2025年11月5日水曜日

『南蛮の道Ⅱ』

 昨日午後はプールで泳ぐ。プールでの顔なじみは何人かいるが最近は1人しか出遭わない。その人は毎日泳ぎに来るという。土、日も?と聞くと休館日の水曜日以外は毎日泳ぐそうだ。数歳下の人だがそれにしても毎日泳ぐとは恐れ入る。住んでいる場所はプールからすぐの所らしい。体つきを見るといかにもスポーツをする人という感じがする。

 その人とは違ってせいぜい週に1度しか泳いでいない。それも旅などに行く週は泳がない。疲れすぎると体に良くない、との気持ちがある。この辺はかなり気を付けている。昨日も500m泳いだ。うち1往復半(75m)はクロールで8往復半は背泳ぎで泳ぐ。昨日は久々に泳いだ後、寒さを感じた。

 最近、司馬遼太郎の『南蛮の道Ⅱ』(司馬遼太郎 朝日新聞社、2006年第1刷ワイド版)を読み始めた。久々に「街道をゆく」を復活して読み始めている。というか、「ペルシャの幻術師」の解説を読んで「南蛮の道」のくだりがあり、その「1」は読んでいるので「Ⅱ」を読もうと思った。昨夜読んでいると「マドリード周辺」の「はるかな『征服』」に以下のように書いてある。

 ★ヴァリニャーノの手紙にも、日本については「征服」ということばがつかわれている。ヴァリニャーノはすでにのべたようにイエズス会の巡察使という高位にあり、「天正少年使節団」を企画し、欧州に送った人物である。

 ポルトガル人とスペイン人の間には、征服に関して分割が行われているので……。

 まことに物騒なことばを、ヴァリニャーノも平然とつかっている。日本がたまたま国内統治が堅牢で、六十余州に武士たちがいたから、現実に、新大陸やフィリピンのように征服されなかっただけで、先方(ローマ法王と、スペイン・ポルトガルの両国王)は、征服できるようならそうしたかったにちがいない。……この両国による領域と征服の保証については、一四九三年五月三日付でスペイン国にくだされた法王の大勅書では、

 彼等(註・王たち)に使者によってこれまで発見され、そして今後発見されるすべての陸地と島々を永久に両王とその後継者達にあたえる。

 とあり、ローマ法王も、ずいぶん浮かれていたといわざるをえない。世界の実情も知らずにこんなばかな大勅書を出しているから、豊臣秀吉の禁教(一五八七年)があったとしても、仕方があるまい。次いで長崎における教徒処刑――二十六聖人殉教――(千五九七年)があり、禁教についての家康の継承があって、ついには禁教が徳川幕府の国是の第一項になり、鎖国がおこなわれることになってしまった。……「征服」という意味は、日本の実情からいって貿易権というほどのことだったろうが、いずれにせよ、一五八四年、スペイン王フェリペ二世が四人の少年をあれほどに歓待した動機には、対日貿易のことがなかったとはいいきれないようである。(44p-47p)

 引用した箇所を読んで「天正少年使節団」や、秀吉の禁教と教徒処刑、さらに徳川幕府の鎖国などの件を改めて知る。元来、歴史嫌いだったが年を経るにつれて、また司馬作品を読みだして今更ながら、という感じで歴史を学ばせてもらっている。

 来春になればJRの広報紙の西日本ナビに掲載の長崎に行こうとも思っている。この本のお陰で長崎の教徒処刑の意味も分かった。

 昨夜は他にも若一調査隊の動画を見て滋賀県の三井寺へ行きたくなった。これも来春にでかけよう。どこかへ行こうと思うと元気が湧いてくる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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