2018年1月31日水曜日

再び「遊びをせんとや生まれけむ」

 『遊行の門』(五木寛之 徳間書店、2008年)を読んでいて以下の言葉に目を見張る。それは後白河法皇が編んだ『梁塵秘抄』にある中世にうたわれた絶唱だった。

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
わが身さえこそゆるがるれ(18p)

 この2行を某会の会長は1年余り前の中国の旅の途中でつぶやかれた。初めて聞く言葉だ。覚えて帰ろうと思ったので翌日のホテルの朝食時にも聞いて覚えた。これをブログに載せていると思い、我ブログを検索するとある、ある。2016年11月16日の「遊びをせんとや生まれけん…」でアップしている。

 五木はこの後、「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である。…『遊行期』とは、子供に還って遊び、戯れる時期である。気ままに、わがままに、そして無心に」と綴っている。(19p)

 この意味を知るとますますこの言葉の良さがわかる。「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である」。まさにその通りだ。近いうちまた一つ年をとって老いてゆく。これもそうではなく「いきいきした好奇心…」と思えば、年を取るのも悪くない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月30日火曜日

至福のひととき

 2月になるとプールのメンテナンスがあり、2週間利用できない。昨日は気温は低くても日差しがあるので泳ぎに行く。朝から気合を入れ、お昼を済ませると勇んでプールへ急ぐ。プールの中は外と比べて温かく、まるで天国。はやばやと受付を済ませていざプールへ。ところがプールに入ってもどの人も水に浸かろうとしない。なぜ?と思いながら一人、プールの水に足をつける。と、ここで注意される。あと何秒か開館までに時間があるという。水着でプールにいると寒くなる。早く温水に浸かりたい。

 ここで係りが登場。開始時刻を間違えていたとのこと。ともあれ、泳ぎ始める。水中歩行の人は別にしても、泳ぐ人の顔は覚えてくる。ところがそれも徐々にメンバー交代があるようだ。それでも数人は顔馴染みになる。昨日も同じ町の人らしく泳ぐ輪に入るようにと声をかけられる。皆でつるんで泳ぐのが好きでない。後からせかされる気がしてくる。それが嫌なので、人との距離を置いて泳ぐ。あまりにも泳ぐ人が多いときは浅いプールへ移動して泳ぐ。

 冬の間は夏ほど泳ぐ人はいない。冬の方が夏より汗をかかないし運動不足になる。その意味でもこの季節はなるべく週に一度のペースは崩したくない。

 泳ぎ終えて外に出ると自転車3台ほど横倒しになっている。風が強く吹いたのだろう。プールに行くときは日差しがあって暖かかった。ところが、泳ぎ終えて帰るころは日差しがなく冷たい。身体は温かくても空気が冷たい。いそいで自転車で帰宅。冬はいつお天気が変わるかわからない。ましてや自転車に乗っての移動で転んでしまったら人生ここでアウト!?

 帰宅後に飲む温かい珈琲とおやつ。これもささやかな我が至福のひととき。泳いだ日はお蔭でよく眠る。今朝の起床の遅いこと。ゴミ出しがないと目覚ましをせずに寝るので余計に遅い。

 画像は年末に買ったクリスマスローズ。今まさに満開!もう一鉢も満開だ。
我が家のクリスマスローズ

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 またもブログ投稿後に気付く。先ほど105歳のスウェーデン人ダグニーさんの昨日のブログを見るとイケアの社長の死を綴っている。これは日本語訳の解釈があっているかどうか、日本のネット記事で確かめる。朝日新聞の記事があった。日本に居ながらにしてスウェーデンの記事がダグニーさんのブログでわかるとは…。ともあれスウェーデン語はわからなくてもパソコンの翻訳機能のすばらしさを改めて実感する。

2018年1月29日月曜日

NHK日曜美術館《クリスティーナの世界》から

 今朝は昨日と打って変わって日差しがある。この様子だとプールで泳げるかもしれない。昨日は社会人大学生の頃、共に学んだ院生だった人と久しぶりに会う。どういっても親子、いやそれ以上の年齢差がある若い人。前回会ったときはまだ子供さんは誕生していない。その子供さんも今年4歳になるとか。4,5年ぶりに会って話をする。

 まずは街中でのランチ。初めてのお店は感じが良くて食事も美味。まるで同い年、と錯覚するほど話していて違和感がない。食事後は八丁堀の院展を見る。その後は場所を替えてカフェタイム。外は寒くても感じがいいカフェでまたもや話が盛り上がる。というか一方的にしゃべった感じで申し訳ない。年齢差はあっても某先生の同じ講座を受けたことで違和感なくお話しできるのは本当に幸せ。時に固有名詞が出なくて即座にその人のスマホで検索。名前がわかればまた話が弾む。

 話していると気分はもう完全に社会人大学生時代に戻る。当時は今ほど悠長な日々でなく、時間に追われる毎日だった。しかし、それも今となっては懐かしい。時間に追われていたからこそ頑張れることもあった。話の中に出てきたあの人、この人。話せば話すほど共通の話題に結び付く。

 社会人大学生を卒業して今春で丸11年になる。院生修了後は丸9年。ということは同時代に学んだ若者は今年33歳になる。もう立派な大人になってそれぞれ家庭もあるだろう。

 昨日会った若い人も女児の母であり、妻であり、さらに一社会人として頑張っている。今は時間に追われる日々に違いない。そんな忙しい中、長い時間付き合ってもらって申し訳ない。そう思いながらも本当に楽しい時間は過ぎていった。〇〇小姐、非常感謝!そして〇〇〇ちゃんの写真、本当に可愛かった!

 忙しい毎日にも関わらず、中国語を学び続けているとのこと。これも素晴らしい。若さは追いつけないけどせめて気力だけでも若者に追いついて…。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 またもブログ投稿後に気付く。昨夜のNHKの日曜美術館を忘れている。何気なく見ていると日曜美術館「ワイエスの描きたかったアメリカ」に《クリスティーナの世界》が映し出される。
  
 番組HPによると「2017年に生誕百年を迎え、注目を集めるアメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス。力強く生きる移民の姿を描き続けた。今ワイエスの絵が問いかけるものとは。建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカ。そうした移民の姿を描いたある画家に今注目が集まっている。アンドリュー・ワイエス。2017年に生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。かつて彼は『アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった』と語った。言葉の裏に込められた意味とは?作品から読み解く」とある。

 この「クリスティーナの世界」の絵、足が悪くて少女は歩けない。しかし、這ってでも歩こうとする。これを見ていてドキッとする。ワイエスはこの番組で初めて知る。辞書で調べると『広辞苑』にも掲載がある。途中から番組を見たので再度見たい!そして本物の絵も見てみたい!
お昼のランチ

2018年1月28日日曜日

蓮の花を描く

 仮住まいの絵の教室もあと2回を残して元の教室に戻る。部屋の狭さは机の小ささにも比例する。本画にするには狭すぎて、毎回のようにデッサンする。ところがこれもいいこともある。それは人のデッサンをまじかに見られる。昨日はパイナップル一個を机に置いてデッサンする人がいる。ナニゴトも融通が利かないのでそれを見てびっくり。何でも絵のモチーフになる、と感心する。その人は絵を長く習われ(教室の人はどの人も長く習われているが…)、毎回持参される絵のモチーフを見ると参考になる。いくら参考になっても人の真似はまだできない。ボツボツ描いていくしかない。

 昨日はデッサンした蓮の花を本画用にトレースする。しかし、これもそのままトレースするのでなく、絵にする配置を先生が考えてくださる。その配置のままに蓮の花の絵をトレースしていく。今年の秋の作品展も昨年同様に全員がM8の木製パネルに描く。先生はこのパネルに和紙をはり、その上にさらに他の和紙もはる。このはり方でそれぞれ特徴あるパネルになっていく。その一枚を先生に選んでもらって地塗りする。この色も先生に決めていただく。

 地塗りをするにもけっこう上手下手が出る。刷毛の使い方も日本画では大事。何もかも教えてもらって地塗りは完成。次回からこのパネルに蓮の花をトレースしていく。本画に仕上がるまではまだまだ時間がかかる。ボツボツ描こう。

 それにしても寒い。いくら寒くても今年の冬は珍しく鼻水が出ない。例年ならば秋分の日から春分の日まで鼻水と格闘する。これがないだけ今年の冬は元気!?プールはさすがに気温5度以下では泳ぐ気が失せる。プールは明日行こう。

 元気といえば遊ぶ話。昨日の教室で来月の食事会がまとまる。何と来月の某1週間にグランヴィアでの食事会が3回予定される。それも和食、中華、西洋料理とジャンルが異なるのが幸い。日本画の人とは自分の誕生日の前日。「翌日は何の日?」、「とても有名な日よ」と問うと友だちの誕生日という人がいる。同じ日が誕生日の人がいると思った。誕生日が嬉しいわけではない。年齢もここまで生きてくると気にならなくなる。それよりも元気で楽しく過ごせればそれで大満足。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月27日土曜日

再び無患子

赤いのがいただいたきれいな完成品
他の3点は昨夜完成。うち一つは8個の無患子で、後、9個にやり直す

 先日、塀の裏側のドアを開けたままで自転車に乗って外へ出た。帰宅すると園芸用の小さいシャベル、花ばさみと小さい鍬が見当たらない。誰かのいたずらと思い、昨日、百円ショップに出かけてこの3点を購入する。ついでにと無患子でアクセサリーを作った際に購入したビーズ売り場を見る。以前はビーズは2種類しかなかった。ところが昨日は10種類以上のビーズが並ぶ。無患子をいただいた時、ブレスレットに完成したものももらった。これを真似てビーズを物色。同じものは無くても3種類の丸いビーズが入った袋がある。これを購入。

 百円ショップに出かける目的は近くのスーパーで現像した写真が午後5時に出来上がるとのこと。この時刻になるまで百円ショップで時間つぶしも兼ねる。絵のデッサン用にと頻繁に写真を撮っては現像している。

 夕飯後、以前のアクセサリーにした無患子をほどいてブレスレットにする。無患子を30個いただいている。もらった完成品をお手本にして9個の無患子とビーズ9個を輪にしていく。ビーズの色は3種類。薄いピンクとパープル、それにホワイト。写真ではほぼ似たような色だけど少しずつ色が異なる。まずはピンクから。一つ出来上がる度に一人で喜ぶ。なかなかいい!

