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2019年1月11日金曜日

『人生はおもしろがった人の勝ち』

 スウェーデンの106歳のブロガー、ダグニーさんのblogを見ると「レポート」と題して笑顔の写真をアップされている。ただ、左手首から指にかけてのギブスは痛々しい。ダグニーさんの右手は誰かと握手し、周りには花束があり、お見舞いの人の姿もある。手の怪我は足と違って歩くことができる。歩けば少しは運動不足も免れそうだ。ともあれ、お元気そうで何より安心。

 昨日はひと月に一度の眼科へ行く。目のどこがどう悪いわけではないが、小さい頃に目の病気をした、と親から聞かされてきた。その影響もあって眼科とは一生の付き合いとなりそうだ。眼圧は13と15でともに正常。

 また昨日は3通、同じような横型の茶封筒が届く。1通は院展の招待券2枚が送付される。これは地元の新聞社のネット応募であたった。院展のチケットは日本画の先生からいただくことが多い。それも当然のように何枚もいただいていた。後でこれは先生が入選されたからだ、と気付く。今回は応募であたった招待券で院展を見に行こう。

 2通目は先日電話で申し込んだ旅行社からの書類が送付される。ただ、この件は旅の催行が確定されず、しばし連絡を待つしかなさそうだ。

 3通目は社会人大学生で学んだ学部時代の同窓会だより。記事を読むと卒業後の若い人たちの状況が記されている。若い人たちはその後の就職などの話題が多い。だが、社会人でのその後は就職には関心がなく、サラッと目を通すだけとなる。
 
 社会人大学生といえば萩本欽ちゃん。この人は今、社会人大学生真っ只中。『人生はおもしろがった人の勝ち』(萩本欽一 大和書房、2018年)を読んだ。この本から気になる個所を記そう。

★……社会人入試で入ってきた人たちは、大学で学ぶことが何よりの目的だ。そこで学びたいから来ている。だから、学ぼうとする意欲が普通の学生さんとは初めから違う。24p

 これは確かにそうだ。社会人大学生だからといって、現役の学生と何ら変わりはない。ところが、入学後や修了後、聞かれて驚いたことがある。「試験はあるの?」「夜間大学?」に始まって他にもいろいろと聞かれた。まるで社会人で入った学生は大学が遊びに行くところ、と思ったのかもしれない。欽ちゃんが書いているように「大学で学ぶことが何よりの目的」で入学した。入学するにももちろん試験はある。会社をリストラされてから入試までの数か月、JRの半年間の通勤定期(実際は働いていない。だが購入可能)を買って図書館に通って勉強した。また、入学後もそれは大変だった。短大卒でも1年生から入学したので教養課程から規定の単位を取った。2年になる寸前で母が怪我で入院。その時は4か月、病院に寝泊まりしながら大学に通った。母の退院後はケアが待っていた……。ともあれ人生、頑張れば何とかなる、と実感した6年間だった。

★これまで、かなりいろんな国に行ったが、ボクは海外で撮った写真が一枚もない。「写真、撮る?」と聞かれても、「撮らない」と、断っている。ボクにとって思い出になるのは、言葉だけ。現地の人との会話だけを思い出として持って帰る。196p

 「現地の人との会話だけを思い出として持って帰る」、これ、よくわかる。民族学、というか文化人類学に興味があるのですごくわかる。でも写真は撮る。この頃は自分をほとんど写さず、ブログ用に写すことが多い。そして絵になるところも。現地の人との会話だけでなくツアーの人たちとの会話も思い出。同じツアーの人とは関心が同じところに向いているので自然と仲間になる。 
 
★ホント、自然界はうまくできている。長所があれば、必ず短所がある。人間の運も同じことで、いいことがあれば、かならず悪いこともある。これもうまくできている。……人間の運というのは、そういうふうに、みんな平等にできている。だから、いいことと、悪いことは、半分半分。そう思って生きていけばいい。236-238p

 これもそう。母は私が元気をなくすと「全てが揃った人はいない」とか「全てが揃った家もない」と言って慰めてくれた。表面では上手くいってるように見える人でも家でも中に入れば何かがある、というのだろう。その思いがあるからか、今は人を見て羨ましいとか、の感情はわかない。欽ちゃんの言う通り、楽しいことを見つけて人生面白おかしく生きる方がいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2017年11月10日金曜日

紅葉の季節に

 先日の日本画教室作品展。ブログで知って見に来てもらった人と数年ぶりに対面する。新たになった広島駅。お互い市内に住んでいてもなかなか会う機会がなかった。めまぐるしく様変わりする広島駅で久々に会う。

 陽気に誘われて集合時刻よりも2時間半早めに家を出る。向かう場所は縮景園&県立美術館。カメラ片手にまずは縮景園に入る。日よりもいいのか園内では結婚写真の前撮りをしている。紅葉しかけた木々から落ち葉が舞い散る。その上を歩きながら真っ赤に染まった葉っぱでなく、黄色から赤くなりつつある落ち葉を探す。先日まで家のあたりで探していたよりも黄色い色が鮮やか過ぎる落ち葉もある。

