昨夜のNHK・BS「400年後の真実 慶長遣欧使節の謎に迫る」を見る。支倉常長の名は知っていてもその詳細を知らなかったモノにとってはとても興味深い番組だった。番組の取材中に一大発見がある。支倉と共に使節団として送られたうちの一人、伊丹(?)。東大の専門家によるとこの人の洗礼の正式名がわかれば他のことへと結びついて「大発見!」という事実に行き当たるそうだ。番組欄を見ると「400年前、支倉常長の慶長遣欧使節。歴史学者も驚く新事実が明らかになる。使節の一員が歴史の鍵を握る人物だったと判明。さらに、世界各地に存在する使節の末えいとは」とある。
番組の内容は「400年前、仙台藩士・支倉常長が率いた慶長遣欧使節。主君・伊達政宗の命で、7年かけてメキシコ、スペイン、ローマで外交交渉を繰り広げたが、あえなく失敗。いまだ多くの謎を残した使節団だ。それが今回、歴史学者も驚く新事実が明らかになる。使節の一員の中に、17世紀の日本史に新たな見地をもたらす人物が含まれていた。そして自らが使節の末えいだと伝え聞く人々の存在。世界各地に影響を与えた慶長遣欧使節の全貌に迫る」とある。そこには大浦天主堂、正式名は日本二十六聖殉教者堂とのかかわりがあった。
大浦天主堂へは中学校の修学旅行に行っただけでこういう歴史的なことは何も知らずにいた。さすがに90分の番組。伊達政宗がどうじゃこうじゃと歴史上の人物名はわかっていても何も知っていないと改めて気づかされる。この番組のように学校で歴史を教えてもらっていれば…と思えてくる。これも過ぎ去ったこと、あまりぶつくさ言うまい。
伊達政宗の使節団としてメキシコからイタリア、そしてスペイン。帰国の際はフィリピンにも寄港している支倉常長の慶長遣欧使節。スペインのある街では「ハポン」と名乗る姓の人たちが多い。この「ハポン」はスペイン語で「日本」の意。支倉と出かけた使節団のうち、日本に帰国せずスペインにとどまった人がいる。その人がスペイン名を名乗る時、国名を名前として付けたという。その街(コリア・デル・リオ)に数年前、支倉の13代目の子孫が訪問する。しかし、今13代目は事故から意識不明の状態のまま2年が経過。その子供の14代目が番組に登場する。
支倉常長は使節団としてメキシコに着いた際、これからの交渉に有利に働くとの考えから洗礼を受ける。しかし、これも次第に本格的なクリスチャンへと変化する。しかし、スペインの王との交渉はうまくいかず失意のうちに帰国。帰国後1年して支倉は亡くなる。どこに遺骨があるのかさえわからない状態らしい。
支倉とともに帰国しなかった3人のうち松尾太源がいる。支倉常長は松尾という姓の妻を迎えている。そのことと関係するのか大浦天主堂の今の大司教は松尾の子孫だと話す。支倉のふるさである支倉という町の古い地図を調べると隣町は松尾となっている。ということで大浦天主堂と松尾、そして支倉は関係があるようだ。
大発見の件ではうろ覚えなのでここでは省略。もう一度見て確認したい。支倉常長をとおしてこの時代の一端がよくわかる。うろ覚えの箇所は使節団の一人、確か伊丹なにがしかの洗礼名がわかると東大の先生がこれに関することが大発見、と話したように思う。
ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!
後日、伊丹(?)について思い出す。この人が大浦天主堂、正式名は日本二十 六聖殉教者堂の殉教者のうちの一人を日本に連れて来ていた。その人が大浦天主堂の初めの頃の司祭だった。多分これが大発見?だった、と思う。
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