 紐にするゴムテグノの結び方をネットで検索すると動画のアップがある。その通りにするときれいに仕上がる。こうして3種類のブレスレットが完成する。ところが3度目となると集中力に欠けるのか思うようにならない。ビーズが落ちたりして探してはゴムテクノに通していく。やっと3点完成すると日も暮れる。

 無患子の男性用の腕輪念珠をネットで見ると何と1万円以上もする。それくらい無患子は手に入らないということだろう。30個もいただいて、他にも完成品までもいただき本当に有難い。某会にはこれをつけて参加しよう。それはさていつ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月26日金曜日

『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』

 一年間にどのくらいコンサートや美術館に出かけるのだろう。コンサートは広響定演だけで年に10回ある。これに平和コンサートなど入れると広響だけで年に11,2回聞いている。これに他の気に入った演奏会を加えると20回くらいになるだろうか。もしかしてそれより多いかもしれない。音楽は小さい頃から好きだった。そのため聞きに行くことに対して何の違和感もない。ところが美術に関してはとっつき始めはかなりの無理があった。苦手意識が強いモノは無理してその環境に身を置かねばならない。そう思い始めてまず飛び込んだのは県立美術館友の会への入会。金銭を払っていればその元を取ろうとする貧乏根性が出る。そのこともあって美術館へ出かけるようになった。他にも友の会主催の美術講演会があると知れば好き嫌いの有無は別にして聞いている。

 運動もそうだ。子どものころから大人になるまで自転車、水泳など、人ができることができなかった。これじゃ、何を楽しみにして生きているのかわからない。そう思ってまずは自転車に挑戦。これは思い立ってから10年(?)経過してやっと36歳で乗れるようになった。こうやってできないことや知らないことがわかるようになるとさらにどん欲になる。ついには県外の博物館の友の会にも入ったりした。今は県外は脱会している。しかし、その後も旅気分で県外まで出かけて音楽や美術を楽しむ。その一つに2015年春に出かけた兵庫の美術館の堀文子展がある。

 先日『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』(堀文子)(堀文子 小学館、2017年)を読んだ。2015年春といえば日本画を習い始めて一年半後のことだ。自分で「これっ」と思うものにぶつかればかなりのぼせるタイプ。堀文子の展覧会と知って「おとなび」を利用して「行こう」と思った。昨日、楽譜を整理していて保存していた堀文子の展覧会ポスターを目にする。堀文子、やっぱり生き方が素晴らしい!

 以下は『ひまわりは枯れてこそ実を結ぶ』からの抜粋。このなかの「死ぬと、私の生命は何かになると考えています。できれば私は木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは、木と植物だと考えておりますから」。これは特にいい。これに影響されたのかそれともその思いが自分にもあるのか日本画で描くのは木や植物が多い。その他、ここに羅列したのはどれもいい。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ 老残の醜さを見せずに 
  地に帰る 
  落葉の素晴らしさは、
  年と共に私の心をゆさぶるのだ。

  秋の落葉の美しさには
  命の終わりの静けさがある。9p

★ 生涯を共にした気難しい日本画は私に雑念を抑え、考える事を教え、抑制と静謐な美を気付かせた。そして無私と集中を叩き込んでくれたのも、古風な日本画であった。38p

★ 死ぬと、私の生命は何かになると考えています。できれば私は木になりたいと思います。この世の生命体の中で一番厳粛で立派なのは、木と植物だと考えておりますから。78p

★ 行く先の決まった立派な道を剃れて、草木の茂るひなびた道を私はいつも好んで歩いていた。人里離れた道で出会った花や鳥や雪や霧がどれほど美しく私の心に残ったことか。淋しさや孤独は絵描きの目を美しいものに向けてくれる。80p

★ 私に必要なのは、ますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを食い止めることなのだ。残り少なくなった私の日々は驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。89p

★ 息の絶えるまで感動していたい。96p

★ 体内に生命力が溢れる若いうちは自己主張に明け暮れ、自然に目を向ける余裕はない。年を重ね、若さにかげりの出始めた時、人は初めて周囲の自然に気付き、草木の生命が見えてくる。そして自然に寄りすがり、その力を借りなければ立ち行かなくなる日がやって来る。海へ、山へ、異国へと居を移したのは、そんな本能の促しもあったようだ。107p

★ 旅での感動は私の眠っていた脳細胞に新しい回路を復活させてくれるのです。112p

★ 私は、私の好きなように生きている。誰でもない私でありたかった。だって一回しか生きられないんだから。117p

★ 慣れない、
  群れない、
  頼らない。122p

★ 人間は結局一人なのです。友人は素晴らしいものですが、自分の人生は自分で決めるという孤独と向き合わなくてはいけないものだと思います。124p

★ 好きな事を追い、嫌いな事を寄せつけない毎日をやっと手に入れた今の自分が面白くてならない。好きと嫌いを堂々と人前にさらす勇気を手に入れるまで、なんと長い年月がかかったか。それを見詰めるまで長らえた吾が命も捨てたものではないと思っている。125p

★ ひとりがいいです。歳をとっても不便でも、親を背負って飛んでいるスズメなんて見たことありますか。生物はその時が来れば黙って去っていく。私もいずれ、その時を、初体験するのだと覚悟しております。137p

★ 年を経るごとにわからないことが増えていきます。それだけに生きているのが楽しい。知る喜びがたくさん残されているということですから。140p

★ ひとり身の自由を背負い、風狂の旅人となり老年を歩き続けている。142p

★ 美しいと思ったのに、自分が一度も描いていないのは虹です。最後に虹を描いて、「虹の橋を渡ってあの世に行きます」と言っております。165p

2018年1月25日木曜日

♪哀愁列車♪から

 今朝はうっすらと雪景色。ゴミ出しから1時間後に外を見ると雪は解けている。しかし、粉雪が宙を舞う。FMから流れる曲は「哀愁列車」。「なぜこの曲が?」と思わずにおれない。母を看ていた時、いきなり大きな声でこの曲を歌いだしたことがある。「何で歌うん?」と聞くと少しは認知があったのだろうか、歌をやめようとしない。歌うといっても口ずさむのではなく力いっぱい大声で歌い続ける。ある時は「炭坑節」だった。

 夜になっても歌い続ける時があった。一緒に寝ようとしても大きな声なので寝られない。幸いその時は夏だったので身軽に2階に上がって寝たこともあった。今思えば、歌が歌えたということは声が出ていたことになる。これも2,3日くらいで歌わなくなり静かな毎日となった。静かな毎日は母が声を発しない毎日になるとは…。亡くなる一年前に話ができなくなった。「どうして話をせんのん?」と聞くと「声が出んのんよ」と言っていた。95歳の母。今思うと軽い脳梗塞を発症していたのかもしれない。ガンで亡くなる人は最期まで話ができるようだ。その点、母との最期の会話は思い出せない。

 朝から暗い話になった。亡くなる前の2年間ほど、母のことを以前のブログでアップしていた。しかし、母が衰弱して亡くなるまでの様子を今は記憶のなかだけに留め、ブログを再度読み返す気力はない。ということで以前のブログは非公開。それを見れば母とのことも今の記憶よりはっきりするかもしれないが…。

 日差しが出てきた。気分をかえよう。昨日に続いて再度ショパンの「nocturne」。ショパンのノクターンといえば以前にさらった「遺作20番」がある。ということは全部で20曲?、そう思ってネットで検索すると21曲とある。今さらっている曲を含めて手元に3曲の楽譜がある。以前のと手元にある楽譜をさらうと4曲になる。ショパンの曲は元はピアノ曲。それをフルート用にアレンジした楽譜もいろいろある。そのためか、この曲をフルートで演奏する動画はそれぞれ楽譜が異なる。
http://www10.plala.or.jp/frederic3/work/nocturne.html (参照)


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月24日水曜日

ノクチュルヌ変ホ長調(nocturneOp.9-2)

 昨夕の様子だと今朝は一面真っ白な世界、との予測が外れる。最低気温マイナス2度、予想最高気温1度であっても日差しがある。先日買った伊予柑。美味しかったのでまた買おうと思った。ところがあまりにも外が冷たい。今日は一日、家でおとなしくしよう。


 さらっているフルート。曲名はショパンのノクターン(nocturne)。これはノクチュルヌと読めるように楽譜によって曲名表記が異なる。レッスンしている際、先生が席を外される。曲の最後の何小節かに16分音符の4連符が11ほど続く。それも♯や♭があちこちについている。先生はこの楽譜通りでなく別の曲集の楽譜を探されていた。4連符は11がら5へと少なくなる。しかし、少なくなった長さだけトリルが入る。今日からこの練習をしよう。尚、「ノクターンOp.9-2」は「ノクチュルヌ変ホ長調」と同じ和名でともに「nocturneOp.9-2」と別表記される。

 トリルといえば別のところのトリルも自分勝手に吹いているとそれは違っていた。教えてもらった通りに吹くと吹きやすい。これも練習、練習!

 ショパンのnocturneもほかのフルート曲集をみると他にもいろいろある。今のノクターンOp.9も何とか曲らしく吹けて来た。これをさらった後はショパンの他のノクターンをさらうのもいいかもしれない。

 レッスン後、小雪舞う中、福屋八丁堀店で開催中の院展八丁堀展を見る。その前に、サンマルコCAFEによって遅いお昼。身体が温まったところでデパートに入る。先日の駅前店の院展を見た。八丁堀店会場も雪の中、観覧する人は多い。しかし、駅前展ほどの感動がない。個人的な絵の好みは自然の風景や具象画がいい。ところが八丁堀展はまるで油絵のごとき抽象画が多くみられた。それでも前原満夫の杣道(そまみち)が良かった。

 八丁堀店を出てバスに乗り換えて広島駅の会場へ移動する。先日教室の人からもう一枚院展のチケットをもらった。再度駅前展会場に出かけると好みの絵が多い。習っている先生の絵をじっくり見るとやっぱりいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月23日火曜日

『生きてるかい?』

 先日、携帯電話をなくすという一人相撲を取った。昨夕、携帯を見ると録音がある。音がならなかった。一人相撲の時、家の電話から携帯にかけると音がならず、電源が…というような案内が流れる。もしも、音が出ていれば携帯が家のどこでなっているか、その在りかがわかる。なぜ録音機能に…としばし考える。先日、いろんな機能を触っていたのでそうなったのかもしれない。

 録音を聞くと某会の会長だった。電話をかけなおすと送付したUSBメモリーが届いたとのこと。先日のインドネシアの旅のメモリーで、同時に総会の欠席を知らせる。総会当日、日本にいないとお話しすると、どこへ行くのかを尋ねられる。行き先を告げると次のように言われる。これが可笑しい。「また坊さんと行くのか?」と聞かれて、「お坊さんたちはどの人も体が壊れたそうで今回は一人で…」と返答する。すると「坊さんも病気になる!?」と話される。職業によって病気云々が可笑しい。総会は楽しいので出席したい。しかし先に予定があるのでそれも仕方ない。電話の最後がまた可笑しい。偉い人に対して「今年もみんなで遊びましょう!」と言ってしまった。すると「その予定にしている」と話される。他の人からも年賀状に遊ぶ話が多く添えられる。ここまで生きてくると皆、童心にかえって仲よく遊ぼうとの気持ちも芽生える!?これ、大いに賛成!

