2019年12月28日土曜日

今年最後のプールへGO~

 

 小雨降る中、自転車に乗って今年最後のプールに出かける。シャワールームに入ると着替えを置く場所に何も置いてない。女性は自分ひとり?と思ってプールに入る。中に入ると女性は3人いた。男性も同じくらいいる。ほかの人は泳いだ後、濡れた水着のまま着替えずロッカールームに行くのだろうか。不思議に思いながら今年最後の泳ぎを始める。出かける前から500メートル泳いで引き上げようと決めていた。500mは25mプールを10往復する。これは楽なので水中歩行を2往復して今年の泳ぎ納めとする。

 プールを出ると相変わらず小雨が降っている。手も顔も冷たさはなく、自転車で家に帰る。珈琲を飲んで一休みしながらラジオを聞くと耳になじんだ曲が流れる。すぐにネットで曲名を調べた。「カヴァレリア・ルスティカーナ」だ。これはフルートでさらった、と思って練習した曲の一覧表を見る。やはりさらっていた。動画はその曲から。

 世間では年末年始の休暇にはいった。年末年始、これといった特別なことは何もない。とはいいながら世間一般にならって当ブログも明日からしばらく年末年始の休みとしよう。

 ともあれ今日も、そして新たな年も元気で楽しく過ごしましょう!
 
 どうぞよいお年をお迎えください。

2019年12月27日金曜日

『一人になった繭』

 澤地久枝の本を読むにつれて、もっと以前の本も読みたくなる。文庫本に紹介された本の1冊が『一人になった繭』(澤地久枝 文藝春秋、1999年)。かなり古い本だ。文中の大半は「オール読物」に掲載されたもの。「オール読物」は図書館の雑誌コーナーにあるがこれまで一度も読んでいない。今月号を手にすると小説だけ、と思ったらオールというだけあっていろんなジャンルの掲載がある。

 よほどの刺激がないとこれまで読んだり、聞いたり、見たり、行ったり……といったことに対する変化を好んでしない。狭い料簡にとらわれず、いろんな方面に目を向けよう。

 天気予報では最高気温10度、曇りとある。だが、外は明るくなり陽がさしてきた。これはもしかして今年最後のプールへ急げ、という合図!?昨日は新年早々に出かける海外旅行の最終案内が届いた。元気を出して旅を続けるためにも今日は泳ぎに行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう「!

 以下は『一人になった繭』から気になる箇所の抜粋。

★存分に生きる。父の分、母の分、祖父母の分も――。分不相応の贅沢は望まないが、できる範囲内で、精一杯たのしく豊かに暮らそうとしている。誰からも文句は来ない自立した一人暮らしの女の特権。別に誇らかに宣言するつもりはないが、つつましさをおぎなう知恵に裏打ちされた豊かさといえるところがいい。
 年齢を重ねるごとに、心の豊かさが自然と身にそなわることを願っている。それは意識してそうなるのではなく、一日一日のいとなみのなかから生まれてくるものではないだろうか。(「オール讀物」一九九三年五月号)(31-32p)

★果てしなく高い秋空に、鰯雲が夕焼けの茜色に染まっているのを見たのは、カザフ共和国カラガンダの枯れた大草原でのこと。
 人は誰でも。心の底に悲しみをたたえた泉をもっている。ときにその泉は溢れそうになるけれど、人に告ぐべきことではない。
 女たちの心にあるもの、男たちの心にあるもの。 
 言葉にはならなくても、告げたい思いは誰にもある。それを察して、やさしい気持ちで相手に対するとき、異性間の愛情の次元とは別の愛、いとおしみが生まれそうに思える。鰯雲に、乾いた心は似合わない。(「オール讀物」一九九三年十月号)(166-167p)

★人工的な繭というべき家に一人で住んで、わたしは六十代を生き始めた。さまざまな場所へ出てゆき、さまざまな人びとと心をひらいて会うつもりでいるけれど、帰ってくるのはこの「一人の繭」の安らぎのなかである。こういう女が次第に増えてゆく九〇年代への予感がある。
 ”一人になった繭”がさらに完結するのは雪の日。音もなく気配すらなく、しかし森閑としてすべての音が消えてしまったような日、窓を開けると一面の白い世界があらわれ、天からはさらに黙しつつまい降りてくる雪がある。……窓をとじ、ひっそりとこもって、繭のなかのサナギになりながら、わたしの五感は生き生きと目ざめてくる。ここで生きているという熱いものがわたしを包む。この冬、そういう雪の日に出会えるだろうか。(「オール讀物」一九九一年一月号)(237p)

★一九九七年九月二十五日から約七十日、スタンフォード大学歴史学部での聴講を許されて、週に三日、大学へ通いました。……ピーター・ドウス教授の講義と、バートン・バーンスタイン教授のゼミ。……ホテルでの自炊をふくめて、倖わせなアメリカ滞在。ピーターと昌代・ドウス夫妻との友情を深め、その友人たちにひきあわされ、サンフランシスコやモントレーへと、多くのドライブを楽しみ一人の繭にとじこもってしまうのではなく、繭の外へと思い切って出て行ったという次第です。。(文庫版のあとがきより)((321p)

★一人になった繭は、、一人であるがゆえに、また広い人間の海へと漂流をはじめているようです。
 沖縄で暮らすようになって、人生を肯定する思いが次第に深くなってきたのを感じます。つよがりながらどこか寂しくもあった繭の色に、希望というほんのりした色が染まりつつある日々でもあります。(文庫版のあとがきより)(323p)

2019年12月26日木曜日

年末の暇つぶしに

  クリスマスが過ぎると間もなくお正月。昨年のこの頃はお正月用のお花を活けたり、と少しはそれらしきことをした。とはいってもおせちはなく、食べ物はいつもと同じメニュー。今年はお正月用のお花でなく、いわゆるお花を部屋に飾り、おせちもない。年々、季節や行事を感じない生活スタイルになっていく。

 世間に逆らうつもりはない。ただ、自分の中での生活の変化は旅に行くこと。今朝、届いたメールは新年早々に出かける海外の旅の新幹線乗車券購入の有無確認だった。今はお正月云々でなく海外旅行に気が向く。海外旅行の支度!?

 暇つぶしに図書館へ行く。先日のバス旅で隣の席の人は塩野七生のファンだと話した。日本の歴史は司馬遼太郎、西洋の歴史や文明などは塩野七生から、拝借と思っている。昨日、さっそく塩野の本2冊を借りる。今年1年、司馬作品にハマっている。その頭休めに他の人の本を読む。人の言葉に影響されるのか、塩野七生の本も読みたくなった。

 頭を切り替えるために次に向かうはパソコン。先日来からブログを通じて知った人のブログを見ている。昨日のブログに面白く書いてある。ブログ「ウオーキングと旅」 から、その一部を勝手に引用させていただこう。

★……三度の飯食って、TVをボ~ト見て風呂に入って寝るだけ
チコちゃんに「ボ~~ト生きてんじゃーねえよ」と言われるよ。居るんだよ、そんな人、仕事から解放されたら頭の中も開放しちゃった人 前頭葉が縮んじゃって空気読めないお父さん。嫌だね~~。私なんか一年中全国歩き回ってるからボケる事無いでしょう。……

 これ読んで思わず笑った。ブログの人は暇つぶしにパソコンでイラストを作成するという。イラストがパソコンでできる!?どうやってやるんだろう。 

 今年になってラジオを聞いて知った石丸謙二郎。ラジオは山カフェ。この響きがいい。またこの人のブログもいい。今年の自身のブログから「お馬鹿テン」をあげている。10のブログはどれもおかしい。とはいってもうまく表現している。

  先日来から見ているのはフルート奏者のブログ。これも興味津々で見るブログだ。歳をとると家の中で遊べるパソコンは本当に優れモノ。こうして今日も一日が始まる。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月25日水曜日

「迷ったら、やめろ!」

 今年もあと数日を残して新たな年が始まる。年末年始といってもいつもと同じ生活で何の感慨もない。年の瀬にただ一つ思ったことがある。それは「迷ったら、やめろ!」。迷ったら原点に戻れ、といわれる。これは「迷ったら、やめろ!」!?

