2025年12月5日金曜日

一人旅に慣れた一年

  10月中旬にウインドウズ10のサポートが終了した。しかし、そのままの状態で使い続けている。が、今のところウイルスがどうじゃこうじゃと言ったことは起きていない。セキュリティは2027年まで契約しているので毎月の月次レポートは届く。昨日も届いて、デバイスのウイルスの検出はないとの報告がある。一安心だ。

 話は変わって奈良へ行くたび、エスカレータの右乘りに戸惑う。地元の駅では左乘りに矢印がある。しかし、関西は右乘りのようだ。これも郷に入っては郷に従え!?たいしたことではないがそれでも習慣として左乘りしていると一人だけ右乘りはやはり変かもしれない。これも場所場所で臨機応変にするしかなさそうだ。

 暇さえあれば次は何処へ行こう?と思っている。奈良のガイドブックにおすすめのスポット59箇所を紹介している。修学旅行や若いときに出かけたところはいわゆる著名な神社仏閣が多い。今は公共機関を利用しての一人旅だ。行くとしても最寄り駅やバス停からせいぜい15分くらい歩く場所に限られる。他所と比べたことはないが奈良は割と公共機関で行かれるようになっている。そうでないところ、たとえば桜や紅葉の時季は臨時バスが出ているようだ。この点は便利でいい。

 今、中国との関係が取りざたされて京都などへの外国からの旅行客が少なくなっているかもしれない。これ幸いとばかりに京都へ行く!?これもアリかもと思ったりする。もみじは永観堂、さくらは醍醐の桜といわれるように醍醐寺がいいらしい。桜の季節は人で込み合うかもしれない。その時季を外して醍醐寺に行く!?考えよう。

 とはいえ今年の年の瀬も押しせまりつつある。近いうち出かける予定のもみじの永観堂だが、その帰りに神戸で降りて大ゴッホ展を見る。今年の旅はこれで終わりそうだ。

 1年の総括はまだ早い。が、一人旅に慣れた一年だったようだ。昨日、大手旅行社から旅のカタログが届く。海外旅行は以前に出かけた頃と比べて旅費は倍以上する。国内は、といえば20万、30万円以上もする旅もある。その点、個人での旅はささやかなものだ。今の生活リズムを維持して元気で楽しい旅を続けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年12月4日木曜日

お歳暮コーナーで

 今朝の地元紙によると県北では初雪が降り、市内でも初雪観測とある。昨夜、雨が降った。その際、所によっては雪が降ったのかもしれない。今朝はよく晴れて日差しもある。

 近いうち京都の永観堂へ紅葉を見に行く。テレビ欄を見るとBS11で京都の紅葉を2時間にわたって生放送とある。そのなかに永観堂もある。YOU TUBEなどで永観堂を見ていた。が、生中継に惹かれて久々にテレビを見る。ところがいつまでたっても永観堂に至らない。結果、番組の終了まじかで放映された。境内は広いようだが池の周りを歩けばいい、と住職は話す。まだ紅葉は大丈夫のようだ。紅葉の永観堂と言われるほど紅葉で有名らしい。そのことは知っていたのでピーク時を避け、わざと時季をずらして出かけることにした。

 昨日と言えばほかにも欠礼ハガキが届いた人へお供えを送るために駅前のデパートへ出かけた。先日はすぐに応対して貰えたが、昨日は開店から1時間経過していたこともあり30分待ちだった。実際はもっと待った気がする。混雑の原因はいわゆるカスハラだ。席ごとに間仕切りされているが、そのうちの1席でカスハラの応対をしている。年老いた爺が何の不満があるのかずっと係に言い続けている。応対時は女性の係のようだが上司も出て対応している。2人の係は直立して話を聞く。もういい加減にせんかい!と言ってやりたくなるがどの人も見て見ぬふり状態だ。この後の事は知らないがカスハラも困ったことだ。

 お供えを依頼後、11階のレストラン街に行って天ぷらのお店でお昼を食べる。店内はジジババばかり。旅に出てもジジババばかりだがデパートもそうだ。平日のお昼とあって若者は学校や会社勤めがあり、残るはジジババばかり!?

 デパートを出て新駅ビルのミナモアに出かける。やっと東急ハンズを見つけて柄の付いた保温マグカップを購入した。ハリオの製品だが、よく見ると中国製で価格は1700円くらい。前回のミナモアは土曜日で混雑していたが昨日は平日のためかお客も多くない。ただ初めて行く場所なので何を買うにも係の手を煩わせる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年12月3日水曜日

プール&電話

  昨日午後は予定通りプールで泳ぐ。全部で550m(11往復)でその内訳はクロール100m(2往復)、背泳ぎ350m(7往復)、そして水中歩行100m(2往復)である。しばらくクロールで泳ぐときつかった。が、クロールでも楽に泳げるようになった。受付で顔なじみの人と出会う。更衣室に入ると小さい丸柿をたくさんもらった。またも(皆、親切だ)、と感激する。

 帰宅後、郵便物が届いている。先日、新年の欠礼ハガキが3通届いた。昨日も3通届いて計6通になる。一昨日、郵便局に行って印刷された年賀はがきを買った。差し出す人を確認せずに買った。しかしすでに6名には出せない。印刷された年賀状は5枚で850円する。多く買いすぎたのと欠礼ハガキ分とで10数枚が無駄になる。姉に電話するがいない。久々に妹に電話して聞くと年賀状を出さないという。

 姉との電話が通じた。年賀状をまだ買っていないという。姉宛てに無駄になりそうな年賀状を郵送することにした。その際、姉の孫たちが東京にいる姪(孫たちからすればおばにあたる)と3人で会った話を聞く。その時に孫たちが写した写真をSMSで送ってもらった。これを姪に話すと写真を見たいとのことで転送する。が、うまく転送できない。試行錯誤の結果、写真はSMSではなくメールで送信できた。このことで姪とも久々に電話で話す。

 届いた欠礼ハガキの内、旦那さんを亡くしている友達がいる。以前、短大時代の友達3人でホテル・グランビアで食事をした。その際、お土産をいただいた。そのことがずっと気になっていた。今回のハガキを見てお供えを送ろうと思いつく。

 今日はこれから再度、福屋駅前店に出かけてお供えを送る手配をしよう。その前に先日、自分宛てに手配した品がデパートから届いた。

 プールから帰るといつもよりも元気が湧いてくる。そのためかいつもはかけない電話をかけて数人と話をした。元気でいなくては何も始まらない!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年12月2日火曜日

「自分自身」「神仏」「孤独」の3つを頼りにして

  YOU TUBEを見ていると瀬戸内寂聴のYOU TUBEがあった。頼りにするものとして「自分自身」「神仏」「孤独」の3つをあげている。頼れるのは「自分」だけ、との思いがあるので「自分自身」を頼りにするのはよくわかる。「神仏」に関しては神社仏閣めぐりを兼ねて一人旅をしているが、どちらかといえば神仏そのものよりもその辺りの風景に惹かれて旅をしている。あまり信心深い方ではない。が、何か目に見えない力はあるかもしれないとは思っている。そして「孤独」。これは母亡きあと一人暮らしをして一番強く心に刺さった。しかし、これも慣れてくる。「孤独」があるからひとり行動もできるようになったし、気持ちも強くなったかもしれない。

 今朝の地元紙に「定年後の日本人は世界一の楽園を生きる」と題した佐藤優の本の宣伝がある。この本の見出しを見ると「『定年後が一番楽しい』が手に入る」、とある。そしてその中に「『孤独な時間』を持つことが理想像」ともある。

 いずれにしても「孤独」は悪いことではなさそうだ。そして「定年後が一番楽しい」の意味は実感している。56歳で早めに会社を辞めたので定年まで勤めてはいない。が、それでも会社勤めのお陰でリタイア後は遊びながら年金がいただける。これほど気楽な人生はない。元気であればいつでも気軽に旅行に行ける。これほど楽しいことがあろうか。

 この本の中身を読んでいないが、宣伝の見出しを見ただけで内容がわかってくる。年金が少ないじゃ多いじゃ、は関係ない。元気に楽しく生きていれば年金が入る。そして旅行ができる。いい時代だと思う。今日午後は元気を出してプールで泳ごう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

談山神社
談山神社
 追記)談山神社の写真を追加してアップ!

2025年12月1日月曜日

日本画作品展打ち上げ

 昨日は日本画作品展の打ち上げがあり、広島駅前のアパホテルへ向かう。その前に福屋駅前店に行き、お供えを送る。季節はお歳暮シーズン。デパートのお歳暮コーナーに行くと長い間利用していなかったためか以前とは様子が違う。驚いたのはギフト商品の展示は少なく、カタログを見て決めることだ。係にカタログをもらって椅子に腰かけてすぐに贈り物を決めた。幸い開店間もない時間だったためかすぐに応対してもらう。

 欠礼ハガキを持参していた。それをもとにして係のパソコンで操作が始まる。あまりにも親切な応対なので、1か所だけ送るのが申し訳なくなる。ついでに同じ品を自分宛てにも送る。するとデパートの大きなカレンダーをくれた。これには驚く。

 年を取ったせいかやたらと人の親切に弱くなる。もうすぐ年末とお正月がやって来る。一昨日はコンビニの親切心に負けておせちを予約した。今年の年末年始は食べ物が溢れそうだ。気を良くして打ち上げ会場に向かう。デパートの川を挟んで真向かいが会場だ。初めて入る場所だがロビーは人でいっぱいだ。誰がいるかわからなかった。が、声をかけられる。

 参加人員は15名。初めていく場所が好きだ。日本画の先生の傘寿のお祝いを兼ねるようで和気藹々と過ぎてゆく。食事はバイキング。これはあまり好きなスタイルではない。わけもわからずお椀に入れたのをいただくと辛くて食べられたものではなかった。後でキムチの入ったものと知るが辛すぎる。他の人は美味しいという……。しかしまったくおいしさがわからない。むしろ嫌いだ。それ以外は大丈夫だった。宴の途中でくじ引きがあり、先生が描かれた小さな額に入った絵を各自いただく。

 皆と別れてミナモアに入る。新たになった広島駅ビルの商店街であるミナモア。開店から早くも10か月になろうとするが人の多さは相変わらずだ。柄のついた保温マグカップを購入予定が買う場所がわからず諦める。後でネットで調べるとミナモアに移転した東急ハンズにあるようだ。また出かけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月30日日曜日

お世話になったともだち

 日本画教室が2週休みの間に新たに描く絵を考える。先日出かけた不退寺で写した写真を絵にしようと思いつく。近くのセブン・イレブンに出かけてスマホの写真をプリントアウトし、それをもとにしてA3のカラーコピーに拡大しようとした。ところがうまくできない。係の手を煩わせるもうまくいかない。さらに一人係を増やすも大変だ。試行錯誤の末、プリントアウトができた。それを拡大コピーした。が、このまま帰るには申し訳ない。

 その様子を見た店長はおせちの予約をすすめてくる。初めは一人用の安いおせちだったが次第に高くなる。結果、1~2人用のおせちを注文する。12960円だ。家に帰って、もしかしてクオカードが使える?かを調べるとOKのようだ。代金は年末におせちを受け取りに行くとき支払えばいい。クオカ――ドはその額以上に手もとにある。これ幸いとおせちに充てよう。

 今日は日本画教室の作品展の打ち上げがある。久々に市内に出る。先日来から年賀状の欠礼ハガキが3通届く。どの人も親が亡くなっている。3人とも自分に子供がいればその年齢にあたる。そのうち1人はまだ70代の若さで母親を亡くしている。若い人だがお世話になった。街中に出るのでお供えを送ろうと思いつく。

 お世話になったといえばこの欠礼ハガキの人とも友だちで、お世話になった人がいる。一昨日の夜、何年振りかで長話をする。その目的は欠礼ハガキの人への送り先の電話番号を教えてもらうことだった。が、その目的を外れて話が弾む。数年以上も会っていないとどの人も以前とは少し状況が異なってくる。お元気そうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月29日土曜日

不退寺、談山神社そして等彌神社の旅その2

 2025年11月26日(水)と27日(木)の2日間、不退寺、談山神社そして等彌神社へ一人旅をした。談山神社は新緑のころに出かけたが、紅葉の時季は最高とのことで再度出かける。不退寺と等彌神社は初めてだ。

2025年11月26日(水)1日目

 広島駅8時56分発のみずほ600号に乗車する。新幹線に乗る前、在来線が途中で停車した。自宅最寄り駅から快速で広島駅まで6分、と近い。が、途中停車を見込んだわけではないが早めに家を出て正解だった。一人旅は何が起こっても自分一人で責任を負う。そのためすべての行程は時間に余裕を持たせて行動している。

