今朝もダグニーさんのblogを見る。だが、アップはない。この3,4日、ご自分でブログをアップされていた。それには眠られない、食べられない……などのキーワードが出てくる。親を介護していた時、「快眠・快食・快便」は人が生きる上で大事と思った。これは自分の健康バロメータにも当てはめる。幸い、今はこれらも大丈夫なので元気なのだろう。ダグニーさん、ちょっと気になる。
図書館で借りた山折哲雄の本を見ると先日の池田一憲の画の掲載がある。本は『賢治の風光』で、その「はしがき」に「池田さんとは今度の仕事を縁に梅原猛さんのご紹介で知り合うことができた」とある。
先に借りた梅原猛の『少年の夢 梅原猛対談集』(小学館、1994年)に「私は、夢がなかったら人間は人間ではありえない。文明というものはなかった、と思うのですが、このわれわれ人間の中には、とくべつに夢の好きな人、夢に命をかける人がいます。人一倍大きな夢を見て、それを実現した人がいる。私は、そういう人たちには、一つの共通したものがあるように思うんです。それは何か。すべてがそうとはいいませんが、そういう夢を見る人間には、心に大きな傷をもっている人が多いんですね。この人はどうしてこんなに大きな夢をもったのか、どうしてその夢を実現することに一生をかけることができたのかと見ていくと、心に大きな傷、コンプレックスがある場合が多いんですね。その心の傷が夢を見させている――そう思うんです」がある。13-14p
この「心の傷」を梅原自身や法然を例にして話す。梅原は実の両親ではなく叔父夫妻の子供として育てられた。そこには梅原の誕生と実母との関係があった。そして梅原自身のコンプレックスも心の傷としてあった。また法然上人を研究して「法然は父親の死によって心に深い傷を負った」。法然の心の傷は父が押領使という武士だったことにある。押領使は今の横領の意らしい。そのためいつか殺されると思った父親が自分が亡くなったとき、弔ってほしいと法然をお坊さんにした。「父が殺される」、が法然の心の傷になった。
この本の「少年の夢」部分は高校生向けの講演を本としている。少年、ではなくても「心の傷が夢を見させている」、これすごくわかる。自分自身、小さい頃に大病を患った、と聞かされて育った。それにより運動コンプレックスは半端でなく大きかった。夢を実現する、そのなかに水泳や自転車に乗ることがあった。これらは人から見れば本当にささいな夢かもしれない。だが、自分自身にとっては大きな夢への挑戦だった。30代後半でこの2つが出来るようになると、それから以降、思うことが何でも実現すると思えるようになったから不思議。
いろいろとネットで池田一憲を検索すると東京銀座や他でも個展をされている。池田は梅原との出会いで山折哲雄とも知り合った。梅原猛の夢を実現する人を応援したい、との気持ちが池田一憲の絵との出会となっていったのだろう。
そういえば「空想的な夢を見るのは人間だけだ」のなかに、「芸術がそのいい例です。自分が夢見た世界を、詩にしたり、小説にしたり、劇や音楽や美術にするわけです。まさに芸術は夢の産物ですよね。そうして表現された夢は、現実よりもはるかに魅力的です。すばらしい芸術というものは、みな、現実よりいっそう生き生きとしている。芸術家というのは、そういうすばらしい夢を見る能力をもっているわけです。そういう人間なんですね」とある。12pそして、この本の挿絵は池田一憲が描いている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2019年1月28日月曜日
2017年3月25日土曜日
『「ひとり」の哲学』
「一人暮らしの80代女性、1億円だまし取られる 広島」の新聞の見出し記事。実際に読んだのは地元紙。これを読んで思った。80代になってこれほどの貯えがあれば何も働かなくてものんびり暮らせば…と。この記事を見て騙された云々よりも人の生き方に関心を持った。80代になって1億円以上の大金を持ち、それでもまだパートで働く。これに驚く。これも人それぞれの生き方。外野がとやかく言えない。それにしても1億円も貯えている人は皆さん、働いて得たからこそお金持ち!?
