『道なき未知』(森博嗣 KKベストセラーズ、2017年)を読んだ。著者の森博嗣はいつもブログに書くように甥がこの人のファンと知って読むようになった。とはいっても甥が読むのはこの類の本ではない。この中に「犀川創平」という名が出てくる。甥はこの名前から命名したのか自分の息子に同じ名をつけている。
話がずれる。甥や姪は4人いる。その子供たちのうち、市内に住む3名と東京に住むこの「創平」の名だけは聞いて覚える。だが、他の3名は顔は知っていても名前が覚えられない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!いつものように気になる個所をアップしよう!
★人間が情報となるのは、死んだときである。死んだときに、その人はどういう人だったかが決まる。誰だって、死ねば確固たる人になれる。もう絶対にぶれることはない。これはつまり、生きているうちは「未知」だということだ。22p
★自分の道を見つけ出すかどうかは、つまり「未知」なるものに耳を傾け、それらを自分の条件に展開して、自分のために活かそうという姿勢にあるかないかによる、そこに明暗が分かれるのではないか。23p
★できないと予測した主原因は、能力不足ではなく、「面倒だな」と感じた自分の感情にある。駄目もとでしかたなく少しずつやっていると、そのうちその面倒を面倒だと感じない自分ができてくる。自分が変化するのだ。これは素直に素晴らしい。仕事の結果よりもずっと価値がある。そして、こういった自分の変化を積み重ねるうちに、自分にはできる、と思える「自信」というものが育つ。41-42p
★可能性というものが、何を生み出すのかといえば、それは「自由」である。可能性を沢山持っていれば、そこに選択の自由が生まれる。道が一つ以下のときには、可能性はなく、選択も自由もない。62-63p
★動物が野生を持っているように、人間は自分の興味に向う鋭い好奇心を本来持っているはず。「こちらの道へ進んだ方が、なんか楽しそうな気がする」という勘を、自分の感性として磨かなければならない。それでこそ、自分の「道」であり、「道草」も、そういう意味では、「道の一部」と見なせるだろう。77-78p
★今もこのジャイロモノレールの研究を少しずつ進めている。かつて存在したものであっても、僕自身にとっては「未知」なのである。83p
★竜はもともとは蛇で、海に千年、山に千年棲んだのちに竜になるらしい。経験豊かで強(したた)かな老人を海千山千などと表現するのはこのためだが、人間の場合は同じ土地に数十年いるのがせいぜいだ。89p
★人生は、人が考える通りにはいかない。それは、大いに不自由なことだけれど、その原因は、自分の肉体という自然に起因している。したがって、思いどおりに生きたかったら、第一に考えるべきは、この気ままな自然物をよく観察し、その特徴、傾向、生態を見極めることだ。いくら薬やサプリメントでこれを飼い慣らしたところで人工物にはならない。92-93p
★人生の道を進むうえで、自分の気持ちをコントロールすることは大事だ。それができることが「自由」という概念でもある。95p
★自分が思った通りになることを「自由」という。自由に必要なものは「想定」だといっても良い。そして、何が起こりうるのかを想定するときには、経験による知識がものを言う。でも、前人未到の領域へ初めて踏み入るような場面では、経験はなく、知識や計算で予測できないものも多々あるだろう。その最後のギャップを埋めるものが、人間だけが持っている「発想」という能力なのである。115p
★「犀川創平AI」というネットのイベントがあった。…144p
★道の先にあるものは未知だ。なにかがありそうな気がする。この予感が、人を心を温める。温かいことが、すなわち生きている証拠だ。したがって、行き着くことよりも、今歩いている状態にこそ価値がある。知識を得たことに価値があるのではなく、知ろうとする運動が、その人の価値を作っている。250p
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