『エリーザベト・ニーチェ』(ベン・マッキンタイヤー著 藤川芳朗訳 白水社、1994年)、サブタイトルは「ニーチェをナチに売り渡した女」を読む。細かい文字で分厚い本、気になる個所を付箋紙で印をしながら読む。ところがあまりにも付箋の数が増えて、昨夜すべて取り払う。結果は訳者あとがきを参考にする。それを記そう。
★「あなた方は虫けらから人間への道を歩んできた。という言葉が見受けられる『ツァラトゥストラ』第一部の「序説三」は、ダーウイニズムがすでに≪実質的に≫下していた宣告を、あらためて自分の言葉で語ったものと見ることができる。≪神は死んだ≫と。そして同時に、≪人間とは超克されるべき何者かである≫と言って、その未来へとつづく道を指し示そうとするのである。このようなニーチェに対して、その妹のエリーザベトは最初から最後まで反理性・反啓蒙に身を置いていた。そして必要があればいつでも、兄を否定し、裏切り、売った。こうしてニーチェの思想は、ダーウイニズムと同様に、人間の豪を啓くものであったにもかかわらず、いわばともに身内の人間によって、不幸な歴史を背負わされることになったのである。314p
この本を読むきっかけはポーランドに出かけて以来、アウシュビッツ、ユダヤ、ヒトラー、ナチスと関心が湧いてこの本に行きつく。ニーチェの妹のエリーザベトについてウイキペディアに以下のように書いてある。「1930年、エリーザベトはナチ党の支援者となった。1933年にヒトラーとナチ党が権力を掌握すると、ニーチェ文庫は資金と広報の面で政府から援助を受けるようになった。その見返りとしてエリーザベトは兄の名声をナチ党に利用させた。1935年の彼女の葬儀には、ヒトラーや複数のナチ高官が出席していた」とある。このことからサブタイトルにあるようにエリーザベトは「ニーチェをナチに売り渡した女」と言われるのだろう。
以下は22日の古澤巌のブログから。
(映画を)観に行く暇が無いためV。
いつぞやのゴッホ&ゴーギャン展コメントの影響?
タヒチ来た。
絵画は残る。歴史に残る。
貧乏。家族に捨てられ。女に捨てられ。
最悪の人生。でも歴史に残ってる。
俺達は、俺達にしか出来ない、人生。
何も残らない…。それでいい。
何と詩的な文だろう。名のある古澤巌でさえも「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」とは…。これを捩って「凡人は凡人にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」。新年早々に古澤巌のヴァイオリン演奏を聴きに行く!ほんと、楽しみだ!
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