2018年6月30日土曜日

『老嬢は今日も上機嫌』

 『老嬢は今日も上機嫌』(吉行和子 2008年、新潮社)を読んだ。エッセイはすぐに読める。しかし、これはかなり時間をかけて読む。というのもどの文章も中身もさることながら文の終わりの書き方がうますぎる。それにしても吉行和子の母、あぐりさん。以前、あぐりさんの著書『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』を読んで生き方に感動した。その人から生まれた吉行和子。本を読んでいてあぐりさんと同じく「なるほど」と…。

★母は九四歳。九十一歳のとき、私と一緒にメキシコへ行った。それ以来、海外旅行に目覚めてしまい、毎年どこかへ行っている。翌年はネパール。次は中国、こんどはヨーロッパへ行きたい、と言っている。そのためには、足を鍛えておかなくてはいけない、と実感したらしく、毎朝かかさず、この土手を歩いている、らしい。14p

 あぐりさんは91歳でメキシコに行かれている。いつかメキシコへ、と思いながらまだ出かけていない。メキシコの後はネパールにも行かれている。91歳まではまだかなり年月がある。しかし、この2つの国は自分のなかではちょっと気が重い。

★山下洋輔さんの追っかけ三人組として発生した女の友情は、一六年目を迎えた。女同士のつき合いなど上手く行くはずがない、と言われているし、またよく目にもするが、私たちの友情は、山下洋輔さんという男性がいてくださるお蔭で、つつがなく続行している。追っかけだけでは物足りなくなり、三人で企画してピアノソロコンサートを開いたときは楽しかった。何から何まで人の手を借りず三人だけでやった。…69p

★子供のころから病気ばかりしていたが、だんだんと健康になってきた。元気でさえいられれば、まだまだ楽しい時間が待っている、はずだ。166p

 子供のころ、自分自身も弱かった、と親から聞かされた。しかし、弱かったころの記憶はない。ただ、市内電車のチンチンと音を鳴らして走るのを後年、聞いた時、懐かしさを覚えた。生まれて間もなく、郊外のわが家から市内の市役所前の眼科まで通院していたそうだ。大学入学時、コンタクト装用でこの眼科に行くと眼科医は名前に覚えがある、と話された。何年も通った眼科。先生も亡くなられて今はもうその眼科はない。

★尾崎翠を大好きだった私の妹の理恵は、この映画を見るのを楽しみにしていた。しかし、五月に逝ってしまった。その日、何度も目を開けて私を見た。もう言葉を発する力もなかったけれど、もしかしたら、このまま死ぬのならばむごいものだね、と言いたかったのかもしれない。204p

 「その日、何度も目を開けて私を見た」。これと似た光景が母との間にもある。母は亡くなるかなり前から話ができなかった。しかし、亡くなる前、3週間ほど緊急入院。その最期近くの日、母は閉じていた目を見開いてじっとこちらを見た。「どうして見るん?」と話してもただ目を見開いたまま。母が最期に私に何か言いたかったのだろう。その後に見舞った姉には目を閉じたままだったそうだ。

★今年は三回忌だ。青山に新しく建てたお墓はとても感じがいい。青山通りをぶらぶら歩くのも楽しい。私はしょっ中遊びに行く。私にとって大きな石は問題にならない。そんなものは飛び超えて、会いに行ける術を身につけた。もう怖ろしいものはない。
遊べやと黄泉へ誘ふ昼の月     窓烏 144p

 これもわかる。母が亡くなったとき、お墓へ行けば会える気がした。吉行和子の俳号は「窓烏」。この本を読んで俳句はしないのに俳号を考えたりする。「窓ガラス」を「窓烏」に捩ったのか。それにしてもいい俳号だ。名をつけるといえばこのブログのタイトルもはじめは小さいころによくいわれたあだ名(?)、を考えた。しかし、それはあまりにも変なのでこの題名にした。


 それにしても雨がよく降る。今朝は土砂降りの雨で目を覚ます。ということでここは🎵城ケ島の雨🎵が似合いそうだ。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月29日金曜日

竜巻注意情報発令中!



 ただ今竜巻注意情報発令中で猛烈な雨が降っている。ひどいことにならなければいいが…。雨の予報も明日までのようで、それ以降はお天気の日が続くようだ。ひどく降る雨もあと1日で今年の梅雨の降り納め!?

 今朝の地元紙を読むと同じ区内でひったくり事件が起きている。テレビを見ても何を見てもいいことは報道されない。いやなことを知ったり見たり聞いたりするだけでも体に良くない。それならばと見ざる言わざる聞かざるを決め込んでいてもそうとばかり言っておれない。今朝の竜巻注意情報のように…。

 こんな日は図書館で借りた本を読む。図書館から予約確保の連絡が入らず、書架から借りた本を読む。区の図書館は大きくないので蔵書も少ない。昨日も借りてきた本を読むと以前にも借りて読んでいる。長く生きていると本の好みが決まってくる。時に読んだことのない人の本を借りて読む。それは内田康夫の『浅見光彦の日本不思議舞台地(ニッポンミステリースポット)の旅』(KKベストセラーズ、2015年)。

 本で取り上げるミステリースポットは30か所。このうち14か所は出かけている。行っていないうちの熊野古道、ここは是非とも行ってみたい!熊野古道は本を読む前から行きたかった地。旅のチラシやカタログで「熊野」を見る度、気持ちが騒ぐ。

 竜巻注意情報は解除されたのだろうか。雨の降り方が弱くなる。雨の日は自転車に乗れない。家でおとなしく本を読む!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 動画は大塚博堂の🎵過ぎ去りし思い出🎵。

2018年6月28日木曜日

♯レの音&わが家の庭

プランンターのベゴニア

カラーの花が4本咲いた

今年の大きくなりつつあるレモン

 昨日の早朝、近くのコンビニに強盗が入る。しかし、まだ犯人は捕まっていない。今朝の朝刊を読むと大きく報道されている。昨朝、パソコンのメールに届いたニュース速報で強盗を知る。2,3年前までは住んでる町のコンビニと言えば自転車で10分くら先にしかなかった。ところが最近、JR駅や区役所、区民センターに近いという便利な地のためか、古い家を壊して30年借り上げ住宅やコンビニ、24時間営業のコインドライなどができる。道路を見るとたばこの吸い殻やコンビニで買ったものなどをそこらへんに捨ててある。我が家は2か月半前に電〇メーターの紛失にあった。治安の悪さを実感する。昨日は近隣の小学校の生徒は集団下校したそうだ。

 ということで昨夜は一歩も外に出ずにフルートの練習などする。練習中、気づく。それはさらっている曲に頻繁に出る装飾音などの♯レの音。この音が音符と音符の間に挟まるときれいな音で吹けなかった。その原因は右手の中指の置き方にある。前から右手の人差指、中指、薬指と同時にキーを押さえる時、中指だけが伸びず中途で押さえる格好だった。昨日、練習していて犯人(?)が中指とわかる。音を出さずに右手の指だけキーを押さえる時の動きを見る。やはり中途のママで押さえていた。中指がまっすぐにキーにあたるように何度も伸ばして置く練習をする。できた!こうすればフルートを吹く時の手の動きも綺麗に見える。先生のキーを触る手を見てもきちんと3本の指が揃っている。フルートを吹く時、指がどうなっているかは自分では見えない。これで変な癖がついたのだろう。

 長くフルートを習っている。今さら何を、と思われるかもしれない。しかし、長く習っているからこそ悪い癖もつく。それを打破するには思いついた時に改善するしかない。昨日の練習ですぐに中指の癖も直るのになぜ変な癖がついたのだろうと自問自答。これも気づいたからわかること。わかって良かったと思うほうが賢いのかもしれない。ということで「望郷のバラード」の♯レの音、これで大丈夫。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 画像は今朝のわが家の庭に咲くカラー、ベゴニアとレモン。どれも梅雨の雨に打たれて瑞々しい若葉だ!

2018年6月27日水曜日

ダグニーさんのブログ&顎を引く

 今朝、昨日のダグニーさんのブログを見てホッとする。それは「私は私の社会奉仕は 106 歳が得ることができる援助の面で寛大であったことを言わなければなりません。最良の部分は、私は私は"足"に、少し社交的で美術館やエンターテイメントの他の種類に、散歩に行くかもしれない場合は、追跡担当者を得ることだった」とあるように特別養護老人オームに入らなくても外出の際に付き添いを伴うという。

 6月14日のブログに「特別養護老人ホームたくない限り、自分自身を説明します。また、日々 一生懸命するは通常場所を得る最終的に人にこのような宿泊施設には比較的短い時間後に死ぬ彼らが嫌なのです」と書いている。ダグニーさんはホームでの生活は入所後に早く死ぬ可能性があるのを危惧されていた。(ダグニーさんのブログからの引用は日本語翻訳機能のため日本語として変なところもある)。

 自分自身、もしもダグニーさんほどまでとは言わないが長く生きたとしても決してホームに入りたくない。この気持ちがあるので親を介護する時もほぼ最期までわが家で看た。父は母が介護して亡くなるのもわが家だった。他人ごとながらダグニーさんの件はかなり気になっていた。106歳を考えれば一人で生活するのは大変だけどダグニーさんは誰の手も煩わさず生きておられる。ましてや毎日ブログもアップされ、それも写真付きだ。並の人ではない。いつまでもダグニーさんのブログが拝見できるように元気で長生きされることを祈りたい!