 自分の気持ちに忠実に、直感を大事に、そう思って生活している。それなのに、それを裏切ったかのような行動をした。「迷ったら、やめろ!」を忘れていた。これ、もしかしたら自分の座右の銘となる!?物事を考えず、まずは行動、をモットーにしているはずだった。ところが迷いがあるにもかかわらずしたコトがある。案の定、楽しい日、とはならなかった。これはなぜ、と思いを巡らすうちに気づいたのが「迷ったら、やめろ!」。楽しく過ごすには迷いは必要ない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月24日火曜日

バレル・コレクション「印象派への旅」を見る

 県立美術館で開催中のバレル・コレクション「印象派への旅」を見に出かける。お天気の良さに誘われて外に出よう、となった。美術館へは広島駅から歩いていく。展覧会場に着くとまるで貸し切り状態で人はいない。バレル・コレクションとあるように個人が集めた美術品を展示している。門外不出、と遺言したバレル。それなのにイギリスから奇跡の初航海を経て展覧会となった。そこにはバレルの膨大なコレクションとグラスゴーにある美術館の大規模な改修により、今回特別に80作品が門外に出されて展示となる。

 バルビゾン派や印象派などフランス絵画や、その影響を受けた画家たちの作品ばかりで見ていても飽きない。貸し切り状態の館内の絵をゆっくり見ていると、後ろから人につけられているように感じる。振り向くと係が後ろを歩いてくる。思わず何か?といいたくなる。じっと椅子に座って絵を見る人の監視をするのに飽きたのだろうか。しばらくすると観覧する人が3,4人に増えた。

 ドガ、マネ、クールベ、ブーダン……とよく知る画家たちの絵が並ぶ。究極はゴッホの絵。この数年、ゴッホの絵が好きになる。展覧会のサブタイトルは「海運王の夢」とあるように、バレルは絵を集めるのが夢だったのだろう。

 特別展を堪能した後は常設展を見る。所蔵する美術品を投票によりランク付けし、選りすぐった絵を展示している。彫刻を見ると平櫛田中の作品が多い。

 かなりの時間、美術館にいた。館内のカフェで一休み。どこに行っても人は少ない。美術館を後にして次に向かうは駅前のデパート。久しぶりによく歩いた。デパートの衣服の売り場に行くと新年から始まるセールの前倒しか、それとなくわかるやり方で早めに売り出していた。それを見てちょっぴり年の瀬を感じる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月23日月曜日

「キリング・フィールド」を見る

 一昨日の夜、BS12で見たのは「キリング・フィールド」。20年以上前、カンボジアに出かけた。カンボジアといえばアンコールワットが有名。それと殺戮現場(キリング・フィールド)もある。その時の添乗員はカンボジア内戦の殺戮現場(キリング・フィールド)となった映画のタイトルを旅の最後に教えてくれた。だが、題名は覚えていても映画を見る機会がなかった。ずっと心に引っかかっていた映画「キリング・フィールド」をやっと見た。

 面白い番組がないと思ってテレビのチャンネルを変えていると「キリング・フィールド」をやっている。時すでに遅しで番組開始から1時間以上経っていた。残るは1時間余り。それでも番組を見る。字幕放送だが、ほとんど字幕が出ない。日本語としてわからなくてもまるでドキュメンタリーを見ているようでおおよその見当はつく。アメリカの記者の通訳を演じるプランは全くの素人の役者、と後で知る。半端なくうまく演じていた。

 昨日暇つぶしに映画の前半の動画アップはないかとネットで調べる。あった!映画の全てではなく6.70分がアップされている。後半も、とさらに調べるとそのアップもある。お陰で見ていない個所を見ることができた。それも日本語吹き替えなのでテレビで見た字幕よりもよく理解できる。

 殺戮の野であるキリング・フィールドはカンボジアの旅でこの目で見た。粗末な処刑室の付近にモニュメントのようにして頭蓋骨ばかりを入れた透明な塔が建っている。最近のカンボジア旅行ではこの場所は観光地になっていないかもしれない。いろんな国へ出かけた。しかし、これほど悲惨な状況を目にした国はない。

 今年の始め、某交流会からカンボジアへ行く話があった。だが参加人員が足りず催行しなかった。この会で新年早々、カンボジアではなく、ほかの国に出かける。海外旅行も国内旅行も一人でツアーに参加することが多い。今回は某交流会で行くので参加者も顔なじみの人ばかり。そろそろ旅支度を、と思うが何故か緊張感がない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月22日日曜日

「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」&日本画教室

 今、図書館に並んでいる「文藝春秋」に「日本人よ、『健康神話』を棄てよ」の記事がある。塩野七生と医師の新見正則の対談でサブタイトルとして「健康のためなら死んでもいい!?」とある。

 記事を読むと新見は「健康」を「歩けて、美味しく食べられて、眠れて、お通じが出て、『今日も健康だ』と思えればそれで健康なんです」という。これを読んで「まともな医師だ」と思って次も読む。以下はその一部を抜粋。

塩野「私は、病院に行くのが大嫌いで、まず行かない」。

新見「必要でなければ行かなくていいんです。むしろ医者からは、微妙に遠ざかった  方がいい。『微妙に』というのは必要な時には行った方がいいからです」。

塩野「健康診断とか人間ドックは、やはり受けるべき?」。

新見「受けなくていいと思います。今、八〇歳、九〇歳の多くは、人間ドックなんて行っていない。病院は調子が悪い時に行けばいいだけの話なんです。調子がいい時は行かない方がいい。余計な検査や治療をされるからです」。

塩野「あんた達が不幸なのはあんた達の信仰が足りないから」と。

新見「それも今日の医療と全く同じじゃないですか?ですから、気軽に生きるのが一番健康なんです。仕事だったり、家庭だったり、何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」。

新見「”一点主義”に陥らないバランス感覚こそ健康の秘訣です」。

 読んでいて近藤誠の考えと似ていると感じた。今はほとんど医者とは無縁の生活。いつまでもこれが続くといい。健康に生きるには「何か自分の気持ちが充実するものを見つければいい」がある。昨日は日本画教室。習い物としては今年最後の教室になる。年末とあって個人的な用件で教室に来れない人が2人いた。

 釧路湿原を描いている。もう少しで絵が完成しそうだ。先生は出来上がりつつある絵の上に水を浸した太い筆でサーっと筆を運ばれる。ああ、なんということ、と思わず声が出そうになる。絵の完成まじかになるとよくそのようにされる。何か意味があるのだろう。

 次回の教室は3週間後になる。教室が終わるとカフェで一休み。教室の人から帰り際、「描く絵がさみしい画」といわれる。そして来年は明るい絵を描くようにと。これもまあ、寂しい人間が描くのだからそれもそうかも、と思ったり。人が絵を描く好みは人それぞれ。来年も同じように寂しい画を描く!?紅葉しつつあるもみじを描くつもりだけど……。そういえば、新年早々に開催される院展。先生はまたも入選されたそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月21日土曜日

『こうやって、考える』

 年の瀬も迫って、これから本格的な冬になる!?楽な生活をしていると体によくないと思いながらもぬるま湯から抜け出せないでいる。この状況を顧みると親が生きている間に、娘のためにと思ってやってくれたことのお陰だろう。そう思うと親より勝るものはない。また、何があっても見守ってくれているようでありがたい。この一言に尽きる。なぜそう思う!?先日来から読んでいる澤地久枝の本に感化されたのかもしれない。

 『こうやって、考える』(外山滋比古 PHP研究所、2017年第1班第2刷)を読んだ。この本は著者の作品を編集者が1冊にまとめて本にしている。これは先日読んだ澤地の場合と同じ手法。以下はまた、いつもの如く気になる箇所をまとめたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「雑は純一よりも豊か」
 学者だけでなく、一業に徹する人は傍から見ると、どこかおかしい。役者バカがあり、”先生といわれるほどのバカ”が多くなる。純粋すぎるのは考えもので、多少、不純なところに人間味がある。清濁併せ呑む人間が大きくなる。二股かけるのは不純ではない。ときどきわき道へそれるのは、人生を豊かにする。純はよく、雑はいただけない、われわれはそう思い込まされてきたが、逆に、雑は純一よりも、豊かなのである。『エスカレータ人間』(058p)

★「レム睡眠を活かす」
 翌朝になってから日記をつける方がよい。一晩寝ているうちに、頭の中の整理ができる。レム睡眠という眠りがあって、頭はその間に働いて、それまで頭に入ってきた、もろもろの知識、情報、刺戟などがここで分別される。保存すべきものと、そうでなく処分した方がよいものとに分け、大切でないものを忘れる。レム睡眠は一夜の中で何度もおこるから、整理はかなり入念に行われることになる。朝目覚めたとき頭がすっきりしている感じになっているのは自然である。『「マイナス」のプラス』(065p)

2019年12月20日金曜日

プールetc.

