2025年6月25日水曜日

冷蔵庫のアラーム

 昨夕、近くの電気店の店長がエアコンと照明器の設置の説明に来られる。電気店は来月初めに恒例のセールを行うとか。2つの設置はその後になるようだ。その前に何か不具合は?と聞かれて暮れに買い替えた冷蔵庫の話をする。今は大丈夫だが、冬から春にかけて使用を間違えたのか、冷蔵庫内が氷河のようになり、冷凍庫は開閉できなくなりそうだった。その際は自分でトリセツを出して取り扱い方法のミスに気づき、何とかいい具合に納まった。

 しかし、冷凍庫の内部はまだ氷山の一部が残っている。それを店長に見てもらうと氷山(?)を取り除く、とのことでドライヤーなど使って氷の塊をとってもらった。そしてそれまで外していた冷凍庫の上の棚も取り付けてもらった。この冷蔵庫ほど購入後に手こずったことはない。

 新たな電化製品はどんどん進化し、ちょっとでも取り扱いを間違えると警告を示すアラームが鳴る。冷蔵庫の不具合の際はこのアラームにも悩まされた。昨日も氷山を取り出す際、アラームが鳴り続ける。店長曰く、電源を切る、といいとか。トリセツにもそれは書いてあった。が、慌てた時は電源がどこにあるかもわからない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月24日火曜日

司馬作品読書一覧表

 2018年12月に中国大連の旅に参加した。参加者は8名と少ないツアーだったが、少人数の為、8人は食事など行動を共にした。二百三高地を観光中、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の話題になる。その頃、司馬遼太郎は知っていてもこの人の小説はほとんど読んでいなかった。旅の間中、だれかれとなくこの本を読むように勧められる。

 その旅から帰国後、図書館でこの本を借りて読んだ。文庫本で全6巻ある。大連の旅から帰って興奮冷めやらないうちに読み始めた。読んでいくうちにこの作品にハマりだす。そしていつのころからか生きている間に司馬遼太郎の全作品を読もうとなった。先日、ブログの下書きに記している司馬遼太郎読書一覧を見ていると長編小説で読んでいないのは10余作品。といっても1作品は上・下巻や上・中・下巻といったふうに1冊とは限らない。

 生きてるうちに、との願いはだいぶ近づいた感がある。とはいっても司馬作品は長編以外にも短編小説集、紀行・エッセイ・評論、その他のジャンルと読んでいない本がまだまだたくさんある。

 これらの本を読むのは自分が生きる張りあいというか生き甲斐になっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記:以下にこれまで読んだ司馬作品一覧をブログの下書きから公開しよう!

司馬作品読書一覧表

『坂の上の雲』全6巻 文春文庫 2018年12月中旬~2019年2月
『竜馬がゆく』全8巻 文春文庫 2019年3月~5月
『花神』全3巻 新潮文庫 2019年6月~7月
『世に棲む日日』全4巻 文春文庫 2019年7月~8月
『酔って候』 文春文庫 2019年8月
『西域をゆく』 文春文庫 2019年8月
『ひとびとの足音』文藝春秋 単行本 2019年9月
『翔ぶが如く』全10巻 文春文庫 2019年8月~2020年2月
『歴史を紀行する』文春文庫 2020年2月
『歴史を動かす力』2020年2月
『空海の風景 上』文庫 中央公論新社 2020年2月
『空海の風景 下』単行本 中司馬遼太郎対話選集3)文春文庫 2020年2月
『項羽と劉邦』上 文庫 新潮社 2020年3月
『項羽と劉邦』中 文庫 新潮社 2020年4月
『項羽と劉邦』下 文庫 新潮社 2020年5月
『峠』(上) 文庫 新潮社 2020年5月
『峠』(中) 文庫 新潮社 2020年6月 
『峠』(下)  文庫 新潮社 2020年6月  
『菜の花の沖』(一)文庫 文藝春秋 2020年7月
『菜の花の沖』(二)文庫 文藝春秋 2020年7月
『菜の花の沖』(三、四、五、六)文藝春秋 2020年9月
『胡蝶の夢』(一、二、三、四)新潮社 2020年12月
『馬上少年過ぐ』新潮社 2021年1月
『幕末』文春文庫 2021年1月
『功名が辻』(1)文春文庫 2021年2月
『余話として』文春文庫 2021年2月
『燃えよ剣』文春文庫 2021年3月
『功名が辻』(2)文春文庫 2021年3月
『功名が辻』(3)文春文庫 2021年4月
『功名が辻』(4)文春文庫 2021年5月
『城をとる話』光文社 2021年5月
『関ヶ原』(上)新潮社 2021年6月
『関ヶ原』(中)新潮社 2021年6月
『関ヶ原』(下) 2021年6月
『国盗り物語』(一) 2021年7月
『国盗り物語』(二) 2021年7月
『十六の話』2021年8月
『国盗り物語』(三) 2021年8月
『国盗り物語』(四)2021年8月
『戦雲の夢』2021年9月
『新史太閤記』(上)2021年9月
『新史太閤記』(下)2021年10月
『新装版 播磨灘物語(一)』2021年10月
『新装版 播磨灘物語(二)』2021年11月
『新装版 播磨灘物語(三)』2021年11月
『新装版 播磨灘物語(四)』2021年12月
『国家・宗教・日本人』2021年12月
『覇王の家(上)』2022年1月
『覇王の家(下)』2022年2月
『十一番目の志士(上)』2022年2月
『十一番目の志士(下)』2022年2月
『夏草の賦(上)』2022年3月
『街道をゆく』(二)「韓(から)のくに紀行」2022年4月
『街道をゆく』(一)「長州路ほか(湖西のみち 甲州街道)」2022年4月
『夏草の賦(下)』2022年4月
『街道をゆく』(五)「モンゴル紀行」2022年4月
『草原の記』2022年4月
『街道をゆく』(四一)「北のまほろば」2022年4月
『街道をゆく』(二二)「南蛮のみち(Ⅰ)」2022年5月
『街道をゆく』(三)「肥薩のみち」2022年5月
『街道をゆく』(三十七)「本郷界隈」2022年5月
『街道をゆく』(三十五)「オランダ紀行」2022年5月
『街道をゆく』(六)「沖縄・先島への道」2022年5月
『人間というもの』2022年6月
『街道をゆく』(三十三)「白河・会津のみち」2022年6月
『街道をゆく』(三十八)「オホーツク街道」2022年6月
『街道をゆく』(十二)「十津川街道」2022年6月
『街道をゆく』(三十)「愛蘭土紀行」(1)2022年6月
『街道をゆく』(三十一)「愛蘭土紀行」(Ⅱ)2022年7月
『街道をゆく夜話』2022年7月
『ある運命について』2022年7月
「ロシアについて 北方の原形』2022年7月
『長安から北京へ』2022年7月
『街道をゆく』 (十九)「中国・江南のみち」2022年8月
『街道をゆく』 (四十二)「三浦半島記」2022年8月
『街道をゆく』 (二十)「中国・蜀と雲南のみち」2022年8月
『街道をゆく』 (二十五)「中国・閩のみち」2022年8月
『街道をゆく』(二八)「耽羅紀行」2022年9月
『街道をゆく』(二十一)「芸備の道」2022年9月
『街道をゆく』(二十一)「神戸散歩」2022年9月
『街道をゆく』(二十一)「横浜散歩」2022年9月
『街道をゆく』(三十四)「大徳寺散歩」2022年9月
『街道をゆく』(三十四)「中津・宇佐のみち」 2022年10月
『街道をゆく』(二十六)「嵯峨散歩」2022年10月
『街道をゆく』(二十七)「因幡・伯耆のみち」2022年10月
『街道をゆく』(二十七)「檮原街道」2022年11月
『街道をゆく』(十四)「南伊予・西土佐の道」2022年11月
『街道をゆく』(二十四)「近江散歩」2022年12月
『街道をゆく』(二十四)「奈良散歩」2022年12月
『司馬遼太郎の世界』2023年1月
『歴史と小説』2023年1月
『燃えよ剣』2023年1月
『ビジネスエリートの新論語』(福田定一として書かれた)2023年1月
『軍師二人』2023年2月
 (この他に『雑賀の舟鉄砲』『侍大将の胸毛』『割って、城を』『女は遊べ物語』『嬖女(めかけ)守り』『雨おんな』『一夜官女』が収めてある)
『歳月』(上)2023年3月
『歳月』(下)2023年3月
『宮本武蔵』2023年4月
『殉死』2023年5月
『豊臣家の人々』2023年5月
「花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(上)2023年6月
『花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(下)2023年6月
『木曜島の夜会』2023年7月
『有隣は悪形にて』2023年7月
『大楽源太郎の生死』2023年7月
『小室某覚書』2023年7月
『王城の護衛者』2023年8月
『加茂の水』2023年8月
『鬼謀の人』2023年8月
『英雄児』2023年8月
『人斬り以蔵』2023年8
『街道をゆく(四十)』「台湾紀行」2023年8月
『街道をゆく』(三十四)「中津・宇佐のみち」2023年8月 
『街道をゆく』(34)「大徳寺散歩」2023年8月 読むのは2度目
『街道をゆく』(八)「熊野・古座街道」2023年9月
『街道をゆく』(八)「豊後・日田街道」2023年9月
『街道をゆく』(八)「大和丹生川(西吉野)街道」2023年9月
『街道をゆく』(八)「種子島みち」2023年9月
『韃靼疾風録』(上)2023年10月
『韃靼疾風録』(下)2023年11月
『尻啖(しりくら)え孫市』(上)2023年11月
『尻啖(しりくら)え孫市』(下)2023年12月
『街道をゆく』(十六)「叡山の諸道」2023年12月
『故郷忘れじがたく候』2023年12月
(この他に『斬殺』『胡桃に酒』が収めてある)2024年1月
『花妖譚』2024年1月
『最後の伊賀者』2024年2月
(この他に『下請忍者』『伊賀者』『外法仏(げぼとけ)』『天命の絵師』『蘆雪を殺す』『けろりの道頓』が収めてある)
『ビジネスエリートの新論語論』2024年2月
『街道をゆく』(四)「郡上・白川街道、堺・紀州街道ほか」2024年2月
『司遼太郎対話選集』(4)「日本人とは何か」(『人間について』山村雄一との対話)単行本2024年3月
『司馬遼太郎が考えたこと』(12) 2024年3月
『司馬遼太郎が考えたこと』(1) 2024年3月
『司馬遼太郎が考えたこと』(2) 2024年4月
『司馬遼太郎が考えたこと』(3) 2024年4月
『司馬遼太郎が考たこと』(4) 2024年5月
『街道をゆく』(四三)「濃尾参州記」2024年6月
『司馬遼太郎 街道をゆく夜話』2024年6月
『司馬遼太郎が考えたこと』(5)2024年6月
『司馬遼太郎が考えたこと』(6)2024年7月
『司馬遼太郎が考えたこと』(7)2024年7月
『司馬遼太郎が考えたこと』(8)2024年8月
『司馬遼太郎が考えたこと』(9)2024年8月
『司馬遼太郎が考えたこと』(10)2024年9月  
『司馬遼太郎が考えたこと』(11)2024年10月
『司馬遼太郎が考えたこと』(13)2024年10月
『司馬遼太郎が考えたこと』(14)2024年11月
『司馬遼太郎が考えたこと』(15)2024年12月
『風の武士』(上)2025年1月
『風の武士』(下)2025年1月
『街道をゆく(七)』(甲賀と伊賀のみち 砂鉄のみちほか)2025年1月
『妖怪』(上)2025年2月
『妖怪』(下)2025年3月
『戦雲の夢』2025年4月
『俄ー浪華遊侠伝ー』(上)2025年4月
『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)2025年5月
『北斗の人』(上)2025年5月
『北斗の人』(下)2025年6月
『戦国の女たち』(司馬遼太郎・傑作短編選)(これには「女は遊べ物語」「北ノ政所」「侍大将の胸毛」「胡桃に酒」「一夜官女」「駿河御前」が収めてある)2025年6月

