今月12日、93歳で亡くなった梅原猛。一昨日の地元紙に「梅原猛さんの思い出」として益田市在住の画家池田一憲の寄稿がある。話は昭和40年(1965年)に始まる。20代初めだった池田は広島の機関区へ勤めていた。浜田市の家を出て勤め始めの頃、淋しさを紛らわすために初めて描いた一枚の油絵。それを地元の病院に寄付したが、気持ち悪がられて役場に引き取られる。当時、梅原は大学で石見地方の民俗学的調査をしていた。石見を訪れ、役場でその絵を見た梅原は感動して「……私はあなたの才能と努力を信じます。作品が溜まったら個展を開いたらどうですか」と池田に手紙を書いた。手紙を受け取った池田は考え抜いた挙句、役場の承諾をとって飾ってある20号の絵「ふるさとを守る人」を携えて京都の梅原宅を訪問。
梅原は絵を前にしてとても喜び、いろんな人を紹介してくれる。帰り際、ポケットに2万円突っ込んで絵具代にするようにとくれたそうだ。その池田は国鉄を辞め、故郷で農業と絵の製作を始める。その後も梅原と手紙のやり取りがある。その中には「私は一個の芸術家を世に出すことに出来るだけのことはします。……(国鉄を)お辞めになって生活が大変と思いますが、絵具代くらいはどうかします。一度相談に来てください」との手紙もあった。
池田によると「梅原先生は、権威や通説、世評に寄り掛かることなく、自らの直感を信じ、どこまでも掘り下げる人であった。……その『直感』にかつて見ず知らずの一青年だったわたしもかなっていたのだろうか。……梅原先生に初めてお会いした時、その肩の威容振りに圧倒されたことを思い出す。それは水墨画に突然現れる巨大な岩山のようでも、真理の井戸の水をくみ上げる滑車のようでもあった」という。
新聞記事には梅原に連れ出されて一緒にテレビに出演した写真がある。写真には池田の絵2枚がバックに掲げられている。
この記事を読んで人との出会いに感動してしまった。ネットでこの人を検索すると『梅原猛対談集』に掲載がある。この本を図書館で予約すると確保できた。後で本を読もう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
ブログ投稿後、図書館で本を借りると挿絵が池田の絵だった。それには今、気に入っている樹木もある。それにしても寄贈した池田の絵が気味悪がられず、そのまま病院に掲げられていたら梅原と絵との出会いはなかった。何が幸いするかわからない。また当時の2万円はまだ会社に勤めていなかったのではっきりとした価値はわからないにしても、今の金額ではかなりになるはず。本のあとがきに梅原は挿絵の池田に謝辞を述べている。1994年出版だから、若い時から現在まで梅原との縁は続いていたのだろう。ネットによると山折哲雄の本にも池田の挿絵がある。これはまだ借りていない。すぐに図書館に予約した。
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