2019年1月12日土曜日

『坂の上の雲』(1)

 今朝のダグニーさんのblogは「幸せを損傷しません」のタイトルで黄色い花のアップがある。退院されたのだろうか、ご自分でブログをアップされているようだ。

 先月から『坂の上の雲』を読んでいる。その合間に漱石の『満韓ところどころ』を読み終える。「満韓」のうち、旧満州国の大連へは出かけても韓国へは行っていない。また、満州でも南満州(今の大連)しか出かけていない。それでも本を読むと漱石が出かけた当時の大連の様子がよくわかる。これは後日アップしよう。

 司馬遼太郎の『坂の上の雲』は今、3巻目を読んでいる。なるべく早く全8巻を読み終えたい。それにしても小説を読む、この楽しみを司馬遼太郎の本で知るとは我ながら驚き。何でも興味を持って人の話を聞くものだと改めてそう感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は『坂の上の雲』(1)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年新装版第6刷)から気になる個所の抜粋。

★校長は、右手の扇子を大きくふりあげておのれの左掌をはげしく撃った。
「乱臣賊子だ」
好古は辞めてしまおうかと思ったが、国を出るとき父からいわれたことを思いだした。
「世間にはいろんな人間がいる。笑って腹中に飲みくだすほかない」
飲みくだす気にはなれなかったが、珍物として敬遠しようとおもった。36p

★日本は、より切実であった。
 切実というのは、朝鮮への思いである。朝鮮を領有しようということより、朝鮮を最強国にとられた場合、日本の防衛は成立しないということであった。
 日本は、その過剰ともいうべき被害者意識から明治維新をおこした。統一国家をつくりいちはやく近代化することに由って列強のアジア侵略から自国をまもろうとした。その強烈な被害者意識は当然ながら帝国主義の裏返しであるにしても、ともかくも、この戦争は清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受け身であった。
「朝鮮の自主性をみとめ、これを完全独立国にせよ」、というのが日本の清国そのほか関係諸国に対するいいぶんであり、これを多年、ひとつ念仏のようにいいつづけてきた。日本は朝鮮半島が他の大国の属領になってしまうことをおそれた。そうなれば、玄界灘をへだてるだけで日本は他の勢力主義勢力と隣接せざるをえなくなる。
このため日本は全権伊藤博文を天津におくって清国の李鴻章と談判せしめ、いわゆる天津条約をむすんだ。343p

★プロシャ主義にあっては、戦いは専制主義であり、はじめに敵の不意を衝く
それ以外に勝利はありえないとする。そのためには「平和」なときからの敵の政治情勢や社会情勢、それに軍事情勢を十分に知っておかねばならない。
そのために諜報が必要であった。
川上(操六)は、諜報を重視した。348-349p

★俳句は詠みあげられたときに決定的に情景が出てこねばならず、つまり絵画的でなければならず、さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規はいう。「写生」ということの重要性を子規は発見するにいたるのは、ちょうどこの戦争の最中である。410p

★要するに日清戦争は、老朽しきった秩序(清国)と、新生したばかりの秩序(日本)とのあいだにおこなわれた大規模な実験というような性格をもっていた。436p

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