーポピーの絵。この青がいい!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2018年12月2日日曜日

落胆の日本画教室

 2013年1月にアップした『堀文子の言葉 ひとりで生きる』。年が明けると6年前になる。 5年前の10月から日本画を習いだした。ということは日本画よりも前に堀文子に関心を抱いていた!?昨日、日本画教室へ行く前に図書館で予約確保の堀文子著『99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』(三笠書房、2018年第2刷)を借りる。

 教室ではバックを塗った木製パネルにカボスの絵を描く。まずはトレーシングぺーパにトレースした絵をパネルに転写。それに色付けをする。色付けをする度、絵の素養がないと思い知らされる。色を塗りながら思い通りにならない絵を見て久々に気が落ち込む。思わずこのバックをもう一度塗り直す、とまで先生に言ってしまった。

 教室が終わると先生たちと数人でカフェタイム。ここでも思うように描けない絵のことが頭をかすめる。ほんまに久しぶりに味わう嫌な感情。家に帰ると夕飯を済ませて昨日届いた旅の日程表など眺める。まずは広島空港の集合時刻に間に合うJRとバスの便を確認する。時間にゆとりを持って……。今回の旅は添乗員が同行せず、現地係員による旅だ。そのため、広島から出かける前の安心コールはない。ということで現地に着くまで気を抜けない。

 海外の旅を始めた32年前の2回目の旅からいきなり添乗員がいない旅だった。今思えばそれが何なのかも意識せず旅に参加した。それは自分にとってはいい経験で、ある面自信となった。しかし、今回は32年ぶりで現地集合となる。とはいってもこの頃は添乗員付きでもEチケットを受け取ると後はすべて自分でするし、現地の空港に着いた時点で添乗員と再会となるコトが多い。そのため現地集合で添乗員なし、とそれほど変わりはない。と言いながらもちょっと気を引き締める。

 昨夜は持っていくものを確認する。かなり没頭していたのか気づけば2時間が経過。お風呂に入って気分をかえて、その後は眠るまで借りてきた堀文子の本を読む。薄い本で、しかも文字数も少ない。すぐに読める。とはいってもその中身は濃い。いろんな著名人の長く生きた人のエッセイを読んでいる。昨夜のこの本は以前読んだ『堀文子の言葉 ひとりで生きる』 の内容とほぼ同じ。それでも気落ちしていた身にはかなり読みごたえがある。

 折よく、今月の中旬から1か月間、県北の美術館で堀文子展が開催される。2,3年前、兵庫県の美術館へ堀文子展を見に出かけた。それと被るかどうか知らない。いずれにしても堀文子展を見に行く!今年、堀文子は御年100歳になられる。本のどの頁を読んでも元気が湧いてくる。堀文子を見倣って……。この本に関しては後日ブログにアップしよう。すべてが素晴らしい文だ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2016年5月5日木曜日

『虹の橋を渡りたい』&『人生に美を添えて』

 GWもお天気に恵まれて昨日のひろしまフラワーフェスティバルに2日目としては最多の53万3000人が繰り出している。東京にいる姪はモンゴルから帰ったとの報告が入る。一晩のうちに大雪になり、断水、停電、雪の中を歩いたり、車が動かなくなったりしたとか。それでもアドベンチャーだったと楽しかった旅のメールをくれる。添付写真は子山羊を抱っこしたもの。動物好きの姪らしく「可愛かったんよ」という。ただ、羊肉は困ったらしく、野菜を美味しく食べたそうだ。

 外モンゴルは行ったことがない。だが、ずっと前に内モンゴルへ行っている。同じくGWの時で宿泊のパオ(包、外モンゴルはゲル)の外を見るとやはり雪だった。姪のツアーは若い人が多かったらしい。乗馬体験などモンゴルらしい体験があり、落馬した人もいたらしい。首から手を三角巾でつるした人もいたそうだ。

 そういう報告とは無縁でGWはもっぱら読書三昧。『虹の橋を渡りたい』(中田整一 幻戯書房 2016年)、サブタイトルは「画家堀文子九十七歳の挑戦」を読んだ。この本はNHK勤務時代、ある番組で知り合った堀文子と交流がある筆者が堀の人生の聞き取りを続けてきたことを本にしている。
 
