2018年6月30日土曜日

『老嬢は今日も上機嫌』

 『老嬢は今日も上機嫌』(吉行和子 2008年、新潮社)を読んだ。エッセイはすぐに読める。しかし、これはかなり時間をかけて読む。というのもどの文章も中身もさることながら文の終わりの書き方がうますぎる。それにしても吉行和子の母、あぐりさん。以前、あぐりさんの著書『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』を読んで生き方に感動した。その人から生まれた吉行和子。本を読んでいてあぐりさんと同じく「なるほど」と…。

★母は九四歳。九十一歳のとき、私と一緒にメキシコへ行った。それ以来、海外旅行に目覚めてしまい、毎年どこかへ行っている。翌年はネパール。次は中国、こんどはヨーロッパへ行きたい、と言っている。そのためには、足を鍛えておかなくてはいけない、と実感したらしく、毎朝かかさず、この土手を歩いている、らしい。14p

 あぐりさんは91歳でメキシコに行かれている。いつかメキシコへ、と思いながらまだ出かけていない。メキシコの後はネパールにも行かれている。91歳まではまだかなり年月がある。しかし、この2つの国は自分のなかではちょっと気が重い。

★山下洋輔さんの追っかけ三人組として発生した女の友情は、一六年目を迎えた。女同士のつき合いなど上手く行くはずがない、と言われているし、またよく目にもするが、私たちの友情は、山下洋輔さんという男性がいてくださるお蔭で、つつがなく続行している。追っかけだけでは物足りなくなり、三人で企画してピアノソロコンサートを開いたときは楽しかった。何から何まで人の手を借りず三人だけでやった。…69p

★子供のころから病気ばかりしていたが、だんだんと健康になってきた。元気でさえいられれば、まだまだ楽しい時間が待っている、はずだ。166p

 子供のころ、自分自身も弱かった、と親から聞かされた。しかし、弱かったころの記憶はない。ただ、市内電車のチンチンと音を鳴らして走るのを後年、聞いた時、懐かしさを覚えた。生まれて間もなく、郊外のわが家から市内の市役所前の眼科まで通院していたそうだ。大学入学時、コンタクト装用でこの眼科に行くと眼科医は名前に覚えがある、と話された。何年も通った眼科。先生も亡くなられて今はもうその眼科はない。

★尾崎翠を大好きだった私の妹の理恵は、この映画を見るのを楽しみにしていた。しかし、五月に逝ってしまった。その日、何度も目を開けて私を見た。もう言葉を発する力もなかったけれど、もしかしたら、このまま死ぬのならばむごいものだね、と言いたかったのかもしれない。204p

 「その日、何度も目を開けて私を見た」。これと似た光景が母との間にもある。母は亡くなるかなり前から話ができなかった。しかし、亡くなる前、3週間ほど緊急入院。その最期近くの日、母は閉じていた目を見開いてじっとこちらを見た。「どうして見るん?」と話してもただ目を見開いたまま。母が最期に私に何か言いたかったのだろう。その後に見舞った姉には目を閉じたままだったそうだ。

★今年は三回忌だ。青山に新しく建てたお墓はとても感じがいい。青山通りをぶらぶら歩くのも楽しい。私はしょっ中遊びに行く。私にとって大きな石は問題にならない。そんなものは飛び超えて、会いに行ける術を身につけた。もう怖ろしいものはない。
遊べやと黄泉へ誘ふ昼の月     窓烏 144p

 これもわかる。母が亡くなったとき、お墓へ行けば会える気がした。吉行和子の俳号は「窓烏」。この本を読んで俳句はしないのに俳号を考えたりする。「窓ガラス」を「窓烏」に捩ったのか。それにしてもいい俳号だ。名をつけるといえばこのブログのタイトルもはじめは小さいころによくいわれたあだ名(?)、を考えた。しかし、それはあまりにも変なのでこの題名にした。


 それにしても雨がよく降る。今朝は土砂降りの雨で目を覚ます。ということでここは🎵城ケ島の雨🎵が似合いそうだ。

  ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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