今回の豪雨災害は日を追うごとに被害の深刻さを増していく。わが家は大丈夫であってもいつ何時どんな災害に遭うかわからない昨今。他人ごとではない。
昨日、自分にとって一番ともいえる恩人から電話がある。自分自身、今この状況にあるのもこの人のお蔭。その言葉しか思い浮かばない。それくらい、今の私を作ってくれた大事な人。互いの家が離れているのでなかなか会うチャンスがない。最近、どうしているかな、と思った矢先にこちらの安否を心配してくれる。3年前に高速バスに乗って会いに行った。それ以来、会っていない。昨日の電話では会っていない間に兄を亡くされている。これを聞いてお兄さんも知らない人ではないので複雑な心境になる。電話の主は何もできなかった私を外へ外へと引っ張り出してくれた。昨日もそれを言われる。
30代半ばころ、人生で一番行き詰っていた。その時に知り合う。それまで生きてきた自分の価値観をひっくり返された。この人に会わなければ今の自分はない、と言えるほどの恩人。昨日も兄を亡くした不幸を話ながら私のことを気遣ってもらう。災害で交通機関が麻痺している。高速バスが元通りに運行されれば会おう、と言って電話を切る。この人とも長話になった。
今回の豪雨災害でいつもは会えない遠くの人から電話やメールで心配していただく。最初にご心配をかけたのは東京の弁護士さん。この方とは著書を読んで一方的に知り、その後、このブログを通じて知り合った。他にも元の職場の人、短大時代の友、フルート仲間、日本画の仲間、某交流会の人や市内に住んでいない人たち、そして姉妹や姪にも心配をかける。災害は悲惨な出来事をもたらす。しかし、人との縁を取り持ってくれたり、旧交を温めるいい機会にもなった。ありがたい。
最近、図書館で借りた古い雑誌の記事に死生観が書いてある。この感覚に一番近い死生観を持っている。ここに記そう。このなかでも「われわれには見えないけれど、『あの世』はわれわれとともにあるのです。死者の霊魂はつねにわれわれに寄り添っているのです」。そう思って読む。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
『新潮45』1月号の佐伯啓思「反・幸福論」(第81回)サブタイトルは「あの世を信じること」からの抜粋。301-302p
★日本人の宗教意識の根幹であることを徹底して主張したのが平田篤胤ですが、平田に従えば、人が死ねば、その霊魂は「あの世」である「幽世(かくりよ)(幽冥)」にゆく。それは「この世」である「顕世(うつしよ)」と独立にあるのではなく、いわば張り合わせになっているものの、こちらからは見えない。しかし「幽世(かくりよ)」である「あの世」から、「顕世」である「この世」は見える、というのです。われわれには見えないけれど、「あの世」はわれわれとともにあるのです。死者の霊魂はつねにわれわれに寄り添っているのです。いってみれば、われわれは、その一挙手一投足を「あの世」から監視されているようなものです。だからこそ、身を清め、こころを正直にし、神や死者を敬って生きなければならない、ということになるのでしょう。死者の魂によって、現生のわれわれの生は成り立っているのです。
2018年7月13日金曜日
2018年6月8日金曜日
「生も死も自然のなかにある」
図書館で借りた月刊誌『新潮45』4月号。この中に佐伯啓思の『反・幸福論』の記事がある。4月号は第84回で「『生』の中にある『死』」がタイトルとなっている。文の初めに「”花は咲くもよし、散るもよし。人は生きるもよし、死ぬもよし”この優れて日本的な死生観にこそ『生きる術』が存在する」とある。
頁の最後のあたりには「『生も死も無意味だ』から出発して、その『無意味さ』こそが自我への執着を否定したうえで、現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。われわれは、草木のように土から生まれ、また土に戻ってゆき、そしてまた別の命が芽を出す。すべての存在がこうした植物的な循環のなかにあることをそのまま受け止めるほかありません。不生不死とは、生まれたものは死に、次のものが生まれるという植物的で循環的な死生観をいい換えたものといってもよいでしょう。生も死も自然のなかにある。そこにおのずと生命が循環する、ということです。この自然の働きに任せるのです。…」とある。302p