http://www.asahi.com/articles/ASK3Q5QP9K3QPITB01B.html (参照)
もしも1億円あれば、いやその半分でもいい。もしかしてお金持ちはお金を貯めるのが趣味!?年金生活者としていわせてもらえば「何もそんなにあくせくしなくても人生楽しみましょう」。元気で楽しく生きていれば何とかなる。そう思っている。
「人生楽しく」をモットーとしていても昨日は相変わらず鼻水と格闘して楽しくない。図書館へ行っても集中力ゼロ。これじゃ、人に迷惑がかかる。プールへ行くのも今一歩躊躇う。ちょっとした気の緩みが…。仕方なく家で本を読む。読んだのは『「ひとり」の哲学』(山折哲雄 新潮社、2016年)。
著者は次のように書いている。
このような文章を書きはじめるにあたって「ひとり」の主題を掲げたのは、「ひとり暮らし」の話題が政治の側や社会の側からやかましくいわれるようになったからだった。それと並んで、少子高齢化や限界集落の危機がとりざたされるようになったからでもある。その「ひとり暮らし」の風景がいかにみじめな姿で報道され、独居老人たちの、わびしい孤独な生活ぶりのイメージがいつのまにかふくれあがり定着していった。「待てよ」と思った。「ひとり」とは、そんなにみじめな人間の姿だったのかと、怒りの魂がのど元をつきあげてきたのだ。166p
終章でこう述べる。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の「吾輩」は、けっしてたんなる「個」を指すのでも「個人」を表すものでもないだろう。やはり容易には分割したり解体したりすることのできない「ひとり」の側に立つ人間(いや、猫)のことをいっているからだ。同じように西田幾太郎のいう「絶対矛盾的自己同一」の「自己」も、それこそ、絶対に分割することのできない「ひとり」の居場所を指し示していることはいうまでもないのである。
ひとりで立つのは、決して孤立したまま群衆の中にまぎれこむことではない、無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きるのである。
ひとりで立つのは、太古から伝わるこの国の風土、その山河の中で、深く呼吸して生きるのである。
ひとりで立つのは、垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心におのれの魂を刻みこんで生きるのである。
混沌の深みから秩序の世界を見渡し、ひるがえって秩序の高みから混沌の闇に突入する気概をもって生きるのである。
その終わりのない「こころ」のたたかいかいの中から、「ひとり」の哲学はおのずから蘇ってくるはずである。
そのときはじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるに違いないと、私は思っているのである。232-233p
著者もひとり暮らしらしい。先日の旅の添乗員は以前に出かけた旅で84歳の男性が参加されてお元気に楽しく旅をされたという。この著者のいうように「ひとり」とはみじめな人間の姿ではない。結構「ひとり」も楽しく生きている。
それにしてもこの本の最後の文が微笑ましい。
噛んで飲んで食べながら、チビリチビリ飲む。
夜九時を過ぎるころになれば、ひとり酒も終焉を迎える。
深沈とした夜の闇が、からだの中に溶け込んでくる。
さあ、これから死ぬか、
と掛け声をかけ、そのままベッドにころがりこむ。(あとがきにかえて)
http://www.asahi.com/articles/ASK3Q5QP9K3QPITB01B.html (参照)
もしも1億円あれば、いやその半分でもいい。もしかしてお金持ちはお金を貯めるのが趣味!?年金生活者としていわせてもらえば「何もそんなにあくせくしなくても人生楽しみましょう」。元気で楽しく生きていれば何とかなる。そう思っている。
「人生楽しく」をモットーとしていても昨日は相変わらず鼻水と格闘して楽しくない。図書館へ行っても集中力ゼロ。これじゃ、人に迷惑がかかる。プールへ行くのも今一歩躊躇う。ちょっとした気の緩みが…。仕方なく家で本を読む。読んだのは『「ひとり」の哲学』(山折哲雄 新潮社、2016年)。
著者は次のように書いている。
このような文章を書きはじめるにあたって「ひとり」の主題を掲げたのは、「ひとり暮らし」の話題が政治の側や社会の側からやかましくいわれるようになったからだった。それと並んで、少子高齢化や限界集落の危機がとりざたされるようになったからでもある。その「ひとり暮らし」の風景がいかにみじめな姿で報道され、独居老人たちの、わびしい孤独な生活ぶりのイメージがいつのまにかふくれあがり定着していった。「待てよ」と思った。「ひとり」とは、そんなにみじめな人間の姿だったのかと、怒りの魂がのど元をつきあげてきたのだ。166p
終章でこう述べる。
夏目漱石の『吾輩は猫である』の「吾輩」は、けっしてたんなる「個」を指すのでも「個人」を表すものでもないだろう。やはり容易には分割したり解体したりすることのできない「ひとり」の側に立つ人間(いや、猫)のことをいっているからだ。同じように西田幾太郎のいう「絶対矛盾的自己同一」の「自己」も、それこそ、絶対に分割することのできない「ひとり」の居場所を指し示していることはいうまでもないのである。
ひとりで立つのは、決して孤立したまま群衆の中にまぎれこむことではない、無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きるのである。
ひとりで立つのは、太古から伝わるこの国の風土、その山河の中で、深く呼吸して生きるのである。
ひとりで立つのは、垂直に広がる天地の軸を背景に、その中心におのれの魂を刻みこんで生きるのである。
混沌の深みから秩序の世界を見渡し、ひるがえって秩序の高みから混沌の闇に突入する気概をもって生きるのである。
その終わりのない「こころ」のたたかいかいの中から、「ひとり」の哲学はおのずから蘇ってくるはずである。
そのときはじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるに違いないと、私は思っているのである。232-233p
著者もひとり暮らしらしい。先日の旅の添乗員は以前に出かけた旅で84歳の男性が参加されてお元気に楽しく旅をされたという。この著者のいうように「ひとり」とはみじめな人間の姿ではない。結構「ひとり」も楽しく生きている。
それにしてもこの本の最後の文が微笑ましい。
噛んで飲んで食べながら、チビリチビリ飲む。
夜九時を過ぎるころになれば、ひとり酒も終焉を迎える。
深沈とした夜の闇が、からだの中に溶け込んでくる。
さあ、これから死ぬか、
と掛け声をかけ、そのままベッドにころがりこむ。(あとがきにかえて)
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