2025年6月23日月曜日

我が家の桔梗

 昨夜から降り続く雨は明け方に強くなる。今朝は小雨だが晴れ間も見える。一昨年、小さなポットに入った桔梗を1鉢買った。花が終わったころ少し大きめの植木鉢に移し替えた。この春、芽を出した桔梗を別の鉢にも植えた。先日、2つの鉢の桔梗に液体肥料を施すと小さかった蕾が大きくなる。今朝見ると、2鉢の桔梗は共に大きくなり、もう少しで花を咲かせそうだ。

 以前にも桔梗の鉢植えを買って地に移した。が、翌年は芽がでなかった。ところが鉢植えの桔梗は芽が出て花が咲く。スマホで桔梗について調べると花ことばは「永遠の愛」「変わらぬ愛」「誠実」「気品」などとある。これらの花ことばは桔梗の花が長く咲き続ける様子や、清らかな花色、そして凛とした姿に由来していると言われている。いずれにしても好きな花なので大事に育てよう。
鉢植えの桔梗
鉢植えの桔梗
  雨は今週の木曜日まで降りそうだ。それから後は梅雨明かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月22日日曜日

スマホのレシピ

 昨日午後は日本画教室に出かける。相変わらず点描写でこんもり茂った室生寺界隈を描いている。いつもよりJRを1便早めたため、教室の最寄り駅に早く着いた。半端なく蒸し暑かったが、ハンカチを忘れて出かけていた。ついた駅の2階に100円ショップができている。初めて入るお店だがタオルハンカチを売っていた。駅の建物の2階をこのお店が占めている。家の近くの100円ショップとは違って中に入ると広いし、またきれいだ。

 教室がおわると久しぶりにいつものカフェに皆で入る。相変わらず他愛ない話で盛り上がる。

 盛り上がると言えば個人的にスマホで調べて作る料理にハマっている。スマホで例えば「きゅうりで作る簡単料理」と検索するとそれこそ簡単にできるレシピが並ぶ。ほうれん草、小松菜、なすびなどもこうして検索して作る料理は簡単にできる。そして美味しくできる。以前、料理番組を見ているとよく「アンチョビ」など自分では使ったこともない材料がある。しかし、スマホで検索する簡単料理はそれこそ簡単なモノばかりで材料も家にあるものばかりだ。

 スマホに機種変更してよかったことは旅に出かける行程などをたてるのに便利なことと、それと同じくらい簡単な料理のレシピを参考にできることである。美味しくできた時には介護していた頃の親に食べてもらいたかった、と思ったりする。当時はずっと働いていたので料理は親がつくってくれたのをいただいた。そのため料理は下手だった。今となってちょっと悔やまれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月21日土曜日

『北斗の人』(下)

 『北斗の人』(下)(司馬遼太郎 講談社、2006年第1刷)を読んだ。以下はこの本を読んで気になる箇所をメモした。

 今日も暑く成りそうだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★人の世の事はたいてい左右いずれとも決めがたいことが多い。そのとき当人にかわって、覚悟の決定(けつじょう)をうながしてくれる存在のあるなしで、人の幸不幸のわかれることが多い。……周作は、馬庭方に積極的な挑戦をしてみる気になった。が、あくまでも慎重なこの男のことだ。自分自身がいの一番に出かけてゆくようなことはしない。門人をやる、と決めた。その門人も、高弟はやらない。わざと、もっとも弱い群れのなかから五人をえらんだ。(156p)

★「わが千葉家の守護神だ」と、周作はひくい声でいった。相手が神仏だからどうということはないが、人間ならばこれほどの奇遇はないであろう。北斗七星(北辰)つまり妙見菩薩という古代中国の月星信仰からうまれたこの外来神を、千葉姓のものはことごとく信じている。現に周作の生家には屋敷神として妙見宮がまつられていたし、周作の紋所は月星紋であり、周作がつけた自分の兵法の名称は北辰一刀流である。……承平年間、平将門が関東で乱をおこしたとき、伯父の国香と戦った。平良文も国香に属して戦い、この付近が戦場になった。その時、国香、良文が奇勝を得たが、奇勝はこの地に鎮座する妙見菩薩のお陰だということをかれらは信じた。この平良文が、千葉家の祖である。良文はこの引間村の妙見菩薩の分霊を得て秩父の大宮に移し、さらに根拠地の千葉に移した。という、要するに千葉家の守護霊である北斗七星(妙見)のもとが、なんとこの引間村の妙顕寺であるということを知って、周作はおどろいたのである。(217p-218p)

★その夕、周作は近所の大工に板を削らせ、「玄武館」と墨書した。古代中国人は東西南北をそれぞれ象徴する想像上の神獣をつくり出した。東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武である。北辰の北という義を、周作は玄武であらわした。それを軒下に掛けると、なんとなく周作の胸が昂揚してきて、(おれの青雲の湧き出ずる家だ)とおもうと、この家の薄ぎたない軒柱でもなですりたい気持ちになってきた。(275p)

2025年6月20日金曜日

ウインドウズ10のサポート終了に思う

  2025年10月14日にウインドウズ10のサポートが終了するとの報道がある。我が家のパソコンはウインドウズ10なのでサポート終了後のことが気になる。パソコンはほぼブログ用に使っているだけなのでそれが利用できなくなればスマホで代わりのブログを、と思った。昨夜、よく調べるとウインドウズ10のバージョン「22H2」が終了とある。では、我が家のパソコンのバージョンは?と調べるとそれよりも古かった。そしてそれはすでにサポートが終了していた。それでも今も難なく使っている。このまま使用して駄目になればなった時に考えよう。 それにしても使用中のパソコンのバージョンは初めて調べた。

 連日暑い日が続く。今日も最高気温は33度とか。6月というのに一昨日からエアコンをつけている。午後1時過ぎから夜中の3時ころまでエアコンを利用する。まるで真夏並みだ。とはいえ真夏はほぼ一日中、エアコンが欠かせないが。

 昨年の長谷寺で熱中症になって以降、暑さをバカにしてはいけないと肝に銘じている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月19日木曜日

暑さの中、お墓参り

 蒸し暑い中、勇気を出してお墓参りをする。途中、杖をついた白装束の人と出くわす。その人の杖に眼がいっていたのか「杖は楽ですよ」といわれる。おもわず「お寺さん?」と問うと「そうです!」とその人は言う。どこのお寺さんかは知らない。

 墓地は山の麓にある。付近には民家も建っている。我が家から数分先にある墓地だが、毎日この辺りから買い物に行く人がいる。そう思うとお墓参りが暑いじゃどうじゃと文句を言っていては罰が当たる!?とはいってもやはり6月のこの暑さは異常だ。

 台所で過ごす時間が長い。しかし、台所にはエアコンがない。今年の夏はエアコンを、と業者に話している。先日バッタリ会った際にもその話をした。急に暑く成ったのでエアコンの取り付けに忙しいのかもしれない。仕方なく、他の部屋のエアコンをつけて急場をしのいでいる。

 今日も朝から半端ない暑さだ、これが9月いっぱいまで続く!?

 画像は先日出かけた福山のバラ。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月18日水曜日

歯科&プール

 昨日の歯科で歯石除去の影響か歯列が少しだけよくなっている。先生は4月と5月の歯の写真を見て前歯の歯肉の色がよくなったとも言われる。歯科通いを始めて半年余り。その間、これまでやっていた歯の磨き方ではなく教わったやり方で磨いている。これからもそのやり方で磨けばさらに歯列がよくなるとか。もともと歯並びはよくない。が、歯科を変わって言われた通りにやっているとこれまでとはかなり良くなった感じがする。歯は大人になって生え変わらない。大事にしよう!

 気を良くして歯科を後にすると急遽、プールに行こうと思いつく。早めにお昼を食べて循環バスに乗り、プールへ行く。プールの回数券を自販機で購入しているとお札の入れ方がわからない。迷っているといつもプールで一緒になる人が教えてくれた。そして5千円札はNOで千円札に両替を、という。受付で両替してもらい回数券を購入した。何と自販機はプールの利用券だけではなくカップ麺なども売っていた。びっくり!

