最近は司馬遼太郎の本でも忍者(?)に関するものが多かった。こういう類の本を読むと頭がこんがらがる。浮世離れしているためかもしれない。それでも「兜率天の巡礼」に出てくる兵庫の大避神社に出かけたい気持ちがある。何か怪しげな神社に思えるが、それをこの目で見てみたい。
以下は『兜率天の巡礼』 (『ペルシャの幻術師』に収めてある 司馬遼太郎 文藝春秋、2001年)から気になる箇所をメモした。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★秦の都に行けば、いやでも見ねばならぬものがある。太子は、後世の仏教僧から和国の教主といわれた。仏陀の教えに帰依する太子にとって、山城の太秦は、外道の都であった。異教の廟所があるように聞いている。秦一族はその族の通称として、これを大闢(びゃく)ノ社(やしろ)と名付けていた。閼伽道竜(あかどうりゅう)が、いま赴こうとするのは、その大闢ノ社であった。大闢はのちに大避と誤記し、さらに降って今では大酒神社といわれる。比奈の裏にある大避神社と、同神のやしろである。太秦広隆寺の摂社として、いまに至るまで千数百年の社齢をけみした。(148p-149p)
★仏説によれば、天は九つの天によって出来ている。その一つを兜率天と云い、兜率天に座して下界をながめ、仏滅後五億年の思索を遂げているのが弥勒菩薩であるといわれている。弥勒の国に住む者は、弥勒ひとりではない。いま道竜がながめている兜率曼荼羅がそれをあらわしている。この国に太陽はなく、紫金魔尼(しきんまに)の光明が旋回し、光は化して四十九微妙の玉宮を現出する。……(155p)
★兵庫県赤穂郡比奈の大避神社の禰宜をしている波那の実家の本家の当主から彼女の遠い祖先がユダヤ人(安息系 ペルシャ系)の移民団の子孫であることを知らされて、衝撃を受ける。彼らは古代キリスト教の一派であった景教(ネストリウス)の信徒で、日本に渡来したさいに、秦氏(はたうじ)の一族だと称して、ダビデ(漢訳名大避)の礼拝堂(のちの大避神社)を建てたが、それは仏教の渡来以前のことだという。(358p 「解説」磯貝勝太郎)
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