 話は変わって、今朝は朝から蒸し暑い。蒸し暑さは昨日もそうだった。小雨降る中、フルートのレッスンに出かける。最寄りJR駅に着くまで2人と出会う。出会う度に話をしていると予定のJRに乗り遅れた。ところが先月から動き出したエキまちループのお蔭で広島駅から先生宅前までのバスの便は1時間に何便もある。どうにかレッスン時刻に間に合う。

 フルートでさらう曲は🎵望郷のバラード🎵。この曲はお気に入りなので練習にも気合が入る。レッスンの最後で先生のピアノと合わせて吹くと何とか最後まで大丈夫だった。左手の人差指の持ち方と顎を引いて吹くように心がけている。顎を引くと姿勢も良くなり、フルートの歌口と唇がずれなくなった。これは自分にとっては大きな収穫。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月26日火曜日

”ASIA INSIGHT”を見る

  「剰女」、「白富美」、「独立女性」の3つのキーワード。これはNHKのBSで昨日放送された”ASIA INSIGHT”の中国語。今の中国女性の一面をあらわすという。「剰女」は日本で言えば「売れ残り」「負け犬」と言ったある年齢になっても結婚しない女性。「白富美」は、中国人の男性が理想とする女性を表す流行語だそうだ。これは  肌が白くて 家庭が裕福で 容姿が美しい女性らしい。「独立女性」は字の如く独立した女性で結婚していても事業を起こし、子育てもして一人の人間として生きていく。番組で取り上げた3人の女性から中国の女性の働き方や生き方がわかる。どれが理想の女性の生き方?、と思ってしまう。というよりもどの生き方がいいとか悪いとか判断するのは人それぞれで難しいだろう。

 この3点のうち日本では「剰女」(負け犬、売れ残り)が以前ほどではないにしても顕在だ。自分の若いころはまだ「負け犬」とまでは言われなくても「売れ残り」と揶揄された。売れ残った側から言えばなぜ100%近くの女性が一斉に嫁に行くのか不思議だった。時代が変わればモノゴトも変わる。今の若い人たちを見ると以前とは考え方も様変わりしている。何がいいのか悪いのかわからない。それでも自分たちの子供世代は確実に結婚しない女性や男性も増えている。もしも、全てhappy、happyならば誰もが結婚するだろう。これもしていないモノのひがみと言われればそうだけど…。独りもなかなかいいものだ!自由があり、どこへもすぐに飛んでいける!

 番組内である女性曰く「やることがあれば要らぬことを考えずに済む」。これ、わかる。番組最後は「良き妻、良き母のレッテルがはがされるとき新しい一歩が始まる」と言って締めくくる。女性であれ、男性であれ、一人の人間として楽しく生きていく。これに限る!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月25日月曜日

混み合うプール&カラー&ベゴニア

 日曜日の午後のプール、予想に反して混み合っている。受付でプールの混み具合を係に聞くと朝から混んでいるという。プールの休館日は水曜日。火曜日、土曜日は習い物の関係でそれ以外の曜日にプールで泳ぐ。係りの人曰く、これから夏休みに入ると子供で賑わうとか。

 プールに入ると声をかけられる。以前、所属していた日本一周泳ぐ会の人だ。その人とは今のプールでたまに会うことがある。今、ワールドカップ真っ最中。その人の息子さんたちは高校から大学にかけてサッカー選手と聞いていた。広島市内のサッカー選手を輩出する皆実高校出身。昨日、話を聞くとサッカー選手の息子は今や太っていると体の大きさを手で表現する。

 親であるその人もいかにも運動選手という体つきをされている。しかし昨日のプールは混み合っていていくらうまく泳ぐ人であってもスムーズには泳げない。ビート板をもって平泳ぎの足で泳ぐ。プールで平泳ぎで泳ぐ人はほとんどいない。大半はクロールで泳ぐ。しかし、混んでいるのを察して手を使わずビート板を使ってゆっくり泳がれたのだろう。プールで顔が合えば「混んでるね」と声が出る。

 浅い方のプールは子どもたち専用とばかり父兄同伴で陣取る。プールに入った瞬間、500ⅿ泳げばいい、と諦めモード。それでも図々しくクロールと背泳ぎで400m泳ぎ、その後は水中歩行のレーンに移動して200mほど水の中を歩く。

 今日は最高気温31度の予想。これから1週間先の天気予報を見ると雨の日が少ない。梅雨明けも近いのだろうか。暑くなればますますプールは混むだろう。夏は冬に比べて動きも鈍くない。自転車で泳ぎに行くには夏よりも冬の方がいい。どういっても真夏に自転車に乗ると降りた時は汗びっしょりだ。汗をかくのが運動ならば真夏は泳がなくても自転車に乗るだけで運動になる。

 わが家のカラー、今朝、見ると4本花が咲いている。花の色も咲き始めよりも徐々にピンクから臙脂へと濃くなっていく。カラーの横のプランターはベゴニアが所狭しとはびこる。これはピンクの花をつける。あまりにも混み合っているので葉っぱを数本抜いてほかの鉢に植え替える。また他にも数本抜いてガラスコップに挿す。ガラスの器のベゴニアは一段ときれいな緑になり、また涼しく見える。しばらくは狭い庭は紫陽花が終わりを告げてカラーとベゴニアの美しさの競演となるだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月24日日曜日

「シルクロード・灼(しゃく)熱炎と幻の海」を見る

 一昨日またも「消費者金融訴訟…」なるハガキが届く。つい先日も届いたばかりだ。今回は慌てはしない。しかしハガキを見ていやな気持ちになる。すぐにこれまた警察に電話する。警察もこれらのハガキの多さに慣れてきたのか電話で話す女性も冷めた声での応対だ。次に消費者生活センターに報告する。誰に話しても慣れが生じてしまい驚く様子もない。ただこちらはわが家に届くだけで嫌な気分になり、すぐに破棄する。

 今朝地元紙を見ると山口で70代の女性が272万円の特殊詐欺にあっている。ハガキが届くのはまだ被害とも言えないのかもしれない。しかし金銭の被害があればいくらモノゴトはお金で解決すると言ってもそうとばかりは言っておれない。新聞記事によると電話で話している最中に犯人が家を訪ねて来てキャッシュカードを持ち帰り、お金を降ろしている。

 先日家のドアホンのコンセントを抜いた。誰が訪ねて来ても声で判断して知らなければ家から出ない。また電話もナンバーディスプレイで確認して出るようにしている。こうなると電話もドアホンも昔のようにモノがない生活に戻すのもいいかと思ったりする。

 これからますますいろんなことが巧妙になっていくに違いない。それについていくためにもしっかりしなくては…。とはいってもナニゴトも「悪」の方が先を進む。「特殊詐欺」や「振り込め詐欺」をはじめに考えた輩は誰だろう。この能力を悪い面でなくいい方面に生かしていれば発明になっていたかもしれない。

 気分を変えて昨夜のNHK・BSは体感!グレートネイチャー「シルクロード・灼(しゃく)熱炎と幻の海」を見る。番組HP には「シルクロードは大自然の芸術に満ちている。訪れるのは、カスピ海周辺、謎の国・トルクメニスタン、カザフスタン、アルメニアの三か国。かつてこの地にあったという“幻の海”の痕跡をたどると、泥火山、炎のクレーター、輝く紅白の大地、ウユニ塩原のような水鏡、空から降る石柱といった奇観に遭遇!消滅した海は、地上に絶景を地下に資源を残していったのだ。シルクロードに刻まれた、衝撃の地球史を体感!」とある。

 シルクロードと言えばこれまで2回出かけている。1度目は中国のシルクロードで31年前になる。2度目はまだソ連の時代のソ連領シルクロードでウズベキスタンのサマルカンドやヒワなどに出かけた。30年前になる。昨夜のシルクロードはまだ出かけていない元ソ連領の国で今はそれぞれ独立した国になっている。放送を見てまだ見ぬ世界がこの世にはたくさんあると驚く。特に「紅白の大地」。同行の日本の学者は塩酸を持参して土と反応させる。すると何の土なのかがわかるらしい。映像で見たのはこの画像よりももっと見事な赤と白の大地だった。いつかこういった地域もツアーで行けるようになるかもしれない。その頃はもうこの世にいないだろう。それにしてもロマンあふれる番組だった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月23日土曜日

ピンクのカラー&スウェーデンの夏至祭

我が家のカラーはピンクに染まる

 昨日のダグニーさんのブログに「真夏は、初期のごちそうの日は 6 月 26 日に期間中に 19 から落ちる今祝われます。常に真夏のイヴに状態は金曜日に滅亡です」とある。翻訳機能を利用しての日本語訳なので変な日本語になる。しかし、意味は大体わかる。ブログのタイトルは「真夏のイヴ」。キリスト教関連の行事はさっぱりわからない。それでもダグニーさんのブログを通して少しずつわかってくる。

 ウイキペディアによると「真夏のイヴ」とは「夏至祭」らしく6月19日から26日がそれにあたる。スウェーデンではこの日、茹でたジャガイモを食べる習わしがあるそうだ。ダグニーさんもジャガイモの入った袋を持って写真に写っている。