 今日は母の月命日。予定ではお墓参りをしようと思っている。が、こう暑くては参るにも勇気がいる。参るのはまた後日!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月17日火曜日

歯科通い

  天気予報を見ると今月いっぱいは大雨の日はなく、晴れの30度超えの日が続くようだ。昨日も蒸し暑かった。さて、と夏用のサンダルなどの靴を探すが1足も見当たらない。昨年暮れに家をリフォームした際、急遽、靴箱を処分してもらった。その時、夏用の靴も処分となったようだ。

 靴箱はそれ以降、買っていない。階段下の物入に靴などを入れている。今朝、もしかして靴があるかも、と思って探すが見当たらない。暑くなって急に思いだしたサンダル。早速、買わねば……。

 今朝はこれから歯科通い。リフォームの際、今の歯科を教えてもらった。家のリフォーム代は高かったがそのお陰でいい歯科を知った。今は何よりも歯科を優先してスケジュールを入れている。そのため、旅行も歯科通いとぶつからないように考えてしまう。が、今のところ、スケジュールが重なったことはない。これからも歯科優先で……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月16日月曜日

蒸し暑い夜



  昨夜は今季一番の蒸し暑さでこれまた今季初めて、エアコンをつけて寝る。今朝も蒸し暑い。が、プールに行くか行くまいか迷っている。週に1度、プールで泳ぐのが理想だが外に出歩くとその週はプールで泳がないようにしている。これは自分の勝手な解釈で運動しすぎるのは体に活性酸素が溜まってよくない、と思うからかもしれない。活性酸素ががんを引き起こす、と何かで知った。ということで何事もほどほどにするに限る。

 今日、プールへ行かなければ次は木曜日になる。木曜日は予想最高気温が33度と高くなりそうだ。今週は梅雨の中休みなのかカラ梅雨なのか気温が髙くなるようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月15日日曜日

日本画教室へ

 今年の梅雨はから梅雨とか。昨日までの雨がやんで今日からは晴れの日が続きそうだ。それとともに気温もあがり、蒸し暑い朝を迎える。

 昨日は雨の中、日本画教室に出かける。描く絵は室生寺の五重塔。塔周辺はこんもりと茂っている。それを点描写するが先生から先週、五重塔の彩色を、とアドバイスされる。日本一小さな五重塔だ。写真を拡大コピーして描いているが、五重塔の細部はスマホの写真をさらに拡大して見る。これはなかなか大変。気長に描くしかない。

 3時間の教室の半ばでカフェタイムになる。だれかれと教室に持ち込んだインスタントのスティック珈琲を入れてしばしのティータイム。遊びに行っているのか絵を描いているのかわからない状態だが、これもまあいいか。何も急いで描くこともない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月14日土曜日

『結局、人生最後に残る趣味は何か』

  『結局、人生最後に残る趣味は何か』(林望 草思社、2024年第1刷)を読んだ。以下気になる箇所をメモしよう。著者の人生最後に残る趣味を読んだはずなのにそれは何かを忘れてしまった。自分自身のそれはさて何!?自分で自分をコントロールできるうちはこれまでと同じようなことをやるだろう。しかし、人生最後に残る趣味になるとそれは難しい!?最後、とまではいかなくてもなるべく今、やっている趣味を長く続けられたらそれでいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★芸術において、実践と鑑賞は表裏一体のところがあります。すなわち芸術は、少しでも自分でやった経験を持っているほうが、より深く楽しめるものです。絵を描いた経験がある人は、絵の見方にも熱意と深みが出ますし、音楽をやっている人は音楽の聴き方・味わい方が深くなります。……とにかく芸術を楽しみたいなら、まずは万難を排して、自分でやってみることです。(71p-72p)

★そもそも、草花は自然に生えているものが一番美しい。それは私の確信というべき考えです。例えば、秋のはじめに、野山や田んぼのあぜ道いっぱいにススキが清々と茂っていて、白い穂が夕日を受けて光を放ちながら風にゆれている。そういう景物の美、人の手で作られた「園芸の草花」ではなくて、自然の、雑草の、野の風景にはほんとうの美しさがあると、私は感じます。自然の力は偉大で、その芸術は人知をはるかにこえたところに幸(さきわ)うています。……特に私が苦手とするのは花壇とか公園に、人工的に植えられた花畑です。なにがしの公園にネモフィラの青紫の花が咲き敷いている……といったところで、それは人がこれ見よがしに植えたもので、山野に自生するものではありません。イギリスのムーアのような自然のなかに、山野を覆い尽くして咲くヘザー(Heather)の大景などは、それはもう息を呑むような美しさですが、人の手で植えられたものは、どうも書き割的疑似自然としか私には思えないので、何の感動も覚えないのです。(109p-110p)

2025年6月13日金曜日

コンビニでチケット購入

  9月に開催されるショパンの曲のピアノ演奏会がある。そのチケットを一般発売日の今朝、セブンイレブンで購入した。フルートでショパンの曲を練習している。演奏会が楽しみだ。

 昨日はプールで泳ぐ。この冬、プールがリニューアルされて管理者も変わった。ロビーに入ると水泳教室などのチラシが目立つ。暑くなるにつれてプールの利用者も増えそうだ。浅いプールで泳いでいると隣のプールが水しぶきで襲われそうになるくらい、バシャバシャと響く音がする。こんな泳ぎ方をするとほかに誰も泳げない。多分、バタフライの練習をしているのだろう。

 人の泳ぎを気にしていると自分の泳ぎができなくなる。気を取り直して背泳ぎと時にクロールを入れて泳ぎ続けると500mがいつもより早く泳げた。隣町の循環バスに乗って帰る予定が早く泳いだので試しも兼ねて歩いて帰る。バス以外では自転車に乗っていた。いくらバスが遅れて来ても歩くのはもうやめよう!

 話は変わっていつも何人かのXやインスタ、そしてブログを見ている。昨日、桂文枝のブログを見て書き方に魅了される。簡潔にわかりやすく書いている。頭がいい人に違いない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月12日木曜日

談山神社のLIVE映像

  談山神社のYOU TUBEを見ていると奈良テレビのLIVE映像がある。2024年10月のアップだ。よく見ると画面の左上に見ている現在時刻が表示してある。昨夜も見るとさすがに夜の画面は暗くて何も見えない。今、見ると定位置にカメラを設置しているのか先方に木造十三重塔が新緑のもみじに隠れるようにして見える。せっかく出かけたのにこの塔を見ずに帰った。ところが、LIVE映像のお陰でいつでも見られる。先日の午後の映像では観光客の姿も見えた。

 観光地にカメラが設置してあるのは知っていた。が、まさかLIVE映像で四六時中流しているとは知らずにいた。大きな神社仏閣にはこういうことも多いのだろう。

 今朝は雨が降ってないようだ。予定では午後からプールで泳ぐつもりだが、雨はさてさて。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

談山神社のLIVE映像とは
映す場所が違うがこんな感じで流している

2025年6月11日水曜日

「談(かたら)いの山」

 外に出歩く日が続き、落ち着きのない日々を送っていた。が、梅雨に入り、家でじっとしていると雨音が気になりラジカセでCDを聞いている。今朝は久しぶりにFMをながす。FMはほぼ音楽が流れているので人のしゃべる声が聞こえない。これは落ち着く。

 雨の季節とそれが終わる猛暑日が過ぎるまでは旅に出かけようとは思わない。というか、昨年7月、奈良長谷寺で暑さにまいった。そのため季節をひどく気にしてしまう。と、いいながらも次は何処へ行こうか?とガイド本を見たりする。

 関西方面は万博が終わらないと人が多すぎて行けそうにない。先の奈良行きでも帰りの新大阪駅構内は人であふれていた。せっかく奈良へ行っても時間に追われてゆっくりお土産を買う暇がない。というか談山神社は多武峰といわれるように山の中を歩き、お土産屋そのものがない。ましてや食べ物屋もない。ところが、談山神社へ出かけた人のYOU TUBEを見ると境内にお食事喫茶かたらいの杜がある。次に行くときは是非とも入ろう。

「談(かたら)いの山」へは行かなかった

 談山神社は藤原鎌足と中大兄皇子が大化の改新の際、この多武峰で談(かたら)ったことから「談(かたら)いの山」といわれる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月10日火曜日

中国土産の急須から

 半年前に家をリフォームした際、大半のモノを処分した。今、使っている食器類などはその際の難(?)から逃れたモノだ。そのなかに急須がある。急須といっても掌にかぶさる大きさの小さいモノだ。半年余り前から毎日、みそ汁とほうじ茶を飲んでいる。ほうじ茶は和食のお店で出されて以来、ハマってしまった。

 今朝の朝食後、ほうじ茶を飲もうとした際、いつものガラスのティーポットではない小さい土器の急須で飲んだ。この急須は12回も出かけた中国のどこかでお土産に買って帰ったモノだ。リフォームの際、処分しきれずに残した1つでもある。小さい急須だが1人で飲むにはちょうどいい。そしてこの形も気に入っている。

 ただ、これが中国から買って帰った、というのは急須の裏を見てわかる。が、中国のどこで買ったかは覚えていない。何度も出かけた中国だが、そこで買った大半のお土産は処分した。その中で手元に残したモノは自分自身が気に入ったものに違いない。他にも初めての中国の、それも蘇州で購入したシルクの刺繍のテーブルセンターなどがある。今から40年前のことなのに色褪せずにある。他には、と思って頭にひらめくものが端渓の硯。これは結構立派なものだ。そして墨もある。

 40年以上前、水墨画を習っていた。当時はまだ若く年老いて水墨画や書道をすればいい、との思いがあった。ところが老いるにつれて家でじっとせず、1人で旅など出かけるようになった。これじゃ、家でおとなしく書をさらう暇はない!?というか、これもいい面で当てが外れたのでこれはこれで良しとしよう。動けるうちはどんどん外に目を向ける、が、今の気持ちなのでこれはこれでいい!

 昨日、広島は梅雨入りした。雨の日は旅どころではない。また泳ぎにも行けそうにない。お天気を見計らって泳ぎに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

中國で買った小さい急須


急須の底に彫ってある中國宣興

 追記:投稿後、「中国で買った急須」で検索すると底に書いてある文字がわかった。それは「宣興中國」だ。検索では「中国で購入した急須(茶壷)は、中国美術品としての価値が高く、日本では『茶壷』と呼ばれ中国茶を淹れる際に用いられる壷のことです。中国では主に宣興紫砂壺は有名で中国茶を飲むのに適しているとされています。……」とある。

 他にも中国で買って帰った一番大事なものを忘れている。それは2回目の中国ツアーに1人で参加した際、友諠商店(当時の国営のお土産店)で中国の飲茶の丸テーブルと椅子4脚のセットを買った。が、これはその時の添乗員にあきれられた。何しろ何もわからず飛び付いて買ったはいいが我が家に着くまでに6か月の船旅で神戸の税関から買った価格の6倍もの税金を催促された。当時は父が健在で家に入れる前に大きな木枠に梱包されたテーブルと椅子を路上で解体して家に入れたことを思いだす。

 購入後、広島のそごうデパートで同じ品が中国で買った価格の15倍もしていた。これにも驚いたが。ともあれ、今も我が家にその5点が鎮座している。なお、このテーブルには飛天が舞う姿が彫ってある。これに懲りてそれ以降、外国に出かけても決して家具などの大きな品は買わなくなった。何も知らなかったから購入できた!?