 広島から奈良までは、新大阪から久宝寺までをおおさか東線に乗り、久宝寺から奈良までは大和路快速に乗車する。JRで乗り継ぐ方がわかりやすく移動する手間も省ける。

 11時48分、JR奈良駅に着いた。どういっても今年の奈良行きは今回で5回目。だいぶ奈良駅界隈にも慣れてくる。お昼時はいつも駅構内の食べ物屋を利用している。今回は駅構内にある「三条坊」でちくわ天と卵の天ぷら入りのうどん(800円)をいただく。ゆったりしたお店で感じがよく、美味しかった。

 不退寺 

 JR奈良駅西口から不退寺口(一条高校前)までバスに乗る。だいぶ曇ってきたが何とか雨は大丈夫のようだ。20分くらい乗車してバスを降りると大通りなのに人がいない。(さてどちらの方面を?)と見渡していると人が行き過ぎた。その人に声をかけて行先を告げると降りた場所の道を隔てた向かい側の先の正面が不退寺と教えてもらう。しばらく歩くと森のような場所がある。不退寺だ。今月末まで特別展がある。入山料600円。出かける前日、このお寺の情報をネットで見た。住職不在の時期もあったようだがそれを乗り越えて母と息子が得度してお寺を守っている。

 入山料を払って係の顔を見た時、(この人がお寺を守って…)と気づいて声をかける。午前中は多くの参拝客があったそうだ。が、出かけた時は一人だった。秘仏を見る前に石棺を見て本堂へ入るように言われる。一人がすべてされているようでその都度、移動して案内をされる。申し訳ない気持ちになるがいろいろと教えを乞う。不退寺は在原業平の建立とか。仏像の中でも聖観世音菩薩立像が本尊であり業平が自作している。それは常時公開で、今回公開の秘仏は弁財天さまだ。その頭の上に小さな仏像が鎮座する。他に業平画像や業平の父親の仏像もあった。

 不退寺は平城宮跡の歴史的風土特別保存地区になっており、ここから15分歩くと法華寺に至る。法華寺は初めて平城京跡を訪れた時に出かけた。

 本堂を出て境内を歩くと今が盛りの紅葉がまぶしい。撮影スポットを教えてくださり親切に案内していただいた。そろそろ雨が、のころお寺を後にする。外に出ると数人の参拝客の姿があった。お寺を出ると近くにカフェがあるが閉まっている。

 あきらめてバス停に向かう。奈良駅行きのバスは1時間に2便しかない。一般の3,4分の1くらいの細さの長いベンチがあった。そこに座ってしばしバスを待つ。

奥が不退寺

業平の句「おほかたは つきをもめでじ これぞこの つもればひとのおいとなるもの」


不退寺境内の紅葉

不退寺境内の絵になりそうな紅葉

平城宮跡へ続いている
 JR奈良駅のバス停に着くと観光案内所内にあるスタバに入る。そのころにはポツポツと雨模様だ。しばし休憩後、JR奈良駅から万葉まほろば線に乗車して桜井駅で下車。駅前にあるルートイン桜井駅前のホテルに向かう。時間は午後4時前だが早めにホテルに入る。夕飯はホテル内のレストランでいただく。単品でのメニューが大半なのでネギトロ丼のセットと烏賊のミンチカツ、そして生の中ジョッキで一人乾杯。大浴場に入って早めに就寝。

2025年11月27日(木) 2日目

 ホテル内のレストランでバイキングの朝食をいただく。この日は朝からいいお天気で暑くなりそうだ。薄手のダウンにするかウインドブレーカにするかで迷ったが、後者を着てきた。これは大正解。この日の気温は20度だった。

 談山神社
 
 桜井駅北口から談山神社までのバスが出ている。バスは一日に限られた本数しか出ていない。9時45分発のバスだが、この時季の混雑を予想して30分くらい早くホテルを出た。バス停ですでに長い行列だ。バスに座って20分余りで談山神社到着。途中、くねくねした山道をバスは走る。車窓から山を見上げるとグラデーション鮮やかに山を染めている。これを見るだけでも感動する。バスはこの時刻、臨時便もすぐ出た。

 バス停からいったん山を下って鳥居に出る。辺りはもうお見事というほかない。これをカメラで撮るのは無理!目で見て感じるしかなさそうだが、自ずとスマホのカメラで写してしまう。実際はもっとあでやかな紅葉だ。入山料600円。何のチケットももらえず、ただ渡されたのは本堂に上がる際、靴を入れるナイロン袋だけ。何とも味気ない。

 春に来たとき、十三重塔を見逃した。今回は何が何でも、と思った。しかし場所がわからず人に聞いてやっとたどり着く。そして毎日のように見ていたライブ映像の場所を探すがわからなかった。その場所で自分が写っている映像を見たかった。残念!
 
談山神社鳥居 ここから入山する
これは絵になる

素晴らしい光景

十三重塔が見えた!

 10時11分にバスが談山神社に到着後
、1時間観光して帰りのバスは11時19分。それを逃すと13時までバスの便がない。もっと観光時間に余裕を持たせてバスを運行すればいいのにと思う。時間を気にしながらの観光になる。これも余裕を持って行動しないとバスに乗り遅れる。神社の出口に迷っていると2人連れが来た。親切な人たちで高い石段があるところでは手を引っ張ってもらう。どこに出かけても人の情を乞うて生きている。皆さん、親切だ!これは途中下車して観光した等彌神社の2人連れの方たちにも言える。
 
 等禰(とみ)神社
等彌神社参道

鳥見山の西麓に鎮座する等彌神社

等彌神社
 バス停を降りて一歩中に入ると(ここはどこ?)と思えるくらい山深くなる。到底一人では参拝できなかったかもしれない。が、談山神社の帰りのバス停で知り合った2人組に助けられて予定通りの旅をする。この日の万歩計は11013歩。お昼を3人で食べて桜井駅で2人組とわかれる。2人連れは桜井駅到着後、止まっていた橿原神宮行きのバスに乗られた。90歳と85歳のお二人はこれからも元気で楽しい旅を続けられるようだ。私もあやかって元気に楽しい旅を続けよう!楽しい旅は終わった!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月28日金曜日

不退寺、談山神社そして等彌(とみ)神社の旅その1

  今年、5回目となる奈良の旅をした。今回の旅は1日目は不退寺、2日目は談山神社と等彌(とみ)神社を予定した。いずれも予定通りの旅ができた。今回、強く感じたことがある。それは年老いてもなお、元気に自分の楽しみを見つけて人生を送っておられる方たちに出会えたことである。

 今回の旅で宿をネットで予約時、奈良のホテルから予約確認メールが届かなかった。しかし、出かける前日、宿泊前日の予約確認のメールが届いた。これでやっと安心して旅をする。

 宿は桜井駅前にあるホテル・ルートイン桜井駅前。昨年も泊って感じがよかった。今回は何やらアンケートを実施中らしく、さらに感じがよかった。翌日の朝食で一人で食事をしている人がいた。近くに座って話すと年齢は90歳の女性でホテルの近くに一人で住んでいるという。週に一度このホテルに宿泊して大浴場と朝の食事を楽しみにしているそうだ。(なぜ?)と思った。好きだった旅行が、この頃は足の不具合で行かれないという。その代わりとしてホテルに泊まっているという。

 そう聞いてとても励みになる。年老いてもなお外へ外へと目を向ける姿が素晴らしい。失礼とは思いながら「介護保険は?」と問うと使用していないという。そしてデイサービスなどに行くのが大嫌いとも言われる。その辺りは同意見だ。

 談山神社へ出かけたが行きも帰りのバスもバス1台では乗り切れず、すぐに臨時バスが出た。運よく行きも帰りもバスに座れた。特に帰りのバスは臨時バスに乗ったので車内は空いている。混んでいれば談山神社の後で途中下車が出来そうにない。幸い、臨時便だったので空いている。ふと頭をよぎるのは途中下車して等彌神社へ行こうと。その矢先、隣にいた年老いた男性が運転手にその神社のバス停に下車するかどうかを問われた。それを聞いてその人に「一緒について行ってもいいですか」と聞いたらOKだった。

 途中の等彌神社のバス停である高之森バス停で運転手は神社を教えてくれる。下車するのは3人だった。年老いた人は2人組みでなんと東京→京都間を夜行バスで来て、宿に2泊後、また京都→東京間を夜行バスで帰るという。これだけでもびっくりなのに年齢にも驚く。90歳と85歳の男性だ。さらに驚くべきは90歳の方は手に小さなハンディカメラを持って何やら映している。それはYOU YUBEだった。ご自分であとで編集し、時に公で発信するそうだ。そのURLを教えてもらった。

 さらに観光しながら話を聞くと50年前くらいに広島の地元銀行へ行って仕事をされたという。どうもIT関連の元締めのようだ。世界を仕事で飛び回り、個人での海外旅行は少ないと話された。もう1人の男性とは同じマンションに住んでいる住人同士で気が合って20数年、2人で旅をしているという。この人も偉い人だったようだがそのそぶりは見せられない。

 等彌神社は神武天皇の時代からあるようで一歩足を踏み入れるとまるで山奥に来た感じになる。もしこの2人連れがいなければ到底奥へ奥へと足を踏み入れられなかったかもしれない。神社仏閣もいいがこういった神聖な森閑とした場所が好きで旅をしている。そういえばホテルで出会った女性は神社仏閣が嫌いだと話された。しかし、2人連れは神社仏閣の事はよくご存じのようであちこちに出かけられているようだ。とはいってもツアーに参加するのは嫌いだとも言われた。

 さきの夜行バスの件は決してケチっているのではなく、安いやり方で旅をするのを面白がってやっていると言われる。当然、夜行バスの利用者は若者ばかりで爺たちは2人以外はいないらしい。

 談山神社の帰りに途中下車したのでその後のバスは2時間後しかない。それを想定して桜井駅までの行程を調べていた。歩いて15分のようだが、結果、3人で歩く。歩きながら話をすると90歳の人は母親が103歳で家で亡くなられている。またご自身の歯は2本以外は全部自分の歯であり、3万歩も歩くそうだ。85歳の人は地理に強そうで桜井駅までをその人についてゆく。ただ8年前に奥さんを亡くされている。

 桜井駅に着くころ、焼きそばのお店があった。3人で焼きそばを食べる。(奈良で焼きそば?)と思った。が、次の予定の関係でゆっくりできない。もしもこれが同じ年老いた3人でも女性であればカフェに入る!?そういえば2人連れはアルコールは飲まない、と話された。昨夜のホテルの食事はお客が多くて部屋で待機していたとも話された。

 今回もつかの間の「旅は道連れ世は情け」を感じる。生まれてくるときは皆、同じような顔をした赤ちゃんだ。年老いてくるとこれまた同じような爺婆の顔になっていく。学歴も顔も身長も体重も何もかも皆、平等に年老いてゆく。そうでなければ世の中不平等と思えるがそうでないのを旅で知る!?今回の旅で出会った人たちは皆さん、きっと要職にある偉い人たちであったに違いない。しかし、仕事を離れれば皆、一人の人間。このことを思い知らされる。その後に残るは各々自分の生き方しかない。

 今回もいい旅だった。来月は京都と神戸が待っている。元気で楽しい旅を続けよう!旅の模様はまた後日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月25日火曜日

行楽日和!?