 先日図書館で借りた『日本はスウェーデンになるべきか』(高岡望 PHP研究所、2011年)を読んだ。ダグニーさんのブログの影響でスウェーデンに関心を抱く。ダグニーさんを知る前の2013年、北欧3カ国の旅でスウェーデンに出かけた。その当時は今ほどスウェーデンに関心がなく、ただの観光に過ぎなかった。再度行く機会があればもっと興味を持つだろう。

 この本に面白い文がある。スウェーデンは飽くなき男女平等を追求する国だそうだ。「2009年6月、スウェーデン第3の都市マルメでは、驚くべき決定がなされた。女性だけ上半身に水着を着けなければならないのは男女平等に反するとの主張が通り、市議会は、同市の室内プールでは女性に水着を着るか着ないか自由であると決定したのである」。97p

 ところがこの本の著者が同市を訪れた際に案内の男性にこの話を聞くと見たことはない」と苦々しく答えたという。98p

 それにしてもダグニーさんは素晴らしい。先週のブログに今週末の気になる話をアップされている。他人ごとながら明日のブログが気になる。

 画像はわが家のカラー。これ以外にももう一つ花が咲きそうだ。購入時の鉢植えのカラーは臙脂(ワイン)色だった。ところが地に植えるときれいなピンク色で咲いている。これを切り花にしてデッサンすればいいのだがあまりにもきれいな花なので切るのがもったいない。しばらく切らずにそのままにしておこう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月22日金曜日

「『定年後は田舎暮らし』と決めつけるな」

 先日の検索画面に「『定年後は田舎暮らし』と決めつけるな! “定年難民”にならないための4つのコツ〈dot.〉」の記事がある。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180614-00000070-sasahi-life (参照)

 定年まで勤めずに早めにリタイアしたものにとってこれは関係ないことのように思える。それでも「4つのコツ」に惹かれて文を読む。「田舎暮らし」は雑誌やメディアで取り上げられることが多い。これには憧れがある。というか若い頃は田舎暮らしよりもログハウスに憧れがあった(ログハウスは田舎に建てるものだけど…)。車が運転できれば間違いなくログハウスを手にしただろう。それくらいログハウスに夢を抱いていた。車の運転は目が悪いので無理とあきらめて以降、それにとって代わるのが海外旅行だった。

 あと何回か海外に行けば記念すべき回数になる。その間に費やした旅費を思えばログハウスは充分入手可能だった。ログハウスは夢にすぎなかった。しかし、海外旅行を楽しむことが出来てこれはこれでよかったかもしれない。

 話は定年後の人の生き方に戻る。『定年後、うまくいく人 いかない人』などの著者である保坂隆(聖路加国際病院・診療教育アドバイザー)は、定年難民にならないための4つのコツを以下のように話している。

 【コツ1】自分がやりたいことはすべて「生きがい」になる
 自分がやっていて楽しいと思うことを、気楽に楽しむ。その姿勢が大事です。
 
 【コツ2】「定年後は田舎暮らし」と決めつけるな
 
 【コツ3】定年からの経済プランは大ざっぱに
 定年前からあまり先の細かい経済プランを立てても意味はありません。「40年生きたとして……」とか、「病気になったら入院費が……」などと計算しても無駄。
 
 【コツ4】「見栄や義理と縁を切る」という姿勢も必要に
 「不義理になる」と思うかもしれませんが、生活が圧迫されるような付き合いは見栄であり、結婚式や葬式に参加しなくても、お祝いや感謝の気持ちを伝える方法はほかにもあるのではないでしょうか

 この4つのコツを読んでどれも妙に納得がいく。特に「コツ3」。とっくに定年の時代は過ぎていても「あまり先の経済プランを立てても意味がない」には同感する。人生ナニゴトも計算通りには進まない。たとえ計算通りになるとしてもそうなればなったで何の面白みも無くなってしまう。それよりもいろんなことが起きるから人生に夢がもてる。自分が想像し得ないことが叶うのが夢ならば、ひょっとして、まぐれで叶うことがあるかもしれない。そういう楽しみが夢にはあるが計算づくではそれはあり得そうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月21日木曜日

近所の人&某会の遊ぶ話

 我が家は道に面して建っている。そのためか用もないのにドアホンを鳴らされる。町内会は戸数が減って現在4軒。生まれた時から知っている人たちばかりで声で誰だか判断できる。この人たちとも町内会費や祭りの寄付集めくらいでほとんど用はない。訪ねてくるのはセールスマンか宗教がらみの人ばかりだ。思い立ったが吉日とばかりドアホンの電源を外すことにした。

 昨日、その影響か玄関辺りに人の気配がする。それもおぼつかない足取りだ。家の中から尋ねると近所の人だった。玄関に入ってもらって話をする。半年くらい前になるだろうか、その人の叔父にあたる人がブルガリアの外交官だったと聞いた。その時、この話に興味を持って聞いたのでそれが嬉しかったらしい。昨日、その人の叔父さんとご両親が紫綬褒章と黄綬褒章受章の際の記念写真を持って来て見せてくださる。

 以前話を聞いた時、叔父さんの名前も聞いていた。ネットで調べるとブルガリアの外交書記官のアップがある。その人曰く、「近所の人にこういう話をしても誰も興味を持ってくれない。ところが興味を持って話を聞いてくれる人がいた」と。よほど話を聞いてあげたのが嬉しかったようだ。こちらとしては身近な人から近代の話を聞くことがない。ましてやブルガリアはポーランドにも近く、ルーマニアとは隣接している。興味を持って聞かざるを得ない話だった。

 写真は他にも自分の娘さんが嫁ぐ前に写した母娘のもある。娘さんは私よりも10歳下で息子さんは5歳下。家が近くても学年が違うのでどちらの顔もわからない。ただ、親がしっかりされているので子供さんも出来がいいようだ。それでも、娘さんとは住んでいる市が異なりなかなか会えないとぼやかれる。

 玄関でなく家に上がって…と話しても足が思うように運ばないとか。それなのに畑で採れた梅雨豆ときゅうり、そしてネギを沢山持って来てくださる。もうすぐ90歳になるとか。家の周りには何人も90歳前後の人がいる。それもすべて女性。どの人とも会えばすぐに話すのでまるで友だちのように遊ぶに来るようにと言われる。こちらとしては誰と話してもそれは短時間のこと。ある程度の話だけでそれ以上親密になるつもりはない。それでも昨日の人は近所の人とは違っている。しっかりされた人だ。短時間の話でも後でいろいろと考えさせられることが多かった。

  昨日と言えば他にも某会から「納涼の会」の案内葉書が届く。それには納涼祭以外にも海外旅行や梨狩りの案内もある。ヒトに誘われればよほどのことがない限り参加するようにしている。この考えが底辺にあるので遊ぶ話はなんでもOK。楽しみだ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月20日水曜日

三点支持&「この世で老いほど惨めなものはない」

 フルートを持つときの三点支持。これは右手の親指で楽器の右端を向こう側に押し、左手の人差し指の付け根で楽器中央部を体側に押す。そして楽器の歌口を唇で受け止めたこの3点で支えてフルートを吹く。今さらっている「望郷のバラード」。この3点の支えが上手くできないと曲の途中でうまく吹けなくなる。

 昨日練習していて3オクターブ目のソ(G)の音を出す際、吹いている唇に力が入る。キーが高すぎることにもよる。その時気づいた。楽器を支える左手の人差指の付け根を気持ちほど角度を変えて吹くと音が出やすくなる。これまで惰性で楽器を支えていた。気づいた時が幸いとばかり、再度楽器を持ち換えて初めから曲を吹くと曲の終わりまで難なく吹ける。「これっ!」と妙に納得して再度吹く。左手の人差指の付け根をなるべく関節に近づけて支える。これを忘れないようにしよう。

 どういってもフルートはピアノと違ってちょっとした口の動きや手の動きで楽器の歌口と唇がずれることがある。それも曲の途中で休符があればその時修正できる。しかしこの曲は3拍子で休符があっても1拍と短い。それよりもはじめから終わりまで唇がずれないように練習するほうがいい。昨日は何度か気づいたやり方で練習する。

 午後は映画のタイトルに惹かれてBSシネマ「ベニスに死す」を見る。音楽はマーラー。映画の最後に「この世で老いほど惨めなものはない」とのセリフがある。美少年に恋する老人のお話。そうだろうか、と思いながらセリフを聞く。「老い」を味わいつつあるものにとって「惨め」と思ったことはない。老いるのが嫌というのでなく歳を取るのは嫌だな、と若い頃感じたことはある。しかし、今はそんな気持ちはみじんもない。むしろ若い頃よりも老いつつある今の方がどれほど精神的に満たされ、充実した人生を送っていることか。とりあえず今は悩みがない。これもすべては元気が底辺にあるからだろう。もしもそうでなければ「老い」を「惨め」と思うようになるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月19日火曜日

お墓参り&プール

 昨日の最大震度6弱の地震発生で大阪豊中市に住む妹と電話で話す。先の阪神淡路大震災の時よりも揺れが大きかったそうだ。妹は新たに建て替わったマンションに住んでいる。古いマンションの時はよく出かけていても新しいマンションになってからは出かけていない。母が怪我をしたとき、妹に母の応援を頼んだ。その時、建て変わるマンションのカタログを母と一緒に見たことを思い出す。しかし、今となっては妹の新たな家に母と行くことが不可能だ。ともあれ、家は大丈夫らしい。

