暇さえあれば『坂の上の雲』(司馬遼太郎 文藝春秋、2004年新装版第1刷)を読んでいる。もう少しで第4巻を読み終える。それでも全巻を読み終えるにはあと4巻ある。先日の夏目漱石の本を読むときもそうだったが、文字は読めても意味が解らないとか、初めから文字が読めない箇所が多々ある。そばに電子辞書を置いて読んでいる。これが電子辞書でなく紙の辞書を引きながらだとどれくらい時間が必要だろう、と思ってしまう。さいわい今の電子辞書はあらゆる機能がついている。これは本当に優れモノ。
第4巻に二〇三高地が爾霊山と命名された意味を知って驚く。以下は乃木が志賀に渡した詩。
爾霊山嶮豈難攀
男子功名期克艱
鉄血覆山山形改
万人斉仰爾霊山
爾霊山 嶮なれども豈攀(よじ)難からんや
男子功名 艱に克つを期す
鉄血山を覆うて 山形改まる
万人斉(ひと)しく仰ぐ 爾霊山
志賀は、この詩に驚嘆した。――自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。と、数日前の詩会での児玉の詩をおもったりした。第一「爾霊山」という、この言葉のかがやきはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや神韻をおびているといってよかった。二〇三(にれいさん)という標高をもって、爾(なんじ)の霊の山という。単に語呂をあわせているのではなく、この山で死んだ無数の霊――乃木自身の次男保典をふくめて――乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも結びの句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。……その命名のまとめ役は、志賀重昴がひきうけさせられていた。(爾霊山以外にない)と、志賀は、この詩でおもった。212-213p
乃木は、十二月十日の夜、終夜飛雪が柳樹房の天地に舞っていたとき、詩想を得たらしい。韻、平仄をあわせて完全なものにし、翌日十一日の朝、志賀重昴にわたしたのである。この十一日の午後、二〇三高地で死んだ次男保典の遺骨と遺品が軍司令部にとどけられた。乃木にとって、「爾ノ霊」というのは、爾霊山で戦死したすべての日本人にむかってよんでいるとともに、さきに金州城外で戦死した長男勝典にくらべて性格のあかるかった保典に対する無量のおもいがこめられているのであろう。213-214p
二〇三高地に建つ爾霊山の碑 1904年12月11日、爾霊山と命名された それから114年後の同日にここを訪れたとは不思議! |
二〇三高地から旅順港を見下ろす |
大雪の二〇三高地に登った日は何と乃木希典がこの詩を作り、志賀に渡して「爾霊山」と命名した日、と知って驚く。これも何かの因縁かもしれない。それから114年経ったその日に二〇三高地に立った、何という偶然だろう。登っているときも大連滞在中も『坂の上の雲』の話は常に出ていた。しかし、この件は誰からも出てこなかった。ましてや中国人のガイドからもこの話を聞かなかった。
大雪の大連、そして二〇三高地を雪で滑らないようにと必死で登った。それにしても114年前とはいえ、自分の今の年齢を差し引くとそれほど昔のことではない。その時代はまだ馬車が交通手段だった。ましてや先の大戦となると自分自身が生まれる直前の戦いだ。物語でなく実際の戦争なのになぜか遠い昔のことと思うのはなぜだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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