 「日本人は過去を忘れ歴史に流される今、堀文子さんの生き方を立ち止まって考えてみるのは意義あることではないか、と思うようになった」と筆者は「あとがきにかえて」でこう述べる。画家・堀文子の精神形成の後ろにある父の堀竹雄と夫の箕輪三郎。この二人は筋金入りの平和と反戦主義の思想の背景にいる影絵の人物であるという。そして背筋を伸ばしたぶれない生き方の堀。父と夫という二人に的を絞って徹底的に資料の調査を行って本にしている。

 「堀文子さんほど自然と共生して、草木と花、あらゆる生きとし生けるものに慈しみの心を寄せる人を寡聞にして知らない」、「六十代にアトリエ兼別荘を構えた軽井沢では、人間には馴れにくい野生の狐の餌付けを試みた。そして障子に穴をあけて、日々訪れてくるのを観察して山中独居を愉しんだという微笑ましい話もある」と本の終わりで堀をたたえて文を終える。

 またいつものように気になる個所を記そう。(文中に「堀」がないのは筆者の中田が堀の文を引用)

★人生は一炊の夢である。まことにはかない人の世で名誉や地位、財産、権力を競ってもどうなるものでもない。人間は等しく土に還る小さな自然の一部に過ぎない、と信じている。55-56p

★日本人のフォルムや色に対する意識は立体的に表現しようとしなかった。平面絵画を守った日本画の凄さが、いま、九十七歳で少しわかってきました。西洋の絵画は、彫刻の真似をしています。ところが日本画は理性の絵画ですね。絵というものは平面ではないですか。平面に立体を表現するときに、どうやって存在感を表そうかと、長年にわたって工夫してきたのが日本画です。…絵描きは雲水です。いわば一切の欲望を捨てて、美しい形に夢中になる奴がいいんです。そこに欲望が入ってはいけないんです。100-101p

★エラスムスは花で木でも、みなそれぞれがお互いを侵さず立派な生き方をしていると書いています。自然界は、平和で自立しているんです。平和こそ自然が人に与えた最良のもの、それを乱すのが人類の戦争なんですね。207p

★人生にたった一度だけ、初志を曲げて頼ったのがAIGのスターだった。勇気をだして”世界を見て見聞を広めたい、西洋のありのままを知りたい”と、手紙を書いた。スターに海外でのインビテーション(招待)、身元保証の依頼をしたのだ。218-219p

★送られてきた封筒のなかには、これらの国々へ三年間有効の航空券が同封してあった。218p

★ユカタン半島で見たマヤの遺跡の素晴らしさは私のかつての美意識を粉砕しました。ヨーロッパの合理的な美の原理とは全く異なる、現生よりは霊界との交信を思わせるこの簡素で優雅なマヤの美はわたしの魂に響きました。221p

★メキシコでの収穫がひかる斬新な一枚の絵「魔王の館」を出品した。…紙上に流した絵具の上に板を押し付け、それをはがした後にできる偶発的な絵肌を利用して描く絵画技法デカルコマニー(フランス語で「転写法」の意)という手法を取った型破りの日本画だった。堀の場合は、この時プラスチックの板に絵具を流し紙を押し付けて模様を創り、その上に絵を描いてみたのだ。234p

★欧州とアメリカに放浪の旅をつづけながら堀が考えたことは、ものづくりを生業とする人間は文明の便利さのなかにいると大切なものが見えなくなるという思いだった。…住み慣れた都会の暮らしを捨て、自然の草木と共生できる土地に移り住もうというのである。…探し当てたのが神奈川県大磯町、高麗山の山ふところの一隅である。239p

★二〇一五年の春、神戸の兵庫県立美術館で「堀文子『一所不在・旅』展」と題する特別展が開催された。堀文子の画業八十年を記念して百三十点の作品が展示されて注目を浴びた。四月から始まって二ヵ月足らずの展覧会に、五万四千二百人余の堀ファンなどの鑑賞者が訪れたのである。263p