 地震発生を聞いて気分を落ち着かせるためにお墓に参る。妹に「これから墓参り」と話すと「何で?」と問う。「母の月命日」と言うと納得したようだった。同じ親の子であっても親への思いは異なる。それも仕方ない。こちらはずっと親と一緒に住んでいた。親への思いは他の姉妹とは違って当然かもしれない。

 午後はプールで泳ぐ。いつもより1時間ずらしてプールへ行く。遅く行けば人も少ないだろう、との予測は外れる。プール内のメンバーが違うだけで人の多少は変わらない。これから暑くなる。ますますプールの利用者が多くなるだろう。それでも近くにあるのはこのプールだけ。文句を言わずにせいぜい利用させてもらおう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月18日月曜日

「セレンディピティ」

 先ほど大阪を震源地とする最大震度6弱の地震が発生。妹の住む豊中市は震度5強で、ひどいことにならなければいいけど…。広島は震度1だった。日本列島は毎日のようにどこかで地震が起きる。注意せよ、と言われてもどうすればいいのだろう。

 地震の情報はラジオで知る。家にいて何かをしていないときはテレビよりもラジオを聞いている。それもFM放送。NHKであればいざとなればFMもテレビと同じ放送に切り替わる。これはいいのだが、地震発生後の自分自身に落ち着きがなくなる。今日は母の月命日。気分を変えてお墓参りをしよう。

 話は一昨日に変わる。去年の夏、九州のお寺さんの会に誘われてタイに出かけた。この時、参加者の名簿をいただく。次回もこの名簿で知らせがあると思っていたら、一昨日、この夏にラオスの旅の案内が届く。ラオスは5年前に個人的に出かけている。それもJ〇BのLOOKの旅。はじめからLOOKだったのではなく、参加状況で旅行社から旅の上のランクのLOOKに変更となる。その時の宿はラオスのラオプラザホテル。豪華な宿で私の中では最高の宿に入る。届いた旅案内を見ると同じホテルを利用するようだ。とはいっても一度出かけているので今回は行くのを辞めよう。もしもこれからどこかへ行くとなればルーマニアがいい。だが考え中。

 ナニゴトもそうだけど自分のなかで考えるうちは行動しないことが多い。もしも情報や案内で気持ちが動くときは何も考えずに行動している。ああじゃこうじゃと言ってるうちは行動が伴っていない。どっちかといえば石橋をたたいて渡るタイプだった。ところがいつの間にか考えるよりも行動が先になる。ということで今年のルーマニア行きはないだろう。

 ナニゴトも一番大事にしていることは「閃き」。外山滋比古流に言えば「セレンディピティ」。これが大事と思う。それは自分の気持ちに正直に向き合うと言い換えてもいいかもしれない。さてそれは…!?

 一昨日は他にも日本画教室に出かける。若葉のまだ出ていない樹木を写真を見てデッサンする。今回は樹木だけでなく写真に写っている山や遥か周辺にぼんやり見える樹木も描く。葉っぱの付いていない樹木の生き生きとした枝を描くのに時間がかかる。またぼんやり見える樹木はその形を描くといいと先生。うまく描ければ初めての風景画となりそうだ。この続きは次回の日本画教室で…。ところが今月の教室は終わり、来月の1回目は広響の定演と重なる。結果的に3週間ほど教室に行くまでの間が空く。広響定演が午後になればなるほど日本画と被る確率が増える。残念だけどここは広響を優先しよう。枯れ木のデッサンが終われば次は巨木に挑戦する予定。写真をご覧になった先生からこの巨木を描くようにとアドバイスされる。
デッサン中の写真から

次にデッサン予定の写真
Australiaの大きな無花果の木(日本の無花果とは違う)

 またも話が変わって昨日のテレビ映画の「スターリングラード」。ソビエトとドイツ、スターリンとヒトラーの独裁者同士の戦いだけでなくその底辺にはソビエトにも多数いるユダヤの問題がある。この映画はユダヤとナチスの戦いのように思えた。戦争映画に関心はなくてもこの時代に興味がある。映画を通して時代もわかって来る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月17日日曜日

「独裁者3人の”狂気”」

 NHKのBSドキュメンタリー「映像の世紀」第9集は「独裁者3人の”狂気”」。番組欄でこの放送を知ってテレビを見る。番組初めに映し出される映像は今から30年前にルーマニアの独裁者チャフシェスク書記長とその妻の逮捕の瞬間を映し出す。その後すぐに2人は銃殺されてルーマニアの独裁政権は終止符を打つ。ルーマニの曲である♪望郷のバラード🎵。この曲を今年の秋の発表会で吹くと決めてからルーマニアに関心を寄せている。その思いもあって番組にも関心を抱く。

 イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒトラー、そしてソビエトのスターリンの3人は悪魔の顔をした独裁者だった。番組はこの人たちに焦点を当てる。

 まずはムッソリーニ。強いイタリアを目指してファシズムを生んだ男ムッソリーニはミラノで黒シャツ隊を結成。10万人の隊員はローマへとデモ行進し、武装組織のファシスト党を1921年に結成する。その時ムッソリーニは独裁を宣言する。ムッソリーニは”DUCE”統帥と人々から呼ばれる。そのきっかけはまだ若いクララがムッソリーニにラブレターを寄こしたことに始まる。成人したクララはムッソリーニの愛人となっている。

 この頃イギリスのチャーチルとドイツのヒトラーがムッソリーニに憧れる。ヒトラーはムッソリーニを真似たファシズムが生んだモンスターであった。そして大衆の心をつかんでいた。この底辺にはムッソリーニが黒シャツ隊に向けて右手を上げるローマ式敬礼がモデルにあった。また共産党を弾圧してナチス一党独裁体制を確立した。総統を「ヒューラー」と呼ばせてムッソリーニの”DUCE”を真似た。ヒトラーは憧れのムッソリーニと3日間対面する。そしてヒトラーはドイツの少年たちを全員動員して「ヒトラー・ユーゲント」を組織した。

 さてスターリン。共産主義者が生んだ独裁者だった。スターリンの対立者はトロツキー。レーニンは後継者としてトロツキーを望んだ。しかし、レーニンの葬儀にスターリンはトロツキーを招かなかった。レーニンが生前スターリンを嫌っていたにもかかわらず…。スターリンはトロツキーを排除し、国外退去させてメキシコで暗殺。共産主義をすすめるスターリンは農業で国づくりをして集団政策を推し進める。しかし、これに反発する1500万人は極寒の地の収容所へ送られる。このころバーナード・ショーはロシアを褒めたたえる。だが、これは見せかけにすぎなかった。農民は飢餓に苦しむ。自分たちの食糧さえも探し出してそれを外国に輸出した。この人たちは穀倉地帯のウクライナの農民で300万人が餓死する。この様子を見たスターリンの妻は夫を非難して自殺する。娘のスヴェトラーナは父であるスターリンが母の死後さらに冷酷になったと話す。その後スターリンの議会で1500人の内300人が無記名で反対を唱える。無記名のため誰が反対したのかわからず、その半分を粛正するという恐怖政治をすすめた。結果的に450万人の国民を粛正した。

 ムッソリーニとヒトラーはヨーロッパを地獄に突き落とした。ムッソリーニは第二次エチオピア戦争でエチオピアを植民地にした。ヒトラーはこれを見て領土拡大をして1938年、オーストリアを併合しチェコスロバキアの一部を割譲する。ヒトラーを支持したイギリスとフランスはドイツを共産主義の盾にしようとする。

 スターリンはヒトラーと軍事同盟条約を締結した。ヒトラーはソビエト侵攻をももくろみ、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発する。これにムッソリーニも参戦する。1941年、ヒトラーは条約を破棄してソビエトに侵攻。ヒトラーとスターリンの激突により4000万人が死亡する。スターリンはヒトラーに騙されたようだ。

 穀倉地帯だったウクライナはスターリンに冷遇され、ドイツ軍を解放者として迎えた。こうしてソビエトの300万人が捕虜となる。この中にスターリンの息子であるヤコフがいた。このころ、ムッソリーニは独ソ大戦をほくそ笑んだ。ドイツは厳しい寒さに耐えられず敗退し、2度目の冬には戦争はさらに悪化する。スターリングラードと名付けられた地で100万人が飢えと寒さにあってもヒトラーは降伏も撤退も決めなかった。しかし生きるためにと10万人が投降し、捕虜となったヤコフと交換した。しかしスターリンは息子であるヤコフでさえも身内とせず、ヤコフは収容所の鉄塔に突っ込んで感電死を遂げる。

 スターリンはドイツ軍捕虜を行進させて見せしめとした。ヒトラーは飼い犬で気持ちを和ませ、ムッソリーニは職を解かれたとのニュースが流れる。1943年にムッソリーニは失脚しファシズムは終わりを告げる。ヒトラーはムソリーニと会いローマでファシズムを作るように説得する。そうしなければポーランドのようになる、と脅す。しかしムッソリーニは再度ミラノをファシズムの拠点とするが殺される。

 ヒトラーは最期に飼い犬を毒殺し妻と共に自殺した。しかし6年間の第二次世界大戦が終わっても3人のうちスターリンだけは地獄を生き抜いた。その後、スターリンにあこがれた毛沢東と金日成。フルシチョフは没後3年でスターリンを非難した。スターリンの娘スヴェトラーナはアメリカに亡命。2015年、プーチンはドイツ戦勝利を祝ってスターリンを再評価している。またもロシアに独裁政権誕生!?https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92899/2899067/index.html (参照)