 旅の話を電話でしたためか、また夜中に夢で目を覚ます。なんと、翌朝の外国旅行で何の準備もせず、どこの国へ行くかも全くわからないという変な夢だった。これに似た夢はよく見る。旅先で人にはぐれる夢。お坊さんたちや某会で行く旅以外はほぼ一人参加なのでかなりの緊張感があるのかもしれない。それと昨日、旅行社から旅行代金の残金振り込み請求が来たことにもあるのだろう。

 話は変わって先日読んだ南木佳士の『生きてるかい?』(2011年、文藝春秋)。著者は病院の勤務医であり芥川賞など受賞した作家。年末に図書館の書架から手あたり次第に見つけて借りた本の一冊。

 来月の18日が来ると母が亡くなって丸7年になる。その当日、病院で亡くなった母は病院の医師たちと看護師さん数名に見送られて斎場に向かった。哀しみの内にもなんとご丁寧に頭まで下げて見送ってくださると思った。この光景は我が人生初の体験で感動的だった。ところが医師側からすればこれも大変なご苦労らしい。それはこの本の著者が以下のように綴っている。

★我田引水的な自己分析によれば、うつ病になった原因は、死にゆく患者さんたちを看取ったやるせなさを文章で表現し、誰かにわかってもらいたいと根をつめて書きすぎたためであった。身をもって知ったひとの生のはかなさを理解してもらうには、臨床現場の様子を原稿用紙の上で再現せねばならない。…71-72p

 この他にも亡くなった人の車を見送る場面もある。全く母がしてもらった通りの場面だ。医師免許をもった医者は人が亡くなるということや遺体を解剖することは慣れっ子になっていると思っていた。ところがそれも人によって違うのだろう。ヒトが亡くなる最期まで、ましてやその時間までほぼ担当医が話す言葉通りだった。若い医師2名と看護師数名がその時、立ちあってくださる。今思えば、研究のために解剖させてほしいと懇願された時、駄目だと言わずにOKすればよかったとも思う。しかし、その時は気持ちの余裕がなかった。この先生たちには本当に最期までよくしていただいた。この本を読んで7年ぶりにそう思う。

 そしてこの本からモーツアルトのことやグレン・グールドのことも知る。以下はその内容から。

★大画面のテレビでまず最初に観たかったのは映画「アマデウス」のDVDだった。これはモーツアルトの生涯を描いた傑作で、映画館で見のがしたのを今でも悔いている。118p


★年末が近づいてくると身の内に一年の澱が沈殿してくるのか、何をするのもおっくうに感じられる。そんな日は無理をせず、縁側の読書用の椅子に寝そべってグレン・グールドのピアノを聞きながら軽い本に目をとおす。225p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月22日月曜日

「満たされないものがあるから、人間はまた次に頑張るんでしょうね」

 文春オンラインに直木賞受賞者門井慶喜の「満たされないものがあるから、人間はまた次に頑張るんでしょうね」の記事を見る。芥川賞や直木賞が決まっても小説は読んでいない。しかし、ネットで見たこの見出しはよくわかる。現状維持でよければ何も言うことはない。しかし、生きている限り、このままの状態ではありえない。その思いがあるのか凡人であっても頑張らないと…との思いがある。

 昨日は全国男子駅伝の日。広島で開催された。午後1時過ぎのプールを見渡すと水中歩行者7人、泳いでいるヒト1人の8名しかいない。その中に1人加わる。2人で1コースを泳いでいると少しだけ人が増える。それでものんびりゆったりと泳ぐ。どの人も駅伝を見に行ったのかそれとも家でテレビ観戦かはわからない。プールの人の少なさは駅伝と少しは関係あるかもしれない。とはいっても日曜日に泳ぐことがほぼないので平日のプールと比較する方が変なのかもしれない。

 雨が降り続く寒い朝。この寒さ、明後日には最高気温1度、最低気温マイナス2度との予想がある。今日は午後からの予定を取りやめて家でおとなしくしよう。雨の中を出歩くこともない。明後日は1度と知っただけで寒くなる。雪や雨の寒い日はよほどのことがない限り家でおとなしくするに限る!ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!


 
 またもブログ投稿後に思い出す。昨夜読んだ南木佳士の本に吉田拓郎の♪流星♪が好き、とある。先ほどネットで探すとあった。初めて聞く。他にも昨夜、お寺から寒行に参られる。お寺の年間行事は親の後を継いだものとして気が重い。先日までお盆の法要も今年から断ろうと思った。ところが昨夜の寒行でお上人から優しく声をかけられる。「お元気でやってますか」。これを聞いて断るのもどうかと迷ってしまう。

2018年1月21日日曜日

蓮の下絵&BS「異世界ホテル旅」

 新年になり、ひと月の生活費はいくらなのかと思ってレシートを保管している。今月もあと、10日。家計簿なるものを生まれてこれまでつけたことがない。生活用品、食料品、旅行費用など自分なりの価値基準がある。レシート集めは母が亡くなって5か月後にひと月だけ集めたことがあった。その時、スーパーでの買い物だけでかなり消費していた。それ以来、このくらいひと月にいるんだ、と思ってそのままの額でこれまで生活してきた。ところが友だちや姪に聞くと生活費が多いという。これに習い物や遊ぶお金が加わる。一番の消費は旅行費用。年間かなり消費している。

 これも行く期間に限度がある。その思いから行けるうちに行けばいい、との思いが募る。金銭を惜しんでいたら何もできない。かといって有り余るほど持ち合わせていない。ましてや収入源は国からの年金だけ。お金があるはずがない。ところが、元気であれば後はなんとかなる、との思いがそうさせるのだろうか。ともあれ、何とか生活できている。いつまでもこのままでありますようにと願って今年の新年がスタートした。

 話は変わって昨日の日本画教室。どういってもあと3回ほど教室が仮住まい。ほぼすべての日本画の材料を本来の教室に置いたままでいる。そのため、仮住まいの教室では部屋も狭くて本画の作成はできない。もっぱらデッサンしてはそれに軽く水彩で色付けする。昨日は蓮の花のデッサンをして水彩絵の具で薄く色を付ける。ところが蓮の花のピンクが水彩でどうすればよいかわからない。赤と白を混ぜてピンクにして塗っていた。すると先生曰く「赤だけを水で溶いて薄くするとピンクになる」とのこと。

 子供のころから日本画を習うまで学校で絵を描いたことがあるのだろうかと思うほど絵心がない。日本画はその点、デッサンしては下絵として色鉛筆や水彩絵の具で色付けする。これで色鉛筆画や水彩画も習える。その点で日本画を習うのは一石二鳥で自分なりに満足している。次回はこの下絵を拡大コピーして持参。これを基にしてM8の木製パネルに描くという。今年の秋の日本画展でも昨年同様に皆、M8の木製パネルに描いて展示するようだ。

 先日からネットで習い始めた外国語。耳で聞くのはいいのだが、聞いたその文字が書けない。中国語の文字を聞いても書けない。字を書く癖をつけよう。そしてスペイン語。動詞の変化を忘れている。これが気になったのか今朝は夢を見ていた。大学で科目等履修生で習ったときの先生が夢に出る。結構感受性が強い方だ。思うところがあればすぐに夢となって現れる。これもいいような悪いような…。

 そして昨夜のBSは「異世界ホテル旅」。これは良かった!「スウェーデントロールも暮らす森のホテル」に平岳大が訪れる。「ここがあなたの部屋よ」と案内されたのは木でできた小さな穴倉。木を割って薪を作り、それを暖炉で燃やす。明かりはローソクの灯。食事は自分で粉と水を混ぜて焼いて食べる。お水は水源まで出かけて必要な量を容器に入れて持ち帰る。水辺の傍にサウナがある。自分で薪をくべながらサウナの暖を取る。熱くなれば水辺に下りて水に浸かる。これを見てもしかして真似をする日本の経営者が現れるかもしれないと思った。それは例えば八ヶ岳の高原でこういうホテル暮らしを提供する経営者である。

 スウェーデンと言えばダグニーさんがいる。森の生活にあこがれる。しかし、実際となるとこのホテル暮らしは大変そうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後にダグニーさんのブログを見ると昨日から頁が新たになっている。これはもしかして蓮池!?スウェーデンは緑が多くて美しい国。もう一回行ってみたい!

2018年1月20日土曜日

第376回広島交響楽団定期演奏会へ行く

 第376回広島交響楽団定期演奏会に出かける。今回は「秋山和慶 終身名誉指揮者就任記念≪挑戦≫」と銘打った演奏会。演奏曲目は以下のようであった。

♪ドボルザーク 序曲「自然の中で」Op.91

♪ドボルザーク ピアノ協奏曲ト短調Op.33

ピアニストに伊藤恵を迎える

♪ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲

 ドボルザークは知られた作曲家。しかし、3曲目のルトスワフスキは初めて聞く作曲家。ポーランドの作曲家らしく、この曲でユネスコ国際作曲会議の第一位を受賞している。またも、ポーランド…と思って真剣に聞く。しかし、今にもドイツ軍やソ連軍がポーランドに攻めてくるような気がする曲だった。もらったプログラムには「民謡を基に旋律線を…」と解説がある。この「旋律線」が「旋律戦」と置き換えてもいいように思えるほど、敵の軍隊が攻めてくるように聞こえた。今朝の地元紙にはその模様を「激動の歴史と不屈の精神をにじませる熱演で聴衆を圧倒した」とあるから満更間違って聞いていない気もする。

 2曲目のピアニストととの協奏曲の演奏が終わるとアンコール曲を期待した。ところが残念ながらそれはなかった。

 先日、三原のポポロでクラッシックの音楽雑誌『ぶらあぼ』を入手した。この本には全国のコンサートホールで開催されるクラッシックコンサートやクラッシック音楽家のコンサート情報が満載されている。地方に住んでいるといわゆる有名な演奏家の演奏会はそれほど多くない。それでも広響定演のゲストで名が知れた人の演奏を聴く機会がある。新年度の年間スケジュールを見るとほぼ毎回特別ゲストが国の内外からやって来る。これは広響定演を聞く楽しみとなる。

 予定を見ると定演の開始時刻が夜に限らず、午後から開始が増えている。これも多分に、聴衆の年齢が上がりつつあるから!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月19日金曜日

再興第102回院展ギャラリートークに行く

 再興第102回院展のギャラリートークを聞きに行く。院展オープン初日の画家によるギャラリートークを聞くのは初めて。オープンセレモニーは参加せず、その1時間半後の11時から始まったギャラリトークを聞く。黒い背広姿の男性画家と初々しい大学生受賞者のカジュアルな服装が混ざって会場の雰囲気を盛り上げる。そしてギャラリートークの画家たちの左胸には赤い胸章がついている。