  久々に雨が降ったようだ。お昼過ぎも降るようだがすぐに止みそうだ。これから一雨ごとに寒くなってゆく。昨夜、ふと頭をよぎる。それは別府である。長いあいだ別府に行っていない。寒くなれば別府へ行こう、と思いつく。ネットで調べると大手旅行社などはJRと宿のセットで切符を売り出している。個人でそれらを手配するのとどれくらい差があるのかわからない。が、個人でネットで予約すればいいとも思ったり。

 宿はある程度決めている。温泉そのものを愉しみに旅行をしていない。が、寒い時季は観光は控えめにして温泉を楽しむのもいいかもしれない。

 日差しが出て来た。雨よりも晴れると嬉しくなる。行楽日和はまだまだ続く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月24日月曜日

「お金の使い方」から

 今朝のネット記事にお金の使い方のうまい人はより深い満足や納得感につながるものに使っているという。それは「何を買うか」「何を買わないか」でお金の使い方がうまい人かがわかるとか。

 モーガン・ハウセルは「食事、旅行、服、スポーツイベント、体験など、なんでもいいので、新しいことにお金を使ってみよう。ただし、もしそれによって喜びを感じられないのなら、すぐにやめること。……これを十分に繰り返していくと、消去法で自分にふさわしい何かが見つかる」と。(『アート・オブ・スペンディング・マネー』より)

 これを見て「新しいことにお金を使う」に反応する。自分にとっては何といっても「旅行」にお金を使っている。この4,5年はコロナ禍があって海外の旅には出かけていない。が、国内の日帰りや短い旅は月に1,2度かそれ以上、出かけている。同じ旅でも出かけたことのない場所へ行くのはさらに楽しい。旅こそが自分に相応しいお金の使い方かもしれない。

 ここまで書いてまたまた思った。長く続けている水泳も絵も小さい頃から大の苦手だった。それこそ何が楽しくて……、と思っていた。旅もそうである。小学校の修学旅行も中学の修学旅行もバス酔いがひどくて必ず1日は旅の集団から離れていた。バス酔いは大学受験のころまで続いた。そんなひどいバス酔いがいつの間にかどんな乗り物に乗っても酔わなくなった。そして乗り物に乗らないと出かけられない旅、これが自分の中の楽しみになっている。

 そう考えると自分本来の楽しみはもしかしたら一番の苦手だったこの3点に尽きる!?何であれ、楽しみがあるのは幸せな事。その意味でも最後はやっぱり元気でいなくては、になっていく。

 先ほど談山神社のライブ映像を見ると朝から多くの人が訪れている。ライブ映像を見ている人も10人いた。

 近いうちに談山神社に行く予定でいる。今回の宿は何かの手違いで確認メールが届かなかった。予約直後もすぐに電話で確認した。が、一昨日も気になって再度確認の電話をする。OKだ。

 同じ生きるならどん欲に楽しくいきたい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月23日日曜日

『城塞(上)』

 先日来から「城塞(上)」を読んでいる。この本の次の予約者がいるとわかってノルマを課して読み終えた。次に読むのはこの本の(中)である。これも次の予約者がいて期日までに最低一日5,60頁のノルマを課さないと読み終えそうにない。さてその(下)はと思っているとこれも予約者がいる。これまで司馬遼太郎の本を読んでも予約者がいることはほぼなかった。この「城塞」は秀吉と家康の攻防を描いている。来年の大河ドラマが秀吉のようなのでこの本を読む人が多いのだろうか。

 いくらドラマ化されても本で読む方がわかりやすい。そのためかどんなドラマや映画もほとんど見ない。映像を見なくても本を読むと自分なりの映像が頭に浮かんでくるから不思議だ。

 以下は『城塞(上)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十八年八十七刷)を読んで気になるところをメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「上野(こうずけ)、と家康は急に威を帯びた声でいった。「昨夜、考えてみた。よいか」「これにて、うかがっておりまする」「潰す」正純はとっさに平伏し、天がやぶれたような、霹靂があらわれて大地を撃ったような感じをうけた。豊臣家をつぶすというのである。その底意はかねてあったにせよ、家康の口から出た最初のこれは宣言であるといっていい。むろん、内密のことである。(156p)

★豊臣秀頼のこの時期、京でもっと殿舎や堂塔の壮麗な一角といえば、現今の方広寺の東南にあった豊国廟であった。徳川家というもののすさまじさは、秀吉のこの廟所を三代家光の寛永十四年、ことごとく打ち砕いてもとの野原にしてしまったことである。秀吉はその生存当時、徳川家に対しどういう悪害もあたえたこともなく、むしろ家康を適当なほどに優遇し、怨恨などはないはずであった。しかもそれだけでなく、この豊国廟の東の阿弥陀ヶ峰(東山三十六峰の一つ)にある秀吉の墓所へも人夫のべ三千をのぼらせて墓石をくだき、墓をあばき、骨をとりすてた。このため秀吉という人物は、墓すらもうしない、明治維新成立の年まで二百数十年間祀られざる鬼になるという、常軌はずれの運命になった。前時代の支配者の墓まであばいて捨てるという徳川氏のやりかたは、どうにも日本人ばなれがしている。明治元年、その徳川幕府がたおれ、京で維新政府が成立すると、朝廷はかつて豊国廟のあった草野原に勅使を派遣して秀吉の霊をとむらい、さらに旧方広寺大仏殿あとに一社を建立したが、これが現今もある豊国神社である。往年の方広寺をしのぶ場所といえば、現今ではせいぜいこの神社であろう。(383p)

★――父君の供養のため。などと家康がいったが、それが大うそであることは、このあと五十年後(寛文二年)に、「この像、天下無用のものなり」として、鋳つぶしてそのあと銭を鋳てしまったことでもわかる。とにかく徳川氏は、こと豊臣家に関するかぎり、秀吉の死後、一世紀をかけて悪のかぎりをつくしたといえる。(384p)

★「市正は、豊臣家の内情をつねにくわしく話してくれる。心へだてなく話してくれるから、わしは市正の言うことなら、なんでも信ずるようにしている」と家康はいったのである。露骨にいえば、――わしと且元は一ツ穴の貉(むじな)よ。という意味であった。この一言で、豊臣家としては且元という男が信用できぬということが、雷鳴のはためくような明快さであきらかになったわけである。大蔵卿局も正栄尼も、そうおもった。(つねづね油断ならぬ男と思うていたら、案のじょう、関東に魂を売っていたか)と、両女は同時におもった。家康の第一のねらいはそこにあった。……家康にとって、大坂城攻略が、この一言からはじまったといってよかった。(472p―473p)

★怒りは漢民族にあっては低劣な感情表出tいうことになっているが、日本人にあっては、弱者の不正義への一瞬清らかさの表現であり

2025年11月22日土曜日

オブビリオン(忘却)


 昨日は歯科に行く。先日、左下の歯が1本抜けた。ここに仮の歯を入れてもらう。帰宅後、フルートを吹くと仮の歯を入れただけなのにいい音が出る。フルートと歯は大いに関係ありそうだ。相変わらずピアソラのオブリビオンを吹いている。持っている楽譜と同じ演奏の動画がない。編曲者が違うと同じ曲でもかなりの違いがある。次回の歯科は来月中旬。その時はまたも歯のクリーニングのようだ。

 ラオスを訪問の愛子様のYOU  TUBEを見る。これは関西のTV局のニュースだ。ラオス、に反応して自分が出かけたラオスの旅のブログを見る。チャンパーやクアンシーの滝などのニュースを見てラオスの旅を思い出す。これまで出かけた海外旅行はかなりの数になる。そのうちの半分は一人でツアーに参加した。しかし、ラオスの旅は社会人大学生の時に知り合った人を誘ってツアーに参加する。2012年9月の旅である。今から13年前のことで母を亡くして1年半後だ。今も元気だが、その当時はまだまだ今とは違う勢いがある。後でゆっくり当時のブログを読もう。

 同行の人に電話で、と思ったりする。が、このごろは誰とも電話で話していない。というのも、皆、年老いてきていい話(?)は聞かれそうにない。人の話を聞いて左右されるところがある。それが嫌で電話もほとんどしなくなった。

 オブビリオンとは忘却の意らしい。まだまだそこまでの境地に達していない。何というのかいろいろとこの世に執着がある。凡人はこれで由、と思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月21日金曜日

このままで

 昨日の眼圧は14と17。眼科医はA6くらいの冊子を出してどの大きさの文字まで読めるかと問われる。視力は悪くてもどんな小さな文字でも読める。一番小さな文字で書かれた文まで読めると話すといつものごとく驚かれる。もちろん大きな文字も読める。眼科医はご自身の腕時計を見せられて「大きいでしよ」と言われる。年老いた人であれば一般的には細かい文字が見えにくいらしい。時計の文字盤が小さくても何ら不自由はないので時計も小さい。

 視力がよくないことはいいことではない。が、何事も悪いことばかりではないのかもしれない。遠くは見えにくいがその反面、近くはなんでも見える。

 日本画を習っている。日本画は机の上に木製パネルに貼った和紙などに膠で溶かした岩絵の具や水干絵の具を混ぜて描く。油絵を習ったことはないが油絵はイーゼルに置いて絵を描く。机の上は目が悪くても近づければいい。が、イーゼルだとそうはいかないかもしれない。その時、思った。日本画でよかったと。

 目の見えない人がピアノを弾く。その人たちは見えない代わりの何かを人並み以上に優先してもっているのでは、と。もちろんその人の並々ならぬ努力があると思うがそればかりではないのかもしれない。神様がいらっしゃるとすればどの人も同じように目に見えない何かを与えてくださっている、と思うことがある。

 今日はこれから歯科へ。今のところ眼科と歯科にお世話になっている。眼科医に「現状維持で行きましょう」と言われる。目の何がどう悪い、というところはない。このままの状態で最期まで生きられればそれでよい。歯科はそうもいっておれない。ずっとお世話になりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月20日木曜日

高島野十郎展を見に行く

 昨日は日帰りで「没後50年 高島野十郎展」を見に福岡県立美術館へ出かけた。久々に新幹線の「こだま」に乗車する。が、指定席の車両には乗客がたったの数人しかいない。贅沢なゆっくりした旅になった。「のぞみ」だと50分くらいの乗車だが行きの「こだま」は2時間近くかかる。途中の駅で「のぞみ」が通過するのを待つためだ。前日、旅に出かけるときは必ずと言っていいほど持参するツナサンドを買っていた。それにもかかわらず、荷物になると思って持って行かなかった。ただ、チョコや飴、そして飲みものなど持参する。2時間も乗車するとお腹もすいてくる。博多駅に着くと絵を見るよりも先にお昼を、と思った。しかし、8年ぶりの博多駅は人であふれかえり思うように行動できない。食事はあきらめて美術館までのバス停に向かう。

 ところが辺りを見渡してもバスの姿がない。ましてや博多口のBRTのAからバスが出ているはず。何人かに聞くが外国人が大半で埒が明かない。最後に聞いた人は山口から来たという。広島とはなじみ深いと言ってバス停を探してくれる。何とか見つかった。大通りの面しているところから行先によってバス停がある。

 バス停に腰かけていた人に聞くと市民ホールに行くという。結果、年老いた夫婦連れの男性が同じバス停で降りるとのことで乗車する。しかし、目的地にはなかなかつかない。やっと到着したとおもったら博多に着いてからすでに1時間も経過していた。親切に教えてくれた老夫妻に本当に感謝しかない。

 市民ホールと美術館は敷地が隣接している。下車後、徒歩1分、とある。しかし、入り口がわからずかなり戸惑う。やっと入り口を見つけてチケットを購入。@¥1600。帰りのバス停を確認していざ会場へ。

 前回はポーランドに出かけた際の帰国日に博多駅からタクシーに乗車して高島野十郎の絵を見に行っている。2017年5月だ。あれから8年半経過すると博多駅界隈もずいぶん変わっている。それまでは毎年のように博多駅付近に泊って福岡空港から海外に出かけていた。8年半の月日は自分自身もそれだけ歳をとった、と感じる。

 そういえばチケット売り場で知り合った人は熊本から見に来ているといった。広島から、と話すと驚かれる。後で博多までの距離は熊本と広島ではどう違うか調べるとやはり広島が遠い。時間的には新幹線なので大差ないが運賃は広島が遠い。

 今回の展覧会は大半の絵を写真に収めてもよかった。ゆっくり見ているとあっという間に時間が過ぎる。気付けば午後1時を過ぎている。この後、博多の北にあるお寺に行こうと計画していた。が、帰りの新幹線に間に合いそうにないので途中で行くのをあきらめる。

 絵を見た後、お昼を食べに博多駅まで戻ろうとすると美術館出口にカフェがあった。これには驚く。喫茶はないものと思いこんでいた。もうお腹もすいてなんでも口に入れればいい。セット物があった。ウインナーのパンとチーズのパンがあるがウインナーは売り切れだとか。仕方なく珈琲とチーズのパンのセット(900円)をいただく。感じがいいカフェでしばし休憩。チーズのパンは温かく珈琲も美味だった。

 博多駅行きのバス停に向かう。10分先にバスが来る予定だ。が、待てど暮らせどバスは来ない。やっと来たバスに乗って博多駅へ。このころにはお寺の観光をあきらめる決心がつく。相変わらず博多駅は込み合っている。出かける前の予定では博多シティの10階でお昼を食べるつもりだった。が、人が多くては何処へ行くのも無理。仕方なく、新幹線口近くにミスタードーナツがあった。これまた仕方なくそこに入る。が、席を確保して、とのことでそれから注文する。本来ならばもっと他のカフェに入りたかった。しかし、人が多すぎて思うように動けない。ましてやドーナツはほぼ食べないはずなのに入ってしまった。

 何かご飯ものが食べたくなるが諦めてサンドとはちみつゆずのドリンクを買って新幹線に乗る。行きも帰りも「こだま」の乗客はほぼいない。

 今回の新幹線運賃は指定席で片道5450円。以前は3500円だった。それでも正規の4割引きだ。計画通りの旅ではなかった。そしてお天気もどんよりした日で決して好天ではない。それでも高島野十郎の絵は素晴らしかった。出かけて本当に良かった。