 今朝テレビの番組欄を見ると何とBSで午後に「スターリングラード」の映画がある。このタイミングの良さに驚く。今日は午後からこの映画を見よう。

 長々とブログに投稿している。この時代になぜか関心があるので仕方がない。それにしてもこれだけのことを本で読むとなると大変だけど当時の実際の映像で見ると見ていてわかりやすい。その後、BS1でエルサレムがあった。しかしこれは見ていない。再放送があるといいけど…。

 昨日の日本画教室の話題は明日のブログに投稿しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月16日土曜日

わが家のカラー


我が家の今年のカラー


 蕾をつけ始めたわが家のカラー。数日前から花の咲き具合を気にかける。カラーの蕾は肉穂花序というらしく、サトイモ科に属する。水芭蕉も同じくサトイモ科で花序は仏焔苞というそうだ。ともに季語は夏。今はまだピンクが混ざった黄色。しかし、購入時の花はえんじ色だった。花の開花時、どんな色になるのか楽しみだ。

 カラーの横にはカランコエが一輪花をつけている。この横に置いているプランターにはまだ小さい葉っぱのカランコエが所狭しと生えている。今日はこれから日本画教室に出かける。教室の人にあげたドクダミ草。街中に住む人はドクダミを鉢植えにするという。前回は枯れてしまったらしく、今朝再度ドクダミを根元から抜く。しかし、コンクリに生える根性ドクダミを根元から抜くが途中で切れる。柔らかそうな土のを抜くと根元から抜けた。これとベゴニアを抜いて持参しよう。

 狭いわが家の庭にいろんな植物が芽を出す。多分、鳥などが種をまき散らすのだろう。どんな風に大きくなるのか、これも楽しみ。しかし、わが家の庭は狭い。大きくなる木は育てられないので残念な時もある。それでもカラーのそばでひっそりと芽を出した1本の青紫蘇。紫蘇は好きなので1本でなく何本でも生えるといい。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


2018年6月15日金曜日

納付書類から

 梅雨入りとはいえ、清々しい初夏の日が続く。カラーの花が咲いたかどうか、裏庭に行くともう少し後になりそうだ。咲けば明日の日本画教室に持参してスケッチを、と思った。それもまだ無理のようだ。

 昨日、国民健康保険料の納付書類が届く。年に一度のことだから、と引き落としにせず区役所で納付する。納付書と共に銀行引き落としの関係書類も入っている。ところが、届いてすぐに引き落としの手続きをしてもその年の途中からになるとか。結果、毎年書類を持参して全額納付する。

 区役所はわが家から歩いて数分の場所にある。区役所に行くのは年に1度か2度くらいでほとんど用がない。めったに来ないのだからと納付後、展示物を見る。先日、わが家にも届いた振り込め詐欺らしき納付書類のハガキのコピーがある。これに注意するために持ち帰るようにと置いてあるのだろう。今朝の地元紙を見ると「還付金詐欺相次ぐ」と注意を促す記事がある。広島市内で多発しているそうだ。それにしても新聞記事にこのハガキを掲載すればいいのになぜしないのだろう。

 とはいってもわが家に届いたハガキも警察と消費生活センターに電話連絡してすぐに破棄している。縁起が悪そうで近くに置いておきたくなかった。地元紙を責める前に自分のブログにアップして注意を促すことも可能だった。とはいっても、このブログを見る人は多くないので注意喚起とはなりそうにない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月14日木曜日

「湯桶読み」と「重箱読み」

 梅雨の晴れ間というにはもったいないほどの清々しい初夏の朝。この先1週間の天気予報を見ると雨の日はないようだ。昨日の午後、自転車で出ようとすると紫陽花が首を擡げている。その傍に生えているカラーは紫陽花とは違って生き生きと大きな葉っぱをつける。4年前、カラーの鉢植えを購入した。花が咲き終わるころ、土に戻した。翌年は1つ花をつける。昨年は咲かず仕舞い。今年はどうやら3つくらい花が咲きそうだ。紫陽花のしょんぼりした様子を見て昨夕、庭の花に水をやる。近いうちカラーの花も咲くだろう。

 月に1度定期的に通う眼科。眼圧を測定すると12と16。眼は体の調子の影響を一番受けやすい。その思いから睡眠重視の生活を送っている。お蔭で眼圧測定は大丈夫だった。

 気を良くして図書館へ行く。20冊の予約が可能でも全く順番が回ってこない。時に活字に餓えてくると図書館の書架から手当たり次第に本を借りて読む。昨日は4冊借りる。そのうちの1冊の黒井千次の本は以前にも借りて読んでいた。この中に「湯桶読み」がある。以前、某会の会長のお話にこのキーワードと「重箱読み」が話題になる。その時は何気なく聞いた。黒井千次の本で読んで意味が解る。「湯桶」は「ゆとう」で訓と音読みになるので「湯桶読み」。「重箱」は「じゅうばこ」で音と訓読みになって「重箱読み」。雑談中に何気なく聞く話も結構いろいろと勉強になる。

 話は変わってフルートの話題。練習している「望郷のバラード」。一昨日先生にこの曲のレッスンを受ける。自分勝手に吹くのと違って教えを請うとやはり吹きやすさが違う。長い曲なので息継ぎが失敗なくできるのかと心配する。また曲の中に頻繁に出る2オクターブ目の♯レ。そしてスラー内のタンギングに注意を払って練習する。スラーで同じ音が続くと後の音はタンギングで吹く。楽譜にこの箇所に印をする。さて、練習開始。何とかうまく吹けた。

 楽器が旨く吹ける度合いは練習量に比例する。それは年齢が高くなっても関係ない。歳を取ったから下手になるのではなく、すべては練習量による。20数年前に初めて楽器を持ったころに比べれば今は上達している。習い始めは楽器を吹くだけで立ち眩みがするし、ましてや吹いても音にならなかった。それが練習を続けていると次第に音も出るようになり、曲にもなっていく。これは楽しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月13日水曜日

第381回広響定演アンコール曲&フルートレッスン

 

 先日の第381回広響定演のフルート奏者シュッツのアンコール曲をフルートの先生に聞いて知った。それはオネゲルの🎵牝山羊の踊り♪とドビュッシーの🎵シリンクス🎵。何度か聞いたりした曲もいざとなればすぐには曲名が出てこない。ともあれ、この2曲の動画をアップしよう。

 昨日からレッスンで秋の発表会の曲をさらい始める。家では何とか自己流で吹いている。昨日、先生にソロで発表会に吹く予定の🎵望郷のバラード🎵を吹いていただく。自己流で吹けても同じ音符を1オクターブ低く吹いていたり、メトロノームに合わせて練習しても動画を見て曲のイメージを掴み過ぎる癖が出る。これはいいとは言えない。先生が吹いてくださるのをICレコーダに録音した。動画はフルート演奏のアップがない。今日から録音をお手本にして練習開始。

 聞くところによると昨年演奏を聞きに来た人が刺激を受けて今年の発表会で演奏されるとか。先生について刺激を受けた曲を練習し、さらにはピアノ伴奏者も練習する時点から個人的に付けられるという。大人のフルート発表会は子どもの発表会と違って聞く人も少ない。というかほとんどの出演者は人に聞きに来てもらう様に声をかけない。自分自身もその点は大いにある。今年は例年とは趣が異なる発表会となるだろう。

 レッスン後、駅前の福屋に立ち寄る。コンサートなどに出かける際、プログラムにはせてある他のコンサートのチラシを受け取る。これを入れるトートバッグのファスナー付きを探す。いいのがあった。先日もバス旅で傘を落とした。ファスナーがついていると少しはモノを大切にするかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月12日火曜日

プール&エキまちループ

 昨日のダグニーさんのブログに「今日でたくさん起こること私たちの技術とデジタルの世界で高齢者がつらい時を同化ある。 日常生活はまた影響されるので、今我々 はキャッシュレス社会に入ると強制的に現金のかわりにデビット カードを使用させる。銀行は、私のデビットカードとコードを与えています。後者の手紙が届いたし、それを読み取ることができないこと非常にぼやけています。…」とある。この文は翻訳機能で翻訳している。

 「キャッシュレス社会に入ると強制的に現金のかわりにデビット カードを使用させる」とあるようにスウェーデンの社会でデビットカードの使用が始まっているようだ。この話に似たようなことを2年前にモロッコの旅で知り合った人がブログに投稿されている。それはスマホ。中国の社会で現金でなくスマホ決済が流行っているらしい。それを考慮される。以前にもスマホを持たれていたが必要がないとのことでガラケーに戻す。しかし、スマホ社会になればガラケーで、とは言っておれず、再度スマホにされている。

 デビットカードの意味がよく分からず、ブログ投稿中にこれを検索。銀行系のキャッシュレスカードのようだ。ダグニーさんは106歳。モロッコの旅で知り合った人も80歳を過ぎておられる。自分自身も決して若いと言えない。高齢化社会と言われて久しい。新たな制度になれば新たなことに挑戦しないと食料などの物資も購入できず生きていけなくなりそうだ。これをダグニーさんは心配されている。

