2022年5月1日日曜日

「見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」を見る

 NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~」を見た。立花は今、大木というか古木の中を刺す光の中に眠っている。このフレーズは放映されたナレーションの言葉によっている。「光の中に眠る」、いい表現だ。立花隆はまさに「無」にかえっていった。亡くなればお葬式も戒名も何もいらない。無になるといって猫ビルの膨大な資料や書物も既になくなっていた。先日の新聞報道によるとこれらの資料はある機関や古本屋、そして個人に配布されたそうだ。17年間、立花を追い続けたディレクターには100個の段ボールの中に個人の名を記した書類があった。そのディレクターが最後の立花隆の旅を追っている。
 
 癌になって以降、鳥取にあるホスピスを訪れている。ここで末期癌の老婦人に質問をした。人生の最期に「ありがとうございました、と言って死ねたら幸せです」と老婦人は言った。それを聞いて感銘を受けた立花は「ありがとぅございます。人の限りある命を周囲の人に支えられて限りある時間を生きて行きます」と話す。人は単独でなく周囲に支えられて限りある命を生きている。それは「いのちの連環体」となり、さらにそれが大いなる「いのちの連続体」になるという。

 一語一語が哲学めいていて放送を見てもわかったようでわかっていないかもしれない。最期を託した立花の妹も出ていた。NHKプラスで見られるようなのでまた後でゆっくり見よう。

 先日包丁で左手の小指を切った。まだかさぶたはとれていない。ちょっとした指の怪我で慌てふためくモノがもしも癌、などと病名を医師に告げられたとしたら自分自身どうなるのだろう。もうがっくりとなって聞いたことだけで死ぬ気がする。体の部位を意識するときはそこが異常のことが多い。指1本を通常は気にせずに生活している。ところがいざ包丁で切った、となるとその個所の痛さを知り、慌てふためく。何ごとも気にせず生活できる幸せをかみしめて限りある命を生きる!?そう言いながらも自分自身が亡くなることの想像ができない。まだまだ生きるような気がするがそれは間違った思い上がり!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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