 次は奈良が待っている。談山神社だ。お天気がいいことを祈ろう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

高島野十郎展カタログ




2025年11月19日水曜日

スマホでチケット入手

  スマホでネット記事を見ていると大ゴッホ展の予約が平日でも必要とある。(予約)、の言葉に反応してさらに記事を読んでいくと来年1月から土日祝日に加えて平日も予約が必要のようだ。来月初めに京都へ行く。その帰りに神戸で降りて大ゴッホ展を見る予定でいる。いずれにしても絵を見に行く人が多いということに違いない。

 会場のHPを見るとネットでのチケット購入画面がある。すぐには出かけないがいずれにしてもチケットは必要だ。スマホでチケット購入の手続きをする。これまでJRのおとなびをe5489で行っている。さらには宿の予約もネットで行う。が、宿の予約は時に確認メールが届かない時がある。これに注意しながら画面を進めてゆく。観覧券の予約は初めてだが何とか予約できた。届いた確認メールのある箇所をクリックするとQRコードが出る。この画面をスマホの画面に追加した。

 何でもネット時代だ。スマホの操作ができないと遊びにも行けなくなりそうだ。いまのところ何とかついて行っているが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月18日火曜日

熊蟄穴(熊穴にこもる)

 昨日は午前中にお墓に参り、午後はプールで泳いだ。背泳ぎで375m(7往復半)泳ぎ、水中歩行を2往復半する。水の中を歩いていると顔なじみの人から声をかけられる。「いつ来た?」と。水中歩行をしていたので早くからプールに来ていたと思われたようだ。その人は毎日泳ぎに来て1㎞泳ぐという。「恐れ入ります。いつかサインをもらわないと……」と話すとすぐに何処かへ行ってしまった。

 今日は昨日と打って変わって寒くなるとか。家にいる限り、寒さはわからない。外に出るとこの季節らしい寒さになる!?

 今朝も談山神社のライブ映像を見る。朝から多くの観光客だ。昨夜も見ていると十三重塔の前で何やら行事があったらしく大勢の人が見物していた。ライブ映像は映像だけで音声は入らない。

 地元紙を見るとクマの話題だ。来月の12日から16日までは熊蟄穴(熊穴にこもる)とか。この時季は寒さも厳しくなり熊が冬眠に入るそうだ。1年を振り返るのはまだ早いが熊に振り回された1年だ。せめてこの時だけは熊の話題がありませんようにとも思ったり。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月17日月曜日

本の返却期限

  図書館で借りている『城塞(上)』を読んでいる。先ほど、返却期限を見ると「予約有り」とある。21日までの返却なので一日に読むノルマが80頁になる。返却期限までに読めないときは「予約延長」してゆっくり読んでいた。ところが予約有りともなればそれもできない。期限内に読めなければ再度予約して読むしかない!?

 今日はこれからお墓参りをし、午後はプールで泳ぐ予定でいる。ゆっくりと本を読めそうにない。ましてやこの文庫は600頁もある。今、読んでいても面白くなってきたところだった。気合を入れて期限までに読む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月16日日曜日

見納めの桔梗!?

見納めの桔梗
 2つの鉢に桔梗を植えている。今年の桔梗はだいぶ前に終わった気がした。ところが昨日見ると小さい花を咲かせている。これが今年の桔梗の見納めとなりそうだ。先日、スーパーの店頭で売っていた黒いポットに入った桔梗を1鉢買った。これは地植えにした。来年はさてさてどの桔梗が咲くのか楽しみだ。

 桔梗に関する歌を探すとりんどうのようなポピュラーな歌がない。これはなぜ?イメージがよくない花なのだろうか。それでも桔梗の花は好きだ。

 昨日は日本画教室の日。各自机の上に何やら白いものが置いてある。先週、先生は墨彩画を描く、と話されていた。先月の日本画作品展会場の前のフロアで墨彩画展が開催されていた。それと関係はないはずと思うが墨彩の筆、顔彩、用紙、色紙、糊、下敷き、霧吹きなど描いた墨彩を色紙に張り付けて作品にするまでの材料がそろえてある。

 30代初めのころ、1年ほど水墨画を習ったことがある。墨彩画は水墨画の墨だけとは違ってその上に彩色する。また机には画の材料となる柿、ゆず、柿の枝葉も用意してある。これを各自利用して墨で描く。日本画は失敗しても何度でも塗り直しがきく。ところが水墨画や墨彩画に至ってはそれができない。1枚だけ描くと思ったら、各自の机にある数枚の用紙に描くという。5枚くらい描いた。

  描きながらこれはハガキ絵にもなると思った。墨を見ると青墨とある。青墨は以前、中国に行った際、購入したのが2本ある。使わずじまいだが捨てるに捨てられずにある。今更、墨をすって描くほどの暇はない。それよりも暇さえあれば遊びに行くことばかり考えている。今月も半月を残すのみとなった。季節もいいし、今月の日本画教室はもうないので福岡と奈良へ出かける予定でいる。どういっても十分に年を取りすぎた。人生は短い。あっという間に過ぎてゆく。ゆっくりしている暇はない。元気なうちに外へ出かけよう。

 今朝も談山神社のライブ映像を見ると日に日に紅葉するためか朝から観光客でにぎわっている。もう少しすればそこに出かける。本当に楽しみだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月15日土曜日

『南蛮のみちⅡ』

  『南蛮のみちⅡ』(『街道をゆく』23 司馬遼太郎 朝日新聞社、2006年第1版ワイド版)を読んだ。ここでいう南蛮とはスペインとポルトガルである。どちらも出かけたがポルトガルはブログを始める前なのでスペインへ出かけた時ほど記憶が鮮明ではない。が、一人でツアーに参加したので印象的なことは鮮明に覚えている。とくに、ポルトガルに到着後に知り合った名古屋の女性はいわゆるバックパッカーで一人で旅をしていた。その話を聞いて世界を一人で旅する人に羨望を抱いた。

 司馬遼太郎のポルトガルの旅を読んでかなりポルトガルびいきに思えた。サワダーデ、という故国を想う人たちが歌うファドは哀愁が漂う。ファドを聞きに出かけたお店での光景はとくに鮮明だ。帰国後、ファドに魅せられて市内北部にある蔵を改造した演奏会に出かけたこともある。その時はファドの女王である月田秀子を迎えての演奏会だった。いまはその人の歌声も亡くなられて聞かれない。

 こんなことを思いだしているともう1度海外に出かけたくなる。これまでのようなハードな旅ではなくゆっくりしたツアーに。

 以下はこの本を読んでメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★日本における大航海時代の影響を源流の地で感じたいというのが、この旅の目的である。「南蛮」という言語感覚は、きらめいている。この語感の成立には、明治末年の北原白秋と木下杢太郎に多くを負い、さらにはおなじ新詩社のひとびとである与謝野鉄幹、吉井勇、平野万里もふくめていいかもしれない。(47p)

★紙はイスラム教徒によって製造され、このためトレドは、イベリア半島において圧倒的な知的活動のさかんな街になった。トレドにおけるイスラム教やユダヤ教の教学研究や法律、医学、科学の研究は、紙の豊富さによっていよいよ活発になった。それ以前、紙はオリエントのものだった。さらにそれよりも前は東アジアのものであり、ありつづけた。もっとさかのぼれば紀元一〇五年、中国人の蔡倫によって発明されたことは、たれでも知っている。……八世紀、唐の玄宗皇帝の時代、西方への遠征があった。……このとき、イスラム側の捕虜になった中国人のなかで製紙技術をもつ者がいて、アラビア人にそれを教え、その技術がサマルカンド(現在のウズベク共和国)に定着し、製紙工場がおかれた。いいかえれば紙は、八世紀においてアラビア人のものとなった。(81p-82p)  

★フランシスコ・ザヴィエルを東方に送った経済的な支援者がポルトガル国王であったことでも自明のように、戦国期の日本に影響をあたえた南蛮文化というのは、主としてポルトガル文化であった。(123p)

★列車のデッキからプラットフォームに一足降りただけで、もうトガルだった。その小さな駅舎が私にとってポルトガルで最初に見た建築であったし、タイルの絵はなまで見るはじめてのポルトガルの絵だった。すべてが、ポルトガルを圧倒的に代表していた。「ポルトガルにはもっとすばらしい建築もあれば、絵もありますよ」といわれても、承知できるものではなかった。旅とは初対面の印象を得るためにするものだし、このあとどんな素晴らしいものをみても、最初の印象のういういしさには及ばない。(150p-151p)

★一漢(いつくわん)はギタルラ(註・ギター)を弾じ、衆人がそれに合わせ唱歌した。光景は甚だ絵画的であったが、同時に亦粗野であった。葡萄牙(ポルツガル)は予の想像に於けると全く別趣の外看(註・がいかん)を呈した。(174p)

★私がポルトガルにきたのは、信じがたいほどの勇気をもって、それまでただむなしく水をたたえていた海洋というものを世界史に組み入れてしまった人々の跡を見るためであったが、この大膨張をただ一人に象徴させるとすれば、エンリケ以外にない。……また日本に南蛮文化の時代を招来し、そのうえ南蛮風の築城法が加味された大坂城が出現する契機ともなった。瀬戸内海をへてその奥座敷ともいうべき大坂湾に入ってくる南蛮船に対し、貿易家である秀吉が日本の国家的威容を見せようとしたのが、巨大建造物の造営の一目的だったことは、たれもが想像できる。……ついでながら、その秀吉が、徳川家康を東海の地から関東に移封するとき、関八州を統べる地を江戸に置くように、と教えた。江戸という海辺の小邑については、家康に知識がなく、秀吉のほうにあった。秀吉のいわば「港湾首都論」が、家康にすすめて江戸を選ばせたよいっていい。(187p-189p)

★私は、ポルトガルでは海と海事を見るつもりできた。(196p)

★イデオロギー的正義というおそろしものをこの地上で発明したのは、やっつけられる側のイスラムではなく、十字軍以来のキリスト教の側であった。(250p)

2025年11月14日金曜日

『こころは今日も旅をする』

 立冬が過ぎて「秋晴れの朝」は変かもしれない。が、気持ちいい朝を迎える。『こころは今日も旅をする』(五木寛之 新潮社、二〇二四年発行)を読んだ。著者と同じく「善く生きる」ことはできないかもしれないが「長く生きる」のはできそうだ。というのも生まれてすぐに大病を患って育っている。そのため、わけもなくなぜか長生きしそう、と思って生きてきた。幸い今のところ病気もせず、元気に過ごしている。他にも著者と同じく割と何でも「長く続ける」ことがある。大の運動音痴が水泳に至っては40年以上も続けている。これが一番の元気の素、と思っているが……。長く続けているものは他にもある。ブログ投稿、フルート(今は我流で吹いている)、日本画などがあり、旅も長く出かけている。以前はエレクトーンも長くやっていた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★<善く生きるか>それとも、<長く生きるか>人生にはその二つの選択肢しかない、と考えてきた。今もそう思っている。そして私には<善く生きる>ことはできない。すでに人生の出発点からしてそうなのだ。と、すれば残された道は一つ、<長く生きる>ことしかない。<悪人長命>の謂(いい)である。<長く生きる>とは、<長く続ける>ことだろう。私は我流で、いろんな養生法を実践している。人に話すのが恥ずかしいような日常の習慣だ。ぜんぶ自分で考えたことだ。要諦は、ただ一つ。長く続けること、それだけ。……<善き生き方>を諦めた人間の選択として、こうして加齢の日々を重ねている。<老人正機>とつぶやきながら。(216p―217p)

2025年11月13日木曜日

『忍者四貫目の死』

 毎週水曜日、BSよしもとの「笑い飯哲夫のおもしろ寺社めぐり」を見ている。BSはほぼTverでは見られないのでテレビのリアルタイムで見る。この番組は奈良出身の哲夫だけあって奈良県内の寺社巡りが多い。最近奈良にハマっているので見ないわけにはいかない。昨夜は高鴨神社だった。高鴨神社への交通アクセスを見るとあまり便は良くない。最寄バス停から15分歩くとか。この神社の庭園を見ると吸い込まれそうになるくらい素晴らしい。テレビを見ながら奈良のガイドブック2冊をみるといずれも掲載がない。