 それにしても106歳にこういう事で頭を悩まさせるな、とスウェーデン政府に言いたい。しかし、これに応えるダグニーさんは素晴らしい。

 話は変わって昨日のプール。小雨降る中、2,3週間ぶりにプールで泳ぐ。それも午前中に出かける。カンカン照りの暑い日よりも小雨くらいがちょうどいいかと思って出かけた。何とプールの雰囲気というか空気が悪すぎる。あの嫌なおっさんがプールを陣取っているではないか。泳いでいると何か言い始める。サーっとプールのロープにもぐって他のレーンに移動する。それでも何か一人で言っている。こちらは聞こえても聞こえぬふりをして完全に無視する。次回からは午後から泳ぐようにしよう。ということで昨日は1キロ泳がずに700ⅿで泳ぎ終える。

 またも話が変わって1か月前から広島市内を走る循環バスが運行し始めた。フルートを習っている先生宅はこれまでバスの便が悪かった。ところが循環バスは3通りあってそのうちの2通りは先生宅の前にとまるようになった。それでもまだ1度しか利用していない。多分、多くの市民はこの循環バスの存在すら知らない人が多いはず。もっと宣伝すれば、と思う。今日のフルートレッスンに行くのもこの「エキまちループ」を利用しよう。http://www.hiroden.co.jp/topics/2018/0330-ekimachi.html (参照)。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月11日月曜日

『道なき未知』

 『道なき未知』(森博嗣 KKベストセラーズ、2017年)を読んだ。著者の森博嗣はいつもブログに書くように甥がこの人のファンと知って読むようになった。とはいっても甥が読むのはこの類の本ではない。この中に「犀川創平」という名が出てくる。甥はこの名前から命名したのか自分の息子に同じ名をつけている。

 話がずれる。甥や姪は4人いる。その子供たちのうち、市内に住む3名と東京に住むこの「創平」の名だけは聞いて覚える。だが、他の3名は顔は知っていても名前が覚えられない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!いつものように気になる個所をアップしよう!

★人間が情報となるのは、死んだときである。死んだときに、その人はどういう人だったかが決まる。誰だって、死ねば確固たる人になれる。もう絶対にぶれることはない。これはつまり、生きているうちは「未知」だということだ。22p

★自分の道を見つけ出すかどうかは、つまり「未知」なるものに耳を傾け、それらを自分の条件に展開して、自分のために活かそうという姿勢にあるかないかによる、そこに明暗が分かれるのではないか。23p

★できないと予測した主原因は、能力不足ではなく、「面倒だな」と感じた自分の感情にある。駄目もとでしかたなく少しずつやっていると、そのうちその面倒を面倒だと感じない自分ができてくる。自分が変化するのだ。これは素直に素晴らしい。仕事の結果よりもずっと価値がある。そして、こういった自分の変化を積み重ねるうちに、自分にはできる、と思える「自信」というものが育つ。41-42p

★可能性というものが、何を生み出すのかといえば、それは「自由」である。可能性を沢山持っていれば、そこに選択の自由が生まれる。道が一つ以下のときには、可能性はなく、選択も自由もない。62-63p

★動物が野生を持っているように、人間は自分の興味に向う鋭い好奇心を本来持っているはず。「こちらの道へ進んだ方が、なんか楽しそうな気がする」という勘を、自分の感性として磨かなければならない。それでこそ、自分の「道」であり、「道草」も、そういう意味では、「道の一部」と見なせるだろう。77-78p

★今もこのジャイロモノレールの研究を少しずつ進めている。かつて存在したものであっても、僕自身にとっては「未知」なのである。83p

★竜はもともとは蛇で、海に千年、山に千年棲んだのちに竜になるらしい。経験豊かで強(したた)かな老人を海千山千などと表現するのはこのためだが、人間の場合は同じ土地に数十年いるのがせいぜいだ。89p

★人生は、人が考える通りにはいかない。それは、大いに不自由なことだけれど、その原因は、自分の肉体という自然に起因している。したがって、思いどおりに生きたかったら、第一に考えるべきは、この気ままな自然物をよく観察し、その特徴、傾向、生態を見極めることだ。いくら薬やサプリメントでこれを飼い慣らしたところで人工物にはならない。92-93p

★人生の道を進むうえで、自分の気持ちをコントロールすることは大事だ。それができることが「自由」という概念でもある。95p

★自分が思った通りになることを「自由」という。自由に必要なものは「想定」だといっても良い。そして、何が起こりうるのかを想定するときには、経験による知識がものを言う。でも、前人未到の領域へ初めて踏み入るような場面では、経験はなく、知識や計算で予測できないものも多々あるだろう。その最後のギャップを埋めるものが、人間だけが持っている「発想」という能力なのである。115p

★「犀川創平AI」というネットのイベントがあった。…144p

★道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。250p

2018年6月10日日曜日

デッサンに集中!

 先月下旬に出かけた信州の写真を日本画教室に持参する。その目的は写真の中から絵になりそうなのをデッサンすること。初めにデッサンしようと決めていたホウチャクソウの写真。F6のデッサン帖にデッサンしていると先生から葉っぱが大きすぎるとの指摘がある。ホウチャクソウの実物を見ていても絵にしようとすると大きさに戸惑う。画用紙に葉っぱをさーっと描かれる先生。その大きさを基準にして写真からデッサンしていく。ホウチャクソウはユリ科の一種。真っ白な可憐な花を描くと花にふくらみを、と、またも先生。どうにかホウチャクソウのデッサンが完成する。
信州で写したホウチャクソウ

 絵の教室は3時間の長丁場。ホウチャクソウのデッサンをしてもまだ時間がある。次は同じく信州で写した樹木の根っ子をデッサンする。樹木の全体は描けそうにない。それならばと根っ子の部分に集中して画を描く。これもいいかもしれないと思った。旅に出るとついつい絵になりそうな樹木の根っ子を写真に撮る癖がつく。先生に相談するとこれはこれでいいとのこと。じゃ、シリーズで樹木の根っ子を集中してデッサンし、本画にしていこうと思った。帰宅後、2月に出かけたオーストラリアで日本とは異なるでっかい無花果の木を写した。これも絵になると思って写真に撮った。今日はこれからお店に行ってデジカメの写真を紙に現像してもらおう。昨日の教室での2枚目のデッサンは下の樹木の根っ子の写真を見てデッサンする
信州で写した樹木の根っ子

 
 先日、秋の作品展に出す予定の樹木の根っ子の本画を描いた。自分でも気に入った絵となった。まだ自然いっぱいの絵は描けそうにない。じゃ、樹木の根っ子の部分で自然を著す。これもいいと思い、樹木に関心を抱く。旅に出る楽しみに絵の材料となる写真を写すことも頭の隅に入れている。そう思うと旅が余計楽しくなる。2枚目のデッサンを終えても時間がある。次はマムシグサのデッサンを始める。先生はさすがに長く画を描かれているだけあって植物の名前をよくご存じだ。信州の写真をブログに投稿する時、殆どの花の名前がわからなかった。昨日、先生は写真を見てすぐにマムシグサと話される。これにはびっくり。習っている人も知っておられた。知らぬは自分ばかり!?このマムシグサはデッサンの途中でやめて次回に持ち越し。
信州で写したマムシグサ

 
 次回の日本画教室ではマムシグサの続きをデッサンし、他にも下の写真の未だ葉っぱをつけていない樹木をデッサンする予定。この写真は自分でも絵になると思って写した。だが、絵にするにはどうかなとの思いがあった。だが、先生は写真を見られてこれがいいとのこと。デッサンは大変そうだけど次回はこの写真を見てデッサンしよう。苦手意識の強かった絵。今は写真を見てデッサンすることに慣れてきた。ナニゴトも先生について習えば何とかなると当たり前のことなのに感心してしまう。
 
 まだやりたいことはいろいろある。以前、自分の人生を振り返ったとき6の付く年齢の時、新たなことを始めている。次のその年はあと数年後。これ、本当に我ながら楽しみにしている。その時に始めたコトは何年たっても続いている。本当に楽しみ!
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
信州で写した樹木
次回の教室でデッサンする予定

2018年6月9日土曜日

第381回広島交響楽団定期演奏会を聞きに行く

 第381回広島交響楽団定期演奏会を聞きに行く。ゲストにウイーンフィルのソロ・フルート奏者カール・ハインツ・シュッツを迎えての演奏会。チケットを交換しようとすると長い列。席は前から11列目の左端だった。開演まで1間時以上もある。隣接する中区の図書館に出かけると人から声をかけられる。フルートを習っている人だ。それにしてもどこに出かけても、ましてや目的地ではないところでもよく人から声をかけられる。出会う人とは関心が同じ方向を向いているからだろう。

 シュッツの演奏後のトイレ休憩で、「フルートの音はあれほどきれいな音だった?」と話す男の人たちの会話を耳にする。これを聞いてびっくり。フルートの音は自分自身が習っていることにもよるのかうまく吹く人はそれはいい音色が出る。ましてやシュッツの楽器は日本の村松のフルート。それも24k。ほぼ純金に近いらしい。一般的にはフルートは銀製。金の上はプラチナ製もある。ウイーン生まれのシュッツが日本製の楽器を使うとは…。それも村松のフルート。

 フルートを習う前、先生から村松のフルートをすすめられる。それは総銀製のフルートで今も使っている。24kと比べれば価格も品質も勝るものでない。それでもこの楽器を使用して早27年目に突入。まだまだ使えそうなので頑張ってフルートを習い続けよう。話を広響定演に戻そう。

