「日本の集団の歴史は独裁者の存在を許さないというふしぎな原理をもっている。……気が引けるが、まあ騎虎の勢いだから――ちかごろあることで腹が立っているので――この話題をつづける。日本人が原理としていかに独裁制を好まないかということについてである」
上記の「日本の集団の歴史は独裁者の存在を許さないというふしぎな原理をもっている」のくだりは『街道をゆく』(一)「甲州街道 長州路ほか」(288-289p)に書いてある。今、ロシアとウクライナは紛争中だ。ロシアのプーチンがまさに独裁者であり、その存在を許している。他にも国が安定していないとその国には大概、独裁者が国のかじ取りをしているように思える。司馬遼太郎の本を読んで改めてそれを知る。
「街道をゆく」シリーズがテレビで再放送され始めてさらに司馬遼太郎の著作を読む速度が増してきた。また本を読んでいるとその本に付随する事柄にも刺激されて、さらにその本を読みたくなる。この刺激が増え続けると何歳まで元気に生きていればいいのかわからなくなりそうだ。まあ、なにかをやり終えたいと思う間は元気な証拠でもあると思うのでこれはこれでいいことかもしれない。それにしても歳を取ればとるほど本を読みたくなるとはどういうこと!?
モンゴルのツエベクマさんのその後を知りたくて図書館のHPで本を探すと見つかった。早速、ツエベクマさんの著書を図書館に予約する。今日中にはその本を手にできそうだ。
カープは気になる、遊びにも行きたい、本も読みたい、と気も焦るが今は世の中で言うGW真最中。毎日がGWのモノにとってはこの時季にわざわざ外へ出なくてもいいとの思いもある。家でおとなしくテレビでカープを観戦し、本を読んで過ごす。これでいい。昨夜は又も堂林選手がホームランを打った。そしてカープは勝った。さて今日は?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は『街道をゆく』(一)「甲州街道 長州路ほか」(司馬遼太郎 朝日新聞社、一九九九年第33刷)から気になる箇所を抜粋。
★日本民族はどこから来たのであろう。……「日本人はどこから来たのでしょうね」と、編集部のH氏がつぶやいたのも、どうせちゃんと答えがあるはずがないという物憂げな語調だった。しかしこの列島の谷間でボウフラのように沸いて出たのではあるまい。(23p)
★「朝鮮人などばかばかしい」という、明治後でき上った日本人のわるい癖に水を掛けてみたくて、私はこの紀行のてはじめに日本列島の中央部にあたる近江をえらび、いま湖西みちを北へすすんでいるのである。(25p)
★古代中国では、「倭(日本とおもっていい)には、奴(那・娜)(な)の国というのがある」といわれているが、この奴の種族が、安曇であることはほぼまちがいあるまい。(29p)
★そういう日本列島にあって、その東の辺陬に突如騎馬文化が成立するというのは、百済人入植という事実を外しては考えられない。この集団が、日本史上、われわれが誇る、もっとも典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生に限りないおもしろさを覚える。……その半島で農耕生産を発展させようとおもえば当然、灌漑などの農業土木が発展せざるをえないのだが、二千人の百済人たちはその技術をもって武蔵国の田園をふやして行ったにちがいないなく、田園がふえるにつれ、当然ながら人口もふえた。開墾地主が簇生(そうせい)した。その開墾地主が、つまりは武士である。これが荘園制度とからんでいわゆる坂東武士団がつくられてゆく。かれらは開墾地の擁護をたのむために京都朝廷への口きき役としての源家や平家などといった筋目の京都人を棟梁に押したて、みずからの家系をも源平藤橘の系譜にあわせて創ってゆき、つまりは系譜の上からいえばたれもが桓武天皇や清和天皇の子孫になりおおせて、たれもが百済人と土着人の子孫であるといわなくなるのだが、それはいわば系列下に入るための原理で、別に怪しむに足りない。(141-142p)
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