昨日と今日の2日間、さっぱりしないお天気だ。が、明日からは好天に恵まれそうだ。今朝、郵便受けの朝刊をとろうとすると司馬遼太郎記念館会誌春季号が届いている。菜の花忌の記事が大半だが後でゆっくり読もう。我が家の狭い庭には記念館から送られた菜の花の種が芽を出して今が盛りとばかりに花を咲かせている。地植えの菜の花は大きくなりすぎて抜いてしまった。一方、植木鉢に植えた菜の花は大きくならず、これも鉢から抜いて地にほったらかしにした。その菜の花が今盛りと咲いている。
以下は『戦雲の夢』(司馬遼太郎 講談社、2019年第3刷)から気になる箇所を記した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★盛親は酒をふくみ、不意にそれを吐きだして、「田鶴」といった。田鶴は、太守の沈思に遠慮して息をひそめていたのだが、盛親の声にはっと目がさめたように眸を見ひらいた。「おれのわるいくせだな。いざとなって、とつおいつ考えるのは」「なんのことか存じませんけれども、田鶴は小さいときから、父から、ものには裏と表がある。表のみ見、裏のみ見るのは愚者の目だが、愚者には愚者の仕合せがある。賢者はその二つを見ることができるが、表裏見えるためにかえってなにもできない。しかし、人傑は、その表裏がみえ、しかもその一方をとって断じて行う者のことだ、とききました。殿様は、おつむりがよすぎるのでございましょう」「人傑ではないと申すのだな」「まだわかりませぬ。まだお若いのでございますもの」(174p-175p)
★「食いかねているのに太るとは、よほどいまの生活が気に入っているのだろう」「髀肉の嘆(ひにくのたん)、とおおせなされ」蜀の劉備が荊州の劉表の陣営に身を寄せて失意の日を送っていたとき、ひさしく馬に乗って戦場に出ないために脚部に脂肪がたまった。そういう故事から出た言葉だが、弥治兵衛がことさらにその言葉を使ったのは、盛親に劉備のごとく捲土重来(けんどちょうらい)の志があるか、という意味を暗に示してみせたつもりなのだ。(261p)
★(おろかなことだ)と盛親はおもった。そのような安住よりも身を焼くような苦悩のほうをおれはえらぶ、とおもった。(が、身を焼く苦悩とはどういうものだろうか。考えてみれば、それさえ自分にはないではないか)それは妙な実感だった。盛親は、崖の松さえつかんでいない自分にはじめて気がづいたのである。自分を救うために足掻(あが)いたことはなかった。かつて一度もなかった。ただ自然の流れに任せて長曾我部家の世子になり、土佐の太守になり、さらにその位置から消えた。一度といえども太守になるために努力をしたことはなく、太守の位置から落ちまいとあがいたこともなかった。林豪はひとはたれでも断崖の松をにぎっているといったが、うまれつきそういうものをにぎったことのない自分に、盛親はいま愕然と気づいたのだ。(なんということだ)長曾我部盛親といえば、かつては諸侯の世子のなかで、出色の者であるといわれた。その武勇と才質において卓越した天秤をもってうまれた。それがただ、なすところもなく三十余年を生きてきたにすぎないではないか。(おどろいた男だ。おれは)自分をふりかえれば、見たこともない動物がそこにいるように思われた。(おれはいったい何者だ。おれの人生はどうつくりあげねばならないのか)が、すでに遅かった。いまになって気づいても、すべてが失われている自分に、なにをするすべがあるのだろう。(331p-332p)
★そのころになると、盛親はようやく自分の心理が理解できるようになっていた。実をいえば、加東田平次の顔をみて不快を思うたびに、盛親の心は、かつて味わわなかったほどの急速な変化をとげつつあったのだ。(林豪坊主の教えはまやかしにすぎぬわ)盛親は、むしろ林豪の人生訓の逆を悟った。断崖の松をつかむ以外に自分の生きる道はない、――と盛親は思う。むかし、会稽山で呉軍にやぶれた越王勾践(えつおうこうせん)が敗戦の屈辱の中に自分を置くことができたのは、ひとすじに宿敵である呉王夫差(ふさ)への復讐を念じつづけていたからだろう。復讐という明確な目的があったればこそ、屈辱の生活に耐えることができた。盛親の場合、関ヶ原の復讐というよりも自分の青春に復讐をすべきであった。長曾我部家をほろぼし、家臣を路頭に迷わせた自分の恥多き青春に対して、残る余生はその復讐に費やすべきであった。復讐とはほかでもなかった。ふたたび戦野に長曾我部家の旗をたてることではないか。(335p-336p)
★自分の運を愛さないものに運は微笑しない。女運ばかりではない。男としての人生の運さえも同じことだ。盛親は、自分の運のわるさについて、そう考えるようになっていた。(おれは、かつて、おれ自身に惚れこんだことがなかった。自分に惚れこみ、自分の才を信じて事を行えば、人の世に不運などはあるまい。運は天から与えられるものではない。おれが不運だったとすれば、自分自身に対してさえおれは煮えきったことがなかったせいだろう)盛親は、いつほどか考えぶかい男になっていた。右衛門太郎のころから思えば、盛親はそのころの快活さはなくなりはしたが、そのぶんだけ、年よりも老熟した知恵がそだちはじめているようだった。(341p-342p)
★盛親は、ようやく自分の人生を発見した。盛親は、天にむかって血の最後の一滴まで賭けようと思った。(いままでのおれは、事の成否を考えすぎていた)と思った。(お里のいうように、自分を賭けるだけでよい。賭ける、というそれだけのなかに、男の人生がある。賭けの結果は、二のつぎにすぎない)盛親の唇がしだいにほころび、やがて低い含み笑いが、精悍なその歯から漏れた。――お里は、ふとおびえた。そこに、鷹がいた。嘴を上げ、しずかに笑いはじめたような気が、お里にはした。(391p)