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2018年7月23日月曜日

『生きのびるからだ』

 新聞の天気予報を見ると今日の名古屋の最高気温は39度、とある。広島は34度で南の沖縄は32度。沖縄と名古屋の気温差は7度もある。県内を見ても広島市よりも県北の三次市の方が3度も高い。以前は山陰や県北は市内よりも涼しいイメージがあった。ところがこのごろはこれまでの常識が覆されて何が常識なのかわからない。

 今朝は曇り空。家の近くの川を見ると山から流れてきた砂が川を底上げしている。このままの状態で大雨がまた降ればどの川も氾濫しそうだ。今や災害被害地に重機が使われて川の砂を掘るほどの機械も人もないのだろう。台風シーズンまでには川の土砂が取り除かれるといいけど…。

 暑い毎日。用事がない日はなるべく家で本を読む。昨日も図書館に出かけて書架の本を借りる。これまで読んだ南木佳士の本はエッセイで小説は読んでいない。元々、あまり小説は読まない。しかし、南木の小説を借りた。

 以下は『生きのびるからだ』(南木佳士 文藝春秋、2009年)からの抜粋。同じ人が書く本はタイトルが異なっても、内容が似てくる。以下にある『マンネリズムのすすめ』。南木はこの本にかなりの影響を受けたらしく手元に置いて読むらしい。そして手元から離れるとまた同じ本を買って読む、を繰り返す。同じ本を何冊か買ったそうだ。それくらい人がいい本というならば読まなくてはいけない。メモとして記そう。

★それまでは体や身体と表記していたものを「からだ」に変えたのは『マンネリズムのすすめ』(丘澤静也 平凡新書)を読んでからだった。中年になるまでまったく運動をしてこなかったドイツ文学者がある日からだを動かす喜びに目覚め、ジョギング、水泳自転車を本格的にはじめた。そして、からだにも教養が必要だと、悟る。67p

★落ちた葉は根に還る、のだ。72p

★ひとは変わる。変わらねば生きのびられない。128p

★からだのままに生きのびるからだ。…ひとは生きのびるために変容するのか。変容するから生きのびられるのか。183p

 ともあれ今日も元気で過ごしましょう!

2018年7月22日日曜日

『からだのままに』

 連日、猛暑日が続く。熱中症で亡くなる人が増えてくると「適切な冷房…」を、とのニュースが流れ、「電気を節約…」は聞かれない。去年までは寝る前のエアコンはお休みタイマーにしていた。ところが今年はずっとつけたままで眠る。エアコンの設定温度を決めると外気温が下がれば自動的に切れたり入ったりする。お蔭で部屋が冷えすぎることもなく熟睡できる。

 さて昨日の日本画教室。旅で写した写真を見てのデッサン。昨日はAustraliaで写した無花果の大木をデッサンする。無花果と言っても日本のそれとは異なり天まで届くような巨木だ。木全体を描くのではなく大木の幹と枝辺りまでをデッサンする。前にやはり巨木をデッサンしたときは木の周辺にも何かを描いた。巨木だけは簡単に描けるとの思い込みは大間違い。静物を描く時、丸いりんごを描くよりも柿のような形が描きやすいように単純なものほど難しいとあらためて気づく。次週の教室は休みなのでしばらく続けたデッサンを中断して、これまでのデッサンの中から1枚を本画に仕上げるつもり。先生に相談するとOKだった。

 秋の作品展の絵の題目を変更する。「本を読んで…」と話すと先生は「何の本?」と聞かれる。「南木佳士の本を3冊読んだうちの…」と話すと教室の人は良く知っておられた。「南木は信州の佐久平に勤める医師で…」と話した。知っておられたのは旦那さんが同じく医師で南木の作品を読まれているという。自分自身、南木は以前から知っていた人でなく読みだして知ったのでこれを聞いてやっぱり、と変に感心する。

 以下は最近読んだ3冊のうちの1冊で『からだのままに』(南木佳士 文藝春秋、2007年)からの抜粋。

★心身ともにリラックスすること。
 テーマはこれだった。五十歳を過ぎてまで自分を含めた誰かと競うことなどまっぴらごめんだから、リラックスの境地を得るための正しいからだの使い方を覚えたかった。25p