 年齢が増すにつれて毎日のお天気に左右される気がする。プールに行こうと自転車で外に出る。数秒乗って小雨に気づく。何メートルも家から離れていない。自転車を押して我が家に向かうが家の前で「泳ぎに行こう」と覚悟を決める。幸いプールに着くまでは雨もそれほど気にならなかった。プールに入ると人が少ない。

 普段は体を伸ばすこともない。ところがプールで泳ぐと体も伸びきって気持ちいい。また、体のすみずみまで血液が巡る気がする。泳ぎに来てよかった、と思える瞬間だ。この頃は顔見知りも少なくなり、プールを利用する人も淘汰されるのだろうか。

 家に戻るとまずは温かい飲み物が欠かせない。それにはおやつもついてくる。しばしゆっくりしてティータイム。次はパソコンで遊ぼうとすると姪からのメールが届いている。 「 毛布使ってる?……毛布が軽くて暖かくてすごくいいんよ。洗ってもすぐ乾く。使うならプレゼントするよ」。

 姪の折角のプレゼントを丁寧に断る。以前は冬になると毛布、ソフトあんかなど使用していた、ところが近年はそういった暖房器具を全く必要としなくなった。足元も体も寝ていて寒さを感じない。姪に毛布を使用しないとメールすると 「 じゃあ、また何かいいのがあった時ね」と返信がある。おば孝行の姪だ。自分に子供はいないが、まるで自分の子供のようにかわいい。

 この年末年始、巷では9連休とか。毎日が休みなので9連休といっても何の感慨もない。働く人にとっては貴重な連休。海外に出かける人も多いだろう。姪はどこへ?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月19日木曜日

YOU TUBE先生etc,



 先日テレビのお笑い番組を見ているとわからない回答を「Google先生に聞いてみましょう」と話した。このキーワードは面白い。Google先生だけでなく、Yahoo先生もある!?この頃は、個人的にはYOU TUBE先生についてフルートを習っている。手始めにこれまでの曲集から難しくてさらっていない曲を練習する。ノブロ作曲のメロディーである。

 Yahoo先生で検索していると某曲集全曲の動画アップがある。これこそがフルートを学ぶ我がYOU TUBE先生だ。東京の某楽団首席フルート奏者で勝手に弟子入りさせていただこう。YOU TUBE先生はフルート曲集をアップし、さらにブログもツイッターも発信している。この人のブログを見るのが楽しみとなった。

 ブログといえば一昨日、コメント欄のコメントに気づく。数か月前のブログに先月、コメントされている。遅れてコメントの返信をした。返信が遅れて申し訳ない。コメントの送信者をクリックするとブログをされていた。旅で出会った人や見ず知らずの人とgoogle、YAHOO  、YOU TUBE、ブログといったネットとつながる手段でいろいろな情報を得る。これらはすべて私のネット先生だ。

  話は変わって昨日午後はお墓参りをする。前日からの雨で午前中は参るのをためらう。晴れてくるとお花を買っていざ墓参りへ。年の瀬も迫っている。新年になると早々に外国旅行が待っている。まだ早いけど旅の無事のお願いをしないといけない。毎月のように欠かさず参っている。とはいってもこの頃はお天気によって月命日に出かけないことがある。昨日も参るか参らないかをためらっていると家にいても落ち着かない。「参りんさいや」、と親にせかされる気がする。墓地に着くと荒れ模様のお天気だったのか、どこのお墓もゴミが飛び散らかっている。お墓参りを終えると気分も落ち着く。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月18日水曜日

キャッシュレス還元etc.

 気になるキャッシュレスについてネットで調べる。JRのICOCAや地元スーパー2店のカードをキャッシュレス決済している。ドラッグストアの売り出しがある。昨日から3日間、ポイント5倍とうたっている。レジの下の張り紙を見るとICOCA決済OKとある。お店は家の前だ。ビタミン剤などは金額的にも値が高い。家に戻ってICOCAを持参して決済する。

 だが、ICOCAをいくら使ってもキャッシュレスの還元がない。どういうこと?とネットで調べるとカードによって還元の仕方が異なることがわかった。スーパーは翌日、残高に5%還元される。ICOCAは何か月かのちにまとめて付与されるようだ。では、デパートは?とこれまた、いらぬことを考える。新聞広告を見てもデパートのキャッシュレス還元の文字がない。大型店はこの制度がないらしい。それでもクレジット決済ならばデパートであってもキャッシュレス還元となるのだろうか。

 クレジットカードはこれまで2度紛失や盗難を経験済み。そのこともあって、必要な時しか持ち歩いていない。デパートで買うときはスーパーよりも金額面では高いものを購入する。その際にクレジットカードを使う。

 それにしても制度自体がよくわからない。いくらキャッシュレス還元されるといってもカードをこれ以上増やしたくない。というか、いろんな面でスリムな生活を、と心がけている。それなのに欲が絡むとスリムとは程遠くなりそうだ。それでなくても歳をとっている。

 今日はICOCAをチャージしよう。とはいってもチャージは駅だけ!?

 ともあ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月17日火曜日

旅の思い出(ペルー)

 気が向くと2階に出したままのアルバムを下に持って降り、アルバムから写真を外す。先日は23年前に出かけたアンデス周遊11日間のアルバムを整理する。11日間の長い旅なのに写真が少ない。それもそのはず、ハードな旅だった。クスコのホテルに到着後、ロビーでマカ茶を飲んだ。その後から高山病独特の症状が出てベッドに横たわる。この日の行動は日程表によると午前は高山病対策で休憩し、午後、クスコ市内観光となっている。この間のことははっきり覚えていない。ただクスコの観光はしなかったというか、できなかった。

 アルバムから写真を外していると1枚だけ台紙に貼った写真がある。ツアーの人のクスコの集合写真だ。これを見ても自分自身は写っていない。当時の旅は見ず知らずの人との相部屋可能の時代。20歳くらい年の若い女性と相部屋になった。ダウンして寝ていると昼食か夕飯か覚えていないけど、ベッドまでお粥をもってきてくれた。高山病になると吐き気を催す。また寒気も出る。温かいお粥を感謝していただいた。

 高山病も高度になれるとダウンは何だったのか、と翌日は元気になる。ただ、ペルーの旅ではいつもよりかなりきつい高山病だった。添乗員は這ってでも観光を続けるように、と発破をかける。 

 バスと列車を乗り継いでインカ観光のハイライト、マチュピチュを目指す。”幻の空中都市”といわれるマチュピチュ。視界に入るすべてをカメラには納められない。日程表によると日帰りでマチュピチュ観光をしている。ペルーの旅のアルバムに一通の手紙を馳せていた。中には写真が2枚ある。このアルバムの整理をするまで手紙の事は忘れていた。手紙の内容から当時のことを思い出す。

 外国へ出かけると旅行先でいろんな人と仲良くなる。この手紙を見ると1996年8月26日付で送り主は大韓民国京幾道の朴さんとある。手紙を読むと大きな文字の美しい日本語とハングル文字で「Peru マチュピチュ山上食堂にて影した寫眞をお送り上げます……」(原文のまま)とある。手紙と写真をみてこの方に返事を出したのかどうかが気になりだす。ずっと思いを巡らすうちに思い出した。以前、大江健三郎の講演を福山まで聞きに行った。その時、聞いた講演を別の人からカセットテープでもらっている。それをこの方にダビングして送ったようだ。

 ハングルはこれまで2度習いに行った。だが、自分に合わないのか続かず仕舞い。またいろんな外国へ行っているにもかかわらず、近くの韓国へは出かけていない。手紙をくれた人は日本が韓国を統治していた時代に教育を受けた人だろう。親切にしていただいてその恩に報いたのだろうか。気になる。

 再度、クスコに戻る。翌日、チチカカ湖観光に向かう飛行機の時間までクスコで買い物をする。その時、お土産店でケーナを4本購入。クスコ在住の日本人がお土産として作るケーナ。日本の相場に合わせた価格らしく、お土産としては高価だった。

 飛行機と船に乗り継いでチチカカ湖畔のプーノに向かう。この湖に浮かぶウトロ島はトトロ(葦)島で葦でできている。歩くと葦がクッションの役目をするのかふわっとしている。8月のペルーは日本とは真反対の季節で冬になる。ウトロ島では急にお天気が荒れて雹が降る。持っていた全財産の服を着る。23年前はダウンを着ていない。ダウンがあれば寒さ対策も楽。当時はダウンを持っていなかったのだろう。

 葦でできた船に乗ってチチカカ湖見学。その後、飛行機でリマに戻ってバジェスタス島を観光船で見学。船から見るのはいろんな鳥やアシカ(アザラシ?)の群れで半端なくいる。船が進むと勢いあまって水しぶきを頭から浴びる。写真を見るとフードをかぶっていた。 

 午後はナスカ地上絵をセスナ機に乗って見学する。この時、頭をかすめたことがある。それはここでは死ねないと。セスナに乗るか乗らないか、自分の中で判断を迫られる。セスナ、のイメージがよくない。勇気を出して乗った。3人が1機のセスナに乗る。乗員を含めて4人。乗った人と写真を撮っていた。セスナから見下ろす地上絵。次第に気分が悪くなる。地上に降りた時はかなり気分が悪かった。だが、大事に至らず。

 この経験があるのでネパールの遊覧飛行もためらう。そういえばネパールも出かけていない。リマからロスで2泊して成田空港にぶじ帰国。機内で男性の若者3人組から参加者の名簿を作る話が出る。なんと、その後に私と相部屋の若い女性と3人組のうちの1人はめでたく結婚された。今もそのご夫妻とは年賀状のやり取りをしている。お2人の間には坊ちゃんが誕生。毎年届く年賀状を見ると坊ちゃんもたくましく成長されている。まるで我が孫を見るような気持ちだ。