今年は明治から150年になる。この半分も生きてはいないがそれに近い年月を生きている。また、両親が生きていれば102歳。明治時代が終わって間もなくの生まれで150年という年数はそれほど昔のことではない。しかし、この間、世の中は著しく変化した。自分が生きてきた間にも文化や文明機器の進歩は顕著である。それと共に人々の生き方も変化があるのだろうか。
メディアを賑わす悲惨な事件。この人たちに欠けているのは何だろう。すべては金銭!?それはともかくとして自分も歳を取ったのか佐伯啓思の「生も死も自然のなかにある」、これがわかるようになった。同じ旅でも人の手を介して造られたところよりも自然に勝るものはない、との思いがある。そのためか大自然の旅にあこがれる。
先日の信州の旅も参加者の一人は50代であれば日本百名山に挑戦したい、と今では不可能ともいえる言葉を話していた。日本百名山といえば昨日のBSでスペシャル番組が1時間半放送された。自分自身、涸沢カールの山小屋の話をテレビで知って行きたくなる。とはいって若い頃に登山をしていないので今更それも無理なお話。テレビ画面を通して山の美しさに惹かれるばかりだ。
作家の田中澄江は花の百名山を命名したそうだ。89歳の時、山が大好きな作家は這うようにして一歩ずつ進まれている。テレビを通して見ていても何か感じるものがある。それくらい山が、花が好きだったそうだ。
「生も死も自然のなかにある」と思えば山登りをする人が山で、旅好きが旅先で何があってもそれは本望なのかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
頁の最後のあたりには「『生も死も無意味だ』から出発して、その『無意味さ』こそが自我への執着を否定したうえで、現実世界をそのまま自然に受け止めることを可能にするのです。われわれは、草木のように土から生まれ、また土に戻ってゆき、そしてまた別の命が芽を出す。すべての存在がこうした植物的な循環のなかにあることをそのまま受け止めるほかありません。不生不死とは、生まれたものは死に、次のものが生まれるという植物的で循環的な死生観をいい換えたものといってもよいでしょう。生も死も自然のなかにある。そこにおのずと生命が循環する、ということです。この自然の働きに任せるのです。…」とある。302p
今年は明治から150年になる。この半分も生きてはいないがそれに近い年月を生きている。また、両親が生きていれば102歳。明治時代が終わって間もなくの生まれで150年という年数はそれほど昔のことではない。しかし、この間、世の中は著しく変化した。自分が生きてきた間にも文化や文明機器の進歩は顕著である。それと共に人々の生き方も変化があるのだろうか。
メディアを賑わす悲惨な事件。この人たちに欠けているのは何だろう。すべては金銭!?それはともかくとして自分も歳を取ったのか佐伯啓思の「生も死も自然のなかにある」、これがわかるようになった。同じ旅でも人の手を介して造られたところよりも自然に勝るものはない、との思いがある。そのためか大自然の旅にあこがれる。
先日の信州の旅も参加者の一人は50代であれば日本百名山に挑戦したい、と今では不可能ともいえる言葉を話していた。日本百名山といえば昨日のBSでスペシャル番組が1時間半放送された。自分自身、涸沢カールの山小屋の話をテレビで知って行きたくなる。とはいって若い頃に登山をしていないので今更それも無理なお話。テレビ画面を通して山の美しさに惹かれるばかりだ。
作家の田中澄江は花の百名山を命名したそうだ。89歳の時、山が大好きな作家は這うようにして一歩ずつ進まれている。テレビを通して見ていても何か感じるものがある。それくらい山が、花が好きだったそうだ。
「生も死も自然のなかにある」と思えば山登りをする人が山で、旅好きが旅先で何があってもそれは本望なのかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2017年7月24日月曜日
ポーランドの”マンガ”から
最低気温が25度を上回るようになった。90日間ずつ、日本の四季は変化する。ということは梅雨があけても本格的な暑さはこれから90日近く続く!?