 公共交通機関を利用しての一人旅なので便がいい神社仏閣に限られる面がある。テレビで見て一度は出かけたいと思いながらもさてさて……。

 昨日はほかにも歯科へ行く。歯のクリーニングだが、まだまだ歯科通いは続きそうだ。

 以下は『戦国の忍び』(司馬遼太郎・傑作短編選)から『忍者四貫目の死』(司馬遼太郎 PHP研究所、2014年第1版第3刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★伊賀で傭うた下忍は、一人を上野ノ吐根といい、一人を名張ノ四貫目(しかんめ)といった。吐根はまだ若かったが、四貫目はひどく老いぼれた忍者だった。……四貫目というアダナは、一日にナマ米を四貫目食いだめできるという奇妙な能力から出ている。(59p-60p)

★知道軒道人は、いうまでもなく、四貫目であった。伊賀での呼び名を四貫目といい、武田家での呼び名を知道軒といった。源大夫でさえそのことを知らなかった。むろん、知道軒が祝部三左衛門などではない。三左衛門は、十年も前にすでに世から消えている。(70p)

2025年11月12日水曜日

晩秋

 送られてくる郵便物をみて今年も終わりに差し掛かった、と感じる。昨日届いた某交流会の忘年会の案内状がそうである。すぐに出席の旨、印をつけて投函した。その際、同時に送られてきた日本画作品展の搬入・搬出の請求書の振り込みをする。郵貯の当座預金宛ての振り込みでいつもと何かが違う。郵便局のATMで操作していたので係に教えを乞う。初めて知ることだった。忘年会と言えば日本画教室がある。これは今月末にあり名目は日本画作品展の打ち上げと先生の傘寿のお祝いを兼ねている。時期的には忘年会も兼ねたい。

 久ぶりに郵便局に行ったので年賀状の印刷してあるハガキを見る。家のパソコンのプリンターが壊れて印刷できない。まだ年賀状を出す人数を決めていない。これから欠礼ハガキなどが届くかもしれないので様子を見て年賀状を購入しよう。

 昨日はまた、プールで泳いだ。500m泳ぎ、久ぶりに50mほど水中歩行をする。泳ぎ終えると気持ちがすっきりする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月11日火曜日

新幹線チケット発券

 今年の6月に初めて談山神社に出かけた。この神社は奈良でも有数の紅葉の名所らしい。紅葉の時季はさぞかし人出も多いはず。そう思って下見も兼ねて6月に参った。その旅から帰って談山神社のライブ映像を知る。それ以来、ほぼ毎日、ライブ映像を見ている。今朝も見るとまだ紅葉は早いようだがだいぶ色づいている。そしてカメラに映し出される観光客の姿も増えていく。

 今月下旬、この神社にお参りする。お参りというよりも紅葉を見に行くのだが。と同時に、ライブ映像で写し出される十三重塔をメインに見る!?6月に出かけた際、この神社で有名な十三重塔を見ずに帰った。その横に本堂があるのになぜか見忘れている。

 昨日、JR自宅最寄り駅のみどりの券売機に行き、e5489で予約していた福岡、奈良、京都行の新幹線チケットを発券した。これは今月と来月に出かける新幹線のチケットである。ついでに在来線や私鉄に乗る際に便利なICOCAも1万円分チャージする。

 今朝は最低気温7度と低かった。が、最高気温は19度の予想で晴れている。遊ぶには元気でなくてはいけない。今日はプールで泳ぐ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月10日月曜日

立冬も過ぎて

 今月下旬に奈良へ行く予定でいる。出かけるのは長谷寺と談山神社、そして等彌神社を予定していた。このうち等彌神社だけは初めて行く場所で残る2か所は昨年出かけて熱中症になった長谷寺、そして今年の春の談山神社である。まるでリベンジの旅のようだが昨日、急遽、長谷寺を取りやめて不退寺に変更する。

 元々は長谷寺の前は円成寺を予定していた。しかし、このお寺は柳生の里の手前にあり、バスの便が極めて少ない。ましてや今回は宿を桜井市に決めている。円成寺へ行くのはあきらめた。昨日は不退寺行きの時刻を調べる。JR奈良駅から近くにあり、交通の便はいい。ついでに足を延ばして平城宮跡の荻(おぎ)のたなびく姿も見てみたくなる。が、この時季、日が暮れるのが早いので無理は禁物、とあきらめる。翌日は春に出かけた談山神社、そしてその帰りに等彌神社に参るつもり。

 出かける3か所は奈良の紅葉名所となっている。今年の秋の紅葉は奈良で見る!?

 昨日、来月出かける旅の「おとなび」を予約した。帰りの予約はこの後する予定でいる。先日、「おとなび」を予約するメールアドレスを変更したが、大丈夫だった。

 7日に立冬も過ぎて日が暮れるのが早くなった。これから冬至まではさらに日没が早くなる。旅に出かけるには日が長い方がいい。その点では春がいい!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月9日日曜日

『戈壁の匈奴』

 昨夜から雨が降り続く。晴天の昨日午後は日本画教室に出かける。描いているトドワラの絵ももうすぐ完成しそうだ。さて次は何の絵を?と思うが今はまだ決めていない。

 以下は『戈壁の匈奴』(『ペルシャの幻術師』に収めてある 司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)から気になる箇所メモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★歴史は神の神秘にみちたアトリエであるといわれる。しかし、その工房で創られた作品の半ばは、ついに後世の人類の目に触れることはない。漠南のオアシス国西夏もまた、そうした国の一つであった。歴史は沙の上にこの華麗な国を創り、わずか二世紀の生息をゆるしたのみで、ふたたび砂漠の底に風葬し去った。数少ない資料によれば、西夏は党項(タングート)人の国であった。蒙古資料の表現癖を借りれば、その国は「崑崙の青玉(ぐふとぶち)のごとく」小さく、国土の中央を、マルコ・ポーロの越えた絹の道(シルクロード)が貫いていた。(53p)

★中世蒙古人は、神の生んだもっとも卓(すぐ)れた獣であった。あの戈壁を例にとっても解る。彼等の故郷の南に横たわるこの大砂漠は、今日の探検整備をもってさえ、越えることは容易なことではない。ところが鉄木真のころの蒙古人は、十日間の食料を持ち、二十日間の日数で、北から南へ越え渡ったといわれる。彼等は、六日間の絶食に耐えられる特異な胃袋をもっていた。その心臓も、他人種のそれとは異なる。成吉思汗鉄木真の子崫闊台(オゴタイ)大汗が、喀喇和林(カラコルム)の宮殿で崩じたときのことであった。(66p)

2025年11月8日土曜日

「人生は自分で決めるしかない」

 最近、メディアに登場する作家に阿刀田高がいる。奥さんを亡くし、90歳でひとり暮らしとなった作家のエッセイ『90歳、おとこのひとり暮らし』を読みたいと思っていた。そう思った頃には図書館の蔵書がなく、以前に書かれた書を借りて読んだ。今朝の地元紙に阿刀田高のインタビューがある。とても90歳とは思えないほど若々しい。

 先ほど、図書館の蔵書を検索すると先の本があり、30人ほど予約がある。すぐに予約を入れた。今朝の地元紙によると「身の回りのことを大体受け入れて、少し良いことでもあれば、良かったなあと思って生きる」「簡単ではないけど、好きなことを選んで生きるのがいい。人生は自分で決めるしかない。それだけのことなんです」そして最近知った喜びに「お月さまを見ること」があるそうだ。最後に「私の考えでは死は無。つまり、いまを生きることが全てだと思っています」とある。

 この中の「人生は自分で決めるしかない」は若いときは気付かなかった。今となれば確かに、そう思える。その気になるまでは人と同じ道を歩むことしか考えていなかった!?ところが年を経て、しだいに「自分の人生、自分が好きなように生きる」とどん欲になる。それが「人生は自分で決めるしかない」になるかもしれない。

 幸い、まだ自分で決めたことはなんでもやれる。そう思う間にせっせと楽しみを見つけて遊ぼう!それは旅!?
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月7日金曜日

適当に、適当に

 気持ち良い日が続いている。今朝はゴミ出しで失敗しそうになる。第2と第4金曜日は資源ゴミの日。何日も前から資源ゴミの日を心待ちにしていた。というのも先日の大型ゴミで布団を出す際、布団カバーを外して出した。そのカバー6枚は布なので資源ゴミになる。これをたたまずにナイロン袋に入れたのでかさばる。早く資源ゴミに出したい気持ちが昂じて間違えたようだ。資源ゴミには新聞紙やチラシ類もある。これらも別々にして袋に入れていた。ゴミの日を1週早まったので資源ゴミはすべて来週になる。

 「南蛮の道Ⅱ」を読んでいる。これを読み終えると司馬遼太郎の小説にもどって図書館で「城塞」を借りて読む予定。気候のいいこの時季に家で本を読むのはもったいない。が、遊んでいるだけというのももったいない。何事も適当に、適当に。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月6日木曜日

『兜率天の巡礼』

 最近は司馬遼太郎の本でも忍者(?)に関するものが多かった。こういう類の本を読むと頭がこんがらがる。浮世離れしているためかもしれない。それでも「兜率天の巡礼」に出てくる兵庫の大避神社に出かけたい気持ちがある。何か怪しげな神社に思えるが、それをこの目で見てみたい。

 以下は『兜率天の巡礼』 (『ペルシャの幻術師』に収めてある 司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★秦の都に行けば、いやでも見ねばならぬものがある。太子は、後世の仏教僧から和国の教主といわれた。仏陀の教えに帰依する太子にとって、山城の太秦は、外道の都であった。異教の廟所があるように聞いている。秦一族はその族の通称として、これを大闢(びゃく)ノ社(やしろ)と名付けていた。閼伽道竜(あかどうりゅう)が、いま赴こうとするのは、その大闢ノ社であった。大闢はのちに大避と誤記し、さらに降って今では大酒神社といわれる。比奈の裏にある大避神社と、同神のやしろである。太秦広隆寺の摂社として、いまに至るまで千数百年の社齢をけみした。(148p-149p)

★仏説によれば、天は九つの天によって出来ている。その一つを兜率天と云い、兜率天に座して下界をながめ、仏滅後五億年の思索を遂げているのが弥勒菩薩であるといわれている。弥勒の国に住む者は、弥勒ひとりではない。いま道竜がながめている兜率曼荼羅がそれをあらわしている。この国に太陽はなく、紫金魔尼(しきんまに)の光明が旋回し、光は化して四十九微妙の玉宮を現出する。……(155p)

★兵庫県赤穂郡比奈の大避神社の禰宜をしている波那の実家の本家の当主から彼女の遠い祖先がユダヤ人(安息系 ペルシャ系)の移民団の子孫であることを知らされて、衝撃を受ける。彼らは古代キリスト教の一派であった景教(ネストリウス)の信徒で、日本に渡来したさいに、秦氏(はたうじ)の一族だと称して、ダビデ(漢訳名大避)の礼拝堂(のちの大避神社)を建てたが、それは仏教の渡来以前のことだという。(358p 「解説」磯貝勝太郎)

2025年11月5日水曜日

『南蛮の道Ⅱ』

 昨日午後はプールで泳ぐ。プールでの顔なじみは何人かいるが最近は1人しか出遭わない。その人は毎日泳ぎに来るという。土、日も?と聞くと休館日の水曜日以外は毎日泳ぐそうだ。数歳下の人だがそれにしても毎日泳ぐとは恐れ入る。住んでいる場所はプールからすぐの所らしい。体つきを見るといかにもスポーツをする人という感じがする。

 その人とは違ってせいぜい週に1度しか泳いでいない。それも旅などに行く週は泳がない。疲れすぎると体に良くない、との気持ちがある。この辺はかなり気を付けている。昨日も500m泳いだ。うち1往復半(75m)はクロールで8往復半は背泳ぎで泳ぐ。昨日は久々に泳いだ後、寒さを感じた。

 最近、司馬遼太郎の『南蛮の道Ⅱ』(司馬遼太郎 朝日新聞社、2006年第1刷ワイド版)を読み始めた。久々に「街道をゆく」を復活して読み始めている。というか、「ペルシャの幻術師」の解説を読んで「南蛮の道」のくだりがあり、その「1」は読んでいるので「Ⅱ」を読もうと思った。昨夜読んでいると「マドリード周辺」の「はるかな『征服』」に以下のように書いてある。

 ★ヴァリニャーノの手紙にも、日本については「征服」ということばがつかわれている。ヴァリニャーノはすでにのべたようにイエズス会の巡察使という高位にあり、「天正少年使節団」を企画し、欧州に送った人物である。

 ポルトガル人とスペイン人の間には、征服に関して分割が行われているので……。

 まことに物騒なことばを、ヴァリニャーノも平然とつかっている。日本がたまたま国内統治が堅牢で、六十余州に武士たちがいたから、現実に、新大陸やフィリピンのように征服されなかっただけで、先方(ローマ法王と、スペイン・ポルトガルの両国王)は、征服できるようならそうしたかったにちがいない。……この両国による領域と征服の保証については、一四九三年五月三日付でスペイン国にくだされた法王の大勅書では、