 Peruは1996年8月9日から11日間の旅だった。ペルーから帰国途中でロスアンゼルスに2泊し、ロス市内やユニバーサルスタジオを観光した。ジェラシック・パーク全盛だ。これが唯一のアメリカ大陸への旅。暇つぶしにザーッとPeruの旅を振り返った。それにしても旅でいろんな人と知り合っている。楽しい旅をまだまだ続けよう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう❕

2019年12月16日月曜日

あれこれと……

 地元の区民センターで開催されたクラシック・コンサート。いつもとは違って会場は聴衆が多い。プログラムを見ると前半は金管五重奏で後半はサキソフォーン四重奏の演奏だ。演奏曲目を見るとクラシック音楽の割には日本の流行歌が多い。いわゆる演歌の演奏もある。演歌は歌で聞きなれている。金管楽器の太い音では今一歩唱に負ける。とは言いながらも気軽に聞ける。観客が多いのもそのせいかもしれない。後半は聞かなかった。

 金管楽器の演奏を聞くと音に迫力がある。これは聞いていて頼もしい。来年の建国記念日の式典の案内状が早くも届く。2,3年前、上皇陛下の心臓手術をした天野氏の講演を聞いて以降、案内状が届くようになった。建国記念日を特に意識はしていない。ただ、講演を聞きたくて出かけた。来年の式典後には海上自衛隊音楽隊の演奏がある。以前、陸上自衛隊音楽隊の演奏を聞いた。プロの交響楽団の演奏もいい。だが、自衛隊音楽隊の演奏もきりっとしていて勇敢な気持ちになる。これがいい!

 司馬遼太郎の本を読みながら時に違う人のエッセイなどを読んでいる。エッセイを読みながら今度はその本に出てくる人が書いたものが読みたくなる。澤地久枝の本に出て来たリンドバーグ夫人の本『海からの贈り物』を借りて読む。かなり前に書かれた本だが、読むのは初めて。今日中には読めそうだ。

 本を読んでいると引用の箇所がある。時に、この方面に気が行く。今はネット時代なので気に入った個所はすぐに検索できる。また、古い本であっても図書館で借りられる。先日、偉人たちの健康診断に出て来た紫式部の『源氏物語』は電子辞書の日本の1000冊の中にも入っている。これは与謝野晶子の訳だ。ネットでも著作権切れは無料でアップされている。便利な世の中になった。音楽でも本でも知ろうと思えばいろんなやり方で可能になった。

 年齢が増して外に出るのが億劫になったとしてもネットに頼れば楽しみも増していく。年寄こそパソコンを、スマホを……と思ってしまう。とは言いながらまだスマホは持っていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月15日日曜日

「秘境中国 謎の民『山頂に響く 魂の歌』」を見る

 昨夜、NHK・BSの「秘境中国 謎の民『山頂に響く 魂の歌』」を見る。番組HPには以下のように書いてある。

★中国の秘境、南西部の大峡谷に暮らす少数民族・ミャオ族。険しい山を切り開いて稲を育て、シャーマンが不思議な歌で歴史を伝える。100m超の絶壁を命綱なしで上る人も。最近の研究で、彼らのルーツは2千年前に栄えた幻の古代王国・夜郎国であることが分かってきた。西方との交易で繁栄を極めたが、漢の武帝に滅ぼされ、この山岳地帯へと逃げ込んだのである。過酷な自然の中で、伝統を守り助け合って生きる人々の姿を記録する。

 幻の古代王国・夜郎国、これが大事なキーワードになる。読んでいる司馬作品に「夜郎自大」が出てくる。辞書で調べてこの意味を知るが、昨夜のテレビで詳細にわかる。漢代の歴史書『史記』によると「西南部に十数の蛮族の国があり夜郎は最大の国」の記載がある。漢の時代、西南シルクロードに位置する夜郎国。この民族は髪を頭上に結い、稲作をして城に住んでいた。夜郎国の持つ伝統や風習にはミャオ族などの少数民族と共通するものがある。このことからミャオ族と夜郎国には深いつながりがあると研究者は話す。

 亜魯王は民に稲を作らせた。亜魯とは夜郎のことであると、ミャオ族のシャーマンいう。何千年も前から民族に伝わる歌を受け継いでいるミャオ族のシャーマン。ミャオ族は夜郎国の末裔だという。ミャオ族は自然とともに暮らして自然の恵みを受けている。それには薬草、燕の巣、燕の糞などいろいろとある。高い崖に登って大量の糞を持ち帰り、それを米作りの肥料にした。

 亜魯王の領地が攻められ、国を占領された。その時、敵は高らかに亜魯王に叫んだ。「亜魯よ、命がないと思え」。戦いで使った夜郎国軍の青銅剣が残っている。漢帝国は鉄の鉄器を使って戦った。鉄器を使う漢帝国は強さで青銅器を使う民族を上回った。青銅文明は淘汰されて鉄器時代に塗り替えられる。兵を連れて移遷をはじめ、将を連れ、逃亡を始めた。夜郎国の民は戦乱が迫る中、山奥へと逃亡し死者の棺を洞窟に隠す。こうすることで遺体を守った。これは今も大穿洞となって残っている。

 安住の地として厳しい環境の中で生き残ってきたミャオ族。祭礼で使用する大太鼓。これは少数民族を代表する礼器という。シャーマンは話す。「王が伝えた困難に負けない精神が我々の心の支えになってきました」。この精神を子孫たちに受け渡すべき宝だ、ともいう。木にきのこが生えるように子孫の繁栄は約束されるそうだ。

 話は変わって昨日は日本画教室の日。描いている釧路湿原の木々。相変わらず点描写で描いていく。1週間後に自分の描いた途中の絵を見て自己満足する。今回の絵はいつになく何度も何度も色を加えて簡単には仕上がりそうにない。次回は遠くに見える木々の葉を点描写し、太い樹木も樹木らしくしていく。教室が終わると皆でカフェに行く。他愛ない話をして、つかの間のホッとしたひと時を過ごす。これもささやかな至福の時だ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月14日土曜日

「学び究める」記事を読む

 朝、10時を待って帰りの「おとなび」を取る。残席残りわずか、と表示され10時を待ってすぐに検索開始。ドキドキしながら切符を確保する。行きは「こだま」で帰りは「のぞみ」。金額的には倍近い開きがある。個人での旅ならば勝手に何をとってもいい。だが、団体旅行なのでここは日程表に沿って切符を取った。

 今朝の一大イベントを終えてブログ開始。昨日の地元紙に「学び究める」と題して「シニア世代の大学院生」の記事がある。「学び究める」とまではいかないまでも10数年前に大学で学び直し、大学院の修士課程に進んで自分がやりたい研究テーマを追求した。年が明ければ大学を修了して早くも11年になる。東京の大学や修了した大学の記事が載る。大学院博士課程前期(修士課程)に入学した人は2002年から19年までは151人おり、うち115人が修了している。これは修了した大学の統計で、このうちの1人に含まれる。

 今、時間にゆとりある生活をしている。大学に通っていた当時、一番欲しかったのは時間だった。すべての時間は学びと介護に明け暮れた。もっと時間があればもっと勉強できる、とどれくらい思ったことだろう。その点、今は時間がたっぷりある。やろうと思えば何だってできる。これも健康であればこそ思えることだろう。とはいっても人生の残り時間はどれくらいあるかは知らない。

 こういう記事を読むと夢中で過ごした6年の日々が懐かしい。そして、自分さえやろうと思えば何でもやれる今の状況に感謝する。頑張ろう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月13日金曜日

偉人たちの健康診断「紫式部“源氏物語”を健康診断」&プール

 昨夜は令和元年最後の満月でコールドムーンというそうだ。このキーワード、初めて知る。満月はその月によって名がつけられているとか。午後6時過ぎ、家の外に出ると北西方向に綺麗な満月が顔を出している。しばらくして携帯で写真を写そうと外に出ると雲に隠れてお月さんが見えない。しばらく雲の流れる様子を見ていると月が出たり隠れたりする。その瞬間、カメラで写す。だが、きれいに写らない。かなり外にいたのだろうか。体が冷え切る。

 午後はプールで泳いだ。温水プールであっても泳ぐと体が冷える。その上、お月さんに見とれているとさらに体が冷えそうだ。

 夜はNHK・BSの「偉人たちの健康診断『紫式部“源氏物語”を健康診断』」を見る。番組HPによると「およそ千年前に書かれ、古典文学の最高傑作としていまなお読み継がれる源氏物語。実はこの物語には大切な人を次々と亡くした作者・紫式部の死生観が色濃く反映されるとともに、当時最先端の医学書を読める立場にあった作者の医学知識が随所にちりばめられていた!さらに宮中でその才能を周囲からねたまれ、引きこもり状態に追い込まれた紫式部はある方法で見事立ち直った。現代医学の観点から見ても効果の高いその方法とは!?」とある。

 『源氏物語』や『紫式部日記』から健康面がわかるとは驚き。こういう番組を見るとこれだけで立派な本になると思ってしまう。いろんな面から「健康」を取り上げている。中でも関心を抱いたのが「読書」と「日記」。この2つは自分の毎日の生活の中でかなりの比重を占める。番組によると「読書」の効果を以下のようにあげている。