 昨夜の演奏曲目は下記のようであった。

🎵ザンドナーイ フルートとオーケストラのための夜想曲

🎵モーツアルト フルート協奏曲第1番ト長調K. 313 
 アンコール曲としてフルート独奏2曲を演奏する。ただ聞き覚えのある曲も曲名の表示がなくわからない。

🎵チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調Op.36

 指揮者のアンコール曲としてチャイコフスキーの🎵眠れる森の美女(ワルツ)🎵が演奏される。なお昨夜の指揮者はカーチュン・ウオン。指揮者もゲストもどちらも若く、いつもの演奏会とは違ってユーモアがあった。特に指揮者はアンコールで途中から指揮台を降りて観客席に座る。そして演奏最後頃になると指揮台に戻って指揮をする。これも初めて見る光景だった。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月8日金曜日

「生も死も自然のなかにある」

 図書館で借りた月刊誌『新潮45』4月号。この中に佐伯啓思の『反・幸福論』の記事がある。4月号は第84回で「『生』の中にある『死』」がタイトルとなっている。文の初めに「”花は咲くもよし、散るもよし。人は生きるもよし、死ぬもよし”この優れて日本的な死生観にこそ『生きる術』が存在する」とある。

 頁の最後のあたりには「『生も死も無意味だ』から出発して、その『無意味さ』こそが自我への執着を否定したうえで、現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。われわれは、草木のように土から生まれ、また土に戻ってゆき、そしてまた別の命が芽を出す。すべての存在がこうした植物的な循環のなかにあることをそのまま受け止めるほかありません。不生不死とは、生まれたものは死に、次のものが生まれるという植物的で循環的な死生観をいい換えたものといってもよいでしょう。生も死も自然のなかにある。そこにおのずと生命が循環する、ということです。この自然の働きに任せるのです。…」とある。302p

 今年は明治から150年になる。この半分も生きてはいないがそれに近い年月を生きている。また、両親が生きていれば102歳。明治時代が終わって間もなくの生まれで150年という年数はそれほど昔のことではない。しかし、この間、世の中は著しく変化した。自分が生きてきた間にも文化や文明機器の進歩は顕著である。それと共に人々の生き方も変化があるのだろうか。

 メディアを賑わす悲惨な事件。この人たちに欠けているのは何だろう。すべては金銭!?それはともかくとして自分も歳を取ったのか佐伯啓思の「生も死も自然のなかにある」、これがわかるようになった。同じ旅でも人の手を介して造られたところよりも自然に勝るものはない、との思いがある。そのためか大自然の旅にあこがれる。

 先日の信州の旅も参加者の一人は50代であれば日本百名山に挑戦したい、と今では不可能ともいえる言葉を話していた。日本百名山といえば昨日のBSでスペシャル番組が1時間半放送された。自分自身、涸沢カールの山小屋の話をテレビで知って行きたくなる。とはいって若い頃に登山をしていないので今更それも無理なお話。テレビ画面を通して山の美しさに惹かれるばかりだ。

 作家の田中澄江は花の百名山を命名したそうだ。89歳の時、山が大好きな作家は這うようにして一歩ずつ進まれている。テレビを通して見ていても何か感じるものがある。それくらい山が、花が好きだったそうだ。

 「生も死も自然のなかにある」と思えば山登りをする人が山で、旅好きが旅先で何があってもそれは本望なのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月7日木曜日

「至上の印象派展ビュールレ・コレクション」を見に行く

 小雨降る中、九州国立博物館で開催中の「至上の印象派展ビュールレ・コレクション」を見に行く。行くといってもその手段は日帰りバス旅。かなり前から楽しみにしており、予想通りの楽しい旅となった。傘は家を出る時、最寄りJR駅まで必要だった。しかし、その後は雨も止む。家に帰ると折りたたみ傘がない。どこかに落としたのだろう。
 
 以前、「日曜美術館」で見た美少女イレーヌ。見に行こうと思ったときにバス旅の募集案内を目にする。すぐに申し込んだのでバスの席は前から3列目。大宰府に隣接する九州国立博物館。今回で2度目の訪問。国立とあるだけあって広島にはない立派な建物で、また周りの環境も素晴らしい。どういっても隣接するは太宰府天満宮。ロケーションも抜群に良い。博物館から天満宮まではエスカレータが完備しており、否応なく天満宮へと誘われる。何はともあれ目的は美少女イレーヌの絵を見ること。到着前、添乗員は博物館館内の写真撮影禁止を告げる。ところが参加者からクレームが出る。結果は、イレーヌとモネの睡蓮の絵は写真撮影OKだった。ただフラッシュ撮影は禁止。ということでルノワールが描いた「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」とモネが描いた「睡蓮の池・緑の反映」の写真をアップしよう。
 
 ビュールレ・コレクションとあって他にも印象派を代表する人たちの絵が展示されている。撮影OKの2枚以外にもゴッホの「自画像」と「花咲くマロニエの枝」に惹かれる。この展覧会の模様は九州国立博物館HPに詳しいアップがある。http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s51.html (参照)
 
ルノワール作
イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)

イレーヌの絵の説明書き

クロード・モネ作
睡蓮の池・緑の反映

睡蓮の説明書き

 昨日のバス旅は目的地である九州国立博物館に着くと後はバスの集合時刻までフリータイム。20分早く現地に到着したので自由時間は3時間20分あった。印象派展を見た後は上の階で開催中の展覧会も見る。これも興味ある展示品だった。しかし、大宰府にも行きたい。ということで1時間半ほど展覧会を見て集合場所までの地図を片手に大宰府天満宮やその周辺にある菖蒲池を散策。雨上がりの初夏は緑がまぶしい。紫陽花もわが家と違って鮮やかな色で咲いている。わが家はブルーの色の紫陽花。ここは真っ赤な紫陽花も咲いていた。






太宰府天満宮に隣接する菖蒲池

 大宰府天満宮の参道を抜けるとお土産屋が並ぶ。スターバックスもあった。しかし、これは広島で見かけるのとかなり趣が異なる。ここは写真だけ写す。バスで隣同士になった人と集合時刻までしばし和風喫茶に入り、抹茶と梅が枝餅をいただく。久々の梅が枝餅は美味だった。
大宰府にあるスターバックス

和風喫茶でお抹茶と梅が枝餅をいただく
可愛くセットされていた

 行きも帰りも2度ほどトイレ休憩がある。高速を走るバス旅。昨日は順調にバスも進んで行きは予定時刻よりも20分早く到着し、帰りは30分早めの帰宅となった。それにしても昨日もよく歩いた。携帯万歩計は約8千歩。お蔭でぐっすり眠る。

 いろんなところへ出かける度に外に出るのが自分の性分に合っていると思う。元気なうちは外に飛び出そう。やっぱり動いているときが一番楽しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月5日火曜日

イベントに参加する

 広島市・モントリオール市姉妹都市提携20周年記念イベントに出かける。6月2日、成田✈モントリオール間に直行便が飛ぶようになった。それも毎日1便らしい。昨夜の姉妹都市イベントにモントリオール市から市長をはじめ50数名の御一行様が広島を訪れている。

 イベント参加の目的は姉妹都市提携20周年記念公演で演奏するピアニストのアムランのピアノを聞くことにある。無料でショパンコンクール2位のアムランの演奏を聞く、というケチな根性がいけなかった。モントリオールがどこにあるのかさえも知らずに出かけた。イベント前に会場近くでモントリオールの紹介コーナーがある。そこに入ると係りは親切に応対してくれる。会場まではまだかなりの時間がある。続いて出かけた情報プラザで人から声をかけられる。またも知り合い?と思ったら近所に住む同級生だ。「なんでここに?」と問うとイベントに参加するという。

 イベントの開場時刻になった。大勢の人が早くも並んでいる。そしてイベント開始時刻になった。なんとそれから公演までの長いコト。式典のセレモニーとモントリオール紹介が始まる。延々と続くセレモニー、なんと約1時間15分もあった。これだけでもううんざり。演奏会は御馳走を前にしてのお預けだ。

 アムランの演奏は先月、さくらぴあに出かけて聞いている。それなのに、無料という言葉に惹かれて聞きに行く。前回聞いた曲目と同じ。しかし演奏曲数が少ない。それでも何度聞いても素晴らしい。

 ところが無料とあって目の前には親子連れがそれもまだ就学していない幼児を連れている。幼児がじっとして聞くはずがない。他の子供も演奏中にもかかわらず歩いたりする。わけもわからない子供が、それも家では寝ているかもしれない時刻に演奏を聞かせるのもどうかと思う。クラシックの有料の演奏会は未就学児は入場できない。

 昨夜の教訓。無料のイベントにむやみやたらと参加すべきではない!演奏はやっぱりお金を払って聞くものと思い知らされる。ホームコンサートだって無料であっても備えつけの箱に気持ちを入れる。どうこういっても昨日のイベントは演奏会が主ではない。期待する方が間違いだろう。

 ピアノ演奏後のジャグリングや抽選会には参加せず、途中で会場を後にする。隣の席の人は会場を後にすると知るとおたのしみ抽選会の番号を記したプログラムが欲しいという。成田✈モントリオール間の航空チケットは当たるはずがない。そう思って隣席の人にあげる。