2025年6月9日月曜日

我が家の紫陽花

 紫陽花の咲く季節になった。5,6年前、暑さのせいか2種類の紫陽花が枯れてしまった。翌年、隣のいとこにこれまでのとは異なる紫陽花をもらった。それを土地に挿すと根がついて花を咲かせるようになった。今年も見事に咲いている。
我が家の紫陽花
 月3度ほど土曜日に日本画教室に通っている。ところがこのところ他の用事に気を取られたのか日本画教室のブログをアップせずにいた。最近の教室は館内の珈琲の自販機が変わって教室でお湯を沸かしてインスタントの珈琲を入れている。これも楽しみ。描いている絵はうっそうと茂った中に鎮座する室生寺の五重塔を点描写している。なかなか思うようには描けないが気長にコツコツと細い筆先で点点々と描く。この絵も完成までは時間がかかりそうだ。

 絵具や他の道具もほとんど教室に置いたままだ。家で全く描こうという気がない。1枚の絵を完成させるには時間がかかる。やむを得ないことだ。

 今日は梅雨入り前の雨!?プールは晴れの予想の木曜日に変更!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月8日日曜日

コンビニでのチケット

 一昨日から昨日にかけてブログの閲覧数が増える。それは2017年11月に投稿した『私のヴァイオリン』だ。(なぜ?)と訝るうちにわかった。徹子の部屋にこの本の著者である前橋汀子が出演している。それを見た人がこの人について検索し、この本を取り上げたブログの閲覧数が増えたのだろう。

 前橋汀子のヴァイオリンコンサートは2,3度出かけている。先月は福山で開催されたがためらっているうちに終わってしまった。楽器の中で習ったフルートの演奏会は何度も出かけたがそれに次いでヴァイオリンのコンサートに出かけている。それくらいヴァイオリンは好きな楽器だ。そういえばフルートを習い始める際、フルートにするかヴァイオリンにするかかなり迷った。その結果、フルートに決めたがヴァイオリンにしなかった理由がある。それは自分自身の姿勢にある。それはまあ、ここでは省略。ということで今でもヴァイオリンは習いたい楽器だ。

 フルートでもヴァイオリンでもないが近いうちコンビニでピアノコンサートのチケットを購入する予定。先日の奈良行きでコンビニで奈良博のチケットを購入した。コンビニでのチケット購入操作は初めてのことだった。が、これはいい経験になった。

 梅雨入りが近いのか、さっぱりしないお天気だ。しばらくは遠出をしない日々となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月7日土曜日

一人旅のよさ

  半年余り前から歯科通いが続いている。その間、治療はすべてとも言えるほど歯石除去だ。その甲斐あってか、今回の奈良行きで食べられなかったものが食べられるようになった。これは今回の奈良行きで旅の楽しみもそうだが食べる楽しみをも感じた旅となった。

 動いていた歯も歯石除去と、いわれた通りの歯磨きで動かなくなったことにもよる。昨年末に歯科を変わる際はためらいがあった。が、今、歯科を変わって本当に良かったとつくづく思う。

 外へ遊びに出ようと思えば歯も大事だが足も大事だ。幸い、足は大丈夫。

 今回の奈良行きもあちこちでリュックを背負った一人旅の人と出会った。そして話の中で急遽、予定を変更して出かけたくなる箇所もあった。今回は予定ではなかった奈良博の「超国宝展」と聖林寺だ。桜井駅で出会った神戸の人は予定になかった談山神社を聖林寺の前に出かけた。逆に聖林寺は行かず談山神社だけを予定していたがその人の話と宿で知り合った人の話から出かけてよかった。一人旅の良さはこの辺りにもある!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月6日金曜日

「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その2

 「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その1から続く。

 夕飯を食べに行こうとエレベータを待っていると2人連れに出くわす。係に席を案内されて座り、生ビールで一人乾杯。後ろの席にいた2人連れもビールで乾杯している。2年前にも同じホテルに泊まった。その際は夕食は外で食べた。が、朝食が美味しかったことをおぼえていて、今回は夕食付で泊まった。次々と出てくる料理はどれもおいしく、また器もいい。ビールはチェックアウトの際、知ったことだが食事にアルコール類1品がついていた。

夕食の最初に出て来た
特に美味しかった白身魚とエビのカルビオーネ

夕食のお品書き
 夕食を終えると後ろの席の2人連れに座るように言われる。この2人はエレベータで会ったときから感じがよかった。先方もこちらをそう思ってくれたのかいろいろと話が弾む。年は1歳上と4歳上の人だった。やたらと話をしていると「よいしょ」される。2人のうち1人は富士市在住の曹洞宗のお寺の奥さんだった。そう聞いて、以前、スリランカの旅で知り合った曹洞宗のお坊さんの話をするとさらに興味をもたれる。翌朝の朝食の席は3人が同じ席に、と係に言われる。この人たちのお陰で楽しい旅となった。

 人からあまり褒められることがない人生を送ってきた。また、これまで人に流されて生きてきた、と思っていた。ところが長年美容師をされていた人からは自分が決めた人生を生きている、といわれる。そう聞いてそうかもしれないと思った。さらにはお金の使い方をいい方面に使っているとも言われる。それは旅行などの楽しいことに費やしているからかもしれない。翌朝の朝食は3人が同じ席でいただく。「旅は道連れ世は情け」とあるようにこの方たち以外にも今回の奈良行きはいい人たちと出会った。
 
朝食 これ以外にも料理が出て来た
 朝食時にこれから談山神社に行くと話すとその前に聖林寺の国宝十一面観音菩薩像を見るようにとすすめられる。2か所のお寺を見るのは、ましてやバスの便が少ない場所での2か所は考えてしまう。が、部屋に戻って考えるうち、聖林寺へ行こうと思いつく。先の2人連れは京都の博覧会を見に行くと言われた。ところが聖林寺の菩薩は国宝なので「奈良博」に展示されているかもしれない、とも言われる。

 聖林寺は談山神社の手前のバス停で降りる。桜井駅に着くと談山神社のバスが止まっている。バスで知り合った人(神戸の人)と話すと聖林寺(しょうりんじ)の後、安倍文殊院へ行くいう。談山神社へ行くと話すとその人も終点の談山神社バス停で下車した。帰りの時間は1時間後だ。

 数人が下車したが、なぜか談山神社までの道は深い森の中を歩く。苔むした雨上がりの山道を下ると滑りそうになる。滑らないように歩こうと思い、知り合った人に先に行くように話す。こんな山奥の道を皆、参拝するのだろうかと疑問に思いながらも歩を進める。まるで登山だ。一人では怖くて決して歩けそうにない。が、いつの間にか人よりも遅れて一人ゆっくり歩きだす。
談峯如意輪観音菩薩坐像

 談山神社に着いた。緑の青葉はすべてとも言えるほどもみじだ。緑のもみじもきれいだが秋になるとこれがすべて紅葉すると思うとまた来たくなる。談山神社の談峯如意輪観音菩薩坐像は6月1日から2か月間だけ公開されている。これを見られたのは幸いだった。

 参拝前、入館券を購入も、何ら境内のパンフがない。係に案内図を、というとはがき2枚大の白黒のコピーをくれた。これでは境内の参考にならない。足元の悪い雨降り後の境内を歩くが広い境内なので見落としがあった。それは世界唯一の木造十三重塔。又の機会に訪れよ、という知らせかもしれないと気を鎮める。

 山深い境内に人の姿はほぼない。1時間、観光するうちトイレがあり、さらに「出口200m」の標識が見える。ここでの観光を3時間予定していた。それは次のバスの便が1時間後か3時間後のためである。1時間では無理かと思った。ところがその標識を見てこの後、2時間もこの山奥で一人いるのは酷に思えた。が、バスの時間まで10分しかない。素早くトイレを済ませるとバス乗り場へ行こうとなった。

 が、あの山ぶかい道をまた戻るのか、さらには行けるのかが不安になる。とりあえず、お寺の出口までの200m先を目指す。が、バス停はまだこれよりだいぶ先だ。帰りは来た道とは違って歩きやすい道だ。時間は刻々と迫って来る。もうバスの時間に間に合いそうにない、と思いながらもわけのわからぬ道をひたすら歩く。が、バスは見えない。引き返したり往ったりするうちバスが見えた!嬉しかった!運転手さんはトイレに行ったのかその帰りのようだった。ああ、よかった。間に合った!

 バスに乗ると来たとき知り合った人が前席にいる。その人は聖林寺に行き、参拝後、歩いて安倍文殊院を目差すという。聖林寺までその人と一緒に行った。このお寺の観音堂には国宝の十一面観音菩薩像がある。幸い「奈良博」に出品されてなくて見ることが出来た。しかし、観音堂は新たに作られたらしく重々しいつくりで秘仏はガラス張りのケースに収まっていた。もちろん撮影はご法度。
聖林寺

聖林寺の苔むした像

聖林寺付近の公園(?)の丸太の椅子に座って休む

 それほど境内も広くなくここで2時間いるのはこれまた酷だ。かといって休む場所もない。仕方なく外に出ると茂った木陰に丸太の椅子が2個あった。ここに座って持参のツナサンドをお昼代わりに食べる。といってもまだバスの時間まで1時間以上もある。周りはのどかな田舎道だ。蝶々なども飛んでいる。少し先からは田植えの機械音が聞こえてくる。いろんな鳥の鳴き声もする。しばしこの丸太に腰かけた。

 バスの時間まで残り3,40分になった。が、帰り道に戸惑う。すぐに道が間違っていると気づいて引き返す。バス停に着いたはいいが日よけになる場所も座る場所もない。仕方なくバス停の標識の下のコンクリに座ってバスを待つ。そのうち人がやってきた。その人たちは安倍文殊院から歩いて聖林寺に行き、参拝したという。東京の人たちだった。
  
