2024年4月20日土曜日

『司馬遼太郎が考えたこと』(2)

 『司馬遼太郎が考えたこと』(2)(司馬遼太郎 新潮社、平成十七年)を読んだ。この本は司馬遼太郎が書いたエッセイをまとめた15巻のシリーズである。またいつものように気になる箇所を記そう。

★坊さんの仲間では、収入のいい寺のことを「肉山(にくさん)」という。肉がたっぷりついているという意味で、たとえば、東京の浅草寺や、大阪の四天王寺は、肉山である。しかし、浅草寺や四天王寺へ行っても、なんの詩的感興もおこらないであろう。肉山だからだ。それよりも、大和の唐招提寺や秋篠寺、法華寺などのような死山(というようなコトバはないが)に、人は美と歴史への涙をながす。妙なものだ。須磨寺は、死山ではなく、行ってみると肉山だった。新しいコンクリート造りの宝物殿も建造中だったし、その背後には、やはり耐震耐火建築の納骨堂がたっていた。寺は、十分に生き、活動しているのである。それだけに詩的感興はいっこうに湧かなかった。(「須磨」59p)

★古い本を読んでいて、そのために病気になったとすれば私はもって瞑(めい)してもいい。私にとって、これほどおもしろい楽しみはないからだ。人間は楽しみのためにイノチを捨ててもよい(大ゲサだが)と思うようになってはじめて世の中が明かるくみえはじめるのだ(たかが古本のことでまったく大ゲサだが、事実、楽しみとはそういうものだ)。(「男の魅力」146p)

★私は、作家として、一生、男の魅力とはどんなものかを考えつづけ、私なりに考えた魅力を書きつづけようと思っている。女に魅力があるように、男には、どの男の中にも、極めて魅力的な武運がある。私は資料をよむとき、この男の魅力は何処か、と考える。魅力が感じられなければ、どんなにおもしろくても捨ててしまう。資料をよむたのしみは、男のそういう魅力に接するたのしみである。この魅力は、現代小説では表現できない。現代というのは、男が魅力を喪失した時代だからである。私は資料をよみながら、ぼうばくとした「時代」を背景にその男の魅力を置いてみせ、美術ずきの者が美術品を鑑賞するような、舌なめずるような楽しさで、さまざまに想像する。このたのしみは、病気になろうがどうしようが、やめられるものではない。(「男の魅力」149p)

★ここ数百年来の日本人のなかで、私がもっとも好きな坂本竜馬という人物を、読者にも知ってもらいたくて書いた。書きながら、男の魅力について考えた。この魅力は、ときに日本史を動かす。私は、土佐の桂浜に立つ竜馬の像を見上げながら、君のことを書くよ。と、ひそかに話しかけた。彼は、太平洋の風のなかで、黙然と眼をそばめた。その銅像の下で、私も、この男が、日本人の中でもっとも好きだ。と言った若いアメリカの歴史学者と、中国人の女流政治家のことを、同行のひとから聞いた。竜馬にはなにか、そういうものがあるらしい。(著者のことば『竜馬がゆく 立志編』341p)

★「恋は思案の外とやら、長門(あなた)の瀬戸の稲荷町猫も杓子も面白う、あそぶ廓の春景色、ここに一人の猿まわし(自分のこと)、たぬき一匹(おりょうの意)ふりすてて、義理も情けもなき涙、ほかに心はあるまいと、賭けて誓ひし山の神(おりょうの意)、うちに居るのに心の闇路、さぐり探りて出でてゆく」この唱のばかばかしさに、おりょうの機嫌もなおった。恋女房連れの志士活動の不自由さは、同情にあたいする。なおこの唱は、竜馬を敬慕していた長州藩士梶川龍介が竜馬に頼んで書いてもらい、それがいま山口県長府の尊攘堂に陳列されている。全文ひらがなである。(「幕末のこと」403p-404p)

註)尊攘堂は今、下関市立長府博物館本館となっている。

 今日からしばらくはパッとしないお天気が続きそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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