 彼等(註・王たち)に使者によってこれまで発見され、そして今後発見されるすべての陸地と島々を永久に両王とその後継者達にあたえる。

 とあり、ローマ法王も、ずいぶん浮かれていたといわざるをえない。世界の実情も知らずにこんなばかな大勅書を出しているから、豊臣秀吉の禁教(一五八七年)があったとしても、仕方があるまい。次いで長崎における教徒処刑――二十六聖人殉教――(千五九七年)があり、禁教についての家康の継承があって、ついには禁教が徳川幕府の国是の第一項になり、鎖国がおこなわれることになってしまった。……「征服」という意味は、日本の実情からいって貿易権というほどのことだったろうが、いずれにせよ、一五八四年、スペイン王フェリペ二世が四人の少年をあれほどに歓待した動機には、対日貿易のことがなかったとはいいきれないようである。(44p-47p)

 引用した箇所を読んで「天正少年使節団」や、秀吉の禁教と教徒処刑、さらに徳川幕府の鎖国などの件を改めて知る。元来、歴史嫌いだったが年を経るにつれて、また司馬作品を読みだして今更ながら、という感じで歴史を学ばせてもらっている。

 来春になればJRの広報紙の西日本ナビに掲載の長崎に行こうとも思っている。この本のお陰で長崎の教徒処刑の意味も分かった。

 昨夜は他にも若一調査隊の動画を見て滋賀県の三井寺へ行きたくなった。これも来春にでかけよう。どこかへ行こうと思うと元気が湧いてくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月4日火曜日

便利なNAVITIME

 今日は最低気温が8度と今季一番の冷え込み!?今朝は大型ゴミに布団を6枚出す。幸いお天気も良くて朝から蒲団を玄関前に出す。午後はプールで泳ぐつもりなので気合が入る。

 年内に京都の紅葉を見に出かける予定でいる。宿はすでに予約済み。先月出かけた浄瑠璃寺も岩船寺も正確には奈良県ではなく京都府に位置する。しかし、イメージ的には奈良県に思える。いわゆる京都へは久しぶりに出かけるが、今の予定では永観堂、東福寺、そして清水寺である。翌日は神戸の大ゴッホ展を見る予定。広島→新大阪間は新幹線乗車。新大阪→京都間は新快速に乗車する。帰りは京都→JR三ノ宮駅間は新快速。ここで下車後、大ゴッホ展を見る。見終わった後は新神戸駅は在来線が通っていないのでJR三ノ宮駅→姫路駅間を新快速に乗り、姫路→広島駅間は新幹線乗車で帰宅、を予定している。

 神戸の三宮はJRは三ノ宮駅と「ノ」が入るが私鉄は三宮と「ノ」がない。神戸の美術館へは個人でも何度かある。が、JRと私鉄が通っていると面倒に思える。以前はJRから私鉄に乗り換えて出かけたが今回はすべてJRで行くつもりでいる。そのため、新快速の出番となる!?

 最近、NAVITIMEの予約でちょっぴり賢くなった。例えば広島→奈良の乗り換え時刻を調べる際、NAVITIMEの乗換案内で出発、到着の横に「+経由」の表示がある。これまでは経由を利用しなかったが最近、これを使うと思うような便を利用できる。このNAVITIMEは本当に便利だ。先日の旅で話した人は図書館で時刻表を見て調べるという。NAVITIMEだと一瞬にして調べたい時刻がわかり、またホームの案内も料金も表示される。

 スマホを利用し始めてまだ3年半弱だが、このスマホのお陰で一人旅が可能になったように思う。

 昨日夕飯を食べようとするとチャイムが鳴る。近所の人だ。スマホの留守電の再生方法を教えてくれという。スマホの電話は登録してない番号は出ないし、ましてや留守電にはしていないので再生方法はわからない。わからなければスマホに聞けば、と教えてあげた。が、どうもこちらのandroidと先方のiPhoneでは使い方が違うように思えた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月3日月曜日

ブラウザと検索エンジン

 パソコンのメールはOCN、スマホはドコモメールとgmail、そしてタブレットはgmailを利用している。昨日、JR西日本の広報である西ナビを見ていてふと思った。今、「おとなび」の予約はパソコンで行っている。しかし、このパソコンはウインドウズ10でサポートが終了している。そのため何時パソコンがどうなるかわからない。それを覚悟で使っているのだが「おとなび」の予約が出来なくなるのはつらい。そこで考えた。おとなびの予約はパソコンのOCNを利用している。これをスマホやタブレットのようなgmailに変更すればいいと。この変更に時間をとられる。それは後で気づいたことだが、パソコンはスマホやタブレットのようにブラウザがGooglechromeではなく、マイクロソフトEdgeだ。gmailにするにはGooglechromeでないとアプリが使えない。

 それに気づいたとき、やっとパソコンにGooglechromeをインストールするしかないと。なんとかインストールできた。が、次に気になるのが一つのパソコンにマイクロソフトEdgeとGooglechromeという2つのブラウザを入れてもいいのか、である。後で調べるといいらしい。

 Googlechromeのgmailでのおとなび予約はまだ利用していない。JR西日本から利用メールアドレスの変更完了メールが入ったので大丈夫だろう。

 そして今回、改めて気づかされたことはブラウザと検索エンジンの違いである。ブラウザはマイクロソフトEdgeやGooglechromeなどであり、それはwebページを「見る」ためのソフトウエアだ。検索エンジンはweb上の情報を「探す」ためのシステムだとか。何も基本がわかっていないと気づかされた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月2日日曜日

ネパールの若い女性

  昨日午後からは日本画教室に出かけた。描いている絵は北海道野付半島で写したトドワラの絵。トドワラとはトドマツの枯れ木である。野付半島の原野とトドワラを写真から転写した。が、枯れた木を描くのは難しい。そこで描き方を変更する。トドワラの個所を何もなかったかのように再度、色を塗る。それを終えるとその上にトドワラを転写する。次週の教室では再度、トドワラを描く予定。枯れ木を細く描くには筆を立てて描くといいとか。

 絵を終えてJRのホームに座って列車を待つ。隣の人は一人で座っているのに何やら知らない言葉で話している。手には菓子袋を持ち、ホームにいた鳩に餌をやろうとしている。駅周辺で鳩の害に悩まされているとの新聞記事を見た。餌をやらない方が……とその女性に話す。ネパールから1年半前に来たらしく日本語を習っているという。昨日はバイトでこの駅付近に来たとか。彼女が言うにはネパールでは鳩に餌を与えてもいいそうだ。

 さらに話をするとスマホを手にしてネパールの母親と弟にスカイプで話をしている。その中に加わって話を、とも言われる。2年の滞在のようだが残り半年は介護の勉強をするらしい。外国人を介護の仕事に従事させる話はよく聞くこと。昨日の若いネパールの女性のような人が介護職に就いてくれるのは有り難い。が、その女性たちはその仕事に従事して幸せなのだろうか。それを聞いてみたい気もする。経済格差だけで他の国の人たちを日本に呼び寄せる、これでいいのだろうか。

 いろんな国に出かけたがネパールには行っていない。ただインドの「ナマステ」を知っている。これはネパールでも使う言葉だった。

 若くして生まれた国を離れて日本で新たな生活を始める。自分の歩んだ道と比べるのはよくない。が、ずっと親元から離れずにいた者としては彼女の生き方は素晴らしいと思う。自分自身、若い時分から今のように一人旅をしていたらどんな人間になっていただろう。そう思うとちょっぴり彼女のような生き方が羨ましい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年11月1日土曜日

柿を食べた!?

 今朝は昨日と打って変わって気持ちいいほど晴れている。昨日と言えば今季初めて柿を食べた。柿は体を冷やす、と言われている。それなのに四角い市販の柿を1個食べた。果物の内で食べないのは梨がある。柿もなるべく食べないようにしているがスーパーに並ぶ柿を見て2個買った。体を冷やす、とわかっていたはずなのに食べてしまった。体は冷やさずに温めるに限る。あの猛暑日でも決してアイス類は食べないほど気を付けている。柿はあと1個残っている。果物は何でも食べるほうだが梨と柿はこれから気をつけよう。

 一昨日、眼科に行くと眼圧は14と17。その日の午後は休診日のためか人が少ない。いつも思っていることを初めて眼科医に聞いた。それは生まれてすぐに患ったと聞いている目の病気である。今でもその病気にかかる患者はいる?と問うといないわけではないがいるのはいるとか。先ほどスマホに問うと同じ答えが返ってきた。

 生まれてすぐに大病を患った、と聞いて育った。そのためか決して無理はしない。先の梨や柿に気を付けるのもそうかもしれない。が、これは大病とは全く関係ないが。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月31日金曜日

等彌(とみ)神社!?

 今年の夏は暑かったし、また長かった。3日か前にやっと扇風機を片付けたと思ったら、すぐに暖房機の出番となる。昨日、電気代の明細書が郵送されてきた。暑かったはずなのに使用したキロワット数が昨年同月よりもかなり少ない。電気代は7000円くらいと安かった。ガスはないので電気代しか要らない。この中に電気温水器代、エアコン代が含まれる。エアコンは昨年と今年、新たに買い替えた。また、冷蔵庫も買い替えたのでこれらすべてが省エネによるのか電気代が安くなる。

 今日は一日雨の予報だ。最低気温13度、最高気温16度で一日の気温差があまりない。明日からの来月はまた気温が上がるとか。年を経て、一番気にするのがお天気だ。晴れればうれしいが雨だと外にも出にくくなる。外にでなくなれば運動不足になりかねない。まだまだ過ごしやすい気候が続くので雨が降ってもなるべく外に出かけよう。

 今朝は夢を見ていた。来月末に出かける予定の奈良の旅。その中で神の森町バス停が夢に出る。そのバス停近くに等彌神社がある。談山神社に参ったたあと、この等彌(とみ)神社に参る予定だ。その名前が出て来ず、名前を探し出す夢だった。やっと等彌神社の名がわかったころに目が覚める。このごろは起きているときなども固有名詞などが出なくなると「あ」から始まって「ん」まで一通り調べる。そうすると出てこない名が出てくる。昨日は「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎が出なかった。この時はどうやっても頭に浮かばないので仕方なくスマホで「嫌われる勇気」の著者は?で検索してわかった次第。

 先の等彌神社の件は神社の名前が珍しいのか覚えにくい。そのこともあるのか夢を見たようだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月30日木曜日

『ペルシャの幻術師』

 『ペルシャの幻術師』(司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)を読んだ。『ペルシャの幻術師』には他に7編の短編が収めてある。今から30数年前にイランに出かけ、テヘラン博物館の見学もしたはず。だが、その時「悪魔の石」を見たかどうかは覚えていない。10数年前からこのブログで旅の行程を書き記している。しかしそれより前は何処の国へいつ行ったかのメモしかない。そう思うとウインドウズ10のセキュリティがどうなろうと何かの手段でブログは続けよう。

 以下は『ペルシャの幻術師』から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ただ、いつの時代か、廃墟の中から、一個の宝石が発掘された。深紅の色を湛え、指頭ほどもあった。それが、伝説の幻術師グラペット・アッサムの所持したものかどうかは分明でないが、その後ながく、ペルシャの幻術師の仲間で、法流を継ぐときの印可の証として伝承されたという。こんにち、テヘランの博物館に収蔵されている「悪魔(シャイターン)の石」がそれである。一二八一年、日本の弘安四年の夏、忽必烈(フビライ)の蒙古軍十四万が玄界灘を押渡り、同閏七月一日、博多湾頭を襲った狂颷(きょうひょう)のために、生存数千を残して悉く滅んだ。大鷹汗(シンホルハガン)ボルトルの死より二十八年ののちである。その後、百年を経ずして大蒙古艇国「元」は亡び、成吉思汗(ジンギスカン)の夢は、草原の彼方へ消えた。(49p)

2025年10月29日水曜日

大型ゴミ

 久しぶりに2階へ上がって掃除をする。ふと気になる押入れを開けると大型ゴミに出していない蒲団が残っている。もう何十年も使っていない蒲団だ。1年前にリフォームする際、2階はそのままにした。布団類はその前にかなり処分したがそれでも昨日見ると7枚もある。大半は掛布団で敷布団は1枚だけ。すぐに市の大型ごみに電話する。来週の火曜日に受け取りに来るという。最初に電話したときは昔の布団なのでかなり重いため3枚だけお願いした。ゴミとして出すにも玄関外まで出すのは大変だからだ。しかし、いくら重くても一度に処分する方が気は楽。すぐに再度電話して敷布団だけ残して計6枚お願いした。