 今回の奈良行きはアクシデントこそなかったもののバスの便がよくない個所に出かけたのでその点では大変だった。以下は今回の行程。

 1日目 広島駅 8時56分発 みずほ600号→新大阪 10時21分着 10時41分発→久宝寺 11時13分着 11時21分発→JR奈良駅 11時48分着 「奈良博」チケットをコンビニで購入後、お昼を久宝寺駅ホームで知り合った香川の人と奈良駅で食べる→バスに乗車して「奈良博」へ→徒歩で近鉄奈良駅→バスで般若寺 観光後→バスでJR奈良駅→バスでホテル リガーレ春日野

 2日目 ホテル(佐保小学校)前 8時41分発→バスでJR奈良駅 8時56分着 9時8分 発→JR桜井駅 9時36分着→バスでJR桜井南口 9時45分発→バスで談山神社 10時11分着→談山神社観光 バスで11時17分発→7分乗車後 聖林寺着→聖林寺観光  13時32分発→バスでJR桜井駅 13時44分着 目の前のコンビニに気づき、乗り換え時間を利用して結び2個購入。遅いお昼を兼ねる→近鉄桜井駅 14時8分発→近鉄布施駅 14時43分着→近鉄布施駅  ここで乗り換えは4分しかない。ホームにいた若い人に行先を確認すると調べてくれた。大丈夫だ。列車が着くと手を振って見送ってくれた。優しい!14時47分発→近鉄河内永和 14時49分着→徒歩でJR河内永和へ 15時11分発→新大阪 15時33分着 新大阪駅構内で「月化粧」の抹茶入りをお土産に購入 新大阪駅待合室は溢れんばかりの人でごった返す。万博が終わるまでは関西周辺に行かない方がいいかもしれない→JR新大阪 16時44分発→広島駅 のぞみ39号乗車後18時2分着

 今回は出かける前の勉強不足で談山神社の木造十三重塔を見落とした。これは残念だったがまたの機会に行け!との知らせだと思って気にしないようにする。

 旅は道連れ世は情け、一人旅をするようになって来月で丸3年になる。この間、人の親切に触れることが多々あった。これから元気でいるためにも楽しい旅を続けよう!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月5日木曜日

「奈良博」と般若寺、談山神社そして聖林寺の奈良旅その1

 2025年6月3日(火)と4日(水)の2日間、奈良へ出かけた。出かける前は1日目は般若寺と元興寺、2日目は談山神社を予定した。ところが今回の旅も「旅は道連れ世は情け」を実感する。広島から新大阪までは新幹線乗車。その後は鶴橋経由を避けて新大阪→久宝寺、ここでおおさか東線に乗り換えて大和路急行で奈良駅まで行った。乗り換えの久宝寺のホームにいると一人旅らしき人に声をかけられる。香川の人で一人旅だという。話していると「奈良博」に行くという。

 この日は朝から雨だった。新幹線でふと頭をよぎる。雨の日の観光は大変だ。急遽、「奈良博」へ行こうと。しかし、特別展のチケットを買っていない。奈良駅で観光案内所を尋ねるとチケットはないがコンビニで売っているという。目の前にコンビニがあった。ホームで知り合った人は親切にコンビニまでついて来てくれ、マルチコピー機で奈良博のチケットをすぐに購入できた。結局その人とお昼を一緒に食べて奈良博まで出かけた。

 会場に着くと左の列はチケット購入者で長い列ができている。右の列はチケットがある人の会場への道だ。中に入ると狂うほど人がいる。この中を知り合った人と一緒に見るのは酷だと思い、その場で別行動をとる。なお、今回の奈良博は「奈良国立博物館開館130年記念特別展『超 国宝ー祈りのかがやきー』」。

 恥ずかしながら国立奈良博物館に入ったのは今回が初めて。眼がよくないのを自覚しているためか特別みたい物がなければ入ろうとはしなかった。ところが今回は雨が降る。雨降りの外での観光は足元も悪く怪我になる恐れがある。

 初めての奈良博、それも人でごった返す会場だったが、持参の単眼鏡で仏像などを見て歩く。辺りを見ると大半の人が双眼鏡などで見ていた。これは目が悪い良いに関係ないのかもしれない、と思った瞬間だった。

国立奈良博物館からみる雨降りの庭園

 単眼鏡で見ても説明書きまでを読んでいると夜が明けそうになる。そこまで読むのはあきらめてただ展示物を見て歩く。とにかく観覧客が多くて自由に歩けない。ミュージアムのグッズも買う人であふれていた。

般若寺の春コスモス

 博物館を出ると自分自身がどこにいるのかわからなくなる。人の動きに連られて雨の中を歩くと近鉄奈良駅に着いた。さて、と考えるうち般若寺へ行こうとなった。観光案内所でバス停を聞くも埒が明かない。2度もバス停を聴きに行った。その時、運よく般若寺の一つ手前バス停まで行く人がいた。その人に教えてもらってバスを待つ。

 般若寺のバス停に着いた。しかし辺りに誰もいない。少し歩くと人がいた。またも人に教えてもらって無事に般若寺到着。だが、雨は降り続く。広い駐車場に1人立っている。駐車場の案内をする人だ。その人がチケット売り場まで連れて行ってくれた。境内に入るも誰もいない。足元は雨でぬかるんで滑りそうになる。今回に限ってトレッキングシューズを履いていない。

般若寺境内

 般若寺はコスモス寺として有名だ。この時季、春コスモスが咲いているとガイド本にあった。春コスモス、と思って出かけたが確かに咲いていた。それほど広くはない境内だが一人でゆっくり見て歩く。あとから1人、観光客が来る。

 降り続く雨でまだ4時なのに辺りが暗く奈良駅までのバスの便も少ない。帰りのバス停まで歩こうとするとさっきの駐車場の係がバス停まで案内してくれた。そしてこの日がシルバーで働く初日だという。道理でやたらと親切に接してもらう。

 5時前にホテルに着いた。宿泊日を変更していたが大丈夫だった。夕飯を食べようと思ってエレベータに乗る。その時、2人組と出会う。

 この続きはまた後日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月2日月曜日

某文化交流学会総会出席

   某文化交流学会の総会に出席した。皆さんとは久々にお会いしたがお元気そうだ。が、会長は今回、体調不良とかで欠席。開会後、副会長のあいさつの後、決議が採決されて懇親会となる。アルコール類は飲み放題であったがお昼の会合とあってもっぱら話に花が咲く。会合の前に、奈良出身の方から近いうち出かける談山神社関連の書類をいただく。それには大織冠鎌足神社(だいしょくかんかまたりじんじゃ)とある。初めて聞く名前の神社で、あとでゆっくり読もう!いろいろと書類ありがとうございました!

 懇親会後に3人でゲートパーク広島を歩く。懇親会場を出るとなんと目の前はゲートパーク広島だ。ここは以前の広島市民球場跡地だが町のど真ん中を公園にしている。そこに立ち、ざっと見渡すと緑の木陰が広がる。そこをゆけばどこに?と聞くとエディオンスタジアムに続くそうだ。そのあたりだけを見ると他所の町に来た感じがして旅行気分に浸れる。もう一度出かけたい場所になった。

 その後、3人でカフェに入る。いろいろと話しているとうち1人が「ジャーナル」の話を始める。初めて聞くキーワードで興味をもって聞いた。スマホでできるブログらしい。家に帰ってそれを試みるもiPhone仕様のスマホでandroidではできなかった。残念!

 それではと「NOTE」 で試みる。以前にも試してみたが今回は画像の取り込みもやってみる。できた!しかし、それもいつの間にかわからなくなる。なぜ?といろいろ触っていると下書きの場所に保存があった。いつの日かパソコンのブログをNOTEに変えようと思っている。そうするまえに練習して上手くアップできるようになる!?

 今朝は10時に予約の歯科に行く。今回は痛みなどの不都合を診てもらう。いつもなら1時間の所、今朝は15分余りで終わった。歯は大事、とつくづく実感する。歯科を変わって半年余りになるがこの期間、歯に対するこれまでの不節制を感じたことはない。教えられたとおり歯を磨いているとだいぶ良くなっているようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年6月1日日曜日

『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)

  清々しい一日が始まる。近いうち奈良へ行くので気になるのはお天気のことばかり。幸い大雨にはならないようだ。遊びに行くには何よりも天気!?

 以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(下)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★万吉はこのところ、なにをするあてもなく裏縁の陽溜まりに端居して、なんのふぜいもないこの梅の木をながめている。きょうもそうだった。「おれの俄もおわったな」と思うことが、しきりだった。人の世は一場の即興芝居(にわか)のようなものだ、と思っている万吉は、思いがついそこに落ちつく。まだ二十代の若さで、終わったなどと諦めをきめこむのはどうかしているかもしれないが、どこからみてもそうとしか思われない。「人間、なにがむずかしいといっても、二つの時代に生きるほどむずかしいことはないと思うのだ。前時代には、存分に生きた。徳川時代には徳川時代なりのおもしろさがあった。諸制度が厳然と整備しているようで、そのくせ大きな隙間がある。たとえばこの人口六十万人の大坂で、行政と司法をつかさどる奉行所の役人は二百人内外である。(博奕もできたわな)と思うのだ。しかしこれらの時勢は、どうもそういうぐあには行けそうにないと万吉は想像するのである。……(博奕屋はやめよう)とも、いまは思っている。否々、やろうにもどうしようにも、賭場というものが新政府の厳命でぴたっと市中でなくなってしまったのである。……万吉はこの道をつづけて行きたい気持ちがおこらない。(312p-313p)

★「けったいなお人やな」といって、その磯野小右衛門が万吉の馬鹿浪費を忠告したことがある。相場はつねに儲かるものではなく一度暴落(がらく)がくればこの世に身を置けぬほどの借財を背負うことがある。そういう場合貯財がなければどうにもならぬ、というと、「首をくくって死んだらええやろ」と、万吉は相手にならなかった。どうせ人間の一生は一場の俄だと思っているこの男は、面白おかしく生きることしかあたまにないらしい。(460p-461p)

★五十を過ぎたこんにち、もう今日が最後やろ、と万吉はいうのである。軽口屋はその翌年に死んだ。「おまえの俄も済んだか、おれもじきに往くでえ」と万吉は軽口屋の危篤の枕頭でいったが、ところがこの男の体が頑健すぎているのか一向に衰えず、明治もおわり、大正のなかばになってやっと人並みに死を迎えた。九十に近かった。むろん、辞世も遺言もない。「ほなら、往てくるでえ」というのが、この男の最後の言葉だった。駅から汽車が出てゆくような、そんな陽気さだった。(492p)

