2018年8月8日水曜日

『70歳、はじめての男独り暮らし』

 「人が生きるということはこれほど多くのゴミを出すことなのだ」(098p)。これは昨日読んだ『70歳、はじめての男独り暮らし』(西田輝夫、幻冬舎、2017年)に書いてある言葉だ。1週間の月、火、水、木、金曜日はゴミを出す日。それ以外にも大型ゴミが別にある。今朝はペットボトルやプラスチックゴミを出す。男独り暮らし、ならぬ女であっても朝、ゴミを出す大変さは親を亡くして初めて知った。特に冬場は起きるのが遅いためゴミに間に合わせるように目覚ましをセットして眠る始末。

 本の著者は眼科医。再婚した奥さんと死別して男独り暮らしとなる。日々寂しさと悪戦苦闘して男が独り生きていく様子を書いている。読むうち、母を亡くした後の自分の生活と被る。会社に長く勤めていたので家事一切は親任せだった。母が怪我をして親子の立場が一瞬にして逆転。さあ、それからが大変。親の銀行のキャッシュカードの暗証番号に始まり、親がやっていたことすべてを聞く羽目になる。本を読んで著者のとった行動が手に取るようにわかる。

 それも年数を重ねると何とかなるもの。ただ、著者が「心豊かに生きよ」の編で寂しさをはねのけるために独り行動をし始める場面がある。まずは初めての独りのお正月。これも経験済みなのでよくわかる。著者は年末を早めにしてニューヨークに飛び、美術館巡りや演奏会会場に足を運ぶ。こうしたことで「一人で街を歩いていても寂しくなくクリスマスの雰囲気を楽しめました」とか(136p)。他に「読書も独りで出来る心を豊かにする方法です。独りで生活していて、だれとも話をしなくても、本を読むと著者と直接会話することが出来るのです」という(138p)。

 これは今回の災害と毎日の暑さで外に出ないことが増えると図書館で借りた本をよく読むのでそう思う。エアコンの中で面白くないテレビを見るよりも本を読む方がいい。著者が書いているこの気持ち、よくわかる。というか、独りに慣れたのかもしれない。

 独りといえば2年余り前、モロッコの旅で知り合った人も独り暮らしのようだ。今年の2月の南極クルーズの後、先月は念願の南アフリカの旅をされている。ブログで旅の楽しさが綴られる。南アは20年くらい前に出かけた。その頃はまだブログを始めていないので当然、投稿もない。しかし、南アの旅は姪にCDにしてもらった。今となってはCDよりもブログの方が手っ取り早くみられる。これも時代が変わったことに由る。

 さらに独り暮らしかどうか知らないが昨日図書館で読んだ「週刊新潮」。いつも読んでいる外山滋比古氏の週刊ダイアリーの掲載がある。4か月前からホーム暮らし、とある。御年95歳。ホームに入られる前まで認知症の奥様のお世話もされていた。入居後も、変わらずに執筆活動をされている。また散歩も欠かさないらしい。

 皆さん、自分なりに独りを元気に楽しく暮らしておられる。親と長く暮らしていたので独りになるという実感がわかなかった。しかし、この頃は独りもなかなかいいものと実感する。人はどんな環境に置かれてもその気になれば何とか生きていく動物だ。

 話は変わって、先日の「平和の夕べ」コンサートのソリスト ネルソン・フレイレさんのアンコール曲が広響のHPで公開された。以下の2曲の演奏だった。

🎵パデレフスキ:ノクターン 作品16-4
🎵グリー\\グ:抒情小曲集第8集より「トロルドハウゲンの婚礼の日」作品65-6

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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