 広い会場であっても人で溢れかえる。初めてのことなのでどこにいればよいかさえわからない。会場入り口に立っていると見ただけで偉い人とわかる人が姿を現す。まずは入り口から2番目の作品からその画家が解説される。次々と画家と絵が変わって解説が繰り広げられる。途中から若手登場。見るからに初々しい。まだ市立大の院生らしい。広島と尾道の市立大の入賞者だろう。広島県はこの2つの大学の影響なのか、若手の日本画家が多いそうだ。どちらも院展同人の画家が教職につかれているからだろうか。

 1時間ほど10人余りの画家が作品について話される。習っている先生も途中、ギャラリートークをされる。ところが司会者が先生をスルーしてしまい、再度引き返してのトークとなった。終わりころは62歳で絵を習われ、今回初入選の画家が話される。この時、近くにいなかったのでマイクを通してのお話しかわからない。あとで知り合いに聞くと某金融機関に関わる人らしく、退職後に絵を習い始められている。その時、習っている先生とその初入選の人とについてお偉い先生から説明が入る。何歳から始めようとその人の絵への入れ込みというか感動が入ればよいようだ。そして習っている先生も15年かかって院展の院友になられたと紹介される。

 トークを聞いた後、ざっと会場の絵を見る。今回も手塚雄二の「新緑の沼」が一番気に入る。この人のクリアファイルと絵ハガキを購入。しかし、これらはどういっても本物の絵ほど感動がない。大きな絵の前に立つと吸い込まれそうになるほど素晴らしい。日本画教室の人もこの絵が一番よかったという。他にも宮廻正明の「位相空間」が良かった。モンゴルかどこかの絵かと思ったら京都だった。

 なお院展のHPを見ると全作品と解説がついてアップされている。これには驚く。以下はそのURL。
http://nihonbijutsuin.or.jp/102/index.html

 昨日は他にもNHK・BSでザ・プロファイラー「“黒い瞳の伯爵夫人”の苦悩~クーデンホーフ光子~」を見る。明治初期に外国の外交官に見初められて嫁いだ光子。実家は古物商。古物が好きだった外交官が店先で光子を見て気に入る。光子の父は放蕩癖があったらしく、嫁ぐ際、外交官側からかなりの金銭が実家に渡されたという。どういってもオーストリア・ハンガリーの領主であった外交官。地位もお金もあった。

 まるでシンデレラのような光子も夫の若死にで33歳で未亡人となる。子どもは7人。8番目の子どものようだと言われた光子。至れり尽くせりの生活が暗転する。その後ヨーロッパの社交界に出て「黒い瞳の伯爵夫人」となる。子ども7人のうち3人は博士号を取得し、さらに他の2人は作家となっている。実際にこのようなシンデレラストーリーがあったとはテレビで知ってびっくり。しかし晩年は次女を手元に置いて自分の世話を焼かせている。次女は学校も行かず自由もなかったという。

 それにしても今週から来週にかけてハードスケジュールだ。泳ぎは日曜日に変更しよう。先日聞いた古澤巌のコンサートで刺激を受けた。古澤巌はテレビイタリア語講座に出演中。イタリア語ではなく、ネットで語学講座を聴こう。最近の講座は本当に優れモノだ。今年一年、疎遠になっている中国語、スペイン語、英語、頑張ろう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月18日木曜日

フグ、フグ、フグ!

フグ刺し

 この時季恒例となりつつあるフグのコース料理をいただく。場所は流川の「藤」。昨夜のメンバーはフルート仲間の7人。まずは付き出しのタコのぬた、その次はメインのフグ刺し。どういってもこの大きなお皿が一人前。続いてフグちり。さらにはその後のフグ雑炊。そしてデザートとなる。ちなみに料金は一人当たり8000円。

 飲み物は全員、フグのひれ酒。お猪口に2杯ほどいただく。はじめの熱燗はフグひれの香ばしい香りがして美味しい。ぬるめよりも熱い方がいい。昭和のレトロ感満載のお店でいただくフグ刺し。もう美味しいの一言。このお店ではフグの肝もいただく。他所の県では肝を提供しないとか。ともあれフグ刺しをいただいて冬を満喫する。

 さて昨日の携帯電話。姪に見つかった旨のメールをするとその返事の厳しいコト。最後に「全てのことに気を付けて!」とある。確かに。そう言われても何も言えない。気を付けよう!

 先日院展のチケットを送った人から久しぶりに逢おうとのメールが届く。社会人大学生の時の院生時代おなじゼミを受講した1年先輩の若いヒトだ。院を修了後、就職、結婚、出産とめまぐるしく変化する人生を逞しく生きている。妻であり、母であり、一人の女性として生き抜く。まだまだ日本の社会では一人3役は厳しい状況にある。頑張っている人は美しい。時に会って若い人から刺激を受ける。これもよいかもしれない。楽しみだ。

 もう一つは誕生月の来月、昨年秋、久しぶりに会った人たちと会う話が決まった。これも楽しみ!それぞれ若い人たち。同年齢の人だけでなく若い人たちと遊ぶのは楽しい。

 そういえば日本画教室からも遊ぶ話が決まっている。これも楽しみ。

 ともあれ今日も楽しく過ごしましょう!

2018年1月17日水曜日

ひとり相撲

 もう完全にひとり相撲の世界に入り込んでしまった。自分の愚かさにあきれる。「正五九月」という言葉がある。これは母が小さい頃から話していた。正月、5月、9月は良くないことが起こるから気を付けるようにと。デジタル大辞泉によると「陰暦の正月・5月・9月の称。忌むべき月として、結婚などを避けたり厄払いのために神仏に参詣したりした」とある。 母はこのことを言ったのだろう。

 昨日はまさにそれが当てはまった、しまった、と思って眠る。今朝、仏壇の母に昨日の失敗談を話す。ところが朝、食事をしようとするとフルート・ケースのチャックに携帯電話のストラップが引っ掛かっている。良かった、携帯電話が見つかったと安心する。どういっても今朝はドコモへ行って新たな電話を購入するつもりでいた…。

 昨日の午前中、眼科へ定期検診に行く。眼圧は11と16。低くなっていた。気を良くして帰宅後、午後は図書館へ行く。図書館から帰るとフルートの練習をする。どういってもさらっている♪ノクターン Op.9♪は8分の12拍子。♪が1小節に12入る。それも♪1拍に32分音符が5個入る所が何か所かある。これは指使いが大変になる。そのうえ綺麗な音を出すとなるとさらに大変。毎日ちょっとずつ練習してもかなり大変。まずはできない箇所を階名で歌って拍とあわせるしかない。練習を終えて夕飯を食べる。

 さあ、それからが大変。携帯電話がない。家の電話からかけると「電源が入っていません」とアナウンス。携帯電話の電源はほとんど切らない。それなのに…。図書館で電話をつかっている。図書館から家に帰る途中、トートバッグから落ちた、そう思った。

 明日でちょうど財布を落として1年になる。その時の財布はトートバッグにチャックがなく、自転車で移動中、バッグから飛び出たらしい。これは警察に届け出があり、すぐに見つかった。それ以来トートバッグを使ってはいけないと思った。それなのに…。それからが大変。まずは警察へ紛失の電話をする。見つかればまた別のところへ知らせるようにとも教えてもらう。その後、ドコモへも紛失届の電話をする。紛失の場合はフリーダイヤルでもすぐに出てくれ、親切に対応してもらった。

 先日、クレジットカードを新たに作ってすぐに解約した経緯がある。ドコモのクレジットも解約しようと思っていた。携帯紛失はこの罰が当たった、と思った。クレジットで買い替えの電話の保証がいくらかついているらしい。ドコモのクレジットはこれにより解約する気も失せる。

 てんやわんやのうちに夜も更ける。けがや病気でなく金銭で済むことは諦めがつく。気持ちを切り替えて今朝はドコモへ、と。見つかった。それにしても一年前の財布紛失を忘れている。トートバッグは廃棄して家で使うバッグはショルダーバッグと決める。我ながら学習能力に欠ける。昨日は元気であっても楽しい日ではなかった。ともあれ今日は元気で楽しく過ごしましょう!

 ブログ投稿後に気付く。ひとり相撲となる原因がある。それは眼科から帰宅後、裏の塀のドアをあけっぱなして出かけた。自転車を置くと、いつも置いているところにシャベルや小さい鍬や花ばさみがない。おかしいと思ってさらに奥に行くといつもと違う場所にスコップが置いてある。さらに余分の瓦数枚の上に置いていたものもない。誰かが庭に入っていたずらした、そればかり考える。これも怪我でなくてよかった。それにしても百円ショップで買ったものを誰がいたずらするのだろう。ちょっと気持ちが悪い。

2018年1月16日火曜日

『海峡を渡るバイオリン』

 今朝の新聞広告に週刊誌の見出しがある。それには「納豆と卵を混ぜ合わせてはいけない」とある。週刊誌の見出しであってもまんざら嘘ではあるまい。そう思ってネットで調べる。納豆に卵を混ぜて卵焼きにして食べている。この何が悪いのか。悪いのであればこの食べ方はやめようと思った。

 ネットによると「卵と納豆の食べ合わせが悪いという原因は卵白に含まれる『アビジン』というタンパク質成分のせいです。このアビジンは、納豆や卵黄に含まれる『ビオチン』というビタミンと結合しやすく、ビオチンが体内に吸収されるのを邪魔してしまうんです。ビオチンとは何かというと、ビタミンB7やビタミンHとも呼ばれ、このビオチンが不足すると、抜け毛や肌荒れの原因になるとされています」とある。さらに読むと「美肌も捨てがたいが、卵と納豆の良い効果も欲しい!という時は加熱がお勧めです」とある。これで納得。https://izakazoku.com/recipe/10828/ (参照)

 納豆は小さい頃は食べたことがなかった。というか、かなり大人になって食べ始める。納豆が美味しいと思ったことがない。それでも納豆を食べると体にいいとか。次第に食べるようになる。

 話は変わって年末年始にかけてとても感動した本『海峡を渡るバイオリン』(陳昌鉉、語り 鬼塚忠・岡山徹、聞き書き 河出書房新社、2002年)がある。もう涙失くして読めない本だった。草薙剛主演でテレビ放送が動画でアップされている。これをネットで見た。しかし、テレビドラマよりも本の方が何倍も感動する。ちょっと長い引用だけど気になる個所をアップしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★きっかけは薬売りだった。ただ、少年の無垢なこころに、単なる好奇心を超えた、バイオリン、あるいはバイオリンに象徴された西洋芸術への憧れを衝撃的に残し、戦争中のささくれだった暗澹たる時代に、音楽という一条の希望の光を差し込んでくださったのは、なんといっても相川先生だった。…バイオリンを弾くのはおろか、楽器を買ったり触ったりすることさえ覚束ない暮らしぶりだった田舎の村に、先生がその楽器を持ち込み、いつしかなじみのある楽器にしてくださるとは、今から思えばまさに奇跡としか言いようがない出来事だった。…先生は私にバイオリンを教えてくださったからだ。まるで夢のような出来事だった。62-63p

