2019年1月23日水曜日

メンデルスゾーンの「イタリア」から

 今朝のダグニーさんのblogは「退屈」と題して次のようにアップされる。日本語は翻訳機能による。

★私はコンパクトな孤独の中で歌で一日を過ごした後満足して何も感じ、時間すべてカタツムリのペースで行くように感じている、不幸の不幸石膏ドレッシングはどこでも、方法で、右手の人差し指で書きます。それのほとんどはい、椅子に座ることができます。私は残っている人生の小さな火花。
ご挨拶
Dagny
 
 その前日は「孤独」のタイトル。
 
★孤独は相対的であり一つともう一人、今いくつかの時間を探して砂漠の放浪者として si を感じることができます。彼の左の腕の右側に擦り傷がたくさんギプスと右の tlltufsad を感じる。しかし、私はすべてのケースで生きる。
ご挨拶
Dagny
 
 これを見て以前とは違って短いブログながら、ブログをアップしようとする意気込みに生きる執念を感じる。これくらいの強い意志がないと106歳までは生きられないのかもしれない。ともあれ、怪我をした左手のギブスがとれて、また元気な日常を取り戻されることを願うばかりだ。
 
 昨日はフルートのレッスン日。先生宅でレッスンまで椅子に腰かけて待機していると貼ってあるコンサート情報に目が行く。先月、三原市で開催された演奏会に先生が演奏されたチラシだ。演奏曲3曲目にメンデルスゾーンの「イタリア」がある。この「イタリア」に目が行く。つい先日、広響の定演で演奏されて、その第二楽章が気に入った。そのことを話すと先生はネットで著作権切れの楽譜を印刷されたのを見せてくださる。本の著作権切れもネットで瞬時に見ることが出来る。楽譜もそれが可能と知って驚くばかり。本当に便利な世の中になった。本であればパソコン上で何百ページもの印刷は大変だし、またそれをネットで読むのはさらに大変。その点、楽譜は本ほど印刷枚数もなくてプリントアウトしやすい。これほど便利なネット情報を利用するかしないかの違いはかなり大きい。
 
 「イタリア」の第二楽章は先日の広響定演プログラムによると次のようにある。
 
 ★第二楽章 アンダンテ・コン・モート(歩くような速さで動きをもって)ニ短調は、唯一ローマで構想されなかった楽章で、どこか色あいが違う。この楽章を聴いていると、ミラノの霧に包まれた早朝の薄闇が思い浮かぶ。まだ、街が起き出す前、冷たい空気に漂う柔らかい霧のなかを、ひとりで歩く。日が昇ってくるとしだいに空気が和らいでゆく。
 
 定演で曲を聞いてこのように思ったかどうか怪しい。しかし、どこか雄大な場所、それも薄緑色の靄が掛かった場所を思い浮かべて聞いた。そして大いにこの曲が気に入った。先生は発表会で吹くならば楽譜をフルート用にアレンジしてくださるとのことでありがたい。
 
 さらっている曲はドルドラのセレナーデ。この曲も綺麗な曲。練習しよう!
 
 レッスン後、歩いて広島駅に向かう。先日、開催中の院展を2か所で見た。ゆっくり見ていない駅前店で再度見る。平日の午後の院展。人は少ない。自然を描いた作品が多い。なかでも前回と同じ作品がやはり気に入る。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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