 この6枚を2階から1階に降ろすのは大変。布団は割れ物ではないので2階から落とす。1階に落とした布団をとりあえずほかの部屋に置く。それをゴミ集荷の当日玄関の外まで運ばねばならない。これを持ち運ぶのは重いので引きずって出そう!ゴミの代金としてすぐにコンビニに行きチケットを購入。@¥250×6枚で計¥1500。

 ほかにも気になるものがある。それは母が買ってくれた着物類だ。これはどう思ってもゴミには出せない。そして2階にあるスピーカーとデッキそしてプレイヤーがある。50年くらい前の価格でピアノと同じくらいした。これもどう思ってもゴミにはできない。母がいた当時は2階に寝ていたのでこれで音楽を聴いていた。今は、年に数回掃除のために2階へ上がるのみ。当分はこのままにするしかなさそうだ。

 そして2階には箪笥が2棹ある。この中にはほぼ何も入っていない。ひとり暮らしだと市の大型ゴミの係が2人来て降ろしてくれる。が、これもそのままに……。

 1年前のこの頃はリフォームをお願いして工事が始まる前だった。早いものであれから1年になろうとしている。生きてるうちはいくら処分しても何やかや要らないものが増えてくる。そういえば昨日の処分で木綿のハンカチが32枚も出て来た。今、ハンカチは木綿ではなくタオルハンカチをつかっている。この32枚のハンカチをネットに入れて洗濯機で洗った。使う予定はないが洗濯を終えて干す際、夏以外は木綿のハンカチはかさばらないので利用しようかな、と思ったり。というかもったいなくて思い切って捨てられない。もう何十年も使わなかったのにいざ棄てるとなると捨てられない。これはなぜ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月28日火曜日

アルビノーニのアダージョ

 10数日間で気温は大きく変わり今朝の最低気温は10度で最高気温は19度と低くなる。昨日はプールで泳いだ。プールは隣町の循環バスに乗っていく。同じバスに乗った人と同じバス停で降りた。スーパーの前にあるバス停は車がひっきりなしに通る。下車後、車に気を付けて降りた人と話す。30年ぶりに歯科へ行った帰りだという。かなりの年配の人だが30年も歯科に行かずに生活できたとはすばらしい。内科に30年くらい行っていないが自分としては1年前から歯科通いが続いている。歯が丈夫な人を尊敬してしまう。その人はプールの近くに住んでいるらしく以前はこのプールで泳いでいたそうだ。

 昨日は500m泳ぐ。そのうちクロールは25mで、あとは背泳ぎで泳ぐ。なじみの人と話すと1キロ泳ぐようにという。この1,2年くらいまでは1キロくらい泳いでいた。が、無理して泳ぐこともないと500mで泳ぎ終える。気長にモノゴトを続けるには細く長くするに限る、との思いがある。そういえば昨日、初めてブラジル人が水中歩行していた。日本に来て2年だとか。

 今朝、スマホの動画を見ているとゴールウエイのアルビノーニのアダージョの演奏がある。スマホでは見られるのにパソコンでは思うようにならない。やっぱりこの曲は聞いていても素晴らしい。他の人の演奏をアップしよう!
 

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2025年10月27日月曜日

浄瑠璃寺の外観

浄瑠璃寺入り口

 ウインドウズ10のサポートが終了してパソコンを起動するたび何やかや表示が出る。パソコンのセキュリティは2027年3月まで契約していても、新たにインストールしないとそれは無効とか。昨日、ダウンロードしてインストールを試みる。が、新たに課金されるとある。それも今よりも金額がかなり高い。いずれにしてもウインドウズ11に買い替えなければ問題は収まらない。その思いからインストールはやめた。

 というか、今、パソコンの利用はブログ専用になっている。25年前にパソコンを初めて買って4,5台パソコンを買い替えた。パソコンの設定は初期よりもだいぶ簡単になったが、それでもかなり頭をつかう。今のパソコンが利用できるまで使ってその後の事は考えまい。すべてはブログを辞めればいいことだ。最終的にブログを続けたければ新たなタイトルでタブレットから投稿しようと考えている。そう思うとだいぶ気持ちが落ち着いた。

 今朝も来月の奈良行きの帰りの新幹線を予約する。OKだ。予約の前に昨夜から気になっていた談山神社と等彌神社のバスの便である。等彌神社は桜井駅から徒歩で15分の所にある。談山神社は桜井駅からバスでゆき、談山神社を観光後、等彌神社のある神の森町バス停で下車し、観光後に桜井駅まで歩こうとなった。そのためのGoogleMAPを検索すると道順が詳しく表示される。このGoogleMAPに慣れれば人に尋ねなくてもよくなる!?使い方に慣れるように練習しよう。

 今朝は他に浄瑠璃寺に出かけた和辻哲郎の『古寺巡礼』を再度読む。和辻の出かけたころの浄瑠璃寺は道が舗装されてなくバスに乗っても大変だったようだ。途中から徒歩で出かけている。「仏前に一つづつ置いてある手燭(てしょく)のような格好の木塊に画かれた画もおもしろかった。しかし何よりも調和した堂の外観がすばらしかった。開いた扉の間から金色の仏の見えるのもよかった。あの優しい新緑の景色の内に大きい九体の仏があるシチュエーションは、いかにも藤原末期の幻想に似つかわしい」(51p-52p)と書いている。これを読むと「開いた扉の間から金色の仏の見える……」のくだりは先日の浄瑠璃寺では考えられないことだ。開いた扉どころか全くといいっていいほど堂内に明かりはなく、手探りで歩くほどだ。当然、仏様ははっきりとは見えない。時代が変わればこうも変わる!?これもすべては九体の仏像保存にあるのだろう。

浄瑠璃寺九体阿弥陀堂の外観

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月26日日曜日

司馬遼太郎記念館会誌「遼」と来月の奈良行き

 司馬遼太郎記念館会誌「遼」2025年秋季号が送られてきた。友の会通信欄を見ていると同じように読んでいる人がいる、と思った。それは『司馬遼太郎が考えたこと』である。が、よく見るとそれは自分がアンケートで記入したことだった。また松原正毅の「『裸眼での意味』――生成AIの展開の時に」を読むと「万巻の書を読み、無数の資料に目を通し、できるかぎりおおくの現地の場に身を置くことにつとめた司馬遼太郎さんの実践の奇跡をみれば、『裸眼で』という姿勢の実相が明瞭にうかびあがってくる。それは、『みずからの足であるき、みずからの目で見、資料を多角的に検証し、そのうえで思索をめぐらす』という姿勢である」。これはモノゴトを色眼鏡で見ない!?

 2日か前から来月の奈良行きについて思いを巡らす。予定では談山神社、等彌(とみ)神社、そして柳生の里に位置する円成寺を予定した。ところが円成寺はどう考えても交通の便が悪い。仕方なく急遽、次回の奈良行きはリベンジ旅になりそうだ。それには昨年7月の長谷寺行きで熱中症になり、もう一度行こうとの思いがあった。そしてもう1つは談山神社。このお寺はこの春出かけたが一番大事な十三重塔を見逃している。ほぼ毎日のようにネットで談山神社のライブ映像を見ていると定点観測なので常時、十三重塔が映し出される。観光客の数も涼しくなったためか連日押し寄せている。これが紅葉時期となればさらに増えるだろう。

 来月に行く場所は決まった。どちらも出かけた所なので気楽に行けそうだ。ただ等彌神社は初めて行く場所だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月25日土曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その3

 2025年10月21日(火)から22日(水)までの2日間、奈良・斑鳩の里と木津川にある浄瑠璃寺、岩船寺の旅をした。その2から続く。

 2日目 2025年10月22日(水)

 宿はJR奈良駅近くのワシントンプラザホテル。前夜の夕食では時間も早かったためかホテル内のレストランで食事をする人は少なかった。が、朝食の時は多くの人だ。広いレストランを見渡すと3分の1くらいは一人旅のようだった。夕食は飛鳥鍋やてんぷら、そしてお刺身などいただく。朝食はバイキングではなく和食御膳をいただいた。初めて利用したホテルだが何もかも感じがよくて、またJR奈良駅にも近い。そして何よりもホテル代がリーズナブルだ。奈良行きの宿はこれからここに決めよう。

 宿を出てJR奈良駅まで歩き、関西本線に乗車して加茂駅で下車。何とJR奈良駅は電光掲示板の不具合でホーム内はアナウンスの音がけたたましい。係に聞いて乗車ホームに行く。

 加茂駅で下車後、コミュニティバスに乗車して岩船寺に向かう。バスを待っていると東京の4人組と出会う。ますは岩船寺に向かい、その後、浄瑠璃寺に行くという。岩船寺に着くと小雨が降っている。山の中に位置する岩船寺と浄瑠璃寺。雨で足元が滑らないように気を付けて歩く。

 バス下車後、すぐの場所に岩船寺があった。観覧チケットを購入後、本堂内に入ると中は暗い。本尊の阿弥陀如来坐像・四天王立像など見るが暗くて単眼鏡で見る。いただいたパンフを片手にどんどん奥に進むと鐘楼がある。この鐘は報恩感謝の鐘で、撞くと境内に響き渡る。辺りは山道であり、また雨でぬかるんでいる。滑らないように五輪塔、三重塔、十三重石塔など見て歩くと春日神社、白山神社の矢印がある。そこまで山道を歩いて行くとぬかるんだ道になる。これ以上行くのはやめて引き返す。
岩船寺

鐘楼


五輪塔
十三重石塔

三重塔
春日神社と白山神社
 岩船寺の観光を終えるとバス停にもどって浄瑠璃寺行きのバスを待つ。奥まった場所にある観光地のバス便は1時間に1本しかない。予定のバスに乗れないと山奥で一人取り残される。しばらくすると浄瑠璃寺に向かうバスが到着。乗客は少ない。この2つのお寺は若一調査隊のYOU TUBEを見て知った。ここを参拝した人たちはどうやってここを知ったのだろう。

 浄瑠璃寺は当尾の里にあり、九体寺(くたいじ)とも言わる。本堂は九体阿弥陀堂で九体の阿弥陀如来像が収めている。
浄瑠璃寺(九体寺)庭園
浄瑠璃寺九体阿弥陀堂
三重塔
左が此岸、右が彼岸をあらわすそうだ
 庭園をめぐって九体阿弥陀堂に入ると中は真っ暗だ。ふと見るとお堂の隅にずらっと人が座っている。隣に座るように、と言われた。が、行儀座りに慣れていないので立って仏像を見て歩く。が、室内の明かりが暗くて手探りで歩く。この暗さでは単眼鏡で見ても仏像は見えにくい。今回の旅ではどこもここも秘仏の前では暗さだけが印象に残る。

 浄瑠璃寺のバス停で観光客の人と話すと暗さについておなじことを言われていた。これは目の良しあしとは関係ないようだ。秘仏を灯りから守っているのだろう。
ムラサキシキブ

 2日目の岩船寺と浄瑠璃寺の旅は予定よりも早く切り上げてJR奈良駅で下車し、駅に隣接するお店でお昼を食べる。その後、予定の新幹線まで時間があるので旧駅舎を改造したインフォメーションセンターのスタバで珈琲を飲む。ここでしばし休憩。奈良駅の電光掲示板の故障はその時点ではなおっていた。帰りも行きと同じく大和路快速で久宝寺で乗り換えておおさか東線で新大阪まで行く。万博は終わっていたが相変わらず新大阪駅は人であふれていた。

 楽しい旅は終わった。来月もまた今年4回目となる奈良へ行く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月24日金曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その2

 2025年10月21日(火)から22日(水)までの2日間、奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅をした。出かける前から天気予報では2日間とも好天ではないとある。案の定、曇り空と小雨のなかを歩く。ましてやこの両日とも、気温が急降下して最高気温13度。寒さは大丈夫だった。が、悪天候は残念!

