2017年11月22日水曜日

『私のヴァイオリン』

 『私のヴァイオリン』、サブタイトルは「前橋汀子回想録」(前橋汀子 早川書房、2017年)を読んだ。演奏家がヴァイオリンに賭ける情熱をまざまざと見せつけられた本だった。世の中の有名な音楽家との出会いがその人の演奏する力になっている。これは何も有名人でなくても凡人であっても同じかもしれない。人との出会いが人生を決定づける!ともあれ、読んでいて元気が湧いてくる本だった。

 昨日はお天気にも恵まれて急きょプールで泳ぐ。これから一日ごとに寒くなる。泳げる日にはなるべく泳ぎを優先しよう。プールに行くにも今が一番いい季節かもしれない。水に浸かった感触がどういっても温泉のように感じる。温かいプールで昨日も1キロ泳ぐ。

 以下はまたいつものように本からの抜粋!

★運動が苦手だったので、学校の体操の時間もイヤでイヤで仕方がありませんでした。…ボールが投げられないし、キャッチもできない。跳び箱や鉄棒は、言うまでもありません。(14p)

 同じく運動音痴で育った。世の中、同じような気持ちで育った人がいると思ってこの本を読む。

★アルバン・ベルクは亡くなってから二〇年経ったぐらいの時期でしたが、彼のヴァイオリン協奏曲は前衛的で難解だと言われていました。今でもその評価に変わりはありません。(34p)

 先月の広響第374回定演でこのベルクのヴァイオリン協奏曲が演奏された。しかし、聞いていてその良さが全くわからない。前橋もこの曲は「前衛的で難解だ」と書いている。その後、テレビでN響がベルクの曲を演奏していた。指揮者を見ると広響の指揮者と同じ下野だった。「わからない曲」とのイメージが付きまとったベルクの曲。お蔭でベルクの名をしっかり覚えた。

★ある日、中国人留学生たちは忽然と姿を消してしまいました。…あとから考えてみると、おそらく政治の大きな変動により、中国に呼び戻されたようです。一九六〇年代に入って以降、ソ連と中国との関係は複雑でしたから、その影響があったのではないかと。中国人留学生たちはその後、どうなったのでしょうか。文革四人組のひとり江青女史から絶大な引き立てを受けていた殷承宗ものちに農村に下放されたと聞きました。(58p)

 殷承宗についてネットで調べるとアメリカ国籍の華僑のピアニストとなっている。前橋と同じくソ連留学時代の経歴も詳しい掲載がある。https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%B7%E6%89%BF%E5%AE%97 (参照)

★私のソ連留学は広く世間に知れ渡っていたので、訪ソする人たちが「娘さんに届けるものはありますか」と、わざわざ両親のもとに連絡をくださったのです。…「市川です。お母さまから荷物を預かっています」声の主は、国会議員の市川房枝先生でした。受け取り場所として指定されたのはホテル・アストリア。ナチスドイツのヒトラーは「レニングラード包囲戦」と呼ばれるソ連との戦いに勝利したら、このホテルで祝賀会を開く予定だったそうです。(67p)

★一九六一年九月、レニングラード音楽院での勉強を始めた直後に、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルによるチャイコフスキーの悲愴交響曲を聴きました。…思わず感情が昂ぶり涙が止まらなくなってしまいました。チャイコフスキーは、ロシアの風土とロシア人の心を音楽にした作曲家です。彼の音楽には、ロシア人のあらゆる感情が集約されています。(75-76p)

★オイストラフは「ヴァイオリンはお腹で弾くものだ」と言っています。ヴァイオリンの大きさは同じであっても、演奏する人の体形はさまざまです。だから、体幹を使って、それぞれが自分にとって自然体で、一番ふさわしい弾き方を見つけなくてはいけない。そう言いたかったのでしょう。

 フルートを吹くときも体幹が重要と教えられた。何事も一番は「体幹」!?

★タリーさんは私の保証人になってくださり、一度は断られたチェース・マンハッタン銀行から融資を受けることができました。こうして、ほしかったバリストリエリを手に入れたのです。…タリーさんのような慈善家に出会えたことも、私の演奏家人生のなかでたびたび感じた「不思議な導き」よるものだった気がしてなりません。(112p)

★イタリアのナポリでアルベルト・クルチ国際ヴァイオリンコンクールを受けたとき、シゲティ先生は「グッド・ラック」の意味を込めて、私が泊まっていたホテル宛に金細工のネックレスを送り届けてくださいました。…ご自身が大変なときなのに、弟子である私が予選を勝ち抜けるようにと、細やかな心配りをしてしてくださったのでした。そのおかげもあって、このコンクールでは優勝を果たすことができました。私が少しでも多くのコンサートやコンクールで優勝できるようになると、先生は方々に推薦状を書き、私のことを積極的に売り込んでくださいました。…さまざまなコンサートで演奏したり、ヨーロッパの各地で開催されるコンクールに応募したりすることができ、ギャラや入賞賞金を生活費やレッスン代に充てることができたのです。(128p)

★ヨハネスブルグは、あらゆるところに「ホワイト」と「ブラック」の差別がある世界。白人の社交場にインド系の青年が出入りすることは、許されないのです。日本では経験したことのない人種差別の現実を、初めて目の当たりにした瞬間でした。(142-143p)

★いま私が使っている楽器ガルネリウス・ジェスは、二〇〇三年にロンドンの楽器商チャールズ・ベアーさんから購入しました。…一七三六年製のガルネリウス・デル・ジェス。(151p)

★一九九九年二月、妹の由子を亡くしました。旅先での不慮の事故でした。(148p)

★山を登っていくと、登りついた先で見えてくる「景色」があります。その景色を見ることで新たな気づきがあるから、さらに登り続ける。演奏家というものの人生、少なくとも私の人生はその繰り返しです。私は今もその山を登り続けています。…ひとつだけ言えるのは、一回一回のコンサートに「これが最後」という気持ちで向き合ってきたことです。大好きなヴァイオリンを一日でも長く引き続けたい、それが私のいまの「願い」です。(158-159p)

 去年と今年の2回、前橋汀子のヴァイオリンコンサートを聴きに出かけた。華がある人だった。街を歩く人の中に何人がクラッシックのコンサートを聴きに行くだろうと思ったそうだ。それからアフタヌーンコンサートを始められたという。そういえば、2回聞いた時も午後3時頃の開演だった。皆が聞きに行き易い時間に割安のコンサートをする。そう思われたらしい。聞く側にとってはありがたい。

 一流の演奏を聴く機会があればなるべく聴きに行こう。近いうちに堀米ゆず子の演奏を聴きに行く。楽しみ!それにしても一流の人が手にして弾くヴァイオリン。何と高価なんだろう!

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