2019年1月16日水曜日

『坂の上の雲』(2)

 今年の冬は寒さもそれほどでなく過ごしやすい。例年であればこの時季、泳いだ後は鼻水が止まらなくなる。ところが今年は気候がいいせいかそれもない。昨日は午後からプールで泳ぐ。いつも出会う優しい人から声をかけられる。久しぶりね、と言われてもこちらは週に1度、泳ぐと決めている。そう告げると1度でなく何度もくればいいのに……。働いているのかも聞かれる。働いていなくても週に1度のペースで自分としては十分だ。

 『坂の上の雲』(2)(司馬遼太郎 文藝春秋、1999年第23刷)を読んだ。ロシアの領土の広さがこれでわかった。と同時に、ロシアが日本を占領するという危機感を日本が持っていたこともよくわかる。それが日露戦争へと向かった。またアメリカが広島に原爆を投下したこともよくわかった。というか『坂の上の雲』を読んでいると「広島」のキーワードが頻繁に出る。広島は軍港だった。そのため、宇品港から海軍が出港した。広島は軍都だったために原爆投下という悲惨な目に遭わされたのだろう。またそれには日本人が白人でなく黄色人種であることも原因とは驚きだ。市内の美術館前の広場に加藤友三郎の銅像が立っている。この人も軍人で後に総理大臣になっている。この本を読むと日本の近代の歴史がよくわかる。これは2巻目。今読んでいるのは3巻目。8巻まで読むにはまだ時間がかかりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 以下は気になる個所からの抜粋。

★——ここは、ロシアの領土だ。
ということになった。先住民族どもは狩猟か漁撈をしている未開人で、領土意識というものはきわめてすくなく、それに、侵入民族とたたかうだけの国家を形成していない。さらには、ロシア人は西ヨーロッパとの接触によってつねにあたらしい武器をもっており、その武器によって土民を征服した。ロシア国家そのものがシベリアを領有しようとした政治意図ははじめはなかったが、毛皮商人とコサックどもが私掠し、その私掠した領域が結局はロシア国家のものになった。いわば毛皮への魅力が、ロシアをして史上空前の大領域をもたせることになった。……中央アジアとシベリアをふくめて、ロシア人は、
——自分たちの征服者たちの土地だ。
ということで、その征服者が、内紛などによって雪が融けるようにその支配機構を消滅させてしまうと、ロシア人はその領域にすんでその地域を自分のものにした。……侵略戦の血なまぐささがあまり(程度の問題だが)ともなわなかったのが、このロシアの北アジア領有事業であった。
 かれらは長い歳月のあいだ、なしくずしの「侵略」をかさねつつ、ついにカムチャッカ半島に達し、さらに千島列島に南下し、占守(しゅむす)、幌筵(ばらむしろ)の両島を占領し、いよいよすすんで得撫(うるつぶ)島以北の諸島を侵したとき、はじめて日本と接触した。……日本人が、当時でいう赤蝦夷――ロシアの危機を感じた最初であった。110-111p

★東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地に追いこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英智と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本でなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえおなじでも、嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはなかったにちがいない。……
 一九四五年八月六日、広島に原爆が投下された。もし日本とおなじ条件の国がヨーロッパにあったとして、そして原爆投下がアメリカの戦略にとって必要であったとしてもなお、ヨーロッパの白人国家の都市におとすことはためらわれたであろう。261p

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