 一日目 10月21日(火)
 
 出かける前、10月22日(水)から法隆寺の秘仏が開帳されると知って出かけた。秘仏公開となればさらに観光客が増えるので前日に出かける。法隆寺は斑鳩寺と言われる、と出かける前に知った。斑鳩とは斑鳩鳥に由来するとか。法隆寺南大門をくぐり、まずは西院伽藍を観光する。拝観入り口で入館券2000円を払って大講堂、大宝蔵院、そして東院伽藍にある夢殿を目指す。大講堂を見物後、外に出ると鐘がなる。ふと「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の正岡子規の句が頭に浮かぶ。近くに係がいる。鐘は何処からなるか?と問うと西円堂からだという。再度、引き返すのも面倒なのでそのまま先を急ぐ。そして係はその碑が目の前にあるとも教えてくれた。
法隆寺金堂と中門そして五重塔
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の碑

 法隆寺から中宮寺に向かう途中で見たこともない木を見つける。せっかく写したのに何の木か文字が読めない。後で確かめよう。
これは何の木?
 旧斑鳩御所と言われる中宮寺の本尊である如意輪観音菩薩像はレプリカで実物は奈良国立博物館に収めてある。

 予定では斑鳩3塔である法起寺、法輪寺をめぐる予定だった。そして中宮寺跡のコスモスも見るつもりだったが時間が足りずに諦める。法隆寺参道に戻る途中、藤ノ木古墳の掲示を見て急遽、見に行く。南大門から歩いて5分くらいのところにあった。その途中にはのどかな風景が広がり、ささやかながらもコスモスが咲いていた。
藤ノ木古墳
藤ノ木古墳 中は入られない
ささやかに咲いていたコスモス
 1日目の予定を終えてバスでJR奈良駅前にあるワシントンプラザに泊る。この続きはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月23日木曜日

奈良・斑鳩の里と木津川浄瑠璃寺、岩船寺の旅その1

  2025年10月21日(火)と10月22日(水)の2日間、奈良方面の旅に出かけた。1日目は奈良・斑鳩の里法隆寺と中宮寺、2日目は地理的に京都に位置する木津川市にある浄瑠璃寺と岩船寺への一人旅だ。両日ともさっぱりしたお天気ではなかった。また、30度超えの日々から急転して昨日の木津川市は最高気温13度、最低気温は11度と寒くなる。しかし、薄手のウインドブレーカを持参していたので寒さは大丈夫だった。

 宿は今回、JR奈良駅近くのワシントンプラザに初めて泊まる。ここは2食付きなのにリーズナブルで次回からの奈良行きはこの宿に決めた。翌日、JR奈良駅から加茂駅まで乗車し、加茂駅で岩船寺行きのバスを待っていると東京からの4人組と出会う。話をすると宿の話になった。ワシントンプラザに泊ったというと高級だ、と言われる。金額を知らせると驚かれた。4人組は近鉄奈良駅近くのパン屋が経営する宿に泊まったそうだ。12月の京都行もすでに京都のワシントンを予約している。

 年に何度も奈良に行っている。が、その都度、乗り換えの近鉄に迷っていた。これからは新大阪駅から奈良まではおおさか東線で久宝寺まで乗車、そして久宝寺に到着すると同じホームから奈良までの大和路快速が出ている。この方法が迷わずに奈良まで行ける。

 初日の観光は斑鳩3塔の法隆寺、法起寺、法輪寺、そして法隆寺に隣接する中宮寺を回ろうと予定していた。が、久しぶりの法隆寺は境内も広く、ここだけでも多くの見所がある。法隆寺を見学後、中宮寺に参る。本来ならば中宮寺跡の歴史公園も見るつもりだった。が、係に聞くとコスモスは遅れており、かなり歩くという。また、そこから法起寺や法輪寺に行くにはさらに何十分もかかる。また帰りの距離も考えねばならない。お天気が良くないこともあって中宮寺の観光で、後は断念する。

 しかし、そう決めてもまだ少し時間がある。法隆寺南大門まで戻ると藤ノ木古墳の案内がある。ここからだと藤ノ木古墳までは530mらしく田園を眺めながら歩いて行くと整備された藤ノ木古墳が見えた。後で知ったのだがこの古墳は文化庁と斑鳩町が所有管理する国の史跡とある。道理で行き届いていると感じた。

 藤ノ木古墳は法隆寺から歩いて数分先なのに観光客は全くと言っていいほどいない。ただ、若い2人連れがいた。お昼は法隆寺境内の東茶所で自販機の紙コップに入った珈琲を買った。ここでお昼代わりのツナサンドを食べてもいいか、許可を請うとOKとのこと。広い境内を歩いても食事処は見当たらない。が、自販機やちょっとした展示物、そしてお土産物を売っている。足も疲れていたのでここで少し休憩する。そして藤ノ木古墳のベンチに座って2つ入った残りのツナサンドも食べた。まるでピクニック気分だ。古墳の中は覗けるだけで入られなかった。

 藤ノ木古墳から法隆寺参道までは1キロある。参道前にある茶店の芳庵に入って暖かい麺類をいただく。やっとここで食事にありつけた。

藤ノ木古墳
中には入れず外から見る
 法隆寺参道からバスに乗ると次のバス停で全員降ろされる。その理由は聞かなかったが次に来たバスに乗ってホテルに行く。ワシントンプラザに初めて泊まるが夕食は飛鳥鍋とてんぷら、そして刺身がついていた。いつもならばビールで一人乾杯のところ、メニューにある生ビールは品切れとか。アサヒビールがサイバー攻撃で被害に遭っている。その影響なのか瓶ビールしかないという。いくらビール好きでも瓶ビール1本は多すぎる。グラスワインを注文した。ところが出て来たワインはまるでビールのようにグラスの上まで注がれている。これを見て思わず係と笑った。なみなみと注がれたワインを飲んだ。途中で酔いそうになる。

 翌日はJR奈良駅から関西本線に乗車して加茂駅へ。ここから岩船寺行きのバスに乗る。岩船寺を観光後は同じ路線の浄瑠璃寺で下車。少し雨が降っている。が、傘をささなくても歩けた。岩船寺は1時間の観光、浄瑠璃寺は2時間の観光と食事時間1時間を予定していた。ところがこの界隈には食事処はなく、また浄瑠璃寺もそれほど広くなくて1時間の観光でよかった。予定の時間が残り、奈良駅まで行って近くにある興福寺を観光しようと思いつく。が、雨の中をリュックを背追っての観光は大変だ。浄瑠璃寺の停留所で知り合った人はこれから木津川駅で降りて蟹満寺へ行くという。山口からの一人旅で新大阪20時のチケットだとか。それまでの日帰り旅だという。
 
 木津川駅で別れて奈良駅で下車。駅構内にある食事処で暖かい三輪にゅう麺をいただく。食事後、隣接する古い駅舎を利用した奈良のインフォメーションセンターに入る。ここのスタバで珈琲を飲んでしばし休憩。広島市内でスタバに入ることはほぼない。が、旅先でのスタバは旅気分を増加させる!?

 そういえば奈良駅から加茂駅に乗ろうとしたら奈良駅構内の電光掲示板がすべて点灯していなかった。何もかも人の手でなくITの時代だ。こういうこともある?とびっくりする。帰りの電光掲示板は正常だった。楽しい旅は終わった!この続きはまた明日!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月20日月曜日

1981年放送の日曜美術館「私と八木一夫 作家司馬遼太郎」を見る

  10月1日からあらたになったNHK ONE。初日早々からアクシデント発生で評判の悪さを露呈した感があった。個人的にどうにかNHK プラスからNHK ONEに移行できた。が、移行の率は以前の6分の1との情報もある。前より手続きが面倒になったことにもあるだろう。

 昨日、NHK ONEで1981年に放送された日曜美術館「私と八木一夫 作家司馬遼太郎」を見る。今から40年近く前の映像だ。そのころの司馬遼太郎を知らないので興味深く見た。八木一夫は司馬遼太郎の本を読んで名前は知っていた。が、詳しくは知らずにいた。

 八木はいわゆる陶芸家ではなく細工して作品に仕上げている。このことを司馬は語るのだが何やら哲学めいてここに記すことが出来ない。

 昨日は他にも来月、博多へ高島野十郎展を見に行くのでおとなびをネットで予約した。広島⇔博多間はのぞみだと1時間もかからない。安くするためにこだまで往復予約した。その際、先日、興福寺の多田俊映氏の講演で聞いた〇△□に関係ある聖福寺(しょうふくじ)にも立ち寄る予定でいる。年が明けた2月くらいまであちこちと旅を予定している。真夏の猛暑日の3か月間、おとなしくしていた。秋から冬にかけて大いに外に出よう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月19日日曜日

大慌ての一日

赤いトウモロコシを入れたご飯

 昨日は大慌ての一日だった。日本画教室に行く前に福屋八丁堀店によって依頼していた時計を取りに行く予定だった。1時間以上も早めに家を出て広島駅改札を抜けた。ところが、バスに乗ろうとするとICOCAがない。さあ、大変!その間、1分も歩いていない。すぐに駅改札にもどってICOCAの紛失を係に告げる。が、持物をよく調べるように、と言われるのみ。

 仕方なくバスに乗る。運賃は小銭がなくて千円札を両替して席に座る。八丁堀近くになってバッグを触ると何かある。ICOCAだ。あれほど持物を全部出して探したのにその時は見つからなかった。ICOCAは旅に出かけるため用にと1万円チャージしている。そのICOCAが見つかった。先日買い替えたバッグだが、これにまだ馴染んでいなかったようだ。

 興奮冷めやらぬまま、時計売り場に急ぐ。ついでに別の壊れていた時計のバンドも交換する。依頼していた時計のバンド交換は2万円ぐらいかかると言われていた。ところがクレジット決済を見ると依頼品は12000円でもう一個のバンド代は6000円。合計19800円(消費税込み)。

 汗で傷んだ時計バンドを2個交換した。そして先日新たに買った時計を入れると3個の時計がつかえるようになった。

 時計の件は落ち着いたがまだ先のICOCAの慌てた余韻がある。市内バスで日本画教室に移動中、スマホに電話が入る。全くと言っていいほど電話で話したことがない人だ。

 バス停に到着後に電話をかけ直すと別の日本画教室の人だった。この人に電話で知らせなくては、と思った矢先の電話だった。それは前夜のEテレのスイッチインタビューに出演の青山俊董尼僧のことだ。先方も同じ気持ちだったようでその旨、知らせてくださった。しばし電話でこんにちの尼僧さんのお元気な姿を称えあう。

 その間、先の大慌ての際、間違い電話を別の日本画の人にかけていた。その人が何か急用、と思って何度も電話がある。教室に着くとそのお詫びをする。ICOCAがなくなったと思って駅の忘れ物センターに電話するのを間違えてその人に掛けたようだ。

 何もかも落ち着きのない性格がよくない。気をつけよう!

 なお、NHK ONEで青山俊董尼僧の女優とのインタビューを見るといいことを話されている。92歳になるそうだがお元気だ。その話の一部から。

  毎日の人生のひとつひとつにどう取り組んで生きてきたか

  自分の人生とどう取り組んできたか 

  どう向き合って生きてきたか それが真ん中

 昨日は、先日もらった赤いトウモロコシを入れてご飯を炊いた。トウモロコシの芯はいれなかった。赤い塊はトウモロコシの芯の破片が入ったようだ。芯を入れて炊けば赤飯のように赤くなったかもしれない。が、美味しく炊きあがった。来年からもトウモロコシの季節には炊き込みご飯にして炊こう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2025年10月18日土曜日

世羅高原の余韻


  一昨日のせらの旅でもらった赤いトウモロコシはネットで検索すると大和ルージュというようだ。奈良県で初めて赤いトウモロコシを作ったとか。赤さを維持するため電子レンジでチンする。チンした後、これをどうやって食べる?と思って再度ネットで検索する。ご飯を炊くときこれを入れるといいとある。その前にチンしたトウモロコシを包丁で粒をそぐ。粒のなくなった芯は縦に切ってこれも一緒に電気釜で炊く、とある。しかし我が家の包丁がよくないのか2つに切れない。そのまま粒と一緒に電気釜に入れよう。

 トウモロコシはもう何十年も食べていない。先日の旅でもう1本買わせるためか100円の割引券がついていた。トウモロコシを食べたいと思わないので1本で十分だ。その券が欲しいといった人にあげた。

電子レンジで4分チンした赤いトウモロコシ
 今朝の地元紙を見ると今夜のEテレに司馬遼太郎が出演とある。寝るのが早いので明日、NHK ONEで見ることにしよう。NHK ONEと言えば昨夜のEテレのスイッチインタビューに青山俊董尼僧の出演があった。これもあとからNHK ONEで見よう。今、92歳と新聞にある。青山尼僧を知ったのはいつも書いているように九州のお坊さんたちと出かけたスリランカの旅での話にある。その名をその時知って以降、広島での講演会に何度か出かけた。が、コロナ禍での講演会は中止が余儀なくされる。広島での最後の講演会には皆さんで記念写真を、との思いも果たせずじまいに終わった。青山尼僧のその後がテレビでわかる!?

 昨日は他にも桂文枝のブログにいい言葉がある。その一部を勝手に引用させていただこう。

 天然は夕日を美しく
 人は晩年を美しく

 いい言葉だ。個人的に若い頃よりも今の方が何倍も何十倍も楽しい。その面では「人は晩年を美しく」は「人は晩年を楽しく」に置き換えて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!