図書館で借りて来た本を手当たり次第に読む。目にするのはポーランドの文字。今朝の地元紙はポーランドの指揮者コンクールで広島出身の人が2位となった記事がある。昨日読んだ『新潮45』。これは昨年の12月号。ノンフィクション作家の河添恵子は「大の親日家だったワイダ監督を悼む」の記事を書いている。ポーランドに出かける前までは名前くらいしか知らなかったワイダ監督。監督は少年時代に浮世絵を見て日本に開眼する。ポーランドの日本の評論活動をしていた”日本伝道師”のヤシェンスキ氏はポーランドにある日本美術を展示する博物館の構想をいだく。この夢を実現させたのがワイダ監督だった。博物館の正式な名称は「日本美術技術博物館マンガ」。日本政府やJR東労組などのカンパで夢が実現したという。
ワルシャワに通称”マンガ”があったことさえ知らなかった。そのワルシャワもこの記事によると昨年の5月7日に市民24万人にも及ぶ民主化を求めるデモがあったという。この日はちょうどポーランドに出かける丸1年前に当たる。そういえば5月7日はポーランドの戦勝記念日。だから特別な日。民主化を求める気持ちもわかる。
もう1冊は『新渡戸稲造はなぜ『武士道」を書いたのか』、サブタイトルは「愛国心と国際心」(草原克蒙 PHP研究所、2017年)。新渡戸がジュネーブにいた頃、ポーランドの政治家と会った時、自由に外国語を操るのに驚く。その理由を尋ねると「それは愛国心からだ」の答えが返ってくる。「ポーランドは四方を強国に取り巻かれているので、その中で国の独立を守るためには、他国の言語を借りて自分たちの国情を訴える必要がある」という。(31p)
新渡戸の時代から今の時代まで自分の国を守るためにいろいろな出来事があったポーランド。この点、日本は四方を海に囲まれ、敵も簡単には入ってこない。これをいいことにして外国語を知らなくても何とか生きていける!?何やかやあっても日本はいい国かもしれない。
図書館で借りて来た本を手当たり次第に読む。目にするのはポーランドの文字。今朝の地元紙はポーランドの指揮者コンクールで広島出身の人が2位となった記事がある。昨日読んだ『新潮45』。これは昨年の12月号。ノンフィクション作家の河添恵子は「大の親日家だったワイダ監督を悼む」の記事を書いている。ポーランドに出かける前までは名前くらいしか知らなかったワイダ監督。監督は少年時代に浮世絵を見て日本に開眼する。ポーランドの日本の評論活動をしていた”日本伝道師”のヤシェンスキ氏はポーランドにある日本美術を展示する博物館の構想をいだく。この夢を実現させたのがワイダ監督だった。博物館の正式な名称は「日本美術技術博物館マンガ」。日本政府やJR東労組などのカンパで夢が実現したという。
ワルシャワに通称”マンガ”があったことさえ知らなかった。そのワルシャワもこの記事によると昨年の5月7日に市民24万人にも及ぶ民主化を求めるデモがあったという。この日はちょうどポーランドに出かける丸1年前に当たる。そういえば5月7日はポーランドの戦勝記念日。だから特別な日。民主化を求める気持ちもわかる。
もう1冊は『新渡戸稲造はなぜ『武士道」を書いたのか』、サブタイトルは「愛国心と国際心」(草原克蒙 PHP研究所、2017年)。新渡戸がジュネーブにいた頃、ポーランドの政治家と会った時、自由に外国語を操るのに驚く。その理由を尋ねると「それは愛国心からだ」の答えが返ってくる。「ポーランドは四方を強国に取り巻かれているので、その中で国の独立を守るためには、他国の言語を借りて自分たちの国情を訴える必要がある」という。(31p)