 カナダ、ましてやモントリオールは出かけたことがない。今一歩、興味がわかない国。昨夜のイベントに参加してもいいイメージがない。これもすべてはセレモニーの長さにあるのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月4日月曜日

生涯現役

 スウェーデンの106歳のダグニーさんのブログに連日「猛暑」の言葉が並ぶ。ネットでストックホルムと日本の主要都市との天気比較を見ると5月28日から昨日までは東京の気温よりもスウェーデンの方が高い日が多い。日本であれば29度や30度は真夏になっての37度に比べれば猛暑とは言えない。ところがスウェーデンは30度近くになれば猛暑と言うのだろう。それにしてもブログから暑さが伝わってくるhttp://www.tenki.jp/world/1/118/2464.html (参照)

 先日読んだ池内紀の『すごいトシヨリBOOK』(毎日新聞出版、2017年)に「老人社会と言いながら、今の社会の大きな動きは、『老人がいなくなる社会』という気がします。年寄りが多くなればなるほど、年寄りの中で年寄りであることを認めない人たちがたくさん出てきている。政治家、財界人をはじめとして、社会の表舞台にいた人ほど、生涯現役という意識が高い。自分の老いを認めない」そうだ。18p

 『働く人の35歳から後悔しない生き方』(舛井一仁 KKロングセラーズ,2018年)を読むと「75歳で生涯現役」のキーワードが並ぶ。この本の著者は弁護士。池内紀が書くように社会の表舞台にいる人たちは生涯現役という意識が高い人たちになるだろう。

 ダグニーさんのブログから老いについて思いを巡らす。自分の周りを見渡すと生涯現役の人は今習っている日本画の先生、以前習っていた美学の先生、近くに住む同級生の薬剤師、3軒先の人は国税局退職後、自宅を税理士事務所に開業されている御年87歳だ。このように生涯現役の人はスペシャリストに多い。
 
 池内は「老いの問題については、老いていく自分が一番詳しい。素材が自分でしょう、教材が目の前にある。日々日々、新たな教材ですから、自分の老いを通して老い全体の問題を、当人が学べる場というのは、他にありません。誰もが自分のスペシャリストになれるのです」という。19p

 ということで何のとりえもない凡人は元気に遊ぶことを生涯現役として貫く。これも自分のスペシャリストになるコトかもしれない。とはいってもこれも大変じゃ。その点、100歳を過ぎて社会の表舞台に出たダグニーさんは生涯現役がぴったりとあてはまる人だろう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月3日日曜日

「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」



 NHKのBSシネマ「カルテット!人生のオペラハウス」の監督はダスティン・ホフマン。この名を聞いて「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」が頭をかすめる。とはいっても曲の歌詞はこのフレーズしか頭に浮かばない。ネットで調べると大塚博堂の曲だった。ダスティ・ホフマンはこの曲名で知るだけでどんな俳優なのかも知らずにいた。ともあれ、この曲をアップしよう。それにしても大塚博堂、いい曲を作っている。

 話は変わって昨日の日本画教室に紫陽花を持参する。F6の画用紙の真ん中に小さい花弁をスケッチする。花瓶に活けた紫陽花はすべての花弁が前を向いているとは限らない。見方によっては花弁は上に向いている。また下や左右にも向いている。スケッチの途中でどの花弁を描いているかわからなくなる。途中、先生に聞いて奥にある花弁は鉛筆で黒く塗りつぶし奥行きを持たせるといいらしい。これだけでも大分絵に立体感が出る。最後は紫陽花の1枚の花弁に色鉛筆で薄いブルーを施す。どうにか紫陽花になった。

 来週は先日出かけて写真に納めたホウチャクソウ(宝鐸草)をスケッチ、と先生に相談するとOKだった。しかし、昨日の午前中の生徒さんがこの花をスケッチされているという。「どこに生えている?」と問うとご自宅に生えているらしい。そう聞いてびっくり。ホウチャクソウは信州で初めて見て知った花。それが広島でも生えているとは…。
 
 教室が終わると近くのカフェで皆でティータイム。これも楽しいひととき。3時間の日本画教室は結構草臥れる。講義や講演会は大体、1時間半が多い。しかし、日本画教室は3時間と長い。和気藹々と描いていても草臥れるのか絵を習う日はいつもよりもさらによく眠る。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月2日土曜日

「カルテット!人生のオペラハウス」を見る

 信州から帰って1週間が経過する。昨日からやっと本来の自分にもどる。どういっても今回の旅はよく動いた。足の疲れはないもののオールを手にしてボートを漕いだ影響か、右の上腕部が痛む。これもすぐにではなく帰ってから5日目の晩がそうだった。若い時の痛みはすぐに出るが歳を取ると後から…は確かにそうだ。昨日からもとの状態に戻る。

 ちょっとでもどこか痛いところがあれば気になる。というかあまりにも気が小さすぎる。これじゃ、先が思いやられる。運動というほどの運動はしていない。しかし、泳いでいる。これがせめてもの気休めか運動している気持ちになる。人間は「足」が大事。歩けなくなれば思うような行動はとれない。とはいっても今週はプールに行く気が起きない。次にプールに行くときは水泳だけでなく水中歩行もいいかもしれない。

 昨日の午後、やっと本を読んだり、テレビを見たり、またフルートを吹く気になる。これからさらう望郷のバラード。自分なりに曲全体を吹いてみる。ICレコーダに録音すると8分を超える。一番の難所は3オクターブの”ソ(G)”の音。録音を聞くと音が苦しそうに聞こえる。これからさらうので練習して楽に吹けるようにしよう。

 その後はNHKのBSシネマを見る。映画のタイトルに惹かれて「カルテット!人生のオペラハウス」を見る。題名通り音楽家の話だった。かつてオペラで名声を馳せた音楽家たち。今はビーチャム・ハウスというホームで暮らす。ところがハウスの存続が危ぶまれる。住人はハウスの存続を望んでガラコンサートを開催する。かつて12回のカーテンコールがあったと豪語するオペラ歌手。その女性は遅れてホームに入る。その時たった9時間ほどの結婚で終わった元旦那と遭遇。この男性と他の男女は女性を入れてのカルテットで演奏しようと働きかける。しかし新たに入った女性は元夫とは一緒に歌わないと言い張る。後日3人は4人での食事に誘う。その際、「カルテットに乾杯!」と盛り上がる。

 4人のうちのフランクが新入りの女性ジーンに話す。「後は火葬場で主役になるだけだぞ」。他の2人もジーンに暴言を吐き、女性にカルテットで歌うことを説得する。元夫婦の夫レジ―はホームに入るまでに「歌うことより人生」を選んだ。両方は無理だと思った。元妻は「昨日より今日の方が旨く歌えるとは言えない」と言って歌うことをやめていた。

 4人でのガラコンサートが始まった。演奏するのはリゴレット。その時の舞台での元妻と元夫の影の会話。「男前だ」、「美しいね」、「どちらも老人よ」、「じゃ、結婚しよう」、「本気なの?」、「そうよ」。めでたし、めでたしで映画は終わる。

 それにしても老人ホームが舞台の映画。見ていていずれは自分もこういう風に老いるのかと思ったり。ただ、映画の風景が先日出かけた信州のように美しい。年寄りばかりの出演で余計風景が美しく見えるのかもしれないが…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年6月1日金曜日

清々しい朝

 紫陽花の咲く季節になった。わが家の紫陽花、先週まで今年は花が小さいと思った。ところが雨が降った後の紫陽花は本来の大きさに咲き誇る。あまりにも大きく咲くと花瓶に活けても頭が垂れる。水路のそばに植えているためか毎年、大きな花をつける。紫陽花は梅雨に咲く。梅雨入りは1週間くらい先だろうか。梅雨入り前の最後の悪あがきのように今朝は清々しい。

 来週、九州国立博物館で開催中の美少女イレーヌの絵を見に行く。バス旅なので雨が降らなければいいがと気になる。例の「おとなび」利用で新幹線で行くことも考えた。だが、バス旅は博物館入館料とお昼の食事がついている。ましてや博物館に隣接する大宰府辺りの観光も着く。結果、バス旅に決める。

 国内でも海外でもいざ出発となると気になるのが冷蔵庫の中。とはいっても日帰りで海外旅行はない。泊が伴う旅は冷蔵庫の中身と相談して出かける。先日の3日間の旅でも牛乳、パン、作っていた料理など残さず食べて出かける。この時、いつも親がいた頃には、特に会社勤めの頃、外で食事をする旨、伝えずにいた。その日に食べなかったものを母は翌日も食べていたと思うと今更ながら申し訳ない。いざ、自分で家のことをするようになり、一番先に思ったことがこのことだった。ちょっと一言電話すればいいものを全くせずにいた。これももう遠い過去の話。年々、自分の生活を一番に考えると食べ物の管理も無駄にはできない。

 話は変わって今年も8月に平和コンサートが開催される。先日、広響から平和コンサートのチケットの案内が送付される。旅に出る前だった。だが、チケットの購入は旅から帰ってのことになる。すぐに気が付きチケット購入の電話をする。今年の平和コンサートはピアニストがゲスト。それならば左側の席がいい。早速、昨日チケットが郵送され、すぐに代金を振り込む。

 梅雨に入れば外へ出歩くのもおっくうになるだろう。それならばと近場で音楽三昧。これもいいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!