2025年10月30日木曜日

『ペルシャの幻術師』

 『ペルシャの幻術師』(司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)を読んだ。『ペルシャの幻術師』には他に7編の短編が収めてある。今から30数年前にイランに出かけ、テヘラン博物館の見学もしたはず。だが、その時「悪魔の石」を見たかどうかは覚えていない。10数年前からこのブログで旅の行程を書き記している。しかしそれより前は何処の国へいつ行ったかのメモしかない。そう思うとウインドウズ10のセキュリティがどうなろうと何かの手段でブログは続けよう。

 以下は『ペルシャの幻術師』から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ただ、いつの時代か、廃墟の中から、一個の宝石が発掘された。深紅の色を湛え、指頭ほどもあった。それが、伝説の幻術師グラペット・アッサムの所持したものかどうかは分明でないが、その後ながく、ペルシャの幻術師の仲間で、法流を継ぐときの印可の証として伝承されたという。こんにち、テヘランの博物館に収蔵されている「悪魔(シャイターン)の石」がそれである。一二八一年、日本の弘安四年の夏、忽必烈(フビライ)の蒙古軍十四万が玄界灘を押渡り、同閏七月一日、博多湾頭を襲った狂颷(きょうひょう)のために、生存数千を残して悉く滅んだ。大鷹汗(シンホルハガン)ボルトルの死より二十八年ののちである。その後、百年を経ずして大蒙古艇国「元」は亡び、成吉思汗(ジンギスカン)の夢は、草原の彼方へ消えた。(49p)

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