 先日来から借りている図書館の落ち葉の本。そこに描かれた落ち葉。これを見て紅葉真っ盛りよりも徐々に赤く染まる葉っぱの美しさにハッとする。園内で葉っぱを集めて歩く姿を人はどう思う!?時には枝にカメラを向けてアップにして写す。絵を習い始めて絵のモチーフをカメラに写す楽しさを知った。もう少しすると宮島の紅葉も美しくなる。その時は宮島へ出かけよう。

 縮景園の園内入り口(出口?)から美術館へ入る。目指すは児玉希望の所蔵作品。美術館の児玉希望のミニガイド本の表紙絵は「暮春」。第11回の帝展特選受賞作だそうだ。大きな絵で緑色の木々や葉っぱが画面いっぱいに描かれている。素晴らしい絵だった。児玉亡き後、遺族が所蔵作品を県立美術館に寄贈。そのため多くの作品が展示されている。

 絵を堪能した後、歩いて駅に向かう。昨日の携帯万歩計は1万歩を超える。よく歩いた。その後に飲むビールは美味。久々に会ってもそこは昔からの友だち。何の違和感もない。ましてやこちらの近況はブログでわかっている。友だちは今でも現役で頑張っている。これも元気の秘訣だそうだ。素晴らしい!「エキエ」にできたスターバックスで食後の珈琲。若者であふれている。お昼の老舗のデパート内はジジババが多い。その多さと比べると広島駅は若者が多い。これも時代の移り変わり!?

 ともあれ、楽しい一日を過ごす。今朝、遅く起きてテレビ欄を見ると萩本欽一、欽ちゃんの文字が…。テレビを見るのが遅くなってあまり話を聞かれなかった。それにしても70代後半での大学3年生の欽ちゃん。朝から欽ちゃんのテレビを見て一日が楽しくなる。素晴らしいかな、欽ちゃん!!

2017年3月3日金曜日

『欽ちゃんの、ボクは、ボケない大学生。』

 『欽ちゃんの、ボクは、ボケない大学生。』(萩本欽一 文藝春秋、2016年)を読んだ。どういっても73歳で駒澤大学に入学とは素晴らしい。若者に交じって大学生活を送られている。読んでいて笑いとペーソスに溢れる。これはいったいなぜ?欽ちゃんの人柄がそうさせる!?ともあれ、読みながらやっぱり大学生はいいなあと再度実感させられる。時は春、大学情報に目が離せない!どういっても頑張っている人の言葉には重みがある!

★年をとったらプラスマイナスゼロの生き方をしよう。忘れたっていいさ、忘れてもそのぶん新しいことを覚えればいいさ――。それが大学に行ってみようと思った理由だった。ぼくはね、「老人」という言葉が嫌いなの「老人」ではなく「年寄り」と呼ばれたい、という思いがある。だって、「老人」はただただ老けていく人と書くけれど、一方で「年寄り」という言葉は「年が寄ってくる」と書くでしょ?向うから寄ってくるものであれば、それを避けることができるんじゃないか。25p

★「大学には将来、お金を稼げるようになってから行けばいいからさ」とぼくが言ったときの、彼女(欽ちゃんの母親)のほっとした顔を思い出す。その意味では、ぼくが大学に行こうとするのは、遅すぎる親孝行っていう気持ちもあるんだ。34p

 「遅すぎる親孝行」とまではいかなくてもこの件はよくわかる。リストラ後に家でじっとしていては体に悪いと言って母は働くことはやめて放送大学で学ぶようにすすめてくれた。毎日ラジオを聞いていた母が仕入れた情報だった。学んだ先は放送大学でなく運良く入学できた地元の大学。6年後に修了証書を手にして母と記念に撮った写真は欽ちゃんのいうように「遅すぎる親孝行」になったかもしれない。

★「人生は勝つか逃げるかだ」 そんなふうに考えたほうが、人は幸せに生きられるんじゃないだろうか、ってね。人生にとって負けるという体験は、みんなが思うよりもずっと危険なものなんだ。だってさ、人は負け続けるうちに、その心にいつしか「別に負けてもいいや」という気持ちが染み付いてしまうから、そうなると勝てる戦いにも負けるようになってしまうよ。これは決して大学では教えてくれないことだけれど、若い友達にぼくが人生の先輩として伝えられることがあるとしたら、その生き方こそが世の中を最大限に楽しく生き抜くためのコツなんだよ、ってこと。112p

★コント55号も次に若い連中と始めた「欽ドン!」や「欽どこ」でも、その考え方は全く同じだった。自分が楽しいうちに逃げて、ぱっと別のことをやり始めちゃう。要するにそれがぼくの人生であり、貫いてきた生き方なんだね。117p

★学校でも仕事でも、毎日を楽しく生きるためには一つでも「嫌」を背負ってはダメだ。…それが自信のない試験に出ないぼくの理由でもあるんだ。…逃げてしまえば結果がないから、心には何も残らない。そうやって勝った試験だけを心に残していきたい。120-121p