新渡戸の時代から今の時代まで自分の国を守るためにいろいろな出来事があったポーランド。この点、日本は四方を海に囲まれ、敵も簡単には入ってこない。これをいいことにして外国語を知らなくても何とか生きていける!?何やかやあっても日本はいい国かもしれない。
ラベル:
「日本美術技術博物館マンガ」,
『新潮45』,
新渡戸稲造,
本
2016年12月12日月曜日
「いまここ」
『新潮45』11月号に「男たちは老後、地元に帰れるか?」のタイトルで小田嶋隆が書いている。小田嶋は元来、子供は取り越し苦労をしないと大人になってしまったわれわれは考えがちだという。しかし、「実際には、頭の良い子供はいつも先回りして、ほかならぬ自分自身の子供時代を台無しにしてしまっているものなのだ」と述べる。「頭の良い…」は当てはまらないにしても自分の子供時代~大人になるまで何故あれほど取り越し苦労をしていたのだろう?、と思い当たる。
小田嶋は「そのことを思い出すにつけ、老後について『老後になってから考えても遅いぞ』式の脅迫をばら撒いている人々に、怒りを感じずにおれない」という。若い頃と同じ轍を踏まないためにもこの意見に同感する。画家の堀文子も『サライ』で老後は毎日が初めての経験ばかり…というようなことを述べている。
歳を取ったから何事もわかるのではなく歳を取るということが一人一人にとっては初めて経験することばかり。「いまここ」を愉しめばいい。
小田嶋は言う。「こんなオタメゴカシノ言説に引っかかって不安になる人間は、遠足の途中で先回りしてがっかりする子供と同じく、求めて損をしている不幸な人間と言って良い」。
「結局は、好きな人間とではなく、必要な人間とやり取りすることで、この三十数年間を送ってきた」とこれまでの生き方を述べる。それは会社勤めの人も同じと思う。ほとんどの人は収入を得るために会社に「自分の人生という時間」を預けて働く。これが自由業ならば小田嶋のいう「必要な人間とやり取りすること」になる!?
こういった人との関係も還暦以降は「なるべく好きな人間と付き合うようにしたい」と小田嶋。そして最後に「とりあえずは、自分に好きな人間がいるのかどうか、まずはそこのところから考え直してみようと思っている。道は険しい」と文をくくる。もう二度と先を思い煩いたくない。「いまここ」を愉しく!!
小田嶋は「そのことを思い出すにつけ、老後について『老後になってから考えても遅いぞ』式の脅迫をばら撒いている人々に、怒りを感じずにおれない」という。若い頃と同じ轍を踏まないためにもこの意見に同感する。画家の堀文子も『サライ』で老後は毎日が初めての経験ばかり…というようなことを述べている。
歳を取ったから何事もわかるのではなく歳を取るということが一人一人にとっては初めて経験することばかり。「いまここ」を愉しめばいい。
小田嶋は言う。「こんなオタメゴカシノ言説に引っかかって不安になる人間は、遠足の途中で先回りしてがっかりする子供と同じく、求めて損をしている不幸な人間と言って良い」。
「結局は、好きな人間とではなく、必要な人間とやり取りすることで、この三十数年間を送ってきた」とこれまでの生き方を述べる。それは会社勤めの人も同じと思う。ほとんどの人は収入を得るために会社に「自分の人生という時間」を預けて働く。これが自由業ならば小田嶋のいう「必要な人間とやり取りすること」になる!?
こういった人との関係も還暦以降は「なるべく好きな人間と付き合うようにしたい」と小田嶋。そして最後に「とりあえずは、自分に好きな人間がいるのかどうか、まずはそこのところから考え直してみようと思っている。道は険しい」と文をくくる。もう二度と先を思い煩いたくない。「いまここ」を愉しく!!
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