★性別、健康状態、財産、学歴に関係なく、本を読むことが長寿につながった
★1週間に3.5時間以上を本を読むグループは読書しないグループよりも死亡率が23%も低い

 紫式部日記には清少納言への恨みや当時の様々な出来事を書き記している。それは紫式部の娘に対する教えにもなった。50歳くらいでなくなったといわれる紫式部だが、調べていくと70歳くらいまで生きている。感情のすべてを吐き出す「日記」の効果により、ストレスがなくなって長生きしたようだ。また「日記」の効果を「感情日記のポイント」として4点あげ、「人間らしい感情を喚起させる」ことができるという。

★最初はとにかくモヤモヤを吐き出す
★パソコンでもスマホでもOK
★慣れてきたら深層感情に目を向ける
★無理せず続ける(三日坊主でも効果あり)

 日記の効果はほかにも高血圧の人が習慣づけると血圧が下がるという。血圧のことなど何も知らずにWEB上の日記としてブログをアップしている。これは健康上にもいい面があると知ってさらに続けようとの気持ちが増す。

 時に腹立たしいことがあると差しさわりがない程度にそれをブログにアップしている。もやもやを吐き出しているのかもしれない。

 そうそう、昨夜番組を見ていてメモしたい箇所があった。だが、生憎手元にメモ用紙はあっても筆記用具がない。その時、とっさに思いついたのが携帯電話の写真機能。これでテロップを写す。これ、何をいまさらと思われそうだが、自分の中ではかなり大きな出来事。なぜこれまでこれに気づかなかったのだろう。ついつい、写真機能は画面だけを写して文字を写そうなどとは思っていなかった。これからはこのやり方で写してメモ代わりとしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月12日木曜日

『昭和とわたし』、

 『昭和とわたし』、サブタイトルとして「澤地久枝のこころ旅」(文藝春秋、2019年)を読んだ。澤地久枝のこれまでの著作を編集者が1冊の本にしている。この本を読む途中で中村哲氏の訃報を聞いた。著者はこの本で中村哲氏について書いている。中村哲氏の講演はだいぶ前に広島で聞いたことがある。ペシャワール会主催の講演でアフガンに井戸を掘る話。だが、その内容はあまり覚えていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は気になる箇所をメモしたもの。

★「歴史の裏糸として生きた人びとに思う」
 普通の人が実は大変に大きな歴史の裏糸のところでしっかりと生きているんです。その人たちは、自分から「私はこれだけのことをしました」などと言わないです。皆、黙ってます。その人たちがいなかったら、人間の歴史はないと、私は思います。
中村哲・(聞き手)澤地久枝『人は愛するに足り、信心は信ずるに足る――アフガンとの約束』(23p)

★「巨きな人、中村哲」
 どん底の人たちとの密接なふれあい、多くのボランティアや働き手と生活をともにして中村医師は無類の「人間好き」なったと思われる。「人は愛すべきものであり
、真心は信頼するに足る」という一つの結論を胸に、医師は今日もアフガンの空の下、水路の完成に全力をあげている。……中村医師は、若い人に希望を見出している。
 ……練馬の会での質疑のとき、「なぜいまの仕事に?」と青年に問われ、すこし考えてから、「やはり、運命、さだめのようなものを感じます」と医師は答えた 多くの人との縁が、かねてから約束されていたかのように、中村医師を人生の各章へいざない、支え、生きのびさせてきた。恵まれた人生と中村医師は言う。苦労をみせぬごく自然体の人に、、私は「巨きな人」を見た。中村哲・(聞き手)澤地久枝『人は愛するに足り、信心は信ずるに足る――アフガンとの約束』(159p)

★とりわけ悩み多かったあるとき、正宗白鳥氏が色紙に書かれた文章に救われる思いがした。
 この故に明日のことを思ひ煩ふな、明日はみずから思ひ煩はん
  一日の苦労は一日にて足れり
『ひたむきに生きる』(205p)

★「リンドバーグ夫人の知恵」
 リンドバーグ夫人の『海からの贈り物』には、おんなに課せられている役割や家事の、息苦しいような煩雑さの描写のあとに、おのれを見失わないためには、「生活を簡易にして、気を散らすことの幾つかを切り捨てること」と書かれている。また、「女の飢えが満たされるにはどうすればよいか」という問いに、「一人になること」と浜辺の貝に答えさせている。『手のなかの暦』(206p)

★「一人暮らしの赤信号」
 好奇心が薄れ、外出したり人に会うことがいやになってきたら、一人暮らしに赤信号がともったと警戒しようと思っている。友人たちとのにぎやかで刺戟的な交歓のあと、一人きりになっての深夜の静寂に、わたしの心も脳もリフレッシュされ再生してゆくのを感じる。寂しさに縁はない(あれ、ちょっとヤセガマン!と思いますか?)。生きている実感を溢れさせて一人で暮らす。これがわたしの人生。『心の海へ』(208-209)

2019年12月11日水曜日

『翔ぶが如く』(五)

 来年のカレンダー、お寺の行事予定表、地元の氏神様のお札などを受け取る季節になった。それでも年の瀬を思わせるまでには至らない。自分の中では年々風化していく年の瀬やお正月。日常と何ら変わりはない。とは言いながら、年賀状は……と思いを巡らす。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『翔ぶが如く』(五)(司馬遼太郎 文藝春秋、2013年第14刷)を読んだ。以下は気になる箇所をメモしたもの。

★李鴻章は西洋流の造船、海軍、王業などを興すといういわゆる洋務運動の中心人物だったためにこのための人材も幾人は私的にかえていた。この点でも幕府であった。もっともかれの洋務運動は中国の近代化にほとんど役に立たず、買弁資本家を通じてかれの私腹を肥やしたにすぎなかった。
 かれ個人がつくった陸軍(淮軍)をもち、官命によるとはいえかれ一人の影響下で北洋艦隊を建設しようとしているという点でも、多分に幕府であろう。24p

★かれ(山県有朋)は大久保のような無私の性格を持たず、長州の先輩である木戸のような民衆を基礎に置いた政治哲学も持たなかったが、しかし大久保や木戸の死後、軍部と官僚の世界に着々と自分の勢力を扶植し、ついに明治国家そのものを作りあげげるという、異常な権力者として肥大するにいたる。
 かれがこのときの「陸軍無視」の経験をわすれなかったというのは、やがて明治憲法の中に天皇の統帥権という非立憲的な要素を噛みこませ、その統帥権の保持機関としての参謀本部の性格を明確にしたことでもわかる。作戦に必要とあればときに内閣も議会も無視してよいというこの魔術的大権は、山県の生存中こそ無害であったが、その死後、大正から昭和にかけて参謀本部が政治的謀略の府になるとともに、軍人が国家を手玉にとるような仕掛けのたねになった。39-40p

★「士族たちの統御はむずかしくない。国家が危難にいたれば、皇帝陛下の宸断を仰ぐのみ」
 大久保が考えている天皇制の原形はこのあたりの機微にあるであろう。この大久保的な天皇制の原形を、のちに制度化してゆくのが山県であることを思えば、この対話は劇的であるといっていい。62p

★元来、中国は皇帝専制の国で、その皇帝は宇宙でただひとりの最高の存在とされる。このため、伝統的な中国意識においては、対等の外国というのは一国も存在しない。すべて、外国は中国に隷属すべきものであり、中国皇帝の徳に化せられるこことをよろこぶべき存在である。
 蕃とか藩とかであるべきであった。英国もフランスもすべて蕃か藩であるべきで、それらの国々の皇帝、王、大統領の使としてやってくる公使は、むろん、中国皇帝の徳を慕ってやってくるはずのものであり、対等の礼は用いない。……それが、アロー戦争(第二次アヘン戦争)の結果、英仏露米の公使が北京に常駐することになり、それらに対し、対等の応接をせねばならなくなって、親王を首席とする総理衙門が設けられたのである。105-106p

★北京駐在の英国公使トーマス・フランシス・ウエードという人物の名は、中国語の学習者にはあるいは親しみのある名といえるかもしれない。ウエード式という、中国語の発音をローマ字で表記する方法を考案した人物である。136p

★日露戦争は、日本が朝鮮を自国の保護下に置こうとしたがために、ロシアの際限もない南下政策と衝突し、結局は英国の支援のもとに戦われた。英国の側からいえば、清国における自国の権益をロシアから守るために、日本の壮丁の血液を持ってロシアの南下運動をはねのけさせたということになる。
 これに対し、仏独は、ロシアを支援した。ロシアが極東における英国の権益権を攪乱することによって、仏独がそれに便乗できる可能性があったからでもある。162-163p

