『遊行の門』(五木寛之 徳間書店、2008年)を読んでいて以下の言葉に目を見張る。それは後白河法皇が編んだ『梁塵秘抄』にある中世にうたわれた絶唱だった。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声きけば
わが身さえこそゆるがるれ(18p)
この2行を某会の会長は1年余り前の中国の旅の途中でつぶやかれた。初めて聞く言葉だ。覚えて帰ろうと思ったので翌日のホテルの朝食時にも聞いて覚えた。これをブログに載せていると思い、我ブログを検索するとある、ある。2016年11月16日の「遊びをせんとや生まれけん…」でアップしている。
五木はこの後、「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である。…『遊行期』とは、子供に還って遊び、戯れる時期である。気ままに、わがままに、そして無心に」と綴っている。(19p)
この意味を知るとますますこの言葉の良さがわかる。「老いていく、とは、枯れてゆくことではない。それはいきいきした好奇心と、未知の世界へ向けて触手をのばす、生命の活動である」。まさにその通りだ。近いうちまた一つ年をとって老いてゆく。これもそうではなく「いきいきした好奇心…」と思えば、年を取るのも悪くない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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