我が家は道に面して建っている。そのためか用もないのにドアホンを鳴らされる。町内会は戸数が減って現在4軒。生まれた時から知っている人たちばかりで声で誰だか判断できる。この人たちとも町内会費や祭りの寄付集めくらいでほとんど用はない。訪ねてくるのはセールスマンか宗教がらみの人ばかりだ。思い立ったが吉日とばかりドアホンの電源を外すことにした。
昨日、その影響か玄関辺りに人の気配がする。それもおぼつかない足取りだ。家の中から尋ねると近所の人だった。玄関に入ってもらって話をする。半年くらい前になるだろうか、その人の叔父にあたる人がブルガリアの外交官だったと聞いた。その時、この話に興味を持って聞いたのでそれが嬉しかったらしい。昨日、その人の叔父さんとご両親が紫綬褒章と黄綬褒章受章の際の記念写真を持って来て見せてくださる。
以前話を聞いた時、叔父さんの名前も聞いていた。ネットで調べるとブルガリアの外交書記官のアップがある。その人曰く、「近所の人にこういう話をしても誰も興味を持ってくれない。ところが興味を持って話を聞いてくれる人がいた」と。よほど話を聞いてあげたのが嬉しかったようだ。こちらとしては身近な人から近代の話を聞くことがない。ましてやブルガリアはポーランドにも近く、ルーマニアとは隣接している。興味を持って聞かざるを得ない話だった。
写真は他にも自分の娘さんが嫁ぐ前に写した母娘のもある。娘さんは私よりも10歳下で息子さんは5歳下。家が近くても学年が違うのでどちらの顔もわからない。ただ、親がしっかりされているので子供さんも出来がいいようだ。それでも、娘さんとは住んでいる市が異なりなかなか会えないとぼやかれる。
玄関でなく家に上がって…と話しても足が思うように運ばないとか。それなのに畑で採れた梅雨豆ときゅうり、そしてネギを沢山持って来てくださる。もうすぐ90歳になるとか。家の周りには何人も90歳前後の人がいる。それもすべて女性。どの人とも会えばすぐに話すのでまるで友だちのように遊ぶに来るようにと言われる。こちらとしては誰と話してもそれは短時間のこと。ある程度の話だけでそれ以上親密になるつもりはない。それでも昨日の人は近所の人とは違っている。しっかりされた人だ。短時間の話でも後でいろいろと考えさせられることが多かった。
昨日と言えば他にも某会から「納涼の会」の案内葉書が届く。それには納涼祭以外にも海外旅行や梨狩りの案内もある。ヒトに誘われればよほどのことがない限り参加するようにしている。この考えが底辺にあるので遊ぶ話はなんでもOK。楽しみだ!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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