★東京に出ていた篠原国幹(冬一郎)に対する手紙に大久保外交の批判をくわしく述べたあげく、末尾に、
「和魂之奴原、何ぞ戦闘の事機を可ㇾ知いはれ無ㇾ之」と、書いている。この場合の和魂とは、和魂洋才の和魂ではなく、「平和好きの性根」というほどの意味である。和魂の奴原とは大久保その人を指す。西郷は元来感情の激発しやすい性格を持つとはいえ、奴原というのはいかにもすさまじい。
 この意味は、――平和好きな奴原に、戦争の事機などわかるはずがない。
ということで、この感情的な一言ほど、西郷隆盛の明治期ににおける政治思想をにおわせているものはないであろう。172p

★経過を詳細に書いているなかで、このたびの台湾に対する日本の軍事行動にともなう外交問題について、北京在住の各国公使が日本に共感し、清国に同情的でなかったということを書いているのは注目していい。……在来、清国は老大国の態度をもって各国公使に臨み、その感情を害するところがはなはだしかった。第一、条約を履行する誠意を欠き、しばしばそれを破って各国公使の憤慨を買っていた。清国は懲らしめるべきだというきぶという気分が、英国公使においてさえあった。199-200p

★かれら幕末の志士たちは、平等を求める思想を手持ちの思想からひきだした。その思想的根拠として国学的教養の者も宋学(朱子学・陽明学)的教養の者も、みな天皇にもとめた。天皇という、多分に非現実的な超幕藩的存在を絶対視することによって、当面の敵である幕府の存在を卑小化し、論理として非合法化し、やがては潰したのである。もし、幕末にルソーの思想が入っていたとすれば、その革命像はもっと明快なものになっていたにちがいない。中江兆民という存在が、十五年前に出ていれば、明治維新という革命に、おそらく世界に共通する普遍性が付与されたに相違ないが、ともかくも兆民によって、幕末の志士たちがあれほどあこがれたフランス革命とアメリカ独立革命の理論的根拠が、パリで発見されたのである。346-347p

★「人間は、原始時代には自由で平等だった」
という、ルソーの巨大な前提を、兆民はくりかえし話した。ルソーはその「人間不平等起源論」ではこの状態を自然状態という。人間はそこから社会状態へ入って、自由をうしない、平等をうしなった。土地の私有によっていよいよ不平等性が増大し、人間は社会的害悪のなかに呻吟するようになった。
 その人間固有の権利を回復する方法が『民約論』の本旨である、とルソーは説き、兆民も説くのである。347-348p

2019年12月10日火曜日

ピアソラ ♪タンゴの歴史♪


 今朝のNHK・FMは ピアソラ作曲の♪タンゴの歴史♪が流れる。フルートはエマニュエル・パユの演奏でいつの間にかこの曲に惹かれている。聞くものを魅了する曲だ、と思って聞いているとピアソラの曲だった。聞いた後でradiko.JPで検索して曲名を知る。動画を見ると「タンゴの歴史」の第3楽章「ナイトクラブ」のアップがあった。

 来月、久しぶりに「おとなび」を利用する。ブログの投稿を終えるとおとなびの画面からチケットを購入しようと試みる。だが、購入日が表示できない。おかしい、と思ったら購入開始時刻は10時からだった。お気に入りにしていたおとなびの画面も、しばらく利用していないためかエラーになる。再度、画面を検索して購入開始へと進む。いざ買おうとすると、もしも旅行が催行されなければ、と嫌な予感が頭をかすめる。駄目ならば、このチケットで遊びに行こうと思ったり。と思いながらも新幹線が6割引きで利用できる。もしもチケットがダメになっても乗車券の払い戻しは可能だ、などとまたもやいらぬことが頭をかすめる。どういっても6割引きのチケット代。ネットで予約できた。その旨、一緒に出掛ける人にショートメールで知らせる。

 連日、お天気がいい日が続く。自転車で買い物に出かけたついでに自宅最寄りJR駅に向かい、予約した切符をクレジットで購入する。帰宅すると、ともに出かける人も隣の席で購入したとのメールが届く。次のネット予約は1か月前の帰国日だ。

 この「おとなび」、利用する人は少ない。これほど安く手に入るチケット、ほかにある?なぜ利用しないのだろう。正規のチケットが6割も安くなるというのに……。

 ブログ投降後に気づく。来月の広響定演のアンケートにピアソラの曲をリクエストしよう。それにしてもなぜピアソラに惹かれるのだろう。激しさの中に優しさと哀しさを併せ持っているから!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月9日月曜日

ホームコンサートへ

 2年ぶりに知り合いのホームコンサートへ出かける。ご自宅をコンサート会場に開放して年に数回コンサートを開かれている。昨年の夏に襲った西日本豪雨災害。出かけた家も災害にあい、家を建て替えられていた。家は災害もそうだが、それより前から道路の拡張工事で建て替えを迫られていたようだ。以前と少しだけ奥まって新たな家が建つ。新築の家の木の匂いは気持ちいい。久しぶりに行くので早めに家を出る。

 この日はフルートを吹くので譜面台とフルートを持参する。グランドピアノ2台、ハープが大中小と何種類もある。ハープの呼び方は大中小ではない、と思うが……。玄関も廊下も一般家庭よりは広い。30人分の椅子が並べてあり、スリッパも何もかも大人数が楽しめるようにされている。演奏後はサンドイッチなどでティーパーティー。アルコール零のワインもあるとか。これには参加しなかった。

 ピアノ、フルート、オカリナ奏者がゲストで、主催者はハープとピアノを演奏される。人前で久しぶりにフルートを吹いた。フルート奏者とその生徒さんと3人でフルートを吹く。曲はグリーン・スリーブス。アレンジされた曲は何度か変調がある。3,4か所、3オクターブの高い♯ファがあり、この音が一番気になる。いきなりの本番で曲の速度も何の打ち合わせもないとのこと。ただ吹く前にフルート奏者に速度と音出し、そして吹き始めのやり方を確認する。失敗なく吹けた。

 コンサートも終わりが近づくと参加者も加わって演奏する。その時、オカリナを吹くようにとすすめられる。オカリナの指使いはフルートと似ているとか。そうはいってもオカリナを持ったことも触ったこともない。これは勘弁してもらう。楽しい午後のひと時は終わった。次回の予定は聞いていないが、フルートを吹くようにといって誘ってくださる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月8日日曜日

湿原に生えるクマザサを描く

 2週間ぶりに日本画教室へ出かける。前回、先生に描く手順を教えてもらってメモした。2週間の休みの間、まったく絵筆を持っていない。教室に入って描いていた絵はわかっても作業の仕方を忘れている。色番もメモしていた。メモを参考にして2色の色を混ぜて膠で溶く。7月にでかけた釧路湿原。うっそうとした湿原にクマザサが生えている。溶かした水干絵具で地面一面に茂っているクマザサを描く。描いても描いても絵皿に残る絵具。先生はさらに淡い色を加えてクマザサを描くようにとアドバイスされる。

 絵を習い始めて驚いたことがある。先生は決して絵皿に溶いた絵具を残されずに何かに応用して描かれる。これは職人が道具などを大事にすることと似ているかもしれない。溶いた絵具が残れば洗い流せばいい、というこちらの発想とは大いに異なる。

 次回は今回使用した絵具よりも白っぽい絵具でクマザサを描く。クマザサの描き方も要領を得てきた。描きながらいかにも森に入っているような絵になる。自分の絵だけを見ているといい具合に描けていると自己満足に浸る。これくらいの気持ちがないと絵は描けない。どういっても絵は好きではなかった。それが年老いて描き出すだけでも自分の中では由となる。

 家で全く描かないと先生に話す。決してこれは自慢できることではない。それを慰めるかのように昨日も先生から言われる。それは「家で描かなくても真面目に教室で描けば月に9時間描くことになる」と。9時間を1年にすれば100時間を超える。何やかやと言いながらも習う前とは絵に対しての見方が変わってきた。それだけでも続けてよかった!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月7日土曜日

『また明日会いましょう』

 暇になると司馬遼太郎の本を読んでいる。今、読んでいるのは『翔ぶが如く』全10巻の8巻目。この1年間、司馬作品を読むことに明け暮れ、時に違う人の本が読みたくなる。図書館に予約する本もすぐに手元に届くとは限らない。予約確保までは書架から面白そうな本を借りて読む。『また明日会いましょう』(山本周五郎 河出書房新社、2018年)はそんなときに借りて読んだ。山本周五郎という名は知っていてもこの人の本を読むのは初めてだ。以下は気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★要は、そう話をつみ重ねるのは歴史であり、そのなかに人間性を捜すのが小説である。文学は決して歴史を証明するものではなくて、歴史その他あらゆるもののなかから吸収するものだ、と思うのである。――ではないでしょうか。(53p)

★読書、なかんずく小説を読むよろこびは、もう一つの人生を経験することができる、という点にある。こちらに積極的な「読み取ろう」とする気持ちがありさえすれば、たいていの小説はそれを与えてくれるものだ。というより、ある場合には現実の生活では得られない情緒や感動を、現実よりもなまなましく、――ときには肉体的にまで、――経験することことができる。(90-91p)

