2025年11月13日木曜日

『忍者四貫目の死』

 毎週水曜日、BSよしもとの「笑い飯哲夫のおもしろ寺社めぐり」を見ている。BSはほぼTverでは見られないのでテレビのリアルタイムで見る。この番組は奈良出身の哲夫だけあって奈良県内の寺社巡りが多い。最近奈良にハマっているので見ないわけにはいかない。昨夜は高鴨神社だった。高鴨神社への交通アクセスを見るとあまり便は良くない。最寄バス停から15分歩くとか。この神社の庭園を見ると吸い込まれそうになるくらい素晴らしい。テレビを見ながら奈良のガイドブック2冊をみるといずれも掲載がない。

 公共交通機関を利用しての一人旅なので便がいい神社仏閣に限られる面がある。テレビで見て一度は出かけたいと思いながらもさてさて……。

 昨日はほかにも歯科へ行く。歯のクリーニングだが、まだまだ歯科通いは続きそうだ。

 以下は『戦国の忍び』(司馬遼太郎・傑作短編選)から『忍者四貫目の死』(司馬遼太郎 PHP研究所、2014年第1版第3刷)から気になる箇所をメモした。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★伊賀で傭うた下忍は、一人を上野ノ吐根といい、一人を名張ノ四貫目(しかんめ)といった。吐根はまだ若かったが、四貫目はひどく老いぼれた忍者だった。……四貫目というアダナは、一日にナマ米を四貫目食いだめできるという奇妙な能力から出ている。(59p-60p)

★知道軒道人は、いうまでもなく、四貫目であった。伊賀での呼び名を四貫目といい、武田家での呼び名を知道軒といった。源大夫でさえそのことを知らなかった。むろん、知道軒が祝部三左衛門などではない。三左衛門は、十年も前にすでに世から消えている。(70p)

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