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2018年2月9日金曜日

楽器の持ち方&日本画教室の人たちと

 ピアノの詩人ショパン。昨年からこの人に興味津々。今夜のEテレ「ららら、クラシック」はショパン様だ。見よう!若いころに習ったオルガンやエレクトーン。大きすぎて場所を取ると思い、数年前に市の大型ごみで引き取ってもらった。手放した後悔はない。だが、ショパンの曲をフルートでさらっていると、ついでに鍵盤楽器で弾いてみたくなる。次に鍵盤楽器を買うときはキーボードがいい。その時は誰かショパンのノクターンの弾き方を教えてほしい。とはいってもボツボツ練習すれば何とか弾けるかもしれない。それは先の夢として今はショパンの曲の演奏を聴く!?ということで昨日の日本画の人とのランチ後、駅前のデパートのチケット売り場によって5月に「さくらぴあ」で開催されるピアノリサイタルのチケットを購入。演奏者は2015年ショパン国際コンクール第2位受賞者でソナタ賞も受賞したシャルル・リシャ―ル・アムラン。楽しみだ。

 フルートでショパンの曲を吹いている。さらった♪ノクチュルヌOp.9-2♪。この曲を何とかさらって仕上げたことは自分のなかではフルートを習い始めてのターニングポイントになるかもしれない。そう思えるほどの練習になった。どういっても連符の数の多さ、トリル、ターンが頻繁にあり、そして曲が速い。譜面上はまるで算数をさらうように音符の下に何拍かを書き込む。声を出してメトロノームと合わせ、時には手をたたいて拍をとる。このかいあってか、次に練習し始めた♪ノクチュルヌ21番ハ短調♪の楽譜を見ると目も慣れて吹きやすく感じる。しかし、この譜面上にも連符が多くあるので算数の如く拍の長さを数字で書き込む。 

 前回のレッスンでフルートの頭部管と胴部管をつなぐとき、先生から5ミリほどの長さにするように教わる。こうやって足部管もつないで家で練習すると響きある音が出る。我ながら「こりゃ、どういうこと」と驚くほどいい音が出る。母がいなくなってからはすべてが自分の時間。この期間もいつまでもあるわけではない。そう思い始めてからかなりフルートの練習をするようになった。レッスンでは自分の腑に落ちないことはさらう前に先生に聞くようにした。そしてどんなふうにフルートが吹けるようになりたいかを考えるようになった。まずは音だし。そしていい音を出す。すこしだけその思いに近づいた気がする。

 一昨日のヴァイオリニスト古澤巌のブログに「人差し指球」のタイトルで綴っている。以下はそのブログ。すべての掲載は如何なものか。とりあえず掲載させていただこう。

結果、ここに戻って来た…。
ミルシテインについてのインタビューとかで気になり、
もう一度彼のyoutube見ても。
相変わらずよく判らない。
が、一見、普通に見える左手。
いろいろ試行錯誤で、それはあり得んだろう、的なところまで試した結果。
レオポルドが教えるように、
やはり人差し指の指球、に秘密があるようだ…。
ただし。
今までの自分のとは、「全く」違うな。
もっとジェイクに近い。
紆余曲折の挙げ句。
前は左手にネックを乗せると、ビブラートは出来なかった。
この方法だと、出来る!
おまけに、ミルシテインみたいな音まで聞こえてくる(気がする)…。おめでたい自分。
これがまた、誰かに話しても、
「前と変わらないけど?」
とか言われる。
この4月付けで、洗足の客員教授に迎えていただく。
その前に、間に合ってよかった…。でたらめ教えたら大変。
教える事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。
明日はハワイ。ジェイク懐かしい…。

 この中で以下の言葉はとくにわかる。

教える事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。

 ヴァイオリンとフルートの違いはあっても、また教える側と習う側の違いがあってもこの3行はよくわかる。フルートを長く習い、いつも初めて習ったときに言われたことは「楽器の持ち方」だった。この度、頭部管と胴部管の5ミリという微妙な長さで音の違いが出る。

 以下の3行を捩って…。

習う事は、ただ一つ。
楽器の持ち方。それが全て。
始まりが違えば、行く道が変わる。

 それにしても毎回思うことは何と詩的センスに溢れたブログだろうということ。素晴らしい人だ。そしてどんなに有名であっても試行錯誤をしながら音楽の道を進まれている。凡人が迷うのも無理はない!

  昨日は日本画の2つの教室から先生を含めた9人でグランヴィアの「瀬戸内」でお昼の御膳をいただく。ランチとはいっても豪華版。写真はメイン料理がうまく撮れていない。ご飯は今年初めての牡蠣飯だった。楽しいうちに終わる。遊ぶことに一生懸命。絵も一生懸命ならばいいのに…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月15日月曜日

古澤巌「サン・ロレンツオを弾く」を聞く

 三原ポポロホールで開催された「音楽との出会いⅢポポロでバッハを弾く」から古澤巌「サン・ロレンツオを弾く」の演奏会に出かける。

 昨日の古澤のブログには「三原ポポロ」と題して次のように書いてある。

音がいい。サン・ロレンツォと。 バッハという巨大な課題をくれたポポロ。 学んだ。ありがとう。まだまだだけど。 (来々軒素晴らしい…)