 南木は50歳から水泳を始める。同じく自分自身も水泳を始めて以来、心身のリラックスになっているのかからだの調子はとても快調。

★人は時と共に変容する。そレて、無責任なまでに。
こういう実感を得ると、言葉に置き換えたくなる。65p

★『流れとよどみ』(産業図書)は一九八一年初版のエッセイ集だが、内容が古びて感じられるものは一扁もない。なかでも「真実の百面相」と題された章は今日に至るまでもっとも多く読み返した達文である。119p

 大森壮蔵の本らしく、これを読もうとメモする。

★人は変容する。変容しなければ生き延びられない。四十歳の頃は階段を登ると息をきらしていたわたしが、奥穂高岳の山頂で、からだの芯から湧いてくる涙を流しっぱなしにしながら得た実感です。155p

 やたらに「人は変容する」が出てくる。確かに、人は変わる、とこの言葉に反応してしまう。生まれてから全く変化しないままだと何の進歩もない。絶えず人は変わる。この先もどんなふうに変わるか楽しみながら生きていく。これは楽しい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年7月18日水曜日

『薬石としての本たち』

 『薬石としての本たち』(南木佳士 文藝春秋、2015年)を読んだ。暇つぶしに図書館でこの人の本を3冊借りて読んだうちの1冊。「薬石」とは広辞苑によると3通りある。この中の1つに「身のための益となるものごと」とある。これと勝手に解釈して本を読む。

 本の紹介がある。このうち『脳を鍛えるには運動しかない!』(ジョン・J・レオティ)に次のような文がある。

 運動すると気分がすすっきりすることは誰でも知っている。けれども、なぜそうなるのかわかっている人はほとんどいない。ストレスが解消されるから、筋肉の緊張がやわらぐから、あるいは、脳内物質のエンドルフィンが増えるから――たいていの人はそんなふうに考えている。でも本当は、運動で爽快な気分になるのは、心臓から血液が盛んに送り出され、脳がベストの状態になるからなのだ。わたしに言わせれば、運動がもたらすそのような効果は、体への効果よりはるかに重要で、魅力的だ。筋力や心肺機能を高めることは、むしろ運動の副次的効果にすぎない。わたしはよく患者に、運動をするのは、脳を育ててよい状態に保つためだと話している。149-150p

 著者の南木は総合病院の医師。病棟勤務だと人の死を看取るのがまるで仕事のようになるらしい。その度に死亡診断書を書く。医師になってこの状況に耐えられなくなり精神を患う。30代後半の時だったそうだ。それもあるのか、影響を受けた本をとり上げて紹介する。南木自身、大うつ病から外来勤務に替えてもらい人の死を看取る仕事から離れる。いつしかうつも克服したらしい。その時に読んだ中にこの本がある。

 南木は50歳で水泳を開始、また山行きもやり始める。「水泳」の文字を見て反応する。自分自身は30代半ばに人に強引にすすめられて泳ぎ始める。とはいっても正式に泳ぎを習ったのは50歳ごろ。区のスポーツセンターの水泳教室に通って覚えた。その時に泳いだ後の爽快感を味わったのだろう。それ以来、今まで長く泳いでいる。

 しかし、今回の豪雨災害でいつも泳いでいたプールは臨時休館。また区のプールはJRが運行不能で行かれない。暑い毎日、気分を落ち着かせるためにエアコンの中で本を読む。本来ならばプールで泳ぎたい。しばらくはプールが利用できず残念。

 本を読み、その中で引用された文を読むと元の本が読みたくなる。『脳を鍛えるには運動しかない!』、図書館の蔵書にある。早速、予約。

 ここで余談。昨日姉と話していると姉の孫である小5の男児が手を骨折したという。ソフトボールのクラブに入った、と楽しそうな様子を聞いていたので可哀想。それこそ早く回復しないと運動どころではなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2018年1月23日火曜日