★弱い者が自分の弱さに打ち克つためには、飛行機飛ばしや鮎獲りでやったように、誰にも負けない得意な部分をひとつでも持つしかない。…えてして肉体的な強さで迫ってくるいじめっ子に対しては、頭で勝負すればいい。もちろん勉学でもいいのだが、私の場合にはどちらかというと、もっと地に足のついた知恵のことだ。知識と知恵。この二つは異なるものだし、この二つとも備えることができれば、それだけで腕力以上の力を持つことができるはずだ。私はそれを知らず知らず身につけていた。72p

★私にとってやはりバイオリンと出会う機会を作っていただいたことが大きいだろう。バイオリンが多少とも弾けるようになったことも嬉しかったが、さらに言うならば、私でもやればできるのだと自覚できたことがいっそう嬉しかったのだ。…私にとっては、先生が持ってこられたたった1挺のバイオリンが、その後の私の人生を運命的に左右するきっかけを作ったことは間違いない。74-75p

★私が生まれて初めてバイオリンを買ったのは、裏通りの大学書林の前あたりにあった古道具屋だ。…私が買ったのは鈴木バイオリンの四号で、値段も比較的安かった。…薬売りのバイオリンも、相川先生のバイオリンも、私のバイオリンではなかった。それがついに今、憧れだった自分のバイオリンを手にしたのだ。105p

★午前中の授業を終え、学食に行くために、明治記念館講堂の前を通りかかったときのことだ。講堂の前に「バイオリンの神秘」と書かれた大きな立て看板が出ているではないか。弁士は「東大生産技術研究所長糸川英夫教授」と書かれている。糸川英夫といえば、零戦の設計者として、日本んはもちろん世界的にも名の通った有名な科学者、エンジニアである。バイオリンとは縁もゆかりもない人物だ。そんな人物がなぜバイオリンなんだろう。なぜバイオリンの神秘なのだろう?私はまずそこに興味をひかれ、また文字通り神秘を感じた。とりわけ、挫折して以来すっかり遠のいていた「バイオリン」の五文字が私の心をつかんだのだった。112-113p

★教師になる道を断たれ、バイオリンの演奏者としても挫折し、ただパチンコ店のアルバイトに明け暮れ、閉塞状態にあった私にとって、この講演は雷に打たれたような大きなショックをもたらした。暗闇の中に一条の光が射した。バイオリンを弾くのがだめだとしても、バイオリンを作る仕事なら一生を賭けてもいいのではないか、これに青春を賭けてみようかと思ったのだ。114p

★バイオリンを売るついでに神田の古書街にでも行ってみれば、バイオリン製作のヒントになる本の一冊があるのではないかと思い、大学を卒業して以来の東京に行ってみることにした。そして、この上京がまた、私の人生のおおきな転機となったのである。224p

★バイオリンが売れず、浮かない気分のまま、私は母校のある駿河台のK楽器店のバイオリンを売り込みに行った。そしてその店で、私は楽器のブローカーの高木氏に出会った。…彼が連れて行ってくれたのは、当時日本のバイオリンの三巨匠の一人と呼ばれていた篠崎弘嗣先生のお宅だった。…「一挺三〇〇〇円でよければ、全部買い取ってあげよう」私は自分の耳を疑わざるを得なかった。228p

★”…私の勤める桐朋学園は英才教育に着目し、大勢の子供にバイオリンを教えております。ですが、子供用のバイオリンは不足しているのが現状です。もし、貴君にやる気さえあれば、そういうバイオリンをたくさん作っていただきたいのです。そして、できたら、私のところにどんどん持ってきてほしいのです”…篠崎先生のハガキにはさらにこう綴られていた。”そうやって腕を磨いて行ったらどうでしょう”…”木曽から毎回来るのは大変でしょう。東京に引っ越されてはいかがでしょう?つきましては微力ながら、住まいの手配などお力になれますがいかがでしょうか?”230-231p

★私は決心していた。釜山近郊の大静公園墓地にある母のために用意してあった墓に埋葬するときは、自作のバイオリンを弾いて聴かせようと。私が作ったバイオリンの音を母に聴かせることができなかったこと。それが私の最大の心残りだった。307p

★ビアバ氏は来日する三週間前から日本の手作りのバイオリンに興味を示され、東京芸大のバイオリン科主任教授の兎束龍夫氏に、日本で最高の手作りのバイオリンを弾かせてもらえないかと要請していた。そこで私に白羽の矢が立てられ、兎束先生は私を推薦してくださったのだ。それから七年後、私はそのゆかりの地であるフィラデルフィアに向かって、太平洋の上を飛んでいた。315p

★私は全身から血の気が引いた。ジン・チャン・ヒュンというのは、私の名前の英語読みだ。…受賞したのだ。この私が…。…六部門中五部門も受賞するとは。317p

★「今から三〇年近く前、私はバイオリン作りを目指し、朝鮮から日本へ渡り、見よう見まねでバイオリン作りに励んでまいりました…私を生んでくれた祖国の母は、残念ながら先ごろ亡くなり…」…私は懸命にあとを続けた。…「…祖国韓国は私の生みの親であり、日本は育ての親…そしてアメリカは恩人なのであります…」…私がアメリカを恩人と言ったのは、その時ばかりではない。其の八年後の一九八四年、アメリカは私にエールを送ってくれたのだ。アメリアのバイオリン製作者協会から、世界に五人しかいない無鑑査製作者として認定され、マスター・メイカーの称号を授与されたからだ。319p

★人間は、物質的な飢えは我慢できても、夢と希望の飢えは容易に克服できない。生きる意味と希望が見えないとき、人はどうしようもないほどの暗黒、寂寥感に襲われるものだ。そんなある日の放課後、偶然大学の記念館講堂前に立てかけてあった一枚の講演会のポスターに出会った。そう、それが糸川英夫教授の講演である。これが私のバイオリン職人という運命への入り口であった。…講演中、たびたび出てきた言葉が「神秘」「未解明」「不可能」。この三つの単語に、人生と夢と希望に飢えた若き異邦人の苦学生だった私は、どれだけ血潮をたぎらせ、果てしない魅力をかんじたものか。…私は迷わず「俺はバイオリン作りに青春を賭けてみるぞ。この道よりほかに道なし」と自分を説得した。334p(陳昌鉉 エピローグ)

★バイオリンは音楽を表現する道具であると同時に、ほかの楽器にはない芸術的な美観を兼ね備える。…高い次元の芸術の世界では、人間が人間から教わる知識や技術には限界がある。高度な技術や芸術は、自分が本来持っている感性を研ぎ澄ませ、たゆみない努力を重ねることによって、創出または発見する以外にない。私は師匠を求めて大自然の懐深く分け入り、地球村のあちこちを放浪しながら、自分の感性と感覚を磨き、思考を進化させ、視野を広げていった。335p(陳昌鉉 エピローグ)

★中国の詩人蘇軾の詩に「是処青山可埋骨」という句節がある。…両国の人々、そして職人たちの心の絆と誇りを喚起し、それが今後の両国のなお一層の相互理解に多少なりとも寄与出来るのであれば、これに勝る喜びはない。たとえどれほど叶いそうもない希望であろうとも、情熱をもって真摯に取り組み、根気強く頑張り続ければいつか必ず道は開けるのだということを、私からのメッセージとしてここに記しておきたい。337p(陳昌鉉 エピローグ)

2018年1月15日月曜日

古澤巌「サン・ロレンツオを弾く」を聞く

 三原ポポロホールで開催された「音楽との出会いⅢポポロでバッハを弾く」から古澤巌「サン・ロレンツオを弾く」の演奏会に出かける。

 昨日の古澤のブログには「三原ポポロ」と題して次のように書いてある。

音がいい。サン・ロレンツォと。 バッハという巨大な課題をくれたポポロ。 学んだ。ありがとう。まだまだだけど。 (来々軒素晴らしい…)

 また一昨日は「バッハ×サン・ロレンツォ」と題して以下のようにある。勝手に引用させてもらおう。

白寿と宗次。
4回弾いた。
こんな楽譜を書くバッハ。
ビバルディも、写譜するより速いペースで作曲を。
音楽。バイオリン。バロック時代。
唯一、雅楽の次に認識されている音楽。
明日は三原ポポロ。全てはここから…
名古屋はミゾレから雪。
サン・ロレンツォと寝る。

 素晴らしい演奏会だった。演奏曲目は次の通り。いずれもJ・S・バッハ作曲。

♪無伴奏ヴァイオリンソナタ 第1番ト短調BWV1001
♪部伴奏ヴァイオリンソナタ 第2番ィ短調BWV1003 
♪部伴奏ヴァイオリンパルティ―タ 第2番ニ短調BWV1004

 この後、アンコール曲が演奏される。何の曲名かは聞き取れなかった。だが第三楽章だけは聞き取れた。

 聞く側からすれば似たような曲。それを暗譜で弾く。これだけでも驚き。無伴奏なのでもちろんソロでヴァイオリンを弾く。時に面白おかしく話す。ヴァイオリンに関することを聞いて知らない世界を垣間見る。昨年秋の演奏会は堀米ゆず子。古澤に言わせると堀米は小学3年生でバッハを弾きこなし、習っている先生よりもうまく弾いたそうだ。ほかにも古澤が桐朋学園で学んでいた時、外国からやって来たヴァイオリン奏者のバッハの演奏を聴き、演奏後余りのすばらしさに立ち上がれなかったという。後にも先にもそういう経験はないそうだ。このヴァイオリン奏者の名を聞いたけど会場の音響が素晴らしく、はっきりと聞き取れなかった。他にも聞いたこともない外国人の名前はわからず仕舞い。

 使用楽器のサン・ロレンツオはストラディヴァリスの1718年製。もらったプログラムには「ストラディヴァリとグアルネリ・デル・ジェスの名作に、最近の市場価格で20億円という言い値がついた。そんな、幻のような銘器を駆使する国際的名手二人を、音響の良さで定評のあるここ三原市のポポロホールは、バッハの名作引き比べの催しとして招聘した。『信じがたいような快挙!』としか、評する言葉が見つからない」と中野雄が書いている。

 ともあれ、素晴らしい演奏会だった。ただ、三原市外からの人が多かったのか演奏後の無料バスが1台では間に合わず、送り届けた後に引き返したバスに乗る羽目になる。そのため予定していたJRに乗り遅れた。どういっても広島から1時間の距離の三原であっても広島のようには交通の便が良くない。結局40分間、駅で待つ。とはいっても広島からだと東は三原、西は岩国までは市内感覚で出かけやすい。またいい演奏会があれば出かけよう。それにしても古澤が入った来々軒、行ってみたい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月14日日曜日

スーパープレミアム「ぐるっと赤道3時間スペシャル」&日本画

 やっぱりテレビは生放送がいい。昨夜のスーパープレミアム「ぐるっと赤道3時間スペシャル」、これは見ごたえがあった。番組HPによると「赤道直下に暮らす『熱い人々』とドローンが捉えた『大絶景』 、そして「すべての生命の源である太陽のエネルギーが集中する赤道は、豊かな森や青い海が美しい『もっとも地球らしいところ』。番組では、宇宙から撮った赤道の絶景を、国際宇宙ステーションに滞在中の金井宣茂・宇宙飛行士のメッセージと共に紹介。ドローンでの疾走感ある空撮や、ゴリラの生息する森や赤道上の氷河など、珍しい映像も盛りだくさんでお届けします」とある。

 エクアドルは「赤道」の意とか。そのためかエクアドルを取り上げる。エクアドルと言えばバナナのイメージ。はっきりとどのあたりがエクアドルなのか見当がつかない。あとで調べよう。先日出かけたインドネシアも赤道直下にある。ゲストの油井宇宙飛行士は赤道は何色か?と問いかける。赤道だから赤ではなく白だそうだ。雲の白らしい。雲は雨をもたらす。これが資源の恵みとなって樹木が茂る。ヒトが生活するにはもってこいの場所らしい。

 ゲストの羽田美智子はいいことを話していた。「必要なものはタダである」。これらは太陽、水、空気、風、雨などすべては自然からの恵み。確かにそうだ、と思って聞く。これらの恵みがあればヒトは生きていける!?