 もう終わってしまったけれど、「堀文子『一所不在・旅』展」のURLは以下の通り。http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/index.html

★絶筆は虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ行きたいと願う。人生の長い道のりでたゆまぬ努力と挑戦を重ね、人々の心を感動でつつんできた日本画家・堀文子、九十七歳。虹の橋は、自らの信じる道を全力で疾走してきたこの人だけが授かる天からの贈り物だろう。堀の絵筆が燃え尽きるまでには、まだたっぷりと時間は残されている。269p

 この本と同じ頃に読んだのが『人生に美を添えて』(大村智 生活の友社、2015年)。大村も堀のことを書いている。これも記そう。それにしても昨年「おとなび」を利用して神戸の美術館で見た堀の展覧会。今、思い出しても見に行ってよかった。もうすっかり堀文子のファンになってしまった!堀と同じく「虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ」私も行きたい!

★ 私はナチスドイツのアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還したオーストリアの医師ヴィクトール・フランク博士の、「芸術は人々の魂を救い、生きる力を与えてくれる」という言葉に深く共鳴しました。…これからの病院は病気を診断し、治療するだけでなく、こころを癒す機能があるべきだと考えたのです。おかげで。メディカルセンターは「絵のある病院」として人く知られるようになりました。13p

★「私の絵には画風がありません。絵の師匠も弟子もおりません。群れず、慣れず、人に頼らず、同じものを二度と描いてきませんでした」とおっしゃる。この「群れず、慣れず、頼らず」という言葉は堀先生の信条であり、心を打ちます。175p

2016年1月26日火曜日

『私(わたくし)流に現在(いま)を生きる』

 2日ほどの凍てつく日々。雪の日は家で冬眠するに限る。おとなしく家で本を読む。読んだのは『私流に現在を生きる』(堀文子 中央公論新社、2015年)。昨年神戸で開催された堀文子展。それを思い出しながら本を読む。この本も生き方のお手本が満載。素晴らしい生き方!中でも旅の件は特にそう。今日はこれからフルートのレッスン。寒いけど今日も一日頑張ろう!以下は本からの抜粋。

★戦争で弟を亡くしたことは、今までの人生で一番傷ついたことでした。その出来事が、以後、人に執着しない、というわたくしの一生の生き方を決めたような気がいたします。20p

★「旅をするときは一人旅」というのが、わたくしの鉄則です。…どんなに困ったときでも、「人間が生きているところなのだから、何とかなる」と思って、一人で行動いたします。59p

★絵というものは、教えることができない唯一のものです。…その感覚だけを頼りに自分で創造し、世界を作っていくのだと思います。その人の運命を開拓することは、その人自身がするべきことなのですから、誰かに教えを請うてはいけないのです。66p

★西洋文化は、勝者の歴史なのだと思います。若者と勢いのある者のために世界は存在しており、敗北者や死のすがたは劣ったものだと思っている。ですから西洋人は、敗者の平家に美を感じる日本の芸術とは違う世界に生きている民族なのでしょう。86p

★昼間撃ったウサギや山鳥、しめた鶏などが食卓の上に丸ごと出され、それをナイフとフォークで食べている西洋人を見て、そのナイフとフォークを使えば、人を傷つけることだってできることに気がつきました。日本に帰ってきて改めてお箸で食事をしてみると、ナイフとフォークの生活は野蛮にさえ感じられます。88p

★多くのヨーロッパの国々を見たことによって、西洋と東洋の表現はそれぞれ優劣がつけられるようなものではないこと、創造というのは誰の真似でもない、自分自身の中から生まれるものに他ならないということを確信したのです。90-91p

★人間は結局一人なのです。友人は素晴らしいものですが、自分の人生は自分で決めるという孤独と向き合わなくてはいけないものだと思います。97p

★六十八歳の春、わたくしはイタリアへ行くことを決めました。…お金も人との付き合いもいったんすべて捨ててしまうと、それが次の世界への下敷きとなって、失ったものが心の肥やしになります。古い水を捨てなければ新しい水は汲めないのです。134-135p