2019年12月6日金曜日

プールへGO~

 寒くなり、朝起きるのが遅くなる。今朝は前夜にエアコンのタイマーを予約して寝る。おかげで目覚めた部屋は暖かい。寒くなると動きが鈍くなる。これは体に良くない。午前中は用がなくても自転車に乗ってスーパーに出かける。そのついでに図書館に寄る。昨日は気になっていた『天皇の日本史』と『武士の誕生』を借りた。『天皇の……』の方は歴代の天皇の変遷から日本の歴史を紐解いている。どうして天皇は誕生したのかもよく知らずにいた。それもそのはず、本を読んでも確実な説は今もってわからず、神話がもとになっている。

 ただ、何となく知っていた歴史の語彙がこの本を読んでちょっとだけわかりだす。歴代の天皇のマニュアル本といったような本だ。内容は異なるがこういった本よりも司馬作品を読む方がもっと詳しくわかる。手には電子辞書が欠かせないが……。この頃は司馬作品を読みながら、あまりにもわからない語彙が出てくるのでノートにメモしている。

 話は変わって昨日午後はプールで泳ぐ。外気が冷たいとプールに入れば温泉気分になる。ところがそれも急激な温度変化ですぐに泳ぐとよくないかもしれない。プールに入るといきなりクロールで泳ぐ。25m泳ぐと体の向きを真反対にして背泳ぎで泳ぎだす。これを繰り返していると目が回るのでは……、と思いだす。急激な温度変化がよくないと気づき、背泳ぎはやめてクロールで泳ぐ。しばらくすると落ち着いてくる。

 今年の秋からこれまで、泳いだ後、以前のようにひどく鼻水が出なくなった。鼻水が出る、のはその時が風邪気味なのだろうか、などと思いを巡らす。とりあえず、泳いだ後は鼻水も出ず爽快な気分になる。ただ、これからの寒い季節、プールで泳ぐのは気持ちがいいが自転車に乗るのは寒い。この折り合いをつけて泳ぐしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月5日木曜日

この1年間に読んだ司馬作品

  1年前のこの頃、大連に出かけた。そこで知り合った人たちから司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むようにすすめられる。帰国するとすぐにこの本を読んだ。単行本は全6巻(文庫本だと全8巻)からなっており、1作品を読み終えるのに3か月か、それ以上かかった。小説の舞台は今は大連の主要な観光地となり、日露戦争当時は戦いの舞台であった。本に添付された地図と自分が出かけた大連を思いだしながら本を読む。

 『坂の上の雲』を読み終えると、さらに司馬作品に惹かれていく。読み終えた司馬作品をブログ下方にメモした。今、それを見るとこの1年間に7作品を読み終えて今8作品目を読んでいる。小説嫌いだったモノが、よくもこれだけ読んだ、と我ながら感心する。この歳になって「司馬作品にハマった」、と人に話すといろんな意見を言われる。ある人は司馬遼太郎は決めつけるところがあるといい、またある人は中年男性が読む作品とも話された。人の考えはいろいろとある。だが、自分自身は感動しまくって読んでいる。誰がどう言ってもそれは無視するしかない。

 長く生きてこれほど感動した作品もない。大連の旅行中、何人かが『坂の上の雲』を読むようにと教えてくれた。そのうちの1人とこの夏、我が家の前でばったり出くわす。その時、本をすすめてくれたお礼を述べるとともに「司馬作品の全作品を読むので150歳まで生きないと読み終えられない」と話すと、その人は「そこまで生きなくても読み終えられる」と冗談を言い合う。

 最近、というか司馬作品を読むにつれて「武士」や「士」は誰がなった、あるいはいつ武士は誕生したかが気になりだす。ネットで書籍を検索すると『武士の誕生』がある。これをまずは読もう。また、司馬作品は江戸から維新の時代の作品が多いのでそこには天皇も関係する。近代に目覚めてもそれより以前がわかっていない。『天皇の日本史』を図書館の書架で見つけた。この本は「知識ゼロからの」とサブタイトルがついている。自分にぴったりの本に思えてさっそく借りて読む。

 歴史嫌いが、また小説嫌いが本を読んで歴史好きになっている。この歳になって……と我ながら驚く。まあ、何でも知らないよりは知る方が楽しい。今日から『翔ぶが如く』の8巻目に入る。この作品は全10巻ある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は読み終えた司馬作品一覧。

『坂の上の雲』全6巻 文藝春秋 単行本 2018年12月中旬~2019年2月

『竜馬がゆく』全8巻 文藝春秋 文庫本 2019年3月~5月

『花神』全3巻 新潮社 文庫本 2019年6月~7月

『世に棲む日日』全4巻 文藝春秋 文庫本 2019年7月~8月

『酔って候』 文藝春秋 文庫本 2019年8月

『西域をゆく』 文藝春秋 文庫本 2019年8月

『ひとびとの足音』(文藝春秋 単行本 2019年9月

『翔ぶが如く』全10巻 文藝春秋 文庫本 2019年8月~

2019年12月4日水曜日

「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」の日帰りツアーに参加する

 11月30日(土)、「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。サブタイトルとして「~6つの国宝と美しき紅葉をめぐる~」とある。出かける1週間前に湖東三山と香嵐渓に出かけて紅葉を見たばかりだ。それでも毛利家やふくの昼食に惹かれて参加する。参加人員は22人と少なくバスもバス中型だった。
 
 広島駅北口を8時に出発したバスは広島インターから下関インターまで高速道を走り11時頃、国宝・長門國一宮にある住吉神社に到着する。この神社の名はこの旅で初めて知った。国宝に指定されている本殿をはじめ毛利元就が寄進した拝殿など多くの重要文化財を有している。この日は七五三のお宮参りをする着飾った子供たちとその家族でにぎわっていた。
国宝・長門國一宮にある住吉神社

 拝殿の中央にある賽銭箱の真上あたりに大きな鈴が吊ってある。この鈴に添えて麻縄が垂らしてある。鈴を鳴らそうと縄を振り動かすが全く音がしない。2,3度試みるも全くダメだ。これを見ていた人が動かし方を手を取って教えてくれる。その時は音が鳴っても自分ですると音が出ない。仕方なく音を鳴らすのをあきらめる。この鈴についてネットで調べると「鈴の清々しい音色で参拝者を敬虔な気持ちにするとともに参拝者を祓い清め、神霊の発動を願うものと考えられています」とある。ということは音がしないと価値がない!?神社に参るときはこの気持ちをわかって参拝しよう。

 青銅製の狛犬が鎮座している。案内板によると「狛犬は神域守護の神獣なることから威厳・畏怖の面容常なるが、当社の対は極めて愛敬・慈愛に満ち、さらには青銅器で、全国でも稀なる狛犬であった」そうだ。ところが大東亜戦争で軍需物資として徴用されて以降、コンクリート製で複製される。平成27年に参拝者の浄財で今のような青銅製の狛犬の復元・復活を果たす。
青銅製狛犬

住吉神社境内の紅葉

住吉神社境内の紅葉

住吉神社境内の紅葉

 バスは功山寺に向かう。ここはアジサイの時季に行っている。その時は緑一色の功山寺も今は紅葉真っ盛り。功山寺の真向かいには下関市立歴史資料館がある。ここは今回も行かずじまいだ。竜馬の史料を多く保有しているそうでいつか出かけよう。うっそうと紅葉した樹木が茂る参道の階段を上がると功山寺がある。日程表によると「総門から国宝仏殿に続く参道の紅葉が美しい」との記載がある。まさにその通りで春に来ているはずなのに、季節が変わると趣も変わってまるで初めてのように思えた。前回はガイドの説明があったが今回はない。その分、自由に歩いて見て回る。高杉晋作の馬に乗った像も相変わらず鎮座する。
総門から国宝仏殿に続く紅葉

功山寺の紅葉

功山寺の名水

功山寺総門までの参道

功山寺総門

 功山寺を後にしてバスは割烹旅館寿美礼に向かう。ここでふくミニランチの昼食をいただく。1人参加者も数人かそれ以上いたようだ。そのうち3人は1週間前に別々の旅行社で湖東三山へ出かけている。どの旅行社も食事がまずかったらしく、今回の食事の良さが話題になる。
ふくミニランチ

ふくのから揚げ

 ふくミニランチの食事は写真に写っていない白御飯、吸い物、デザートなどもある。どれも上品な味で、お店の人も親切だった。ゆっくりとおいしいものをいただいたあとは、下関インターから高速道を通って防府のインターまでバスは走り、国の名勝にも指定されている毛利氏の日本庭園の紅葉を眺める。同じ場所には重要文化財の旧毛利家本邸や毛利博物館がある。この博物館は毛利家に伝来する美術工芸品や歴史資料など4つの国宝を含む2万展を所蔵するそうだ。この日は特別展の国宝展が開催されて鑑賞する。


国宝展の掛け軸

 国宝の掛け軸を見ると「一日一力一心」と読むと思った。ところが説明を見ると「百万一心」だった。「百万一心」とはウイキペディアによると次のように書いてある。

★「百」の字の一画を省いて「一日」・「万」の字を書き崩して「一力」とすることで、縦書きで「一日一力一心」と読めるように書かれており、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」ということから、国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得ることを意味している。

