録音を聞くと某会の会長だった。電話をかけなおすと送付したUSBメモリーが届いたとのこと。先日のインドネシアの旅のメモリーで、同時に総会の欠席を知らせる。総会当日、日本にいないとお話しすると、どこへ行くのかを尋ねられる。行き先を告げると次のように言われる。これが可笑しい。「また坊さんと行くのか?」と聞かれて、「お坊さんたちはどの人も体が壊れたそうで今回は一人で…」と返答する。すると「坊さんも病気になる!?」と話される。職業によって病気云々が可笑しい。総会は楽しいので出席したい。しかし先に予定があるのでそれも仕方ない。電話の最後がまた可笑しい。偉い人に対して「今年もみんなで遊びましょう!」と言ってしまった。すると「その予定にしている」と話される。他の人からも年賀状に遊ぶ話が多く添えられる。ここまで生きてくると皆、童心にかえって仲よく遊ぼうとの気持ちも芽生える!?これ、大いに賛成!
旅の話を電話でしたためか、また夜中に夢で目を覚ます。なんと、翌朝の外国旅行で何の準備もせず、どこの国へ行くかも全くわからないという変な夢だった。これに似た夢はよく見る。旅先で人にはぐれる夢。お坊さんたちや某会で行く旅以外はほぼ一人参加なのでかなりの緊張感があるのかもしれない。それと昨日、旅行社から旅行代金の残金振り込み請求が来たことにもあるのだろう。
話は変わって先日読んだ南木佳士の『生きてるかい?』(2011年、文藝春秋)。著者は病院の勤務医であり芥川賞など受賞した作家。年末に図書館の書架から手あたり次第に見つけて借りた本の一冊。
来月の18日が来ると母が亡くなって丸7年になる。その当日、病院で亡くなった母は病院の医師たちと看護師さん数名に見送られて斎場に向かった。哀しみの内にもなんとご丁寧に頭まで下げて見送ってくださると思った。この光景は我が人生初の体験で感動的だった。ところが医師側からすればこれも大変なご苦労らしい。それはこの本の著者が以下のように綴っている。
★我田引水的な自己分析によれば、うつ病になった原因は、死にゆく患者さんたちを看取ったやるせなさを文章で表現し、誰かにわかってもらいたいと根をつめて書きすぎたためであった。身をもって知ったひとの生のはかなさを理解してもらうには、臨床現場の様子を原稿用紙の上で再現せねばならない。…71-72p
この他にも亡くなった人の車を見送る場面もある。全く母がしてもらった通りの場面だ。医師免許をもった医者は人が亡くなるということや遺体を解剖することは慣れっ子になっていると思っていた。ところがそれも人によって違うのだろう。ヒトが亡くなる最期まで、ましてやその時間までほぼ担当医が話す言葉通りだった。若い医師2名と看護師数名がその時、立ちあってくださる。今思えば、研究のために解剖させてほしいと懇願された時、駄目だと言わずにOKすればよかったとも思う。しかし、その時は気持ちの余裕がなかった。この先生たちには本当に最期までよくしていただいた。この本を読んで7年ぶりにそう思う。
そしてこの本からモーツアルトのことやグレン・グールドのことも知る。以下はその内容から。
★大画面のテレビでまず最初に観たかったのは映画「アマデウス」のDVDだった。これはモーツアルトの生涯を描いた傑作で、映画館で見のがしたのを今でも悔いている。118p
★年末が近づいてくると身の内に一年の澱が沈殿してくるのか、何をするのもおっくうに感じられる。そんな日は無理をせず、縁側の読書用の椅子に寝そべってグレン・グールドのピアノを聞きながら軽い本に目をとおす。225p
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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