★日本画の材料は、フラスコ画のできたころの材料とほとんど同じなのだそうです。西洋の人たちの中にも日本の、東洋の感性を持つ人がいるのだと思いました。147p

★八十二歳の時、青い罌粟、ブルーポピーを求めてヒマラヤに旅しました。148p

★向うで別のブルーポピーが芽を出しているのを知ったら、こちらの株は今年の生存をあきらめて身を引くといいます。そうやって過酷な地でも種をつないでいるのです。151p

★自然と戦い、克服することによって文明を打ち立ててきた人間がいまどれほど思い上がっているか。ヒマラヤの峰を神のように思い、電気もガスもない、与えられただけの環境で満ち足りた思いで暮らしているネパールの人々を神々しく感じました。自分の体ひとつで生き抜いている人たちの威厳に満ちた暮らしが限りなく尊いものに思えたのです。なにも持たないことは、すべてを持っていることなのだ。そのことを身体で感じ、わたくしの心は震えました。154p

★どのようにすれば、自分自身の興味を枯れさせることなく、「逆上」を忘れずに生きていけるか。そう考えたときふと頭に浮かんだのは、微生物のことでした。157p

★物を知らない時がいいのです。物知りになるということは、ろくなものではないと思います。171p

★死は終わりでなく次の生命の始まりだという生々流転の思想を持っておりますので、死ぬと、わたくしの生命は何になるかと考えています。できればわたくしは木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは、木と植物だと考えておりますから。175p

★赤ん坊が発する第一声は、一瞬ですべての生命活動が激変する時の声なのです。それを知った時、人間は何も考える必要はないのだ、と思いました。死ぬ時はどんな心境だろうと想像したこともありましたけれど、死ぬ時は死ぬのだ、と今は考えております。176p

★「ひとりはさびしい」と、みんな口癖のようにいいます。けれども、二人ならさびしくはないのでしょうか。もっとさびしいのではないかと思います。人間というのは誰でもひとりぼっちです。185p

★私の生涯

私(わたくし)はその日その日の現在(いま)に熱中し
無欲脱俗を忘れず
何物にも執着せず
私流の生き方を求めて歩き続けて参りました。
これが私の生きた道です。
191p

2011年9月19日月曜日

敬老の日の朝に

敬老の日の朝、目が覚めると久しぶりに太陽が輝いている。気持ちいい朝だ。朝食を済ませ新聞を読みながらTVをみていると一人の女性のヒューマンドキュメンタリーを映し出している。「画家ー堀文子93歳の決意」である。

敬老の日にふさわしく人々を勇気付けてくれる番組であった。

聞き手は作家の戸井十月。戸井はバイクで世界を駆け巡る人。その戸井が堀文子にインタヴューしている模様がTVから流れる。堀の一言一言語られる言葉がみるものを惹き付ける。なかでも「老年になっても甘えている暇はない」「知らないことがどんどん増えてくる」「ホンのぺんぺん草でいい」「美とは生き生きしていることであり生命力だ」「無駄なことはない」など…。そして放送の最後には「息の絶えるまで感動していたい!」といって締めくくる。TV画面に流れる最後のテロップは「群れない 慣れない 頼らない」とも。

また放送の途中で堀の夫が病気でなくなったあと、40過ぎの堀は一人となり外国へ3年放浪の旅に出る。その中でメキシコへ行った際のメキシコのマヤ文明について話をする。

メキシコへは行ったことがない。アメリカ大陸は10余年前ペルーに行ったときロスに立ち寄ったことがあるだけだ。この番組でメキシコに惹かれてしまった!

幸いスペイン語を学ぼうと決めているので少しは話せるようになったときメキシコへ行こう!

そして堀文子の書いた文章も読みたくなる。

最近、本をゆっくり読む暇がなかった。それでも一昨日と昨日は堀田善衛の『スペイン430日 オリーブの木の陰に』を読み終える。当分は堀田と堀文子の本を読んで読書の秋としよう!

秋!といえばコスモスも見に行きたい!それはフルートの発表会後、県北にある国立備北丘陵公園の100品種、150万本の日本最大級のコスモスを見に行こう…。