★これを大学での日々に置き換えれば、教育というのは欠点をなくすことではなく、そんなふうに欠点を長所に変えることでもあるとぼくは思うんだ。163p

★何かをできないと感じるのは、その「何か」が苦手だということ。でも、考え方を少し変えると、苦手なことだからこそ、新しい何かが生み出される可能性がある、とそんなわけでぼくは思っている。181p

★「どんな世界にいても、ぼくらは成功や失敗をする。そのなかで何かを続けていく秘訣は、成功したときに喜ぶ時間を短くし、同じように失敗したときも悲しむ時間を短くすることだよ」それはプロフェッショナルであり続けるためのぼくの基本姿勢だった。199p

★要するに、喜びも悲しみも所詮は一時のこと。過ぎ去った過去にこだわらず、常に「次」へ気持ちをを最大限に持っていく人だけが、様々な世界で生き残っていくんだ。200p

★嫌な言葉は初めから聞かなかったことにして、避けてしまえばいい。そうすれば「嫌」にぶつからないでしょ。つまり自分が心地よいと感じた誰かの言葉に、導かれるように自分の行動を決めるんだ。239p

2015年1月8日木曜日

日経新聞「私の履歴書」から

「40歳を過ぎてから惑いが大きくなった。名峰を征服した登山家は頂上に長くいないで下りてくる。登るまでの挑戦は苦しくて楽しい。でも到達すると、さっさと下山するしかない。僕は思った。『パラシュートで一気に下りたいよ』『休もう』。テレビからいったん消えて充電するんだ。…暇になって始めたのが予備校通い。大人の言葉を常識を身につけたかった。新宿の予備校の夏期講習に通いだすと『生徒の気が散るんです』と言われ、日本史と英語の先生に家に来てもらった。…半年の充電期間中、いろんなことを考え、試みた。新しいことに挑戦する。それが新たな夢になった。…」(日経新聞「私の履歴書」2014年12月29日)

この記事は昨年の12月の日経新聞から。コメディアンの萩本欽一、そう、欽ちゃんの「私の履歴書」の一文。

欽ちゃん全盛時代、「禍福」は交互にやってくる、つらい時が幸せなんです、みたいなことをよくメディアで話していた。

このコーナーは1か月間の記事。家に日経がないので図書館で3回に分けてひと月分を読む。奥さんや子供さんのことなど読んでいて微笑ましい。

世の中、いかに自分に得になるかを考える人が多い。ところが欽ちゃんは違う。そのあたりが読んでいて気持ちがいい。

そして上の記事。頂点にいる時、いったん仕事を辞めて予備校に通っていたとは…。これは記事を見て初めて知る。

一般的には言葉は悪いけど稼げるうちに稼ごう、が多いはず。それをあえて逆方向に進む。偉い!

欽ちゃんの足元にも及ばない。12年前にリストラを経験。平気でリストラと言ってるけど本当は人に言えるお話ではない。「禍福はあざなえる縄のごとし」、当時、そう思ったかどうかは怪しい。

仕事を辞めるのは悔しかった。しかし、やめて2週間後に目にした大学募集案内のパンフ。アジア塾に行く途中にある交流プラザ。そこで目にしたパンフ。運命を感じた。この大学へは絶対に入れないと思っていた。

ダメもとで願書を持ち帰る。それからが大変。街中の図書館に通勤定期を買って毎日通学(?)した。広島駅から図書館までは歩いて通った。無職の身のせめてもの節約だった。

すぐに知り合いで大学に関わっている人を物色すると2名いた。アジアを学んでいた時の若い男の大学の先生と以前、中国語を習ったことがあり、博士号を取得していた中国の女子留学生だ。

先生は当時、北海道大学へ赴任されたばかり。4人で北海道に会いに行っている。これも良かった。同じ釜の飯ではないけど3日ほど北海道に滞在して北海道大学の研究室や札幌・帯広など車で連れて行ってもらった。また、食事を共にして親しくお話しできた。

どうやって入学準備をすればよいかをメールで問い合わせると長いメールでアドバイスを受ける。教えられた通り、すぐに行動に移した。留学生には志望動機書と研究計画書の書き方の本を教えてもらった。当時はこのキーワードすら知らなかった。

それから4か月後、帰国子女に混じって大学入学試験を受けた。

当時を思い出す。悪いことの後には良いことが来る。合格はネットで知った。嬉しかった!

これまでで一番の親孝行と思っている。文学修士号の証書を受け取った姿も母に見せることできて幸いだった。パソコンと携帯の待ち受け画面はその時、母と一緒に写った写真。いい記念になった。パソコンや携帯を見るたび、励みになっている。

欽ちゃんの予備校通いの記事。そしてお正月に見るアドバイスをもらった先生のご家族の写真付き年賀状。この2つで当時を思い出してしまった。そういえば中国の留学生にはメールでクリスマスカードをいただいている。

今、呑気に過ごしている。これも母を介護したおかげ?いつの日か今のような気楽な日々もなくなるかもしれない。

ともあれ毎日元気で楽しく、は今年も目指すこと。頑張ろう!頑張っていれば必ず誰かが助けてくれる!?