 昭和31年には昭和天皇も来られたらしく「水きよき いささ小川のいさ 流れゆく たたらの庭の 春のしづけさ」の歌があった。もらったパンフによると毛利氏庭園は25000坪の広大な庭園だ。毛利博物館入り口は旧毛利家の本邸だそうで1200坪という広さの豪邸だ。この豪邸が庭園内に建っている。
博物館から庭園を眺める
山の方は防府市内

毛利氏庭園の紅葉

 博物館に入る前に庭園を散策する。庭園と博物館を見学する時間は1時間半。どういっても広すぎる庭園をゆっくりとは散策できない。博物館も建物が長く広く廊下を歩くだけでもかなりの時間を要する。1度でなく何度でも来たくなる。

 国宝展を見た後は六日市インターから高速道を走って19時に広島に着く。この日の携帯万歩計は10782歩、とよく歩いた。毛利氏庭園は春の桜も美しいことだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月3日火曜日

第395回広響定演後に

 先月から年始の欠礼はがきが届くようになった。先日の会合である人は12枚も届いたと話される。我が家は今のところ3枚。そのうち2枚は従姉妹などの身内。そろそろ自分たちの年代がこの世からいなくなる!?今朝の新聞には顔見知りの人の訃報もある。まだ75歳とそれほどの高齢でもない。

 先月29日(金)、今年最後の広響定演を聞きに行く。その翌日はバス旅に出かける。朝早い集合なので前半の演奏を聞いて会場を後にする。その罰がすぐに当たった。最寄りバス停でバスを待つが10分経っても15分経ってもバスの姿が見えない。おかしい、とすぐに気づけばいいのに20分経過してやっと行動を起こす。若い女性も待っている。その人に「ドリミネーションの関係でバスはここを通らないかもしれない」と話す。暗くて何が書いてあるかわからず、その人が代わってバス停の案内を見てくれた。バスは迂回して通っている。

 お礼を言ってその場を離れて平和公園の停留所を目指す。若い女性とそこでまた出くわす。「さっきの人?」と声をかけるとそうだという。またも時刻表を見てくれる。ここもバスは通らないらしい。2人で八丁堀まで歩く。その人と話していると1週間前に市内で一人暮らしを始めたという。それまでは東広島市から市内に通勤していたそうだ。平和公園からその女性とドリミネーション会場まで歩きながら話をすると、前日親知らずを抜いてその日は歯科へ消毒にきていた。ドリミネーションも初めてのことで思いのほかよかったと喜んで話す。話を続けているとまだ大学を出て何年も経ってないらしく、自分が落ちた大学の出身だった。

 若いころ、希望する大学の受験に失敗して、年取って大学に入りなおした話をしているとその人からアジア塾でゼミ担当だった先生の名が出てくる。自分の人生のなかでかなり希望に燃えていたアジア塾塾生の時代。ここでいろんな人と知り合った。その時代があったからこそ今の自分がある。そう思えるほどいろんな人たちと知り合い、ともに学んだ。今も若い人たちと違和感なく話せるのもその時の経験があるからかもしれない。

 広響の演奏会場の加古町から百メートル道路を経由してイルミネーションを見て、本通りのパルコ前で若い女性と別れる。短時間の歩きながらの話で自分の若いころの苦い経験をしばし振り返る。これもなぜか楽しいひとときだ。

 第395回広響定期演奏会のプログラムは下記の通り。だが演奏は前半しか聞かなかった。

 ♪ハイドン 交響曲第102番変ロ長調
 ♪ベルリオーズ 幻想交響曲

 指揮者にシルヴァン・カンブルランを迎えての演奏会。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月2日月曜日

某文化交流会忘年会

 某文化交流会の忘年会に出かける。その前に「風雅なwho?がな山水画展」~旧派の逆襲~を見に頼山陽史跡資料館に立ち寄る。入館時刻も迫っている割には館内がにぎやかだ。なぜ?と思ったら茶会が終わったばかりだった。今年になって2度ほどここを訪ねる。明治時代になって日本の伝統的な技法による絵画は「日本画」と言われるようになる。しかし、それまでの画題や画技に立脚した作品を描き続ける画家たちは「旧派」と目された。

 今は日本画を習っているが、若いころ1年だけ水墨画を習ったことがある。山水画とまではいかないがそれに近いとこまで学んだ。その時のカルチャーセンターで学んだ人が今、本展覧会の監修者や解説者となっている。

 山水画を見終えると、歩いて紙屋町まで行く。忘年会と新年早々に出かける海外旅行の説明会を兼ねた会合が始まる。出席者の大半は年明けの旅に参加される。ただ、毎年、旅に参加された夫婦1組は先日、身内に不幸があり参加されないそうだ。これは残念だが、この御夫妻と親しい人が参加を説得されるらしい。この会から海外に出かけるようになって6年くらい経つ。毎回楽しい旅なので、また、一緒に行けるのはうれしい。ただ、今回、体調不良で旅に参加されない人もいる。会長は次回は元気を取り戻して、中国四川省に行きたい、と話される。これは皆も賛成で会長の体調回復を願って拍手する。

 中国といえば会の人から来年の中国辺境地域の旅に誘われる。その人はオリエントに興味があり、それに関連する岡山の某会に入っているという。そこから旅をするらしくその参加の誘いだった。自分も老いていき、辺境の地へのあこがれが次第に遠のいていく。参加の有無は告げなかった。

 年明けに出かける国は20年くらい前に行っている。出かけるのは2度目となる国だが、20年も経てば初めて行く国と同じかもしれない。

 宴はバイキングなので途中、席を立つと違うテーブルの人から「無花果の巨木は何処の国」かを聞かれる。「ええっ、もしかして日本画作品展を見に来てくださった?」と瞬間、頭をかすめる。会が始まる前、絵を見に来てくれた人に絵の絵ハガキを渡した。それを見た人からどこの国の無花果なのかを問われる。

 席が近い人は耳が聞こえにくいらしく、それが話題に上がる。自身の耳の聞こえる程度を右は0.00、左は0.6と話される。そう聞いて、こういう言い方で耳の聞こえる程度を表現するんだ、と真面目に聞いた。眼科は毎月出かけても他の診療科はあまり用がない。最近はこんな言い方をするとびっくりして聞いていると、それは視力の言い方をまねた表現だった。この会話を聞いていた人は笑いに包まれる。

 会が終わり、数人でカフェに行くと会長ほか2名が先客だった。皆、アルコールも入っており、まるで旅に出かけている感覚になる。司馬作品にハマっていると告げると会長から中年男性が読む作品といって笑いものになる。司馬作品は老婆でなく中年男性が読むものか、そうかと改めて気づく。ただ、ずっと社会に出て働らいて半分おじさん化しているものとしては、中年男性がハマる、と聞いて妙に納得する。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2019年12月1日日曜日

「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」日帰りバスツアー

 今年の紅葉の見納めは昨日、出かけた長府の旅になりそうだ。「下関・防府 毛利家ゆかりの紅葉めぐりとふくの昼食」と銘打った日帰りバスツアーに参加する。サブタイトルとして「6つの国宝と美しき紅葉をめぐる」とある。紅葉といえば先週、湖東三山と香嵐渓の紅葉を見たばかり。昨日の紅葉は1週間前の規模と比較すると小ぶりだが紅葉の美しさは引けを取らない。

 春に別の旅行社で似たようなコースで出かけた。緑一色のアジサイの季節と赤や黄色に染まった紅葉の時季とでは美しさも異なる。先週の旅では食に関して今一歩だった。ところが今回は「ふくの昼食」とあるようにふくのミニランチだ。それも割烹旅館寿美礼で美味しくいただく。1人参加者同士が席に着くと、3人はそれぞれ異なる旅行社で先週、湖東三山に出かけている。話はその際の各旅行社の食事事情が話題となる。今回の旅行社であるJ〇Bは食に関して評判がいい。

 旅の参加人員は22名。先週の旅は41名だった。半数の人員だと何もかもスムーズにことが運ぶ。旅の良さに少人数も関係する、と何かで読んだことがある。まさにその通りで快適な旅だった。この旅の模様は後日のブログにアップしよう。

 話は変わって「偉人たちの健康診断」で見た正岡子規。今朝の地元紙にテレビとは関係ない書籍の紹介がある。それは『ライオンのおやつ』(小川糸)で神野紗希は以下のように書いている。

★脊椎カリエスにむしばまれた俳人正岡子規が死の直前まで書き続けた日記「仰臥漫録」には、日々の献立が克明に記されている。……食べることは病臥の彼に、大いなる楽しみと生きる力をもたらした。

 だから子規は1日にミカン15個やリンゴ6個などたくさん食べたのだろう。食べることとは楽しみと生きる力をもたらす……、から旅に出て食に関心を抱くのも当然だろう。食べられなくなると人は生きていられない。母の介護の経験でよくわかった。

 ともあれ今日元気で楽しく過ごしましょう!