 宇宙からの中継を交えての放送は地球が一周するのに90分との実感が放送をとおしてもわかった。先日広島で土井宇宙飛行士の話を聞いた時もそう話していた。宇宙から地球を眺めれば地球の至る所がおなじ明るさではない。アメリカやヨーロッパなどは明るく見える。しかし、アフリカはそうではない。これは電力消費にもよるとか。暗い地域では電力消費が少ないだけでなく紛争によることも考えられるという。赤道直下の人々の暮らしも良い面ばかりではない。悪い話ではお風呂に入って番組を見ていない。どちらも見ないといけないがあまり真剣に物事を見るとその夢を見そうだ。

 話は変わって昨日の日本画教室。今年始めての教室は先生から院展の招待状をいただく。新年に届いた年賀状に「展覧会があれば知らせて…」と寄こした人がいた。この人に早速チケットを2枚送付する。年賀状に記した自分の画。まだまだだけど少しでも上手に描けるように絵を続けよう。昨日は樹木の根っこの部分の伐採した木の箇所を根が張ったようにアレンジして描く。先日来から外に出かける度に、木の根っ子の写真を写す。その一枚からアレンジして描く。何とか出来上がるとこれに水彩で色を塗る。本画には元の教室に戻ってからになりそうだ。それでもかなり樹木の根っ子の絵が気に入る。思わず先生に「これは本画にします」と言ってしまった。

 時間があるので新たなデッサンを、と思った。先生曰く、「今やっている絵を完成させてから」ということで以前ンデッサン中の蓮の蕾の部分を入れる。これは平和公園の平和の鐘あたりの睡蓮の池で写真を撮って…と聞いていた。しかし、平和公園のどのあたりに平和の鐘があるのかさえわからない。温かくなれば探してみよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月13日土曜日

♪乙女の祈り♪

 野菜の高騰が続いている。見知らぬ人のツイッターに「野菜が高いんではなく、収入が低いんです」とある。そうかもしれない。収入が多ければ、少々高くても野菜を買うだろう。キャベツ398円、ホウレンソウ298円は貧乏人が買える金額ではない。仕方なくかぼちゃ、もやし、ピーマンに定番のジャガイモ、ニンジン、玉ねぎを購入する。何でも買うときは自分なりの基準がある。これを超えると買わないというか買えない。

 話は変わって図書館で『婦人公論』を読む。ねじめ正一の記事に目がとまる。「今もまだ、目が覚めると母を思って涙が出てしまう」と見出しにある。この人は優しいのだろう。親が亡くなって何年間かはこの人のように何かにつけて涙が出ていた。しかし、それもいつしか出なくなる。とはいってもその頃のことはいつまでたっても鮮明に覚えている。

 次に目がいくのはマサイ族の第二婦人となった人とマサイ族。二人並んだ写真が記事を飾る。一年弱前に屋久島へ出かけた。その時の添乗員が第二婦人となった人と添乗員仲間と教えてもらった。その人が永松真紀。ときどき日本に連れてきては二人で講演会を開いているようだ。

 それにしてもいろんな生き方がある。マサイ族からすれば野菜の高騰がどうじゃこうじゃと言ってもそれが?と言われるくらいかもしれない。二つの記事に気を取られたのか今朝はそれに関連するような夢を見ていた。一つは母の夢。まだ若い頃の着物姿の母が雨の日に「開けて、開けて」と何度も言う。こっちとしては今の私がいる。電気をつけてエアコンをつけて外を見るが返事はなくただ「開けて」とだけ言う。なかに入れるとスーッといなくなる。夢とはこんなもの。次は永松真紀に影響されてか旅の夢。外国の宿で午前9時になる。出発時刻をとっくに過ぎている。しかし、何も支度をしていない。変な夢だった。

 夢ではなく昨夜の「ラララ クラシック」。またもポーランドの話題。♪乙女の祈り♪。これはポーランド人のテクラ・バダジェフスカが作曲している。しかし、日本で有名な曲であっても本場ポーランドでは無名の人らしい。日本在住のポーランド人が母国で調べて作曲家の記念碑を探し出す。手には楽譜を持っている。探し出した頃は殺風景な記念碑も今では花が手向けられている。作曲したころは楽譜を手にして売り歩いていたそうだ。しかし、この曲は日本では誰もが知っている。興味深い番組だった。

 それにしても寒い!今朝は特に寒い。最低気温マイナス3度らしい。だが、雪が降らず、毎日日差しがある。それだけでも寒さが和らぐ。


 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月12日金曜日

ザ・プロファイラー「夢と野望の人生」&素潜り

 昨夜のザ・プロファイラーは「夢と野望の人生」でガウディを取り上げる。番組HPによると「サグラダ・ファミリアの建築家として知られるガウディ。当時の建築界の常識を打ち破り、ゆがんだ形や派手な色を多用した。そこには、自然界にある形や色を建物に取り込むことで、建物を自然と調和させたいという思いがあった。なぜそんな思いを抱いたのか?そして、若い頃『俗人の建築家』であったガウディは、いつしか『神の建築家』になっていく。何があったのか?」とある。

 ガウディといえばサクラダ・ファミリア。これも初めはガウディが建設したのでなく途中から建設に加わる。しかし、300年ともいわれる完成までの年月。現代の技術力でガウディ没後100年となる2026年完成予定とか。完成時にスペインへ行くとなるとパスポートを書きかえねばならない。まだ元気が残っていれば再度、スペインへ行こう。

 建築学科を卒業しても仕事が舞い込まなかったガウディ。ところがその頃に開催されたパリ博で依頼された展示ケースがある人の目に留まる。博覧会中で一番よいとの評価をしたグエル。この人はお金持ち。グエルはガウディに仕事を依頼する。なかでもグエル公園がある。しかし、その時はすでにグエルの景気も傾きかける。ということでグエル公園は思ったようには完成できぬままだった。

 ガウディはサクラダ・ファミリアを手掛ける前までは宗教批判をしていた。ところが人から受け継いだファミリアの建設を手掛けるうち、キリスト教に深く入り込む。ファミリアの建築においても聖書にある事項を取り入れる。建築中は自身が建築作業者と同じようにして働き、朝は教会に出向く。しかし、次第に老いていく。朝早く教会に行く途中、よろよろとして車にはねられる。横たわる老人を見た人は身なりから浮浪者と見間違う。3日ほどたってやっと病院へ。亡くなったのは73歳だった。しかし、街中に死を悼む市民で溢れかえったという。ガウディの遺体はサクラダ・ファンリアの地下に眠る。両親や兄はモンセラット山に眠る。

 番組ゲストの一人、ジミー大西はグエル公園やモンセラット山などの話をする。グエル公園やサクラダ・ファミリアがガウディと関係あるとは知っていてもモンセラット山もそうとは知らずにいた。ともあれ、スペインへ行ってから6年半が経過する。月日の経つのは早い。2026年もあと8年後だ。きっとまたすぐにその日もやって来るだろう。元気でいれば再度スペインへ。

 元気といえばプール。昨日は小雪が舞って寒かった。朝から泳ぎに行く気になっていた。ところが図書館へ行く途中からお天気が良くない。かなりためらった挙句、やはり泳ぎに行く。寒さでプールも少ないと予想した。ところがそれに反して人が多い。1キロ泳がずに700mで泳ぎをやめる。プールから出る直前、浅い方で素潜りをするとこれまでで最高の20m近くまで泳げた。もっと頑張れば25mを素潜りで泳げそうだ。

 この時、手は使わず、もちろん息継ぎもしない。ただ足だけで前に進む。いつもよりも左足に力を入れて蹴ると前に進む。どういってもクロールではほぼ手だけで泳いでいる。もっと足を使って泳ぐようにすれば速く泳げるかもしれない。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月11日木曜日

NHK・BS「400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る」から

  昨夜のNHK・BS「400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る」を見る。支倉常長の名は知っていてもその詳細を知らなかったモノにとってはとても興味深い番組だった。番組の取材中に一大発見がある。支倉と共に使節団として送られたうちの一人、伊丹(?)。東大の専門家によるとこの人の洗礼の正式名がわかれば他のことへと結びついて「大発見!」という事実に行き当たるそうだ。番組欄を見ると「400年前、支倉常長の慶長遣欧使節。歴史学者も驚く新事実が明らかになる。使節の一員が歴史の鍵を握る人物だったと判明。さらに、世界各地に存在する使節の末えいとは」とある。

 番組の内容は「400年前、仙台藩士・支倉常長が率いた慶長遣欧使節。主君・伊達政宗の命で、7年かけてメキシコ、スペイン、ローマで外交交渉を繰り広げたが、あえなく失敗。いまだ多くの謎を残した使節団だ。それが今回、歴史学者も驚く新事実が明らかになる。使節の一員の中に、17世紀の日本史に新たな見地をもたらす人物が含まれていた。そして自らが使節の末えいだと伝え聞く人々の存在。世界各地に影響を与えた慶長遣欧使節の全貌に迫る」とある。そこには大浦天主堂、正式名は日本二十六聖殉教者堂とのかかわりがあった。

 大浦天主堂へは中学校の修学旅行に行っただけでこういう歴史的なことは何も知らずにいた。さすがに90分の番組。伊達政宗がどうじゃこうじゃと歴史上の人物名はわかっていても何も知っていないと改めて気づかされる。この番組のように学校で歴史を教えてもらっていれば…と思えてくる。これも過ぎ去ったこと、あまりぶつくさ言うまい。

