2022年4月4日月曜日

『追憶のひとびとー同時代を生きた友とわたしー』を読む

 昨日までの1週間、3日ほどは近場の桜を見て歩き、さらに1日はコンサート、もう1日は日本画教室と連日のように出歩いた。急に動き回ったので疲れたのか昨日は一日、頭が痛かった。体のどこかが痛くなることは全くと言っていいほどない。が、出歩いていたため、もしかしてコロナにかかった?と思ったりした。頭の痛さとコロナは関係ある!?

 夜になっても頭が痛い。もしかして風邪?と思いなおして昨晩はお風呂にも入らず早めに就寝。今朝はよく寝たためか頭の痛さもなく気分も爽快だ。急に遊び歩いたので草臥れたのだろう。今週から水泳を再開するつもりでいた。が、昨日までの草臥れとコロナの感染者の増加で水泳の再開はもうしばらく様子見となりそうだ。

 色川大吉の『わたしの世界辺境周遊記フーテン老人ふたたび』を読んで以降、『フーテン老人世界遊び歩き記』、『色川大吉人物論集 めぐりあったひとびと』、そして『追憶のひとびとー同時代を生きた友とわたしー』と最近、個人的に色川大吉にハマっている。しばしらくは司馬遼太郎の本と同時進行で色川や他の人の本を読むようにしよう。

 一人の著作を一気に4冊読むとその人となりが少しはわかってくる。色川は日本近代史・思想史の専門家であり、「自分史」の提唱者でもある。「わたしは今から三十七年前に『自分史』という言葉を創り、『ある昭和史―自分史の試み』(中央公論社、一九七五年)で、自分史も使い、同時代史を描いたことがあるが、こんどの本は多勢の他者を使って平成時代史を書こうというものではない。これは『追憶』の書である。あくまでも各界の知友たちを一人一話ずつ懐かしい気持ちで書いた。なかには辛辣な筆致もある」(『追憶のひとびとー同時代を生きた友とわたしー』街から舎、2012年 10p)と書いている。

 ここにある「辛辣な筆致」、でいえば司馬遼太郎に対して「もちろん司馬のものは『竜馬がゆく』から『坂の上の雲』まで読んでいる。西部劇を見るように楽しく読んだ。達者だが、歴史は書けていないなあと思いながら読んできた」(29p)とあり、続けて『燃えよ剣』を書いた司馬に対して「あなたの作品では明るい面、英雄的な面が強調されすぎ、あの時代の暗さ、深さをとらえ損ねている、と。それに対し、司馬遼太郎は『いや、それは維新に対するあなたと私の考え方のちがいによる』と反発し、認めなかった。そこで、わたしが幕末期のそうした暗さ、不信と絶望のふかさを理解しなかったら、それを生き抜いて五稜郭まで落ちのびてきた土方歳三たちの屈折した人間像を丸ごと書けないじゃあないですかと、問い詰めたら、しばらく黙っていたが、司馬は結局。わたしの批判を認めなかった。『色川さんの言うのは歴史でしょう。それと歴史小説は違う。歴史小説というのは、所詮、読者に楽しみをあたえるものであって、読んだら絶望してしまうようなものでは駄目なのですよ』と。そうだろうか。わたしは反論した」(31-32p)と書いている。

 さらに1997年3月の『プレジデント』臨時増刊号『司馬遼太郎がゆく』を引き合いに出して日本の経営者が好む司馬作品の第一位は『坂の上の雲』、第二位が『竜馬がゆく』であるのに対して、サラリーマンのほうは『竜馬がゆく』が第一位にきている。それにより司馬遼太郎が下積みの庶民などとは関係のない「国民的作家」になっていった、と批判的とも思えるような書き方をしている。

 自分ではどちらがどうこうとは言えないが、司馬作品によって歴史小説を読む楽しさを開眼させてもらったものとしては「歴史小説というのは、所詮、読者に楽しみをあたえるものであって、読んだら絶望してしまうようなものでは駄目なのですよ」という司馬を応援したい。というか、色川は民衆思想史を研究し、民衆活動家でもあるので「国民的作家」になってしまった司馬に物申すのもわかる気がする。

 いずれにしてもこれから一生をかけて司馬作品全読破を目指す気持ちに変わりはない。また、色川の本も5冊目を借りて読みはじめた。この人の自分史のような著書である。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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