 また一昨日は「バッハ×サン・ロレンツォ」と題して以下のようにある。勝手に引用させてもらおう。

白寿と宗次。
4回弾いた。
こんな楽譜を書くバッハ。
ビバルディも、写譜するより速いペースで作曲を。
音楽。バイオリン。バロック時代。
唯一、雅楽の次に認識されている音楽。
明日は三原ポポロ。全てはここから…
名古屋はミゾレから雪。
サン・ロレンツォと寝る。

 素晴らしい演奏会だった。演奏曲目は次の通り。いずれもJ・S・バッハ作曲。

♪無伴奏ヴァイオリンソナタ 第1番ト短調BWV1001
♪部伴奏ヴァイオリンソナタ 第2番ィ短調BWV1003 
♪部伴奏ヴァイオリンパルティ―タ 第2番ニ短調BWV1004

 この後、アンコール曲が演奏される。何の曲名かは聞き取れなかった。だが第三楽章だけは聞き取れた。

 聞く側からすれば似たような曲。それを暗譜で弾く。これだけでも驚き。無伴奏なのでもちろんソロでヴァイオリンを弾く。時に面白おかしく話す。ヴァイオリンに関することを聞いて知らない世界を垣間見る。昨年秋の演奏会は堀米ゆず子。古澤に言わせると堀米は小学3年生でバッハを弾きこなし、習っている先生よりもうまく弾いたそうだ。ほかにも古澤が桐朋学園で学んでいた時、外国からやって来たヴァイオリン奏者のバッハの演奏を聴き、演奏後余りのすばらしさに立ち上がれなかったという。後にも先にもそういう経験はないそうだ。このヴァイオリン奏者の名を聞いたけど会場の音響が素晴らしく、はっきりと聞き取れなかった。他にも聞いたこともない外国人の名前はわからず仕舞い。

 使用楽器のサン・ロレンツオはストラディヴァリスの1718年製。もらったプログラムには「ストラディヴァリとグアルネリ・デル・ジェスの名作に、最近の市場価格で20億円という言い値がついた。そんな、幻のような銘器を駆使する国際的名手二人を、音響の良さで定評のあるここ三原市のポポロホールは、バッハの名作引き比べの催しとして招聘した。『信じがたいような快挙!』としか、評する言葉が見つからない」と中野雄が書いている。

 ともあれ、素晴らしい演奏会だった。ただ、三原市外からの人が多かったのか演奏後の無料バスが1台では間に合わず、送り届けた後に引き返したバスに乗る羽目になる。そのため予定していたJRに乗り遅れた。どういっても広島から1時間の距離の三原であっても広島のようには交通の便が良くない。結局40分間、駅で待つ。とはいっても広島からだと東は三原、西は岩国までは市内感覚で出かけやすい。またいい演奏会があれば出かけよう。それにしても古澤が入った来々軒、行ってみたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2017年11月26日日曜日

「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」

 『エリーザベト・ニーチェ』(ベン・マッキンタイヤー著 藤川芳朗訳 白水社、1994年)、サブタイトルは「ニーチェをナチに売り渡した女」を読む。細かい文字で分厚い本、気になる個所を付箋紙で印をしながら読む。ところがあまりにも付箋の数が増えて、昨夜すべて取り払う。結果は訳者あとがきを参考にする。それを記そう。

 ★「あなた方は虫けらから人間への道を歩んできた。という言葉が見受けられる『ツァラトゥストラ』第一部の「序説三」は、ダーウイニズムがすでに≪実質的に≫下していた宣告を、あらためて自分の言葉で語ったものと見ることができる。≪神は死んだ≫と。そして同時に、≪人間とは超克されるべき何者かである≫と言って、その未来へとつづく道を指し示そうとするのである。このようなニーチェに対して、その妹のエリーザベトは最初から最後まで反理性・反啓蒙に身を置いていた。そして必要があればいつでも、兄を否定し、裏切り、売った。こうしてニーチェの思想は、ダーウイニズムと同様に、人間の豪を啓くものであったにもかかわらず、いわばともに身内の人間によって、不幸な歴史を背負わされることになったのである。314p

 この本を読むきっかけはポーランドに出かけて以来、アウシュビッツ、ユダヤ、ヒトラー、ナチスと関心が湧いてこの本に行きつく。ニーチェの妹のエリーザベトについてウイキペディアに以下のように書いてある。「1930年、エリーザベトはナチ党の支援者となった。1933年ヒトラーとナチ党が権力を掌握すると、ニーチェ文庫は資金と広報の面で政府から援助を受けるようになった。その見返りとしてエリーザベトは兄の名声をナチ党に利用させた。1935年の彼女の葬儀には、ヒトラーや複数のナチ高官が出席していた」とある。このことからサブタイトルにあるようにエリーザベトは「ニーチェをナチに売り渡した女」と言われるのだろう。

 以下は22日の古澤巌のブログから。

(映画を)観に行く暇が無いためV。
いつぞやのゴッホ&ゴーギャン展コメントの影響?
タヒチ来た。
絵画は残る。歴史に残る。
貧乏。家族に捨てられ。女に捨てられ。
最悪の人生。でも歴史に残ってる。
俺達は、俺達にしか出来ない、人生。
何も残らない…。それでいい。

 何と詩的な文だろう。名のある古澤巌でさえも「俺達は、俺達にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」とは…。これを捩って「凡人は凡人にしか出来ない、人生。何も残らない…。それでいい」。新年早々に古澤巌のヴァイオリン演奏を聴きに行く!ほんと、楽しみだ!