 伊達政宗の使節団としてメキシコからイタリア、そしてスペイン。帰国の際はフィリピンにも寄港している支倉常長の慶長遣欧使節。スペインのある街では「ハポン」と名乗る姓の人たちが多い。この「ハポン」はスペイン語で「日本」の意。支倉と出かけた使節団のうち、日本に帰国せずスペインにとどまった人がいる。その人がスペイン名を名乗る時、国名を名前として付けたという。その街(コリア・デル・リオ)に数年前、支倉の13代目の子孫が訪問する。しかし、今13代目は事故から意識不明の状態のまま2年が経過。その子供の14代目が番組に登場する。

 支倉常長は使節団としてメキシコに着いた際、これからの交渉に有利に働くとの考えから洗礼を受ける。しかし、これも次第に本格的なクリスチャンへと変化する。しかし、スペインの王との交渉はうまくいかず失意のうちに帰国。帰国後1年して支倉は亡くなる。どこに遺骨があるのかさえわからない状態らしい。

 支倉とともに帰国しなかった3人のうち松尾太源がいる。支倉常長は松尾という姓の妻を迎えている。そのことと関係するのか大浦天主堂の今の大司教は松尾の子孫だと話す。支倉のふるさである支倉という町の古い地図を調べると隣町は松尾となっている。ということで大浦天主堂と松尾、そして支倉は関係があるようだ。

 大発見の件ではうろ覚えなのでここでは省略。もう一度見て確認したい。支倉常長をとおしてこの時代の一端がよくわかる。うろ覚えの箇所は使節団の一人、確か伊丹なにがしかの洗礼名がわかると東大の先生がこれに関することが大発見、と話したように思う。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 後日、伊丹(?)について思い出す。この人が大浦天主堂、正式名は日本二十 六聖殉教者堂の殉教者のうちの一人を日本に連れて来ていた。その人が大浦天主堂の初めの頃の司祭だった。多分これが大発見?だった、と思う。

2018年1月10日水曜日

♪ノクターン Op.9♪


 


 今年のフルート習い初めはショパンの♪ノクターン Op.9♪。練習する際、これはかなり手こずりそうと思った。ところが、メトロノームに合わせて指使いの早い箇所をまずは階名で歌ってみる。口に出した音とメトロノームのカウントが合わなければいくらフルートと合わせてもそれは無理というもの。こうやって練習すると吹けない箇所もなんとか吹けるようになる。そのうえで先生にさらってもらうとその時はなんとか吹けそうと思える。

 昨日はICレコーダを持参せずにレッスンする。難しい箇所はICに録音してさらうのがいい。次回は気を付けよう。ショパンのこの曲は元はピアノ曲。ピアノは指10本を使って速い指使いも弾きこなせる。ところがフルートは口一つを速い音符に合わせねばならない。はじめはゆっくり練習して間違いなく吹けるようになれば速度をあげよう。

 ということでフルートの動画とピアノ演奏の動画をアップ。この曲はピアノ演奏の美しさに軍配が上がりそうだ。フルート演奏の動画はさらっている楽譜と同じようだ。それにしてもやっぱりかなり練習しないとうまく吹けそうにない。

 ポーランドへ行った際にショパンのグッズ売り場で現地通貨を使い果たすため、眼鏡ケースを買った。今になってCDも買えばよかったと残念な気持ちがする。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月9日火曜日

「戦場にかける橋」

 雨の日はおとなしく家で、と思いつつも近くの図書館へ出かける。1年くらい前になるだろうか、図書館の貸し出しが一人5冊から10冊になった。それ以来、予約してもなかなか順番が回ってこない。先日何となくテレビを見ていたら東京のある図書館では一人30冊まで貸し出すという。広島と東京では都市の規模も比べようがない。とはいっても30冊とは…。地方と都会での貸し出し数には雲泥の差がある。それにしても予約確保はすぐにできるのだろうか。まあ、図書館1館当たりの蔵書数も多いに違いない。

 いいテレビ番組がない。そう思って本を6冊ほど手当たり次第に借りて帰る。読むジャンルが決まっている。これを打破しようと思い、他のジャンルの本を探す。昨日は社会学の類の本を借りる。寒さの続く1,2か月間は本に没頭してもいいかもしれない。

 午後はBSシネマの「戦場にかける橋」を見る。♪クワイ川マーチ♪のテーマソングで有名だ。ビルマとタイにかかる泰麺鉄道。史実をもとにした映画らしい。日本の軍人である斎藤大佐とイギリスのニコルソン大佐。イギリス軍は日本の捕虜となる。この二人のやり取りに興味をそそられる。齋藤大佐はイギリスの大佐であっても作業につかせようとする。しかし、イギリス軍の大佐はこの規定がないと言い張る。結果、橋の完成はこのままだと期限に間に合いそうにない。齋藤大佐は幽閉したイギリスの大佐を呼び寄せ再度話し合う。イギリス軍には橋の技術者がいる。今のままでは土壌が悪くて橋の建設は不可能というイギリス軍。齋藤大佐はイギリスの大佐を筆頭にして技術者も加えてイギリス式で橋の建設作業に置き換える。こうやって期限内に橋は完成し、斎藤大佐も施行できたことで死を免れる。

 それにしても自分が生まれる何年か前のお話。実際にそういうことがあった…。ビルマ(ミャンマー)もタイも行ったことがある。しかし、戦争当時のことは今一歩理解できない。この泰麺鉄道はその後どうなったのだろうか。気になってネットで調べるとこの一部は観光地となっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月8日月曜日

『旅人よ どの街で死ぬか。』

 今週のお天気を見ると雨や雪の日が多い。大寒を目前にして本格的な冬が来る!?なぜ大寒にこだわるのかといえば、お寺から参られる寒行のお布施の用意のためである。新年を迎える度に「今年の大寒はいつ?」と調べるようになった。はやばやと玄関先にお布施を用意する。

 今日は成人の日。半世紀くらい前の成人式。人生で一番暗い時期を過ごしていた。当然成人式は欠席。式と名がつくことはほぼ皆無の人生を過ごす。入学式や卒業式は出席してもあまりよい思い出がない。人生最後の葬式も本人には到底わかりようがない。新年早々、縁起でもない話題はやめよう。

 式とあればそれは特別な日。毎日のことではない。その日だけのことよりも毎日が大事。成人式の新聞記事を見て若き日を思い出す。そのころを思えば今は何だってやれる。人生の前半は良くなくても後半は楽しみがいっぱい!悩む若者がいれば「人間長く生きてればいいこともたくさんあるよ」と教えてあげたい。

 一昨日夜、初めて就職した会社の人と電話で話す。スキー、スケート、ボーリングと当時はこれらのスポーツ花盛りの時だった。IT時代ではないアナログ時代の職場は朝からのんびりしていた。まずは何処へスキーに行ったなどの話題が全盛だった。運動音痴は人の話をただ聞くだけ。しかし、電話で話した人はその時代を謳歌していた。ところが今はスキーのやりすぎで膝や腰が良くないらしい。何もしていない頃の私を知っている元同僚は今、動いている様子を見て羨ましがられる。どういっても痛いところがない。

 若い頃、何でもやっていたら今ほど動いていないかもしれない。人生前半の元を取るつもりはない。しかし、底辺にはその考えがあるのだろうか。

 以下は昨日読んだ本からの抜粋。この本でもポーランドが出てくる。アウシュビッツ収容所を案内する日本人は私たちも案内してもらった中谷さんのことだろう。抜粋した中でも特にこの文がいい。「”弧”を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである」。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 『旅人よ どの街で死ぬか。』サブタイトルは「男の美眺」(伊集院静 集英社、2017年)から。

★ 近世のヨーロッパで、グランドツアーという名称がつけられた旅が流行したとき、その謳い文句には、「人間として生まれてきて、もっとも至福なことは、旅をすることである」とありました。~私は旅をしたことで私の体に、記憶に、今もきちんと埋めこまれている旅の日々が他の行動では決して得ることのできなかったことを、確信できます。24-25p

★私の旅の基本とはどんなものか。~すべてを実感だけで捉えるのが私のやり方です。~そのいい例が第五章のポーランド、アウシュビッツの旅です。29p

★その街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体のなかに、その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。30p

★なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。”弧”となりえないからである。~”弧”を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである。34p

★想定する生には限界がある。所詮、人が頭で考えるものには限界がある。想定を超えるものは、予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。43p

★人間は焦がれる生きものである。彼は焦がれていた。崇高なる精神がそこにはあざやかにあった。美しい旅人であった。人が何かに焦がれるのは、私たちの生が哀切であふれているからである。64p

★ルソーがなぜゲルニカを世界の理想と言ったのか。ゲルニカは町の中心に一本の樫の木があり、五百年近くの間、この木の下に人々が集まり、あらゆる問題を合議し、決定してきた。イサベルとフェルナンドが結婚し、大航海時代のスペインが誕生する以前から、この共和制の原形を人々は存続させていた~。~一本の木を見る旅をぜひおすすめしたい。91-93p

★ー何かを手に入れたものは何かを失う。自明の理である。旅を続けている限り、失うものはない。しかし失わないことが旅に求める安堵であるのなら、その旅は愚かな行為でしかない。
流れる水を見て思った。
ともかく旅を続けるしかない。127-128p

★ヨーロッパ大陸を飛行機で旅し、窓から大陸を見たことがある人は、初夏にレモンイエローの花を咲かせた菜の花畑の美しさを知っているはずだ。148-149p

★この旅のなかで取りあげなかったが、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねた。見ておくべき場所だから出かけた。私をむかえてくれた日本人の案内人は物静かで温和な人だった。収容者たちが列車から降ろされ、歩かされた道を案内人と歩いた。折からやわらかな初夏の風が吹いて流れ、路傍の野花を揺らしていた。かつてここが殺戮の場所であったとき、花は咲いてもいなかったろう。収容所で目にしたものは、予期したとおり私たちが見ておくべきもの、知っていなくてはならないものだった。黙示であってはならないものである。残されたものたちが立証しているのは、これがまぎれもなく人間がなしたものであるということだ。~過ちをくり返すのが人間だとしたら、人間はどうしようもない生きものである。-そうかもしれない…。207p

2018年1月7日日曜日

広島県日本画協会選抜展&パソコンの不具合

 先日からパソコンの調子が悪い。そのため、ブログアップがない日であっても決して人間の体が壊れているわけではない、と断りを入れてブログを入力する。

 昨日は広島県日本画協会選抜展の講演を聞きに泉美術館へ行く。会場までエレベータに乗ると講師と顔なじとみの人と出会う。新年早々なんとおめでたいと思って会場へ。今回は県内16人の先生たちの展覧会。講演開始まで絵を見る。習っている先生とも出くわす。どの人も100号以上の大きさの絵。見ごたえがある。日本画は西洋画と違ってシンメトリーでないとか。それは絵だけでなく日本的なものすべてがそうらしい。言われてみれば写真を写す際も左右対称にしない方がいいと以前誰かに教わった気がする。

