2019年1月15日火曜日

『満韓ところどころ』

 大寒が近づいている割には温かい日が続いている。昨年末から読んでいる『坂の上の雲』。これと同時に図書館で予約確保された本を読む。冬の間のいいお天気も寒いことには変わりがない。特別な用がない限り家でおとなしく本を読む。大連に関する本は『坂の上の雲』のほかに『満韓ところどころ』(夏目漱石 藤井淑禎編 2016年、『漱石紀行文集』)を読んだ。久しぶりに読む漱石本。日本画教室には漱石の勉強会へ参加されている人がいる。『満韓……』の中に「腹が痛い」や「胃が痛い」の描写が頻繁にある。漱石の死因は何?、と気になり、その人に尋ねると胃の病気が死因だった。

 以下は大連に出かけて大雪の中を歩いて登った(観光した)東鶏冠山や二百三高地について漱石が描写した個所。この場面が出かけたあたりのどのあたりかはっきりしない。いずれにしても同じ場所に違いない。今はどちらも道が整備されており、また山の周囲は桜の木が植えてあるらしい。だが、12月に出かけたので桜の花が咲いておらず、緑の季節はどんな状況なのかはわからない。

★二百三高地へ行く途中などでは、、とうとうこの火打石に降参して、馬車から降りて仕舞った。そうして痛い腹を抱えながら、膏汗(あぶらあせ)になって歩いたくらいである。鶏冠山を下りるとき、馬の足掻がなんだか変になったので、気を付けてみると、左の前足の爪の中に大きな石が一杯に詰まっていた。余程厚い石と見えて爪から余った先が一寸ほどもある。従って馬は一寸がた跛(ちんば)を引いて車体を前へ運んで行く訳になる。席から首を延して、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒な位、馬に対して痛わしい心持がした。70p

★味方の砲弾で遣られなければ、勝負の付かないような烈しい戦は苛過ぎると思いながら天辺迄上がった。其処には道標に似た御影の角柱が立っていた。その右を少しだらだらと降りたところが新たに土を掘返した如く白茶けて見える。不思議な事には所々が黒ずんで色が変わっている。これが石油を襤褸(ぼろ)に浸み込まして、火を着けて、下から放り投げた処ですと、市川君はわざわざ崩れた土饅頭の上迄降りて来た。その時遥下の方を見渡して、山やら、谷やら、畠やら、一々実地の地形に就いて、当時の日本軍がどう云う経路をとって、此処へじりじり攻め寄せたかを序ながら物語られた。不幸にして、二百三高地の上迄は来た様なものの、何方(どっち)が東で何地(どっち)が西か、方角が丸でわからない。ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、藍色の海が二ヶ処程平たく見える丈である。余はただ朗らかな空の下に立って、市川君の指さす方を眺めていた。79-80p

 この後は市川が戦った時の様子が書いてある。しかし、それには肉片が飛び散った、などの怖ろしい戦争描写なのでここに記すのはやめよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に間違いに気づく。漱石の書いている鶏冠山と大連で登った東鶏冠山は同一場所ではなかった。『坂の上の雲』の添付地図を見て鶏冠山の東側に東鶏冠山があった。

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