BSで司馬遼太郎の「街道をゆく」がはじまって以降、『街道をゆく』の(一)と(二)を読んだ。単行本を3日で2冊読んだことになる。自分の中では最高に速いスピードで読んだ3日間だった。それでなくてものぼせすぎて口の周りにヘルペスが出来ている。これもだいぶ治ったようだが無理は禁物と思いながらも「沙也可」と渡来人の族名を知りたくて探しながら本を読んだ。「沙也可」は本の目次にその見出しがあったのですぐに分かった。が、渡来人の名ははっきりとせずテレビを見るときメモすればよかったと悔やまれる。
以下は『ご機嫌剛爺 人生は、面白く楽しく!』(逢坂剛 集英社、2021年)から気になる箇所をメモしたもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★世間のブームには乗りませんが、自分で見つけた鉱脈はとことん掘り続ける。小説も、映画も、野球も、ギターも一度好きになったものは、ずっとはまり続ける。知れば知るほど、新たな魅力を発見して、また好奇心が刺激され、もっと好きになる。この鉱脈は尽きることがないのです。(111p)
★長年勤めた会社を早期退職したあとも、自宅から電車に乗って毎朝九時に”出勤”し、昼食を挟んでせっせとデスクワークに取り組み、夕方の五時に”退勤”するというリズムを、なんとなく守っている。それが心地いいからです。食事は平日・休日問わず、時間を決めて正しくとる。リズムを出来るだけ一定にすることが、体に負担を与えないこつのような気がします。好きなことを、死ぬまで続けたいという貪欲さだけは、だれにも負けない自信があるから、そのためにリズムを整えるのです。(112p)
(このくだりはよく似たことをしている。早期退職というかリストラというか、50代半ばで会社を辞めた。その際、家にいては体に良くないと思って市内の中央図書館へ勤めていないのにJRの通勤定期を買って毎日のように通った。当時は家の近くにまだ図書館が出来ていなかったので地元JR駅から広島駅までJRに乗り、そこからは中央図書館まで歩いて通っていた。これは運動にもなって体にもよかった)
★わたしも日ごろから、「人間関係をよりよく!」と気合を入れて、過ごしているわけではありません。ごくごく自然です。ただ一つ言えるのは、自分の”好き”きらいに対しては、忠実なことです。そうは見えないらしですが、実はけっこう、好ききらいがはっきりしている方なのです。基本的に、話していて心地よい、と感じられる人と会いたい。だれでも、そうですよね。気の合う人と、楽しく会話できる時間を増やしていけば、自然と人間関係で悩むことも、少なくなるわけです。(145-146p)
★どうせ生きるならご機嫌に、できることなら争いごとを避けて、日々を過ごしたい。(185p)
(このくだりもそう思う。生きている間はもめごともなく、ただただ楽しく元気で生きていたいとの思いがある)
★これからの目標はと聞かれたら、変わらず好きなことに没頭できる人生を送りたい、と答えます。今年で七十八歳になりますが、父・中一弥は、挿絵画家として生涯仕事を続けて、百四歳まで生きました。……妻を早くに亡くしたことは、不幸だったかもしれませんが画家としてこれほど幸せな生き方はあるまい、とあこがれに似た感情が沸いてきます。……わたしの創造の泉も、いつ尽きるか分かりません。……生きるほどに、好奇心が膨らみ、やりたいことが広がっていくから、つい年齢をわすれて先ざきの楽しみまで、計画してしまいます。自分を暇にさせない、退屈させない、これからも、わが人生を味わい尽くします。(193-195p)
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