今週のお天気を見ると雨や雪の日が多い。大寒を目前にして本格的な冬が来る!?なぜ大寒にこだわるのかといえば、お寺から参られる寒行のお布施の用意のためである。新年を迎える度に「今年の大寒はいつ?」と調べるようになった。はやばやと玄関先にお布施を用意する。
今日は成人の日。半世紀くらい前の成人式。人生で一番暗い時期を過ごしていた。当然成人式は欠席。式と名がつくことはほぼ皆無の人生を過ごす。入学式や卒業式は出席してもあまりよい思い出がない。人生最後の葬式も本人には到底わかりようがない。新年早々、縁起でもない話題はやめよう。
式とあればそれは特別な日。毎日のことではない。その日だけのことよりも毎日が大事。成人式の新聞記事を見て若き日を思い出す。そのころを思えば今は何だってやれる。人生の前半は良くなくても後半は楽しみがいっぱい!悩む若者がいれば「人間長く生きてればいいこともたくさんあるよ」と教えてあげたい。
一昨日夜、初めて就職した会社の人と電話で話す。スキー、スケート、ボーリングと当時はこれらのスポーツ花盛りの時だった。IT時代ではないアナログ時代の職場は朝からのんびりしていた。まずは何処へスキーに行ったなどの話題が全盛だった。運動音痴は人の話をただ聞くだけ。しかし、電話で話した人はその時代を謳歌していた。ところが今はスキーのやりすぎで膝や腰が良くないらしい。何もしていない頃の私を知っている元同僚は今、動いている様子を見て羨ましがられる。どういっても痛いところがない。
若い頃、何でもやっていたら今ほど動いていないかもしれない。人生前半の元を取るつもりはない。しかし、底辺にはその考えがあるのだろうか。
以下は昨日読んだ本からの抜粋。この本でもポーランドが出てくる。アウシュビッツ収容所を案内する日本人は私たちも案内してもらった中谷さんのことだろう。抜粋した中でも特にこの文がいい。「”弧”を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである」。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
『旅人よ どの街で死ぬか。』サブタイトルは「男の美眺」(伊集院静 集英社、2017年)から。
★ 近世のヨーロッパで、グランドツアーという名称がつけられた旅が流行したとき、その謳い文句には、「人間として生まれてきて、もっとも至福なことは、旅をすることである」とありました。~私は旅をしたことで私の体に、記憶に、今もきちんと埋めこまれている旅の日々が他の行動では決して得ることのできなかったことを、確信できます。24-25p
★私の旅の基本とはどんなものか。~すべてを実感だけで捉えるのが私のやり方です。~そのいい例が第五章のポーランド、アウシュビッツの旅です。29p
★その街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体のなかに、その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。30p
★なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。”弧”となりえないからである。~”弧”を知るにはどうすればいいか。さまようことである。旅をすることである。34p
★想定する生には限界がある。所詮、人が頭で考えるものには限界がある。想定を超えるものは、予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。43p
★人間は焦がれる生きものである。彼は焦がれていた。崇高なる精神がそこにはあざやかにあった。美しい旅人であった。人が何かに焦がれるのは、私たちの生が哀切であふれているからである。64p
★ルソーがなぜゲルニカを世界の理想と言ったのか。ゲルニカは町の中心に一本の樫の木があり、五百年近くの間、この木の下に人々が集まり、あらゆる問題を合議し、決定してきた。イサベルとフェルナンドが結婚し、大航海時代のスペインが誕生する以前から、この共和制の原形を人々は存続させていた~。~一本の木を見る旅をぜひおすすめしたい。91-93p
★ー何かを手に入れたものは何かを失う。自明の理である。旅を続けている限り、失うものはない。しかし失わないことが旅に求める安堵であるのなら、その旅は愚かな行為でしかない。
流れる水を見て思った。
ともかく旅を続けるしかない。127-128p
★ヨーロッパ大陸を飛行機で旅し、窓から大陸を見たことがある人は、初夏にレモンイエローの花を咲かせた菜の花畑の美しさを知っているはずだ。148-149p
★この旅のなかで取りあげなかったが、ポーランドのアウシュビッツ収容所を訪ねた。見ておくべき場所だから出かけた。私をむかえてくれた日本人の案内人は物静かで温和な人だった。収容者たちが列車から降ろされ、歩かされた道を案内人と歩いた。折からやわらかな初夏の風が吹いて流れ、路傍の野花を揺らしていた。かつてここが殺戮の場所であったとき、花は咲いてもいなかったろう。収容所で目にしたものは、予期したとおり私たちが見ておくべきもの、知っていなくてはならないものだった。黙示であってはならないものである。残されたものたちが立証しているのは、これがまぎれもなく人間がなしたものであるということだ。~過ちをくり返すのが人間だとしたら、人間はどうしようもない生きものである。-そうかもしれない…。207p
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