2025年5月31日土曜日

歯科通い

 昨年末から通い続けている歯科クリニック。昨日はなんと2時間も歯科にお世話になった。この半年、歯石除去で通っている。それが先月でほぼ終わり、昨日、その結果により次の段階に進む。前回そう聞いて恐る恐る歯科へ出かけた。午前11時の予約でいろいろと検査などすると1時間が経過した。それから歯科医師によってあれこれとはじまる。医師曰く「この後、何か予定はありますか?」と。何もないと話すとその後1時間かけて歯の様子をみてもらう。何やかやされて週明け早々また診てくれるとのこと。

 歯科へ行く前に案じていたことは無に終わった。年を取ってだいぶ先を心配しなくなった、と思ったがいざ何かあると気にするところがある。気にすることが強ければ強いほどその結果は何事もなくあっけなく終わる。この年まで生きて来て経験済みなのに根本的なところでこの性格は何も変わっていない。改めてそう気づかされる。

 この歯科に変わって最初の日、半年か1年くらい通うようになる、と歯科医に言われた。まさにその言葉通り半年が経過してやっと光が見えてきた。いい医者を選ばないといけない、といろんな人から言われたがほんとうにそう実感する。

 今日もすがすがしい一日となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月30日金曜日

『俄ー浪華遊侠伝ー』(上)

  2018年12月、大連に出かけ、そのときの参加者の話で目覚めた司馬遼太郎の本。あれから早いもので丸6年半が過ぎ去ろうとしている。『坂の上の雲』を読み始めてから自分のライフワークとして司馬遼太郎の全作品を読もうと思った。そう決心して以来、ほぼ毎日のように司馬作品を読んでいる。それまではエッセイ本を読んでいた。が、司馬遼太郎の作品を読み始めるとエッセイ本を図書館で借りて読むも以前ほどの感動がない。小説とエッセイを比べるのは野暮かもしれない。が、それにしても……と思えてくる。

 司馬作品をすべて読み終えるまで自分の命が続きますようにと願って(?)、というかその思いが強いのでまだまだ元気でいなくてはいけない。いくら年齢を重ねても新たなことにハマるもの、との思いを巡らす。

 以下は『俄ー浪華遊侠伝ー』(上)(司馬遼太郎 講談社、2007年第1刷)から気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★年の瀬や 水の流れと人の身は という江戸の俳人其角の句が、そのころ大阪で大いにもてはやされ、「俄(にわか)」などの芸人がよくサワリについた。左様、この俄。ニワカとよむ。二輪加(にわか)と書いたりする。路上などでやる即興喜劇のことだ。この小説にそういう奇妙な題名をつけたのは、この小説の主人公が晩年、小林佐左兵衛と名乗って日本一の侠客、といわれるようになったころ、自分の一生をふりかえって、「わが一生は、一場の俄のようなものだ」といった言葉からとっている。読者はこの男のやることなすことに、一場一席の「俄」を感じてもらえれば。筆者の主題は大いにつらぬき通せることになる。(9p-10p)

★庵寺とは尼の寺である。比丘尼(びくに)(尼)というものはふつう、比丘(男僧)とちがって寺領や檀家のある寺に住みにくい。たいていは庵を建てて信徒で食ってゆく。この家はそういう町尼が、建てたのであろう。(118p)

★万吉はいう。「知己の恩というものがある」むずかしい漢語をつかった。なにしろ遊侠の徒ながらへたな漢語もつくれるという能力はある。一柳藩も、万吉の市井の勢力にあわせてそういう教養を勘考したければこそ、こうして頼みにきたのであろう。「士はおのれを知る者のために死す、ということがごわります。この言葉一つでわたいは生きてきたし、この先も生きてゆく。お請けしたい」「ご承知くださるか」「四日、待ってくだはりまするか。四日目にお蔵屋敷に出むいて確(しか)としたご返事をつかまつります。お受けする以上、明石屋万吉の命は一柳様の御自由におなしくだはれ」そう返事して、その日の夕方の船で。天満八軒家の川港から、京へのぼった。新選組を訪ねるためである。(331p)

2025年5月29日木曜日

記憶媒体(?)は紙のノート1冊

 ノート一冊をメモ帳というか雑記帳として記している。それにはパソコンやタブレット、そしてスマホなどのIDやパスワードなどがある。また余計なことも記す。それは固定電話にかかる迷惑電話番号などがある。迷惑に登録できる件数は無限ではない。しかし、かかってくる電話は増えるばかりだ。そのためノートに迷惑電話対策にした番号を記し、登録がいっぱいになれば古い番号を削除している。このほかにも歌詞をおぼえるために記したりと我がアナログ的記憶媒体(?)としてこのノートをつかっている。

 ところが紙のノートであるため、いつか、ちゃんと大事な事だけをまとめたいと思っていた。昨日、新たなノートにこれまでのノートから大事な箇所だけを記す。そしてついでというわけではないがいつ何が起こっても慌てないように記しておきたいことも書いた。それは特に自分がいなくなった後の引き落としやスマホなどの解約などである。ちょっとしたことだが気になっていたことを書き終えて気分がすっきりする。

 それが終わって近いうち出かける予定の奈良の旅を改めて確認する。初日に般若寺を観光してそこから歩いて10分先の五劫院(ごこういん)へ行こうと思った。が、ガイド本を見ると予約がいるとか。般若寺は宿から近いのでもう1カ所、と思って本を見ていると元興寺にハルシャギク、桔梗など初夏の花が咲いている、とある。ハルシャギクは初めて聞く花だ。ましてや桔梗は好きな花なのでこのお寺へ行こうとなった。2年前、人と連れ立って出かけた際、ならまちを歩いたが元興寺へは入らなかったのでちょうどいい。

 話は変わって明日から1週間、地元の図書館が整理月間に入り休館となる。歩いて3,4分先にある図書館は便利なので何かと利用している。それが1週間、休みになるだけでなんだか淋しい。今日はこれから本を借りに行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月28日水曜日

蹴伸び

 ここ2,3日、清々しい日が続く。昨日午後は予定通りプールで泳ぐ。今年3月,プールのリニューアルが終わって気持ち良くなった。が、1点、不満がある。それは新たに塗られたプール内のペンキのため、中に入るとやたらと滑りやすくなった。最初のころ、「滑る!」と係に聞こえるように言った。その次に行くと中に入るスロープに何やら滑り止めが敷かれている。

 昨日、浅い方で泳いでいると親子連れが泳ぎだす。コースを変わって泳ぎだすと蹴伸びで泳げない。その時、係が目の前に来た。壁に滑って蹴伸びができない旨、話すと「ペンキを塗って……」、と滑りやすくなったという。そして「壁に近づいて蹴伸びすれば」、と言われる。そう聞いても壁に近づくが滑りそうでうまくできない。リニューアル前までは蹴伸びでスタートすれば6,7m先まで一気に進めた。が、蹴伸びができないとリカバリーが増えるばかりだ。ぶつぶつ言っても仕方がないのですべるのを覚悟で蹴伸びする。このあたりが元来の運動神経の鈍さを物語る。

 しかし、背泳ぎだと体が上に向いているためか蹴伸びができる。クロールでの蹴伸びも考えよう。ということで昨日も500mをほぼ背泳ぎで泳いだ。  

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう

2025年5月27日火曜日

ネットでの旅行予約から

 先日、「鈴懸の径」のメロディーをネットで調べて五線譜に手書きした。フルートで吹くと初見で吹ける。しかし、この楽譜にはイントロ(前奏)がない。YOU TUBEで聞くとイントロの音が拾えそうだ。ネットで他の楽譜を探すと著作権の関係なのか全体の表示がなく一部を隠している。曲を聞いて、また、全体表示のない画面をみながら音を拾うと前奏の楽譜が書けた。これをフルートで吹くと少しは曲らしくなる。

 とはいってもあまりにも簡単すぎてChopinのノクターンほどの吹き甲斐がない。ということでショパンの曲の合間に鈴懸の径などを吹こう。

 一昨日夜、日帰りツアーから帰宅後にツアー中に配られたパンフを眺める。一か所、泊りのツアーだが参加する気になる。ネットで予約するもクレジット決済でミスり、途中からやり直しとなった。これだけのことでケチがついたとの思いから参加はやめよう、となる。しかし予約確保のメールが入る。これをキャンセルしたいがその画面からできない。何でもすぐにやらないと気が済まない性格だ。が、この日は日曜日とあって旅行社は休みだ。予約確保のメールを見るとその翌日からキャンセル料が発生する。いろいろ考えて旅行予約のキャンセルをメールで送信する。昨日、そのメールが届いたらしく予約キャンセルはOKだった。

 自分の気持ちに正直に行動しようと思えば大変なこともある。が、ひらめくことに忠実であれば人生の後悔はない!?その思いがある。

 すがすがしい一日になりそうだ。午後から泳ぎに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月26日月曜日

福山のバラ鑑賞と平櫛田中美術館の日帰りバスツアー

 「世界のバラ会議開催地 福山でバラを鑑賞&鏡獅子20年ぶりの里帰り平櫛田中美術館特別展」と銘打った日帰りバスツアーに参加した。ツアーへの参加は出かける何日か前と遅かったため、バスの席は後部席を覚悟した。出かけた日が日曜日のためか集合場所である広島駅新幹線口のペデストリアンデッキは沢山のツアーや人でごった返している。添乗員を見つけると席は前から6番目という。満席を予想して出かけたが参加人員は半数にも満たない20名だった。旅の参加人員が少ないのもいい旅らしくバスも後部座席ではなかった。

 バラ会議の会場は緑町公園、花園公園、ばら公園の3か所があり、ここをガイドの説明を聞きながら2時間かけて歩く。出かける前は1か所を想像していた。が、3か所とはいってもそれらは隣接しており1か所のようなものだ。

 美しいバラであってもただそれだけを見て歩くのは物足りない。隣の場所では樹木の中にバラが植えてある。これだと自然に生えているバラに思えて見るものを飽きさせない。3か所目はイングリッシュガーデンを思わせてくれる。

 広島⇔福山までの高速バスは上りの福山SAと下りの福山SA のそれぞれをバラ園にしている。世界バラ会議の会場は公の施設が管理しているがSAはすべて公とは言えないらしい。それでも福山をバラで盛り上げようとの意識は強かった。

