2018年8月21日火曜日

『下り坂では後ろ向きに』

 『下り坂では後ろ向きに』(丘澤静也 岩波書店、2012年)、サブタイトルは「静かなスポーツのすすめ」を読んだ。著者を知ったのは南木佳士の本による。南木がうつ病を患って丘澤の『マンネリズムのすすめ』を読み、それに感銘してその本を常に手元に置いて読んだという。これに刺激されて私も早速『マンネリズム…』を読んだ。その次に読んだのがこの本である。南木が丘澤の『マンネリズム…』の中で刺激されて体を動かしたのが山登りや水泳など。この本でも「水泳」の話題が多く出る。

 自分自身、30年くらい前に人から強引に誘われて泳ぐ楽しみを知った。著者の何分の1しかの運動量ではない。しかし、泳ぐことを長年続けている。今は災害でプールが閉館されて残念ながら泳がれない。閉館が長く続くようであれば、以前に泳いでいた区のスポーツセンターで泳ごうと思っている。その前にいつものプールが開館されることを願って…。

 以下は『下り坂では後ろ向きに』から、気になる個所の抜粋。

★走り終わって、ハアハア言うことはない。泳ぎ終わって、くたくたになることもない。かかとや膝が痛くなることも、腰が重たくなることもない。翌日、筋肉痛に悩まされることもない。30年ほど、毎日のように走ったり、泳いだりして、大きな怪我をしたり、大きな故障をかかえたこともない。マンネリズムの醍醐味にひたりながら、けっこう長つづきしている。(6~7p)

 あまり変わり映えのしない毎日を送っている。それでも「これっ」と思うことは結構長続きするタイプ。自転車、中国語、水泳、フルートなどどれも長くやっている。海外旅行もやむを得ない事情で途中ブランクがあるが30年続いている。多分、日本画も続くだろう。これも著者の言うマンネリズムの醍醐味に浸りながら長続きしているのだろうか。そういえば、他に演奏会などの各種会員も長く続いている。、

★「静かなスポーツ」には文体や文法などと呼べるほどのものはない。小さなポイントがいくつかあるだけ。
・ひとりで
・ゆっくり
・静かに
・目標を持たず、結果を求めず
・距離や回数でなく、時間を区切って(7~8p)

 この5項目、どれもぴったりあてはまる。

★「スポーツ」の語源は「気晴らし(disport)」である。「競争」の意味はない。18p

★私は、走ることによって健康になりたいとも、泳ぐことによってダイエットしたいとも思わない。ちょっと、気持ちいいから、やっているだけである。それ以外のご褒美にはあまり興味はない(けれども、実際はずいぶん余得にあずかっているのだが)。41p

★年を重ねて実感するのだが、ヒトの精神年齢は、20歳前後でストップするのではないだろうか。高齢になっても、けっこう若い。というより幼くて、あいかわらず愚かなままである。すくなくとも私はそうだ。85p

★「ものごとの一番大切なアスペクト」は物語やドラマではなく、散文で書かれる。103p

★人間は希望がなければ、生きてはいけない。しかし、希望だけでは生きていけない。ゴールや結果ばかりを気にせず、日常のこまごました営みを丁寧にやりつづけ、日常の雑事をみがくことが、人間の日常をささえ、人間をささえているのではないか。私の知るかぎり(といっても、私の世間は狭いのだが)、毎日、家事を丁寧にやっている人に悪人はいない。結果ではなくプロセス。これは、静かなスポーツの基本姿勢である。110p

 このなかの「丁寧」のキーワード。日常の生活は丁寧とは言い難いが規則正しい生活は丁寧かもしれない。家事も丁寧ではないが「食」に関しては気を付けながらしている。

★ミケランジェロは屈辱と絶望のなかで、メディチ家礼拝堂をつくりあげた。その仕事をほめられたとき、屈折した魅力的な詩を書いた。「パルラ・パッソ(低い声で語れ)」は、その詩の最後のフレーズである。静かなスポーツが習慣になってから、私はこのフレーズを反芻するようになった。「パルラ・パッソ」の流儀は、スポーツ以外の局面で以前にもまして、必要になってきたように思う。122p

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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