 いろいろといいお話を聞く。しかしパソコンの機嫌を伺いながらの入力であまり長くは書けそうにない。ただ講演で知った「気韻生動」や広島県の初期日本画家である田中頼璋(たなか らいしょう)をネットで調べるが、ここでは割愛。どういってもパソコンの調子が悪い。

 昨日は他にも九州から新年の寺報が届く。その中に皆で行ったスコタイ遺跡の集合写真が掲載されている。これを見て再度、楽しかったタイの旅を思い出す。そういえば、タイで知り合った人たちからも年賀状をいただく。有難い。

 寺報を読むと体が壊れてしばらくは海外に出られそうにないとか。パソコンだけでなく、体が壊れてくる年代となった。個人的には元気そのもの。あまり元気自慢をしているといつどんでん返しが来るかわからない。パソコンが壊れるくらいはまだいいとしても…。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月6日土曜日

『知的巨人たちの晩年』

 昨年末に旅仲間から1通のメールを受け取る。それは本の話。いただいたメールの端々から興奮気味にその本について書いてある。届いた日は図書館も開館日。ネットで本を検索すると広島駅近郊の図書館に紹介された本がある。しばし考えた挙句、そこまで借りに行くのは諦めて予約する。昨日、その本が地元の図書館に届く。すぐさま図書館へ出向いて本を借りた。

 教えてもらった本はネットで著者を検索するとご本人のブログがある。これを見ていたので大凡どんな人かはわかる。それでも人が推しの本だ。図書館で入手するや否やあとがきの方から読み始める。サブタイトルが「我が魂の遍歴」とあって、並の人生ではない。まあ、平凡であれば本にもならないが。

 旅仲間の人もいろいろと活動されている。そのうちの一つがテレビで取り上げられたという。それを見て本の著者が入会される。そこで知り合われて「本」を教えてもらったそうだ。何がきっかけで人と知り合うかわからない。ともあれ、教えてもらった本を一気に読む。年齢的にはだいぶ上の人だけど本を通して知る限り、その人の行動力には驚かされる。そして刺激を受ける。

 刺激といえば年末年始、暇を持て余して読んだ本にもある。以下はそのうちの1冊。またいつものように気になる個所をアップしよう。『知的巨人たちの晩年』、サブタイトルは「生き方を学ぶ」(稲永和豊 講談社、1997年)。

★歴史を振り返ってみると、旅を愛し、よく歩いた人物ほど、長寿を全うし、しかも実り豊かな晩年を送っているという事実に、あらためて気づかされる。江戸時代だけをとってみても、益軒にかぎらず、…伊能忠敬、また水戸黄門の名で親しまれている徳川光圀など、その例に事欠かない。44p

★人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行い悔多し。人生の理も楽しみもいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云。是亦、不幸短命と云えし。長生すれば、楽多く、益多し。日々にいまだ知らざる事をしり、月々にいまだ能くせざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生きせざれば得がたし。55p

★現代の医療のあり方についても、ただとにかく寿命を延ばせばいいというのではなく、こころの底から充足して長生きできることを理想とするような方向に、発想を転換していく必要がないだろうか。大事なことは、いかに死ぬかではなく、残された人生をいかに生きるか、この一点につきる。どうか思う存分にやりたいことをやり、心ゆくまで日々の生活を楽しみ、悔いのない人生の完結を目指していただいきたいものである。255p

★ハーディ・パーソナリティーの3C.
第一のCは「コントロール(Contorol)」である。早くいえばセルフ・コントロール、自己管理のことである。他人の意見や世相にふりまわされるのではなく、自分の行動や自分の将来、環境などを、あくまで自分自身の自由意思によって左右していく。それができるという信念を持つことが大事である。

第二のCは「コミットメント(Commitment)」。自分たちの生活において関係のある事件や活動や人々に対して関心を寄せたり、熱心に関わったりすること」である。

第三のCは「チャレンジ(Challenge)」。保身に甘んずるのではなく、新しい状況や変化に立ち向かっていこうという姿勢である。チャレンジ精神のある人は、「なにか真に価値あるチャレンジをするときがきたら、あなたの経済的な安全を犠牲にすることができますか?」という問いにも、イエスと答える傾向があるという。

この三つのCを備えたハーディー・パーソナリティの人たちは、ストレスを受けた場合にも、よく健康を維持することができるとされる。その理由は、ストレスの原因に積極的に対処できるので、動揺することがあまりなく、それゆえストレスが病気に結びつく可能性が少なくなるからだというのである。262ー263p

★この書物に登場する人物から晩年を生きるヒントを与えられたことは、真実、私にとっては幸いであった。読者の方々にも、勇気と活力を与える人物を見出していただくことを、心から期待している。(あとがき) 

2018年1月5日金曜日

「時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説」

 昨日は泳ぎ初め。さすがに今年のプールの初日とあって人が少ない。気分よく泳ぐ。年末年始、暇さえあれば何かを口に入れる。年末にこれは体に良くないと思い、食べる量を減らす。お蔭で昨日は体も軽く感じられて泳ぎも楽。冬になると暑い季節よりも動きが鈍る、ましてや若くない。新陳代謝も悪くなると動かずに食べることが一番の致命傷。かなりセーブしていても飲み物や食べ物が口に入る。本当に困ったことである。

 テレビは面白くない。じゃ、ラジオをと思って聞くとさすがにお正月。FMであっても邦楽三昧。聞くのも嫌なので究極はラジオ第二放送。これは年中、ほとんど語学番組。まだわからない語学を聞く方が気も落ち着く。これも長くは聞けそうにない。ではパソコンで、と思うが年末にわけもなくパソコンの調子が悪い。あまりにもパソコン依存が良くないんだと思い、新年は少しセーブする。次は本をと思って図書館で借りた数冊を読み漁る。お蔭で本はよく読んだ。

 とはいってもテレビの究極は2日に放送された「時空超越ドラマ&ドキュメント 美子伝説」。これは面白かった。美子とは明治天皇の后。明治天皇の周りには女官が1000人いたという。この女官たちを仕切るのも皇后の役目。美子と天皇との間には子供はいなかった。そのためかどうか天皇と側室との間には15人の子どもが生まれる。1番目と2番目の側室は子どもを産んですぐになくなる。これも誰かの陰謀が働いたらしい。廊下に油を塗り、転びやすくしてあったという。

 番組紹介によると「二十歳前に明治天皇のきさきとなった美子皇后。住み慣れた京都を離れ東京に移り、新国家を代表する女性としての使命を担うことになる。その美子皇后の実像とは?番組では野心あふれる新聞記者が、皇后のさまざまな謎に挑んでいく。歴史上初めてドレスを着た皇后、その背景には何があったのか?日露戦争に際し、皇后が見た不思議な夢とは?宮中での生活をみつめながら明治を駆け抜けた美子皇后を描く」とある。

 美子は体は飛び切り小さくても西洋のしきたりを取り入れる明治期にあって天皇よりも気持ちの切り替えが速かったそうだ。気が強い人だ。途中、お風呂に入ったりしてしっかり見ていない。再度見たい!ともあれ、わずか150年前の日本の状況を垣間見るような番組だった。とはいっても今とは隔世の感がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月4日木曜日

ふたたび招福五福笹

 ブログを開始して8年半。名もないブログであっても時にメディアの脅威に気付かされる。昨夜のBS1 スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」の閲覧数が午後11時から午前零時にかけて99人となっている。10月25日にこのことについてブログに投稿した。その閲覧者がこれほどとは…。そういえばダグニーさんのURLを人のブログで検索して見つけ出したことがある。そう思えば検索で引っかかるのも当然かもしれない。昨夜は再放送だった。

 年末年始の海外旅行者は毎年のことながら多い。東京に住む姪も年末の仕事を早めに切り上げて年末年始に旅行をしている。昨日、楽しかった旅の様子をメールで知らせてくれる。行き先はモンテネグロ、マケドニアなどのバルカン半島。モンテネグロと聞いた時、どこの国?とピンとこなかった。治安は大丈夫?とかいろいろと思ったけど、まったくその気配はないらしい。ともあれ、元気なうちは何処へでも行けばいい! また勝手にブログに載せよう。

 「バルカン半島、4カ国全然違って面白かったよ。マケドニア、アルバニアとワンコがおとなしくて、付かず離れず案内してくれる。可愛くて、ワンコ入れて写真撮るのが楽しかった。マケドニアは鎖国していたし、イスラム教のトルコ色強くて、独特。安全だけど。ほかの国は正教で、風光明媚。ベオグラードだけが都会だった。クリスマスマーケットでのホットワインが温まって美味しかった。正教会がどんなものなのか分かったのは大収穫」。

 昨日の招福五福笹をしばし眺める。「この笹は、五枚の葉がつくことから五福笹と呼ばれます。古来、五つの福を招き寄せる笹として、お正月に福の神より授かります。健体康心・福徳円満・福禄栄昌・縁結事成就・心願成就など幸せを招き寄せる縁起物です。家族の皆さんがお集まりになる場所へ掲げて新しい年の福をお受けください」と書いてある。これを見ていいモノをいただいたと改めて思う。

 ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月3日水曜日

招福五福笹&ハウライトターコイズ

 お天気も良く、元日早々から出歩く。元日はお墓参りの後、地元の氏神様へお参りする。昨日はここ数年、新年の行事となった感がある神社に参拝する。そして駅前のデパートで買い物をする。お菓子売り場に立ち寄ると福袋がある。これは長く生きて初めての経験。お菓子処高木で一袋買って帰る。

 駅から出ている専用のバスに20分乗車すると目的の神社に到着する。階段を登るとまずは貴石入り御神籤をひく。大吉だった。なかにはハウスライトターコイズ(藍宝石)が入っている。これはトルコ石で「危険を察知し身代わりになってくれる」とある。参拝後、お神酒をいただく。例年ならば長蛇の列。しかし、今年は人が少ない。お神酒の後、招福五福笹なるものをいただく。以前、五福笹を持っていた見知らぬ人と話してそれをもらったことがある。今年は自分自身が神社からいただいたので嬉しさも倍増する。気分良くして神社内の茶店で甘酒もいただく。お天気も良く、お神酒と甘酒をいただいいた後は福笹をもっていそいそとデパートに出かける。気分は上々で何でも買いたくなる。結果はブラウスとパンツを購入。まあ、これも買う気があるうちが花かもしれない。五福笹は家の中で皆が集まるところに飾るといいらしい。笹には5枚の葉っぱがついている。だから五福笹!?
神社でいただいた招福五福笹と貴石入り御神籤

 スウェーデン人のダグニーさんのブログ。クリスマス休暇後、28日からブログがアップされている。29日のブログに「健康は富よりも大きな恩恵です」とある。105歳まで生きてこられた人の言葉の重み。今年もダグニー・カールソンのブログを励みにして毎日を過ごそう。

 ともあれ今日も、そして今年も元気で楽しく過ごしましょう!(今日から「元気」を加える)