 出かける前日まで、世界バラ会議が開催された。その余韻なのか一夜明けた昨日のバラ公園のいたるところでバラの美しさを大事にする気持ちが感じられる。




咲き誇った薔薇のまわりの蕾がかわいい


 ガイドは沢山あるバラの品種を話したが聞く側としてはそれらのバラの名を覚えきれない。大半のバラの名は和名ではなくカタカナ表記に思われる。
 バラ公園のバラを楽しんだ後、バスはお昼の食事会場へ移動する。食事後は広島県と岡山県の境に位置する井原市にある井原市立平櫛田中美術館で東京から里帰り中の「鏡獅子」を見学する。この美術館へはいまから30年くらい前に個人で出かけて鏡獅子を見ている。が、纏っている衣装までが彫ってあると知って驚く。以前訪れたとはいっても出かけたことは覚えているがその他のことは忘れている。美術館3階から見下ろすとすぐ目の前に庭園がある。フリータイムにこの庭園を歩く。広島の縮景園よりも小ぶりだよく整備されたいい庭園だった。

 自然な場所に身を置くのが好きなので館内をめぐるよりも庭園巡りで生き返る!?というか一人旅の癖がつくと「何でも見てやろう」ではないが変にどん欲になる。もらったパンフによるとこの庭園は「田中苑」と名がある。道理で「鏡獅子」の像もあの彫刻とは別に園内にもあった。パンフによると平櫛田中は子供のころ養子に出されて平櫛となり、田中(でんちゅう)は元の姓が田中(たなか)から筆名になったようだ。
 
井原市立平櫛田中美術館
田中苑の鏡獅子の像
 昨日は曇り空で幾分涼しかった。が、外に出かけるにはこれくらいがちょうどいい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月24日土曜日

鈴懸の径

 数か月前から「山の煙」と「あざみの歌」の歌詞をおぼえて3番まで歌えるようになった。この頃ひらめくメロディーは「鈴懸の径」。先の2曲もこの曲もメロディは浮かぶが歌詞があいまいだった。鈴懸の径は1番しか歌詞がないのですぐに覚える。この頃のはやり歌はテレビの歌番組を見なくなって、また、たとえテレビを見ても覚える気がなくなった。それよりも自分が生まれる前か、その前後ころのゆったりしたメロディに惹かれる。昨日はこれが昂じて「鈴懸の径」の楽譜をネットで探した。

 戦前戦後の昭和歌謡はクラシックの作曲家とは違って著作切れではない。以前、ショパンの曲をネットで探すと著作切れの無料楽譜があった。昨日、著作切れではないが無料で掲載の楽譜を見つける。しかしこれは印刷不可能なので五線譜に手書きした。久々にフルートで使っていた音楽ノートを取り出して手書きする。ただ、この手書きはメロディだけなので前奏も転調もなく少し味気ない気がする。が、この曲のメロディだけを吹くにはこれで間に合う!?

 五線譜に書き写した後、フルートで吹いてみる。なかなか哀愁というか味わいのあるいい曲だ。しばらくはこの曲を暗譜で吹けるように練習しよう。とはいってもクラシックの曲と違って初見で吹けるので暗譜も簡単だ。それよりもどれくらい気持ちよく吹けるかが大事かもしれない。

 どんな曲もそうだが「鈴懸の径 フルート演奏」で検索すると動画のアップがあった。これを聞くとやはりフルートの音色は落ち着く。さすがにフルート曲をYOU TUBEにアップしている神田勇哉の動画は見当たらない。が、この人はクラシックの教則本の曲をアップしているので昭和歌謡のアップはしないだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月23日金曜日

遊ぶ予定?

 ここ数日、雨の日や蒸し暑い日が続いた。が、今朝はこれぞ初夏、を思わせる清々しい一日がはじまる。近いうち日帰りバスツアーの参加と奈良への一人旅を予定している。日帰りツアーは連れて行ってもらう、があてはまるので何ら用意はしない。ところが一人旅はあらかじめ準備などに気を遣う。ましてや次に出かける奈良の宿は予約直後に宿泊日を変更した。先ほど気になって電話で宿泊日を確認する。大丈夫だった。

 旅に出かける日は今朝のようなお天気が最高。出かける何日か前からしきりに天気予報を見てしまう。日帰りツアーはお天気もよさそうだが、奈良の旅は時々雨が降るようだ。行く前からあれこれ思っても仕方がない。が、外に出る日は雨でない方がいい。これも自然現象でどうすることはもできない。

 来月初めの奈良行きまでは旅の予定を入れているがその先は未定のままだ。梅雨時季やそれが終わると猛暑日が予想される。それが旅の予定を難しくする。とまあ、いろいろと先を思ってもどうにもならない。その時が来れば何とかなる!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月22日木曜日

橋本光博の個展を見る

 某信用金庫八丁堀店ギャラリーで開催中の橋本光博の日本画展を見に行く。4月に同場所で開催された日本画展を見た際、この人の個展があるとポスターで知る。どんな絵を描くのか、と思ってネットで調べると自分好みの絵だった。昨日、会場に着くと知床などの風景画が目に入る。あちこちを旅行して絵を描かれている。どの絵を見ても旅情を誘われる。数年前に出かけた知床も絵を見て思いだす。

 会場を後にすると紙屋町のエディオンまで歩く。蒸し暑い一日だった。が、スマホのガラスフィルムにひびが入り、それを買いに行く。暑さのため紙屋町の地下街シャレオをぬける。エディオンに着いた。何か月か前にもガラスフィルムを買っている。なぜか壊れてしまうフィルムだが売り場をおぼえていたはずなのに間違えていた。2階ではなく3階だ。目指す商品はすぐに見つかった。しかし、上の方にかけてあり手が届かない。係はいないし、と思っていると人が通りかかった。見ず知らずの人なのにそれを取ってもらう。今回はdポイントで支払った。

 スマホに機種変更後、dポイントがすぐにたまる。それはJRのチケットや宿の代金など大丈夫そうな場所でdカード決済するためだ。エディオンを出るとバスセンターからバスに乗って広島駅まで帰る。駅前の福屋に入り、軽くお昼を済ませる。そしていよいよ新駅ビルのミナモアへ。今回で2度目だが前回は西館2階を歩いただけだ。今回は東館の方に行く。エスカレータで上るが、階ごと降りてみる。何の目的もなく歩いていると上下の部屋着が目に付き購入する。

 全部を見たわけではないがデパートの価格帯と比べて手が届く範囲に思えた。スポーツシューズなど家の近くに売ってないものもわざわざ八丁堀まで行かなくても広島駅で間に合う。これが嬉しい。

 昨日はエスカレータで上がったので屋上までたどり着けなかった。次回は屋上へ行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月21日水曜日

さつまいもあれこれ

 動画で見たふかし芋に刺激されてさつまいもを買うようになった。近くのスーパーで売っているさつまいもは鳴門金時、紅はるかとシルクスイーツなどがある。これらは産地が違うだけでさつまいもとしてはそれほど差がないと思った。いつも買うのはシルクスーツ。先日、鳴門金時を買ってふかし芋にするとシルクスーツとは食感が異なる。ネットで調べるとさつまいもはホクホク系、しっとり系、そしてねっとり系があった。

 初めに食べたシルクスイーツはしっとり系らしく、ふかし芋にすると甘くて確かにしっとりしている。次に食べた鳴門金時は蒸かすとホクホク感がある。紅はるかもしっとり系のようだ。

 近所のスーパーは九州に本部がある。そのためか野菜や果物などは九州産が多い。生協で売られていないこともあるさつまいもだがスーパでは売っている。さつまいもの4割は鹿児島産とか。鹿児島は薩摩の国、当然かもしれない。

 2,3日前から蒸し暑くなった。布団類も夏用に変えたが今朝の蒸し暑さは異常だ。扇風機は使いだしたがエアコンはまだ使っていない。この様子だと今年の梅雨入りは早い!?

 これから街中に出て某金庫の日本画を見る予定。そのついでに新たになった駅ビルのミナモアによって見る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月20日火曜日

プールへGO!

 プールの受付で鍵を受け取ろうとするといつものロッカーは使用中で他のロッカーにした。こういうことはめずらしいので泳ぐ人が多い?と思った。更衣室に入ると誰もいない。が、途中から2人が更衣室に入ってきて水着の試着をし始めた。プールに入るとドアの外に水着を売る業者と監視員が何人かいる。以前、ここで水着を買った。その業者が斡旋しているのかもしれない。

 昨日も500m泳いだ。そのうち1往復(50m)だけクロールで泳ぎ、その他は背泳ぎだ。背泳ぎとクロールではリカバリーの回数が大いに異なる。クロールだと背泳ぎの半分のリカバリーで済む。しかし、リカバリーの回数がクロールの方が少なくても体が上向きと水に浸かったままとでは疲れ具合に格段の差がある。背泳ぎは天井を見つめながら何も考えず水に浮いていればいい。しかしクロールは体全てが水に浸かって優雅な気持ちとは程遠い。とはいっても最近はクロールで泳ぐ癖をつけているのでだいぶ楽に泳げるようになった。

 浅い方から泳ぐ人が少なくなったプールに移動して泳いでいると見知らぬおっさんに声をかけられる。「だれ?」と思って訝る。人間違いなのかどうか知らないが変なおっさんだった。こういう時は無視するに限る。

 話は変わって来月初めに出かける奈良までの行程を考えている。いつも鶴橋で迷うのでそこを通らずに行く便を思いつく。奈良に行き始めたころは鶴橋を通らず新大阪からおおさか東線で奈良まで行った。新大阪から奈良までの路線をパンフ「祈りの回廊」でみると新大阪から久宝寺でおおさか東線に乗り換えて奈良まで行く便がある。この方法が乗り換えも少なく迷わずに奈良まで行かれる。そして久宝寺までが大阪市内になる。おとなびの切符は大阪市内まで有効だ。久宝寺から奈良までは510円なので広島から奈良まで行くとしてもほぼ新大阪までの運賃に思える。

 梅雨入りも近いのか蒸し暑くなる。いくら近い国内の旅であっても雨の日は避けたい。かといって梅雨があければ暑くなる。これも昨年のあの暑さには参ったのでなるべく暑い日は避けたい。そう思うと遊びに行かれる日も限られてくる。せいぜい気候がいいうちに遊びに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月19日月曜日

佐賀平野の麦畑

 母の月命日の昨日、お墓に参る。昨日は最高気温27度。その上に湿度も高く蒸し暑かった。今朝は昨日と違って初夏らしい清々しい朝だ。砂利を敷いた墓地内に草が生えている。これを抜きにお墓参りをするかのような気持ちになる。持参した濡れたタオルで墓石を拭いていると何段かになっている墓石と墓石の隙間から1本草が出ている。これに驚く。コンクリートから草が出ているのはよく見かける。しかし、墓石と墓石のそれも上の方の墓石との間から根性草が生えている。これまでこういったことはなかった。墓地のどこにでも土はあるのに寄りによって墓石との間にまで草が生えるとは?草も生きねばならぬ!?