『生きてるかい?』

 先日、携帯電話をなくすという一人相撲を取った。昨夕、携帯を見ると録音がある。音がならなかった。一人相撲の時、家の電話から携帯にかけると音がならず、電源が…というような案内が流れる。もしも、音が出ていれば携帯が家のどこでなっているか、その在りかがわかる。なぜ録音機能に…としばし考える。先日、いろんな機能を触っていたのでそうなったのかもしれない。

 録音を聞くと某会の会長だった。電話をかけなおすと送付したUSBメモリーが届いたとのこと。先日のインドネシアの旅のメモリーで、同時に総会の欠席を知らせる。総会当日、日本にいないとお話しすると、どこへ行くのかを尋ねられる。行き先を告げると次のように言われる。これが可笑しい。「また坊さんと行くのか?」と聞かれて、「お坊さんたちはどの人も体が壊れたそうで今回は一人で…」と返答する。すると「坊さんも病気になる!?」と話される。職業によって病気云々が可笑しい。総会は楽しいので出席したい。しかし先に予定があるのでそれも仕方ない。電話の最後がまた可笑しい。偉い人に対して「今年もみんなで遊びましょう!」と言ってしまった。すると「その予定にしている」と話される。他の人からも年賀状に遊ぶ話が多く添えられる。ここまで生きてくると皆、童心にかえって仲よく遊ぼうとの気持ちも芽生える!?これ、大いに賛成!

 旅の話を電話でしたためか、また夜中に夢で目を覚ます。なんと、翌朝の外国旅行で何の準備もせず、どこの国へ行くかも全くわからないという変な夢だった。これに似た夢はよく見る。旅先で人にはぐれる夢。お坊さんたちや某会で行く旅以外はほぼ一人参加なのでかなりの緊張感があるのかもしれない。それと昨日、旅行社から旅行代金の残金振り込み請求が来たことにもあるのだろう。

 話は変わって先日読んだ南木佳士の『生きてるかい?』(2011年、文藝春秋)。著者は病院の勤務医であり芥川賞など受賞した作家。年末に図書館の書架から手あたり次第に見つけて借りた本の一冊。

 来月の18日が来ると母が亡くなって丸7年になる。その当日、病院で亡くなった母は病院の医師たちと看護師さん数名に見送られて斎場に向かった。哀しみの内にもなんとご丁寧に頭まで下げて見送ってくださると思った。この光景は我が人生初の体験で感動的だった。ところが医師側からすればこれも大変なご苦労らしい。それはこの本の著者が以下のように綴っている。

★我田引水的な自己分析によれば、うつ病になった原因は、死にゆく患者さんたちを看取ったやるせなさを文章で表現し、誰かにわかってもらいたいと根をつめて書きすぎたためであった。身をもって知ったひとの生のはかなさを理解してもらうには、臨床現場の様子を原稿用紙の上で再現せねばならない。…71-72p

 この他にも亡くなった人の車を見送る場面もある。全く母がしてもらった通りの場面だ。医師免許をもった医者は人が亡くなるということや遺体を解剖することは慣れっ子になっていると思っていた。ところがそれも人によって違うのだろう。ヒトが亡くなる最期まで、ましてやその時間までほぼ担当医が話す言葉通りだった。若い医師2名と看護師数名がその時、立ちあってくださる。今思えば、研究のために解剖させてほしいと懇願された時、駄目だと言わずにOKすればよかったとも思う。しかし、その時は気持ちの余裕がなかった。この先生たちには本当に最期までよくしていただいた。この本を読んで7年ぶりにそう思う。

 そしてこの本からモーツアルトのことやグレン・グールドのことも知る。以下はその内容から。

★大画面のテレビでまず最初に観たかったのは映画「アマデウス」のDVDだった。これはモーツアルトの生涯を描いた傑作で、映画館で見のがしたのを今でも悔いている。118p


★年末が近づいてくると身の内に一年の澱が沈殿してくるのか、何をするのもおっくうに感じられる。そんな日は無理をせず、縁側の読書用の椅子に寝そべってグレン・グールドのピアノを聞きながら軽い本に目をとおす。225p

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!