 先日の佐賀の旅で一面に広がる麦畑に感動した。先ほど「佐賀平野に植えてある麦の種類?」で検索すると小麦と大麦が植えられており、そのなかでも二条大麦の生産量は全国1位を誇りビールや焼酎の原料として利用されている、とある。また大麦には二条大麦と六条大麦があり二条大麦がビールや焼酎の原料となるようだ。さらに小麦は普通小麦とパン・中華めん用小麦があり、パンやうどんなどに利用されている。

車窓から見えるのは一面麦畑

 佐賀平野は二毛作の代表的な地域で麦の収穫後には稲作へと移行するそうだ。そして大麦は5月下旬から6月上旬に収穫され、小麦は6月下旬から7月上旬に収穫される。

 5月中旬に佐賀に出かけたので麦の穂も黄色かった。この黄色に色づく季節を指して麦秋というとか。

 佐賀に住んでいる人はこの麦畑を見て感動しないかもしれない。が、生まれて初めて九州新幹線の新鳥栖までの車窓からこの光景を見たときは本当に感動した。また、新鳥栖駅から吉野ケ里遺跡歴史公園駅や佐賀駅までの車窓からも一面に麦畑が広がる。さらには吉野ケ里公園に行くまでの道中も麦畑が一面に広がる。麦畑を見るだけでも佐賀に行く価値がありそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月18日日曜日

5月のギャラリー

 日本画教室に出かける。先生の机を見ると絵はがきがある。これを皆に配るようにとのことでそれを見ると橋本光博の個展の案内状だった。4月に某金庫のギャラリーで見たポスターは5月に開催の橋本光博の個展案内だった。ポスターを見て見に行きたいと思った。が、いつから始まるのかを忘れていた。昨日、その展覧会の案内ハガキを見て「よかった!この人の絵を見たかった!」と先生に話す。何とその人は習っている先生と絵の仲間だった。

 絵でも音楽でもそのすべてのジャンルを理解することはできない。そのうちのある部分に惹かれて絵を見たり音楽を聴いたりする。習っている日本画であれば、今は風景画が好みだ。橋本光博の絵は風景画が多い。

 この頃は八丁堀などの街中へは月に1度くらいしか出てない。来週の半ばに街中に出てこの人の絵を見よう!その時、新たな駅ビルのミナモアにも立ち寄る!?

 昨日から先週、転写したF6のパネルに彩色している。この絵も点描写する。先日先生にそれ用の筆を買ってきてあげると言われていた。その話をするといつの間に絵筆入れに入れてくださったのかそれから取り出して「これ!」と示される。次週から先生にもらったこの筆で点描写しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月17日土曜日

佐賀の旅その3

 佐賀の旅その2から続く。

 2日目 2025年5月14日(水)佐嘉神社⇒佐賀県立博物館&佐賀県立美術館

 9時過ぎ、グランデ葉隠を出て佐賀駅バスセンターまで歩く。ここで一日乗り放題切符(350円)を購入。佐賀市内バスは1区間が160円。ちなみに広島では240円。ここから博物館行きのバスに乗ろうとするもいい便がないので佐嘉神社行きに乗る。出かける前に佐賀のWEB上の観光コース(徒歩篇)を見ていた。移動する箇所はおおよそ徒歩10分や5分とある。慣れた場所での5分は近いが初めての場所では思うようにならない。博物館行きもそう感じた。結果、佐嘉神社参拝後にバス停で知り合った親娘が博物館まで10分くらいはあるはずなのに連れて行ってくれた。親切な親娘だ。親切といえば広島から新鳥栖駅まで新幹線が隣席だった人も優しかった。いつどこに出かけても旅の道連れができる。そして今回は先日、投稿したように佐賀県立美術館で某会の人とバッタリ出くわす。この人とほぼ一日旅を共にした。
佐嘉神社
 県立美術館では18日まで「写実絵画の精鋭」展が開催されている。ばったり出会った人は出会ったこの日だけスケジュールが空いていたそうだ。それにしても不思議なご縁を感じる。そういえばこの人とは先週の日本画教室に行く途中でもバッタリ出会っている。
 
 始めの予定ではこの日、博物館見学後は大隈重信記念館と佐賀市立歴史民俗館を予定していた。そして美術館は雨が降れば屋内で絵を見ようとの考えだった。それが何の拍子か博物館を見学後、美術館で絵を見ようと思いつく。これが偶然人と出くわすことになろうとは本当に驚き。

 写実画は森本草介、野田弘志、小尾修、島村信之の4人の絵が大半だった。特に風景を描いた森本草介や広島とも縁のある野田弘志の絵は繊細なタッチで見るものを感動させる。

 偶然出会った人と館内のレストランでお昼を食べる。時間はあっという間に過ぎてゆく。新鳥栖駅発⇒広島行きの新幹線チケットは1便違いで新鳥栖駅ホームで別れる。次はあと半月後に某会の総会で会う予定で佐賀の旅が話題になる!?

 楽しい旅は終わった。次の旅は来月初めに奈良へ行く。元気なうちはどんどん遊びに行こう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年5月16日金曜日

佐賀の旅その2

  2025年5月13日(火)と14日(水)の2日間、佐賀に出かけた。広島駅を9時半発のさくら545号に乗車し新鳥栖駅に10時50分に到着。ここから在来線のJR長崎本線10時57分発に乗り換えて11時8分、吉野ケ里歴史公園駅で下車する。

 1日目 2025年5月13日(火)吉野ケ里遺跡歴史公園

 吉野ケ里歴史公園駅はしゃれた駅で車両もしゃれていた。広島では見られない円形の手すりがついていた。

しゃれた吉野ケ里歴史公園駅

初めて見た円形の手すり
 吉野ケ里歴史公園駅から徒歩で15分くらい行くと吉野ケ里遺跡歴史公園に着く。道中、辺りを見渡すと一面麦畑が広がる。麦の種類によって麦畑の色も違うとか。また公園までの道に見える家はどの家も立派だ。これらの大きな家は吉野ケ里御殿というそうだ。遺跡発掘で元の住民は土地を離れる。その際の莫大な収入が御殿を生んだのかもしれない。これは公園内の係から聞いて知った。

吉野ケ里歴史公園駅から吉野ヶ里公園に続く道

途中、辺り一面麦畑が広がる

 吉野ケ里遺跡公園東口ゲートに着いた。が、道中、観光客らしき人は2,3人くらいしか出会わなかった。まずはリュックをロッカーに入れて歩き出す。入場券はシニア200円でその確認はない。決して若くは見えない顔を見て判断された!?広い公園に入るとどこをどう歩けばよいかさっぱりわからない。東京ドーム25個分の広さがあるらしく園内のマップを手にして歩を進める。園内は無料バスが通っている。係からそのバスで3番地点まで行き、そこから観光しながら歩いて下るとよいと教えてもらう。

 3番地点で下車するも北墳丘墓はさてどこ?と迷う。ふと見ると標識板がある。これを頼りに歩くと建物が見えた。この中に北墳丘墓がある。中に入ると西安で見た兵馬俑に似た作りになっている。といっても兵馬俑はこの何倍も大きい。北墳丘墓の展示物はすべて実物と館内の映像で知った。

 北墳丘墓には約2100年前の歴代の王などが埋葬された特別な墓のようだ。墳丘の中からは14基の甕棺が出土し青銅の剣などが副葬されていた。
北墳丘墓入り口
 
北墳丘墓 展示物はすべて実物
 北墳丘墓から中のムラをぬけて北内郭に向かう。向かうといってもとにかく広すぎる。北内郭に着くと昔の服装と麦わら帽子をかぶった係がおられた。その人曰く「北内郭」と「南内郭」は是非とも行くように、と。そして北内郭の3階に上がると祭事の様子が人形で模してあった。
中のムラ

緑豊かな公園内を地図を片手に歩いて移動する

北内郭 吉野ケ里遺跡の中でもっとも神聖な場所
祭事の様子を模している

ヒメアザミ
 広い緑豊かな園内を歩くといろんな花が咲いていた。スマホで植物名を調べるとヒメアザミやヒメスイバなども咲いている。遺跡もいいがこういった広々としたところが好きだ。係の人曰く、秋もまたいいですよ、と。
南内郭
 以前、遺跡発掘が承認されたのち、今の上皇后夫妻は南内郭を訪れた。当時は南内郭だけが整備されていたそうだ。今、南内郭の一部は工事真っ最中。
南内郭の広場 一番奥の建物は工事真っ最中

南内郭の物見櫓と王たちの家 
物見櫓に上がると吉野ケ里が見渡せた
 南内郭を観光後、展示室に入る。ここで一休も兼ねる。さらに進んで歴史公園センターの出口をぬけてレストランに入る。この日のお昼は係の許可をとって持参したツナサンドを北内郭のベンチに座って食べた。が、午後3時過ぎともなるとお腹もすいてくる。レストランのカフェで「吉野ケ里はちみつで食べるパンケーキ(コーヒー付き)」をいただいて一休みする。これは950円。カフェからは公園に入る一帯が目に入る。
吉野ケ里遺跡公園東口出口のゲート 
白い屋根の下はレストランやお土産店などがある

車窓から見えるのは一面麦畑
 この日の気温は27度と暑かった。吉野ケ里歴公園駅まで戻りJR長崎本線に乗って佐賀駅まで乗車。今夜の宿はグランデ葉隠。佐賀駅に着くと翌日の観光案内のパンフをもらいに観光案内所に入る。親切な人で広島のエディオンスタジアムまでサッカーを見に行ったという。

 宿のグランデ葉隠の由来は佐嘉の鍋島藩と関係があるようだ。今回のホテルも感じがよかった。夕飯はホテルでいただく。いつものごとく生ビールで一人乾杯!今回もコース料理でどれも美味しくいただく。この日の万歩計は11769歩。

 この続きはまた後日!
道中の道案内
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!